秋場所11日目、残り4日。
この日の大相撲も後味が悪い相撲を二番見せられた。
「日刊スポーツ」 一つは稀勢の里対逸ノ城の相撲だ。稀勢の里の立会はそんなに悪いは思わなかったが、しかし逸ノ城に立ち合いから攻め込まれ、先手を取られると、土俵際でも力なく押し出された。逸ノ城のツッパリをまともに受けると一歩二歩と下がって、三歩目には土俵を割った。何なんだと一瞬思ったが、NHK解説の芝田山が上手く解説しており、「心と体が別々に動ているから、力が出ない」と。その前日、10日目にして勝ち越しが決定し、多くの相撲関係者から引退の二文字が消えた。これからは引退を気にする事がないので、稀勢の里は本来の力強さを発揮するはずとの楽観論がネット上に出ていた。そうなればいいなーと思ったその日の相撲は、今場所負け越し寸前の逸ノ城に簡単に押し出されるという失態を見せたのだった。力強く変身するのではなく、全く逆の心と体がバラバラとなってしまった。稀勢の里に常々指摘されてきた”蚤の心臓”が出てきたのだろう。
稀勢の里が取りこぼすときは、決まって立ち合い負け。プレッシャーで集中力が途切れ、ふわっと立ってしまい、腰高で何もできずに土俵を割る。逆に集中しているときは強い。低い立ち合いで相手を圧倒し、左を差す。だから、立会いが上手くいかず行司待ったがかかると、一瞬不安そうな顔がテレビ画面から見て取れるが、そういう場面では負ける確率が高い。一瞬迷って、心と体とうまく機能しなくなったのだろうと思うが、昨日の逸ノ城との相撲は立会いは悪くはなかった。が、なんに気落ちしたのか、逸ノ城の三発に簡単に土俵を割った。土俵下の稀勢の里は気落ちしたのか、不安そうな顔に戻っていた。
二つ目は白鵬と高安の相撲。執念の差と言ってしまえば終りだが、「何なんだ」この一番は、と思わせる後味の悪い一番だった。
NHKによると、「立ち合いの駆け引きで勝負はほぼ決したといえる」とあった。2度の待った後、3度目、自分の立ち合いをした白鵬に対し、立会い不十分の高安はその動きに合わせてしまった。全くの消化不良の横綱・大関の相撲だった。1度目の立会い、高安は普段通りの立ち合いに白鵬が合わせようとしない。これで気後れした高安は2度目の立合いに合わせようとするが、白鵬が合わせないまま待った。3度目は、白鵬が自分の間合いだけで素早く立ち、高安はまだ仕切りの途中で、中腰状態の高安を右で張り、続けて体当たりで高安は尻もちを付いてしまう。白鵬が呼吸を合わせて居れば、高安は土俵上で尻もちをつかず土俵の外に飛ばされているはずだが、土俵上に尻もちをついたのは明らかに高安は仕切りの途中だったのだ。優勝戦線を占うはずの、全勝白鵬と一敗の大関高安の相撲はわずか一秒で決着し、極めて後味の悪い一番だった。それにしても、両者立会い不十分で、しかも高安は仕切りの途中で中途半端な状態なのに、行司はなんで行司待ったを掛けなんだろうと不審に思った。だからか、NHK解説の北の富士は「つまんないの」。確かにその通りだ。
そうこうするうちに、ネット上にはこんな声があがった。
「白鵬の駆け引き?、醜いです。結びの一番、横綱と大関、全勝と一敗の対決だと言うのに!白鵬のこんな相撲を許している行司さん、土俵下の審判さんたち、恥ずかしくなかったですか?日頃立会いを厳しく指導しているのに…白鵬だけ治外法権ですか。解説の宮城野親方も恥ずかしくなかったですか?」
「同感 相撲に対する興味が無くなるね! 白鵬は狡い!醜い! 横綱として、いくら勝っても存在価値が無い!」
「これって駆け引きですか? ただ卑怯にずらしているだけ。横綱なら正々堂々と下位のものを受け止めるべきでしょう。横綱の品格なし!」・・・等々、長々と続いていた。
今迄の白鵬の相撲に多くの非難の声がメディアや一般の相撲ファンから聞こえてきた。例えば、2年前の夏場所の出来事を、SANSPO.COMは「これが横綱か!白鵬、目潰し&変化…品欠く星で全勝ターン/夏場所」と伝えていた。
『大相撲夏場所中日、横綱白鵬が関脇琴勇輝を押し出し8連勝で勝ち越しを決めた。左で張って変化したように見えた立ち合いに、館内は大ブーイング。同じく初日から8連勝を守った大関稀勢の里とは対照的な荒っぽい内容に、罵声も飛んだ。 歓声は、一瞬でエッという驚きと不満の声に変わった。勝負が決まったあとも、ざわめきが止まらない。ブーイングと、不満を訴える罵声-。そんななかで白鵬が8連勝で、勝ち越しを決めた。「下から攻めようと思っていた。あまり覚えていない」、立ち合い、張り差しのように左手を琴勇輝の顔の前に差し出す。すかさず右腕で相手の左腕に強烈エルボー。はじき飛ばすと体を開き、左右ののど輪で押し出した。最後はダメ押ししそうなところで、両手を挙げて“無罪”をアピール。しっかりとダメ押しを止めた? と問われて「そんな感じですね」とうなずいた。立ち合いの張り手は目つぶしのようで、変化したようにも見えた。場所前に審判部から立ち合いの厳格化が指導され“相撲美”を見直している場所なのに…。NHKで解説を務めた舞の海も「反則ではないんです。ただ、それをしないところに横綱の高い精神性が表れるわけですよ。多くのファンが横綱には勝ち方を求めていますから」と注文をつけた。 先場所の千秋楽は、優勝を決めた結びの一番で横綱日馬富士に対して立ち合いで変化した。「勝ったらなんでもええんか!」とヤジが飛び、優勝インタビューで涙を流したのだが-。そこまでして勝ちたいのか。それとも、そうまでしないと勝てなくなったのか』と書いてあった。
白鵬の横綱相撲にはがっかりする場面が多すぎると感じてきた。例えば、当ブログの昨年1月にこう書いている。
『昨日(18日)の大相撲、白鵬の相撲に、またしても拍子抜けするどころか諦めた心境になった。もうみるのも嫌だ。新聞の見出しは「横綱・白鵬また奇襲、右手で栃煌山に「目隠し」。先場所の白鵬の「猫だまし」の次が「目隠し」の注文相撲。立会いの「目隠し」で制すると右に変わって送り出し。すると、さっそく観客の桟敷席から大ブーイング。横綱が勝つと普段は大拍手が起こるものだが、逆現象。「モンゴルに帰れ」との声が出る一方、「変化ではない。頭を使わないと。相撲は力比べではない」と白鵬は意に介せずと新聞には書いてある。相撲は大好きなので、早くからテレビの前に座り観戦しているが、白鵬の相撲は見るのをパスしたくなど情けなくて残念な気持ちになる。
相撲ファンが見たいのは、挑戦者の格下に力を出させた上で、圧倒的力量でねじ伏せる横綱だ。その役割を大横綱は宿命的に背負わされており、そのための努力が横綱の責務である。それが出来なくなったら綱を返すべきだと相撲ファンは思っている。白鵬は「相撲は力比べではない」と言う。それは正しいが、下位力士との立会い時の奇襲は単に相撲から逃げた、ごまかしにすぎない。がっちりと受けとめて、そこから相手の力を上手く利用したり、あるいは相手の力を削いで勝ってみせることこそ、「相撲は力比べではない」と言える。我々が大相撲を見るのは、ただ勝つことのみに執着する相撲を横綱に求めるのでは決してない。白鵬には相撲ファンが求める「横綱の品格」が全く感じられない。
白鵬は何かと言うと、双葉山の”木鶏の話”や最近は”後の先”をよく使う。だけど、少なくとも、目くらましの奇襲は”後の先”の対極にあるもの。 金星を狙って、あらゆる秘策、奇策を総動員して向かってくる挑戦者に、正面から受けて立つ。相撲ファンが横綱に望むのは、そんな大勝負であるはず。かって朝青龍はヒール性を前面に出し、勝つ事のみが正義だと相撲をとっていた。これはこれで朝青龍の人気要因だし相撲ファンもそう認識していた。白鵬の相撲には朝青龍に似たヒール性が覗き見えるのに、相撲界の至宝である大鵬や双葉山を持ち出すから、ファンには受け入れ難い。今の大相撲界で白鵬は第一人者たる実力を持っているだけに、勝ちたいばかしのこうした拍子抜けの相撲を取るのが残念でならない。例えルール違反ではないとしても、判断するのは一相撲ファンや相撲には縁のない一素人なのだ。立会いの奇襲はルール違反でないとしても、それを判断するのは我々相撲好きな素人だ。確かに40回優勝は記録に残るかもしれないが、強い横綱だったという印象ではなく、勝つためには何でもする横綱だったなーと言う印象を我々日本の相撲ファンはもってしまうかもしれない。