野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

またしても、久しぶりの歯医者(4月1日追記)

2024-02-28 06:45:48 | 日常生活
歯に違和感を感じたので2月27日、歯医者に行ってきた。

  
「3年振りとなっていますよ」と、歯医者がまた言った。
今日、歯の治療に掛り付けの歯医者に行ってきたが、3年も行かなかったので、少し苦情気味に言われた。前回歯医者に行ったのは、2021年の9月。その際、歯医者からは半年に一度は点検に来てくださいと言われハイハイと返事はしたものの、治療が済むとそんなことはとっくに忘れ、何か歯に異常を感じない限りは、積極的には歯医者に行こうとは思わない。結局、3年ふりの歯医者に行って、定期的に点検してくださいねと、また注意を受ける。

最近、奥歯が虫歯になったような感覚があり、時々わずかに染みることがあった。常に染みるのか言うとそうではなく、何かに拍子に虫歯にかかったような染み方で、それでいて冷たい水でうがいしても染みることはない。なんでかわからんが、何かの拍子に虫歯が染みるような感触がある。それに上下の咬み合わせも今一つで違和感がある。それで予約して近くの歯医者に出かけた。診察台に座るのは久し振りだ。

3年前と同じく歯の全周をレントゲンに撮る。
医者が言うに、レントゲン装置を一新したので、歯の根元までよく見えるようになったと説明するが、我々素人には映り方の差は全くわらない。歯を全数検査した医者が言うに、染みる箇所を含めどの歯にも虫歯や歯周病はないとのこと。歯が時々染みる原因は、加齢の依る知覚過敏 の現象だと説明してくれた。年取ってくると、歯茎が次第に下がってくるので、何らかの刺激が歯の象牙質の中にある無数の小さな管状から 歯の中央にある神経に伝わって歯が染みることがあるらしい。常に染みることはないのはそれが原因だそうだ。結局、その場所の周りをとがったピン等で歯垢を削り取り薬をつけた。その後は上下の噛み合わせをチェックし上の歯を少し削って終わり。次回は2週間後、上を歯を清掃してくれるそうだ。

虫歯や歯周病は全くないので歯磨きの仕方には問題なしとのこと。
加齢に伴い、紅茶や日本茶を常用すると歯が黄色くなるらしく(コーヒーではならないと説明があった)、定期的に歯医者で歯垢を取ってもらえとアドバイスを受けた。歯医者に行く前は、虫歯で歯を治療することになったら嫌だな、と二の足を踏んでいたが、加齢による歯の知覚過敏で違和感を感じたのだと説明を受け、内心ほっとした。

コンビニより多いと言われる歯医者の数、確かに、行きつけの歯医者の道すがらにも数件ある。しかも、予約制で次から次と予約患者が訪れ、治療をさばくのも実に要領がよく、待ち時間も少ない処を見ると、日本の歯の治療患者は多いんだろう。短時間の処置を繰り返すので最終的に終わるまでには数回歯医者通いが続くが、自前の歯を維持するためには歯医者の言う事を守るしかあるまい。

4月1日追記:
 その後、3月11日、4月1日、歯石を除去し、その上に知覚過敏の上薬を塗布して終了した。次回は4か月後の8月8日を予約した。
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福寿草も咲き始める

2024-02-26 06:35:56 | 
先週から冬に逆戻りで25日の日曜日は冷たい雨が降っていた。
それで、庭の福寿草は大きく開いていた花弁を閉じてしまった。今年は相対的に暖かい日が続き、その証拠に、例年に比べ約2~3週間も早く、2月17日ごろにクリスマスローズが咲いたと23日の当ブログにも書いていたが、実はほぼほぼ同じ時期に福寿草も咲いていた。もう少し綺麗に写真と撮ろうと待ち構えていたが、その後外気温が低くなり陽も陰ってきたので結局写真を撮らずじまいとなっていたので、少し古くなったが、2月20日頃に撮った庭の福寿草を投稿することにした。
  
玄関脇にある福寿草の芽が出ているのに気がづいのは1月27日。昨年は10個を超える花芽だったので、次第に増えつつある。福寿草は春一番新年を祝う花として、「福を招く」、縁起の良い花としても喜ばれ、福寿草の名ができたそうだが、いよいよ春の到来の一歩手前、良い季節が始まる前段階、始まる。
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「師匠としての素養、自覚が大きく欠如している」との判定

2024-02-24 06:32:00 | スポーツ
ここには「日本相撲協会は23日、東京・両国国技館で臨時理事会を開き、宮城野親方(元横綱白鵬)に2階級降格と減俸3カ月20%の処分を課すことを決めた。弟子の幕内北青鵬が日常的に後輩力士への暴力行為を働いていたことが判明し、監督責任を問われた。委員から最下位の年寄(再雇用者の参与を除く)への降格となる。協会の処分は7段階あり、降格は解雇、引退(退職)勧告に次いで3番目に重い。  また同協会は文書で「師匠としての素養、自覚が大きく欠如していることが理事会で確認されたため、その対処として、3月場所は所属する伊勢ケ浜一門で宮城野部屋の師匠代行を任命し、師匠代行が宮城野部屋の監督を行うこと、4月以降は、伊勢ケ浜一門が宮城野部屋を預かり、師匠・親方としての指導・教育を行う(期間未定)ことを伊勢ケ浜一門と協会執行部とで検討、3月場所後の理事会で報告することを決定し、その旨、宮城野に通知した」と発表。異例の処分となった。」と書いている。

元横綱白鵬の宮城野親方に弟子の不祥事の管理監督不十分の責任を科せられた、というのは当然だと思うも、今回の相撲協会の沙汰は既報より厳しく、「白鵬は師匠としての素養、自覚が大きく欠如していることが理事会で確認され、その対処として、3月場所は所属する伊勢ケ浜一門で宮城野部屋の師匠代行を任命し、師匠代行が宮城野部屋の監督を行うこと」となっている。つまり、元横綱白鵬は相撲部屋の師匠として素養や自覚が大きく欠如しているので師匠としては失格だとの烙印を押されたと解釈できる。この不祥事によって産経新聞は「2階級降格なら「白鵬理事長」は絶望的に 弟子の不祥事で元横綱に下る異例厳罰の背景」とも書いている。

他の記事を読んでみると今の時代、相撲協会の沙汰は当然というコメントも多い。
過去、現役横綱時の白鵬の所作については、有る報道に「釈迦に説法、白鵬の耳に念仏、これが横綱だというのだから、世も末、土俵も末だ」だとあったが、全く同感で、 横綱時代に自身の取組に「物言い」を求めたり、優勝インタビューの後に万歳三唱を行ったり、張り手やかち上げなど横綱らしからぬ立ち振る舞いが度々、あった。

白鵬の横綱としての所作の悪さを更に言えば、また記憶に残っているが、6年ほど前のSANSPO.COMは「これが横綱か!白鵬、目潰し&変化…品欠く星で全勝ターン/夏場所」と伝えていた。『大相撲夏場所中日、横綱白鵬が関脇琴勇輝を押し出し8連勝で勝ち越しを決めた。左で張って変化したように見えた立ち合いに、館内は大ブーイング。同じく初日から8連勝を守った大関稀勢の里とは対照的な荒っぽい内容に、罵声も飛んだ。 歓声は、一瞬でエッという驚きと不満の声に変わった。勝負が決まったあとも、ざわめきが止まらない。ブーイングと、不満を訴える罵声-。そんななかで白鵬が8連勝で、勝ち越しを決めた。「下から攻めようと思っていた。あまり覚えていない」、立ち合い、張り差しのように左手を琴勇輝の顔の前に差し出す。すかさず右腕で相手の左腕に強烈エルボー。はじき飛ばすと体を開き、左右ののど輪で押し出した。最後はダメ押ししそうなところで、両手を挙げて“無罪”をアピール。しっかりとダメ押しを止めた? と問われて「そんな感じですね」とうなずいた。立ち合いの張り手は目つぶしのようで、変化したようにも見えた。場所前に審判部から立ち合いの厳格化が指導され“相撲美”を見直している場所なのに…。NHKで解説を務めた舞の海も「反則ではないんです。ただ、それをしないところに横綱の高い精神性が表れるわけですよ。多くのファンが横綱には勝ち方を求めていますから」と注文をつけた。 先場所の千秋楽は、優勝を決めた結びの一番で横綱日馬富士に対して立ち合いで変化した。「勝ったらなんでもええんか!」とヤジが飛び、優勝インタビューで涙を流したのだが-。そこまでして勝ちたいのか。それとも、そうまでしないと勝てなくなったのか』と書いてあった。

こうして過去を振り返ってみると、今回の相撲協会の決定に溜飲を下げている大相撲ファンが多くいると言うことだし、現役時代の所作の悪さをへきへきしてみていたという事なんだろうと思う。

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やっぱり暖かいのだ

2024-02-23 07:04:25 | 
2024年の冬、例年に比べ今年は実際に暖かくなっていると感じたことがある。庭の花の開花が早くなっている。
今年のクリスマスローズは2月5日頃には大きな白い蕾が見え初め、2月17日には咲いていた。例年だと、3月の初旬から中旬にかけて庭の気温が18、19度近辺になって咲き始めたと記録しているが、今年も既にそれに近い気温になっているんだと思う。で、今年の気温は、ここ神戸市西区で15~16度近辺だから、例年に比べ暖かく、しかも雨まで降ってくるのだから咲く条件は揃った。ところで以前は、赤、白の2種類のクリスマスローズがあったが狭い庭なので花を整理して、今は白色の一種類になっている。
  
  

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えっ、酒は百薬の長ではない?

2024-02-21 07:28:33 | その他
19日の産経ネット誌に「ビールロング缶1本以上で大腸がんリスク」とあった。
「厚生労働省は19日、飲酒のリスクや体への影響をまとめた初のガイドラインを発表した。・・・酒量より「純アルコール」の摂取量に着目することが重要としている。指針によると、大腸がんの発症リスクを高める飲酒量の目安は1日当たりビールロング缶1本に相当する約20グラム(週150グラム)以上などと例示。特に高齢者は体内の水分量の減少などで酔いやすく、飲酒量が一定量を超えると認知症が発症する可能性が高まる。また、10~20代は脳の発達段階にあり、多量の飲酒で脳機能が低下するとのデータがあり、高血圧などのリスクが高まる可能性もある。女性は男性よりもアルコールの影響を受けやすく、少量でも肝硬変のリスクが高まるという。・・・」と書いており、また20日の神戸新聞は「純アルコール量20グラムはビール中瓶1本や日本酒1合、ウイスキーのダブル1杯に相当。指針によると、1日当たりの摂取量として脳梗塞は男性40グラム、女性11グラムで発症の恐れが上がる。女性の乳がんは14グラム、男性の前立腺がんは20グラム」だとして、アルコール量20gの相当表をつけている。
 「神戸新聞」 

「酒は百薬の長」なり「酒は飲むべし、飲まれるべからず」として、中国の古来からタバコは百害なるも適量の酒は健康に良いという訓話があると聞かされてきたが、 今、厚生労働省は「酒は百薬の長ではない」と言う。気になったので酒の弊害を色々読んでいると、例えば「アルコールと健康」等を含め「酒は百薬の長」というのは嘘だという意見も多々ありで、アルコールはどんな微量でも毒なんだとして、「世界では毎年300万人がアルコールが原因で死んでいる。これは麻薬の17万人よりはるかに多い」という意見も出てきた。

厚生労働省の下知を読みながら、なるほどと思いながらも、そう簡単に飲酒量の制限ができるのかと、なんで今頃こんな記事を書かせるんだろうと思うが、一方、私個人的に言うとアルコール類はここ3年ほどは一滴も飲んでいない ので、逆に、良い時に良い記事を書いてくれたと納得している。3年前に弁膜症の手術で2週間弱入院した前後から、アルコール類は一滴も飲んでいない。アルコールが原因で手術を要したとも、医師から酒は止めた方が良いと言われた訳でもない。つまり、酒の量と弁膜症とは全く関係ないのだが、それまではほんの少量の焼酎をそれこそ365日毎日飲んでいたが、2週間弱の入院中、一滴も酒を飲まないでいたら、何も不機嫌になることなく、また口が寂しいこともなかったので、飲まなくとも何ともないんやと妙に納得したので、それ以来、酒は飲んでおらず、高齢者は飲酒量が一定量を超えると認知症を発症する可能性が高まると解説されると尚更、厚生労働省の意見には素直に理解できた。

とは言っても、現役の頃は酒の付き合いは悪くはなく、人並みに飲めたので、海外に行っても現地のアルコール度のかなり強い、例えば40度近辺の酒、それもジャガイモからとかトーモコロコシから作った酒を飲んでみたり、また40度の焼酎の古酒を飲んでみたりもした。もっと大昔は、ウィスキーやブランディなどの洋酒は40年以上前の昔、若い頃は、たびたび飲んでいた。ロックにしたり、冬場には砂糖入りのお湯割りウィスキーにしたりで飲んだ事もあるが、その期間は短く、安い酒しか買えなかった事こともあるんだろうけど、洋酒の旨さ加減は良くわからずじまいだった。ワインも時々飲むが、我々みたいにワインの素人には、値段と旨さ加減は比例してしているように思えて、積極的にワインを飲むことはない。

結局、長い間飲み続けた日本酒や焼酎が最も体に合った。九州にいる時は殆ど日本酒で熊本滞在時焼酎を飲み始めた。その後は日本酒をメインに飲み続けたが、酔い潰れた時の悪さ加減が日本酒はきつく、その点、焼酎はあっさりして良い。しかも体調や懐具合に応じて湯量加減を調整できるので、これでまた酔い。で、ここほぼ25年以上は、焼酎のお湯割りの焼酎少なめで飲み続けていた。焼酎は値段と旨さ加減との差が非常に少なく、どこの銘柄でも米であろうが、麦、芋、ゴマ、四国の栗、旨さに差なし。でも、39度の焼酎はそのままを少し口にいれるときの とろ~っとした舌触りは素晴らしく、3~4倍に湯加減調整しても舌触りと旨さは変わらなかった。やっぱり焼酎が一番!と感じ入りながらも、アルコールを一滴も入れなくなった、今となっては、大昔の単なる感傷でしかない
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ほぼほぼ出来上がり、晩白柚の砂糖漬け

2024-02-19 06:27:49 | 日常生活
先日、「晩白柚の砂糖漬けに再挑戦」と報告したが、その際、まだ水気がとんでいない感じだったので、出来上がりのイメージ目標を外はやや硬く内側は柔らかく、あと数日、外の陽に当てて乾燥させると完成に至ると思うと書いた。

それから3日、昼間は外に出して陽に当て乾かす作業を継続した。
当初、晩白柚ほ一片を乾燥すると小さくなるだろうと思い、大きな一片に揃えていたが、これだと同じ時間内に並べてると、乾き具合に開きが出てきたので、大きな一片は真ん中に包丁を入れて半分に小さくして干した。すると、乾き具合は同じ程度に纏められたけど、目標とした、外はやや硬くはもっちり感のある柔らかさ、例えば小城羊羹のようにはならず、一挙にやや硬めになったので、干すの止めてそのまま食べごろの大きさに切り分けタッパにいれ保存することにした。これで多分、冷蔵庫に入れなくとも半年は持つと思う。晩白柚もそうだが、ザボンの砂糖漬けの持ち味は、その苦味と甘さ加減のバランスだと思うが、その点でいうと及第点だと自画自賛している。
  
  
 
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バラの剪定

2024-02-16 06:56:33 | 
2月中旬の今週、昼間の気温もぐっと上がって15,16度で安定している。
庭ではお茶の花が咲き始めた。
 「お茶の花」

バラの花を中心に剪定したので、庭がすっきりとしてきた。
庭の「ローズデキャトルヴァン」と「ピエール・ドゥ・ロンサール」。毎年の春、一番最初に咲くのは「ローズデキャトルヴァン」。このバラの花は濃赤色の特徴的な花形をした大輪の花で、切れ込みが入り、多くの層からなって、雨上がりに甘酸っぱい良い香りがする。白地に淵がピンクの「ピエール・ドゥ・ロンサール」は 蔓バラの一種だが、これは最初から庭に植えたのが良かったのか良く育ち、満開の少し前ぐらいの蕾が綺麗でバラらしい。
左の「ローズデキャトルヴァン」右の「ピエール・ドゥ・ロンサール」ともによく育っているので、昨年の花満開時の大きさ(約2m前後)から約半分の大きさ(約1m前後)にバサッと剪定した。
下左は「イランのバラ原生種」、右は球磨川の「ツクシイバラ」でこれもバラの原生種で西洋バラの接ぎ木に良く利用されたらしい。共につるバラの一種で春先になると何れも大きく枝を伸ばす。イランのバラはまだ咲いたことがないが、先日のNHKBSで「サヘル・ローズが聖地・メッカを目指し灼熱の砂漠地帯を旅する」という番組の再放送を見ていたら、サヘルさんがサウジにあるイスラムの聖地「メッカ」の印象をバラの香りが一面に漂っていると解説していたので、花と香りを見て感じてみたいと毎年願っているが、良く枝を伸ばすも花が咲いたのを見たことがない。一方、九州熊本球磨川沿いに咲く「ツクシバラ」はほっとくと縦横に枝を伸ばし、惚れ惚れするぐらいの綺麗な花を咲かす。
 
昨年の春、西区の園芸専門店 で新しく買った四季咲きバラ「イブピアッチェ」と「シャルルドゴール」の2本。まだ背丈が30㎝程の小さいが綺麗な花を咲かすので、今年も期待。
これはハーブの一種で、剪定した。
 
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花の避寒

2024-02-14 06:41:16 | 
冬場のこの時期、いくつかの花は部屋の中に入れている。
寒さが増してきたので庭に置いている花鉢の避寒をどうしようと、まずは君子蘭を12月初めに部屋の中に入れた。この君子欄は寒さに弱く、冬の寒い時期に外の軒下に置きっぱなしにしていたところ、寒さで葉っぱが水脹れになり、且つ、猛暑時の置き場所にも失敗した経験もあって、寒さを感じると二階の廊下、ここは日当たりが一番の場所なので、君子蘭の避寒エリアとして確保している。
     
屋内に入れているのは、「マユハケオモト」も2鉢、和室に入れている。この「マユハケオモト」も神経質な花で気難しく、日当りや温度、水やり等、30年間余り変えていないかったが、今年初めて和室の机に移動すると花は咲かなかった。あと数点の花が和室を占拠している。
 
   
           
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晩白柚の砂糖漬けに再挑戦

2024-02-12 07:25:30 | 日常生活
昨年末、「晩白柚(ばんぺいゆ)」が九州人吉から送られてきた。
芳香が出てから食した方が良いとあったので、一個を娘に渡し、残り一個はそのまま保管し続け、甘酸っぱい香りがしてきたので先日、食べた。「晩白柚」とは直径21~22㎝程の巨大なザボンだ。故郷島原では普通サイズのザボンが良く栽培されており、スーパーの店先や土産物屋でも 3、4個をネットに入れて普通に販売しており、また、生家にもザボンの樹が2本ほどあって、年末頃になると島原から送付されてきたので良く知っている積りだが、それにしても、こんなにどでかいザボンは滅多に見ることはない。晩白柚もそうだが、ザボンの類の栄養は豊富で、特に果皮に多くが含まれているようだ。
 
箱に添付されている説明書きには、「果肉と果皮、1個で2度おいしい優れ物」とあって、果肉を食べた後は厚い果皮を砂糖漬けにした「ザボン漬け」として利用すると良いと書いてある。 ところで、ザボン漬けと言ったら、故郷島原の銘菓に「ざぼん漬け」という、ザボンの厚い果皮を砂糖漬けしたお菓子がある。少々苦味を残すお菓子だが、一片を食べると、真に旨く、その苦味と甘さ加減のバランスが高級品にはあった。いつも買っていた安物には、その苦味が少なかった記憶がある。だからと言うわけでもないが、上等に包装された「ザボン漬」より、切れ端だけを集めて売っていたものをよく買った。それを毎日少しづつ食べると旨い。で今回も、「晩白柚」の果肉を食べたあと、「ザボン漬け」の作り方も説明書に書いてあったので、前回トライの反省を込めて、再度トライしてみた。目標は下記のような「島原の観光案内にあったザボン漬け」で、こんなに旨そうな出来上がりを目指す。
  
前回の反省点は一つ。故郷のザボン漬けにあった、「苦味」をいれること。前回は作り方を知らず、単に能書きに書いてある通りに作ってみたが、販売してるような色付きもなく、また肝心の「苦味」が全くなかった。

まずは果実と果皮の切り出しからスタート。これは前回も一緒。
    
頭部分を水平に包丁をいれ、そこから放射状に形状に沿って切っていく。兎に角、ぶ厚い果皮に包丁は気持ち良いようにすんなり入る。包丁を入れた途端、特有の香りが部屋中に漂う。果肉はそのまま食べた。好きな味だ。問題は、「苦味」を出すために、黄色の表皮を加えようと、それも少しだけ加えようと、これが多分、「苦味」成分の元になると思ったので、ピーラーで表皮を削り取る際に、表皮をすこし残した。前回は黄色の表皮はすべて削り取っていた。実際は、果皮を切り出し一晩おいた果皮をビーラーで黄色の表皮を削り取ったのだが、この程度に薄く表皮を残した。

これを大なべに入れて透明になるまで茹でる。果皮が軽く浮いてくるので落としぶた(水炊き用の土鍋蓋)を被せた。これ吹きこぼれなし。2回に分けて茹でる。最初はクエン酸を小さじ一杯入れて約10分沸騰させ、再度水を入れ替え今度はクエン酸なしに約10分沸騰させた後、冷水で冷やす。
 
あく抜きにクエン酸を入れたが、本当にあくを抜く必要があるのかもよくわからない。茹であがりはスポンジのようだ。完全な透明にはならなかったが、このあと砂糖と一緒に煮ると透明感が増す。
説明書きには、果皮の1.5倍の砂糖を加えると書いてあるが、一片の重さ約75grなので、これからすると砂糖の量は1㎏以上になり、この量はいくら何でも多いと思ったので、今回は三温糖500gにグラニュー糖150gr弱を加えた。この辺りは前回の甘さ加減からエイヤーの目分量で、砂糖と果皮を交互に並べ、水約450㏄+を加え煮詰めた。前回は上白糖を使用したためか、田舎で売っていたザボン漬けの色にならなかったので、色付けのため三温糖とした。これで裏返しながら注意深く水分が少なくなるまで、かつ焦げ付かないように位置を変えながら煮詰める。目を離すと自動的にガスが消えていたので見ると水が無くなっていた。焦げなくホッとした。

端っこを切って味見すると、まーまーの出来で苦味もこのくらいが個人的には良いと思ったが、女房に味見させると苦いという。少し冷やし、形を整えながら大皿に並べる。まだ果皮にはまだ水分が残っているので、大皿に並べた状態で外に出し陽に当て乾かす。2日間、裏返しながら外の陽に当て水分を飛ばし後、グラニュー糖を上からまぶし、更に裏返して再度グラニュー糖をまぶす。グラニュー糖をまぶす際の感触は、まだ水気がとんでいない感じで、あと数日乾燥させる必要がある。
    
出来上がりのイメージは、外はやや硬く内側は柔らかくだ。こんなに多量の砂糖を入れりゃーそれは旨いはずで、確かに甘く、これに苦味がどの程度あるかは個人の好みかな。写真の感じは、これで出来上がりの感もあるも、あと数日、外の陽に当てて乾燥させると完成に至ると思う。
      
   

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「MITCH PAYTON のインタビュー記事」の再投稿

2024-02-09 06:34:55 | 二輪事業
2021年の9月28日、アメリカモトクロス専門ネット誌「MotocrossActionmag」が「HOW MITCH PAYTON SAVED THE PRO CIRCUIT EMPIRE IN THE PANDEMIC」として、「PRO CIRCUIT」オーナー MITCH PAYTONさんにインタビューしている記事があった。この記事は3年前当時のアメリカ市場をうまく説明していたので10月、気なった個所を備忘録に残しておこうと当ブログに書き写した。昨日、MITCH PAYTONさんの記事を投稿したので、もう3年前の過去のものだが、当時、MITCH PAYTONさんがどんなことを考えていたのか参考になったので再投稿しておこうと思う。

「MotocrossActionmag」
2021年9月28日、アメリカモトクロス専門ネット誌「MotocrossActionmag」が「HOW MITCH PAYTON SAVED THE PRO CIRCUIT EMPIRE IN THE PANDEMIC」を公開している。
2020年3月、コロナウイルスのパンデミックが発生した際、多くの人々は二輪業界の将来について非常に懐疑的だった。しかし実際は、多くの予測に反し、二輪スポーツは大きく飛躍した。二輪の販売店は新品のバイクが売り切れ、中古バイクはホットケーキのように売れた。加えてモトクロス業界もまた、新しいライダーが加わったことで恩恵を受け、ビジネスは活況を呈している。しかし、コロナウイルスのパンデミック最中の一時期、街中では、車がひっくり返り、パトカーが燃え、暴動が発生した。世界各地から部品のキャンセルも合間ってミッチさんも廃業が頭に浮かんだそうだ。その一時期の苦境の中、街がロックダウンされると、今迄バイクに興味がなかった家族が二輪を購入するようになった。と言うのは、それまで室内の競技に熱中していた子供が、コロナのパンデミックで室内での競技が出来なくなり、その子供たちが結果的にアウトドアスポーツに熱中するようになった。


コロナのロックダウン、2ヶ月程は販売が落ち込んだが、その後は爆発的にアウトスポーツに興じる家庭がバイク部品を購入し始めた。結果、2020年は販売が好調に推移した。特にエキゾートチャンバーはよく売れたし、WPのサスペンションも販売を伸ばし、2サイクルエンジンのシリンダーチューニングの注文も良く入るようになった、とミッチさんは言う。ミッチさんのインタビューはまだまだ続いているが、その中で個人的に興味が湧いた事象を取り上げてみた。記者の質問にたいするミッチさんの回答。

★DO YOU SEE AN ELECTRIC FUTURE FOR OUR SPORT?
電動バイクは今後伸びると思うかとの質問に、そうならないよう願っていると回答。
何故なら、もし仮にスーパークロスのレースバイクが電動バイクだったら、非常につまらないレースになると思う。観客は電動バイクのスーパークロスレースに興奮することはできないと思う。電動バイクに、速さ、音、そして振動を感じる、エキサイティングな要因はない。だから、スーパークロスが電動バイクを採用すれば、観客はワクワクするMotoGPやF1またはドラッグに走ると思う。電動バイクの沈黙は釣りには最適だと思う。(この辺りはMOTOGPの覇者V.ロッシと同じコメント「2ストロークのエンジン音って、僕にとってはちょっと特別なんですよ…まぁ、最高って言っても良いかもね。4ストロークも好きですよ。電動バイクはねぇ…電気自動車もそうなんだけど、僕は好きじゃないかなぁ。モータースポーツと電気との組み合わせはイマイチなんじゃないんですか。」と。)

★TWO-STROKES BIKES HAVE DEFINITELY GROWN IN POPULARITY.
I’m a die-hard two-stroke guy, because that’s where I came from. It’s what I rode and I learned how to do. During the first four-stroke boom, we saw a dip in two-stroke sales. The market switched to where you had to have a four-stroke. Whoever’s idea it was to make a 125 two-stroke compete against a 250cc four-stroke with double the displacement killed the 125.

私は2ストロークの熱狂的なファンです。今ここにあるの2ストロークエンジンのお陰、このエンジンから出発し多くの事を学んだ。4ストロークエンジンの最初ブームの時、2ストロークマシンの売り上げが落ちた。市場は、4ストロークでなければならないという状況に変わった。排気量が2倍の250ccの4ストロークには2ストローク125㏄で十分に対抗できると考えた人が125㏄クラスを結果的に殺してしまった。


★WHY ARE PEOPLE GOING BACK TO TWO-STROKES?
Some of them had four-strokes and they said, “I can’t afford it anymore. I’m tired of spending big money.” A brand-new KTM is big money after all the fees. Speaking for the regular dudes, if they had a two-stroke before, they can buy an older two-stroke, fix it up, and that’s their baby.

4ストロークマシン所有者と話すと、彼らが言うには「もう余裕がないんだ。もう大金を使うのはこりごりだ」と言っている。新品のKTMは諸費用を考えると大変金がかかる。普通の人と話すと、2ストロークのバイクの所有者は、古い2ストロークのバイクを買って、それを修理して遊べる(だからあまり金はかからない)


★WHY DID THE JAPANESE MANUFACTURERS MOVE AWAY FROM TWO-STROKES?
The California Air Research Board had talked about banning two-strokes in 1999. I tried to rally some of the manufacturers to talk to them. When I called Kawasaki, they were interested in talking to the people, but when I called American Honda, they said, “No.” They agreed in the early 1960s that they would try to clean up emissions, and they wouldn’t go back on their word, but California did not ban all two-strokes in 1999. Still, that threat scared the Japanese manufacturers out of making them. So, the actual motivation for developing the four-stroke was a fake threat. I don’t think the AMA was knowledgeable enough to realize what a four-stroke could be. They were stuck in the thinking that all four-strokes were air-cooled, big-piston, dumb four-strokes like the XR650 and XR400. They couldn’t see a future where four-strokes would rev high, have a short stroke, a big bore, a lightweight crankshaft and an electronic ignition. KTM was manned by hardcore motorcycle guys, and they saw a future with both powerful four-strokes and lightweight two-strokes. That’s why they are where they are today.

日本のメーカーが2ストロークから離れたのはなぜですか?については、1999年、CARB(カリフォルニア州大気資源局)が2ストロークエンジンの禁止について提案してきたので、いくつかの製造業者を集めて話をしようと試みた。その話にカワサキは賛成しホンダは拒絶した。・・・カリフォルニアは1999年にすべての2ストロークを禁止しなかった。それでも、日本のメーカーは2ストを作らなくなった。4ストロークを開発しようとする実際の動機は偽ものだった。当時のAMAが考える4ストロークエンジンとはXR650やXR400のような空冷ビッグピストンのダサいエンジンのイメージしかなく、まさか、4ストロークエンジンが高回転、ショートストローク、ビッグボア、軽量クランクシャフト、電子制御式イグニッション等を装備するとは想像すらできなかった(時代遅れの空冷4スト250㏄のエンジンには2スト125㏄が丁度いいと思った?)。AMAは4ストの可能性を理解する知識がなかったと思う。KTMは筋金入りのバイク設計者だから、パワフルな4ストロークと軽量な2ストロークは必ず両立すると考えてきたので、だからこそ、今のKTMの成功がある。


そして、ミッチさんはこう結論付けしている。
LIFE IS GREAT. I’M DOING WHAT I’VE ALWAYS LOVED TO DO,
AND I’M HAPPY TO BE ABLE TO CONTINUE.”
HOW DO YOU FEEL NOW THAT THE PANDEMIC SCARE IS FADING? Honestly, I’m just happy. To think that there was a time when I thought we weren’t going to survive. Life is great. I’m doing what I’ve always loved to do, and I’m happy to be able to continue.

「人生は素晴らしい。ずっと好きだったことをやっている。続けることができて幸せです」。
パンデミックの恐怖が薄れてきた今、どのように感じていますか?
正直なところ、ただ幸せだ。生き残れないのではないかと思っていた時期があったことを思うと。人生は素晴らしい。ずっと好きだったことをやっていて、続けられることが幸せです。

コメント
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