半透明記録

もやもや日記

お知らせ

『ツルバミ』YUKIDOKE vol.2 始めました /【詳しくはこちらからどうぞ!】→→*『ツルバミ』参加者募集のお知らせ(9/13) / *業務連絡用 掲示板をつくりました(9/21)→→ yukidoke_BBS/

『ソポクレス オイディプス王』

2005年12月07日 | 読書日記ーその他の文学
藤沢令夫訳(岩波文庫)


《あらすじ》
オイディプスが先王殺害犯人の探索を烈しい呪いの言葉とともに命ずる発端から恐るべき真相発見の破局へとすべてを集中させてゆく緊密な劇的構成。発端の自信に満ちた誇り高い王オイディプスと運命の逆転に打ちひしがれた弱い人間オイディプスとの鮮やかな対比。数多いギリシア悲劇のなかでも、古来傑作の誉れ高い作品である。


《この一文》

”禍になおいやまさる禍が この世にもしもあるとせば、
 それこそはこのオイディプスのもの。    ”



『アポロンの地獄』という映画を観たのがきっかけで興味を持ったオイディプス王の物語です。恐るべき物語です。なるほど傑作でした。
まず何と言っても、物語の展開が凄いです。大昔にこんなにも手の込んだ物語が既に生み出されていたとは、驚くばかりです。登場人物たちは、アポロンの御神託に翻弄されるわけですが、彼等が神託を受け、そのような運命を逃れようとしてとった行動が結局は自身を破滅へと向かわせてゆくクライマックスは圧巻です。オイディプスもよかれと思って、先王の殺害犯人を捜そうとするのですが、実はかつて先王を殺したのは自分であり、しかもその先王というのはオイディプスの実の父親、さらに現在の妻は先王の后でもあり、つまり実の母親であったことを知ることになります。冒頭では優れた支配者として登場したオイディプス王は、物語の終わりでは神々にさえ呪われた存在に転落します。物語の悲劇性というのは、このような意外性や落差から生じるのかもしれません。まさかそんな、考えられない、と思いつつもないとは言い切れないような状況が巧みに構成されていました。すごいなソポクレス。
というわけで、まさに傑作でした。あまりに面白かったので、つづいて、オイディプスの娘『アンティゴネー』の物語を読んでいます。こちらもなかなか読みごたえがありそうです。ギリシアの物語はあなどれないのでした。

『阿Q正伝・狂人日記 他12篇(吶喊)』

2005年08月21日 | 読書日記ーその他の文学
魯迅作 竹内 好訳(岩波文庫)


《作品について》

魯迅が中国社会の救い難い病根と感じたもの、それは儒教を媒介とする封建社会であった。狂人の異常心理を通してその力を描く「狂人日記」。阿Qはその病根を作りまたその中で殺される人間である。こうしたやりきれない暗さの自覚から中国の新しい歩みは始まった。



《この一文》

” おれは知らぬうちに、妹の肉を食わなかったとはいえん。いま番がおれに廻ってきて……
  四千年の食人の歴史をもつおれ。はじめはわからなかったが、いまわかった。まっとうな人間に顔むけできぬこのおれ。   「狂人日記」より”

” このときふと異様な感じが私をとらえた。埃まみれの車夫のうしろ姿が、急に大きくなった。しかも去るにしたがってますます大きくなり、仰がなければ見えないくらいになった。しかもかれは、私にとって一種の威圧めいたものに次第に変っていった。そしてついに、防寒服に隠されている私の「卑小」をしぼり出さんばかりになった。  「小さな出来事」より”

” 希望という考えがうかんだので、私はどきっとした。たしか閏土(ルントー)が香炉と燭台を所望したとき、私は相変らずの偶像崇拝だな、いつになったら忘れるつもりかと、心ひそかにかれのことを笑ったものだが、いま私のいう希望も、やはり手製の偶像に過ぎぬのではないか。ただかれの望むものはすぐ手に入り、私の望むものは手に入りにくいだけだ。
 まどろみかけた私の眼に、海辺の広い緑の砂地がうかんでくる。その上の紺碧の空には、金色の丸い月がかかっている。思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。   「故郷」より”



学校の授業でもその名を習った魯迅の「阿Q正伝・狂人日記」。名作を名作と言われているというだけの理由で避ける習性のある愚かな私は今になってやっと読みました。古典文学に対しては大勢の人が好き放題に注釈を付け、解釈や批評をしたりするけれども、古典にはそのようなあらゆる埃を自ら払いのける力があることが、原典を読むならば必ずや分かるだろうというようなことを、イタロ・カルヴィーノが言っていたような気がしますが、まさに。
「狂人日記」でいきなりの衝撃。凄いです。私の妙な思い込みを一気に吹き飛ばしました。細かい断片をつなぎあわせた語りがずっと続きますが、とにかく切れ味が鋭い。なんだこの文章は。この人の文章(翻訳だけど。訳も上手いのでしょう)には印象的なものが多過ぎます。全ては引用しきれませんでした。物語の構成もかなり私の好みに合います。特に「小さな出来事」と「故郷」の2篇は珍しく希望を提示する展開も含めて気に入りました。しみじみと盛り上がります。「故郷」は昔、教科書で読んだような記憶があるようなないような感じの懐かしいお話です。自分のことを「迅ちゃん」と呼んでくれていた昔の幼なじみに久しぶりに会ったら「旦那さま!」と呼ばれた私の悲しみ。しかし、すり減り、打ちひしがれ、互いに遠ざかるばかりだった自分の世代では得られなかった新しい生活への希望を次の世代に見出そうとします。そしてここでは、希望というものを的確にあるものに例えています。

「歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」。

なるほど。希望を持つことは誰にでもできるけれど、それを達成する難しさや覚悟の必要性を感じさせられます。また同時にこの言葉にはとても励まされるところもあるようです。少数の人間でもずっと歩き続ければ、道は続いていくからでしょうか。いつか道は大通りになって、皆でそこを何の憂いも恐れもなく歩くようになるでしょうか。あ、涙が。

『縛り首の丘』

2005年02月28日 | 読書日記ーその他の文学
エッサ・デ・ケイロース 彌永史郎訳(白水Uブックス)



《あらすじ》

罠とも知らず愛する女のもとへ馬を駆
る若き騎士ドン・ルイ。途中、刑場の丘の
かたわらを通りすぎるが、その時、縛り首
の死体が彼に話しかける。「俺を連れて
いけ、何かの役に立つはずだ」。ユーモ
アと辛辣な皮肉を交えた魔術的リアリズ
ムの世界。傑作『大官(マンダリン)を殺
せ』を併せて収録。



《この一文》

” 「中国の奥地に、伝説上、歴史上のあらゆる王よりも裕福な大官がいる。その男のことは、名前も、風貌も、身に纏う絹布のことさえも、汝は何も知らぬ。男の尽きることなき財産を汝が相続するには、手許の本の上にあるその呼び鈴を鳴らすだけでよい。さすれば、男は、モンゴルに接するかの国境の地で、一度だけおおきく息をつき屍と化す。
 すると汝は、貪欲な吝嗇家が夢見うるよりもさらに多くの金を目のあたりにすることになろう。この書を読む汝、死すべき人間よ、呼び鈴を鳴らしてみては如何かな?」
        --「大官を殺せ」より  ”



収められた2篇のうち、「縛り首の丘」は読んであったのですが、もうひとつの「大官を殺せ」は先に収録されていたにもかかわらず未読でした。
飛ばしていたらしいです。
両方ともなかなか面白かったです。
ケイロースという人については、もっと昔の人だと思っていたのですが(根拠もなく)、あとがきを読むと、1845-1900年までを生きた人らしいです。
私はこの年代の物語にとても惹かれます。
これが結構面白かったので、他の作品も探して読んでみようと思います。
図書館で見かけたような気がするので、はやく探しにいきたいのですが、いきつけの図書館は蔵書整理のためにしばらく休館中なのでした。

『ルバイヤート』

2004年12月25日 | 読書日記ーその他の文学
オマル・ハイヤーム作 小川亮作訳(岩波文庫)


《内容》

生への懐疑を出発点として、人生の蹉跌や苦悶、
望みや憧れを、短い四行詩(ルバイヤート)で
歌ったハイヤームは、十一世紀ペルシアの詩人
である。詩形式の簡潔な美しさとそこに盛られ
た内容の豊かさは、十九世紀以後、フィッツジェ
ラルドの英訳本によって多くの人びとに知られ、
広く愛読された。


《この一節》


” 造物主が万物の形をつくり出したそのとき、
  なぜとじこめたのであろう、滅亡と不足の中に?
  せっかく美しい形をこわすのがわからない、
  もしまた美しくなかったらそれは誰の罪?    ”



生れてはじめて買った詩集がこれでした。
私が思っているようなことは悉く既に書かれてしまっているということを思い知らされました。
しかも、美しい形で。
こんな短い文章によって心を動かされるというのは一体どういうわけなのでしょう。
不思議です。

『SUDDEN FICTION 2 超短編小説・世界篇』

2004年12月24日 | 読書日記ーその他の文学
ロバート・シャパード/ジェームズ・トーマス編 柴田元幸訳(文春文庫)


《内容》

まさに<世界文学全集超小型お買
い得版>。とびきりのショートショ
ート・アンソロジーの世界篇は
20世紀世界文学のビッグ・ネーム
から意外な掘り出し物までずらり60。
ボルヘス、ガルシア=マルケス、コ
レット、カルヴィーノ、それに川
端康成。超豪華メンバーがそれぞ
れほんの数ページで小説の醍醐味
をたっぷりと味わわせてくれる。


《この一文》

” オリオンの死体のかたわらに横たわったアルテミスは、たった一つの行為によって、自分の過去までが変わってしまったことを悟る。未来はまだ手付かずのまま、いまだ救われぬままだ。だが過去はもはや救えない。自分はいままで思っていたような存在ではない。あらゆる行為、あらゆる決断が、こうしてこの場に彼女を導くに至った。階段の一番上の段が夢遊病者を待ち受けるように、この瞬間も、ずっと前から彼女を待っていたのだ。
   「オリオン」ジャネット・ウィンターソン(イングランド)より  ”

”----彼女の瞼は光をぼんやり通すブラインドだった。
 瞼を開けると、病院の一室の艶やかな壁が見えた。彼女の手を誰かの手が握っていた。
 彼の手が。
    「末期症状」ナディーン・ゴーディマー(南アフリカ)より  ”



「SUDDEN FICTION 超短編小説70」に続く第二段です。
世界各国の小説が読めます。
これでしか読めないかも、というような品揃えです。
私は短篇をとても好むのですが、読んでもすぐさま忘れてしまうので、何度でも楽しめるのでした。
60の物語の中でも例外的に良く覚えていたのは「末期症状」というお話です。
約8ページの短い物語ですが、とても印象的なのです。
ナディーン・ゴーディマーという名前は読むまでは知らなかったのですが、結構有名なようです。
他にもその時は気が付かなかったけれど、あとになってから、「この人この本にも載ってたのか!」と気が付く作家も沢山いました。
バリ-・ユアグローとか。
リチャード・ブローティガンとか。
フリオ・コルタサルとか。
私が成長するごとに、また面白くなるという貴重な一冊なのでした。