(2014.05.03訪問)
京都では珍しい律宗のお寺、そして「蓮の寺」とよばれ、花見ごろの夏場は庭園苑池一杯に花開く「蓮」を
愛でる人々で大盛況のここ法金剛院は、平安後期の皇室ドサクサの中にあってひと際美貌を誇った待賢門院
璋子その人が開基したお寺です。創建当初は、今の数倍の寺域で堂塔伽藍が覇を競ったと伝えるそうです。
今日訪ねたのは、今の時期、花のお寺も端境期、花の期待は出来ません。緑の濃淡が勢を増してはいますが
自然は彩りありません。然し恐ろしいほど素晴らしい仏像が揃い、仏殿本尊然り、脇仏然り、地蔵堂の金目
地蔵と云う丈六のお地蔵さん然り、それを取り巻く六地蔵さんがこれまた圧巻と云うことで訪ねてみました。
ホンマ圧巻、一見の価値アリアリです。
▼表門。
[ 法金剛院 ]
●山号 五位山 (ごいさん)
●寺号 法金剛院 (ほうこんごういん)
●開基 待賢門院璋子 (たいけんもんいんたまこ)
●開創 大治五年 (1130年)
●宗派 律宗
●本尊 阿弥陀如来坐像
▲京都市右京区花園扇野町49 TEL.075-461-9428
▲拝観料 500円 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:00
▲関西花の寺十三番霊場
▲ JR花園(京都府)駅[出口]から徒歩約2分
市バス花園扇野町下車 徒歩約2分 京都バス花園駅前下車 徒歩約5分
▼寺標。
法金剛院縁起 (法金剛院パンフから抄出)
平安時代初期、この地は右大臣清原夏野の山荘が営まれていた。清原夏野没後、寺として双丘寺(ならびが
おかでら)と称した。境内には珍花奇花が植えられ、花園の地名の由来になったという。仁明天皇は、境内
北の内山に登り、この景勝地に五位を与えたことから、以後、山は五位山と呼ばれるようになる。
天安二年 (858年) 文徳天皇の勅願により大伽藍が建てられる。定額寺に列せられ寺号は天安寺とされた。
大治五年 (1130年) 鳥羽天皇の中宮待賢門院は天安寺を復興、寺号も法金剛院と改めた。待賢門院は晩年を
この地で過ごした。
▼境内イラストマップ。現状と少しばかり違うようで、
▼中門を潜ると受付が、庫裡の一部のようです。
▼書院玄関。大正五年 (1916年) 建築。かって宮川町歌舞練場の正面にあったものらしいです。
▼車寄せは、唐破風屋根で柿葺き。
▼礼堂。元和三年 (1617年) 再建。
元は本堂だったらしいのですが、お寺のお母さんによると礼堂背面の建物が本堂 (仏殿) だと云うことです。
▼礼堂扁額。
▼礼堂棟続きに釣殿があります。
▼名前は判りませんが、遅咲きの大輪椿。まだ蕾も相当付いていましたよ。
▼釣殿。
本堂 (仏殿)
礼堂と距離がなく写真撮れません。その建物はコンクリート製、一見宝蔵庫風でとてもお寺の堂宇には見え
ません。中に入って唖然!
▼本尊 阿弥陀如来坐像 (重文)。像高224cm、仏師院覚、大治五年 (1130年) 造像。
丈六阿弥陀仏、一目定朝様で阿弥陀定印を結び破綻のない造形は堂々たるもの。台座蓮弁宝相華の彫刻も
微に入り細、こんな蓮弁初めて見ます。
▼十一面観音菩薩坐像 (重文)。像高70cm、元応元年 (1319年) 造像。
お粗末写真で見にくいですが、菩薩の坐像は珍しいのではしかも四手。檀像風の像ですがお厨子に入って
いるためか非常に美しく、張りのあるお顔、お口の紅が妙に艶かしいお像です。多くの瓔珞で胸元を飾っ
ています。
▼地蔵菩薩立像 (重文)。像高127cm、一木彫、平安時代。
▼阿弥陀如来立像 (重文)。平安時代。施無畏、与願印のスラリとした男前阿弥陀さん。相当立派な衣紋を着
けています。
▼僧形文殊菩薩坐像 (重文)。一木彫、平安時代。
溌剌文珠さんも歳をとるとこうなるのは宿命か。
▼さぁお庭巡りをしましょう。こんな小径が池の周りを巡っています。
▼池泉回遊式浄土庭園。手前は花菖蒲の若葉。六月はじめが見頃だそうです。
待賢門院璋子たっての希望で作庭された浄土式庭園。往時は今の倍以上の広さを誇ったと伝わるそうです。
▼石敷の汀。
▼待賢門院璋子の歌碑。
長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は 物こそ思へ
待賢門院の美貌は有名らしく、その娘、上西門院統子 (じょうさいもんいんむねこ) は母に輪を掛けた絶世の
美女と謳われたそうで、かの西行さんは璋子さん統子さん母子に相当惚れたらしく、出家の動機はこの二人
との失恋にあったとも云われているそうです。考えてみたら二人とも殿上人、天皇中宮とその内親王、どだ
い無理な話で西行さんは女人に対して見境がなかったのか、単なる女狂いだったのか、天才歌人の心の奥は
よく判らんもんですワ。
▼美貌の待賢門院璋子はこんな方です。(法金剛院絵はがきを複写)
▼苑池。
▼ここにも真鴨夫婦がいました。
▼唯一花の彩り、躑躅の刈り込みが見えます。
▼お庭の北端に青女の滝。平安庭園の遺構、近年発掘復元されたそうですが水は流れていません。
▼青女の滝の駒札。
▼石仏が団体で。
▼躑躅。
▼小さな流れに花菖蒲。今見るとただの草。
▼お顔不明の石仏、白菊がそっと。
▼ここにも遅咲きの大輪椿。酒呑童子という品種。なんと花弁径が12~13cm、デカイです。蕾も沢山付い
ていました。
▼礼堂を正面から。
▼経蔵。元和三年 (1617年) 建立。
▼鐘楼。表門のスグ左に建ってます。
▼御朱印です。お寺のお母さんが書いてくれました。
お寺のお母さんが説明してくださった地蔵堂の七体のお地蔵さん。ネットで探したんですが写真はありませ
ん。お寺としても撮ってないらしく、皆さんにお見せ出来ないのは本当に惜しい。
中尊は丈六の坐像で約260cm、目が金色で「金目地蔵」あるいは「要地蔵」「叶地蔵」とも呼ばれる優雅な
お地蔵さん。そして脇の六地蔵がこれまた法衣の彩色が素晴らしく錐金や彩色が見事に残っています。残念
ながらガラス越しの拝観になるので細部観察は少々無理。然しまさに一見の価値あり、是非一度訪ねてみら
れてはいかが。
フ ロ ク
▼美貌の女院を偲びに境内北の五位山麓、待賢門院陵に回ってみました。藤原璋子花園西陵とあります。
法金剛院、これにて オ シ マ イ
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