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裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

世界のつくり/意識編・1

2024年01月18日 18時21分20秒 | 世界のつくり

1・最初の生命体、って

彼はこの世界に生まれ、「生命」なる得体の知れないものを起動させた。
いや待てよ・・・「生まれ」という言い方は厳密な意味では正確性を欠くので、「できた」と表現するべきかな。
「・・・を起動させた」という言い方も、あまりにも自覚的かつ能動的すぎるかもしれない。
正確を期して、「彼の中で精密に噛み合った自然物からなるメカニズムの活動が自律的に開始された」と受動体にしよう。
とにかく、彼は無自覚なまま、「生き」はじめたんだった。
彼は生きることそのものを全機能とし、ひとまず死なないことを全うすることに特化した、純粋な生存機械だ。
その存在自体が生命現象そのものと言ってよく、他に意図も目的も持たない。
エネルギーを循環させること以外にはなにもできないし、自分が何者であるかも、なんのためにどう振る舞っていいかもわからない。
なにもできない、ただの「はじまりから終わりまでを自己完結させる有機物塊」だ。
彼は、あなたが思い描くよりもずっと単純で素朴なつくりで、あり得ないほど小さく、心細い見てくれなんだ。
だけど、膜によって外環境から完全に独立してるし、エネルギーと物質の流れが体内・体外の間でサイクルしてるし、そんな自分の複製をつくることもできる。
ただ、その他にはなにもできない。
さて、この先、どうしていこうか。
彼には、情報の入力網(神経系)もなく、出力装置(手足)もなく、もちろん脳も意識もない。
持ち得たのは、五感を超えた直観だけだ。
そんななにも考えることができない彼だけど、立派なことに、ちゃんと理解してる。
「動けるかぎりに動きつづけよう」と。
どういうわけか、そんな意欲に突き動かされるし、それが「生きる」ということだと訴えかけてくるものが内側にある。
それこそが、ゲノムの役割りなのかもしれない。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園


世界のつくり/生命編・おしまい

2024年01月10日 09時26分27秒 | 世界のつくり

おしまい・生きる、って

最初期生命体である彼が獲得した能力は、自然界から電子を取り出すシステムだ。
この目の付けどころはすごい(目はまだないけど)。
ま、なんの食べものもないこの時代には、ジャガイモからデンプンを、肉から脂質を、なんて難しい化学(いや、むしろ手法としてはイージーなんだが)は不可能なんで、周囲に存在する元素の分子構造をいじって、最も初歩的なパズルの組み替えをするしかなかったわけだ。
とは言え、現代の高度知性を総動員しても困難極まる、こんな極限小のデストロイ&ビルドをやすやすとやってのけるとは、最初期生命も侮れないものだ。
だけど、そここそが自然特有の着想と手法なんであり、現象としての最初手なんであり、あり合わせかつ徒手空拳の生命体には、それ以外にはやりようがなかったんだ。
彼が発明したこの初手は、モダンな言い方では、呼吸というやつだ。
呼吸の役割りは、酸素や炭素を取り込んで固定する※1という二次的な利点もあるけど、究極的には、分子から電子を剥がして駆動部のスイッチングに用いる、ということに尽きる。
この作業さえ覚えれば、生きてるかぎり、システムの作動をつづけることができる。
逆に言えば、このサイクルこそが「生きる」ということなんだ。
彼は、まだまったく頼りない、微細な有機物塊だ。
だけどこの一大事件が、きみやぼくの存在へと一直線につながっていく。
彼のつくった「この世界に存在する」という概念そのものが、本当にまっすぐにきみやぼくに受け継がれてるんだよ。
まったく、信じられない奇跡だ。
ハッピー・バースデイ!生命。

おしまい

※1 もちろん、酸素が地上に現れるのは相当後の時代のことだし、太陽光の届かない深海底では光合成反応も使えない。そこで彼は、硫黄を取り込んでメタンを生成しながら炭素を固定する原始的な化学反応・・・つまり呼吸をしてたと考えられる。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園


世界のつくり/生命編・27

2024年01月08日 09時44分12秒 | 世界のつくり

27・生命誕生、って

われわれ全生命体の希望である「彼」は、ついに単純な活動機械にゲノムを搭載し、生命現象を獲得した!
塩基の配列は、彼がすべきことをコードするに至った。
それは、「生きていく」上において必要不可欠で、かつ、最小限度の情報だ。
内容は、シンプルだ。
「壊れたら、直せ」「部品の集め方は、こう」「つくり方は、こう」・・・
彼は、生きよう、とはまだ考えることができない。
生きる、の意味がまだわからないんだから。
だけど、死なないようにせよ、というゲノムの命令に従う。
そして、さらに重要な命令がある。
「すべての部品を集め」「もうひとつの自分をつくり上げ」「増やせ」・・・
その命令すらコピーし、次の世代に渡す。
こうすれば、自分が滅びても、系をつなぐことができる。
原初にして、なんという知性の奥深さだろう。
彼は、まだまだ荒削りではあるものの「閉じた系」「新陳代謝」「増殖」という最低限の条件を備えた装置内で、その操縦桿を握ったんだ。
ここに至るまでのハード&ソフトの構築作業は、前駆体のいわば「なんちゃって進化」によるものだった。
外界からの干渉による分身・散開と、成りゆきまかせにした塩基の切り貼りからは、自発的な活動などは生まれようがなかった。
だけど、彼はその高みにたどり着いた。
もちろん、彼はまだ意識などというものは持ち得ないものの、とにかく自律式の循環機能を・・自分の内側だけで回せていく独自世界を手に入れたんだ。
彼だけが、それを手に入れた。
彼以外の誰もそれを実現できず、他の実験体の系は、ことごとく滅んでいった。
つまり、今ここに、彼による万世一系の生命が誕生したんだった。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園


世界のつくり/生命編・26

2024年01月01日 09時28分38秒 | 世界のつくり

26・生命の夜明け前、って

乗りもの、機械としての「物質的な彼」は、すでにチムニー内の環境で自然の力によってつくり上げられ、自律駆動の段階にまで達してる。
今つくり上げられんとしてるのは、その操縦者としての「ゲノムの彼」だ。
乗りものは、そこに乗り込む操縦者がいて、はじめて自由な活動を獲得するんだ。
ところでふと思ったんだけど、初期ゲノムは、自分自身のアイデンティティを確立させるよりも、中途半端ながらも自身をまずは分裂させることにプライオリティを置いたんじゃないだろうか。
このスタンスなら、塩基配列の書き換え機会と実験効率はべき乗となり、幾何級数的(倍々ゲーム)に進化を繰り返せる。
数撃ちゃ当たる作戦だけど、これならわずか数億年もあれば、生命メカニズムの洗練度は文字通りにケタ違いになる。
アクシデントにまかせてふたつにちぎれるだけだったRNAは、おびただしい試行錯誤によって分裂の精度を上げ(やがて二重らせんにまで発達することになる)、塩基文字の表意配列は物質の構成にまで言及するようになり、そこにコードされた内容を別ユニットが理解(ジョイントの形状の噛み合わせ検索)するようになり、指示に応じて必要な物質を集めるセクション(トランスファーRNA)や、それらを組み立てるセクション(リボソーム)、組み上がった製品をたたんだり振り分けたり配達したりする分業制にまで・・・んー、これははるか未来の話とはいえ、そう育っていくヒントを獲得していったにちがいない。
まだまだそんな構造の初歩的段階だけど、生命前駆体である彼は、ついに成長のコツをつかんだ。
無限とも思えるほどの途方もない塩基配列を試してみる。
環境になじまない試みはあっけなく打ち捨てられるが、たまたまアジャストしたものは抜きん出てコピーを増やし、台頭し、またその中から突出したアイデアが生まれ・・・まさしく加速的に進化は突き進む。
ゲノム・・・いや、今や「遺伝子」と呼ぶが、そいつのブラッシュアップと適者生存の淘汰律が働きはじめれば、あとは彼の意識が目覚めるのも時間の問題だ。

つづく

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世界のつくり/生命編・25

2023年12月31日 09時12分16秒 | 世界のつくり

25・前駆体に操縦者を乗っける、って

染色体分割という強力な起動力を持たない初期の彼(まだ前駆体)の分裂は、頼りなく、不安定で、散発的で、「ちぎっては投げ・・・」式ならぬ、「ちぎれては捨て置かれ・・・」方式だったと思われる。
それでも、チムニー内には着実に彼のコピーが増えていった。
おびただしい彼のコピーが鋳込まれるうちに、コピーミスが発生する。
それは、定められた塩基配列にはさまったささいなバグのようなものだけど、これが積み重なると、徐々に初期設定と乖離して、別ものになっていくんだ。
細胞核なしのRNAは、ほとんど環境にオープンな状態なので、ヌクレオチドの端っこに新しいパートがくっついたり、あるいはところどころが剥離したり、またつながったりして、まったく新しい書き換えが起こったりもしよう。
初歩的なダーウィン進化だ。
それが何億年間もつづくんだから、軌跡のような配列の実現も可能だ。
ある日、塩基の並びが、たまたま任意のアミノ酸を意味する「コドン」という言語単位になり、特定されたアミノ酸に結びつく。
物質は、頭脳で理解はしないが、分子の形状によって「それが何物であるか」を完全に見極める。
「このアミノ酸を集めよ」という指令は、「この形状にぴたりとフィットするようにジョイントせよ」と言い換えられる。
こうして、カオスだったゲノム配列は、ゆっくりとゆっくりと、何事かができるように整いはじめる。
その何事かとは、自分を能動的につくり上げるという、生命にとって根源的な作業だ。
チムニーから放出される物質の流れから自動的かつ偶然に与えられてきたものを、今度は自分で選り分け、あるいは素材からつくり出そうというんだ。
最後のステージを上がるために、彼史上最大の創発が開始された。

つづく

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世界のつくり/生命編・24

2023年12月28日 08時23分33秒 | 世界のつくり

24・塩基配列のコピー、って

こうして考えてみれば、彼もまた、何者かから分裂したのかもしれない。
どんな形をしてたんだかしれない、前駆体から。
それは「細胞分裂」なんて高度な作業じゃなかったはずだ。
最原初のRNA(これもまたDNAの前駆体)は、ゲノム配列なんて複雑な構造はしてなかった。
塩基配列を言語としてタンパク質のアミノ酸配合をコードするなんて知的なアイデアを、原形質が・・・ましてやその前駆体が発明するなんて、考えられない。
要するに、ゲノムが生命を誕生させたなんてのは幻想で、はじめのうち、原初生命体・・・いや、ゲノムの搭載されてない生命前駆体は、ただ塩基をでたらめに並べただけのものだったにちがいない。
四種のヌクレオチドのパズルは、自律的にらせんの連なりとなるわけだから、とりあえず自然は、塩基を並べた長い長い核酸のヒモを編み上げた(と仮定していく)。
このヒモにジョイントできるのは、固有の分子構造によって、任意の塩基の相方と定められてるから、その一対一対応の結果、最初の塩基配列を鏡写しにしたもう一対の配列が編み上がる。
編み上がった二本ヒモの縦の連なり(ヌクレオチド同士)はイオン結合で固く結ばれてるけど、ヒモ・ヒモの横のつながり(相方塩基同士)は水素結合だから、電子でも走らせれば、ジッパーのようにあっけなく別離できる。
塩基の対配列、すなわち、最初のRNAをメス型としたオス型の鋳込み型ができた。
あとは、こいつを使ってコピーしまくるだけだ。
そして、閉じた系の離れた場所にふたつのコピーを配置してたある日のこと、アクシデントが発生し、系が真ん中からちぎれる。
不細工ながらも、分裂ができた。
こいつにダーウィン進化をさせれば、ゲノムが組み上がりそうだぞ。

つづく

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世界のつくり/生命編・23

2023年12月26日 08時40分40秒 | 世界のつくり

23・細胞分裂、って

たくさんの細胞からできたぼくだけど、かつては小さな小さな生殖細胞だった。
父ちゃんの精子細胞がくっついた母ちゃんの卵子細胞。
ふたつがひとつになったこの一個の受精卵が、最初期のぼくの姿。
ぼくは、もともと母ちゃんと父ちゃんだったわけだ。
ぼくは実際に、父ちゃんと母ちゃんの肉だったんだ。
ふたりにつくられたんじゃなく、ぼくはこのふたりだったんだよ。
それがいつの間にか分かれて、ぼくというアイデンティティを獲得して、ぼくになった。
父ちゃん細胞が這い込んだ母ちゃん細胞が分裂し、さらに分裂活動を繰り返すうちに、父ちゃんと母ちゃんのアイデンティティが打ち消え(忘れ去られ、と言ってもいいかもしれない)、別個性であるぼくちゃん細胞になったわけだ。
父ちゃんと母ちゃんをさらにさかのぼると、(ふた組の)じいちゃん細胞とばあちゃん細胞に行き着く。
ぼくはかつて、じいちゃんとばあちゃんと、別のじいちゃんとばあちゃんという、四人だったんだ。
さらにさかのぼる。
ぼくのご先祖さまは、すべてがぼくのかつての姿だ。
ご先祖さま細胞はおさる細胞から分裂したものだし、おさる細胞は原初哺乳類細胞から分裂したものだし、さらにさらにさかのぼれば、ぼくは原初真核生物に行き着き、もっともっとさかのぼれば、最原初の単細胞=彼にたどり着く。
最もシンプルで、必要最小限の装備しか持たない、スタートアップな原形質の細胞に。
この原形質が細胞分裂をした瞬間に、生命体は生命体の体を成し、彼はぼくになったんだ。

つづく

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世界のつくり/生命編・22

2023年12月16日 12時20分27秒 | 世界のつくり

22・生体、って

原点に戻って、生体とはなんなのか?というところから考えてみる。
現代的な定義によると、脳死した肉体は生きてない、とされる。
大雑把な相関関係では、大脳は考えを、小脳は運動を司るので、これらが機能しなくなると、ぼくは「ぼくの世界」というアイデンティティと、そこでの活動とを失う。
ところがそんな状態に陥っても、脳の一部(脳幹のへん)の機能が残ってると、ぼくの心臓は自律機械としての鼓動をやめない。
心臓は、ぼくの意思から独立した活動部位なんだ。
フルオートマチックモードの心筋が動くと、血液が肉体内を勝手にめぐってくれる。
血液がめぐると、肺から取り込まれた酸素(この臓器の活動は意思から独立してないので、無理矢理に気道から空気を送り込む作業、すなわち、外的な力による酸素吸入が必要だ)がめぐってくれる。
酸素がめぐると、細胞に栄養が行き渡るので、ミトコンドリアがエネルギーをつくって全身に活力を展開させ、要するにぼくは瑞々しく生きたままの姿でいられる。
なのに、その肉体は生きてはいない、とされるんである。
脳内組織の通電こそがぼくそのものなんであり、それなしに活動するボディはもはや何者でもなく、自律駆動する物体、と言える。
ただ、細胞ひとつを生命体と考えると・・・殊に細胞内器官として組み込まれてるミトコンドリアなどは、もともと独立した生命体だったことから、大きなぼくが脳死をしても、別の形でぼく(の一部)は生きてる、ということになる。
が、もはやそのぼくは、ぼくではない他者だ。
いったい、細胞がたくさん集まってできたぼくとは、どの部分、そしてどのプロセスから先が、生命を宿した存在と言えるんだろう?

つづく

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世界のつくり/生命編・21

2023年12月11日 07時35分39秒 | 世界のつくり

21・世界の支配者、って

ゲノムは、あなたの形質そのものと言えるけど、そんなあなたは、ゲノムのほんの一部でしかない。
あなたはあなた独自のゲノムを持ってるけど、ゲノム本体は天体規模で大展開してるんだ。
あなたは、ゲノムという地球上の全生命体を網羅した設計図の、枝分かれした末端でしかない。
ゲノムは、過去にあなたを含めた環境をつくり上げ、今なおさらにつくり込んでる最中だ。
ゲノムは、ただ一度きり、地球上に発生した。
そして、現在この瞬間においても、ゲノムはそのひとつきりだ。
ただ、幹から分かれた枝先がほぼ無限に細分化してるんだ。
種(しゅ)という枝がさらに枝分かれして枝分かれして枝分かれしきった先っちょに、あなたという新芽(子という新たな芽が発生してればあなたはすでに分岐してるが)が伸びてて、その先はなおも未来に向けて枝分かれしていく。
時間という縦方向でつながり、空間という横方向でつながり、ゲノムは世界にあまねくひろがる。
そのひろがりきった枝を分岐点に分岐点にとさかのぼり、太い幹を下って根元に収斂する一点が、彼だ。
彼こそがゲノムのコアなんだ。
彼を生み出すということは、世界をつくるという作業でもある。
彼のボディはつくった。
仏つくって魂入れる。
あとは、彼のゲノムをつくらなきゃならない。
いや、彼というゲノムを。
ゲノムという彼を。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園


世界のつくり/生命編・20

2023年12月07日 10時26分45秒 | 世界のつくり

20・タマシイ論、って

「肉体にタマシイを込める」という霊的な言い回しは、科学的には「物質にゲノムの機能を持たせる」と言い換えられそうだ。
そのプロセスは昔から、神さまの思し召しと考えられてきた。
しかし、無機物同士の噛み合わせからはじまったわれわれの積み木細工は、ついに生理のメカニズムを大構築した。
素朴な石ころは、深海底で長い長い歳月をかけて揉まれた末に、自律式の機能体という高みにまで発展したんだ。
このやり方で、さらに創発を何段階も推し進めれば、必要最低限の情報を内蔵したゲノムを出現させることは可能だろうか?
ゲノムは霊的なものじゃなく、物質世界の物理現象と化学反応を用いた緻密なネットワークだ。
現代に生きる高等生物が獲得した「混沌の極限」と言いたくなるゲノムだって、上記のシステムをただ多様で多面多角的に複雑化させたものにすぎない。
だったら、そいつの最もシンプルで原初的な形と様相を、この物語で再度つくり上げてみようではないの。
・・・と勢いこんでみるが、いやはや、なんと壮大で困難な事業をはじめてしまったんだろう、この書きものって。
それでも生命は、すっからかんだった最初の時点で、この最重要にして最難解な「内容物」を持ったんだ。
とすると、ぼくらが思考実験でつくり上げたソフトなしの空っぽのハードが、自力でソフトをつくり上げたわけか。
でなければ、先立つことハードなしの剥き出しのソフトが自然界から与えられてて、それがハードをつくり上げるしかない。※1
しかし、指示書があっても機械がなければどこからも手をつけられないし、機械があってもそれを動かす指示書がなければそもそも起動ができない。
このごちゃごちゃに入り組んだプロセスの、いったいどの時点で「生命」は目を覚ましたんだろう?
ところで、ぼくらが生きた後の「死」という世界は、生まれて「生」をはじめる前の世界のことだよ、という死生観がある。
その暗闇に展開するのは、おなじみの量子場だけど、またそこに立ち帰るしかないのかなあ・・・(読者のうんざり顔が目に見えそうだ)

つづく

※1 「ソフトがハードをつくる」というのが、現代を生きるわれわれ生命体の順序だ。

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