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2009年の最初に読んだ本

2009-01-04 11:01:54 | 読書/新聞/映画など
2009年の最初に読んだ本は、島本慈子『戦争で死ぬということ』岩波新書、2006年7月20日、740円+税です。

第二次世界大戦の戦争の現場からの証言をもとに、戦争のエキスとおもわれるものを読者に提示したいと著者はいう。

「生きたいという思いを公然と語ることができなかった」時代、敗戦の放送をきいて、「これでやっと自分の命になった」と実感した時代。

1945年3月、大阪の旧制北野中学を戦時下の特例で1年早めて卒業した手塚治虫は、同年6月の4回にわたる大阪大空襲を書き残している。いたるところに、目をそむけたくなる死体が散乱している。落下傘でおりた米兵を憲兵がみまもるなかで、民衆がよってたかって撲殺するシーンもあります。

アメリカは、なぜ都市を無差別爆撃したのか。1945年3月9日の東京大空襲では、計画的に火の海を周辺につくってその中をじゅうたん爆撃したのです。一夜で9万人もの命がうばわれました。

ここでは、大量殺人が正当化されています。

城山三郎の伏龍特攻隊についても。城山少年は、1945年5月、みずから海軍の特別幹部練習生1万5千人の1人となりました。かれは、その特別幹部練習生は、じつは特攻要員であったことを戦後知る。

それは伏龍特攻隊。海底に50メートル間隔でひそみ、米軍の上陸艇を竹やりのさきに爆弾をつけて突き上げるのだという。米軍の上陸艇は、爆弾を周辺の海に撒き散らしながら高速で通過していきます。海底からの爆弾のつきあげなど役に立ちません。もし成功して爆発したとしても、誘爆でひそんでいる数百人が全滅するとみられていたそうです。ほとんどだれもマンガだと考えていました。そんなことに命をかける若者のたまらない気持がつたわってきます。
だれが考えたのか。

1944年10月、フィリピン戦で航空機による体当たり攻撃が始まりました。フィリピン戦で500名、沖縄戦で2000名の若者が、自分のものでない命を失っていきました。特攻隊員の多くは学生です。

もはや艦船をうごかす燃料もなく、ほとんど飛行機をとばすこともできなくなっても戦争を続行した日本。

1944年4月の大本営の機密戦争日誌には、「最早希望ある戦争指導は遂行しえず」一億玉砕あるのみと記載されています。すくなくとも、もっとはやく戦争を終結させるべきでした。そのあと、神風や、回天、伏龍などの特攻がおこなわれていく。

フィリピン戦の記述も衝撃的です。フィリピンに攻め込んだ日本軍は、ゲリラとの戦いに直面する。結果的に、100万人のフィリピン人が殺され、50万人の日本人が戦死しました。『野火』を読んだ直後であるだけに、フィリピン戦についても考えさせられるところが大きい。

広島の原子爆弾。日本も原爆の開発に全力をあげていました。当時の新聞に、広島の前から、原子爆弾に期待する記事がでています。殺人兵器の開発競争に一歩先を行ったアメリカが先に大量破壊兵器を入手し行使したのです。戦争がどこへいきつくのか。

戦争中、報道はきびしく制限されていました。なにがおきているのか知らされていなかった。へんだと思っても発言がゆるされていなかった。まともなことばが、よってたかって圧殺されていました。

言論の自由があるかどうか。

ガザ地区に攻め込むイスラエルは、外国人記者をしめ出しています。いまも、戦争があります。