野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

鈴鹿サーキットはつまらなくなった?

2013-08-31 06:15:56 | モータースポーツ
Facebook友達の宮崎祥司さんが30日に投稿した記事はかなり気になったので取り上げることした。
                            
この日曜日に、鈴鹿では初めて開催されるAsiaドリームカップを見に行った宮崎さんの鈴鹿サーキットへの苦情指摘はこうだ。
ホンダのAsiaドリームカップなんて、綺麗に車が並べてあって凄く興味深いのに、良い顔してるのはプレス向けであってファンにはこんな事をやってますよって説明が無い。 あったのはライダーの名前のボードくらい。あれこそパドックのテントの下でやるべきだ!!」「走りはコースに見に行けば良い、どんなやつがその車に乗っているかを見るのがPITやパドック。 Asiaのチャンスをつかもうと必死になってる顔を見たかったのに、ほんとつまんなかった!!」

宮崎選手は元HRCのスター選手で、その後カワサキのロードレースチームに移籍し活躍した、非常に能力の高いライダーで、今も鈴鹿の近くで開業している。時間を見つけては鈴鹿サーキットに出掛け、ロードレースの活性化に尽力している人だが、私はカワサキ時代から宮崎さんの性格を含めよく存じあげている。大変温厚な性格の宮崎さんが、今回のAsiaドリームカップレースが開催されている鈴鹿サーキットの対応に大変がっかりしている。つまり、ファンを無視したサーキットに怒っているのだ。

日本最大の二輪ロードレースの祭典、鈴鹿8耐の観客動員数がピーク時の半分にも満たないようになって久しい。
サーキットも観客動員数を増やすために地道な努力をしているはずだが、記事にあるようなファンを無視した対応では、離れる一方の観客を取り戻すことなど夢の夢。私は、担当した’97鈴鹿8耐以降鈴鹿には行っていない。その後も8耐の観客動員数が激減していると聞いて、どこに問題があるのか不思議に感んじていたが、宮崎さんが指摘したファン無視の対応が仮にあるとすれば、それは鈴鹿の抱える、多くあると思われる原因の大きな一つかもしれない。

一昨年、久し振りに鈴鹿8耐をテレビ観戦し、その時の印象を本ブログに投稿した事がある。そのブログ記事「鈴鹿8耐」の一部を再稿したい。「鈴鹿8耐はFIM世界耐久選手権の一レースだった事もあり、フランスのボルドー24時間耐久レースも観戦する機会を得た。ボルドー24時間と鈴鹿8時間は、耐久時間においては相当の開きがあるが、耐久レースと称せど、そのレース内容は根本的に異なっていた。どちらがより難しいレースかとの単純な評価はかなり困難だが、実際のレースを戦った担当として言えば、鈴鹿8耐の方が遥かに神経を酷使するレースであった事に間違いない。ボルドー24時間は、その耐久時間の長さから戦い方は8時間と根本的に異なり、例えエンジンに不具合が発生したとしてもエンジンを交換して走れば良いのだ。それでも入賞あるいは三位以内に入れるかもしれない。鈴鹿8耐は一秒の遅れを喫したらまず勝てない。まさに神経戦だ。一秒の失敗が勝敗を分ける。

でも、なぜ、ボルドーの耐久レースが伝統的に観客を惹きつけ面白さが継続しているのに、8耐は観客動員数は減少し面白くなくなるのだろう。鈴鹿8耐の方が、よりセンシティブでハラハラドキドキする玄人受けする極めて面白いレースなのにだ。アメリカのスーパークロスやデイトナ200マイル、四輪ではナスカーレースでの観客動員数には圧倒される。アメリカのモータースポーツは、どちらかと言えば興行的な傾向がより強く、圧倒的な観客動員数を誇る。観客動員数が多ければ、レース志向の強い車を販売している二輪メーカは直接参戦せざるを得ない。すると、もっとエキサイティングなレースと相まって、観客はより一層盛りあがる。

レースはもっと泥臭くあるべきだろう。
欧米のレースは、観客がレースと触れ合う事、選手と触れ合う事を心底楽しんでいるように思える。知識が無くても単純明快に分かるレース、観客に対する最大限のファンサービス、みんなが楽しめる雰囲気づくり、そしてレースを主催する街。全てのベクトルが観客中心に向いていると感じた。ボルドー24時間中、レースを見ている観客は少なく、レース展開などそっちのけで飲み食いドンチャン騒ぎの家族も多数いる。ゴミはアチコチに散乱し、夜はワインを飲んで大騒ぎする。歴史的なレースイベントの高貴なイメージとは大きく異なる光景がそこにはある。レースを知らなくても楽しめる雰囲気作り、ドンチャン騒ぎする人も寛容に受け入れる街がある。もっとビックリするのが、サーキットまでの途中、道路近くの木々や電柱に巻き付けられた分厚いマットの存在だ。何のために設置してあるんだろう。

90年代の鈴鹿はもっと泥臭い雰囲気があった。野宿する若者に対して実に寛容だったし、アチコチのテント張にも寛容だった。何時のまにか、次第に大人しく窮屈になってしまったようだ。面白くない、妖しくない催し物には、誰も楽しくない。90年代も、レース観戦が主目的ではなかった観客の方が圧倒的に多ったと思う。鈴鹿8耐は欧州や米国の伝統的なレースのように歴史を重ね続けるべきだし、もっと、観客が一体となって楽しめる「泥臭い「祭り」」として歴史を継続させるべきだ。」



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神戸ファッション造形大学は解体作業中

2013-08-30 06:26:43 | 野々池周辺
    野々池貯水池に隣接している「神戸ファッション造形大学」が閉学し、既に解体作業に入った。
野々池貯水池回りは、明石市立の小中学校、明石南高校と神戸市立の小中学校及び神戸ファッション造形大学があり、貯水池回りの約2/3が学校で構成されている、言わば教育地域。残りの1/3は住宅地域で、歩いて直ぐ近くにスーパーマーケットも多く点在し、交通拠点JR西明石駅まで歩いても20分程度で、住環境として申し分なしの地域。そんな教育・住環境から、唯一の大学であった神戸ファッション造形大学が今年の3月に閉学するらしいと聞いたのは2年程前の事。それまでは西明石駅までの道すがら通学生徒を良く見かけたものだった。いかにもファッション造形大学の生徒らしい身なりだったので、直ぐにわかる。それが2年程前から生徒を余り見かけないな~と思っていたら、閉学すると知った。5棟もあるい立派な建屋をどう活用するのか興味あって注視してみていたが、やっぱり閉学。

解体作業を野々池貯水池のジョギングコースから見学していると、近くにいた職人さんらしい人が寄ってきてこう教えてくれた。「入学希望者はいるにはいるが大学を卒業しても就職先を見つけるのが難しいらしい。明石市に相談したが、市も対処できず、結局建売住宅になる」。神戸といえば「ファッション都市宣言」をしてから今年で40年とあった。今年、40年記念行事としてファッション関連企画を県や神戸市が計画していると新聞にある一方で、ファッション文化を支える教育現場の学校が無くなっていく。ファッション関係の就職先など何ぼでもありそうなものだが、現実はそうでないということか。 残念なことだ。8月に始まった解体作業は今年中に終了し、来年早々に建売住居の建設が始まる。消費税増税前に片づけたい案件だろう。
             
                          
             

学校法人福冨学園が経営する、「神戸ファッション造形大学」によると、同大学は明石女子短期大学から男女共学の明石短期大学を経て、ファッションに特化した大学として神戸ファッション造形大学を開設した。しかし近年、少子化の進行と進路選択状況の変化により学生数が減少。これを受け、文部科学省に対して平成22年度の学生募集停止の届出を行った。在学生が学業を修了し、卒業した時点で、文部科学省に閉学の申請を行うとあった。
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ボクシング、迫力あって凄い

2013-08-28 06:24:09 | スポーツ

日曜日(25日)のゴールデンタイムに、ボクシングの試合が放映された。
それは、世界タイトルマッチでもない日本タイトル戦、もう一つはノンタイトルマッチ。井上が日本タイトルに挑戦し、もうひとつは村田のプロデビュー戦。
スポーツコーナーの事前解説では、井上と村田が其々勝利する予想で、話題はどのようなボクシングを展開するか、あるいはKOが見られるかが焦点となっていた。
最近、本格的なボクシングを見直そうとしているのか、迫力ある本来のボクシング放送が続いている。そんな中で期待のプロボクサーの試合だった。
それにしても日本タイトル戦やプロレビュー戦が日曜のゴールデンタイムに放映されるのは珍しいが、ボクシングファンとしては見逃せない。

★日本ライトフライ級タイトルマッチ
        「日本ライトフライ級チャンピオン田口選手(赤色)と挑戦者井上選手(青色)」
試合前のインタビューでは、この試合に勝った選手はその後の展開が大きく開けてくるので、両者とも一歩も引かない姿勢をみせていた。
ここまでデビュー以来3試合3勝3KOの井上選手は1990年の辰吉丈一郎以来の国内史上最短タイ記録となる4試合目での日本タイトル奪取がかかる。
高校アマチュアタイトルを総なめした怪物井上、日本タイトル王者でWBA3位にランクされている田口を倒せば、井上の世界タイトル挑戦が現実のものとなる。
結果は、挑戦者井上がチャンピオン田口を3-0の判定で破ったものの、チャンピオン田口も意地を見せ簡単には倒れない。両者迫力ある良い試合を展開した。
序盤は両者とも堅さがあったが、パンチの手数と言い、スピードの速さと言い、明らかに井上が優れている。しかしチャンピオン田口も頑張り緊迫した試合が続く。
軽量級と言うこともあるが、両者ともスピードが勝負。井上の方が距離感を掴む巧さもあって、井上の顔には傷一つもない。
最近見た、ボクシングの試合の中では最高の部類に入る試合だった。迫力があって最高に面白かった。
今回の日本タイトル戦、期待のKOこそなかったが、ワクワクする様な白熱した良い試合をみることが出来た。

井上の試合を見たのは、これで二回目。前回は右拳を試合中に負傷し左手一本で佐野を倒した試合。
幾つかの報道では、井上選手をボクシング界が産んだ極上の素材という表現があった。そうだとすれが、次の相手は最強と言われている井岡選手。
■参考「井上尚弥、モンスターが背負う宿命」。

★オリンピック金メダリストのプロレビュー戦 
        「村田選手の攻め(白トランクス) :Number Web」
東洋太平洋ミドル級王者の柴田選手にオリンピック金メダリスト村田選手がプロレビューのノンタイトル戦。
結果は2ラウンド2分24秒で村田がTKO勝ちで、スピードとパワーを存分に見せつけた圧巻のデビュー戦だった。
1回右で村田がダウンを奪うと、2ラウンドも一方的に試合をリードし、東洋王者柴田のダメージが明らかになったところでレフェリーが試合を止めた。
この試合の前に、軽量級の試合をみた直後なので、スピードは圧倒的に軽量級が優るものの中量級のパンチ力は当然ながら圧倒的威力があり、ドスドスと決まったときの破壊力は凄い。
これも、軽量級をみたあとだったので気になったんだが、村田選手は体が硬いんではと思えた。動きに軽さが無く、フットワークの華やかさが見えなかった。
海外の中量級や重量級の試合はもっと軽いフットワークの選手が沢山いるように思う。

中量級には、アメリカや中南米に強豪選手が多い。
今回も外人プロモーターらしき人物が観戦に来ていた。オリンピック金メダリストと言う称号はプロモータの興味を引くのだろう。
ミドル級は世界的に選手層が厚く、地域差もなく人気が高い。 軽量級は日本国内でスターにはなれても、世界的なスターになれるチャンスは少ない。
眩いばかりのラスベガスのリング、世界中が熱い視線を送る中で、メインに登場する可能性を村田が持っているとすれば、これこそ日本のボクシングファンが長年抱いてきた夢だ。
例えラスベガスでなくとも、カジノがあるマカオやシンガポールのメインエベントを張ることが出来る選手になれれば、日本のボクシングファンとしては最高。 
■参考「村田諒太、想像を凌駕したデビュー戦。その拳はラスベガスのメインの器だ!


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やっと雨が降った。しかも豪雨だ。

2013-08-26 06:25:57 | 日常生活
ここ西明石に近い神戸市西区、先週の金曜日、午後6時ころから雨が降る予報だった。
6時頃になってもそんな気配は一向にないので、阪神と中日の試合に熱中してしまった。
ところが、後ろの出窓から風が吹き込むのでひょっと振り向くと雨が降りこんでいる。既に出窓はびっしょりに濡れている。
予報より少しだけ遅れたけど待望の雨が降った。しかも豪雨ですごい勢いで降ってきた。念願の雨! 2か月以上も湿気すらなかったので、気分は爽快。

豪雨のように降っては小休止しながらも激しい雨音は続き、夜中じゅう降り続く。
寝ていても、雨足の音が近くで聞こえ、寝苦しさも一時解消し、これでひと安心。。
翌日土曜日も降ったり止んだりだが、降る時はザーッと降る。この雨が3日目の日曜日も続いた。
日曜日の今日、用事があって、西神中央まで行ったが、車が示す外気温は25度。部屋の温度は28度だったので、外の温度の方が低い。
西神中央への道は風が強く、雨足も更に強くなる。日曜日の雨で、西神中央は送迎車が多い。サッサと用事を済ませ、MLBのダルビッシュを見なきゃ。

帰宅し玄関ドアから門扉回りをみると鉄平石が雨に濡れていい感じになっていた。
         

裏庭に続く小道にも久し振りに雨が溜った。
木の陰に置いている君子蘭も生き生きとして見え、モミジアオイの実が揺ら揺らと風に揺れている。
         
だけど、予報では明日からまた晴れで33度くらいの温度が続き、雨が遠くになるらしい。
先週、金曜日の朝、「もう何日も雨が降っていない」と愚痴を書いたら、その日の夕方遅く、雨となった。
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イチロー 日米通算4000安打、野球一筋、その熱意は素晴らしい!

2013-08-24 06:30:05 | スポーツ
    「4000安打イチロー「特別な瞬間を皆が作ってくれた」:ロイター」
ヤンキースのイチロー選手が日米通算4000本安打を達成した。ロイター電子版に、数字が意味するものはとのイチローへの質問に、
「数字というよりも、こういう特別な瞬間というのは自分の記録が作るものではなく、結局は僕以外のみんなが作ってくれるものだと強く思った」と答え、
また、記録達成後に一塁ベースでチームメートから祝福を受けたことについては、「あんな風にみんなが喜んでくれるなんて全く想像していなかったので半泣きになった」と話したとあった。
いつものイチローらしい回答だが、いずれにしても4000本安打は素晴らしい快挙だと思うし、素直に評価したい。

ところで、日米通算4000安打を、当のアメリカではどのように評価されているか。当日、「YAHOO!Sports」と「ESPN」はイチローの大きな写真付きで快挙を報道していた。
YAHOO!Sports「Mr. 4,000: Ichiro reaches career milestone with classic base hit」では、
Ichiro Suzuki joined elite company on Wednesday, joining Pete Rose and Ty Cobb as the only professional baseball players to collect 4,000 hits
at the major league level.  Of those 4,000 hits, 2,722 have now come in Major League Baseball (Rose and Cobb's hit total are both exclusive to MLB)。
The first 1,278 hits of Ichiro's all came while playing in Japan's equivalent of MLB」
として、注釈付きだが日米通算4000本を評価していた。
また、イチローが長くプレーした「Seattle Mariners」はtwitterで、イチローの快挙を誉めている。 既に敵になったチームだが、こういう所は如何にもアメリカ的だと思う。
          
      「Well played, Seattle. And congratulations, Ichiro. Looking for more baseball chatter?

ただ、MLBでも4000本以上の安打記録は4256本のP・ローズや4191本のT・カッブの2人だけで、イチローの4000本安打の価値をめぐりさまざまな意見が出ているのも事実のようだ。
米ESPNのオルニー記者は「同じランキングに入れるのは難しい」とかヤ軍の地元紙ニューズデーのレノン記者も「4000本は4000本。偉大な数字。(米国の)野球殿堂入りに値する選手だ」と称賛。
一方でCBSスポーツのノブラー記者は「もし通算4257本を打っても、大リーグ記録に並べるべきではない」と主張したとある。
4000本安打記録について調べていたら、参考になるブログがあった。 「野球の記録で話したい」の「4000本安打者はすでに6人いる?|2013MLBペナントレース」では、
「イチローは今朝にも日米通算4000本安打をマークするだろう。すでに申し上げているように、私はこれは記録ではないと思っている」 としており、私もこの意見に賛成である。
    

どの分野のリーグの合算記録を評価すべきか、NPBはMLBと肩を並べているとか、NPBよりMLBの方が試合数が多いことを考えてもNPBの記録を合算OKだというのもあるが、本当にそうだろうか。
こんな記事もあった。
「米国では4256安打の最多記録をもつP・ローズ氏が「日本の野球とメジャーの記録を一緒にするのはおかしい」と異議を唱え、イチローも「ローズやT・カッブなどと比較できない」と謙遜した。 
イチローの記録をウンヌンするなら、あの本塁打王H・アーロン(メジャー3771本、マイナー324本)やS・ミュージアル(メジャー3630本、マイナー371本)らも4000安打達成者として数えることができるという議論も出ている。
だが、MLB公式ホームページでブライアン・ホーク記者は「ユニークな記録の重要度」という見出しで選手や監督らのコメントを紹介した。
ヤンキースで同僚のD・ジーター内野手は「4000安打なら、リトルリーグの記録であってもすごいの一語だ。メジャーに来てこの短期間で数字を伸ばした。コンスタントにヒットを打てるという証明だ」。
シアトル時代のチームメートだったK・グリフィーJrは「大変な数字。どこの国で達成したかは関係ない。努力を積み重ね、技術を磨かなければできない数字だ」。
エンゼルスのM・ソーシア監督は「いまだに走って守れて打てる。敵将としては面白くないことだが、信じられないほどすごい選手。野球殿堂入りは間違いない」。
イチロー自身はさほど価値を認めていないが、周囲の見る目は少しずつ変わっているようだ。
グリフィーJrは「皆見ていてほしい。イチローは4000安打を本塁打で達成するはずだ」と期待をかけた」

何でも記録を大事にするアメリカでは、イチローの日米通算4000本と言う数字に対する評価は激しいものがあるが、イチロ-の野球に対する一途な姿勢は日米共通の評価として非常に高い。
こんな選手は日米探してもそうざらにいるものではないので、私は素直にイチローの野球に対する取組を高く評価している。
しかし、4000本達成後、ベース上で帽子を脱いだイチローの頭には白いものが多かった。まだ、39才、そんなに白いものが混ざる年でもないのに、大変な気苦労があるんだ。
 
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もう何日も雨が降っていない

2013-08-23 06:14:24 | 日常生活
こうも暑い日が続き、熱中症患者数が毎日の話題となると、当方も熱中症になったような感覚に陥り、なんとなくボーッとしている。
それで、昨年の天候はどうだったんだろうとふっと思った。昨年ブログの同時期に、こう書いていた。
「8月も盆を過ぎると涼しくなる。ここ2,3日、夜もクーラーをつける時間が短くなったし、寝るときも扇風機のお世話にならない。
 このままの過ごし易さが続いてくれたら最高なんだが。夏の野々池は、空の色が美しい。
 野々池貯水池の水面から巻き上げる風が何時も適当に吹いていて、ウォーキングしていると涼しくて気持ち良い」。 えーっ!昨年は盆過ぎると涼しくなったって!

熱中症患者数がニュースに挙がる度に、女房が余計心配するので、暑い日中を避け、少し涼しくなってからウォーキングに出ようと思うが、何時になっても暑くて涼しくならない。
汗をかくウォーキングを日課にしていると、外に出ない日が続くと気が滅入ってしまうので、時間を少しずらして野々池のジョギングコースに出かける。
顔見知りのウォーキング仲間も同じ考えなんだろうか、ほぼ同じ時間帯に顔を合わせ、「暑いね!」と話す言葉は毎日変わらず同じ。 ところで、
ウォーキング中に気がついたが、今年の空には、にょきにょきと勢いよく立ち上がる入道雲を見ていない。今日見た入道雲も何とはなしに頼りなく、時間が経つと直ぐに形が崩れた。
しかも、こうも雨が降らないと、野々池貯水池の雑草も水分の蒸発を防ごうとしているのか葉っぱを丸くしている。既に枯れてしまった雑草も多い。
           
             

それにしても憎たらしい程暑いうえに雨が降らない。何時から降っていなのか、Yahoo「神戸の過去の天気」から調べてみると、
6月は4日程雨が降ったとあるが、降水量は平年を下回った。加えて、7/8月は全く雨が降っていない。
今朝(22日)の神戸新聞に、降水量 神戸は平年の4%とあった。稲作や野菜への影響が大きく懸念されるとのこと。
まだ、取水制限までにはいかないとあるが、今日の週間予報では、金曜の午後から日曜日に掛けて雨の予報・・・そんな気配にみえないのだが。

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盆も明け、「終戦のエンペラー」を見た

2013-08-21 06:29:01 | 映画
   「終戦のエンペラー」
この映画は是非見たいと思っていたので、朝一番に出かけた。戦争映画と言うと、どちらかと言えば、主役は戦闘機だったり、戦艦だったりのドンパチが多い。
だが、この映画は弾一つ飛ばない。太平洋戦争は誰の責任で始めたのかと言う、戦争犯罪者を確実な証拠を見つけてあぶり出す、言わばミステリー映画のようだ。
戦争責任と言う、我々日本人と取ってもかなり重い題材を、当の敵国アメリカからぶつけた映画だったが、戦争から終戦に至る経緯をある程度知っている人には単なるおさらいでしかない。

日本が降伏して太平洋戦争が終わり、連合国軍最高司令官としてマッカーサーが日本に降り立つ。アメリカによる日本占領の始まりだ。
天皇を戦犯とすることで国内での選挙を有利に運ぼうと考えるアメリカ政府と占領軍として日本の統治を円滑に進めたいマッカーサーとの間には大きな開きがあった。こうして映画は始まる。
そのマッカーサーが部下に命じたのは、戦争責任の追及。米国政府からの指示は政治的配慮もあって昭和天皇の責任追求と戦犯指定。
それが米国内のマスコミや国民の強い要求であり、天皇責任を明確にすることで米国大統領の人気をより向上させたいという思惑でもあった。
米国政府の執拗な戦犯追及を背に、マッカーサー本人の思惑もあって米国政府の言いなりにはならない。しかし戦争責任の所在を明確にすべく、10日間で徹底的に調査するよう部下に命じる。
調査を命じられた准将は、日本の内情、天皇の存在を有る程度理解しており、西田演じる日本軍の大将から、日本には本音と建前があるので、本音を確りと聞きわけるようにと聞かされる。
昭和天皇に戦争責任はあるのか。口の堅い政府や宮中の聞き取り調査は難航し、また現人神の天皇に対する日本人の接し方をあって、戦争を始めたのは誰だかわからない。
天皇の戦争責任はなかったとする回答は見いだせず、むしろ天皇の戦争責任はあるとする結論に至る。一方、マッカサーは「日本を復興させたい」という思いがある。

近衞文麿前総理は、日本の戦争責任を問う准将に対し、「日本は欧州列国の侵略過程を踏襲しただけだ。アメリカもフィリッピンを侵略した。
欧州列国のとった侵略と日本の侵略との差異はない。日本は列国の侵略戦争を見習っただけ」と詰め寄るが、米国准将は一瞥もしない(近衞の発言は核心を突いているが弱い)。
そうこうする内、木戸幸一自らGHQに乗り込んで、天皇が戦争を止めるのに果たした役割を述べる。
「太平洋戦争終結の最終裁断は天皇が下した。戦争継続か回避かの御前会議の票は3:3、天皇が最終決断し戦争が終了した」と。
マッカーサーは天皇に会いたいと言う。そして、マッカーサーと面会した天皇は「戦争責任はすべて自分にあるから、どんな責めも受ける。だが日本国民を守って欲しい」と言う。
戦犯になる恐れもあって何人かの内閣や宮内庁の要人の曖昧な証言の後に、この言葉が出た瞬間、当時の戦争終結に至った経緯が全て読み取れた。
天皇に戦争責任があるとする明確な結論には至らなかったが、この戦争を終わらせたのは天皇であると結論づけた。

昭和天皇がマッカーサーと面会する場面は最大の見せ場だと思うが、木戸幸一自らGHQに乗り込むに至るまでの過程は総じてだらだらとしており、退屈だった。
日本人にとって、戦争終結の最も重要な歴史的場面だから、もう少し息詰まるような展開が見たい。御前会議に至るまでの陸海軍や政府の葛藤は、実際はかなり息づまる展開だったはず。
そこを描いてほしかったのだが、歴史に興味がない人には特段のアクションなどがあるわけではなく、また米人にとっても敗戦国の内情など興味もなく、厳しい映画なのかもしれない。
先日、神戸新聞の映画欄に、プロデューサーの女性日本人(名前を忘れた)がこう説明していた。「米国は韓国、ベトナム、アフガン、イラクと全て占領政策に失敗し、成功したのは日本だけ。
そのことを殆どのアメリカ人は知らない。だから、なぜ日本では成功したのかということをアメリカ人に知ってほしかった」
何処が優れていたから、戦後の日本は混乱なく復活したと言いたいのだろう。

あらすじ:
「 1945年8月30日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の司令官としてダグラス・マッカーサー元帥が日本に上陸。彼は日本文化に精通している部下ボナー・フェラーズに、
 太平洋戦争の真の責任者を探し出すという極秘任務を下す。わずか10日間という期限の中、懸命な調査で日本国民ですら知らなかった太平洋戦争にまつわる事実を暴き出していく。
 ついに最大ともいうべき国家機密に近づくが、彼と敵対するGHQのグループや日本人たちの一団が立ちはだかる」


■話しは変るが、今までに読んだ、太平洋戦争関する書籍で、「失敗の本質」と猪瀬直樹著:空気と戦争」は大変参考になリ面白かった。
「失敗の本質」では、日本軍が太平洋戦争に負けた敗因を詳細に分析している。
特に、米軍は戦争を通じて合理的に勝利する方法を学び(例えばタスクフォースは真珠湾奇襲から米軍が考案した)、
能力主義に徹した人事等を採用したのに比べ、日本軍は情緒的な判断やその場の空気をどちらかと言えば優先したとある。
また、「空気と戦争」では、当時の膨大かつ詳細な資料をもとに戦争に至る経緯を纏めている。読んだ印象を本ブログに投稿したものの一部を再稿してみた。
「昭和16年10月に第3次近衛内閣が総辞職したあと、大方の予想に反して東條に天皇から組閣の大命が下った。
その理由は、陸軍に睨みのきく東條ならば、日米戦争を回避できるのではないかと、天皇がひそかに思ったからだ。天皇はあきらかに日米が戦うことを嫌った。
天皇の勅旨を遇直なまでに守るべしとする東條首相は陸軍大臣、総務大臣を兼務しながら、如何に戦争を回避するべくか悩んだ。
陸軍の満州からの撤退が日米戦争回避の外交手段と考えられていたが、陸軍は「中国に散った死者10万を犬死させて良いのか」、
その10万も日露戦争当時からの戦死者の大雑把の数を盾に戦争止むなしと主張し続けた。(結局、10万にこだわり太平洋戦争では300万の戦死者を出したのだが)

東條首相は戦争回避のための決断材料として石油確保量の「数字」にこだわり、戦争をやるかやらないかもう一度議論をすることになった。
その数字というのが実際は大変な「くせ者」で、日本が戦争突入に有利になるような数字が次第に出てくるようになる。
周囲の空気で、そう言った数字を出さざるを得ず、戦争を回避しようと苦慮していた東條首相は周囲の戦争ムードを押し切ることができない。
昭和天皇の元へ戦争決定の報告を行った時に、天皇の戦争回避を守ることが出来ず途中で泣き出してしまったそうだ。
 
数字を出してきた部署も、議論をしていた政治家も、「戦争をする」という空気の中で話し合いをしているので、データに現実感がなくなっていた。
その場の空気に従わざるを得ないデータを出すしかなかったと書かれている。その辺あたりを、その数字を提出した当時の企画院総裁が戦後、インタビューで次に様に話している。
「僕は腹のなかでは、アメリカと戦争をやって勝てるとは思っていなかった。(略)実際アメリカと戦争するのは海軍、陸軍は自分でやるんじゃないから腹は痛まない。(略)
 やるかやらんかはと言えば、もうやることに決まっている。やるためにつじつま合わせのために数字を出した。
 海軍は一年もすると石油がなくなり戦争はできなくなる。今なら勝てるかもしれないとほのめかすので仕方ない」
 
当時の政府や陸海軍幹部のだれもが戦争に勝てるなどとは考えもしなかった。戦争突入を支持したのは、メディアからの一方的情報しか得られない一般市民だけだった。
東條は天皇の臣下として、天皇の意向は絶対であったが、天皇の意向を無視しても東條は戦争を決断しなければならなかった。なぜか。空気が戦争回避を許さなかったとある。
結果的に、日米開戦は日本人ほとんど全員の総意に変り、何人たりとも、戦争を回避できなかった。太平洋戦争を振り返る場合、この空気が何よりも重要であったと著書は繰返し述べている。
太平洋戦争は軍部が独裁的に推進し、国民は被害者であったと教えられてきたが、日米戦争やむなしの空気を醸しだしたのはほかならぬ日本国民である。
朝日新聞をふくむメディアは雪崩式に戦争支持にまわり、ほとんどの日本人は日米戦争を望んでいたと結論づけられている。」
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AMAナショナルモトクロス選手権チャンピオン・・Kawasaki’s Ryan Villopoto

2013-08-19 06:17:31 | モータースポーツ
Miller Motorsports Park 、Salt Lake City(ユタ州)で開催された、全米モトクロス選手権第11戦で、Kawasakiの Ryan Villopotoは 両ヒート優勝し、残り1戦を残し2013年度チャンピオンとなった。
2013年度モトクロス選手権の最高峰クラス、「Supercross」と「450 National」の両クラスチャンピオンとなり、今年度世界最高のMXライダーとなった。
               「Ryan Villopoto:Cycle News」
           

なお、6月22日の第5戦から実質プロモトクロスレビューした、KawasakiのAdam Cianciarulo(16才)は、本レースの第1ヒートにて3位となり念願の表彰台を確保した。
久々の超大型新人Adam Cianciarulo は、Ricky Carmichael 、 James Stewart 、 Ryan Villopoto に続く若手の有望ライダー。
  「 #292 Adam Cianciarulo:Racer X」
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播磨町 兵庫県立考古博物館

2013-08-17 06:24:48 | その他
   「兵庫県立考古博物館」
孫を連れて播磨町の兵庫県立考古博物館を尋ねた。
大中遺跡があるとは知っていたが、大中遺跡も兵庫県立考古博物館も初めてだ。播磨町のHPによると、「大中遺跡は、昭和37(1962)年6月、町内に住む3人の中学生によって発見され、昭和42(1967)年に国の史跡に指定された。 大中遺跡は、弥生時代後期(約1900年前)から古墳時代初頭(邪馬台国 卑弥呼と同時期)の代表的な遺跡で、長さ500m、幅180mで、約70,000平方メートルの広さがある。 これまでに全体の20%の面積を調査し、73軒の竪穴住居跡が見つかっており、遺跡内には少なくとも250軒くらいの住居が建てられていたようだ。 当時、貴重品だった中国製の鏡(内行花文鏡片)が出土しているので、播磨では有力なムラだった」とある。

卑弥呼の時代の遺跡と聞いて早速出かけたものの、駐車場が判らず一苦労。標識を見失ったと思うが、結局遺跡周辺を一回りし、居合わせた人に聞く羽目に。駐車場は200円の後払いのようで、ゲートは開くが駐車券が出てこない。不審に思って受付に聞くと時間制限なしだから駐車券はないとのこと。ところが、館のどのドアも自動式に開くものの、近くに受付がない。中をズート歩いて進むとヤット受付があって、そこで入館料200円を支払った。我々が入ったドアは駐車場近くの裏門だったようだ。 孫が開催されていた勾玉造りに熱中している間、館外に出てみた。正門に回り、周辺を見ながら歩くと、今通過してきた川沿いの狭い道に出る。そこから再度正面玄関方向に向かって写真を撮った。外から見る博物館の壁は一面草が植えられ、ここは何処だと一瞬思うほど。右側に物見やぐら風の建物があって、エレベータでも登れる。
  

正門から入ると、縄文、弥生時代を中心に大きな甕が沢山並んでいる。これは壮観。
遺跡から出土した甕で、手に持てるほどの小さいものは随分と見たが、これだけ大きい甕を見るのは初めてなので、スケールを感じた。出土した遺物や土器類は地下2階(地下と言っても全くの地下でなく、壁面を利用した造りになっているので、横から陽がさしている)で、修復作業が続けられいる。見学した日も、多くの女性担当者達が出土品を計測したり修復作業中だった。その横には、修復待ちの箱が山積みされている。
  

館内は至って静か。冷房も効きすぎず丁度良い。見物客は集まり易い休憩場所には扇風機が設置されて、温度調整の気配りも良くできている。その休憩場所から館外を見ると、復元住居が目についた。早速歩いて行くと、この日も暑い日中だったが、復元住居の中は上方に風の通り道が造ってあり、涼しい。近くには、弥生時代に生えていた植物も植えてあり、青い銀杏の実がたわわになっている。道を隔てて向こう側には大中遺跡の住居跡があるとのことだが暑くて行かずじまい。
   

この五重塔はどこの寺院だろうか。
博物館の物見やぐらに登って、辺りを見渡すと一番に目に付いたのは立派なこのお寺だ。方向感覚が今一つなので東西南北が分からず、山手側と思ったところは実は荷揚げクレーンが目に付いたので多分海側なんだろう。この場所から一望すると、見えるところは一面平野、随分と遠くに山あり、近くに海が見える。古代の播磨は住むのにきっと良い場所だったに違いない。
          

昨年夏、孫と一緒に三田にある、「兵庫県立人と自然の博物館」を訪問した。三田の博物館には大昔の化石を中心に多くの所蔵物があった。一方、播磨町の兵庫県立考古博物館は弥生時代以降の遺跡からでた遺物を展示してある。が、何れの博物館も研究室が設置されており、多くの研究者がいる。同じ県立と言っても、明石城内の同じ場所にある、市立図書館と県立図書館では、県立は如何にも敷居が高かったが(実際、入り口も高い)、この二つの博物館はとても親しみやすい。特に、兵庫県立考古博物館は地元の古墳時代からの遺物と、その資料が豊富に揃えてあり、しかも自由に閲覧可能。 興味ある人には便利だ。




 
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KTMの台頭・・・FIM Junior Motocross World Championship

2013-08-16 06:43:16 | 二輪事業
   「FIM Junior Motocross World Champion  Aiden Tijero (USA, KTM)」
13日付け Cycle News に「Team USA Finds Gold At FIM Jr. MX World Championship」があった。チェコで開催された、Juniorの国別MX選手権大会で、優勝はアメリカ。ミニクラスのモトクロス大会と言えば、有名なアメリカの「World Mini Grand Prix」や「 Loretta Lynn Motocross」のレースがある。しかし、ミニMXの世界選手権大会とは初耳だ。FIM Junior Motocross World Championshipは65cc、85cc、125ccで構成されている。ミニモトクロスの世界大会を開催せねばならないほど、ミニクラスは活況なのだろうか。
         「65ccチャンピオン:Aiden Tijero (USA, KTM)」
         
         「優勝チーム:アメリカ」
         
で、結果は下記の通り。 
65cc Overall/Championship top ten: 」
1. Aiden Tijero (USA, KTM) 2. Anton Nagy (SWE, KTM) 3. Petr Polak (CZE, KTM) 4. Raivo Dankers (NED, KTM) 5. Jo Shimoda (JPN, KTM) 6. Rene Hofer (AUT, KTM) 7. Hardy Munoz (CHL, KTM) 8. Maxim Kraev (RUS, KTM) 9. Timur Petrashin (RUS, KTM) 10. Daniel Stehlik (CZE, KTM)

85cc Overall/Championship top ten: 」
1. Conrad Mewse (GBR, KTM) 2. Hunter Lawrence (AUS, KTM) 3. Jakub Teresak (CZE, KTM) 4. Chase Sexton (USA, Yamaha) 5. Glen Meier (DEN, KTM) 6. Jorge Prado Garcia (ESP, KTM) 7. Gianluca Facchetti (ITA, Suzuki) 8. Sean Cantrell (USA, Kawasaki) 9. Tomás Kohut (SVK, KTM) 10. Filippo Grigoletto (ITA, KTM)


結果を見て、最も驚嘆したのはKTMの台頭。数年前からミニモトクロスの分野にKTMが進出しているとの情報はアメリカのレース結果から分かっていた。しかし、これ程とは思いもしなかった。既に、モトクロス世界選手権では、450cc/250ccともKTMがチャンピオンマシンとして君臨し続けているので、KTMの優秀性とサポート体制が充実していることは分かっている。各国のチャンピオンクラスライダーが選ぶマシンが、65クラスでは全でKTM、85クラスも10台中7台がKTM車だ。これが現代のMX世界市場のごく普通の有り様なのだろうか。多様なwebで報道されているのは、市場の頂点レースが殆どで、MX市場は今だ日本車がほぼ独占しているものと思っていたが、決してそうでないようだ。 Junior Motocross World Championshipの結果は、市場の大部分を占めるアマチュアライダーのオフロード市場を、KTM等の欧州勢がかなりの勢いでこの市場を浸食していると言う証左だろうか。

★二輪の大市場、アメリカのオフロード市場で、数年前から「草の根活動」を着実に展開し、モトクロスの面白さを普及している企業がKTM。多くの日本企業がアメリカのオフロード市場の「草の根活動」から撤退して久しいが、そんな中にあって、KTM社は地道な活動を展開しオフロード愛好家からの信頼を得つつある。「KTM Ready to Race」単純明快なコンセプトが、アメリカのオフ市場を席巻する日が近い事を予感させると昨年の当ブログにも書いた。世界のトップアマチュアが勝つために選ぶマシンがKTMだとすれば、彼らがオピニオンリーダーとなって市場を引っ張るので、日本メーカにとってはその脅威が現実になっているかもしれない。(別件だがKTMについて:KTMの大株主はインドのバジャージ社。BMWの傘下にあった、ハスクバーナ社をKTM社のCEOが最近買収)

かって、日本メーカーがオフロード市場に進出する際、最も大事にした購買層はキッズ市場、各社ともキャンペーンを組んでこの層のユーザーを大事に育ててきた。だいぶ昔の話しだが、アメリカの訴訟問題が加熱した時期に、訴訟問題を恐れた企業は子供向けモトクロスやオフロード市場から撤退した。唯一、カワサキだけがTeam Green組織を維持し続け、マシンも提供し続けることで、カワサキは65、85だけじゃなく125、250に乗る多くのキッズたちを支援してきた。それによって、キッズたちもカワサキライダーである誇りと忠誠心を持ってくれるようになってきた。だが今、KTMが代替して多くのキッズユーザーをサポートしている。

★アメリカはオフロードの大市場、その原点を、前出のWorld Mini Grand Prixでも書いたが、全米には、多くの市民がオフロードを楽しむエリアが幾つもある。現地に行くと、そこには数台のキャンピングカーを中心に、父親と少年少女達がモータサイクルや四輪バギー、VWの改造車でビュンビュンと走リ回っている。側で、母親はキャンピングカーに張ったテントの下で昼食のサンドウィッチを準備をしていて、楽しそうな家族的な風景があった。どちらかと言えば、キャンピング地の近くは、リタイヤした老人達が余生を過ごす場所でもあるが、泊ったホテルの食堂は家族が楽しむ場所でもあった。そこには、暴走族まがいの人達は一切おらず、あくまでも家族単位の行動で、アメリカの週末の過ごし方の一つを垣間見る事が出来た。アメリカ人は長い開拓移民時代に、家族が一つの単位となり、幌馬車に揺られて 新天地を求めて歩み、永住の地にたどり着いた歴史がある。その頃の開拓民にとっては「家族」が唯一の財産であった時代の名残が、いまも脈々と受け続けられているのだろうと思った。開拓時代の馬が現代は単にモーターサイクルに替わっただけなのだろう。一家の宝である自分の子供が英雄になった、この瞬間瞬間を家族は大事にしていくのだろう。一時期、アメリカの家庭もドラッグ等の家庭内暴力問題が深刻な課題としてクローズアップした時期があった。その時期、家庭内のコミニュケーションツールとして活用された一つがMXだったと聞いたことがある。
 

一方、Pro CircuitのオーナーMitch Paytonは、モトクロスのファミリーチームにアドバイスをと質問を受け、こんなことを言っている。「まずは楽しむこと。12歳の子供に夢を背負わしちゃいけない。国内転戦とか頑張り過ぎるのもどうかと。まずは自分のエリアで頑張るといい。 多くのファミリーがでっかいモーターホームを買って全米を転戦してる。だけど普通のバンにバイクを積んで、家族でローカルレースを楽しむのもいいじゃないか。 レースだからそりゃ誰かが優勝するんだけどさ、やるだけやって楽しんで6位でも最高じゃないですか。全然恥ずかしいことなんかじゃないよ。」
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