24歳で亡くなった樋口一葉。
「われは女成けるものを、何事のおもひありとてそはなすべきことかは。」一葉がこの言葉を日記にかいたとき、ほとんどの代表作を書き終わっていた。
わたしは女ではなかったか、何か思うことがあったとしても、それを成し遂げることができるのだろうか。「一葉の絶望だろうか、それとも新たな決意だろうか。」(菅聡子)
一葉は、「あらゆる境遇の女性たちの生の葛藤を深い共感と理解をもって描き出す」。母・妻・娘として<家>の束縛の中で、「女性たちの個としての生を希求する苦悩」と対比して、<家>の外で生きる娼婦たちの「生の本質、彼女たちが担わなければならなかったもの」も描く。そして、その<家>の外の存在が、<家>をまもり支えていることも。
『たけくらべ』は、二度とはもどってこない大人になる時期にさしかかった子供たちの時間を、その「世界を背後から支配している吉原遊郭、そしてその周辺の町」に住んだ一葉の体験から描き出している。
数えの14歳、姉が美人花魁の大黒屋の美登利、美登利の同級生の龍華寺の信如、そして田中屋の正太郎。ウエストサイド物語のように、信如と正太郎のグループがにらみあい、殴りこむ。美登利はまずしい正太郎のグループだ。正太郎とおさななじみの親密さでいつもいっしょ。
信如が傘をとばして、雨の中で鼻緒をきらし、大切な反物を泥まみれにする。敵方のリーダー信如にほのかな恋心をいだく美登利がそれを見る。「それと見るより美登利の顔は赤う成りて、何のやうの大事にでも逢ひしように、胸の動悸の早くうつを、人の見るかと背後の見られて、恐るおそる門の傍らへ寄れば、信如もふつと振り返りて、此れも無言に脇を流るる冷汗、はだしに成りて逃げ出したき思ひなり。」信如もほのかな恋心。
クライマックスシーンです。中学校のときに読んだ記憶は、このシーンに集中する。
美登利は家の中から呼び戻され、二人は、言葉をかわすことなくわかれる。二人の世界はまじわらない。
ある日、正太は、大嶋田を結い、「総つきの花かんざしひらめか」す極彩色の京人形のような美登利に出会う。「正太は、あっとも言わず立ち止ま」る。「美登利は泣きたいような顔つきをして、正太さん一処に来てはいやだよと、置き去りに一人足を早めぬ。」家に帰って「うつ伏し臥して物も言わず」・・・「帰っておくれ正太さん」
正太にはなにがおきたかわからない。美登利が花魁になる日が近い。
吉原にとりこまれる美登利、僧侶の学校へ旅立つ信如。大人の世界。決められた定め。まじわらない二つの世界。
信如が旅立つ日、美登利は、「違い棚の一輪挿しに入れて淋しく清き姿をめでけるか、聞くともなしに伝へ聞く其明けの日は信如が何がしの学林に袖の色かへぬべき当日なりしぞ。」この文章で、『たけくらべ』は終わっている。
中学生のときに読んだからといって、読んだつもりになってはいけないことに気が付いた。もっといろんな本を読み返そうと思う。