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eラーニングの現状と展望

ネットラーニングHD、ネットラーニング、WIWIW、Phoenix Consulting、各代表取締役 岸田徹

健康について思う

2010-03-14 21:24:33 | Life in Tokyo
健康第一だと思う。会社でも、それを徹底している。

以下は、自分の生き方のなかでの健康についての考え方です。人に同じ考えをもとめているわけではありません。

生命は、いのちとなって輝く。
わたしは、はげしく生きたい。そのために徹底的に健康を大切にしたいと思う。「そのために」です。健康が先にあるのではない。

シュリーマンの『古代への情熱』のなかで、、極貧のなかから徹底的に学び、商人としてだれよりも働いたかれは、その過程で強靭な身体を手に入れたことがかかれています。

大いなる健康について、ニーチェはこう言っています。
「大いなる健康を必要とする。--それをただ保持しているだけでなく、いつもいつもそれを投げ捨てるゆえに、いや投げ捨てなければならないゆえに、たえず獲得し、また獲得しなければならぬような、そういう健康を必要とするのである。」

長寿もそうだ。長生きすることそのものをもっとも大切にする考え方があっても当然です。

でも、わたしはちがう。生き方をもっとも大切にしたい。そして、その生き方を貫き通すために、できるだけ永く生きたい。生き方を大切にするために、健康を大切にしたい。

どちらにどちらが従属するか。生きることを目的にするのか、生き方を主にするのか。




職人魂『五重塔』

2010-03-14 20:56:09 | 読書/新聞/映画など
幸田露伴『五重塔』(岩波文庫、2009年4月24日第112刷、400円+税)

読まれた方も多いと思います。

わたしも、最初に読んだのは、中学生のときです。すさまじい暴風のなかで、落成式直前の五重塔がはげしくゆれている。「上りつめたる第五層の戸を押明けて今しもぬつと十兵衛半身あらはせば、礫を投ぐるが如き暴雨の眼もあけさせず面(おもて)を打ち、・・・・」このシーンが、強く印象に残っていました。

大工の棟梁、のっそり十兵衛は、いかなる嵐であろうと、自分が建てた五重塔は「風が吹いたとて騒ぐには及ばぬ、・・・塔は大丈夫倒れませぬ」と確信している。

著者は、嵐のすさまじさを、こう表現している。
「・・・剛しとなせる力を讃せよ、すべては我らの矛の餌になれば、、剣の餌なれば斧の餌なれば、讃して後に利益に餌ひ、よき餌をつくりし彼らを笑へ、嬲らるるだけ彼らを嬲れ、急に屠(ほふ)るな嬲り殺せ、活かしながらに一枚一枚皮を剥ぎ取れ、肉を削ぎとれ、彼らが心臓を鞠として蹴よ、枳殻(からたち)をもて背を鞭てよ、嘆息の息涙の水、動悸の血の音悲鳴の声、それらをすべて人間(ひと)より取れ、残忍の他快楽なし、酷烈ならずば汝ら疾(と)く死ね、暴れよ進めよ、無法に住して放逸(ほういつ)無惨無理無体に暴れ立て暴れ立て進め進め、神とも戦え仏をも敲(たた)け、道理を破って破りすてなば天下は我らがものなるぞと、・・・・手ぬるし手ぬるし、酷さが足らぬ・・・」
ほとんど3ページにわたって、嵐のすさまじさが書かれている。

この嵐に対峙するのっそり十兵衛の人間をこえたすさまじい魂の存在をうきだたせてもいる。この文体でなければ、十兵衛のすさまじさを表現できなかっただろう。
「神とも戦え仏をも敲(たた)け、道理を破って破りすてなば天下は我らがものなるぞと、・・・」というあたりは、ニーチェの超人を連想させる。

中学のときの印象は、ここまでだ。今読んでみると、読み方がだいぶ浅い。

五層のうえで十兵衛が、木片ひとつ飛んでも死と覚悟をきめていたとき、「天命を静かに待つとも知るや知らざるや、風雨をいとはず塔の周囲(めぐり)を幾度となく徘徊する、怪し男一人ありけり」
もう一人、やはり、暴風雨に少しでも五重塔が壊れたら死と決めている男がいたのだ。

この小説の主な登場人物は、のっそり十兵衛、決死の覚悟をしていた川越の源太、そして感応寺の上人。

おしもおされぬ大棟梁の源太。感応寺の本堂などの建設でも立派な実績がある。「すっきり端然と構えたる風情と云ひ面貌と云ひ水際立つ男振り、万人が万人とも好かずに居られまじき天晴(あっぱれ)小気味のよき好漢(おとこ)なり。」配下の大工もたくさんいる。だれが考えても、五重塔の建築をまかせられるにふさわしい。

いっぽうののっそり十兵衛、「なにを一ツ頼んでも、間に合った例(ためし)がなく」腕はたしかでも、横町のどぶ板を直すような仕事しかなく、極貧の生活だ。

感応寺の五重塔建設がきまったとき、十兵衛は、一生に一度、百年に一度のこの仕事を自分が受け持たないのは、「ああ情けない」と思い詰めて、上人に一人会いに行く。そこで、自分にやらせてほしいと切々と語る場面も圧巻だ。

上人に2人で相談して決めろといわれて、十兵衛は絶望してあきらめた。2人で話せば、結論はわかっている。

しかし、大棟梁源太は、考えたすえに、2人でやろうと提案する。十兵衛は、さらに妥協してお前が主になれといわれても、「できませぬ。」それなら源太がやってくれと断る。寄木でいい仕事はできないと十兵衛は思う。男気の源太、ついに十兵衛にゆずる。そして、自分が集めた資料・図面などを全部提供しようと。十兵衛は引き受けるが、図面・資料は全部断る。堪忍袋の緒が切れて、源太帰る。・・・まさに圧巻につぐ圧巻のシーンだ。涙なしには、読めない。

この2人の緊迫した話し合いの意味を、中学生のときには、理解できていない。

嵐の日、五重塔の周辺をうろうろしていた怪しい男は、この源太だ。自分がゆずって、十兵衛にまかせた以上、ほんの一部でも嵐で破壊されれば、責任をとって死ぬつもりだ。

その十兵衛を最後まで信頼したのは、上人だ。

嵐も去っていよいよ落成式の日。「上人わざわざ源太を召(よ)びたまひて十兵衛と共に塔に上られ、・・御筆に墨汁(すみ)したたか含ませ、我この塔に銘じて得させむ、十兵衛も見よと宣(のたま)ひつつ、江都の住人十兵衛これを造り川越源太郎これを成す、年月日とぞ筆太に記し了(おわ)られ、満面に笑みを湛えて振り返りたまへば、・・・」

十兵衛のように生きたいし、源太のようにもありたい。そして、上人のようにも。




ちょんこめ祭り

2010-03-14 14:06:18 | 島の生活
八丈島のちょんこめ祭りに行きました。

ちょんこめとは、島言葉で「子牛」のこと。

「1987年、中学の障害児学級から、初の卒業生を送り出すにあたり、島に卒業後の受け入れ体制がないことに心を痛めた親や、島の人達が、彼らを親元から離すことなく、しかも家に閉じこもりにさせないために、翌88年に作ったのが『ちょんこめ訓練所(現作業所)』です」と、配られていたチラシに書かれています。

ちょんこめ祭りには、大勢の島の人達が参加していました。