雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

子どもたちと孫たち

2017-02-24 07:27:45 | 日常生活、園芸、バラ

子どもは親に似るのかどうか?

息子と娘の二人のコドモがいるのだが、娘は父親に、息子は母親に、などとも言うが確かにそんなところがある。

性格的には、娘は間違いなく私に似て、ちょっといい加減なところがあるし、息子は家内に似て結構きっちりしている。

娘はネットもやるが、息子は殆ど関心を示さない。

息子のところに一人、娘に3人,男の子ばかりの孫がいる。

大学生が3人、高校生が一人。

 

 

この孫たちは、誰に似てるのだろうか?

 

 

 

  

 

  つい先日、こんな私の若い頃の写真をFacebook にアップしたら、

遠くアメリカの娘のお知り合いから、こんなコメントをいただいた。

 

Yukiko Takabatake
Yukiko Takabatake  横からすみません。 お孫さんの「てっちゃん」にあまりにもそっくりで驚いております!
 
 
 
 
   
 

    

 これは、いま日本の大学に来ている娘の長男が、春休みでアメリカに戻っているので、久しぶりに3人そろったからと送ってきた写真である。

 背の一番高いのが末弟、次が真ん中、長男が一番小さいのだが、末弟の哲也は186cm になったと言って娘はこの写真を送ってきた。

 そんな背の高いのは、誰に似たのだろう?  長男の馬鹿みたいに理数に強いのは誰に似たのだろう?

 3人3様で、あまり似たところがない。  末弟はそう言えば、顔だけは『私に似てる』かも知れない。

 

 

 

 

 これは昨年秋、アメリカのスタンフォード大学に、娘の次男のサッカー試合を観に行った時の写真で、4人揃った珍しい写真である。 

息子はこの試合を観るだけのために、わざわざ日本からやってきた。

子どもの頃から、野球もちょっとだけはやったのだが、何故かサッカーに熱中して、今の全日空もサッカーで入れて貰ったようなものである。

娘の次男も自分が教えた『お弟子さん』だと思っているのに違いなくて、その成長ぶりを確かめに来たのだろう。

 

   

 

 これはその日に、孫のチームのゴールキーパーが、アメリカ代表監督のクリンスマンの息子さんなので、息子の試合を観に来たクリンスマンさんである。ここでは監督ではなくて単なる息子のおやじに戻っている。 でも、こちらはちゃんと血を受け継いでいて既にアメリカの20歳以下のチームのゴールキーパーにも選ばれているのである。

 

 

娘夫婦は二人ともバスケットで、孫の末弟が生まれたときは、バスケのゴールのおもちゃなど買ってきてバスケの選手に育てたかったのに、何故かみんな『サッカー』になってしまった。

 

  

 

 

 こちらは息子のほうの孫、古谷仁 である。 

サッカーもやってはいたのだが、大学でダンス部にはまってしまって、卒論のテーマだとか言って、パリやニューヨークまで出かけて踊ったりしている。

なかなか、子供は親の思う通りにはならないものである。

 

     

 

 

  これは、娘の宅の食卓の写真だが、

 

  

 

  この量は、半端ではないが、これは間違いなく娘婿のDNAを受け継いでいるのである。

 こんなに、食うのだから日本ではとても家計が持たなかったと思う。

 肉や食料品の安いアメリカでよかった。

 

 

★ 孫たち4人それぞれだが、未だ今のところ、彼女の噂を聞かないのは、今どきの若者にしては不思議である。

 最近は、晩婚が普通になってしまったから、果たして『曾孫』の顔は、見ることができるのだろうか?

 孫たち、今からどんな人生を歩むのだろうか?

 最近は、みんな一応はFacebook をやってるので、何となく、何をしているかは分かるのがいい。

 今年は、私を含めてどんなことになるのだろう?

 

 

  

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カワサキの想い出 そして未来  雑感

2017-02-23 07:03:14 | カワサキワールド

★ 明日はカワサキワールドに、登山道夫さんとご一緒することになっている。

 

       

 

  私としては、現役時代 色濃く関係した KAZE X-11 をぜひ見てみたいのである。

 

     

 

  これもカワサキワールドでの写真だが、X-11は、若き頃の山田浩平くん(真ん中)の作である。

 

 

  『カワサキの想い出 そして未来』 カワサキの真打と自称する平井稔男さんが主宰して、開催したイベントだが、東日本大震災の年の同じ3月、その1週間ほど前のことだった。

   http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/25c42e14dbc298afa9a0315354203a67

 まさに『カワサキの想い出』に相応しい、かってのカワサキを創ったメンバーたちが集まった

 

   

 

  幕開けの川崎重工関係者のご紹介は、なかなかの大物揃いだったので ここだけ私が受け持った。

 右から元川崎重工業 田崎社長、高橋副社長、当時の高田本部長、稲村、百合草、大槻さん、そして左で写真を撮っているのは二輪車新聞の衛藤さんである。

  

 平井さんだからこそ、こんなメンバーが集まった。

 

   

      

 

      

 

      

 

 

   過去の職位などに関係なく横一線なのがいい。

    https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%82%B5%E3%82%AD%E3%81%AE%E6%83%B3%E3%81%84%E5%87%BA%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%80%80%E9%9B%91%E6%84%9F%E6%97%A5%E8%A8%98&biw=1678&bih=896&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjl-J2sl6PSAhWCvLwKHRvpBqkQ_AUIBygC#tbm=isch&q=%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%82%B5%E3%82%AD%E3%81%AE%E6%83%B3%E3%81%84%E5%87%BA%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E6%9C%AA%E6%9D%A5

      

 

  『カワサキの想い出』としては、最高のメンバーで、こんな新しい人たちも顔を揃えたのである。

 

     

 

  これは私のシャッターだが、珍しい顔合わせである。

左は、今はアメリカのKMC社長をしている田村くん、右はかってのホンダのファクトリーを担当した渡辺さん

後ろにちょっと写っているのは、『二輪文化を伝える会』のヤマハで鈴鹿8耐を何度も走った松島裕さん.   http://2rin-tsutaeru.net/  である。

村島邦彦さんと一緒に、『二輪文化を伝える会』スタートしてもう何年になるのか、間違いなく日本でトップを走る素晴らしいものになるはずである。

KAWASAKI Z1 FAN CLUB    http://z1fc.com/   の登山道夫さんとその質を競っている。

 

 

 

 

           

  

    こんな ホンダ・BS・ヤマハ・スズキ・カワサキ かってのレース関係者たちが集まってくれたのである。

 

   もし、おられたら一番お招きしたかった方、大庭浩川崎重工業社長 声を掛けたら間違いなく喜んでご出席いただけたと思う。

   大庭さん、二輪のこんなイベント、大好きだったのである。

   大庭浩本部長・高橋鐵郎副本部長のコンビで、カワサキの二輪事業は復活したのである。

  

   

 

 

 ★メーカーでは、なかなかできない こんなイベントを契機に、メーカーに拘らない催し物が開催されるようになったのである。

 小島松久・吉村太一さんが主宰された『マウンテンライダースの50周年記念』のこんな盛大なパーテーに、全メーカーのレース関係者が招待されたのである。

 カワサキ・レース関係者の顔も見えるのだが、金谷秀夫とはこれが最後になった。

 3月2日、たまたま私は誕生日であったことから、太一ちゃん、気を遣ってくれて、特別に豪華な花束を頂いたりした。

 

    

 

    

 

 

★なぜ、突然こんな昔のことを書いているのかというと、『カワサキの想い出、そして未来』で開幕のご挨拶をしてくれた田崎雅元さん、その後体調を崩してずっと静養中だったのだが、今年突然の復活なのである。

 昨日も、『3月16日の相信会に出席するので・・』との連絡が来たので私も予定を変更して出席することにしたのである。

    

 

 それとは別に、単車の昔の仲間たちで、灘の『酔心館』でこんな飲み会もやっているのだが、高橋・田崎さんも出席できなくなってしまっていたのだが、次回の3月30日には久々に田崎さん、出席するというのである。

   

 

 カワサキの二輪事業を支えてきた人たちで、過去の想い出を語るのも楽しいのだが、未来に向けて銘柄の枠を超えた『二輪業界のつながり』がレース界のような形になればいいなと思っている昨今なのである。

 

 そのためには、田崎さんももう一度元気になって欲しいし、今年AJは引退した 吉田純ちゃんも、カワサキOBとして、未来に向けてまだまだ頑張って欲しいなと思っているのである。

 

      

 

  

 

  いま人気のこんな方と、ツーショットで写っているのだから、まだまだ期待したい人なのである。

  吉田純一さんとは、Facebook で毎日繋がってるので、こんなブログをアップしておけば、間違いなく伝わるのである。

   https://www.facebook.com/junithi.yoshida?fref=pb&hc_location=profile_browser

 

  明日は、またカワサキワールドで、X-11を見たら、私も昔を思い出して、また頑張れるかも知れない。

 

 

   Facebook で早速 吉田純ちゃんからこんな写真とメッセージが届きました。

 

  

 

  昨日は全国用品連合会で講演をさせて頂きました(^^)懇親会にオートバイ議連の今村復興大臣や自民党PT事務局長の三原じゅんこさんが出席して頂きました(^^)途中で東京オートバイ組合の懇親会に移動して小池知事を招待しました。議会の最初の日でどうなるか?と待っていると車から降りると笑顔で来たよと言って頂き、待合室に入って6時丁度に会場に入って頂き一番にご挨拶して、オリンピックに向けて駐車場を整備します(^^)と言って頂きました。他の来賓、国会議員や都議会議員が良く出席したなーとびっくり‼️していました(^^)聞くと組合や協会の会に参加するのを初めて見たとの事で、オートバイ組合がずっと応援した甲斐がありました(^◇^)

 

古谷錬太郎
益々のご活躍何よりです。二輪業界も何とかメーカーの枠を超えて協働する体制になればいいですね。
小池さんなど、ちょっと手伝ってくれたらと思います。
吉田 純一
 多分小池さんはオートバイに理解があるので手伝ってくれると思います。昨夜の国会議員の国土交通委員長秋元 司さんは小池知事がああ言ったから進むのではと言ってくれました。
 

 

 

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カワサキの二輪事業と私 その41 昭和45年 (1970) 

2017-02-22 08:48:59 | 自分史

★昭和45年(1970) 70年代に入った1年目は、第3次佐藤内閣がスタートし、大阪万博が幕開けして、新しい70年代となったのだが、3月末には赤軍派の日航機乗っ取りという大事件があったりして、なかなか大変だったのである。

前年には東大紛争があったりして、若い人たちの思想が何故か『先鋭化』していた時代だったのである。

      

        

 

 カワサキの二輪事業も、私自身もそんなことには一切関係なく、『新しい時代へ』と踏み出していっていた時代である。

KMCがスタートして3年目、マッハⅢをベースとしたレーサーがデイトナにデビューしたのが前年で、このレースに参加したKMC系カワサキ・ワークスが、チームカラーとして、はじめてグリーンを採用したのである。

 

  私と同期の平井稔男さんのブログから、

   

        赤タンクのカワサキから70年代に入って日本でも本格的な『ライムグリーン』の時代へと入っていくのである。

                

     

 

 カワサキのレーシングチームがスタートしたのはモトクロスからだった。当時は2サイクルを持たなかったホンダはモトクロスには参加していなかったから、カワサキの赤タンクも何の問題もなかったのだが、その後ロードレースに進出してみて、初めてホンダが赤タンクなのに気が付いたのである。『これはちょっと・・・』と思っていたのだが、すぐにはどうしようもなくて、1966年、FISCOのGPに出場した時もカワサキは赤タンクだったのである。 

アメリカで『ライムグリーン』を採用してくれて、内心ほっとしたのを覚えている。この『ライムグリーン』を誰が決めたのかなと思っていたのだが、ごく最近ZIの40周年に斎藤定一さんとアメリカでご一緒して、たまたまこの話になったのだが、当時KMCのR&Dを担当したばかりの斎藤定一さんたちが決めたという話を伺ったのである。

本来、コーポレートカラーなど本部が決めるものなのだが、国内で使った赤は当時の製造部が、このライムグリーンは出先のKMCで決めたなど、この辺りはいかにも当時のカワサキらしい奔放さなのである

 

 ★この年から『仙台事務所』も4年目となり、私自身は4月からは東北6県に加えて、北海道も担当することになったりしたのである。所謂、北日本ということでそうなったのだと思うが、4月に札幌・北見・釧路・帯広・旭川・函館を回ってみて、この広さではとても実際には担当できないなと思ってしまったのである。明石から見たら北海道は東北の隣だと思うのだろうが、明石―仙台が1000キロなのだが、仙台―札幌が同じく1000キロなのである。なぜこんなことが解るのかというと、当時の電話代は距離で値段が設定されていて、明石に電話するのと札幌に電話するのとが同じ料金だったのである。

前年度からカワサキオートバイ販売は、田中誠社長になり、台数よりはその経営内容の健全化が第一目標で、実質的には各代理店の『カワ販の子会社化』への方向が検討され始めたのである。北海道の各代理店は、代理店権を返上するか取引中止の方向だったのだが、東北は各県代理店の販売台数も国内最右翼だったので、青森・秋田・岩手・山形・宮城・福島の各県代理店をどのように対策するかを総合的に検討されたのである。代理店の社長も元々の地元の方たちが当たっていたので、その人事対策が『カワ販』としても一番ムツカシク大変だったのである。

この件については、田中誠社長が直接指揮をとられたので、4月から毎月、社長が東北に来られるか、私が明石に出張して直接その指示・対策などを具体的に受ける形になったのである。微妙な問題も多かったし、各代理店の従業員の方たちはカワ販籍になることには特に問題もなかったのだが、かってのオーナー社長の方々にとってはその想いはいろいろだったのである。加えて、私よりはずっと年配の方が多かったので、未だ30代の私としてはなかなか大変だったのである。

経営は健全でなければならない』とはこの時本当に身に染みてそう思ったのである。経営の規模は小さくても健全経営をされていた半数以上の代理店は、それぞれ新しい道を歩かれたのだが、累損のある代理店は意志に反した方向に動くことも仕方がなかったのである。

 

★そんな代理店の経営対策とは別に『中・大型車のスポーツ車』への対応として、この年の1月から仙台事務所の敷地内に直営の『スポーツショップ』を開設すべく検討を開始し、新店舗を建設しその担当には宮城カワサキの工場長服部謙治くんを当て5月にオープンしたのである。

服部謙治くんは東北の「モトクロス・チャンピオン」でもあったことから、このショップには若い人たちが大勢集まって結構台数も捌けたのである。現在の『カワサキプラザ仙台』のある場所で、50年近くも前の話だが、本格的なチューニングショップなどの機能も備えて、多分今でも通用するような内容で、当時としては二輪業界の最先端を走っていたのである。

当時のMFJの東北担当だった佐藤さんを援けて宮城県の柴田郡村田町菅生に『仙台テクニカルランド』という大きなモトクロスコースを造ったりしたのだが、これなども服部謙治くんやそのグループがいろいろ関係してそのプロジェクトを手伝ったのである。この話は、あまリ知られてはいないが、このレース場は翌年、MFJ日本モトクロスGPの会場となり、その後『ヤマハ』さんが関わって、現在の スポーツランドSUGOに発展していくその前身なのである。

服部謙治くんは、その後独立して仙台に『服部カワサキショップ』を立ち上げて、長くカワサキに貢献してくれたのだが、彼が郷里の岩手に戻って販売店をやるというのを、無理矢理『仙台で』と引き留めたのだが、それがよかったのかどうか?  服部謙治くんにはいろいろお世話もしたし、お世話にもなったのである。

 

   

 

   服部カワサキのホームページからの写真である。

 

     

  

4サイクルを触らせたら、抜群の技術を持っていたが、レース関係では山本隆くんや、松尾勇さんが服部くんには特別待遇で接していたのである。

 

 

★そんな想い出いっぱいの『仙台事務所』なのだが、この年の10月に東北6県の代理店を纏めて『協同組合化』するのだが、その事務局長を石塚鎰司さんに任して、私は大阪営業所に異動することになるのである。

実質、3年9か月の東北勤務だったが、代理店経営の色々も解ったし販売網の育成・管理など本当にいろんなことが学べたのだが、何よりも、当時の日本国内でダントツの販売台数を誇った『岩手カワサキの久保克夫社長』から学べたことは大きかった。

久保さんの口癖の『日本のチベットの岩手の田舎』でなぜこうも売れるのか? 販売網と一口に言っても、『岩手の販売店の久保さんに対する信頼感』みたいなものはまさに『別格』なのである。久保さんは運転免許をお持ちでないので、私が運転手で岩手の販売店の殆どを回ったのだが、その時の久保さんの対応を直に見せて頂いて学んだことは大きかった。久保さんは販売店を回っても『売って下さい』などとは一切言われないのだが、雑談をして回るだけで大丈夫なのである。『ベースに販売店を育てる』という想いがあれば、それでいいのだということを教えて頂いて、その後私も販売店に『売ってください』などとは絶対に口にしなかったのである。

二輪の販売店など一番売りたいのはセールスなどではなくて、販売店自身なのである。然し結構販売店にも悩みがあって『売らない』のではなくて『売れない』のも事実なのである。それを取り除く努力も要るのだし、それを『大きな仕組み』で解決する方向を教えてくれたのが久保さんだったのである。

ベースにお互いの『信頼感』がなければ、販売に限らず世の中のいろんな事柄も始まらないのである。東北で『出会った』いろんな人たちから頂いた『ご縁や経験』がその後の私の『生き方の原点』になっているのである。

 

★これは、全くの『私ごと』なのだが、この年は前述したように明石への出張も多かったのである。

当時の日本では、『土地を買い自分の家を建てるという時代』が始まりかけていて、たまたま6月に出張で明石に戻っていた時に、かって広告宣伝課当時に出入りしていた印刷屋の田中さんがダイワハウスのセールスに転職していて、『廣野にいい土地があるから買って下さい』と言うのである。ぜひ現地をと連れていかれて、未だ何もない広大な造成中の土地だったが、今の緑が丘なのである。総務課が『資金は幾らか貸す』などと言うし、田中さんは『家を建てるのはいつでもいい』という条件だったので。出張中に予約書にサインしたのである。

こんなことが素直に決められたのも、当時の仕事の判断は自分独りで決めるという習慣になっていたし、東北での人たちとのお付き合いから私の『性善説』がピークの時期で、人は『騙したりはしない』と思い込んでたからなのかも知れない。結果的には、三木緑が丘は私の一生で一番長く住んだ土地になっているので、その判断は『よかった』というべきなのかも知れない。

 ただ、仙台から直接明石に戻ることはできずに、この年の10月には大阪営業所の勤務となって、高槻に居を構えることになるのである。そのテリトリーは大阪・奈良・和歌山・京都・滋賀の5県で、『大阪母店長』として大阪営業所長を兼務して私としては初めての『第1線営業』の経験となったのである。

 

★仙台事務所の土地も、『仙台事務所』を造るべく新しく購入したのだが、大阪営業所も大阪万博の年に土地を購入し新しく建てられたものである。

この土地の購入に当たっては、当時の高橋鐵郎直営部長と岩崎茂樹くんとのコンビで見つけてこの年の春に、新しく建てられたもので、そんな営業所に新しく赴任することになったのである。 仙台も大阪も50年経った今も『カワサキプラザ』として形を変えて存続しているのである。

この年の10月からは、大阪営業所長を兼務することになるのだが、大阪・京都・滋賀・奈良・和歌山の5県の営業所を統括する大阪母店長としての異動で、販売台数としては当時の東北6県の台数とは比較にならないくらい少なかったのだが、管轄する部下の数は飛躍的に増えたという新しい環境での第1線営業となるのである。

まず、大阪営業所員とのミーテングを連日行うとともに、大阪の販売店はできる限り訪問することから始めたのだが、当時の取引先は帳簿に載っているところは500店もあったりする今では考えられない状況だったのである。

 

 この年の12月1日の日記に、こんなことを書いている。3ヶ月経って東北のことは殆ど頭から無くなっている。

 

      

 

  ここに登場する『宮本くん』とは後、滋賀カワサキの宮本進くんだが、今でもお付き合いのある私の仲間の一人である。彼はなかなか自分の意見を確りと言える人で、当時は一番うるさいと言われていた船場モータースを担当していた。

彼が言う『会議が多すぎる』と言った真意は、セールス1日何時間以上外に出なければ、『その日の日当が出ない』という規定で、会議の時間が多いと日当が貰えなくなると言うのである。そんなことが解ったので、日当は外に出ても出なくても『月20間とする』という大阪独自の規定にしてすぐ対応したのである。部下との意志疎通がないと部下の管理など出来るはずがないし、部下がNOと言えないような関係では、『何もできない』と私は信じているのである。

ここにはこう書いているが、私の感覚としては昭和45年までは東北仙台だったという感覚なので、大阪での話は、次回からスタートすることにしたい。

 

 

★ その歴史ー「カワサキ二輪事業と私」を最初からすべて纏めて頂いています

https://www.facebook.com/%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-662464933798991/

 

★ https://www.facebook.com/1126074024157186/

  

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タブレットモード

2017-02-21 07:37:45 | ネット、Twitter & Facebook

★パソコンの技術的なことなど何も解っていないのだが、昨日突然こんな画面に変わってしまって、どうすればいいのか最初はさっぱり解らず困惑していたのである。

 

  

 

仕方がないので、一つ一つ開いて試してみたのだが、何となく解るのもあったし、皆目見当のつかないものもあったのだが、

右のほうに『Internet Explorer』があったのでこれをクリックすると、いつもの画面になって、ブログ・Facebook ・ツイッターなどいつも使えるものが出てきたので、何とかホッとしたのである。

 

    

 

  こちらが従来の画面で、この中に並んでいる アイコンをクリックして私はパソコンを動かしているのだが、

 

   

 

 

その画面に記載されているアイコンのうち、幾つかは新しい画面には出ていないので、例えば よく使う『ムービーメーカー』や『スキャナー』の機能はどうするのかと、困っていたのである。

私は、パソコンで困った時は、いつも富士通の『お客様相談室』に電話して対応して貰うことにしているのである。1件に付き2000円ほどは掛かる有料なのだが、何を聞いても大丈夫『解決する』のである。2ヶ月に1度ぐらいの頻度でお世話になっているのだが、昨日は6時ごろ突如こんなことになったので、翌日9時まではどうしようもなかったので、新しい画面で、いろいろ遊んでいたのである。

そうすると、いろんなことも解って、解決したことも多いかったのだが、

 

   

 

  よく使う『Snipping Tool』はこんなアイコンらしきものはあるのだが、『使えない』のである。

  そのほかの機能の例えばニュースや

 

  

 

 

   三木の天気予報など、

 

  

 

  いい情報も沢山あって、なかなかオモシロいのである。

 

★ 朝9時に、早速富士通の『お客様相談室』に電話して聞いてみたら、

 

   

 

 この画面の一番下のラインの一番右の FMVの下にあるマークをクリックしたら、『タブレットモード』という枠が現れて、それをクリックしたら、『タブレットモード』にもなるし、『従来のような画面』にもなるのである。

単にそれだけの話なのだが、それが解らないから『お客様相談室』が必要なのである。

 

ただ、『Snipping Tool』は タブレットモード の中にも表示されるのに、どうも使えないのである。これは『お客様相談室』の担当者にいろいろ聞いたのだがダメだった。

何故かな? と不思議に思っている。

このブログに載せた『写真』も、アイコンが並んでいる画面は、Snipping Tool で切り取ったものだが、タブレットモードのものは文字通り『写真』を写してそれを貼り付けたものなのである。

まあ、いろいろあったが、一件落着でよかったと思っている。

 

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築地市場 と 石原慎太郎さん

2017-02-20 07:16:26 | 発想$感想

 

 ★いま、『人気のキーワード』としてはこんなのが並んでいて、『築地市場』がそのトップに来ている。

 

      

 

 そしてそれをクリックするとこんな記事が並ぶのである。

 

    

 

 

小池さん独特の政治手法に、石原慎太郎さん、『ハマってしまったな』と思っている。

 

 

★石原慎太郎さん、同年代なのである。

 

   

 

大学時代に『太陽の季節』で突如有名になったのだが、直接関係などはなかったのだが、私自身が大学生だったし、たまたまだが大学の野球部の先輩の住所が当時『石原慎太郎宅』であったりしたことが解って、その弟の裕次郎のことなども話題になったのである。その野球部の先輩が明石に関係があったので余計に当時関心を持ったのである。

大体『ファン心理』というのか『ファン』になったりするきっかけは、そんな『何か』があるものなのだが、私にとっては石原慎太郎は半年上裕次郎は1年下だったし、当時は石原兄弟は特別の大スターになったものだから、私自身も非常に関心を持ったし『ファンになった』と言って間違いないのである。

 

    

 

石原慎太郎については政治家になってからも、独特のものを持っていたし、東京都知事になっても東京都民の人気も絶大で、都庁に週何日しか出勤しないということも聞いていたのだが、それさえも『流石 石原慎太郎』と思ったりしていたのである。  

都知事に出馬したのが1999年で、それは私自身現役を引退した年だから、大したものだと思っていたのである。

経歴を調べるとこのように書かれている。

1999年東京都知事選挙に出馬。立候補の表明は有力候補中最も遅かったが、舛添要一・鳩山邦夫・明石康・柿澤弘治といった有力候補を抑え初当選する。2003年東京都知事選挙では都知事選史上最高の得票率で再選、2007年東京都知事選挙では浅野史郎らを破り3選。2011年東京都知事選挙では当初不出馬が取り沙汰されたものの、東国原英夫らを破り4選。後継に猪瀬直樹副知事を指名し、次期衆議院選挙に出馬するため東京都知事を辞職。

 

★今回の『築地市場』問題は、従来からいろいろ言われていたし、実際には都庁の副知事以下の都職員や、都議員たちの利権なども絡んでいていろいろあるのだろうが、石原都知事時代に決定されたことは間違いないのである。

 

そうだとしたら、東京都知事だったのだから「責任はない」ということにはならないので、問題の性質から言ってどんなに転んでも『石原さんの大勝利』などには今更絶対にならないのだから、いい加減に『静かに対応』していればよかったのに、反応してしまってマスコミの『いい餌食』になってしまった感がある。

 

今回はその対応を完全に間違ったなと思っている。

それにしても、石原慎太郎さん、テレビに映る姿を見ると『老けたな』と思うし、歩く姿がトボトボで、同世代のかってのファンとしては『石原慎太郎のあんな姿』はあまり見たくないのである。

 

本件なぜ、こんなことになってしまったのだろうか?

小池百合子さんも好きな政治家の一人だが、この問題の根は昨年の『東京都知事選』が原点なのだろう。

アノ『大年増発言』を小池さんは忘れられないのだろうし、いろんな仮想敵を創って、それを打ち破って成果を上げる小池さんの政治手法としては『石原慎太郎は格好の標的だったのだろう。

 あの選挙応援に石原さんが出てきたのは、『長男の石原伸晃』さんが自民党都連の責任者だったからその応援を頼まれたのだろう。

4人の子供さんたちも、あれくらいになればそれぞれ普通なら立派なのだが、石原慎太郎・裕次郎が立派過ぎて、どうももう一つだなと思ってしまうのである。

石原伸晃』さんが、そんな父に未だに応援演説を頼んだのが間違いだったと思うし、石原慎太郎さんももうすっかり成長している子どもさんの応援などしなかったら、こんなことにはならなかったのにと、残念に思ったりしている。

 

石原慎太郎・裕次郎兄弟 はこんな感じが、私の中では一番似合っているのである。

もうだんだんと世の中でも少なくなりつつある『昭和一桁世代』なのである。

そんな『昭和一桁世代』の一人として、年寄りの『いい昭和の夢』を壊さないで欲しいなと思っている昨今なのである。

 

   

 

  果たして、このあとどんなことになるのだろうか?

 

 

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庭仕事と小鳥

2017-02-19 07:16:45 | 日常生活、園芸、バラ

★暖かかったので、昨日は庭に出て朝はバラの2回目の消毒もしたし、午後からはちょっと『土いじり』をした。

土を触ったりするのは結構好きで、やりかけると2時間ぐらいはやったりする。

庭の端の方から草抜きや、植木の剪定などやりかけたら、小鳥がやってきた。土を掘ると虫か餌かが出てくるのかも知れない。

あまりに近くまで来るので、カメラを取りに戻って、写してみた。

何をするでもないのだが、ずっと周りにいるのである。

 

小鳥など生き物は兎に角好きなので、小鳥が巣でも作らないかと、昨年から巣箱など木に掛けているにだが、一向にその気配はない。

 

 

 

鶯ではないように思うが、何という名前の鳥だろうか?

 

   

 

   

 

 

   動画をFacebook にアップしたら、松澤さんが

    

 

 『ジョウビタキ』だと教えて頂いた。

 検索するとこんな写真が現れた。

 間違いない『渡り鳥』だそうである。

 

 

  

 

  

 

 千両や万両など実がいっぱいなるので、もう少し大きい鳥たちもやってくる。

動画の中にも映っているが、万両も千両の実も、いっぱいあったのに見事に鳥たちが食べてしまっている。

いつも大体、この時期である。

正月前から、ちゃんと実はついているのに、1月は鳥は来ても実を食べたりはしないのは、何故かなと思っている。

 

 

   

 

     万両の実も見事にナイ。

 

  千両も殆ど食べられてしまっている。

 

    

 

  千両は株分けをするのだが、

  万両は放っておいても種から毎年何本も芽を出す。

 

 

  

 

   こんな処からも小さな芽が生えている。

 

  

 

   なかなかいい午後のひと時だった。

 

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ニュースいっぱい

2017-02-18 07:22:02 | 発想$感想

 

★ 昨日は、雨がしとしと降っていた。 外にも出れないのでパソコンの前と、テレビを見て過ごした。

次から次に、ニュースはいろいろあるものだ。

退屈せずに見ていた。

 

この地域は風など全然吹かなかったが、関東は『春一番』が吹いたようだ。

成田空港など、着陸できなかった航空機もあったとか。

春一番』は南風だから、これが吹くと暖かくなるとか、関東は20℃を記録したとか言っていた。

   

 

   

 

   これは宇宙衛星からの写真だが、東京あたりが見えないのは『砂埃り』だそうである。

 確かに、雲とはちょっと違う。

 

 

   

 

   

   国会中継の『予算委員会』の審議を観ていた。

  民進党の議員が質問していたが、いつも思うのだが国家の審議というかやり取りは、一般社会のそれとは違って、どうも質問と答弁が嚙み合わない。

  そのように応えるのが、『予算委員会の技術』なのかも知れない。 

 

 

    

  

           安倍さんなど、上手く答えるものである。

 

    

    

    『裁量労働制』などと言う新しい働き方の問題を取り上げていたが、どこに問題があるのかもよく解らなかった。

   法務大臣の答弁が、もう一つでやり玉に挙がっているが、確かに『もう一つ』である。法務大臣だから弁護士のようにうまく答えるのかと思ったのだが・・・

 

橋下徹さんの、昨日のツイッター。

 

    2017年02月17日(金)

@t_ishin

橋下徹@t_ishin

h-ishin.com/ishin-party/ja

高市総務大臣「大阪府の借金は橋下・松井府政で減った」 内閣官房参与藤井、元首相秘書官飯島、大阪の自民・民進・共産をはじめ橋下が大阪府の借金を増やした!大阪府を起債許可団体にした!と叫び続けたデマ野郎ども、しっかり勉強しろ。

posted at 10:04:10

 

  とあったので、You Tube を捜したら出てきた。 高市総務大臣、確かに橋下徹さんが言ってるように答えている。

  如何にも橋下さんらしくオモシロい、『日本維新の会の議員に質問させている』のである。

  

    

     

 

トランプさん、ちょっと、静かになったのかと思ったら、80分の『単独会見』 記者会見というよりも、ご自身の言いたいことはみんな言う。相変わらずメデイア批判の独壇場だったようである。

 でも、これが出来るのも、実力のうちかな? オバマさんの8年間の日本でのテレビ放映時間よりこの4週間のほうが多いのではないかと思ったりする。

 マスコミは無視すればいいのに、文句を言う割には『取り上げる』のは、『視聴率アップ対策かな?』と思ったりする。

 

 

      

 

 

★こちらも、来週はいよいよ石原さんも出てくるし、東京は目が離せない。

 『崖から飛び降りる覚悟』で知事選に出てから、未だ1年も経っていないのに、東京都自民党は7月の選挙ではどうなってしまうのだろう。

 『過半数を目指す』などと小池さん、意気盛んである。

 

 

      

 

 

★世界は目まぐるしく動いている。

 小池さんが東京都知事になったのは昨年の7月末、トランプさんが大統領になったのは今年の1月20日

 私の持論、実力のあるリーダーがやる気で動いたら『半年あったら物事は実現する』『半年で目途の立たないものが10年経ったら出来る保証などない』と思っているのだが、お二人ともそんなスピードで動いているのは気持ちがいい。

コストの中で一番大きなものは時間』でその時間に比例して膨大な『人件費』が掛かっていることをが、案外忘れられている。行政でも企業でも、その事業体の『トータル時給』は、一体1日で『幾らかかっているのか』計算してみれば明らかなのである。

安倍さんは橋下さん、小池さん、そしてトランプさんとも『相性がいい』 この方たちはテンポもスピードもあるので、こんな政治家が上手く繋がって、世界や日本が動けば非常に効率的だなと思っている。

そういう意味で、何となく、今年は『オモシロくなりそうだな』と思って眺めているのである。

 

 

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今回の東芝問題で思うこと・・・

2017-02-17 06:29:57 | 発想$感想

 ★トランプさんの話で騒がしかったが、今度は金正男が毒殺されてそんな話で持ちきりである。昨日は、アメリカのダムが決壊するかも知れないというニュースを紹介したが、こんなニュースは『大したニュース』ではないと錯覚してしまうような感じである。

 

そんな中で、東芝が7000億円の損失で『債務超過』に陥ったという大ニュースも流れたのだが、周囲が大きなニュースばかりなので、その注目度も割引されてしまうようである。

 『東芝』は どんな会社なのか? 

松下・ソニー・シャープ・東芝などなど我が国の一世を風靡した『弱電業界』の優良会社の一角だとは思っていたのに、そんな『弱電業界』がこのところ盤石ではなくなってきているのである。

なぜ、そんなことになってしまうのだろうか?

これらの大企業をここまで持ってきたのは『Top経営者』たちの素晴らしさがあったのだと思うが、昨今の低迷は、逆に『サラリーマン経営者』ばかりで全然『経営者らしくない』ことが原因なのだと思っている。

どこかの企業で3代の社長が、会社の経営数値を誤魔化したという、まさに『サラリーマン経営者』そのモノということがあったのだが、アレが東芝だったのである

超一流企業で、立派な学歴もありアタマもいいと思われる方たちなのに、その経営スタンスはその辺の一般サラリーマンと変わらないというか『基本的なご自身の経営哲学』をお持ちでないのだと思う。ご自身の担当期間だけいい数字を残そうとされるのが問題なのである。

 

★あの時点では、それぞれの社長の任期中の経営数値をちょっと『黒字化』するために触っただけという認識だったが、今回の7000億円という赤字の額は、各期の経営数値を並べてみると、『桁が違う』のである。

 

     

 

★ネットの中に何かないかな? と思って調べていたらこんな記事に出会ったのである。

  

 世間を騒がせている東芝の粉飾決算問題。

これによって歴代3社長が辞任するという事態となりましたね。このNEWSの衝撃は日本国内だけでなく、海外でも大きな波紋となっています。メディアでは「社長辞任」とか「粉飾決算発覚」みたいなことばかりで中々全容を掴むことが難しいですよね。

今回はこの東芝問題についてわかりやすく説明していきたいと思います。

東芝問題とは?

この問題は2015年の4月に表に出てきました。実際には内部通報で2月に発覚していました。その内容は「2009年6月~2013年6月に始まったとみられる東芝の営業利益のかさ上げで、最大2000億円規模に膨らむ可能性が出ていた」というものです。これは俗にいう不正会計の可能性ですね。不正会計とはその名の通り、実際の利益とは異なった金額で会計されていたいというものです。収支を偽装するというもので粉飾決算という表現をすることも多いですね。典型的なものは損益計算書の経常損益を意図的に操作して、企業の経営成績を隠蔽し実態より良く見せることが目的とされます。東芝もこの不正会計を行っていたということで調査を開始しました。そして、7月20日に調査書が公表されました。2014年3月期までの営業利益の水増しは1700億円を超える規模になると見られています。さらに最終的な損失額は全体で3000億円規模にまで達します。

そもそも不正会計をする背景には「赤字決算は信用不安を招き、営業上不利になることが多い」ことが影響しています。こういった事態をさけるために行われるのですが、投資家からしたら大迷惑ですよね。投資家は会社が開示した有価証券届出書などは正しいという前提で投資しています。

デメリットは”判明した際の社会的信頼が著しく低下すること”でしょう。

この会計問題ですが、3代に渡る経営トップが責任を問われる異例の事態となりました。そう、つまりは3人の社長が不正会計に関わっていたということですね。経営陣が「チャレンジ」と呼ばれる高めの利益目標を設定して、これを必ず達成するようプレッシャーを与えていたと言われています。組織ぐるみでの隠蔽といえますね。ただし、東芝は刑事事件化の可能性は低いとみられています。市場を欺こうとする悪意がなかったからです。大量の赤字を抱えながら嘘をついていたわけではなく、東芝は不正会計が行われなくても黒字だったとみられています。営業利益も1兆円とみられており、騙そうという目的はなかったと判断されています。

 

★この記事が書かれたのは、いつだったか3人の社長さんがアタマを下げたころのことだと思う。多分その時にも現在と同じような7000億円の赤字になるような事態にすでになっていたのだと思うのだが、そのことには触れられていないのである。

実態はそうであっても、多分その時点でトップの人たちはその事実を掴んでいなかったというか、そこまで『報告がされていなかった』のではなかったのか?結構、大企業のトップまで、『ホントの実態報告』が行かないことも多いのである。

大なり小なりサラリーマン経営者が経営する大企業の中にはこんな体質は眠っていて、それが表に出て急に予想が狂ったりするのは珍しいことではないのである。資金繰り』を実際にやらない事業部経営などではこんなことになり勝ちなのだが・・・管理損益でアタマのいい人が『陥りやすい』盲点だと思っている。

今回の対策もこのままでは『倒産』だからとにかく『資金を集めなければ』存続しないのだが、銀行は融資するとは言っているが、半導体事業の一部株式の売却益で自己資本を拡充する方向だという。ひょっとすると有望事業の『半導体事業』そのモノが出て行ってしまうことになるかも知れないのである。

経営者の経営責任』なのだが、まさかこんなことになるとは思っておらなかったのだとは思うが、これは大変な事態なのである。

 

 

★私自身は、末端の販社が実際の経営に当たる二輪業界の中にいたので、若い頃からずっと会社経営ばかりをやってきた。確かに台数も追っかけたが、それ以上に、バランスシートの中身がよくなることばかりを目指してきて、ずっとそれは実現できていたのである無借金経営が実現』していたし、総資本は年に4回転も回転していたレベルだったのである。

経営を担当する以上、単なる期間損益の黒字などだけではなくて、『従業員の生活・人生』を左右することにもなるので、自らの実績だけでなく確りした経営理念を持ってほしいものである。

つい先日、かって川重の社長をしていた田崎雅元さんと長電話をしたのだが、

彼が川重の社長をした時期は、なかなかムツカシイ時期だった。ちょっと背伸びして無配が続いた川重だったが、田崎さんの時代に結構中味を綺麗にして、確か関係会社を含めて全グループが黒字になったりした。田崎さん、技術屋のくせにバランスシートがよく解るのである。赤字で苦しんだ当時のアメリカの販売会社KMCを黒字にした時の経験が生きたのだと思う。結構ドライで『造船を子会社に分社』したりしたのでいろんな雑音も出るのだが、『中身をいい方向に立て直した』と私自身は思っている。

そんな昔話をしていたのだが、なかなか大会社の経営はトップに『ちゃんとした想い』がないと、東芝でもこんなことになってしまうのである。かって川崎重工業の屋台骨を長く支えた『造船』が今はムツカシイとか、世の中の変化は激しいのでその経営もムツカシイのだが、先日田崎さんとの雑談で出た『あまり高い数値目標』を『サラリーマン経営者に与えるとダメ』だなというのは真理である。

高い数値目標』を立てることは簡単なのだが、落とし穴もある。それを確りと受け止められる経営者がなかなかいないのが現実で、東芝の悲劇は間違いなく、高い数値目標追っかけた結果 なのである。

 

 

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全米最大の『高さの』ダム決壊の恐れ

2017-02-16 07:06:23 | 発想$感想

 

★ 『全米一高いダムの排水路が崩壊危機』『“全米最大”ダム決壊危機 住民に避難命令

 などのニュースが流れて、全米最大のダムとはどんな規模かと調べてみた。

   http://www.news24.jp/articles/2017/02/13/10353996.html

 

 ニュースを見る限り、大変である。

 Google Map でチェックしたら、アメリカはびっくりするほど多くの湖があるのが解った。

 『全米で一番高いダム』が正しくて、『全米最大』ではないようだが、それにしても広大である。

 

 

 場所はサンフランシスコの北、サクラメントのさらに上である。

 ご覧の通り湖はいっぱいある。 大きさで言えば小さいほうである。

 

 

   

 

       周辺を拡大するとこんな感じで、確かに下流に街がある。

 

   

 

   テレビのニュースで見ると普通は水が流れないところからも水が噴き出している。

 

   

 

 

   正常の水路の左側、のあたりで道が崩壊しているようである。

   

 

   正常の状態はこのようになっているのだが・・・

   

 

 

   ニュースはこのように伝えている。

  

     http://www.news24.jp/articles/2017/02/13/10353996.html

 

  

 

   Google Map はホントにいろんなことが解るのだがこのダム果たしてどんなことになるのだろうか?

 

 

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カワサキの二輪事業と私 その40 昭和44年 (1969) 

2017-02-15 06:55:12 | 自分史

★昭和44年(1969)、1960年代の最後の年なのだが、世の中もカワサキも大きな変動の時期だったと言えるのだろう。

もう忘れられた遠い昔の出来事になっているが、『東大紛争』があったのが68年から69年で、急進派学生が安田講堂を占拠し、警視庁機動隊の学内導入は、大学自治放棄であるとして紛争を全学に拡大させる結果となり、1969年(昭和44年度)の東大入試は中止となったりしたのである。

 

 

 

7月20日にはアポロ11号が、月面「静かの海」に軟着陸、アームストロングとオルドリンが、人類として初めて月面に降り立ったりして世界中がびっくりした年でもあった。

 

 

★そんなことに比べると大したことでもないのだが、カワサキにとっては大変化の 川崎重工業・川崎車両・川崎航空機の3社合併 が4月1日を期して行われたのである。

 

    

 

 真ん中が砂野仁川重社長、左が四本潔川崎航空機社長である。

私が川崎航空機に入社した昭和32年当時は、砂野仁さんは川崎航空機の副社長で、四本潔さんは神戸製作所長で当時の明石工場の最高責任者だったのである。

この3社合併の際、カワサキの二輪事業、特に国内市場での累積赤字が合併の負担になったのは間違いないのだが、当時のアメリカ市場の好調がこの事業に希望を持たせることになったのである。そんなこともあって経営の負担になるであろう50cc分野からの撤退を決定し『中大型スポーツ車を中心とする』事業への転換が決められたのである。

そんな基本方針に基づいて、国内体制についても、従来の50~125ccの実用車を中心に数を売る展開からの転換が求められたのである。従来の九州や東北地方など地方を主力に展開していた実用車主体から、ようやく東京地区など、250A1・W1などを主体にしたスポーツ車販売を目指して、茂木所長が二輪専門店60店を集めた、日本で最初の『二輪専門店の販売網』を展開することになったりしたのである。

 

   

 

 

一方、アメリカ市場では、250A1サムライが好評で、当時のリーダー浜脇洋二さんが、二輪車に詳しいアメリカ人達を集めた『現地主義』を徹底して『カワサキ独特の体制』を敷いたことがアメリカ市場での『カワサキの成功』の原動力になったのである。

先発3社では、営業分野でも二輪のプロがいっぱいいたのだが、カワサキの場合はエンジンの専門家はいたのだが、二輪車の専門家も二輪事業の専門家もいなかくて、みんな手探り状態であったのである。

私自身の経験から言っても、国内の第1線で活動した人たちは、メイハツ・メグロの方たちだったし、アメリカ市場でも二輪に詳しいアメリカ人たちの力があって初めて『カワサキの二輪事業』は成功の道を歩んだのだと思っている。

当時はまだ、三菱重工業・富士重工業・ブリジストンなどの大企業が二輪業界にいたのだが、これら大企業はホンダ・スズキ・ヤマハの浜松勢の独特の営業展開に『ツイていけなくて』この業界から撤退していったとも言えるのである。

そんな中で、川崎航空機だけが二輪事業に残れたのは、誤解を恐れずに言うと『カワサキの場合は第1線営業』を『川崎航空機の人』ではなくて『メイハツ・メグロ、海外市場では現地の人たち』が第1線を担当してくれたからだと、私は思っているのである。

川崎航空機や川崎独自のメンバーが幾らかの経験を積んで、『第一線』で動き出したのは1970年代に入ってからなのである。

商品開発に関しても、優秀なアメリカ人が集まったカワサキは、アメリカ人の知恵が生かされたし、それが明石のエンジンのプロ集団の技術陣と相まって、独特の『カワサキ・ブランド』を創り上げたのである。

当時のアメリカ市場対策は、浜脇洋二さんが単に販売だけでなく、技術開発部門のR&D、ジェットスキーの生産のためにリンカーン工場の建設など、開発・生産・販売の他社に先駆けた大きな展開を試みたのである。

そんな展開がスムースに動いたのは3社合併後、川崎重工業社長になられた四本潔さんがアメリカ市場担当の濱脇洋二さんに対して、格別の信頼を寄せられていたからだということは間違いないのである。戦後の長い中断があって後、再出発した川崎航空機の社風には、白紙から新しいものを立ち上げていくという一種独特の『自由な気風』があって、それが現実にこのアメリカ市場での展開に生かされたのである。

 

★昭和44年(1969)は、カワサキの二輪事業にとっては大転換の年であった。

 

  

 

  そんなカワサキを象徴するマシンが マッハⅢで、この車が世に出たのがこの年なのである。

  カワサキブランドを強烈に印象付けたものはマッハⅢ  と Z1  900/750 の2機種がその代表格であろう

これらの機種の開発者たち、エンジン開発者は、2サイクルの松本博之、4サイクルの稲村暁一さん、そしてその開発責任者が、大槻幸雄さんなのである。

大槻さんとはレースでご一緒していたのだが、昭和42年(1967)から初めて市販車開発の担当をされて、その最初に出た車がこのマッハⅢであリ、その次に開発されたのがZ1なのである。

 

★国内の販売会社カワサキオートバイ販売も、4月の川重3社合併を前に3月1日付で、川崎航空機の取締役であった田中誠社長髙橋鐵郎直営部長の体制となるのである。

この新体制で、国内販社『カワ販』の基本方針も従来とは全く変わった方向への展開となるのである。

私自身は主力市場東北6県を担当する仙台事務所長ではあったが、前年までの『台数販売』主力から、一転『代理店経営の黒字化』最重点という方向展開がなされるのである。東北6県の各代理店は、台数販売では全国の最先端を走っていたのだが、当時の委託販売方式に加えて回収が長期手形という形態は、その資金繰りに悪影響を及ぼして、営業内では黒字なのに営業外損益で最終損益が赤字になるという傾向が一般的だったのである。

この年次からの田中社長の『損益重視』への方針転換から、私自身は初めてデーラー経営そのものについて、その経営改善が最重点の職務となり、各地代理店の経営再建の具体化に取り組んだことが、『経営とはいかなるものか』その中で『資金繰り』がどのような意味を持つのかを身をもって経験もしたし勉強もしたのである。

幾ら赤字でも資金手当が続けば倒産などにはならないのである。前年までに各代理店の経営が問題にならなかったのは、その程度の赤字から来る『資金不足』は川崎航空機が支援する限り表面化しないのである。当時の国鉄が幾ら赤字を垂れ流しても国が資金支援を続ける限りは『倒産しなかった』のと同じ理由からである。

3社合併でお荷物だった国内販売全体の経営立て直しを田中社長は目指されたのだと思うのである。田中社長は川崎航空機の資金・経理担当役員で大学の先輩でもあったことから、私には直接の厳しい指示の連続だったのだが、目の前に具体的に対策する幾つもの例題があって、学生時代勉強しなかった簿記やバランスシートもこの1年で何とか解るようになったりしたのである。

 

 

★そんな『代理店経営』の問題もあったのだが、台数処理能力は結構有していて、この年の1月には明石工場に在庫で残っていたC2SSの在庫処分を当時の業務部長中村治道さんに頼まれて、その対策からこの年はスタートしているのである。

 

   

 

 C2 SS とはこんな車で、モトクロスの盛んな東北では結構売れたのだが、明石工場には在庫が残っていて『これを東北で何とか売れないか』と仰るので、このような『セリアーニタイプのフロントフォークに改造してくれたら200台は引き受けましょう』ということにしたのである。

 

    

 

 このC2SSのレースマシン化も実はレース職場の松尾勇さんが仙台に来て、特別にやってくれたので、それが装着できることは解っていたので、1月末に明石工場に行って、中村さんと当時は生産工場におられた高橋さんに交渉したら『OK』が取れたのである。

そんなことで特別仕様の東北タイプのC2SSが200台造られたのだが、まずフロントフォークを外す作業からスタートしたので、明石工場では前代未聞のラインを逆に回すことになったらしいのである。

それはともかく、ご依頼の『200台』は特別仕様であったこともあってすぐ売れたのだが、中村さんが『もう200台』と仰るものだから、さらに200台もお受けして何とかしたのである。そうすると『あと200台ほどで、工場在庫は無くなるから』と言われて、とうとう計600台を引き受けたのだが、最後の200台は東北では捌ききれずに、各代理店の在庫になって大変だったのである。

ホントにごく最近の話だが、関東の方が『セリアーニタイプのC2SS』の話をされていたのだが、これは当時の東北でしか販売しなかったので、その在庫が関東に流れたのかも知れないのである。当時の東北6県は販売能力としては、これくらいの台数は何とかなるそれくらいの力は持っていたのである。

 

★この当時は、東北ではホントにモトクロスが盛んで各地でレースが行われたし、代理店の販売促進活動としてもレースが行われて明石の『ファクトリーチーム』のメンバーはしょっちゅう東北に来ていたのである。

山本隆、星野一義の全盛時で彼らもよく顔を出してくれたのだが、後レース界では超有名人になる人たちもやってきたのだが、当時は彼らも未だ無名の新人でしかなかったのである。

 

      

一番数多く来てくれていたのが、『従野孝司くん』まだモトクロスのノービスの頃である。

従野がモトクロスなどやっていたこともご存じないと思うのだが、彼は何度も来てくれて、地方のノービス相手に走るものだから、走るレースは、殆ど優勝して、3種目優勝など珍しくなかったのである。

 

 

               

 

加藤文博くんも、モトクロスから、トライアルさらに今はパラグライダーで有名だが、当時、安良岡健さんに頼まれて、彼のデビューは郡山のレースだったのである。 未だカワサキとは契約のない頃の話である。

右の写真は最近のものだが、師匠の山本隆くんがパラグライダーを乗りに行ったときのモノ、真ん中は『青木隆』さんではないかな???

 

        

 

 星野インパルズ の金子豊君、当時はまだ秋田にいて仙台事務所にはしょっちゅう遊びに来ていたのである。彼のパブリカスポーツで仙台から秋田まで走ったりした。彼はそれ以前、カワサキコンバットにいてライダーとしては芽が出なかったが、この時代の後関東に出て星野の妹さんと結婚して、インパルズをここまで大きくしたのである

右の写真は、東京で『二輪文化を伝える会』の第1回の会合にこんなメンバーで出席した後、星野にご馳走になった時、私がシャッターを切った写真である。

みんな仙台事務所時代、よく顔を合わせたメンバーである。金子のヨコは岡部能夫、カワサキコンバットの星野の先輩である。岡部と金子はこの日が最後になってしまった

もう50年も前の話なのだが、こんな人たちといまも昔と同じようにお付き合いできているのがいいなと思っている。

 

仙台時代いろいろあったのだが、昭和44年は東北3年目、私にとっても、カワサキにとっても結構大きく変わった転換期の年だったのである。

 

 

★ その歴史ー「カワサキ二輪事業と私」を最初からすべて纏めて頂いています

https://www.facebook.com/%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-662464933798991/

 

★ https://www.facebook.com/1126074024157186/

 

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安倍・トランプ会談の成果は・・・

2017-02-14 06:54:11 | 発想$感想

 ★つい先日、初めて知った山口敬之さんだが、同じ番組で昨日は『メイン・コメンテーター』を務めていた。

先日も、その解説に『迫力があるな』と思っていたのだが、何か安倍さんと直接の『ルート』があるようなのである。

 このスーパーにも『安倍さんを長年にわたり取材』と書かれているし、

 

 

 

  こんな著書も出しているらしい。

 

  

 

 ごくごく最近、私はFacebook で トモダチになった。

 『Facebook もいいけれど、トランプさんもやってる、ツイッターやりませんか』と提案したら、すぐこのような反応があった。

 この『スピード感』が心地いい。

 

    

 

   登録はしていたが、ずーっと眠っていたツイッターが、このように動き出している。

     まだ、フォロワーも少ないが、応援したいと思っているので『リツイート』することのしている。

     https://twitter.com/rfuruya1

 

   

    

 

★昨日、放送されていた番組から、山口敬之さんの発言部分の一部を纏めてみた。

 番組には、レギュラーのコメンテーターも、あちこちのテレビに出演されるコメンテーターの方もおられたのだが、『安倍さんに直接取材しているのでは?』と思われる、山口さんの解説は、迫力があってみなさん『聞き入る』場面が多かったのである。

何事でも、そうだが知識や理論先行ではダメだと思う。現場での取材、情報収集がベースにないと説得力には繋がらないのだと思うのである。『ほかの人が知らない』山口さんだけが持っている差別化された情報に基づいた解説は、独特のものがあるなと思ったのである。

上の『ツイッター』の中に書かれている、

麻生さんが 『(安倍さんに)時々電話掛けてやれよ。お前みたいなのが電話してくだらない話をするのがいいんだ』というくだりがあるのだが、どうも今回も遠くアメリカまで『安倍さんに直接電話して』情報収集したのではないかと、思うところが散見されるのである。

 

ちょっと長いけど、朝の番組だったから、ご覧になれなかった方も多いと思って、You Tube に纏めておいたのである。

 

  

 

 ★ この放送の中では、『満額回答 戦後で一番うまくいったとの絶賛も』などとも言われていた。

トランプさんに対しては、選挙中からメデイアやそこに登場するコメンテーターなど、『辛口の評価』が殆どだったし、それが結果としてはみんな間違った結果になっているのである。 私は選挙の終盤あたりから『トランプさんに興味・関心』を持ち出してからは、一貫して、日本にとっても世界にとっても、『うまくリードできるリーダー』だと思うようになり、時が経つにつれて何となくそれは『確信』みたいなものに変わってきた

なぜ斜めから『批判めいた論評』ばかりをしたがるのだろうか? 政治は素人は、ホントにダメなのか? 政治や実業も逆に言うと『玄人』がやるから慣習みたいなものに拘って『変化する時代』には返って上手く行かないのだと思っている。

平穏無事な時代は玄人がやればいいのだが、『変化の時代』に改革が求められている時代は『素人の新鮮な発想や素人の常識』のほうが機能するのだと思っている。身近な例でいえば『全くの政治の素人』であった橋下徹さんがやった大阪は変わったのである。

大統領就任演説で、トランプは『権限を首都ワシントンの政治』から『アメリカ国民のために』と第一声で明確に言い切っているのである。私はこれがトランプさんの『基本コンセプト』でこの一言だけで充分だと思っている。 それに向かって進んでいるかどうかのチェックだけでいい。

従来の政治の常識からの『離脱』のはずなのに、未だに学者やコメンテーターたちは自らの常識でトランプさんを評価・判断しようとするから間違ってしまうのだと思うのである。

トランプさんが、大統領になってからまだ1ヶ月も経っていない

就任以来これだけ連日『マスコミが取り上げる』のは異常である。従来、こんなスピードで、政治が動いたこともなかった。しかし1ヶ月あればこれくらいは動くのである。実業の世界ではそんなに珍しいことではない。政治の世界の4年間はある意味、任期が長すぎると思っている。私自身は自分の経験から『物事は半年あったら目途が立つ』と思っていて、『半年で出来ないことが10年経ったらできる』などと思うのは錯覚だと思っているのである。

2期8年ないとできないと思うような政治家はダメだと思う。

 

 

     

 

★日米関係やアメリカ国内の実業界は、1ヶ月も経っていないのにすでに具体的に動き出しているのである

トランプさんは今後もその『スピード』を落とさないだろう。そんなスピードで世界の政治が変わる中で、日本の安倍さんが上手く動いて、日本の安倍から『世界の安倍』にすでに一歩を踏み出したと思う。 ロシアのプーチンさんともいいし、トランプさんは年内に日本を訪問すると言う。

今後の世界はある意味安倍さんを仲介の核として、欧州もアジアもロシアも動くだろう。 日本が世界の政治の核となる可能性を大いに秘めて1年が動きかけた。

こんな変動の時代のキーは『差別化なのである。

政治家も、コメンテーターも、その基本となる発想も、従来とはちょっと違った『差別化』されたものであれば、それが『新しい時代の常識』になっていくのだろう。

従来の常識』に拘った人たちは、政治家でも、学者でも、実業者でも、コメンテーターでもみんな脱落してしまうだろう。

時代の先頭を走っているのが『トランプさん』だから、『トランプを批判ばかり』している人は、新しい時代の落伍者と思えばいい。

こんなリーダーを『肯定』している安倍晋三、流石だと私は思っているのである

そんな安倍さんに、直接電話できる『山口敬之』さんもなかなかのモノだと思っているのである。

こんな『いい加減な私の仮説』は、結構当たっているかも知れないのである。

この半年少なくとも私の仮説は、評論家と違って、当たっているのである。

 

 

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城東カワサキの行方

2017-02-13 07:28:37 | カワサキワールド

★ つい先日のことだが、カワサキバイクマガジンさんのツイッターに

城東カワサキの行方』という依田きいさんの記事の こんなツイートが流れた。

  http://www.kawasaki1ban.com/report/16547

 

   

 その内容は、こんな記事だった。  http://www.kawasaki1ban.com/report/16547

 

城東カワサキさんは、北多摩モータースと並んで、1970年代は、カワサキの販売量トップの販売店さんだったのだが、この記事にあるような最後の頃については、私もよく存じてはいないのだが・・・

昨日、東京から関初太郎さんがわざわざ三木までやってきたので、この城東カワサキの話にも及んだのである。

ずっと以前にこんなブログを私はアップしている。 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/08bcb873a63ebfe637fe5382e050c849

そこには城東カワサキのことも出てくるので、抜粋してご紹介してみたい。

 

★A1、W1につづいてマッハⅢなどの新機種の発売が続いて、ようやくスポーツ車が都会では人気の出始めた昭和44年(1969)ごろからカワサキだけが、それも東京だけで、スポーツ車を中心の販売網構想から、都内を約60店に絞ったカワサキ独特の販売網を敷いたのである。

城東カワサキ、城南カワサキ、城西カワサキ、城北カワサキ北多摩モータースなどの懐かしい意気盛んな時期だったのである。

この新しいシステムを展開されたのは、当時東京を担当されていた茂木所長の発想で、茂木さんの強烈なリーダーシップで実現したのである。

東京でこのような新システムがスムースに展開出来たのは、大東京の市場の大きさがあったからで、その他の地域では、自転車屋さんからの販売網の脱皮はそんなに簡単ではなかったのである。

ホンダ、スズキ、ヤマハなどにとっては、国内の販売の主力は圧倒的に50ccモペットだから、委託販売の自転車屋主力の販売方式からの転換など考えられなかったのだろうと思う。

 

 

北多摩モータースも、城東城北などの名前も見える。

 昭和44年に3社合併があり、川崎航空機から川崎重工業となって、今後の単車事業の展開を中大型スポーツ、海外市場特にアメリカ中心に展開するという方針に転換した時期でもあったのである。

それまでは、B8からB1などが中心の『実用車のカワサキ』であったし、その主力市場も、九州や東北といった地方が販売台数でもリードしていたのだが、1970年代に入って、従来一番弱かったと言われた大阪市場など注力することになり、私は仙台から大阪へ異動となったのである。1970年(昭和45年)大阪万博のあった年である。

それから約5年間、国内のカワサキは国内市場に於いて、全く新しい特約店制度展開の時代に入るのである。・・・・・

 

などとの記述があるのだが、当時大阪の責任者であった私が、『特約店制度のスタート』に当たって、大阪共栄会の会合に北多摩モータースの根本さんと城東カワサキの高橋恒秋さんを講師に招いて勉強会を開催したのである。

 当時は東京だけが『二輪専門店』という日本でも特異な体制が敷かれていて、城東カワサキはその頂点に位置していたし、浅野輪業など城東地区の結束が非常に強かったのである。城東カワサキはまだ荒川にあった時代で、その後店舗の立ち退き移転があったころから、資金繰りなどに問題が出た時代があったりして、その後カワサキの二輪車販売からは撤退されたのではないかと思う。

その後、山城部品にいた方と組んで、部品などを中心の経営になったりしたので、『依田きいさんの記事』はそれ以降のことだと思われる。

 

★私自身の城東カワサキの高橋恒秋さんとの関係は、1972年1月、カワサキが業界に先駆けて販売店のアメリカ視察旅行を行った時は、全国から約100店が参加したのだが、そのうちの約半数は東京のお店で、城東地区の販売店は多数参加されていたのである。

高橋さんが大阪に講師に来られたのはその直後のことだったのである。私は視察団の副団長をしていたので、東京の販売店のみなさんとも、その時はじめて面識が出来て、そんなことが大阪の特約店制度のスタートになり、カワサキとしての全国展開に繋がっていくのである。

その後、1973年には直営部長として、東京・名古屋・大阪を統括管理することになり、東京営業所長を兼務したので、その当時は城東カワサキや北多摩モータースは、いずれも最盛期だったので、そんな時期の高橋さんの印象が一番強く残っているのである。

 

   

 

 関初太郎さんは、その当時は京都営業所にいて、最初の『特約店制』スタート時点の活動もしたし、その後、大阪・東京なども担当し、城北カワサキ(トキワ)の中谷さんが急に亡くなられてその後の店を引き継いでくれて販売店をスタートさせているのである。

そんなことで東京の事情にも詳しいし、『当時の城東カワサキの担当者は宮本松夫くんだった』などと言う話もパッと出てくるのだが、城東さんの最後の頃は、私と一緒であまりご存じなかったのである。

昨年末、当時の 浅野輪業の息子さんにお会いした時、高橋恒秋さんがお亡くなりになったとも聞いたのだが、人生なかなか大変だなと思うのである。

私などは、高橋さんの意気盛んな『いい時代』しか知らないし、いろんな意味で高橋恒秋さんにはお世話になったので『城東カワサキの行方』などの寂しいニュースを聞くと、『いい時代のこと』もぜひ知っておいてほしいなと思うのである。

カワサキにとって東京の『城東地区の販売店』が東京をリードし、当時のカワサキの特約店を引っ張った時期は間違いなくあったのである

そして、その先頭に立っていたのが城東カワサキさんだったのである

この業界、よくあることで『少々頑張り過ぎた』のが災いしたのかも知れないのである。

 

 

 

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今年の2月11日は・・・

2017-02-12 07:41:23 | 発想$感想

★2月11日は、『紀元節』である。今流に言えば『建国記念日

今年の2月11日は、いろんなことが重なって、ちょっとこのブログに詳細を書ききるのは難しいほどの出来事が重なったのである。

 

★ Facebook にもアップしたのだが、東京から関初太郎くんと清水宏介さんがやってきて、平井稔男さんを加えて、登山道夫さんのところで、雑談していたのだが気の合う仲間たちの話は、あちこちに飛ぶのだが、なかなかオモシロいのである。

こんな動画に、ちょっとだけ纏めてあるが、いくら時間があっても話は続くのである。

 

 現役時代から、ずっと密接に繋がってた関初太郎くん、『今年は東京のカワサキOB会にぜひ』と言ってくれてるので、行こうかなと思っている。石塚君が会長してるし、ぜひ会いたい宇田川君杉沼さんなど、昔仲間がいっぱいなのである。メイハツやメグロ時代の人たちが沢山おられるのである。

 

  

 

 平井さん、同い年である。 入って来るなり『脳梗塞や』などと言うものだからビックリしたが、平井さんが入ると雑談も熱っぽくなる。

 

 

 

 途中でFacebook に写真をアップしたりするものだから、それを見つけて、突然奈良から西宮まで来ていた森田さんがやってきて、こんなメンバーになった。

 

 

  Facebook に寄せられた、森田さんのコメントである。

 

 森田 政治   丁度、西宮まで来ていたので少し寄り道してみたんですがやっぱり古谷さんや平井さんにお逢いすると元気が貰えるので嬉しいですね(^O^)

お世辞でも若い人にそう言ってもらえるのは、嬉しい。

 

 

 

 前列左は、森田さんが連れてきたさらに若いカワサキファンの村井さん、250Ninja に乗ってレースもやってるらしい。

  いろいろ書きたいこともいっぱいなのだが・・・・

 

 

 新しく、思いもよらぬ『プロの方』たちと繋がって、昨日の出来事としてはそちらのことをどうしても書いておきたかったのである。

 

★一つは、昨日Facebook でも友達となった 山口敬之さんと より近く繋がったのである。

 本も出版されてるし、テレビにもコメンテーターで出演される有名人である。

 

  

 昨日はこんなブログをアップしたのだが、  http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/a5803e06e333a025fbd01ded8bbf6e45

 このブログを読まれての感想をFacebook のメッセージで頂いたのである。

 

ブログ記事を拝見しました。 調査力、編集力、筆力、正にプロの仕事ですね。大変驚きました。私も本を書いたり雑誌に寄稿したりしていますが、どれも産みの苦しみで四苦八苦しておりますので、これだけの短時間で読み応えのある記事をまとめられる手腕に大変感銘を受けました。 私も短いツィートやしっかりとしたブログなど、多層的にチャレンジして参ります。今後ともご指導いただけましたら幸いです。よろしくお願い申し上げます。 ツイッターのアカウントは下記の通りですよろしくお願い申し上げます!

 

山口敬之さん、本も書かれるし、テレビのコメンテーターでも大活躍のまさにプロの方なのだが、そんな方からこのように褒めて頂くと、やはり幾つになっても嬉しいものである。娘と同年代で誕生日が同じだったので、何となく気が楽になっていろいろメッセージで書いたのだが、その中に、『ツイッター』を若しおやりならアカウントを教えてください、と申し上げたのである。

最近、政治家もツイッターの発信がちょっと流行なので、応援できるかなと思ったのである。

積極的な『情報発信』が無料で幾らでもできる現代なのである。ほんの1日だけの出会いなのだが、ひょっとしたら、オモシロいことになるかも知れないと思ったりしている。

前述した森田さんとの出会いも、『大阪の野崎輪業さんのことを書いたブログ』の『コメント』からだし、NPO The Good Times の事務局長登山道夫さんとも『岩崎茂樹くん』のことを書いたブログにコメントを頂いたことからスタートしているのである。

山口敬之さんとのこんな出会いが、Good Times roll になればいいなと思っているのである。

 

   

 

 

 

★ 6時からは緑が丘の OTTO でのライブに お誘いが掛かった。

 昨年家の塗装をしてくれた 穂積さんからのお誘いである。 なぜ、そんなに顔が広いのか? と思うほどいろんな人と繋がっている。

私は、ライブなど行ったことはなかったのだが、音楽界も、小さなライブもこの2.3年いろんなお付き合いから何度か経験したのである。音楽などよく解らぬが聞いてみると、『生演奏』はなかなかいいものである。

OTTOさんの オーナーは W1 の熱烈ファンであることもあって、何となく知っているのだが、昨年ぐらいから何回かお邪魔している。

 

こんな 村井敏朗さんのライブだった。

めちゃ上手いな、 これはプロだなと思ったので、調べてみたらこんな方である。

何故か、穂積さんとは若い頃から、親しいらしい。

 
 
 
   
 
  こんなライブであった。 1時間半ほどを3分ほどに纏めてある。

 

 一度、聞いてみてください。

 カラオケなどの歌唱とは全くレベルの違う、『プロの歌』は流石に聞かせるものである。

 

 

   

 

 

来てた方は殆どが、音楽に詳しい半プロみたいな方ばかりで、私のような素人は少なかったのかも知れない。

そんなライブに、NPO The Good Times の会員さんで、車椅子なのにどこにでも顔を出す池田賢一ご夫婦も来ていた。

池田さんは『ハーモニカ』を吹かれるのである。

勿論、プロではないのだが、 村井さんに共演を申し込まれたようである。

 

 

そんな『飛び入り共演』などなかなかナイそうだが、実現したのである。

まあ、一度聞いてみてください。

池田さんには、『You Tube 』に纏めておくと約束したので、帰宅してから編集して、別に纏めたものである。

 

村井さん、そんな池田さんの申し入れを、受け入れて共演された態度は、共感が持てたので、帰って調べてみたら、Facebook もやっておられたので、こちらも『友達申請』して繋がったのである。

村井敏朗さん、日本の桜前線を追っかけて、2月の沖縄から北の国まで毎年ライブをやられるとか。

そして収益金の一部を福島の震災支援の義援金として寄付されるそうである。 そんなことも聞いたので、ぜひ応援したいなと思っているのである。

Facebook の共通のトモダチが、結構いたのにはびっくりした。もともとは加古川出身だそうである。

 

   

 

★従来は、カワサキの二輪関連の繋がりが圧倒的だったのだが、この数年非常に『広い範囲』にトモダチが出来ている。

こんな『年寄り』を『年寄り扱い』せずに普通に『誘ってくれる』人が多いのは、私自身の若返りにも大いに繋がる。

山口敬之さんなど、私のコドモと同じ年代だし、今日、実際にお会いした人たちも、私の年代から見ると、みんな若い人なのである。

 

そんな中で、私の同い年の人が二人いた。

一人はカワサキの仲間、平井稔男さん、

もう一人は、昨年暮れにお会いした『島田さん』みんな酉年、現在は揃って83歳、今年中に84歳となる。

私は 83歳も、もう残り20日ほどになった。

今年の『紀元節』は、なかなかいろいろあった、記念すべき紀元節になって欲しいなと思っている

 

 

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山口敬之さん と テレビ番組のコメンテーターたち

2017-02-11 07:35:03 | 発想$感想

★ 最近はテレビの番組でも タレントたちがいっぱいの夜の番組などは、殆ど見ることはないのだが、朝や昼の報道番組などは『トランプ』さんの選挙終盤あたりからは、結構見る機会も多くなった。

トランプさんがオモシロイ』と思うからである。

報道番組の『コメンテーター』はいろいろいるけど『オモシロくないな』と思いながらずっと見ていたのだが、昨日は羽鳥慎一のこんな番組を見て、コメンテーターもちゃんとしたプロがいるな と思ったのである。

どんな番組でどんな人が出て、それぞれどんなことを言ってるかは、若し興味がおありなら、You Tube をご覧になれば・・・

この番組の中の『トランプー安倍会談』に関する部分(8時半ぐらいから)なのである。

 

 

 私は実は初めて出会ったのだが、山口敬之さんの発言を聞いていて、『これはプロだな』と思ったのである。

 各番組の『専門家』と呼ばれる方たちも、確かに大学の先生であったりそれなりに知識はお持ちの方は多いのだが、『ご自身なりのお考え』をちゃんとお持ちの方は意外に少なくて、コメンテーターだからどんなことにでもそれなりに『コメント』はされるのだが、どうも『もう一つ説得力がないな』と思いながら見ることが多かったのである。

山口敬之さんは、『ちょっと違うな』と感じていろいろ私なりに調べてみたのである。

 

 山口敬之さんとは、こんな方である。

 

 

  

 

山口敬之(1966年5月4日 )は、日本のジャーナリスト、元TBSテレビ報道局ワシントン支局長 

東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒業後の1990年4月、TBSに入社。

入社当初は報道カメラマンのセクションに配属され雲仙普賢岳火砕流、臨時プノンペン支局でカンボジア国際連合平和維持活動等を取材。その後、1993年に特派員としてロンドン支局に赴任。欧州はもとよりロシア、中東、アフリカをカバー。南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ大統領誕生やヤーセル・アラファートのパレスチナを入り等取材。帰国後、社会部(警視庁、運輸省など)、政治部(官邸キャップ、自民党、外務省など)を担当。その後報道特集、外信部を経て、2013年からワシントン支局長。

ワシントン赴任直後に着手した「ベトナム戦争当時の韓国軍慰安所の存在を指摘するアメリカの公文書」に関する調査報道について、TBS報道局より報道しない方針を伝達されたことから2015年3月、週刊文春に寄稿。この経緯に関連して2015年4月23日付でワシントン支局長の任を解かれ、営業局へ異動。2016年5月30日付でTBSを退社し、フリーとなり、ジャーナリストと兼業でアメリカ系シンクタンク研究員に転身した事を自身のFacebookで公表した。

とその経歴もオモシロいのである。

 

Facebook とあったので、チェックしたらこんなサイトが現れたので、すぐシェアさせて頂いたのである。

 

   

 

 そして、すぐ『友達申請』させて頂いたら、すぐこんな承認回答が戻ってきた。

 『友達申請ありがとうございました。大変光栄です。よろしくお願い申し上げます。

 文面も有名人なのに丁寧だし、何よりも『早い』というのがいい。

 

  ほかにはこんな『レギュラー・コメンテーター』が出演されていた。

 

   

 

★ご本人は、Facebook の中で、こんなコメントをされているが、確かに昨今の報道を見ているとそんな感じなのである。 

『最近のトランプ政権に関する報道は、伝え手本人の不安と憎悪が滲み冷静さを欠いたものが増えていると感じています。もっと文明論や歴史観に基づく巨視的なアプローチが必要と考えます。』

 

このFacebook の記事に対して寄せられたコメントの幾つかをご紹介しておこう。 

 
●見終わりました。面白い!最初は中林さんがいることでひるおびのただトランプ批判のくだらなくなる内輪話になるのではと嫌な予感がしたのですが山口さんが入った途端に話が深くなり中林さんの話も面白くなるから不思議でした。中国をどう見るかで安倍総理の動きにも良い悪いの判断が違うのかなと思います。安倍総理の外交は中国を封じ込めるということは当初から全く変わっていないことが分かりました。ゴルフ後のトランプ大統領のツイッター楽しみにしています。
 
拝見していました❗️山口さんの様な保守の論客が説得力を持ってプラスの話をする❗️
TVMediaも捨てたものではない❗️朝日がNY-TlMESを批判する❗️素晴らしい中身の濃いcornerでしたねっ!
 
● 山口さんの正確な情報に裏打ちされた解説。淡々とした語りで説得力がありました。今後とも大いに発信してください。山口さんが出演する報道番組は安心してみれます。
 
●山口さんの取材力と他の記者の方々の取材力
何が違うのかやはりブリーフィング資料だけで記事を書かれたり、新聞や雑誌を読んでいるだけで解説される方々との違いなんですかね?
その違いが分かるとマスメディアの問題点がハッキリするかもしれませんね?
 
●じっくり見ました。これまでなら「憶測記事」で済まされるところを「誤報です」とはっきり発言されたところが新鮮でした。レギュラーコメンテータ―の歯切れが悪かったり、何やらあてこすりを言っているのが見苦しかったです。
 
 
★いつからFacebook を始められたのか、一番最初にどんなことを書かれているのか? 
それに、興味・関心があったので調べてみたら、あの東日本大震災からである。
 
 
 
  
 
  
Facebook で最初のページまで遡るのは、なかなか大変なのだが、最初のスタートが何であったのかは、興味深いのである。『見た』という証拠に『いいね』を押させて頂いた。
 
  
  
   山口さんが世の中に注目されたのは『この事件?』からである。
 
  
 
 
 
    
 
  
    
 
 そして、このように続いているのである。
 私が、知らなかっただけで、有名人である。 五十嵐みゆきさんがご存じだったのには、ちょっとびっくりした。
 
 
 
    
 
 
     
 
 
 
     
 
   
 
昨日はFacebook のメッセージでは、山口敬之さんと、結構なやり取りをした。
 
応援してあげたい』と思わすところをいっぱいお持ちの『ナイスガイ』である。
 
 
★日米首脳会談 山口さんが言われる通りのものに終わった。
 
「実はあなたと私には共通点がある」 怪訝な顔をするトランプを横目に安倍は続けた。「あなたはニューヨーク・タイムズ(NYT)に徹底的にたたかれた。私もNYTと提携している朝日新聞に徹底的にたたかれた。だが、私は勝った…」これを聞いたトランプは右手の親指を突き立ててこう言った。「俺も勝った!」トランプの警戒心はここで吹っ飛んだと思われる。トランプタワーでの初会談は90分間に及んだ。安倍は、中国の軍事的な脅威と経済的な危うさ、そして日米同盟の重要性をとうとうと説き、トランプは真剣な表情で聞き続けた。
 
こんな記事も流れた。
今後の日本のコメンテーターたちのトーンはどのように変わっていくのだろうか?
 
 
 
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立春は過ぎたけど・・・

2017-02-10 05:57:26 | 発想$感想

★立春は過ぎたけど、この冬一番の寒さがやってくる。

 

  

 

 近畿地方も、40cmの積雪があると言っている。

 この地区、三木は多分大丈夫とは思うが、この週末は大変である。

 

 

  2月の初旬は、毎年バラの剪定の時期である。

 バラたちは、未だ眠っている。

 木バラは、こんなに切り詰めている。

 

    

 

  蔓バラは、枝を横に寝かしている。こうしておけば、枝の上一面が薔薇の花で埋まる。

 

    

 

     バラたちは、未だ眠っているが、ボケは花をつけだした。

 

  

 

  梅も、一輪、二輪 花開いている。

 

   

 

   馬酔木も、蕾がいっぱいである。

 

   

 

 立春、寒いけど、間違いなく春はそこまでやってきている。

 『立春』昔の人は、上手く言うものだと思う。

 

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