土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

高桐院、「楓の庭」今は冬枯れ、されど雅趣で風雅なんです。

2016年02月05日 | 京都の古寺巡り



(2016.01.31訪問)

ダメダメ尽くしの本山から塔頭の高桐院に向かいます。こちらのお寺は常時拝観寺院です。




▼山門への参道。前方鍵の手、曲がった所が、





[ 高桐院 ]
●寺号 高桐院(こうとういん)
●宗派 臨済宗大徳寺派(りんざいしゅうだいとくじは) 大徳寺塔頭
●開基 細川忠興(ほそかわただおき)(三斎)
●開山 玉甫紹和尚(ぎょくほじょうそう)
●開創 慶長六年(1601年)
▲拝観 400円 朱印 300円 
▲時間 9:00~16:30 
▲京都市北区紫野大徳寺町73-1 電話075-492-0068
▲市バス59,92,204,205,206番系統で「建勲神社前」下車 徒歩5分。





▼山門です。 





高桐院縁起
戦国武将細川藤孝(幽斎)の息、細川忠興(三斎)が父の弟、玉甫紹を開祖として建立した大徳寺の塔頭で細川氏の菩薩所である。
三斎は茶人としては利休七哲の一人といわれ、書院は利休の邸宅を移築したものといわれる。書院に続く茶室松向軒は三斎好みの二帖
台目で、三帖の水屋がつき、壁や天井にも趣向が凝らされていて有名である。境内にある三斎の墓標の石灯籠も利休が三斎に贈ったも
のと伝えられている。書院の庭は江戸初期の作庭、本堂の前庭は楓の樹を巧みに配しているのが特色である。境内には三斎とその夫人
ガラシャの墓、出雲阿国の墓がある。





▼切妻、桟瓦葺のなんと立派な山門、袖塀の黄色漆喰が何ともいい落ち着き。
 正面参道が鍵の手に曲がってますネ……、







▼出ました定番参道です。がなんとなく淋しい景観、緑や赤いトンネルの頃が懐かしい冬枯れ参道でした。







▼前方は唐門。入口へは鍵の手を右へ、中門潜り鍵の手を左へ、入り口になります。







            ▼受付を済ませ有名な南庭「楓の庭」に向かう途中にこんな襖が……。







▼客殿の諸間から西庭が見えます。







                   ▼こんな達者なダルマさんと賛の掛け軸が。







▼本堂でもある客殿の仏間です。







▼独り占めの「楓の庭」と思ったんですが……、お二人さんが座ったまま動いてくれません。







▼待ったかいがありました。定番「楓の庭」です。よく考えて見ると「紅葉」があってこその名ですよネ。







▼写真機畳置きの図。







▼南庭。







            ▼裸木が寒々しい釣灯籠。







▼客殿の寺号扁額。







▼客殿と南庭。







▼西庭へ下りてみましょう。こんな踏み石の散策、いいですヨ。







▼朽ち寸前、まさに釣瓶落とし。







▼飛び石に石塔、これを「雅趣」と云わずなんという。







▼利休灯籠。実は細川忠興とガラシャ夫人の墓標です。







▼お隣には細川家歴代のお墓、正面が細川藤孝(幽斎)の墓標。







            ▼万両。







▼加藤清正が忠興に贈ったという袈裟型蹲踞。







            ▼さり気なく立つ苔の灯籠。







▼こんな蹲踞も。







            ▼こんな石塔も。寄せ集め感も様になってますネ。







▼書院への小径。

 





▼利休の邸を移築した書院。現在の建物は再建されたものだそうです。







▼書院前庭の丸い刈り込み。何の木でしょうか? もの凄く目立ってます。







▼書院の意北軒。床軸の「関」は、大徳寺開山の大燈国師(宗峰妙超)の筆。襖絵は狩野探幽の弟、狩野永眞の筆。








▼書院前庭の景。余り広くないお庭です。右客殿、正面渡り廊下。







▼書院はずれに茶席松向軒。忠興建立の二帖台目の茶室。幽玄の雅趣、侘びと寂びですなァ。







▼さてもと来た山門の内側です。







▼外へ出るとこの光景、黄色漆喰塀に冬の日差しが作る松の影、ダイナミックな影絵を見ることができました。













▼竹林のこぼれ陽も……。







▼大徳寺西参道を今宮参道へ出て北大路通を駐車場へ戻ります。







▼今宮参道沿い高桐院のアートな外塀。なんで般若かは分りませんが。







▼御朱印です。余りにも酷いですネ、裏移り! もう少し良質な朱印帳買おうかなァ。






殆ど独り占めの高桐院さん、久々ユックリと見せて戴きました。先ほどのお二人さんもいつの間にか帰られ、外人さんのファミリー
(あの喧しい何処やらの国の人ではありません) が居られたのが唯一のお客さん?でした。
高桐院の錦繍織りなす頃のあの喧噪、今はありません。裸の楓が寂寞を誘う冬枯れも又一興、お寺好きには絶好のシーズンと云うもの
の、ヤッパリ淋しいですネ。





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大徳寺、「お寺の克って」なお寺です。

2016年02月02日 | 京都の古寺巡り




(2016.01.31訪問)

先週に続いて「京冬の旅文化財特別公開」の臨済宗「大徳寺」とその塔頭「芳春院」を訪ねたのですが……、



▼総門。こちらから入山します。






[ 大徳寺 ]
●山号 龍寳山(りゅうほうざん)
●寺号 大徳寺(だいとくじ)
●宗派 臨済宗大徳寺派大本山(りんざいしゅうだいとくじはだいほんざん)
●開基 宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)(大燈国師)
●開創 正中二年(1325年)
●中興 一休宗純(いっきゅうそうじゅん)
●本尊 釈迦如来坐像
▲拝観 境内自由 特別拝観 法堂、方丈 600円 朱印 300円 
▲時間 10:00~16:00 
▲京都市北区紫野大徳寺町53 電話075-491-0019
▲http://www.rinnou.net/cont_03/07daitoku/index.html
▲市バス59,92,204,205,206番系統で「大徳寺前」下車 徒歩すぐ。




▼境内マップ見ると多くの塔頭が甍を並べていますネ。
 今日訪ねるのは、中央右端、緑に囲まれた伽藍の絵が描かれている所と右上の一角です。 






大徳寺縁起 (臨黄ネット大徳寺HPから抄出)
鎌倉時代末期の正和四年に大燈国師宗峰妙超禅師が開創。室町時代には応仁の乱で荒廃したが一休和尚が復興。桃山時代には豊臣秀吉
が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛
を極めた。勅使門から山門、仏殿、法堂、方丈と南北に並び、七堂伽藍が完備する。山門は、二階部分が、千利休によって増築され、
金毛閣と称し、利休の像を安置したことから秀吉の怒りをかい利休自決の原因となった話は有名。本坊の方丈庭園は江戸時代初期を代
表する枯山水。方丈の正面に聚楽第から移築した唐門がある。方丈内の襖絵八十余面はすべて狩野探幽筆。境内には、別院二ヵ寺、塔
頭二十二ヵ寺が甍を連ね、それぞれに建築、庭園、美術工芸品が多数残されている。




▼勅使門(重文)。前後唐破風、左右切妻、桧皮葺、四脚門。後水尾天皇より拝領したと伝えるそうです。







▼唐破風貫の蛙股と彫刻。







▼三門(金毛閣)(重文)。立派な楼門ですが、近寄ること出来ません。モチロン通れません。
 重層楼門、桁裄五間、梁間二間、五間三戸、入母屋造、本瓦葺。大永六年(1526年)建立。両脇に山廊付。  
 応仁の乱後、一休禅師の参徒で宗長が一階部分を寄進、後に千利休により二階部分が設けられ「金毛閣」と名づけられ
 た。楼上には釈迦三尊像、十二羅漢像が安置されている。応仁の乱後、一休禅師の参徒宗長等が一階部分を寄進、のち
 千利休により二階部分が設けられ「金毛閣」と名づけられた。







▼その扁額。金毛とは金毛の獅子(優れた禅僧)の意味だそうです。







▼内側からの三門。閂ロックされてます。







▼仏殿(重文)。
 桁裄五間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、重層観がありますが下層は裳階、禅宗様。一世大現国師により創建。応仁の乱で焼
 失、文明十一年(1479年)再建。寛文五年(1665年)再建造。







▼仏殿正面。







▼祈祷と書かれた扁額。







▼仏殿須弥壇。床は瓦敷き、広い堂内中央に本尊釈迦如来がお坐りです。







▼本尊釈迦如来坐像。詳細伝承不祥。







▼天井を見上げると、







▼龍の絵らしきものが描かれています。狩野元信の雲龍図らしいのですが判別不可能、分りません。







▼よく判分らん写真ですが、仏殿と法堂を結ぶ渡り廊下なんです。







▼法堂(重文)。
 入母屋造、本瓦葺、重層ですが下層は裳階、寛永十三年(1636年)再建。天井には龍が描かれ狩野探幽の筆だそうです。







▼境内参道。







▼立派な鐘楼です。入母屋造、本瓦葺、漆喰袴腰。慶長四年(1599年)建立。







▼軒と廂、勾欄の組み物の複雑さ、鐘楼にしては相当手が込んでます。






                  それでは特別公開の本坊、方丈の拝観に行きましょう。

                  ▼特別公開の案内ポスター看板です。







▼本坊山門。







            ▼本坊木札。







▼庫裡です。



ここから入場になりますが、写真はここまで! 建物、内部、お庭すべて写真御法度!



以下方丈の四点の写真はすべてネットから貰ってきたものです。



▼方丈(国宝)。桁行九十八尺六寸(29.9m)、梁間五十六尺二寸(17m)。単層、入母屋造、桟瓦葺。八部屋構成。
 ともかく長~い廊下です。







▼襖絵(重文)。襖絵はすべて狩野探幽画、八十四面あります。







▼方丈前庭。正面に唐門(国宝)、白砂枯山水の広~いお庭です。







▼方丈東庭。作庭は小堀遠州と伝わり、白砂に石と刈込が一列に、七五三石組、十六羅漢石組と云うそうです。







            ▼境内参道。







▼三門の横に石仏が集められていました。







▼帰りは総門から出ず南門から辞しました。本来の正門だと思いますが定かにあらず。







            ▼寺号石柱ですが塀で隠れて全刻字が見えません。







▼御朱印です。






伽藍拝観も仏殿以外は近寄ることさえ出来ず、通せん坊だらけ、ダメダメ尽くしの大徳寺でした。
「お寺の克って」と理解しておきましょうか。


本山と共に今回特別公開の塔頭「芳春院」を訪ね、念のため受付で「写真はOKですか?」「ダメです!」なので敢然とスルー。
同じ大徳寺塔頭の「高桐院」を訪ねることにしました。





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養源院は相國寺塔頭、秘仏毘沙門天ご開帳!

2016年01月28日 | 京都の古寺巡り




(2016.01.23訪問)


続いて塔頭の養源院に向かいます。茶々さんの養源院とは違いますよ。相国寺山内の塔頭です。
秘仏公開と云われても、たんに仏像が大好きと云うだけのボクなどお寺や仏像好きにとって、その仏像の仏教的価値や学術的価値、美
術史的価値など皆目無知、書かれた解説書を鵜呑みにする俄知識で取りあえず拝見するのだが、時にはこれらを越えたオーラを発する
お方にお会いすることがあります。今回の毘沙門さんがそうなんです。




            ▼門前の石柱。






            [ 養源院 ]
            ●山号 万年山(まんねんざん)
            ●寺号 養源院(ようげんいん)
            ●宗派 臨済宗相國寺派(りんざいしゅうしょうこくじは)
            ●開山 曇仲道芳(どんちゅうどうぼう) 
            ●本尊 薬師如来立像
            ▲拝観 特別拝観 600円 朱印 300円 駐車場無料
            ▲時間 10:00~16:00 
            ▲京都市上京区今出川通鳥丸東入相国寺門前町701 電話075-231-6702 
            ▲http://www.shokoku-ji.jp
            ▲地下鉄烏丸線「今出川」下車徒歩5分
             市バス「同志社前」下車 徒歩3分
             京阪電車「出町柳駅」下車 今出川通りを西へ徒歩15分




▼山門。






養源院縁起 (相國寺HPから抄出)
開祖を曇仲道芳といいます。常光国師空谷明応に参じ、空谷和尚の相国寺住持に際して焼香侍者を、また結制には問禅の禅客を勤めま
した。長じて国師の法を嗣ぎますが、座元以上の法階を望まず終生黒衣で通します。ことに詩文に優れ足利義満、義持父子の寵遇を受
けました。相国寺常徳院内に養源軒を設け退隠したのが養源院の始まりです。 応永十六年世寿四十三歳で示寂。東山百万遍の長生軒を
塔所として葬った。常徳院内の旧隠居所に倣って養源院と改名。 相国寺七十九世横川景三は、曇仲道芳三十三回忌に東山養源院に於い
て香を焚いてその弟子となり、養源院を相国寺内に移転、第二世となりました。薬師如来を本尊とし、毘沙門天を祀り近隣の信仰を集
めています。




                 ▼特別公開の案内ポスター看板。






▼山門を潜ると正面に本堂。この堂内に今日の主役が祀られています。






▼多聞天と書かれた扁額。






▼きれいに手入れをされた境内、玄関は左にあります。






室内や須弥壇、仏像写真などダメダメ尽くしなのでいきなり本日の主役登場!

▼毘沙門天立像(秘仏)像高約170cm、木造、鎌倉時代。慶派仏師の作と伝わるものの詳細不詳。長年その存在は知られていなかったが、
 江戸時代「我が像を修復して人々に参拝せしめよ」という夢のお告げで発見されたと寺伝は伝えているようです。



(写真はポスター看板を複写)

久々に拝見した美形、天部像の典型的な憤怒像形ではなく、人間的表現と云うべきか、写実優先と云うべきか同じ鎌倉仏師
の荒々しい豪快な作風から一歩踏み出した画期作ではないだろうか。と言っても決してヤワな毘沙門さんではありませんヨ。
この男前には吉祥天さんも、惚れ直すこと間違いなし!




▼この目力、オトコでもゾクッ!



ネットで全身像の写真を探しまくりましたが発見できませんでした。




▼書院渡り廊下前の中庭。白砂の枯山水庭です。






▼苔が上手い具合に絡んでいる蹲踞。






▼書院庭園。
 池を中心に池泉回遊式庭園ですが、庭に降りることは出来ません。
 お庭側はガラス障子でこれ又締め切り、写真もガラス越しになり写り込みが大変ですワ。
















▼本堂前庭に鎮守社。






▼築山が造られ宝篋印塔風の石塔が置かれています。






▼境内。






▼御朱印です。






約30分で拝観終了。僅か30分されど30分、この小さなお寺にこんな素晴らしい毘沙門さんが残されている不思議、30分の大半は須弥
壇の前に座り込んでいました。お気の毒に本尊のお薬師さん、脇殿で小さくおなりでした。
納得の600円!お釣が来る程の感激毘沙門天像でした。





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相國寺、「京の冬の旅」で非公開文化財の特別公開やってます。

2016年01月25日 | 京都の古寺巡り





(2016.01.23訪問)

今京都で禅刹を中心に十六ヵ寺の非公開文化財が特別公開されています。
50回記念「京冬の旅文化財特別公開」で臨済宗の京都五山弐位の相國寺を訪ねました。
山外塔頭の鹿苑寺、慈照寺を持つこの禅刹は、本山でありながら両寺より地味な感じを受けていましたが、なかなかどうして五山文化、
禅文化の中心としての相國寺は名僧や文化人、特に若冲など傑出した文化人を輩出し、学問芸術の拠点としての地位は京都五山弐位の
格に相応しい禅刹なんですネ。




            ▼50回記念「京冬の旅」文化財特別公開のパンフレット。






            [ 相國寺 ]
            ●山号 満年山(まんねんざん)
            ●寺号 相國聖天禅寺(しょうこくしょうてんぜんじ) 通称 相國寺(しょうこくじ)
            ●宗派 臨済宗相國寺派大本山(りんざいしゅうしょうこくじはだいほんざん)
            ●勅願 後小松天皇(ごこまつてんのう)
            ●開基 室町三代将軍 足利義満(あしかがよしみつ)
            ●始祖 夢窓疎石(むそうそせき) 
            ●開山 春屋妙葩(しゅんおくみょうは) 
            ●開創 明徳三年(1392年)
            ●本尊 釈迦如来坐像
            ▲拝観 境内自由 特別拝観 法堂、方丈 600円 朱印 300円 駐車場無料
            ▲時間 10:00~16:00 
            ▲京都市上京区今出川通烏丸東入 電話075-231-0301
            ▲http://www.shokoku-ji.jp
            ▲地下鉄烏丸線「今出川」下車徒歩5分
             市バス「同志社前」下車 徒歩3分
             京阪電車「出町柳駅」下車 今出川通りを西へ徒歩15分




            ▼堂々の寺号石柱。






▼総門。五山二位の禅刹に相応しいのかな、サインや立て看板類。
 今出川通り御苑今出川御門の向かい、同志社に挟まれて参道があります。






相國寺縁起 (相國寺HPから抄出)
臨済宗相国寺派の大本山である相国寺は、京都五山第二位に列せられる名刹です。正式名称は萬年山相國承天禅寺。
十四世紀末、室町幕府三代将軍の足利義満により創建されました。幾度も焼失と復興の歴史を繰り返しましたが、現存する法堂は日本
最古の法堂建築として一六〇五年に再建された物を今に伝えています。
夢窓疎石を開山とし、創建当時は室町一条あたりに総門があったといわれ、北は上御霊神社の森、東は寺町通、西は大宮通にわたり、
約百四十四万坪の壮大な敷地に五十あまりの塔頭寺院があったと伝えられています。




▼総門左に勅使門。実際使用されることがあるんでしょうか、権威付け飾り門?






▼境内マップ。開創時の境内地は約140万坪を擁したといい、現在約4万坪あるそうですよ。






▼放生池の天界橋。天文二十年(1551年)に相国寺が焼亡した天文の乱はこの橋をはさんで始まったと伝わるそうです。






▼鐘楼。入母屋造、本瓦葺。天保十四年(1843年)再建。「洪音楼」と云う名があります。






▼経蔵。桁裄三間、梁間二間、重層宝形造、本瓦葺。万延元年(1860年)建立。高麗版一切経が納められています。






▼浴室。桁裄三間、切妻造、本瓦葺。慶長元年(1596年)再建。






▼庫裏。切妻造、本瓦葺、文化四年(1807年)建立。庫裏仕様のサンプルのような美しい建物です。






            ▼方丈を囲む漆喰土塀と松の並木。






                 それでは特別公開の法堂と方丈の拝観に行きましょう。

                 ▼特別公開の案内ポスター看板です。






▼法堂(重文)。「はっとう」と読みます。重層に見えますが下屋根は裳階です。
 桁行七間、梁行五間、入母屋造、本瓦葺、裳階付。慶長十年(1605年)再建。
















▼法堂須弥壇。左右両階段の付いた約2mの豪快な須弥壇に三尊が祀られています。
 本尊 釈迦如来坐像、脇侍 迦葉尊者 阿難尊者。






▼本尊 釈迦如来坐像。木造、像高110cm 、鎌倉時代。一説に運慶作と伝わるそうです。
 遠目で拝見するも漆箔がよく残り、お顔はやや面長で螺髪は大きめ、安定感のある量感は運慶作かなと思いたくなるほどの本尊です。






▼天井に描かれている狩野光信による蟠龍図。どこの禅刹にも鳴き龍として描かれてますネ。堂内に手を打つ音が響いていました。
 (写真はポスター複写)








法堂から渡り廊下で方丈へ。 

▼華頭窓から方丈前庭です。






▼方丈。桁裄十三間、単層、入母屋造、桟瓦葺、切妻造、切妻造。文化四年(1807年)再建。






▼方丈扁額。






▼廊下両端に杉戸絵が、東の滝図。






▼長~い廊下は約25m、雑巾掛けのやりがいがありそうですネ。中央から西を見ています。






▼西の杉戸絵、白象図。原在中筆、江戸時代。これはレプリカです。






ではお庭巡りです。

▼方丈前庭(南庭)。シンプルイズベスト、これぞ禅の境地、「無」でしょうか。






▼方丈前庭(南庭)。光でもあればキット目映いことでしょう。






▼方丈勅使門前です。後ろは法堂。






▼方丈東庭。一転このお庭は渓谷美!手前はなだらか、対岸は断崖を表しているのでしょう絶壁の切れ込み、谷底は小石を
 敷きつめ奔流が滔々と流れています。こういうお庭構成は初めて見ます。











▼方丈北庭(裏方丈庭園)。全面苔の彩り、石の配置がなく松が変化を与えているようです。苔が映える頃はさぞかし緑の競演で
 素晴らしいお庭でしょうネ。その頃是非見てみたい庭園です。











▼書院中庭。白砂の坪庭、白砂の海に石三つ、小竹は何を言いたいんでしょうか。











▼もう一度方丈で、相国寺 オ シ マ イ






▼御朱印です。無畏堂とは法堂のことです。






公開寺院一ヵ寺の拝観料600円です。
相國寺の場合、塔頭養源院と長得院の二ヵ寺も公開されていますので、都合拝観料1800円也、全寺回って9600円、高いか安いかは貴
方次第。ちなみに600円は文化財保護のための浄財として使用させて戴きますと能書きにあります。
「文化財保護のため」いいフレーズです。

続いて塔頭の養源院へ回ります。





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石清水八幡宮、まもなく国宝指定。

2015年12月25日 | 京都の古寺巡り




(2015.12.19訪問)


少し前報じられた「やわたのはちまんさん」が国宝指定されると云うニュースを思い出し、泉涌寺の帰途、訪ねてみま
した。京阪八幡市で降りることも、石清水八幡宮を訪ねるのも初めてです。山上境内に着いて先ずビックリ、廻廊が囲
む社殿の建造物全てが丹漆塗でなんとキレイなこと、ドン曇りの中でも「丹」が映えてます。青空の下だったらもっと
映えるのにと、無い物ねだりをしても詮無いので取り敢えず回ってみることにします。




▼社殿。






[ 石清水八幡宮 ]
●社号 石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)
●開創 貞観二年(860年)
●遷座 宇佐八幡宮より男山の峯に御神霊を遷座奉安
●祭神
 中御前 応神天皇(おうじんてんのう)誉田別尊(ほんだわけのみこと)
 西御前 比咩大神(ひめおおかみ)
     多紀理毘賣命(たぎりびめのみこと)
     市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)
     多岐津比賣命(たぎつひめ のみこと)
 東御前 神功皇后(じんぐうこうごう)息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)
●朱印300円 駐車場無料 
▲京都府八幡市八幡高坊30 電話075-981-3001
▲京阪電車「八幡市駅」下車 男山ケーブル「男山山上駅」下車徒歩5分




        ▼社号石柱。






石清水八幡宮縁起 (石清水八幡宮HPから抄出)
清和天皇貞観元年(859年)南都大安寺の僧、行教和尚は豊前国(現大分県)宇佐八幡宮にこもり日夜熱祷を捧げ、八幡大神
様の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、同年男山の峯に御神霊を御奉安申し上げた
のが当宮の起源です。そして朝廷は翌貞観二年(860年)同所に社殿(六宇の宝殿を造営、4月3日に御遷座されました。天
慶二年(939年)に起こった平将門、藤原純友の乱には、朝廷請願があり八幡大神様の御神威をもって速やかに平定されて
以来、国家鎮護の社として皇室の御崇敬は益々厚いものとなり、天皇行幸や上皇御幸は、円融天皇(第64代)の行幸以来、
実に240余度にも及び、伊勢の神宮に次ぐ第二の宗廟とも称されました。明治の初めには官幣大社に列せられ「男山八
幡宮」と改称されましたが「石清水」の社号は創建以来の由緒深い社号であるため、大正七年には再び「石清水八幡宮」
と改称され現在に至ります。




▼一ノ鳥居。高さ約9m、最大幅約11m、花崗岩製。






▼扁額。 (石清水八幡宮HPから抄出)
 現在の額は寛永三筆の松花堂昭乗が元和五年(1619年)、行成筆跡の通りに書写したもの。
 特に八の字は、八幡大神様の神使である鳩が一対向かい合い顔だけを外に向けたデザイン。






▼頓宮北門。ここから境内を通って表参道へ。






▼頓宮境内。






▼頓宮殿。 (石清水八幡宮HPから抄出)
 年一度、勅祭石清水祭において山上本殿より御神霊が御遷し重儀が斎行される重要な社殿です。






▼頓宮廻廊。






▼頓宮南門。
 山上にある本宮の南総門が新築されたのを機会に本宮の旧南総門をこの場所に移築した。
 この門を抜けると二ノ鳥居が見えてきます。






        ▼五輪塔。
         高さ6m、下部の方形の一辺2.4mの石塔で国の重要文化財に指定されています。
         制作意図が不明な五輪塔。






▼途中裏参道の石段が見えます。






▼二ノ鳥居。ここから表参道が始まります。






▼全長約800m、石段数396段、標高142.5mの表参道。一段あたり約10cmの高さの歩きやすい石段。






        ▼所々残り紅葉がキレイです。






▼七曲がりと云われてます。2~3カ所あります。






▼途中八幡市街と京西山を見渡せます。






▼散り忘れモミジ。






▼最後の直線。






▼三ノ鳥居。ここから本殿まで一直線。






▼一つ石。 (石清水八幡宮HPから抄出)
 三ノ鳥居付近中央にその箇所のみ自然石が露出している部分があります。この石は通称「一ッ石」「勝負石」「お百
 度石」などと呼ばれ、この石が走馬・競馬の出発点になっていたことに由来するといわれています。






▼真っ直ぐな参道。






▼直線の参道の両側に石灯籠が並んでいます。






▼南総門が見えてきました。

       




▼八脚の立派な手水舎。






▼南総門。






▼南総門から社殿。






▼何ともいいようのないキレイな社殿ですネ。






▼参道終点と本殿角度が違うのが分ります? 理由があるんですヨ。






▼社殿正面。 (石清水八幡宮HPから抄出)
 貞観元年(859年)清和天皇の勅命により六宇の宝殿を建立し、順次八幡造りの社殿を完成。以来、造営十四度・修理
 十七度、現在の社殿は寛永十一年(1634年)、徳川三代将軍家光の修造によるものです。











▼社殿正面の楼門。 (石清水八幡宮HPから抄出)
 本殿から幣殿、舞殿、楼門と続き、周囲約180mの廻廊が囲む社殿建造物です。






▼楼門。極彩色の壮麗な龍虎の欄間彫刻。






▼廻廊と黄金の吊り灯籠。






        ▼東昇殿口に鉄灯籠。さり気なく鉄寂びて立ってます。






        ▼神木おがたまの木。






        ▼信長塀。織田信長が天正八年(1580年)寄進した土塀。本殿を囲むように築かれています。






▼東総門。






▼鬼門封じ。
 丑寅の方角鬼門(東北)を封じるために、社殿の石垣を切り取った造りになっています。






▼摂社水若社。                      ▼摂社若宮社。






▼摂社貴船社、龍田社。                  ▼摂社住吉社。






▼北総門。






▼校倉。                         ▼摂社広田社、生田社、長田社。






▼西総門。






▼南総門と境内。
 巫女さんを見かけたところで「やわたのはちまんさん」 オ シ マ イ






石段は大嫌いだ! ラクチン参拝決行。
白状します!

今日は表参道を上っていません。ストーリーは表参道を上ったように装いましたがまったくのウソです。
396段を上る気は初めからありません。京阪八幡市駅からさっさと男山ケーブルへ直行、僅か2分で山上駅です。参拝
後表参道をユックリ下ったの云うまでもありません。ウソはいけませんネ。
けど石段は大嫌いだ! 

で、ケーブルに乗って山上へ。
▼男山ケーブル八幡市駅。






▼出発で~す。






▼トンネルです。向こうから下りが来ます。






▼トンネルの中ですれ違い。






▼次のトンネルが見えます。






▼このトンネルを抜けると山上駅。約2分のケーブルの旅でした。






今日のフロク
▼境内の一角にエジソン記念碑。
 発明王エジソンが、白熱電球のフィラメントの材料としてにここ八幡の竹が最適なことを知り、以後十数年の間この
 竹を使い白熱電球を世に送り出した。その功績を伝えるためにこの地に記念碑が建てられたのです。





2015年10月17日朝日新聞
文化審議会は10月16日、最古で最大規模を誇る石清水八幡宮本社(京都府八幡市)本殿をはじめ十棟の建造物を新たに
国宝に指定するよう文部科学相に答申した。


答申後官報告知で正式に国宝指定になります。




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