二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

現代版モダンタイムス?

2015-11-17 21:05:20 | 徒然に想う

火曜日は町仕事、柚子の収穫。で、昼メシ、弁当を用意。が、気付けば結構しっかり雨が降る。なかなか連絡が来ない。この雨の降り方、まぁ今日は休みだと理解。すっかり、溜まっている手続きなどを片付ける算段を立て始めてしまった。が、8時過ぎ、電話が鳴る。「今日来られるといってませんでした?」「この雨で収穫は中止かと…」「…これますか、搾汁作業になりますが」。お互いに絶句のような妙な間。

あわてた。収穫作業→中止と頭の中。一日の流れも立ってた。工場作業のことは一切想定していない。工場作業、外の様子が見られない。同じところで、同じ流れを繰り返す。オフィスワークよりも楽しいが…。正直、先日の保存事故の作業がトラウマ。乗り気になれないが、困っている状況も十分わかってしまった。搾汁ときたか。どうしよう。

ハンバーグを焼いてロコモコ丼風に仕上げてみた。炊きたてのご飯を弁当箱に敷く。ミズナ、カラシナ、カブナとラディッシュの葉っぱを3センチ長に切り、その上に敷く。で、焼き立てのハンバーグをのせ。フライパンに残った油に、トマトケチャップ、醤油でソースを作りかけた。ふふふ、これはなかなかいい!

チャップリンの映画に「モダンタイムス」ってのがある。大きな機械に、職工にふんしたチャップリンが巻き込まれてしまう。歯車の間、チャップリンの顔が出たり入ったり流れてくシーンが有名。同じ作業を毎日、毎週、毎月、毎年繰り返す。が、やがて人間性を取り戻し、暖かな家庭を築き、二人で歩んでいくシーンで終わっていく。機械の一部分のようになっている世の中を笑いで表現している、痛烈な社会批判の一本。搾汁での作業も同じ作業の繰り返し、似てなくはない。が、工夫をすれば効率がずっと変わる。その発見が楽しい。それもそうだが、もしチャップリンが生きていて、現代を描いたらどうなるだろう。椅子に座ってゲームするだけ。そのゲームに勝つためなら何してもいい。寝ようが酒を飲んでようが自由。が、しっかり勝手に懐にお金が入る。ところが、あるとき、お金の価値が崩壊。お金以外技術も経験ももってない。さぁ、どうしよう…。そういえば、この映画、彼が自動給食機で無理やり食事を取らされる実験台にもさせられる。結局暴走し満足に取れない。食事はゆっくり自分のペースでなければ…。弁当を家でほおばりながら思う。

 

 

今日の一枚:雨に煙る横倉山、朝7時ころ。


制御不能になる前に

2015-11-16 19:51:18 | 徒然に想う

K兄が、特に直会の度に、「化成を入れないんだったら、落ち葉を入れろ、入れろ」と仰る。やりたいのはやまやま。もちろん、地力がないのは分かっている。町仕事や家の片付けを理由に、これまでやってこなかった。ついに「おはけおろし」の直会中に、他のオンチャンからも同じこといわれてしまって、自分の中で耐え切れず…。町仕事先から月曜日来てもらえぬかと問い合わせがあるも、「畑作業が沢山ありますので、今回は」と答える。

実はもう一つ訳がある。K兄たちのアドヴァイスを「落ち葉堆肥を入れろ」と頭に中で勝手に解釈。手持ちにそんなものない。買う? 訳の分からないことが「有機肥料」で起きた。信頼出来るもの、じゃなければ。だから、早く「落ち葉堆肥」を作らねばと。それがないから入れられないんだ、という理屈。 

日曜日は「おはけおろし」。お宮から「おはけ」を目印に出てこられた神様がお帰りになる、「昇神の儀」。「おはけたて」「本祭」のときは一人の太夫さんが仕切られていたが、今回二人。素人的には「本祭」がメインのはずで、その時こそ二人で、のような気もするが…。祝詞を聞いていて分かったことがある。本来この「おはけ」、何らかの方法で選ばれた集落の一軒の庭に立つものだったようだ。貢神社を出た神様がその「おはけ」を目印に、その一家に一週間なら一週間、10日間なら10日間滞在するということ。それが時が変わり「個人」ではなく、「集落で多くの人が集まれるところ」に変わってしまった、じゃないかと思う。踏み込んで聞いてみたくなる。さて、神様がお戻りになると、「おはけ」を片付ける。これまでなら、「おはけ」「しめ縄」「竹」などは焼くと聞く。今回は、川に流した。

理屈にもなってない? もちろん、その通り。周りは山、山、山。落ち葉なんていくらでもある。道のサイドに掃き捨てられるほどある。恐る恐る足で表面の乾いた落ち葉を剥いでみた。! 新しい落ち葉の下、黒々と、菌糸がべったり付いた葉。さらに、その下には、粉々になった葉。作る、なんて、冒涜! 足元にいっくらでもある。山から少しおすそ分けさせてもらって、畑に入れる。ただ、それだけ。今日半日かけ集めたのが30キロ袋で10体分。それをブロッコリーの圃場まで持ち上げる。畝を覆うように(草を抑制するためのマルチとして)株元に蒔いてゆくこと4時間。半分できたろうか…。もっと簡単に終わるかと思い、明日は町仕事。水曜日は野菜を送りだす予定…。あ”~、振り回される! 自業自得とはいえ、コントロールせねば。

 

 

今日の一枚:17時過ぎ、すっかり夜がさしせまってるといった感が出るようになった。ブロッコリーを中心に落ち葉堆肥、向うに地の大根葉が見える。


山に雨が降る

2015-11-14 07:44:36 | 徒然に想う

7時ちょっと前に外を確認すると、予報に反して、まだ雨が降っていない。小麦、蒔ける! 町仕事の日だし、雨の予報に、地区の行事も続く。早くしなければ、蒔き時を逸する。山に向かう途中、川を渡れば谷筋からガスが上がるのが見える。墨絵のような色合い、まだまだ赤や黄の木々が残り幻想的。山に上がり、ざっと畑の様子を確認。獣はあれいらい来てない。よし! 蒔く!

時計をみれば7時半、明日のため収穫開始。一口サイズの小さなカブ、今実に甘くてうまい。まん丸ラディッシュ。カラシナにミズナ、小松菜にルッコラ、大根葉。そうそう、この大根葉は自分の手で蒔いた。が、蒔いていないところでも歩いていると、例えばブロッコリーやキャベツを定植した棚でロゼッタ状態のを見つけることができる。これら、こぼれ種で、何年もの間その系譜を繋いできた。K兄に伺っても、いつからそこで育っているのか分からないという。

在来品種、地に固定された野菜がある。一年草で、その土地で何年もの間種どりを繰り返し作り続けられてる。埼玉にいたときのダイスも小川町のある地区の在来。その味は忘れられない。もちろん、旨いかどうかもあるが、そんな在来品種、味とは関係なく地域の財産として大切にしたい。そんな種や野菜を探す、これ、圃場巡回やオンチャンたちと話すときの楽しみの一つ。

この大根葉しかり、以前話したインドウリしかり、もはやここ二ノ滝(圃場のあるところ)の在来。しかも不思議、長きにわたり同じところで育っている。連作障害なぞ、どこ吹く風。覆土? こぼれ種に覆土など誰がする? 誰が育土(土づくり)をしてる? 先日、何年もの間育土を続けらニラを作られている農家さんを訪ねた。つまみ食いすると、実にうまい。まるで柿のような味。口にしてしばらくして、やっとニラの香りが上がってきた。その農家さんの研究や努力をとても尊敬する。じゃ、二ノ滝の大根葉、どうそだてよう。育土し育てた場合と自生のままにした場合、何がどう違うか…。どうしたいか…。いつの間にか、雨が本降りになってきた。蒔いた小麦(これ、隣の地区の地のもの)にとって、これからどんどん日長が短くなり、しかも恵みの雨。しっかり発芽してくれと、仕事場へと向う。

 

 

今日の一枚:10時の休憩に外にでると、雨だった。その時に撮ったもの、事務所の前で。夕方からが大変だった。保存状態に事故、バイトだからとスタッフさんたちは定時で切り上げてかまんというも、猫の手も借りたいだろうからと残業。クタクタになるも、かつての生活のストレスの一員を自ら見いだす貴重な体験だった。町仕事の範囲をしっかり頭にたたき込んどかなければならない。 

ノート:昨日のことを今朝上げた。

 


子供たちの声

2015-11-12 19:06:43 | 徒然に想う

朝のニュースを見ていて驚いた。世の中、こんなことになってる。愛媛県松山市の公園90%で、ボールを使って遊んでいけないんだそうである。90%もの公園でだ。おそらく、それに似たり寄ったりのことが、多くの市町で決められてることだろう。

ゴルフをするなはまだわかる。だが、犬を入れるなから始まって、このボール遊びをするな至っては理解に苦しむ。犬の嫌いな人や近隣の家に迷惑がかかるから? 犬の場合はきちんとしつけない飼い主が悪いし、子供がボールを取りしくじったりするのは当たり前のこと。庭に飛び込むのが、そんなにも迷惑なんだろうか。 

久しぶりに町仕事、でも今日は内勤。車で10分そこいらだから、家で昼食。カレー、十日ば前にさばいたアナグマの肉を使ってる。それを火曜日から朝に夜にコトコト煮込んできた。味見をもちろんしながらだ。で、今日、ちゃんと昼飯として食す。美味。アナグマ(これが実にタヌキかもしれない。よくわからない)の肉、脂身が厚い。フライパンで焼いてうまい(バーベキューにすると、せっかくの油がもったいないかもしれない)。こうやって煮込んでいい。肉自体、イノシシのような獣が臭さがない、食べやすい。そう言えば、山のものだから、おすそ分けをした。感想を聞きたいとこ。

結局、幼稚園や保育園など子供の声を騒音だとする発想と同じこと。自分が子供時分にやってきたこと、周りの大人たちがしてくれたこと(山のものをわけること、いつ誰が教えてくれたんだろう)を忘却の彼方に押しやる。そこで自分、自分、自分と自分の都合ばかりを主張する。その一例が、ボール遊びを禁止すること。町も市も、騒がれ長の耳に入れば、立場上困ったことになるから、断れない。まっこと、モンスターXXどもが、将来を託する子供たちから、未来をうばっている。ニュースを見ながら心配になってしまった。松山市の90%の公園で、子供の遊ぶ声がするんだろうか。鬼ごっこやドロケー、笑ったり大声出したり、遊ぶことまでも禁止されてなければいいが…。

 

 

今日の一枚:7時ころ山につくと、向うの稜線から陽が顔を見せた。これなら、町仕事前に世話ができる。しかし、11月中旬でこうだと、下旬にはどうなるだろう。陽が出さえすれ世話もできるが、さもなければ…。町仕事、減らすしかない、ってことだよな。う~ん、ジレンマ。


文旦をおやつに

2015-11-11 07:20:27 | 徒然に想う

昨日、文旦をおやつに一つ収穫。午後にはこの地区の神祭のメインの神事。午前中は山で仕事。種が古くなる前に蒔ききってしまうという魂胆。ビーツに、小松菜。ここまでで10時。予想外に時間が過ぎてる。7時半過ぎに山に入り、巡回。風で倒れた獣の侵入を防ぐためのトタンを元に戻し、また水が止まっている。二つの配水槽を一つ一つ確認。そもそも、水が来ていない。取水口まで上がるか、と山道、沢を目指す。

このところ進んだ紅葉、落ち葉が山への道、車をゆっくり走らせれば、カサカサ。まだまだと思っていた冬もはやくなるんだろうか。水、止まったかも、どれくらい沢の流れに葉がおちたろう。

風? 固定していない黒パイのジョイントが一か所外れている。勢いよく水がでてる。が、これでは…。繋ぎ直して。さらに取水口まで上がる。落ち葉は思った以上にない。水の流れる音に耳を傾け、滝を見上げ、滝を上から眺め、川のきらめきを見入る。…9時か、ここいらで切り上げにゃ、種まきができなくなる。

数週間前、文旦は青々と、酸味が強かった。変わるもんだ。緑がゆっくり黄色づき、酸味がまろやかになってる。収穫は12月と言われ、出荷は2月、3月。11月でこの味なら、来年にはどんな味となるんだろ、楽しみ。

滞りなく神事が終わった。外にでれば、耐震工事の出来なかった中学校が目に入る。その校庭の中ほどに、その神社があった。中学校ができるため、西に移動した。神殿部分と入口部分が保護されるように建屋に覆われている。入った時、その神殿部分の大きさに驚かされた。このあたりの神社は大きいのだそうだ。しかも、地区の行事として、こう言った神事が行われる。話を聞いていると、神と仏がそれぞれ宗教としてハッキリ残っている。お葬式も神式でということもあるくらい。

最後の畝に二十日大根を蒔き終えた。11時。藁を保水のため敷き、たっぷりと水遣り。そう、小麦をどこに蒔くか算段しなければ。二枚ほど目星をつけ上がってみる。二枚目に上がった時、嫌な跡。イノシシが来た、刈り取った草が退かされ、土が凸凹。別なところを見てみると、かなり水が出てぬかるんでいる。ここはセスバニアだな。4枚目はネギ類か小麦か…。気になってしまった石垣の草を切り落としていたら、12時のサイレンが鳴った。お昼にしよう。

 

 

今日の一枚:昨日の朝8時前。朝霧が薄く集落を覆っているように見える。暑くなるんだろうかと思う。


変身した、ゴミ? 荷物? 

2015-11-09 19:57:45 | 徒然に想う

土日と今朝、山に上がらなかった。言い訳にもならないが、雨だから…。昨日の夜のうちに、今日の柚子の収穫は中止。よっしゃーと、午前中はその街仕事との関連でなかなか読み進めれられなかったテイツとザイガーの「植物生理学」を読み深ける。ちょうど「植物ホルモン」のパート、2002年位までの結果。サイトカイニン、エチレン、アブシジン酸。「…らしい」「…と思われる」「…と理解が変わった」とかのオンパレード。実に不確定、これがいい。

午後は川のわきの家で荷物の整理。これも早く進めなければ。二時間ばの中で、居住スペースの荷物の整理がひと段落、させる。布団が軽トラで3~4台分。で、他は? 不燃ゴミとして出せば何とかなる、か。まだ、安心しちゃいけない。物置が待ってる。今日はじめて着手。いや~、参った。

意外にこの地域の清掃センターの処理能力は高い。燃えるゴミとして集めてくれるものの種類が、以前住んでいたところよりもずっと多い。基本的に、生活で出るものはすべて燃えるものとして処理してもらえる。つまり、ビニール類と生ごみを分ける必要がない。穿った見方もできなくはない。が、それだけ出来ると信じ、指定日に指定された袋に入れてだす。

古い工具や道具、資材はうれしい。え”、え”、え”! な、何だい、使いかけのオイルに、劣化してるだろう灯油、間違いなく劣化した混合ガソリン。これもか、化学肥料に農薬。何に使ったのかわからない液体。ペンキ、接着剤。町のガイドラインに照らし合わせても、分別できない。極めつけ、遺影、どすんの。敷地と住宅、倉庫。その中にあるものを契約上自分のものにしたとは言え、この不要物の山。あぁ、まっこと気がめいる(笑)。明日は神祭のメイン。それまで、またゴミ? 荷物?の整理でもしょうっと。

 

 

 

今日の一枚:17時過ぎ、急いで山に上がる。この数日の雨で、野菜たちはとどまることなく大きくなってた。カラシナは30センチ、ミズナも20センチほどまで達した。カブもいい、かじると実に甘い、一円玉の大きさ。二十日大根は、時季を逸してしまったか、雨と乾燥とでひび割れた。18時過ぎ、サラダへと。


おはけたて

2015-11-09 06:51:02 | 徒然に想う

雨、今日から地区の神祭。11月10日に本祭(日にちは固定)、その直前の日曜日、「おはけたて」。直後の日曜日、「おはけおろし」と一連の行事。「おはけ」? 神霊を迎えるの標識、とか。高知県でもこの神事が残っているところは少ない。オンチャンたちもこの行事があると他の町の人に言うと、まだやっているのかと驚かれるといっていた。隣町でやっているほか、この地区くらいなものだそうだ。 

午前中「おはけ」の準備。切りだされた3階ほどもあろうかという長さの竹に、化粧を施す。先端から三本枝を残す。そこに稲藁を穂先が上を向くように巻き付け縛る。今度は逆方向。その藁に、五方向(東西南北、上)、紙垂を付けた細い竹を差す。そう、全体的な形はマトイのよう。それ引き起こし真っすぐに立て支柱に固定、さらに三本の綱でを支える。この三本の綱にもそれぞれ化粧。白、藍の紙垂(3m間隔)。その間に7本、5本、3本の順に稲わら。この支える縄は、しめ縄を意味するそうだ。今度はしめ縄作り。神社、集会所に飾る。これで午後太夫さんが来られ、神様を招く行事が執り行われる。ちなみに、この「おはけ」が立ったところは集会所の広場。それを目印にして、神様が来られ、「おはけおろし」まで集会所にいらっしゃる。

先日、遍路仲間のY女史から、師匠がまた歩かれると聞いた。7順か8順か。年内には打ち終えられるだろうから、そろそろ四国に入っておられるのではと思うも、まだ出発の知らせが来ない。自分が回った時、松山で接待いただいた。今度は自分の番ぞと思う。お接待、四国でいい文化として残る。自分が回った時、幼稚園生たちからお菓子を頂いたことがある。そうやって残ってきた、これからも残ることだろう。

《いずくぞか 野仏に問う 秋遍路》 

こういった神事、細かいこと、いろいろなことがわからなくなってる。例えば、どうしてそうするのか。しめ縄にも右巻き左巻きがある。普通にやると右巻き。がお祝い事・慶び事では左巻きになるんだとか(逆)。出雲のある地域では、昔流行り病が広がった時、ある一軒が左巻きにしめ縄を作ったら、そこだけ病が基で亡くなることがなかった。それ以降、神様に飾るときは左に巻くようになったんだそうだ。だが、右でも慣れてないので苦労する。そこに左なぞ…、やってみろといわれてもどだい無理。太夫さんが言っておられたが、この地区以外紙垂で白青を使うのはほとんど見ない、とか。そのイワレがあるはずなんだが、途絶えてしまっている。それにどうしてこの行事がこの地区に伝わるのか、由来があるはずだが、細かいことが散逸してしまっている。どうすることもできないんだろうか。その散逸していってしまう速さは抑えられないんだろうか。準備にあたった十数名中、52の庵主が一番若かった。来年は記録用の媒体を用意するかと思う。さもなくば、記憶(文化)から消えてしまう。

 

 

 

今日の一枚:おはけ立てを前に集落を望む、昨日の7時ころ。

《雨煙る 錦繍遥か 柚子を摘む》

 

ノート:本文は昨日作成、アップが一日遅れた。

 


共生

2015-11-05 21:11:59 | 徒然に想う

雨? こりゃ柚子の収穫、どうなるんだと思いながらも、山に向かう。先日定植したキャベツ、灌水を昨日一日かけた。未明に雨が降った。止めてやらなければ、おぼれてしまう。最低気温は6度ほど、最高は…、いつものルーティン。おっとヤベぇ、ネギ類の苗床の草、引いてやらねば。

草を引くといっても、抜きはしない。鋏でチョキチョキと切る、根を残す。共生栽培と呼ばれるんだろう、きっと。どう呼ばれても構わないが、埼玉にいたときから、このやり方。オンチャンや小母さんらは顔をしかめるだろうが、彼らの根っこの力を借りたい。第一、彼らは頼みもしないのに耕してくれる、ガソリンも何もいらない。だが、草たちの根は地中にいい空間を作り、そこに微生物をはじめいろいろな生き物、水、空気などが入ってゆく。野菜たちのよろこぶ姿が目に浮かびません?

あぁ、こちらにきて、初めてかもしれない。今日のお昼は生姜焼き。窪川の、土日など寮生自身でかまえなければならないようなときでさえ、食べたという記憶がほとんどない。東京生まれで東京育ち、東京タワーに上ったことがない。そのようなことか…。この時期、はしってて窓を開けると、頻繁にショウガの香りがする。それで、お腹いっぱい、なんだろな。そうそう、サラダの白い奴、コカブ。もちろん、山から取ってきた、これ初物。

コカブだけじゃない。他にもいろいろ草たちと共に大きくなってる。いい感じ。はたして、草に対するこのやり方、どんなもんだろう。正直わからない。ただ、草たちを切ってやることで、彼らの勢いが抑えられ、野菜たちがその分すくすく大きなる。それは毎日見ててハッキリわかる。地中では、根と根の壮絶な戦いがおこなわれてるかもしれない、辛いかもしれぬ。が、地上部を見ている限り、野菜たちは嬉しそう。見れば、ミズナやカラシナ、だいぶ混雑してきた。間引いてやろう、今夜のサラダ用に。

 

 

今日の一枚:今朝ドタバタとしたのか、携帯の電池の残量を確認しなかった。おかげさんで、午前中の早い内に電池切れ。仕方ないので、昨日の16時半頃に撮ったもの。紅葉が夕日により濃く映る。

追記:あぁ、めげた。一回完成間近まで書き上げた。が、全消去。復活できなかった。もう一度最初から書き直した。


どう活用するか

2015-11-04 19:06:31 | 徒然に想う

ゴミなのか、利用・再利用可能なのか…。手に入れた仁淀川の見える家、どこも同じようなことらしいが、前の家主さんが置かれて行ったものがそれなりにある。使えるもの、例えば、野菜を拭いたりするのにタオルはいい。だからゴミにはならない。毛布、これも同じように保存するときに使える。じゃ、敷布団や掛布団は? 

敷布団、おそらく真綿が使われている。が、さすがに、布団は間に合っている。庵主自身必要ない。ただ、その使われている生地を見てると昭和の香りがしてくるレトロ感たっぷり。布だけにしたら、だれか興味を持ってくれるだろうか。もちろん、そのまま使ってくれるならそれに越したことはない。このままでは、粗大ごみとして出すしかない。何とか使ってもらえないかと思う(アイディア、ありませんか。コメントいただければ幸いです)。

風が穏やかだと、川面は鏡のごとく。今日は一日山に上がる。キャベツを定植し、灌水チューブをセット。エンドウの蔓が巻き付くようにジュート縄を張って。あれ、4時半かい。キャベツは30数本だろ…。灌水チューブの位置を決めるのにてこずったり、昼にはJAバンクで口座開設するのに時間がかかったりはした。が、なんでこんなに効率が悪い? インドウリ(別称ハヤトウリ、チャーテ)は保存できるとかで、試してみようと収穫。仁淀川の見える家で、発泡スチロールの箱に収める。おっと、もみ殻を忘れてた。手に入れねば。

もみ殻、昔よくリンゴの木箱が届くと嫌というくらい入っていたのを記憶している。保存する際の資材として、利用してた。もみ殻が手に入れば、発泡スチロールの箱を使わなくとも済む? 幸いにも、発泡スチロールの箱が手元にある。もし足りなくなれば、出すものさえ出して、いくらでもかまえたらいい。しかし、何かあるものを利用・再利用できれば、出すものは使わずに済む。昔の人たちの知恵、どうにか手に入れたい。そのためにこそ、出すもの出したいなぁ。

 

 

 

今日の一枚:山の圃場から8時ころ。獣の被害、トタンでコースと思しきところをここ数日塞いでいる。被害は拡大していない。それが功を奏しているのか、それとも先日のアビトワーが効いたのか。様子見は続く。


信頼の共有

2015-11-03 21:07:26 | 徒然に想う

夕飯の内容、見てみます? トマトは柚子摘みのリーダーさんから、キュウリは先日のオマツリのお供え物、ラディッシュは畑から。お肉は、山から頂いたアナグマのお肉(今回の部位はアバラ)。いかがです? ありがたいことです。一人で生きていない、そんなことを実感します。

柚子の収穫からの帰り道、サラリーマン時代のことを聞かれました。すでに遠い昔のこと、になったんでしょうね。嫌な気も、何も感じませんでした。でも、いろいろ受け答えしていてうちに、「一人」で暮らしている気になってたことを思い出しました。「お金」という道具でなんとかなると信じてんですね。

今日は豚肉を使って、すき焼き風に仕上げてみました。先日の親子丼と同じ発想です。が、前回味付けは醤油1に味醂1でした。正直、いくら山仕事だからといっても、塩味がきつ過ぎました。そこで、煮はじめは、醤油0.5に味醂1に設定。味見をしていきながら、醤油を追加。結果、0.75くらいの割合になったことでしょう。はい? そりゃ、もう。

味覚なんて個人個人異なります、なかなか中てになりません。絶対じゃないですよね。レシピ本を参考にしても美味しものができるとは限りません。「お金」だって絶対じゃない。もろん「お金」は役立ちます。でも、それは、信頼を築けてない関係においてです。信頼を築いている・築こうとしている相手とならば、必要でない。「お金」は「信頼」を凌駕するようなものであろうか、そういうことなんです。

 

 

今日の一枚: 今日も柚子の収穫。窪川での経験からすれば暑くなる。が、暑くなるかと思えば、さにあらず。今日から始まった新しい場所、沢があって、北に面する斜面。日陰に冷い風が吹く…。動いていたにもかかわらず、寒かった。写真は圃場にて、7時ころ。