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森羅万象 ~ 歩く印象派

地下鉄初乗り1000円!=英ポンド、対円で高騰

2007年07月18日 19時33分44秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
7月18日6時1分配信 時事通信

 【ロンドン17日時事】ロンドン外国為替市場で17日、英ポンドの対円相場が上伸し、一時16年ぶりに1ポンド=250円を突破した。日英両国の金利差が、ポンド相場上昇の背景。ロンドンの地下鉄初乗り料金(4ポンド)は、円換算で1000円を超え、日本人観光客や円を基準に給料を受け取る駐在員からは、日本との価格差の広がりに、悲鳴も上がっている。 

英ポンドが一時2.0478ドルに上昇、26年ぶりの水準

7月18日8時50分配信 ロイター

 [東京 18日 ロイター] 朝方の外為市場で、英ポンド/米ドルがロイターデータで一時2.0478ドルまで上昇。26年ぶりの英ポンド高/ドル安水準をつけた。外為市場では、金利先高期待の高まっている英ポンドに買いが先行する一方、サブプライムローン(信用度の低い借り手への住宅融資)問題の広がりが懸念されている米ドルが売られている。
 市場では、17日発表の6月英消費者物価指数(CPI)が事前予想を上回ったことで「英国の追加利上げ期待が高まっている」(都銀の外為ディーラー)との声が出ている。英ポンドは対円でも250円前半まで上昇し、16年ぶり英ポンド高/円安水準へ上昇した。

<訃報>日本共産党元名誉議長の宮本顕治氏死去、98歳

2007年07月18日 16時47分06秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
7月18日15時46分配信 毎日新聞

 日本共産党元名誉議長の宮本顕治(みやもと・けんじ)氏が18日午後2時33分、老衰のため、東京都内の病院で死去した。98歳。自宅は東京都多摩市連光寺1の31の28。
 1958年に書記長に就任し党の実権を掌握。(1)国会で多数派を形成し政権を目指す平和革命(2)外国の共産党の影響を受けない自主独立路線――に代表される「宮本路線」(綱領路線)を推し進め、現在の共産党の基礎を築いた。1997年を境に党の活動の一線から退いた。その後、党指導部は綱領見直しなど柔軟路線を進める一方で、宮本氏が敷いた基本路線を維持している。戦前、戦後を通して日本の左翼運動の一翼を担ったカリスマだった。
 宮本氏は08年、山口県光井村(現在の光市)の肥料米穀商の長男として生まれ、旧制松山高校から東大経済学部に進んだ。東大在学中の29年に芥川龍之介を批判した「敗北の文学」で雑誌「改造」の懸賞文芸評論1等になり、以降プロレタリア文学運動の理論的担い手になった。
 共産党入党は31年。翌年、党員文学者の故宮本(旧姓中条)百合子さんと結婚、間もなく地下に潜った。33年に中央委員となったが、同年暮れに「スパイ査問事件」などで逮捕され、終戦直後の45年10月まで、網走刑務所などで12年近い獄中生活を送った。この間、非転向を貫いた。
 戦後45年12月の第4回党大会で、再び中央委員に。徳田球一書記長(当時)らと対立し一時反主流派に身を置いたが、党再建を図る58年の第7回党大会で書記長に選出され、70年に幹部会委員長、82年に議長に就任。この間不破氏らを要職につけ、最高実力者の地位を確立した。77年から、参院議員を2期。94年6月に一過性脳虚血発作で入院してから体力の衰えが目立ち、97年9月の第21回党大会で名誉議長となり、一線を退いた。同大会直後の10月の常任幹部会に出席した後、公の場に姿を見せておらず、2000年11月の第22回党大会ではほかの名誉職と横並びの「名誉役員」となった。
 対外的には旧ソ連、中国の両共産党と距離を置く「自主独立」路線を確立。特に中国共産党とは66年、ベトナム侵略に反対する国際的な統一行動にソ連を入れるべきでないと主張する毛沢東主席(当時)に対し、訪中した宮本氏が強く反発して会談が決裂。その後、関係断絶に至ったが、不破氏が98年7月に訪中、江沢民総書記と首脳会談を行い、32年ぶりに関係を正常化した。
 国内的には、議会重視の平和革命路線をとり、民主主義に対立する「プロレタリアート独裁」の用語を党綱領から削除、「マルクス・レーニン主義」も「科学的社会主義」に置き換えた。ソ連・東欧の共産主義政権崩壊の際は「ソ連型社会主義の敗北で、日本共産党は違う」と強調、党員の動揺を抑えた。

>以下は朝日COMより
共産党の宮本顕治・前名誉議長が死去

2007年07月18日20時44分

 日本共産党の中央委員会議長、同幹部会委員長などを歴任し、40年近く同党の最高指導者だった宮本顕治(みやもと・けんじ)氏が18日午後2時33分、老衰のため、東京都内の病院で死去した。98歳だった。同党が非合法とされていた戦前からの幹部で、50年代に「宮本体制」を確立。対外的に旧ソ連や中国などの社会主義国と一線を画した「自主独立」、国内での「議会主義」の路線を進め、、「少数が多数に従う」という「民主集中制」を組織原則とする共産党を築いた。同党の支柱として90年代まで君臨した。

写真共産党第4回中央委員会総会であいさつする宮本顕治議長=1995年10月25日

 宮本家で密葬を行うとし、共産党として参院選後に葬儀を執り行う。自宅は東京都多摩市連光寺1の31の28。

 宮本氏は97年9月の第21回党大会を機に引退し、実権を持たない名誉議長になり、00年11月の第22回党大会で名誉役員の一人になっていた。

 宮本氏が一線を退いた後の党運営は、委員長を引き継いだ不破哲三・前議長が中心となって担ってきた。不破氏も06年に議長を勇退し、党の実務は志位和夫委員長と市田忠義書記局長に引き継がれている。

 不破氏は90年代に志位氏とともに「ソフト路線」を進めた。現在の党運営は不破氏が敷いてきた路線に沿っている。宮本氏の死去で党の政策や路線に変更は生じないものの、党にとって宮本氏の死去は大きな節目となりそうだ。

 08(明治41)年、現在の山口県光市生まれ。東大在学中の29年、芥川龍之介を論じた「『敗北』の文学」が雑誌「改造」懸賞論文の1等になって文筆活動を開始。大学卒業後の31年に共産党に入党。翌32年、作家中条百合子と結婚し、33年5月には党中央委員になったが、同年12月に逮捕され、治安維持法やいわゆる「スパイ査問事件」などで有罪となり、無期懲役の判決を受けた。その後、45年10月に網走刑務所から釈放されるまで非転向を貫いた。

 戦後は、55年に指導部に復帰。58年には書記長に就任し、事実上の最高指導者となった。70年には新設された幹部会委員長となり、不破氏を書記局長に抜擢(ばってき)。82年には委員長を不破氏に譲り、議長になった。77年には参院全国区で初当選。83年には比例代表区で再選され、89年まで議席を維持した。

 宮本氏の指導下、共産党は64年には旧ソ連の「修正主義」と日本の党に対する干渉を批判して断絶。66年には文化大革命直前の中国共産党と決裂するなど、外国の共産党に対する「自主独立」路線を取った。87年の大韓航空機爆破事件について「北(朝鮮民主主義人民共和国)のやったことだ」と発言。89年からの旧ソ連・東欧諸国の体制崩壊に対しては「科学的社会主義とは無縁の出来事で、こうした政権の崩壊は当然のことだ」との考えを表明した。

中国:薬草採りの縄張り争いで衝突、6人死亡 チベット族

2007年07月18日 00時51分30秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
 香港の人権団体、中国人権民主化運動ニュースセンターの17日の発表によると、中国四川省甘孜チベット族自治州稲城県で13日、薬草採りの縄張り争いから隣接する二つの村の住民計500人が衝突、6人が死亡し約110人が負傷した。

 両村の境界線があいまいで、貴重な収入源であるキノコの一種、冬虫夏草を採る際、これまでも争いとなっていた。13日には一方の村の住民が銃や手りゅう弾を使って攻撃。武装警察が出動して事態の収拾にあたったという。

 稲城県は電話取材に対し「そのような事実はない」と否定した。(香港・共同)

毎日新聞 2007年7月17日 19時49分

>この間の奴隷れんが工場も判決が下ったようだ。

中国:経営者に懲役9年の実刑判決 れんが工場虐待

 【上海・大谷麻由美】中国山西省のれんが工場で農民が強制的に働かされ、虐待されていた事件で、傷害や拘禁の罪などに問われた工場経営者の王兵兵ら5被告に対する判決公判が17日、同省臨汾市中級人民法院(地裁)で開かれた。新華社通信によると、王被告に懲役9年▽工場監督者の衡庭漢被告に無期懲役▽労働者1人を暴行して殺害した看守の趙延兵被告に死刑▽その他の2被告に懲役2年--の判決が言い渡された。

 5月に事件が発覚してから約1カ月半で処分や判決が下される「スピード解決」となった。胡錦濤政権には、事件が社会不安や不満の拡大を招くのを抑えたい意図があるとみられる。

 同法院などによると、衡被告らは06年1月、経営者の王被告かられんが工場の監督を請け負い、無許可のまま、河南省や陝西省の駅などで知的障害者9人を含む農民31人をだまして工場に連行した。5被告は06年3月~07年5月末、労働者が逃走しないよう暴力を振るい、監禁した。生産量を上げるために1日14~16時間も働かせた上、焼き上がったばかりのれんがを搬出させて、労働者にやけどを負わせた。

 判決後、山西省高級人民法院(高裁)の劉冀民副院長は記者会見し、省内で他に同様の七つの事件で計29被告に対する裁判が行われたと述べた。子供を誘拐して労働させていた事件では、一部の被告に懲役5年の実刑判決が下されたという。

毎日新聞 2007年7月17日 19時56分

>も一つ中国の最新情報 こっちは画期的だ!

中国:軍創設80周年記念で林彪元副主席の肖像写真展示

 北京の中国人民革命軍事博物館で16日から始まった軍創設80周年記念の特別展示で、71年に毛沢東主席の暗殺を企てたが失敗、国外逃亡を図りモンゴルで墜落死した林彪元副主席の肖像写真が展示されている。17日付の香港各紙が伝えた。

 英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストによると、中国でなおも「反逆者」とされる同氏が「軍の指導者」と位置付けられ、写真などが公に掲げられるのは珍しい。博物館側は「同氏の再評価ではなく、歴史を客観的に尊重した結果」と強調している。(香港・共同)

毎日新聞 2007年7月17日 18時23分

利根川歩きは視力回復の特効薬?(利根川スケッチ番外編)

2007年07月18日 00時06分12秒 | 利根川を歩いて海へ行こう!
とにかく、土手の上からの眺めは素晴らしい。日頃の目の疲れを癒すにはもってこいである。近くには何もないのでどうしたって遠くの景色を眺め続けることになる。これは目にはとてもいいことなのだ。山歩きとはまた違った効用が得られるのである。














               
先日、健康診断があった。
驚いたことに視力が両眼とも「1.5以上」と見事に回復していたのである。
これって利根川の神様からのご褒美ではないだろうか?
とにかく嬉しい!