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森羅万象 ~ 歩く印象派

中国の旅について

2006年07月25日 19時32分39秒 | 中国の旅(大連、瀋陽、撫順)
 長々と書いております「中国の旅」についてみなさまからコメントをいただき、いたく感謝しております。もうしばらくで完結の予定ですが、なんで中国に行ったのか?という質問も寄せられております。私自身も行く前と行ってきた後では自分の中で大きな変化が生まれています。そのへんも含めまして、現在の時点での所感をあまりまとまりませんが披露したいと思います。

 発端は小泉首相の靖国参拝です。が、それよりも当時の安倍副官房長官の「中国や韓国だって、英霊の参拝に行っているではないか、なんで日本だけが非難されなきゃいけないんだ。」という主旨の発言の方が気になって仕方がありませんでした。
実際に中国や韓国のトップ(首脳)はどんな風に「参拝」みたいなことをやっているのだろうか?しかし、調べてみるとこの辺のことを具体的に明らかにした文書や情報は皆無に等しく、安倍副長官の根拠について詳しく知りたいと思う念は強まるばかりでした。

 折りよく、古くからの友人Nに誘われて昨年末に韓国ソウルに行き、戦争記念館で韓国戦争(日本で言う「朝鮮戦争」)が南北共に深いキズを負った事実を知り、その背景に40年にも及ぶ日本の支配の歴史(西大門刑務所の展示)があったこと、続いて1月に訪ねた沖縄では、本土防衛の「捨石」として戦況を長引かせるために20万人もの犠牲を強いた日本の軍隊の実態を知りました。この二つの旅で私の中ではっきりしたことは加害した側はそれを忘れやすいことです。対して被害者はずっとそのことを忘れないということ。おかげで戦後60年の間に日本人のほとんどが加害者であったことなど忘れてしまったかのような風潮になってしまいました。日本でも広島長崎の原爆被災や東京大空襲は「被害」の大きさから、語り継がれていますが、アジアの民を殺戮した「加害」の事実は語り継ぐどころか、取り上げる人も減ってきております。「沖縄戦」も本土で詳細を知る人はほとんどいません。それどころか、アジアでの戦争をネットで検索にかけてみればすぐにお判りかと思いますが、検索の冒頭に並ぶもののほとんどが、「日本の(中国侵略)は間違っていなかった。」とか「朝鮮は自ら併合を望んだ」という論調が占めてしまうという点です。「なかったことにしたい。」願望から「なかった」という断定に切り替わって来ているところが怖いところです。

 これはどうもこの国の中では本当のことは見えにくく(判りにくく)なってきているのではないか?たぶん、戦争を実体験した世代の減少も大きく影響しているように思えます。(ビルマ戦線で隼戦闘機を駆った我が実父もこの世にはいません。)またネットに戦争体験を披露するには、かの世代にはパソコンのハードルが高すぎます。

 私の得た考えはたいへん簡単なものです。実際に加害の現地へ行き、自分の足で歩き、自分の目で確かめてくること、現場に立ってみること、そこで自分がどう感じるのか、それを実行したのが一連の旅です。中でも中国(それも東北部)は是非にも訪ねたいところでした。とはいえ中国行きはかなりの覚悟が必要で、なかなかチャンスは訪れませんでした。

 今回の中国訪問が成立したのは大連にいるKing父のおかげです。予め、交通機関や宿泊地情報などの下調べをし貴重な休みを割いて彼が同行してくれなければ、このように効率的に現地を廻ることはできませんでした。ほんとうにありがたかったです。また、旅の趣旨に理解を示し、快く送り出してくれた配偶者にも感謝です。

 それにしても、実感したのは大事なことや大切なこと(とりわけ戦争などに関して)のことを知ることが(現在)いかに困難であるかということ。逆に言えばTVやマスコミによってもたらされる夥しい情報のほとんどが「大事なことや大切なこと」を見つけにくくする役割を果たしていることに戦慄を覚えます。特に(私の娘達も含め)若い世代にとってはたいへんな試練だと思います。

高畠町

2006年07月25日 16時07分34秒 | 旅行(山行以外)
 行きは東北道、山形道と高速道路で一気に走ってしまい
途中の景色を眺めるゆとりもなく、もったいないことをし
てしまった。
せめて帰りぐらいはのんびりしたいと思い蔵王から七ケ宿
、高畠を経由し米沢へ出る内陸コースをとることにした。

高畠はワインも有名だが県外への「輸出」を禁じたラ・フ
ランスという西洋梨の産地でもある。
(下の写真はラ・フランスかどうかは定かでないが梨の木)

その昔は、あの有名をはせた覇王織田信長の末裔が移封に
よって現在の群馬県甘楽からこの地にやってきたところでもある。

織田といっても信長の次男・織田信雄の系統にあたる。
七ケ宿から長いトンネルを抜け出て螺旋状に下ったあとし
ばらくすると右側に立派な三重塔が目に入る。うまい具合
に道路の反対側に道の駅があった。車を停めてまずは1枚
撮ったのが冒頭の写真である。

お寺さんかと思ったらもともとは八幡神社で鎌倉の鶴岡八
幡宮と縁があるという。(下の写真)安久津八幡宮が正式名。

散策してみるとお神楽の舞台も整っているし、

流鏑馬の馬場もあり、鎌倉以来の勇壮な風景が楽しめそうだ。

あいにくの雨であったがガクアジサイが見頃をむかえていた。