今日9月30日、秋場所優勝の正代が大関に昇進した。
「NHK」
秋場所の正代の凄さをテレビ観戦し、あの圧倒的強さは大関以上の力強さを感じていたので、大関昇進は当然と言えば当然だと思う。NHKの報道には、元大関 豊山で先々代の時津風部屋の師匠の内田勝男さんが伝達式に訪れ「東京農業大の後輩でもあるし、いい機会を作ってくれてうれしい。まっとうな相撲で、立ち合いでこそくなことをしない基本に忠実な相撲は、双葉山関の時津風の師匠の教えがそうだった。今のような質実剛健の姿勢を貫いて、これからも大きく成長してもらいたい」と喜びを語るとともに、正代に一層の活躍を期待しているとあった。東京農業大出身の元大関 豊山の相撲は良く記憶しているので、しかも熊本出身の新大関には期待すること大だ。
最近の大関昇進は、今年3月の朝乃山、昨年の貴景勝以来だが、本当に実力のある3力士が大関昇進したことで、この3大関が中心になって優勝を争えば大相撲もますます面白くなっていくと期待している。新大関正代について、もう少し欲を言うと、腰高がほんの少し、また立合い時ほん少し頭で当たったら、もう少しカチアゲを多用したらと、本当に敵なしと思うが、それがまた難しい課題なんだと思う。と言うのは、ほんの少し前、一年前の正代の相撲をよく覚えているが、それからすると大きく変貌して強くなったのだから、課題は分かってもそう簡単に解決できないのだと、そのくらい大相撲は難しいものだと思う。確かに、ほんの少し前の正代と言えば、、半開きに口を開け、立会に一瞬遅れ、胸を出しあごを上げる立ち合いで、押されて大きくのぞける。その立会いに相手有利な態勢に持っていかれ、力を発揮できずにいた。体格だけを見るとまさしく横綱級、なのに、これが熊本出身とアナウンスされる度に、何とかならぬかと、同じ九州の熊本出身で無ければ、立派な体格を持て余すダメな力士をこうも気に掛けることのないのに、何時も気に掛けていた。それがだ、この数場所、鋭い立ち合いで、これがあの正代かと、とにかく絶好調が続いる。しかし、今もって、土俵下の控えで、爪を噛むようなしぐさを見せたり、何時もソワソワしてどっしり構えた相撲とりには見えず、それがどうだ、土俵に上がると、一変する。やっと、正代が優勝するまでに変貌しただけでも大きな進歩なのだと思う。
日本人大関と言えば、稀勢の里、貴景勝と、素晴らしい大関がいる。彼らに共通していることは、花道から登場すると場内の雰囲気が一変するのがテレビを介して十二分に感じられた。物怖じしない気の強さと、鋭い眼光、強い力士をものともしない飄々とした仕草に、ピーンとした緊張の空気が漂ったあと、歓声が場内に響きわたる。真正面から勝負に挑む、相撲のクリーンさ、そんな大関だ。単に相撲の白黒でなく、胸に伝わってくる相撲取り、それらは、我々大相撲ファンにとっては大きな魅力なのだ。一方、正代と言えば、最近でこそ、土俵上では最強の力士になったと自他ともに認められるようになったとはいえ、土俵下の控えで、爪を噛むようなしぐさを見せたり、なぜか手首のテーピングをいじったり、理由もなく顔を触る等、何時もソワソワしてどっしり構えた最強の力士だとは決して見えないが、なんだか親しみをもてる大関像を作っていくのかもしれない。何れにしても、現在、最強の力士であり、それは横綱に最も近い力士であることを意味している。そして、元大関 豊山で先々代の時津風部屋の師匠の話にあるように「まっとうな相撲で、立ち合いでこそくなことをしない基本に忠実な相撲は、双葉山関の時津風の師匠の教え」を突きとおして欲しいものだ。
「NHK」
秋場所の正代の凄さをテレビ観戦し、あの圧倒的強さは大関以上の力強さを感じていたので、大関昇進は当然と言えば当然だと思う。NHKの報道には、元大関 豊山で先々代の時津風部屋の師匠の内田勝男さんが伝達式に訪れ「東京農業大の後輩でもあるし、いい機会を作ってくれてうれしい。まっとうな相撲で、立ち合いでこそくなことをしない基本に忠実な相撲は、双葉山関の時津風の師匠の教えがそうだった。今のような質実剛健の姿勢を貫いて、これからも大きく成長してもらいたい」と喜びを語るとともに、正代に一層の活躍を期待しているとあった。東京農業大出身の元大関 豊山の相撲は良く記憶しているので、しかも熊本出身の新大関には期待すること大だ。
最近の大関昇進は、今年3月の朝乃山、昨年の貴景勝以来だが、本当に実力のある3力士が大関昇進したことで、この3大関が中心になって優勝を争えば大相撲もますます面白くなっていくと期待している。新大関正代について、もう少し欲を言うと、腰高がほんの少し、また立合い時ほん少し頭で当たったら、もう少しカチアゲを多用したらと、本当に敵なしと思うが、それがまた難しい課題なんだと思う。と言うのは、ほんの少し前、一年前の正代の相撲をよく覚えているが、それからすると大きく変貌して強くなったのだから、課題は分かってもそう簡単に解決できないのだと、そのくらい大相撲は難しいものだと思う。確かに、ほんの少し前の正代と言えば、、半開きに口を開け、立会に一瞬遅れ、胸を出しあごを上げる立ち合いで、押されて大きくのぞける。その立会いに相手有利な態勢に持っていかれ、力を発揮できずにいた。体格だけを見るとまさしく横綱級、なのに、これが熊本出身とアナウンスされる度に、何とかならぬかと、同じ九州の熊本出身で無ければ、立派な体格を持て余すダメな力士をこうも気に掛けることのないのに、何時も気に掛けていた。それがだ、この数場所、鋭い立ち合いで、これがあの正代かと、とにかく絶好調が続いる。しかし、今もって、土俵下の控えで、爪を噛むようなしぐさを見せたり、何時もソワソワしてどっしり構えた相撲とりには見えず、それがどうだ、土俵に上がると、一変する。やっと、正代が優勝するまでに変貌しただけでも大きな進歩なのだと思う。
日本人大関と言えば、稀勢の里、貴景勝と、素晴らしい大関がいる。彼らに共通していることは、花道から登場すると場内の雰囲気が一変するのがテレビを介して十二分に感じられた。物怖じしない気の強さと、鋭い眼光、強い力士をものともしない飄々とした仕草に、ピーンとした緊張の空気が漂ったあと、歓声が場内に響きわたる。真正面から勝負に挑む、相撲のクリーンさ、そんな大関だ。単に相撲の白黒でなく、胸に伝わってくる相撲取り、それらは、我々大相撲ファンにとっては大きな魅力なのだ。一方、正代と言えば、最近でこそ、土俵上では最強の力士になったと自他ともに認められるようになったとはいえ、土俵下の控えで、爪を噛むようなしぐさを見せたり、なぜか手首のテーピングをいじったり、理由もなく顔を触る等、何時もソワソワしてどっしり構えた最強の力士だとは決して見えないが、なんだか親しみをもてる大関像を作っていくのかもしれない。何れにしても、現在、最強の力士であり、それは横綱に最も近い力士であることを意味している。そして、元大関 豊山で先々代の時津風部屋の師匠の話にあるように「まっとうな相撲で、立ち合いでこそくなことをしない基本に忠実な相撲は、双葉山関の時津風の師匠の教え」を突きとおして欲しいものだ。