鬼才アンドレア・フランケッティ氏のワインにお初にお目にかかったのは、おそらく1997年のパラッツィだったと思う。
そして程なくして、同じヴィンテージの『テヌータ・ディ・トリノーロ』も飲んだ。
で、そこから氏のワイン造りはシチリア島のエトナ火山の標高の高いこの斜面になるのだが、それは2001年のことだった。
そのころには当方ナゼかフランケッティ氏のワインには興味が無くなり、数本のワインをセラーに寝かせてはいるものの、パッソピシャーロなどは買いもしなかった。
一方エイジングを珈琲でする珈琲店主氏は、このパッソピシャーロをしこたま買い込んでいたのだ。
で、今回パパジイで、はからずもご相伴にあずかったのだが、意外といえば失礼だが、美味しかった。
すなわち濃いワインであるはずのネッレッロ・マスカレーゼが、まるでピノ・ノワールのようなのだ。
それはナゼなのか?標高もあるだろう、エトナのテロワールもあるだろう、そしてアロマ、アントシアニン、そして酸を大事にする造りに寄るものなのだ。
かの地でのワイン造りは極めて稀で、記憶するところではフランク・コーネリッセン、アルベルト・グラーチなどであるが、このパッソピシャーロの存在は大きい。
こうして熟成した姿を見ることが出来るのもさることながら、今ではあたかもブルゴーニュの畑名プルミエのごとき区画ごとの仕込みも楽しめるのだ。
進化するフランケッティ、知らずにいたことは罪なことだったのかもしれない。
そして程なくして、同じヴィンテージの『テヌータ・ディ・トリノーロ』も飲んだ。
で、そこから氏のワイン造りはシチリア島のエトナ火山の標高の高いこの斜面になるのだが、それは2001年のことだった。
そのころには当方ナゼかフランケッティ氏のワインには興味が無くなり、数本のワインをセラーに寝かせてはいるものの、パッソピシャーロなどは買いもしなかった。
一方エイジングを珈琲でする珈琲店主氏は、このパッソピシャーロをしこたま買い込んでいたのだ。
で、今回パパジイで、はからずもご相伴にあずかったのだが、意外といえば失礼だが、美味しかった。
すなわち濃いワインであるはずのネッレッロ・マスカレーゼが、まるでピノ・ノワールのようなのだ。
それはナゼなのか?標高もあるだろう、エトナのテロワールもあるだろう、そしてアロマ、アントシアニン、そして酸を大事にする造りに寄るものなのだ。
かの地でのワイン造りは極めて稀で、記憶するところではフランク・コーネリッセン、アルベルト・グラーチなどであるが、このパッソピシャーロの存在は大きい。
こうして熟成した姿を見ることが出来るのもさることながら、今ではあたかもブルゴーニュの畑名プルミエのごとき区画ごとの仕込みも楽しめるのだ。
進化するフランケッティ、知らずにいたことは罪なことだったのかもしれない。
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