二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

観る目は「解釈できる力」に基づく?

2015-11-19 19:07:40 | 徒然に想う

テイツとザイガーの「植物生理学」も最後の章「ストレス生理学」に入った。水分欠乏と乾燥耐性、熱ストレスと熱ショック、冷温と凍結、塩ストレス、酸素欠乏などが取り上げられてる。植物の様子を見てどんな状況なのか考えるのに大いに役立ちそう。ワクワクしながら読んでる。

実は、この山にきて、埼玉でやっていたことを一つ変えた。それは水やりのこと。基本、水やりは必要ない。だって、山や森の木々、耕作放棄地の草、街路樹など身の回りの植物は、畑田んぼ以外、人の手に寄る水管理など受けていない。それにもかかわらずしっかりと生長してる。では、なぜ、畑や田んぼの植物は人間によって水を管理されなければうまくいかないんだろう。

やっとこさ、ブロッコリーに落ち葉マルチを敷き終えた。棚田という場所柄なんだろう、土壌が砂質にちかい。山の土のようでもない。川から肥沃なところを選んで持ち上げたのかもしれないと思う。K兄もT兄も、口々に痩せてる土地だと仰る。化成肥料は入れない。貝殻など有機石灰や鶏糞などの有機肥料(金肥)も出来ることなら入れたくない。この二ノ滝という環境にあるものだけで何とかしたい。で、目指すは、何もしない。

水やりなんて、しなくったっていいじゃん、今もその考えに変わりがない。が、種を蒔いた植物は、二ノ滝の環境にあってるんだろうか。砂質の土壌で大丈夫? 99%、否、ノーだ。ここにきて、落ち葉は足元にある、豊富にある。水は落ち葉で受け取られ、土にしみこみ、山からわいてくる。しかも動力も使わない。これなら水や落ち葉を使って、植物たちがこの環境になれるまでは、手を掛ける、掛けなければ…。そう、なれたかどうか、それは植物たちがいずれ教えてくれる。がその前に、何をするのか見極められなければならない。その眼を養うための知識が「ストレス生理学」じゃないかと期待してんだ!

 

 

今日の一枚:「水欠乏は葉からのエネルギー散逸を変化させる」というセクションを読んでいたら、びっくり。窪川で、夏秋栽培のアマナガトウガラシで見たのとそっくりな様子の解説写真が出ている。そういうことだったのかなどと考えてたら、山に行く時間が遅くなってしまった。八時半ころ、二ノ滝から沈下橋を遠望。

追記:一日中、その写真を見て考えたことを指導してくれた職員さんに確認してみたくて仕方なかった。夕方、電話。考えてみます、とのこと。なんかいい、楽しい、面白い。