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木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

1060 小学校の同年会(伊勢神宮内宮)

2014-04-14 08:00:00 | 寺社一般

 私の父は田舎の巡査をしてましたから、三重県北部の巡査駐在所を転々としていました。当然家族も同行するので、私は小学一年生に入学して、その夏休みから転校が始まり、転校四校目、小学五年生の夏から四日市北部に転校しました。

それからは高校に入るまで、そこに住みましたから、子供の頃に最も長く住んだことになります。よって、私には本当の意味での故郷と感じる場所は明確ではないのですが、住んだ長さと親しい友が多い場所との意味で、ここが私の故郷としています。

 その小学校を昭和28年3月に卒業しましたが、その”同年会”が伊勢市相差(おうさつ)で行われたので参加しました。 メンバーは年寄ばかりですから、次々と欠けて行くので、来年来れない可能性もあることから、3年前から毎年行うようになりました。

2014.04.06(日)13時、四日市をホテルからの迎えのバスに乗り、今回は往路に伊勢神宮の内宮に立ち寄りました。

 

 

 

卒業時は95名いたようですが、今は70名ほどが生存しており、内の22名(内訳男13、女9名)が参加しました。

 

川は清らかな「五十鈴川」です。

 

 

「アセビ」     (「花写真館」へはこちらから)

 

 

 「おかげ横丁」は今日も多くの人が訪れて賑わってます。

 

 このあと、バスは相差の海岸べりにある、ホテルに向かいました。

夕食は相変わらずの宴会方式で「カラオケ」などで盛り上がりましたが、あれほど好きだったカラオケも、今は手術の障害で歌えなくなった私は、夜更けまでもっぱらおしゃべりをしてました。

 

 


1008 猿田彦神社

2013-10-07 08:00:00 | 寺社一般

 伊勢には度々訪れていますし、 この「猿田彦神社」の前は何度も通過していますが、 この神社には一度も参拝していませんでした。 今回、朝早く出て来たのと、 高速道路も街中も混雑には全く無縁であったことから、 12時には両宮の参拝を終えたので、 入ってみました。 

 

正面の鳥居は、大きい通りに面していますが、 徒歩かタクシーでないと入る事はできません。 駐車場は東方にありました。

 

 日本神話によれば、猿田彦神はニニギ天降りの先導を終えた後、伊勢五十鈴川の川上に鎮まった。倭姫命世記によれば、その子孫の大田命は天照大神を祀る地として倭姫命に五十鈴川川上の地を献上した。大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、神宮に玉串大内人として代々奉職したが、その宇治土公が邸宅内の屋敷神として祖神の猿田彦を祀っていた。明治時代に入り、神官の世襲が廃止されることになって、屋敷神を改めて神社としたのが猿田彦神社である。 猿田彦神がニニギの先導をしたということから、交通安全・方位除けの神社として信仰されている。

 

「本殿」

本殿は「さだひこ造り」と呼ばれる特殊な妻入造である。欄干や鳥居には八角形の柱が使用されている。5月5日の御田祭は、三重県の無形民俗文化財に指定されており、神饌として飛魚を献上する風習がある。

 

「本殿」から、正面入口方面を見てます。

 

写真左の立て札には、 「舟形石は宝船を連想させ、古来縁起の良いものと言われてきました。 この舟形石は蛇が乗っているように見えるため特に縁起が良いとされています」 ・・・と書いてあります。

 

「佐瑠女神社(さるめじんじゃ)」    猿田彦神社境内社

人と人、仕事や物との様々な縁を良い形で結び導く神様だそうです。 また、俳優の神として技芸、技術の上達を導く芸能の祖神として崇敬され、音楽関係、芸能関係者を初め、様々な習い事の上達、成功を祈る参拝者が多いと言います。

 

下は東口です。

 

 「おかげ横丁」はいつもの賑わいを見せていました。

 

 ここまで見終えても時刻は13時を過ぎたばかりでした。 携帯電話の歩行計を見ると未だ1万歩に満たないのに、 足腰に強い疲労感を覚えたので、 少々勿体ない気持ちを残しつつも、帰還することにしました。従来なら、もうひとつと行く先を追加するのですが、それは無く、体力の低下をひどく感じた一日になりました。

 

 


1007 伊勢神宮 内宮

2013-10-04 08:00:00 | 寺社一般

 20年ぶりの”遷宮ブーム”もそのピークを迎えようとしている。 その時は混雑もただならぬものと予想し、その前に新装なった神様の住みかを訪れています。 今回はその本命の内宮を紹介したいと思います。 

 

 

 ここからは新装なったものだけを掲載します。

 ここの鳥居のお古は、旧東海道の各地の追分の鳥居になると、旧跡めぐりで知ったが、 取り変えたとの報道に接していないが、今はどうなってるのだろうか?。

 

「新正殿」

未だ、ここより近づく事は未だ許されない。 

 

10月の本番時の混雑を避け、順序良く並ばせるための場所(?)が作られていた。 

 

正殿の右の側面(写真左)、同裏面(写真右)。

 

「御稲御倉 (みしねのみくら)」

ここは、伊勢神宮公式サイトから引用しますと、所定の神宮神田より収穫した抜穂(ぬいほ)の御稲が修められているところであり、御正宮と同じ唯一神明造りになっています。抜穂とはつまり稲穂です。 簡単に言えばお米を保管する倉なのだそうです。

 

「外幣殿 (げへいでん)」

ここには「古神宝類」が納められているといいますが・・・・。

 

「別宮 荒祭宮 (あらまつりのみや)」

 荒祭宮は、内宮に所属する10別宮のうち、第一に位しています。殿舎の規模も他の別宮よりも大きく、行ニ丈一尺二寸、妻一丈四尺、高さ一丈四尺八寸あり、第一別宮として正宮につぐものです。
 ご祭神は、天照坐皇大御神の荒御魂。神様の御魂のおだやかなおすがたを、「和御魂(にぎみたま)」と申し上げるのに対して、時にのぞんで、格別に顕著なご神威をあらわされる御魂のおはたらきを、「荒御魂」とたたえます。延暦23年(804)選進の『皇太神宮儀式帳』に、「荒祭宮一院 大神宮の北にあり、相去ること二十四丈 神宮の荒御魂宮と称う」とあり、延長5年(927)成立の『延喜式』に「荒祭宮一座 大神の荒魂」とも見えます。
 お祭りにつきましては、正宮に準じる第一別宮として特別丁重に行われています。祈年祭・神嘗祭・新嘗祭の奉幣の儀も、正宮にひきつづき、同日に勅使、大宮司、少宮司以下神職がただちに参向して幣帛がたてまつられます。又、神饌の種類や数量も正宮とほとんど同一のものが供せられます。

写真左は旧殿、右が新殿=只今工事中。

 

 午前10時過ぎにここ内宮の市営駐車場に着いた時は、どの駐車場もガラ空きだったものが、 我々が帰る時間の13時頃は全てが、満車状態で空き待ち車が列を作っていた。 今でもこの状態では、先が思いやられる。

 


1006 伊勢神宮 外宮

2013-10-01 08:00:00 | 寺社一般

 2013.09.26(木)、 からりと晴れて、 すがすがしい秋の陽を浴びつつ、 毎度の急な思い付きで、 今日は新装なったお伊勢さんにやってきました。 報道や友の情報から、 遷宮が本格的になる10月の大混雑を避けて、早めのお出掛けとしました。

小寒い程に冷え込みを感じながら、 午前7時35分我が家を出発しました。 昼間との寒暖差が大きいためか、早くも黄変の始まった木々を横目に、名阪、伊勢道を経て9時に先ずは「下宮」に到着しました。 ”早起きは三文の得” というが、 まさにその通り、伊勢市内の道路の混雑は無く、駐車場もガラ空き状態、極めて快適に到着です。

 

 今回は新しくなった物を中心に紹介したいと思います。

 

 下の写真正面が旧の正殿ですが、これより先は入れないし、撮影禁止となっています。 新正殿は左手の方になりますが、ここより先には未だ入れない状態でした。

宮殿と新殿の間には、杉材でつくられた”仮”と思われる屋根が作られていました。 祭礼は雨天中止とは出来ないし、神様に傘をさすのは失礼なのでしょうか?。

 

 今日は祭礼があるらしく、「前ぶれ太鼓」、神宮ポリスに先導されて、木靴の一団がやってきました、これから正殿に入る所ですが、中で行われる事は一般人は見る事さえできないのは、ちょっと悲しいねー!。

 

 

「 せんぐう舘」  休憩所

未だ、営業(?)していません。

 

 好天とは言いながら、 平日の朝でこの状態、 10月に入って遷宮が最終段階を迎えた場合の混雑は如何ほどのものか想像出来ないが、 近寄り難い感覚を覚える程に混み合うものと思われる。

 

 駐車場に戻ったのが、10時頃ですが、 ここは駐車場が広くないので、すでに満タン状態でありました。 この後内宮に向いましたが、それは後日に譲ります。

 

 


879 湖北を撮る(盆梅ツアー)④ 大通寺 アセビ展

2013-03-15 08:00:00 | 寺社一般

 2013.03.07(木)は湖北盆梅ツアーと名付けて長浜市に来ている。 JR長浜駅西市営駐車場に車を預け、「慶雲館」での盆梅展に感動し後、北国街道周辺ををぶらぶら歩いて、「長浜御坊表参道」を経て、豪華な江戸時代に作られた市指定重文の山門をくぐった。

 「大通寺」  だいつうじ

     真宗大谷派 長浜別院大通寺  無礎智山  別名:「長浜御坊」、「長浜別院」

     長浜市元浜町32-9

     本堂拝観無料、あせび展実施時は庭園を含めて¥500

 湖北の中心道場であった総坊を前身とし、慶長7年(1602年)に本願寺第十二代教如を開基として長浜城跡に創建。慶安4年(1652年)に現在地に移転する。

伏見城遺構[1]とされる本堂や大広間などの建築物(国の重要文化財)や、含山軒庭園と蘭亭庭園という2つの庭園(国の名勝)のほか、円山応挙狩野山楽狩野山雪らの障壁画など貴重な文化財を多数保有する寺院として知られる。

「本堂(阿弥陀堂)」  国の重文  江戸時代初期建立

 

「梵鐘」  鐘は南北朝時代の作(県重文)

 

「蓮池」

 

「馬酔木(あせび)展」

初めて見る「あせび」の古木に感動!。

 

「枯山水庭園」  伊吹山を借景とすることから「含水軒庭園」というらしい。江戸時代の作

 「あせび」の予備軍(?)

 

この後、「北国街道」を含む長浜駅前商店街を再び歩いたが、それらは次回に披露したい。

                                    << 続く >>

 


817 江西寺(鈴鹿市)

2012-10-22 08:00:00 | 寺社一般

長かった夏もようやく過ぎ、秋晴れの好天が続いているので、出たくてうずうずしていたが、ホームページの大改訂に没頭していたために、長らくのご無沙汰であったが、それも漸く先が見えてきたので、今日は久しぶりに近くの寺に出掛けることにした。

ここは、2~3日前にTVにて、「四季桜が見ごろ」との報道を目にし、引っかかっていたのである。さくら自体はわざわざ見に行くほどでも無いとは知りつつも、「だるま寺」には若干の興味あり、ならばと来てみたのである。なお、ここは「つつじ」は見所があるので、春がお勧めの寺なのだ。(2012.10.21(日)撮影)

 

思った通り桜は駐車場の脇に一本あるのみで、花つきも充分でなく、世間の人は良く承知していて、TVにだまされて来るのは私だけであった。

 

では、お寺の紹介を!。(負け惜しみではなく、実はこちらが本日の本命なのだ)

 

寺のパンフの記述によると・・・・ 

「祈願だるま」発症の古刹

金剛山 江西禅寺   祈願達磨寺  (三重県鈴鹿市深溝町)

 

満願の間

 

 

達磨大師塔

 

達磨大師像

 

折角ブログ見に来てやったのに!・・・とのお怒りは十二分に承知してますが、当ホームページ始まって以来の改革の真っ最中のために、取材に出るのを、そして編集するのを怠っていたので、長期間休ませて戴いたのです。お断りも無かったので、お怒りは最もと甘んじてお受けいたします。

なお、従来通りとはまだ行きませんが、逐次この先も出して行きますので、よろしくお願い致します。