「 Harley-Davidson USA HPより」
ハーレーは2006年まで21年間売上を伸ばし続けた。2007年からはアメリカ国内の売上減少によりトータルでの売上は減少しているが、アメリカ本土以外の地域では、売上は依然として堅調に推移しているようだ。今、世界でもっとも収益性の高い二輪メーカはハーレーダビッドソンだ。今期、ホンダ二輪の第一四半期の営業利益率は13.6%、ヤマハ二輪の上期営業利益率は5.1%、スズキ二輪の第一四半期の営業利益率は0.4%で前年度より好転、カワサキの第一四半期の営業利益率は0.5%で前年度よりわずかに悪化、ハーレーダビッドソンの第一四半期の営業利益率は14.2%を確保し前年度より大幅に好転(各社のHPより)。日本各社の収益源が東南アジアに移ったのに対し、ハーレーダビッドソンのすごさは、世界各国で好調で、しかも米国販売台数は前年度比+26%と、まさに先進国での二輪販売はハーレーダビッドソンの一人舞台と言ってよい。
そこで、ハーレー好調理由の一端を、公表されているハーレーダビッドソンの販売戦略やアナリストの分析から探してみた。
『ハーレーダビッドソン米国本社: ミッションステートメント』
■私たちは、選ばれたマーケットセグメントの中のモーターサイクリストたちをはじめとする多くの人々に対して、
ハーレーダビッドソンブランドの名にふさわしい充実したモーターサイクルラインアップと豊富な商品群および
質の高いサービスを提供してゆくことによって、モーターサイクルライフの充実という夢をかなえてゆきます。
『ハーレーダビッドソンジャパン(HDJ)』の販売戦略
■ハーレーの3BEAUTIES戦略
*SMALL IS BEAUTY
*SIMPLE IS BEAUTY
*DIFFERRENT IS BEAUTY
■ハレーダビッドソン「心」の10の楽しみ
◆ハーレーのキャッチフレーズ
「心」・・・感性へ訴求・顧客視点
「個」・・・One to One
「原点回帰」よりハーレーらしく
◆ハーレーダビッドソン「心」の10の楽しみ
「乗る」・・果てしなき道、冒険への旅立ち
「出会う」・ハーレーのある所仲間は集う
「装う」・・自由と誇りを身に付けて
「創る」・・世界でたった一台の分身
「愛でる」・私の安らぎ、愛車との語らい
「知る」・・好きだから、極めたい
「選ぶ」・・夢を満たす選択
「競う」・・レースは他人事だった、ハーレーに乗るまでは
「海外交流」夢は海の向こうまでも
「満足」・・ハーレーに勝るもの無し
■元HDJ代表取締役の奥井さんのコメント
*我々のやってきたことは極めて常識的なもので、その範囲を超える新奇の発明に類するものも、
ましてや革命的なものはない。 強調しておきたいのは「まず挑戦ありき」の姿勢をとってきたことは全くないという点。
*CRM(カスタマーリレーショナルマネジメント)の実現」ということで、「絆づくり」。
*小さな超一流企業をめざして実践した。
・悩んでも仕方のないことを悩まない
・比較からモノを考えない
・挑まない、同じことをやらない
・価格で売らずに価値で売る
・経営の原点である顧客満足で勝負する
『ハーレイに関するアナリスト分析』
ハーレーの成功事例についてのアナリスト達の分析から面白い分析をピックアップしてみた。
■ハーレーのとった戦略は結果的には素晴らしい。それでは、なぜ結果的に明確な違いを伴う戦略になってしまったのだろうか。
高性能を追求した日本車の成功により、伝統的であるハーレー独自のポジションが「創発」されてしまった。
ハーレー乗りはオートバイに機能や品質の高さを求めたりしない。
■ハーレーの特異なところは、古すぎるところが帰って新しく、本物なんだよ。
■世の中変化しているのだから自社も変化するのが当然で、変化しなければ時代に取り残されてしまう。
世の中変化しているのだから変化しないことが変化することになる、というのはパラドックスであり「安定の理論」が働くのは
むしろ例外と考えた方がよい。
全面的な「安定の理論」が働く会社になるか否かは時代が決めることであり、現時点(その時点)では予測不能。
成功は意図的に創られることもあるが、、偶然に創られることもある。
■米国におけるホンダの成功や、創業1903年のオートバイメーカーの老舗ハーレーダビッドソンの復活は「塞翁が馬」という
中国の格言を連想させる。
成功の原因が失敗の原因となり、その失敗の原因が今度は成功の原因となることもあるので企業間競争は予測不能なところがある。
■ハーレーは製品だけではなくライフスタイルを売った。売ったのはハーレーのある生活である。
■「ライフスタイルを売る」と言う販売戦略はハーレー独自のものではない。
オリジナルはファッション・ブランドのラルフローレンである。
ラルフローレンが1960年代後半に世に出て来た時、彼は斬新な販売戦略をとった。
衣類だけを売るのではなく「ラルフローレンのある生活」を多くの消費者に提示したのである。
所ジョージも指摘していたがアメリカのブランドは「製品だけではなく背景を売らないと売れない」のである。
■50CCの二輪車の市場は縮小しており、これは世界的な潮流である。
移動手段としての二輪車は、豊かさに伴って4輪車にシフトして行く。
しかし、ハーレーダビッドソンのある素晴らしい生活、楽しみ方という事を売るライフスタイル・マーケティングであれば、
市場に大きな可能性がある。
■アメリカでそれほどクルーザーが支持されている理由はたくさんある。
例えば、いまのクルーザーの基本的なデザインは、1920年代にはすでに完成していた。
Indianやハーレー・ダビッドソンの手による製品群は、第二次世界大戦ごろまで世界的な影響力をもち、多くの模倣を生み出す。
それから時代は変わっても、現在に至るまで一貫してあのスタイルの製品を提供してきたメーカーがアメリカに常に存在してきた
こと。それが理由の一つ。
■広大な土地柄、地平線まで続く直線道路はめずらしくなく、直線道路を長距離走行するとなれば、クルーザーかツアラーが有利と
いうことになる。 バイクの機能と国土が適合的というのも、理由の一つ。
■より重要なのは、ライフスタイル。
クルーザー乗りのスタイルは、Tシャツに革ベスト、ジェットヘルにサングラス。
このスタイルは、1960年代に非合法活動で悪名をとどろかせたバイカー集団Hells Angelsで一般的だったもの。
時代は変わって、Hells Angelsもほとんど非合法活動をしなくなったが、そのスタイルにまつわるワルっぽいイメージだけは
今に息づいている。
さまざまな規制に管理された日常を抜け出し、自由を謳歌したいというとき、このちょいワルなスタイルが一つの手がかりに
なるということだろう。
男も女も、クルーザー乗りはみょうに体格がいい。
マッチョがクルーザーを選ぶのか、クルーザーに乗るためにマッチョになったのか。
■非日常として旅を求めるアメリカの心性を指摘しなければならない。
バイクを使って日常を抜け出すとなかで、特に長距離の旅に出ることに対して、
「フロンティア・スピリットの実践」「自由を求めての挑戦」といった特有の意味づけがあるようだ。
そして、アメリカで長旅に出るとなれば、やはりクルーザーかツアラーだ。
■ハーレー・ダビッドソンは1981年に再生して以来、さまざまな経営戦略を展開し、つねに好調な販売を維持し続けてきた。
その手法の一つが、バイクを売るだけでなく、バイクの楽しみ方を紹介するというマーケティング方法。
バイクを通じて、アメリカのライフスタイルを、そしてアメリカの夢を売る。
■「アメリカのバイクといえばクルーザー」という環境を作り上げ、市場を形成し、人々の消費意欲を掻き立てる好循環が成立して
いる。
こうして見ると、ハーレーダビッドソン米国本社の「 ミッションステートメント」の特異点は、「質の高いサービスを提供してゆくことによって、モーターサイクルライフの充実という夢をかなえてゆきます」と、二輪を中心に置いている事ではないだろうか。日本企業の「総花的なミッションスタートメント」に対し、ハーレーは「モーターサイクルライフの充実という夢をかなえる」と明確にしている。しかも、二輪ライフの充実という文言の意味するところは大きいと思う。しかし具体的な戦略となると、HDJの販売戦略は日本メーカ各社が取っている販売戦略と格段に違うところは見当たらない。またHDJが力説している顧客と接点をみても、日本のメーカが取っているものと程度の差はあれ、格段に優れたプログラムではなさそうだ。奥井元社長がコメントしているように、極めて常識的な手法を取っているだけのように思われてくる。例えば、ツイッターのフォロー数をみても、カワサキが6,021人に対しハーレーは490人で圧倒的に少ない事からもわかる。
それでは、何が日本の二輪メーカと違うんだ。
趣味性の高い乗り物は製品単体だけでなく、魅力的な背景から売らないと駄目だと言う事ぐらいは誰でもわかる。
特に日本は非常に成熟した二輪マーケットであり、もはや単なるブランドでは売れない事ぐらいもわかる。
日本の二輪企業は「ブランド・アイデンティティ」と言うのが非常に曖昧である。
日本車と言うのは性能を追求することが至上命題であり、常に新しい機構を採用することで進化を遂げてきたからである。
伝統を守ることよりも技術革新に重きを置いていた。
この事が、ハーレーダビッドソンとの対比においての、絶対的な差異なんだろう。
ハーレーはハーレーが持っている背景に大きな要素があるのだろう。
今も昔もハーレーこそ強いアメリカ、豊かなアメリカの象徴なのである。
今のハーレーは決して低性能ではないがその性能もテクノロジーではなくアメ車と同じように大排気量にモノを言わせている感は否めない。テクノロジーや信頼性、経済性や費用対効果に関しては当然、日本製のオートバイには叶わなかった。日本の二輪メーカーもハーレーの市場に食い込むべく80年代からアメリカンVツインのオートバイを続々投入したが、日本製アメリカンが如何にその完成度が高かろうと安かろうと「本物」ではなかったし、また、日本製アメリカンはオートバイのスタイルを売ることはできてもハーレーのもつアメリカの背景や泥臭い匂いまでは売ることはできなかった。ハーレーにはアメリカの歴史や強大なアメリカの背景があるが、シャドウやドラッグスター等に大きな背景はなかった。繰り返しになるが、ハーレーには「本物の匂いがする」が、シャドウやドラッグスターには「本物の匂いがしない」と、ユーザーが嗅ぎ分けたのだろう。
もうひとつ考えてみた。
それは、「ハーレーは無法者ライダーから、歳をとりつつある社会的地位にあるRich Urban Bikerにターゲットを変えた」とある。無頼者達の象徴的存在として、ハーレー本体の意図とは裏腹に不逞の薫りをもつバイカーカルチャーをハーレーは上手く利用した。アウトロー達に歩み寄った。Rich Urban Bikerのもつ心の奥に入り込んだ。そして、更に多くの真のアウトローやエセバイカー達を惹きつけていく戦略をとったのではないか。それは、大きく力強いというハーレー特有のマシンをもって休日に仲間が集うシーンを造りだし、強いアメリカの象徴であるマッチョ的な魅力を惹きつけていく。アメリカ煙草メーカB&Wの「ラッキーストライク」のイメージそのものだ。
以前のブログで、佐藤優はアメリカを「西部劇の保安官とドラエモンのジャイン」と表現したが、強いアメリカの象徴とアウトローへの憧れの二面性をもつハーレーは、アメリカそのものだろう。人間の本質にある今の自分と変りたい欲望、それを上手にできる手段をハーレーはもっていた。アメリカでのハーレー顧客の多くは保守的なユーザーが多いことも頷ける。つまり、ハーレーには「バットマン」と「ジョーカー」が混在しているのではないか。少なくとも、明るい感を漂わす日本のアメリカンVツインには、それを感じることが出来ない。
経営講座に良く活用されるHDJの戦略がよかったのではなく、ハーレーが持つ独特の背景を上手く活用しただけなんだと思えてくる。
「2012 Harley-Davidson 」
「ブランドの必然性」、これが求められている。
これに明確な答えが出せなかったら、景気が悪くなった日本や欧米では二輪など売れないかもしれない。
日本は技術志向の強い二輪を生産・開発するのが得意だ。
されば、景気回復が遅れている世界状況の中では、技術志向の強いバイクにブランドの必然性を構築していかないと、
早晩、欧米においては日本製二輪は凋落の道をたどることになる。
二輪は、自動車と同じ様な、安全性、静粛性や快適性、あるいは燃費等の追求しても限界がある。
確かに排ガス規制や騒音規制の施行によって馬力やスピードなど絶対性能の追求は難しくなった。
先進国ではもはや多くのユーザーは絶対性能の追及を望んでいないのかもしれないし、
最低限の性能があれば、スタイリングでありテイストであり経済性を求めていると言う声もあるが、果して本当だろうか。
そして歴史或るメーカーは自社のオリジナリティつまりブランド・アイデンティティを大切にしている。
これがないと他社の製品と差異化が図れないからである。
されば、日本の二輪メーカが得意とする技術志向を前面に押し出す事をブランド・アイデンティティとするのであれば、
もっと強烈なパワーを叩き出す性能をもった二輪車を世に問う必要がある・・・BMWやAudiのように。
あるいは、技術志向を最も具現化した二輪に「本物」の烙印を押せる背景を造成したらよい。
次の時代には、危険な不逞の薫りをもつバイカーカルチャーをもった二輪を市場は求めているという前提が必要だが。
一方、ヤマハやホンダは、欧米の景気が悪くなると、新興国へ販売のシフトを移し資源を投入し開発と販売を強化した。
変り身の軽さ、レスポンスの良さ、これが投資家に評価される要因だと思う。
欧米の景気が回復すれば、再度欧米に資源を移すことぐらい簡単な事だ。
だから、ホンダやヤマハは、ハーレーやドガッティのようなブランドの強力さは無くても、巨大二輪企業として君臨し高い収益を誇る。
これがヤマハやホンダのブランドだから、ハーレーやドガッティのような特異なブランド・アイデンティティを作る必然性がない。