二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

変身した、ゴミ? 荷物? 

2015-11-09 19:57:45 | 徒然に想う

土日と今朝、山に上がらなかった。言い訳にもならないが、雨だから…。昨日の夜のうちに、今日の柚子の収穫は中止。よっしゃーと、午前中はその街仕事との関連でなかなか読み進めれられなかったテイツとザイガーの「植物生理学」を読み深ける。ちょうど「植物ホルモン」のパート、2002年位までの結果。サイトカイニン、エチレン、アブシジン酸。「…らしい」「…と思われる」「…と理解が変わった」とかのオンパレード。実に不確定、これがいい。

午後は川のわきの家で荷物の整理。これも早く進めなければ。二時間ばの中で、居住スペースの荷物の整理がひと段落、させる。布団が軽トラで3~4台分。で、他は? 不燃ゴミとして出せば何とかなる、か。まだ、安心しちゃいけない。物置が待ってる。今日はじめて着手。いや~、参った。

意外にこの地域の清掃センターの処理能力は高い。燃えるゴミとして集めてくれるものの種類が、以前住んでいたところよりもずっと多い。基本的に、生活で出るものはすべて燃えるものとして処理してもらえる。つまり、ビニール類と生ごみを分ける必要がない。穿った見方もできなくはない。が、それだけ出来ると信じ、指定日に指定された袋に入れてだす。

古い工具や道具、資材はうれしい。え”、え”、え”! な、何だい、使いかけのオイルに、劣化してるだろう灯油、間違いなく劣化した混合ガソリン。これもか、化学肥料に農薬。何に使ったのかわからない液体。ペンキ、接着剤。町のガイドラインに照らし合わせても、分別できない。極めつけ、遺影、どすんの。敷地と住宅、倉庫。その中にあるものを契約上自分のものにしたとは言え、この不要物の山。あぁ、まっこと気がめいる(笑)。明日は神祭のメイン。それまで、またゴミ? 荷物?の整理でもしょうっと。

 

 

 

今日の一枚:17時過ぎ、急いで山に上がる。この数日の雨で、野菜たちはとどまることなく大きくなってた。カラシナは30センチ、ミズナも20センチほどまで達した。カブもいい、かじると実に甘い、一円玉の大きさ。二十日大根は、時季を逸してしまったか、雨と乾燥とでひび割れた。18時過ぎ、サラダへと。


おはけたて

2015-11-09 06:51:02 | 徒然に想う

雨、今日から地区の神祭。11月10日に本祭(日にちは固定)、その直前の日曜日、「おはけたて」。直後の日曜日、「おはけおろし」と一連の行事。「おはけ」? 神霊を迎えるの標識、とか。高知県でもこの神事が残っているところは少ない。オンチャンたちもこの行事があると他の町の人に言うと、まだやっているのかと驚かれるといっていた。隣町でやっているほか、この地区くらいなものだそうだ。 

午前中「おはけ」の準備。切りだされた3階ほどもあろうかという長さの竹に、化粧を施す。先端から三本枝を残す。そこに稲藁を穂先が上を向くように巻き付け縛る。今度は逆方向。その藁に、五方向(東西南北、上)、紙垂を付けた細い竹を差す。そう、全体的な形はマトイのよう。それ引き起こし真っすぐに立て支柱に固定、さらに三本の綱でを支える。この三本の綱にもそれぞれ化粧。白、藍の紙垂(3m間隔)。その間に7本、5本、3本の順に稲わら。この支える縄は、しめ縄を意味するそうだ。今度はしめ縄作り。神社、集会所に飾る。これで午後太夫さんが来られ、神様を招く行事が執り行われる。ちなみに、この「おはけ」が立ったところは集会所の広場。それを目印にして、神様が来られ、「おはけおろし」まで集会所にいらっしゃる。

先日、遍路仲間のY女史から、師匠がまた歩かれると聞いた。7順か8順か。年内には打ち終えられるだろうから、そろそろ四国に入っておられるのではと思うも、まだ出発の知らせが来ない。自分が回った時、松山で接待いただいた。今度は自分の番ぞと思う。お接待、四国でいい文化として残る。自分が回った時、幼稚園生たちからお菓子を頂いたことがある。そうやって残ってきた、これからも残ることだろう。

《いずくぞか 野仏に問う 秋遍路》 

こういった神事、細かいこと、いろいろなことがわからなくなってる。例えば、どうしてそうするのか。しめ縄にも右巻き左巻きがある。普通にやると右巻き。がお祝い事・慶び事では左巻きになるんだとか(逆)。出雲のある地域では、昔流行り病が広がった時、ある一軒が左巻きにしめ縄を作ったら、そこだけ病が基で亡くなることがなかった。それ以降、神様に飾るときは左に巻くようになったんだそうだ。だが、右でも慣れてないので苦労する。そこに左なぞ…、やってみろといわれてもどだい無理。太夫さんが言っておられたが、この地区以外紙垂で白青を使うのはほとんど見ない、とか。そのイワレがあるはずなんだが、途絶えてしまっている。それにどうしてこの行事がこの地区に伝わるのか、由来があるはずだが、細かいことが散逸してしまっている。どうすることもできないんだろうか。その散逸していってしまう速さは抑えられないんだろうか。準備にあたった十数名中、52の庵主が一番若かった。来年は記録用の媒体を用意するかと思う。さもなくば、記憶(文化)から消えてしまう。

 

 

 

今日の一枚:おはけ立てを前に集落を望む、昨日の7時ころ。

《雨煙る 錦繍遥か 柚子を摘む》

 

ノート:本文は昨日作成、アップが一日遅れた。