福島市の普通で日常的な出来事・・・
そんなブログを道に接した写真と福島弁で
福島寄り道回り道
霜月で刺身
「刺身食いでぐなったなあ。」
ということで、土曜日は大町の「霜月」で飲むことにしたのだ。ウエルカムセットというのがあって、いわゆる晩酌セットだ。このセットには満足な内容の刺身が付いているのだ。なのでこれで十分な量の刺身なのだ。
ただ、「刺身食いでぐなったなあ」と思ったからには、更に刺身の盛り合わせを追加で注文したのだ。ただこれが失敗で、刺身を十分過ぎるくらい食べたので、腹いっぱいになり、
「暫ぐ、刺身食わんともいいなあ。」
なにごとも、程度というのが大事だ。
ちなみに、私はサンマの塩焼きが大好きなのだ。ただ今シーズンはサンマが細いのと、びっくりするくらい値段が高いので、まだ4回しか我が家の食卓にのぼっていないのだ。
「こどしはサンマたがいがら、もうサンマは食べ収めだ。」
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
浅草岳の追加報告 ~ 山と渓谷社の萩原編集長がいたのだ & カントリーロード
追加の報告なのだ。
じつは浅草岳に登った時の話なのだ。剣が峰手前で、20人位の団体が前方にいたのだ。ゆっくり登っているのだ。
「追い越して行ぎでなあ」と思っていると、その団体の代表の人が、「どうぞ、先に行ってください」との声。その時は「なんかのツアーがなあ」くらいにしか思っていなかったのだ。
私が山頂に着き、昼を食べ、さあ下山しようかと思っている時に、先程の団体が山頂にやってきたのだ。と、その時近くに居た人が、「あれぇ~、あの人よくテレビに出てる人だあ」の一声。
「へえ、そうなんだあ」と聞き流しながら下山したのだ。自宅に戻り色々調べてみると、その団体は山と渓谷社の萩原編集長が引き連れた団体だったのだ。そんなことを知っていたなら、ミーハーな自分の事、
「萩原編集長とツーショット撮ってもらえれば、いがったあ。」
話は変わって、観光の方では、勿論赤べこのお父さんの福太郎、お母さんの満子もバッチリ写真に。ちなみに、満子は虚空蔵さんの境内にいるのだ。
更に話は変わって、9日の朝、只見に向かう途中、ふくしまSHOWで鏡田アナが自転車で走っていた、オリビアニュートンジョンのカントリーロードが流れる道路も通ってきたのだ。あっという間だった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
文化センターへ ~ 酒飲亭いさん氏の「らくごのくに寄席」
15日土曜日は午後2時半から始まる「酒飲亭いさん」さんの落語会に行くために、文化センターで行ってきたのだ。
会場の文化センターの視聴覚室に入ると、観客はまばら。私を入れて11人だ。少ないのだ。
「やっぱしなあ。」
というのも彼からの案内が我が家に到着したのが数日前だからなのだ。絶対にPR不足なのだ。
開演数分前に、係の「楽しく亭ツイ輝」さんが、「前の方に座ってください」の声かけ。
前座がいわき市から来た「古扇亭唐変木」という人。三遊亭圓丈さんの噺。ひざが「マネーシロー」という人のマジック。
そして、待ってました、大トリが「酒飲亭いさん」さんの落語だ。演題は「帯久」だ。「帯久」という演目も知っているし、どういう噺なのかは、多分本などで読んだことがあるかも? ただ、この落語を実際に聞いたことはなかったので、今回は特に楽しみだったのだ。
彼の落語が終わり、寄席が跳ね、一言。「上手いなあ。」
「『いさん』さんの噺を聞きに来たんだがら、これで良いんだあ。」
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
奥会津観光
10日は浅草岳下山後に宿泊した三島町の旅館を出発して、観光だ。本来ならば霧幻狭の渡しに乗って、只見川下りをしたかったのだが、天気が悪かったので諦めて三島町の「道の駅尾瀬街道みしま宿」に行くことにしたのだ。ここは「第一只見川橋梁ビューポイント」になっているからだ。
「橋ど只見線の車両が映る写真撮っぺ。」
次に向かったのは柳津町の「斎藤清美術館」だ。版画だけでなく、その版画の解説的な斎藤清語録も版画の隣に展示されてあり、面白いのだ。
「こごで、お土産に版画のポストカード買うべ。」
版画を堪能した後、隣の施設の「道の駅会津柳津清柳苑」だ。ここに赤べこの娘の「あい」ちゃんがいるのだ。8日のFTVの番組サタふくでMCの野村のコーナーでやっていたのだ。
「あどはお父さんとお母さんを見つけっぺ。」
今回の観光のメインの「福満虚空蔵菩薩 円蔵時」へと向かったのだ。結構な石段を登ったり下ったりするのだ。登山で筋肉痛の私にはかなりきついのだ。
「七日堂裸参りはこのお寺のどごでやんのがなあ。鐘と綱はどごにあんだべ。」
粟まんじゅうの「小池菓子舗」だ。虚空蔵様のすぐ近くにあるのだ。火災にあって大変だったと思うが、建物はすっかり新しくなっていたのだ。
お土産に粟まんじゅうを買い、さらに粟まんじゅうをひとつ購入し、そこで食べたのだ。
「やっぱし、出来だてのはうまいなあ。」
次に向かったのは「すゞや食堂」という所だ。柳津のソースカツどんを食べるためにだ。
「すゞや食堂」のほかにもケンミンショーで紹介された「町民センター」や、サタふくでMCの野村が食べた「道の駅柳津」も考えたが、どうしても個人の食堂で食べたかったので、「すゞや食堂」で食べることにしたのだ。
ここで、七日堂祭りのことを店の人に聞いたのだ。すると、普段は鐘と綱は無いとの事。
これをもって奥会津の観光の終わりなのだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
今年も更に辛かった浅草岳登山
9月末に、10月9日の日曜日に2018年に続き4度目の浅草岳登山を計画したのだ。いつも自宅に着くのがほんとに真っ暗になる頃になるので、今年は下山したら只見地区に泊まって、次の日にちょっと観光をして、福島市に戻ってこようという予定を立てたのだ。
今年は自宅を5時半頃出発したおかげで、8時半には登山を開始することが出来たのだ。
「こどしごそ、後半バデねように、前半はゆっくりど歩ぐべ。」
ところがである、9日は天気が良かったが、前日の土曜日に雨が降ったらしく、足場が悪いのだ。滑ってツルンといったら、滑落だ。そんな状況なので慎重に歩いたのだ。それでも10:25頃、剣が峰に到着。ここが中間地点だ。予定通りのタイムだ。
中休止の後、気合を入れて出発。とはいっても、やっぱり山頂近くになるとバテバテ。足が動かないのだ。
「4年前に登ったどぎも、こだに辛がったっけがなあ。ほんとに只見がら登る浅草岳は今回が最後だ。ほんとに辛い。」
そんなことを思いながらも、12:20にやっと山頂に到着だ。
「ほんとに、浅草岳に今度登っときは、新潟がらだ。辛くてしょね。」
ちなみに、今年は登山口に戻ってきたのは16:30だったのだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
信夫山散歩 ~薬師の峰・烏が崎
10日の日曜日に只見町の浅草岳に登る予定なのだ。今回で4回目の登山だ。浅草岳登山はかなり厳しい山登りだ。累積標高差は1,300メートルもあるのだ。毎回、山頂付近でばててしまって、標準タイムを大幅にオーバーして山頂に到達するのだ。なので、下山して福島市に戻ってくる頃は真っ暗になっているのだ。
「こどしは、下山したら只見に泊まって、次の日にソースカツ丼でも食って福島に戻ってくっべ。」
で、毎回ばてているので、その訓練に昨日信夫山を歩いたのだ。花見をやる所に車を置いて出発だ。薬師の峰を通って、最終的に行った所は烏ヶ崎だ。どちらも良い眺めが見えるのだ。
「なんで、福島市はこの観光資産をもうちょっと、本気に有効活用しねんだべなあ。展望台は整備されでっけっちょ、そこまで行ぐ道路をもうちょっと整備すればなあ。」
ちなみに、いつ行っても、信夫山を散策している人はたくさんいるのだ。もちろん、走っている人も・・・。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )