福島市の普通で日常的な出来事・・・
そんなブログを道に接した写真と福島弁で
福島寄り道回り道
蓬莱東小学校学区散歩

萩公園からの出発だ。萩公園の南端と集会所との間の道路を道なりに北へと向かったのだ。
ちなみに、この萩公園に結構立派な遊具があったので、ちょっと驚きだったのだ。
北へと暫く歩くと、結構な下り坂だ。
「下るっつうごどは、帰りはそれなりに登んなんねんだな。」

更に歩いて行くと、田沢川を渡った右手にお寺が見えてきたのだ。「長秀禅院」だ。凄く立派なお寺だ。
ちなみに、写真にあるように門前の所にある地蔵にはマスクが掛けられていたのだ。
「地蔵もコロナにかがんねように、マスクしてんだな。」
ここから折り返しだ。今度は川を渡らず、道なりに南へと戻ったのだ。すると、あまり住宅の無いところに突然として「Ka’s食堂」という飲食店の案内板が見えてきたのだ。
「知る人ぞ知る名店なのがなあ。それとも隠れ家的な店なのがなあ。車で来たら、通り過ぎっちまうよなあ。」
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水原小学校学区散歩

水原神社からの出発だ。ここを参拝し、近くにある泉龍寺へ。立派な鐘楼のある大きなお寺だ。が、住職のいないお寺だ。檀家の数が少ないのか・・・。それとも後継者がいないのか・・・。
南に歩くと水原郵便局、水原小学校があるのだ。小学校では何か消防の訓練こをやっていたのだ。その道を更に歩き、水原川を越え左に行き、道なりに歩くと「お焚き上げカンパニー」という所があるのだ。「お焚き上げカンパニー」とはどんな会社なのか?ペット供養の会社か?それとも・・・。
「そもそもお焚き上げって何だべ。お焚き上げっていう言葉は聞いだごどあっけど、詳しぐはわがんねなあ。」

何となく心地よくなかったので、さっさと通り過ぎ次の十字路を右に曲がり、「水原山龍積寺」へ。泉龍寺と同じく、住職のいないお寺だ。「龍積寺」からは戻りだ。帰りは、「お焚き上げカンパニー」を通りたくなかったので、裏道を・・・。
今回は「水原神社」「水原川」「水原山龍積寺」「水原小学校」と、「水原」という地名の入った場所を押さえたので、
「そごそごの散歩でぎで、いがったあ。」
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青木小学校学区散歩

青木小学校学から北へと歩いたのだ。どこまでもだ。そのどこまでの道がダラダラとした上り坂なのだ。その坂を上り切ると写真のような風景が・・・。
右の石に「石●山」と書いてあるのだが・・・。
「●の字は何て読むんだべなあ。それにしても、こごって山なのがなあ。」

ここを左折し暫く歩くと「村社 小手神社」があるのだ。いつもだと参拝するのだが、鳥居の方を見るとかなり登って行かないと神社に辿り着かないようだったのだ。
「今度あらためで 来るごどにすっぺ。」
更に暫く歩くと通行止めの案内が・・・。それでも気にしながら歩いていくと、崖崩れの跡が。
「がげ崩っちゃがら、通行止めになってんだな。さ、青木小学校に戻っぺ。」
本当だと飯野広表まで行って、小学校に戻ろうかと思ったのだが、時間がかかりそうだったので、途中の信号機の所を左折して戻ることにしたのだ。が、そこからまたダラダラとした上り坂だ。
青木小学校に戻ってから、折角青木小学校学区を歩いているのだからと、千貫森まで車で行ったのだ。千貫森には20年以上前だが登ったことがあるのだ。「千貫森公園」に到着すると数台の車だあったのだ。
「けっこう人来てんだなあ。」
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Q庵、蕎麦と落語の会

Q庵で新そばを食べながら酒飲亭いさんさんの落語を聞く会だ。酒飲亭いさん氏の出し物は「宮戸川」と「幾代餅」だ。今回は「幾代餅」をやるというので、しかも土曜日だったのですぐさま予約を入れたのだ。
というのも「幾代餅」は私の大好きな落語の演目だからだ。なので、昨年6月にこの落語に縁のある土地(人形町)へ行ったのだ。
話は蕎麦と落語の会だが、前回った時もそうだが、今回も参加者8名中私一人が男で7名が女性だ。
ん~。
「だれが、今度、おどごの人、来ねがなあ。」
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東湯野小学校学区散歩

東湯野小学校のあたりから散歩開始だ。小学校の北側にふるさと歴史館があるのだが、ふるさと歴史館を見学しようと思って、玄関を見てみると貼り紙が・・・。
「ご覧になられる方は、平日は東湯野小学校に 土・日は渡辺××さんへ連絡」
ということで、ここに立ち寄らず北へと歩き始めたのだ。暫くすると「上岡遺跡」があり、ここから出土した土偶がふるさと歴史館に展示してあるようだ。更に、北へと歩くと橿原神社があるのだ。
ちなみに、もうちょっと行くと桑折町だ。
「『橿』っていう字、何て読むんだべ。」

散歩はここから戻ることにして、南へと向かったのだ。帰りは今来た道の一本西の道路を歩いたのだ。東北自動車道を超えてちょっと歩くと明光寺があるのだ。なんか変なお寺なのだ。
「おでらなんだげっちょ、おでららしぐねえなあ。人が住んでるような気配がねえし、殺風景だし・・・。こごは何宗何だべ?」
ここから、1本東の道路を通って、出発点へと戻ってきたのだ。
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御山小学校学区散歩

御山緑地運動公園からスタートだ。昨日の安達太良山登山の疲れが残っているせいか、足がちょっとかったるいのだ。
御山緑地運動公園を東に歩き、ヤマダ電機の信号機の所から13号線を渡り、天婦羅の「谷津家」を更に東へと歩くと、信夫山に突き当たるのだ。その信夫山沿いを南に歩き適当なところから13号線へと向かうと、ヤクルトの所に出るのだ。車ではよく通る馴染みの道路だが、歩くのは初めてだ。なので何となく新鮮だ。

再びヤマダ電機の信号機を渡り、今度は御山郵便局の方へと向かうと、和菓子の店「駒屋」があるのだ。
「こごで、おじゃがし 買ってんぺえ。」
と思いきや、店に入ってびっくり。自分が思っていたようなお菓子でなく、ちょっと上品だったのだ。とりあえず詰合せを購入し、散歩から戻ったらそれを食べることにしたのだ。
ちなみに、自宅に戻りその詰合せのパックを見てみると「江戸番重菓子」と書いてあるのだ。このてのお菓子は食べたことがあるのだが、これが「江戸番重菓子」とは知らなかったのだ。
「江戸番重菓子って、何だべ。」
散歩は再び御山緑地運動公園に戻り、今度はそこから西へと歩き、「松川運動公園」「清水学習センター」へと歩き、御山緑地運動公園へと戻ってきたのだ。
「そういえば、かったるがった足、何でもなぐなったなあ。」
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9月に山に行けなかったわけ

お客さんの所での会話。
客「もう、秋は山に行かないんですか?」
私「え、そんなことないですよ。何でですか?」
客「ブログ見でると、散歩ばっか してっから・・・。」
私「あ~あ。実は9月の連休に山に登る予定だったげっちょ、親戚の葬式があって行がんにぐなったんだあ。葬式も終わったし、今月中に安達太良に登る予定なんだあ。」
この会話での親戚の葬式には通夜・告別式・火葬と参列したので、登山中止となったのだ。で、火葬場へはほんとに久しぶりに行ったので、その綺麗さにびっくりしたのだ。未だ駐車場が完成していないので、マイカー利用は禁止だ。葬儀社のマイクロバスに乗っていくのだ。休憩所もトイレも売店もロビー?も綺麗だ。
また、福島市斎場(火葬場)からの眺めも良いのだ。
今回はちょっとだけ遠い親戚の葬儀だったので、49日待たなくても遠くへ行ってもいいような気がするのだ。
「9月に山に行がんにがった分、今月行って来っつおい。」
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飯坂の「笑福」で昼食

午前中は飯坂温泉駅近くのお客さんの所だ。仕事終わりがお昼頃になったので、お客さんの駐車場に車を停め、かつ丼を食べるべく「十綱食堂」へと歩いて行ったのだ。
ところがである。
「え~、暖簾出でねえ。休みがあ。」
残念だ。
「しかだね。『利福』に行って、とんかつ定食でも食うが。」
と、車を走らせ、「利福」に到着すると、な、なんと休みなのだ。
「え~、うそだべえ~。んじゃ、和屋でラーメンにすっか。」
と、気持ちを切り替え「和屋」へ。ところがである。ここも休みなのだ。
「どうなってんだい?」
ということで、飯坂街道を北へ。結局、飯坂支所の目の前の「笑福」という店へ。昔のセブンイレブンのCM「開いてて良かった」ではないが、「やってで、いがった」なのだ。ホッとしたのだ。やっと昼飯食べられるのだ。
麻婆豆腐定食を注文すると「辛さはどうしますか?」と店の人の問いかけに、
「辛くてもダイジョブです。」
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立子山小学校学区散歩

「立子山 歩ぐごっちゃ、郵便局の前を通ってみでな。」
何故郵便局か?30年位前は仕事でよく立子山方面に行っていたのだ。で、時々この郵便局の前を通ったのだ。その郵便局は道路の角にあって、古ぼけた建物だったのだ。そんな思い出もあり、是非立子山郵便局に行ってみたかったのだ。ちなみに、ラドン温泉という所で入浴したことがあるのだが、今もあるのか?
とりあえず立子山小学校を出発し村上病院へと向かったのだ。ところがである。
「凄い登りだあ。ちょごっとした登山だなあ。」

やっとの思いで登ると村上病院だ。あとは下って郵便局に行くだけだ。浜井場バス停を更に進むと「三宝稲荷神社」があるのだ。神社に着くまでに、いくつかの赤い鳥居をくぐって行くのだ。
その神社を過ぎると直ぐにお目当ての立子山郵便局があるのだ。
「こごがあ。随分立派になったなあ。」
帰りは、浜井場バス停を三久保バス停方面へと歩くことにしたのだ。「歩くことにしたのだ」と書いたのだが、この三久保バス停から立子山小学校までは、これまたダラダラとした長い上り坂なのだ。
「いやんなっちまう。」
ちなみに、立寄り忘れていた「天正寺」には車で自宅に戻る途中にお参りしたのだ。
ちなみに、あちこちにたくさんの曼珠沙華が咲いていたのだ。
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平石小学校学区散歩

8/2の平田小学校学区散歩を読んだ方が、「へたれガンダムあったべえ」と言ってきたのだ。「ガンダムなんて無かったですねえ」と答えたものの、凄く気になったので、早速「へたれガンダム」をネットで調べてみたのだ。調べてみると平田小学校ではなく、平石小学校の近くにあることがわかったのだ。わかったからにはその「へたれガンダム」を見に行かざるを得ない。で、今回満を持して行ったという訳だ。
直ぐにガンダムの所の駐車場に車を停めると、それなりの人が「へたれガンダム」の写真を撮っていたのだ。しかも、次から次へとやってくるのだ。自転車で来る人もいるのだ。
「なんだって凄いない。」
ちなみに、自転車を停める施設?が「へたれガンダム」の隣に併設されているのだ。
ここを南に進むと間もなく「陽泰寺」があり、平田川を渡ると「平石小学校」があるのだ。校庭では子供たちが野球の練習をしていたのだ。平田川沿いに北に進むと「村社 平石神社」があるのだ。村社っていう響きが何となく良いのだ。
で、また「へたれガンダム」の駐車場に戻ってくると、自転車に乗った人がやってきて、その人も自転車を自転車を停める施設?に自転車を掛けて、「へたれガンダム」の写真を撮ったのだ。
「何だって凄いない。」
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清水小学校学区散歩

とりあえず清水小学校の北側の道をひたすら西へと歩いたのだ。それなりに歩くと、すりばちラーメンの「くん太郎 本店」へと着いたのだ。あちこちに「くん太郎」はあるのだが、ここが本店だ。30年位前にここですりばちラーメンを食べたことがあるのだ。懐かしい。
ここを通り過ぎ、新松川橋の手前を土手沿いにUターンだ。すると「木球場」なる案内板が。
「木球って何だあ?グランドゴルフみでなのがなあ。パークゴルフみでなのがなあ。」
今調べてみたら、台湾発祥のニュースポーツらしい。日本では福島市が発祥の地らしい。

更にその土手を東へと歩いていくと、写真にあるような絵が・・・。写真に描かれているのは伊勢海老だが、羊・象・蝶・とんぼ等、凄い数の絵が10mおきくらいに描かれているのだ。
「これって、いったい何だべ。何のために描いであんだあ。」
「木球どが、土手の絵どが、これは歩いでみねどわがんねごどだ。こごを歩いで良がったあ。」
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飯坂小学校学区散歩

飯坂学習センターを出発し医王寺橋を通り着いたところが新興宗教の自修団だ。
「仏教系の宗教だと思ってだげど、鳥居あっとごみっと神様系の宗教なのがなあ。」

そこから飯坂街道に出て「御宿かわせみ」へと向かったのだ。「御宿かわせみ」は小川が摺上川に合流する場所にあるのだ。で、散歩的には摺上川沿いに歩き飯坂電車の「飯坂温泉駅」へと向かったのだ。ところがである。その「飯坂温泉駅」へ歩いている途中に雨がポツリと降ってきたのだ。
「このくれの雨だごっちゃ、なんとがいいざがえぎまで行がれっぺえ。」
と思っていたのだが、更に雨が強くなり、こりゃ駄目だということになり、急遽予定を変更し、飯坂街道へ出るべき、左へと曲がったのだ。うまい具合に雨宿りができる場所があったので、しばし休憩。15分くらい雨宿りしていると、すっかり雨も上がり散歩再開。
飯坂線の踏切を超えると急な坂道が・・・。
「このさがは、何ていうさがなんだべ。」
とその急な坂を登り切ってから、その坂の名を見てみると、な、なんと「飯坂」という坂だったのだ。
「雨に降らんにで、そのまま『飯坂温泉駅』に行って、飯坂街道を戻って来たら、『いいざが』っていうさがは、わがんねどごだった。雨に降らっちゃお陰だ。」
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金谷川小学校学区散歩

先週の金曜日に金谷川小学校卒業だというお客さんがやってきたのだ。そのお客さんによると2年後くらいに松川・水原・金谷川・下川崎の各小学校が一つになりその全ての児童が松陵中学に行くようになる、つまり小中一貫になると言っていたのだ。真偽の程はわからないのだが、
「んだごっちゃ、日曜日は金谷川小学校学区歩ぐべ」
という結論になったのだ。
で、考えた散歩コースは金谷川駅から福島大学を通って、福島医大・医大病院へ行き、金谷川小学校の脇を通って金谷川駅へと戻るコースだ。
「1時間くれで戻ってこれっべ」
と考えていたのだが、とんでもなかったのだ。
金谷川駅を出発し福島大学の旧4号のバス停に着いた時には、ものすごい汗だ。熱中症になるのではないかと心配だったのだ。

それでもそれを我慢して歩くとやっと県立医科大学だ。すでに出発してから45分経っているのだ。ここが折り返し点だ。
「さあ、金谷川小目指して行ぐべ。」
途中に黒沼神社があったのでちょっと参拝。さらに進むとやっと金谷川郵便局が見えてきたのだ。
「やっと着いだあ」
と思ったのだが、そこから金谷川駅までが長かったのだ。結局1時間半かかったのだ。
これは散歩と呼べる範囲の距離ではないのだ。それ以上の距離なのだ。
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飯野小学校学区散歩

午後から晴れたので、飯野小学校学区を散歩したのだ。何年か前に飯野小学校は旧飯野小学校と旧明治小学校とが一緒になって新しく出来た小学校だ。
旧飯野小学校があったと思われる飯野地域福祉センターから出発だ。30年位前に旧飯野小学校の前を通ったことがあったのだが、その時にその学校の目の前?に衆議院議員だった社会党の大物「八百板正」の家があったのだ。私の子供の頃の衆議院選挙(中選挙)というと1区は亀岡・天野・粟山・八百板に決まっていたのだ。その八百板正のちょび髭が懐かしい。
飯野地域福祉センターを出発すると直ぐに二人のおばあさんが井戸端会議をしていたのだ。歩き始めるとそのおばあさんに「こんちは~」と声を掛けられたのだ。私も「こんちは~」と挨拶して、その場を通り過ぎたのだが、その通り過ぎると直ぐにおばあさんがひそひそ声で「見掛げね人だない。お盆だがらどっかがら来たんだべ。」
「俺って、よそものがあ」
と思いながらもちょっと歩くと「大宮神社」・「観音寺」があるのだ。「観音寺」は天台宗のなかなか立派なお寺だ。その後あちこち歩いたのだが、会う人会う人みんな「見掛げね人歩いでんなあ」って思っているような気がして、ちょっと気が引けたのだ。

この写真は飯野小学校に行く前に車で立ち寄った「旧明治小学校」があった場所だ。飯野民族資料展示室だ。
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南向台小学校学区散歩

南向台小学校学区を散歩したのだが、昨日
「どご歩ぐがなあ。住宅地歩ってもなあ。蓬莱団地、しのぶ台団地と歩いたけど、それとおんなじ様にちょっと違ったどご歩ぎでなあ。」
で、出た結論が114号線を挟んで北の方(絵馬平)を歩くことにしたのだ。
11時頃ミニストップのある信号機をタカラ印刷の方へ。さらに、大内わらの方へ行くと道標があるのだ。「なんだあ」と近づいてみてみると、「旧川俣街道」と書いてある。更にその上には「絵馬平開拓初鍬入れ 昭和22年2月」という案内板が・・・。
「旧かわまだ街道があ。ちょごっと行ってみっかあ。途中下に降りっとごあっぺがら、そっから戻って来っぺ。」
と安易な気持ちで出発。ところがである。10分歩いても下に降りる道路がないのだ。
「え~、このままかわまだまで行っちまうんだべが。暑くて物凄く汗かいだし、引き返すがなあ。」

それでも心配ながらもさらに進むと右下に114号線が見えてきたのだ。
「暑いからではないが、このままかわまだまで行がねで、ホッと(hot)した。」
写真は114号線にある中古車やさんだ。
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