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森羅万象 ~ 歩く印象派

撫順へ(その3)「平頂山」中国の旅(大連、瀋陽、撫順訪問)28 

2006年07月19日 23時53分19秒 | 中国の旅(大連、瀋陽、撫順)
撫順が有名なのは石炭の露天掘りだけではない。
今眺めた露天掘りのすぐ南側に「平頂山」という山があって
いまから73年ほど前にそこで住民の虐殺があったというのだ。
それも日本の軍隊によって老人から子どもまで3000人もの村人
が殺されたというのだから、かなりショッキングな事件だ。

事件の概要だが、
(1)発端は柳条湖事件(31年9月18日)以来の関東軍と
   いう日本の中国駐留部隊の占領に対する抗日運動が高ま
   る中、撫順炭鉱が抗日ゲリラに襲撃され炭鉱所所長含む
   死者5名、負傷者6名の被害が出たことにはじまる。
(2)その抗日ゲリラ(中国では東北義勇軍という)がこの村
   を通過していることから日本軍は住民がゲリラと通じて
   いると判断し、平頂山の住民の皆殺しを図ったというもの。
(3)その皆殺しのやり方が陰惨だ。
   当初は記念写真を撮るなどと偽り、住民をがけ下の一カ所
   にかり集め、カメラを黒い布で覆っておいた風に見せて(実
   は機関銃が隠されていた。)その布が取り払われると、住民
   は逃げるまもなく機銃掃射にさらされた。一斉掃射の後、生
   存者がいれば銃剣で刺して回り、とどめを刺したという。
(4)さらに、事件自体が表沙汰にならぬよう遺体にガソリンをま
   いて焼き払い、最後は、がけを爆破して遺体を埋め、隠滅し
   ようとはかった。

現場は発掘され、いまは「平頂山惨案遺址紀念館」として公開されて
いるわけだったが、なんと4月20日から改装工事に入って現在は見学
できない状態となっていた。この情報は日本からではつかんでなかった
のでちょっとがっかりした。
 
私が平頂山事件とこの記念館の存在を知ったのは、数年前にここを訪れた
元高校教師GS氏による。中に入ったGS氏によれば長さ80メートル,幅5メ
ートルほどの「骨池」に,800体ほどの遺骨が事件当時のまま横たわってい
るという。

門の前で合掌し、撫順市内へ戻ることにした。(続く)