二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

制御不能になる前に

2015-11-16 19:51:18 | 徒然に想う

K兄が、特に直会の度に、「化成を入れないんだったら、落ち葉を入れろ、入れろ」と仰る。やりたいのはやまやま。もちろん、地力がないのは分かっている。町仕事や家の片付けを理由に、これまでやってこなかった。ついに「おはけおろし」の直会中に、他のオンチャンからも同じこといわれてしまって、自分の中で耐え切れず…。町仕事先から月曜日来てもらえぬかと問い合わせがあるも、「畑作業が沢山ありますので、今回は」と答える。

実はもう一つ訳がある。K兄たちのアドヴァイスを「落ち葉堆肥を入れろ」と頭に中で勝手に解釈。手持ちにそんなものない。買う? 訳の分からないことが「有機肥料」で起きた。信頼出来るもの、じゃなければ。だから、早く「落ち葉堆肥」を作らねばと。それがないから入れられないんだ、という理屈。 

日曜日は「おはけおろし」。お宮から「おはけ」を目印に出てこられた神様がお帰りになる、「昇神の儀」。「おはけたて」「本祭」のときは一人の太夫さんが仕切られていたが、今回二人。素人的には「本祭」がメインのはずで、その時こそ二人で、のような気もするが…。祝詞を聞いていて分かったことがある。本来この「おはけ」、何らかの方法で選ばれた集落の一軒の庭に立つものだったようだ。貢神社を出た神様がその「おはけ」を目印に、その一家に一週間なら一週間、10日間なら10日間滞在するということ。それが時が変わり「個人」ではなく、「集落で多くの人が集まれるところ」に変わってしまった、じゃないかと思う。踏み込んで聞いてみたくなる。さて、神様がお戻りになると、「おはけ」を片付ける。これまでなら、「おはけ」「しめ縄」「竹」などは焼くと聞く。今回は、川に流した。

理屈にもなってない? もちろん、その通り。周りは山、山、山。落ち葉なんていくらでもある。道のサイドに掃き捨てられるほどある。恐る恐る足で表面の乾いた落ち葉を剥いでみた。! 新しい落ち葉の下、黒々と、菌糸がべったり付いた葉。さらに、その下には、粉々になった葉。作る、なんて、冒涜! 足元にいっくらでもある。山から少しおすそ分けさせてもらって、畑に入れる。ただ、それだけ。今日半日かけ集めたのが30キロ袋で10体分。それをブロッコリーの圃場まで持ち上げる。畝を覆うように(草を抑制するためのマルチとして)株元に蒔いてゆくこと4時間。半分できたろうか…。もっと簡単に終わるかと思い、明日は町仕事。水曜日は野菜を送りだす予定…。あ”~、振り回される! 自業自得とはいえ、コントロールせねば。

 

 

今日の一枚:17時過ぎ、すっかり夜がさしせまってるといった感が出るようになった。ブロッコリーを中心に落ち葉堆肥、向うに地の大根葉が見える。