野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

2020-08-14 06:27:42 | 故郷
今年の盆の話題は、コロナ感染を恐れて都会から田舎への盆の墓参りを自粛してほしいと、複数の知事さんがコメントしている事。
当方、田舎は長崎県の島原で、現役の頃は盆に帰省することも多かったが、引っ込んでからは外に出ることは極端に少なくなった。ここ神戸に住んで、特別に盆に実施すべき行事もなく、盆に入る前に部屋の内外を掃除するぐらいだが、それも年取ってからさぼるようになった。で、テレビに流れる「精霊流し」を見ながら、ちょこっとの田舎の盆を思いだしてみた。

田舎の盆に帰省する大きな目的は墓参り。
盆の時ぐらいしか墓に行くことはないが、墓参りは13日の午前中、墓の掃除から始まる。墓地に水道を引く前、ずっと昔は、直ぐ近くの温泉神社の上り下り急な石段をフーフー言いながら、水を貰っては掃除していた。草むしりと落葉拾いが終了すると、翌日の墓参り時の提灯を吊るす木枠を墓の前に設定して13日は終り。14日は、夕方涼しくなってから2個の提灯と線香をもって墓に行き、火をつけた蝋燭を提灯に立て、その提灯を木枠に吊るす。暫くすると、隣近所の人が線香挙げに墓参りに来るので、挨拶しながら、暫く団らん。頃合いを見て、近所や親戚の墓に線香を挙げ、それが済むと自宅に帰る。これを15日も繰り返す。そして、夜になると酒盛りが始まる。今は、近所のスーパーで出来合いの肴を購入しているが、だいぶ前までは、全部家族の手作りだったので、母達の作業は大変だったろうと思う。

15日、その年に初盆の家があると、午前中の涼しい時間に精霊船の提灯飾りが待っている。
長崎同様に島原でも「精霊流し」を行う。島原地方では、町内の何処かに初盆の家があると、精霊流しが実施されてきた。8月15日が「精霊流し」なので、前日14日の精霊船作りから駆り出される。
 島原の「精霊流し」

竹と麦ワラで作った長さ約10m強の精霊船全面に島原独自の切子灯ろうを飾り付ける、独特の精霊流し。聞くと、もう大分前から麦藁の入手が困難となっており、この麦藁調達が一仕事らしい。14日午前中、精霊船作りはベテランの漁師さんが造り手の棟梁となって、分業で進む。今はどうか知らないが、約40年以前は、広い敷地の家の庭先を借りて涼しい木陰で酒を飲みながら作業だったと記憶している。明治の頃は、実家の庭(少し広い)を精霊船作りに提供していたらしく、当時実家が酒屋を営んでいた事もあり、酒は不自由しなかったとは、精霊船つくりの年寄りの昔話。精霊船造りは、炎天下汗だくの半日仕事だ。船の名前は「西方丸」。油紙に「西方丸」と書いた帆をかかげる。初盆の家には、近隣や親戚から贈られた灯篭が座敷一杯に天井から吊り下げられている。だいぶ前までは、丸提灯だったが、今は切子灯籠に変っていた。15日の昼前に、贈られた切子灯籠を車に積んで(数が多いので、これが大変な作業だ)、出来上がった精霊船に灯籠の飾り付けが始まる。切子灯籠なので、灯籠同士が絡まらないように、またお世話になった人の優先順序に従って、精霊船の先頭から順番に灯籠を取り付ける。まだ、日中の暑い盛りの作業で、飾る灯籠の順番を確認しつつ、ビッショリと付く汗を拭き取りながら、初盆の家の数に応じて、飾る灯籠の数を決める。初盆が一軒なら、船に飾る灯篭全部を初盆の家がだす、そのくらい切子灯篭を貰っていた。

担ぎ手は、近所や親類の若手が主に担当するが、兄弟で一番若いこともあり、担ぐことになった。集まる担ぎ人には、ビールが出されるので担ぐ前から疲れてしまう。町内会会長の合図で動くことになるが、結構の重さだ。担ぎ手の「ナマイドー(南無阿弥陀仏)」の掛け声の中、精霊流しの集合場所に行く途中、初盆の家で一度立ち止まり、また酒がでる。流し場までの道中、約1㎞ほどあるが、「ナマイドー」、「ナマイドー」と繰り返しながら進む。精霊船には初盆の家や近所の家から提供される盆の供物も一緒に積み込む。また、船の舳先から横に設置してある、竹製の線香立てに線香を立てる。以前は、丸提灯だったこともあり提灯のローソクに火が入ると、担いだ精霊船が大きく揺れるに伴い提灯も揺れる。運が悪いと、提灯に火がつくこともあったが、今の切子灯籠になってから担いでいても灯籠の揺れが少ないようだ。

市役所で事前に決められた指定の洗切波止場に、地区の精霊船が集結する。
早く着いた順番に満潮時の海に流す。有明海は遠浅なので、満潮にならないと船は沖に出せない。精霊船の数は約10隻位だったと記憶しているが、洗切波止場に着くと既に暗くなり、着くと同時に爆竹が破裂する。爆竹は、精霊船が着くごとに鳴らされ、終了するまで続く。満潮になり潮が寄せてくると、レコーダーのマイクから読経が流れ、精霊船は岸辺を離れて、西方浄土に向けて静かな暗闇の海面に流される。海に入ると、漁師の船で沖合まで曳航し、暫くは沖合に止めるようだ。その後、精霊船は浜一か所に集められ燃やしてしまうと聞いた。自分が小さい時代は、地区ごと集めることはせず、町内毎の決めた場所から、若手が泳いで沖まで精霊船を連れだし、その後漁師の船で沖合まで引航していた。満潮から引潮にのって、精霊船は可なりの沖合まで流れ、熊本近くまで辿り着く船もあったようだ。夜の沖合に、何隻もの精霊船が灯籠に灯をつけたまま、漂流している姿は幻想的だ。満潮時の潮が打ち寄せる音と、海の砂には青く光る生物が波の動きに同調して動く様子は、まことに持って幽玄の世界だった。

大堤防ができた後、砂浜は無くなってしまったので、この光景はもう見れないが、以前は暫く船をそのまま漂流させていたので、翌日の満潮時には近くまで精霊船が何隻か流されてくる場合がある。これが、泳いで行ける場所にあるので、格好の遊び場だった。こうして盆は終る。
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