雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

朝日問題、なぜ政治は取り上げないのか?

2014-08-22 05:31:47 | 発想$感想

★つい先日、朝日問題はこのブログでも意見を述べた

http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/714eb888b778f83c950f7c1393c61b3e

 

マスコミ関連では、いろんな報道がなされている。

朝日新聞は、30年以上も誤報を流し続けて、それに便乗した左翼や、マスコミが、日本の尊厳までも踏みにじって、それが日韓問題の根っこになっている。

間違った場合は、『謝らなければならない』 

そんなまともな神経を、大新聞朝日は持ち合せていないのだろうか?

この写真、何のことかと思ったら、読売新聞と朝日新聞に載った、『週刊文春の広告』なのである。

右の朝日新聞は、『朝日のマーク』と『朝日新聞』の表示が黒く塗りつぶされている。こんな子どものような姑息な対応を大新聞がとるべきではナイと思う。

      

 

 

 

 

   こんなことをするから、津川雅彦さんに、 良くやったぞ、朝日の諸君! しかも謝罪しないのは、左翼らしくてよろしい! などとおちょくられるのだ。

 

 

 

 

 

 

★ いろんな意見があり、大きく取り上げられるのはいいが、

これは、やはり政治問題なのだから、政府や国会で確りと議論をし、『河野談話を撤回するぐらいの迫力で臨んで欲しいと思っている。

日韓問題も、こんな誤報の上に友好関係が保たれても、それは無意味のような気もする。

少なくとも、世界に向かって、日本の見解を纏めるべきではなかろうか?

確かに国際問題ではあるのだが、 大誤報の直接の原因は全て日本で起こった問題なのである。

 

慰安婦問題の正当化』ではなくて、国を挙げての『強制連行』ではナイこと主張すべきである

アメリカなどに設置されつつある『慰安婦像の誤り』だけは、世界に発信すべきである。

 

   

 

未だ、朝日の誤報が明らかでない時期に、野田首相は、このように主張しているのである。

安倍さんの速やかな、決断をお願いしたいものである

 

 

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湯川遥菜 と称する『軍事会社の社長さん』

2014-08-21 06:40:45 | 発想$感想

 ★ 『8月18日  シリアで日本人が拘束されたとメデイアは騒いでいるが、外務省の危険警告を無視し危険な国に何回も行っている者を何故税金を使って助け出す必要があるのか、ほっとけばいいだけだと思うのは小生だけだろうか、』

 

こんなツイートがあって、 私も共感したので、『リツイート』したら、

またいっぱい『リツイート』されたり、 『お気に入り』に登録されたりした。

 

    

 

 

それでも、外務省や政府筋などは、放置することもまたムツカシイのだろう。

いずれにしても人騒がせで、大変なことである。

そんな危ないところに行く人はどんな人だろうと、調べてみたら、湯川遥菜 と称する『軍事会社の社長さん』らしい。

 

 

 

 

そしてそのPMC と言う会社は、こんな会社のようである。

 

 

 

 

★世の中にはいろんな人がおり、いろんな職業もあって、

何をどのようにするかは自由だが、

このような職業の人が、当然危険も承知で、こんな危ない地域に行くのは、すべて『自己責任』で解決して欲しいものである。

 

PMC と言う会社の ホームページである

 

危険から守る、 そんな会社のようだが・・・・

こちらは尋問の様子の動画である。

 

国はどんな対策を打つのだろうか?

仮になにかをやるにせよ、『苦々しい思い』であることは間違いない。

 

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8月19日は「バイクの日』でした

2014-08-20 12:53:21 | 発想$感想

★昨日は8月19日、『バイクの日』でした。

朝、Facebook に、『二輪文化を伝える会』の紹介記事をアップしました。

 

  

               

 

★特にこの2,3年、 NPO The Good Times 関連で、二輪のプロジェクトが、何となく育っていくものですから、

今年は思いきって、World Good Riders Association という二輪関係を総括してお世話をするプロジェクトを立ち上げることになりました。

この2年間、『二輪文化を伝える会』や『KAWASAKI Z1 FAN CLUB』はそれなりに地道な活動を積みあげて、確りとした足取りで進んでいます。

 

Facebook やツイッターなどネットで広報するだけで、いろんな催しも非常に自然な形で実現するようになりました。

最近では、新しく 『We Like Mortorcycles! 』というプロジェクトが、Facebook をベースに立ち上がりましたし、

24日の理事会には、また新しいプロジェクトが2件申請されることになっています。

 

 

 

『LEFT SIDE STORY』 世界60万人に共感をよんだ動画に登場する、右手、右足を事故で失くしたライダーアランさんを、ぜひ、日本に招待して、サーキットで走らそうというプロジェクトを主催しようとしているのは、この動画を創った佐藤繁さんとそのグループです。

こんなことが、普通一般の人たちが主宰して実現する可能性が出ているのが現代のネット社会のすごさかなと思います。

World Good Riders Association がこのプロジェクトを後押ししようとしています。

 

 

★8月19日、『バイクの日』には、全国でいろんな催しがあったのだと思います。

二輪車は、省エネ、省資源、省スペースで、且つ機動性を持った魅力的な商品だと思います。

ただ、天下の公道を走りまわるので、そのライダ―たちは一般社会と共存できる Good Rider であることがMUST 条件だと思っています。

バイクに乗る個人も、小さなグループも、少し大きなグループもみんな繋いだ Good Rider の輪がどんどん広がればいいなと思っているのです。

 

           

 

 

 9月から具体的にこんなカードで、 10人のグループでも50人でも、簡単に繋がる新しいシステムがスタートします。

銘柄も、地域も超えた Good Rider たちの輪の広がりを期待しているのです。

このカードの下部が開いているのは、そこにそれぞれのグループ名のシールが簡単に貼れるように開けているのです。

 

                     

 

 勿論このような、独自のカードを創ろうと思われるグループにも確りと対応します。

ただ、その場は、グループ名の前に、World  Good Riders Assosiation の仲間であるという印の『地球のマーク』

をつけることを条件に、NPO The Good Times の理事会が承認することになるのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今から1ヶ月の予定

2014-08-19 06:34:24 | 日常生活、園芸、バラ

★今年のお盆は大変なお盆だった。

雨続きで、同じ兵庫県なのに昨日は、福知山は水が溢れた

 

私自身は、特に普通は予定もない毎日が休日の生活なのだが、

8月18日から、9月17日までの1ヶ月間は、珍しくちゃんと予定が入って、それが結構やることも多くて忙しい。

 

今、アメリカの孫が遊びに来て、2人家にいる

 それが22日のフライトでアメリカに帰るので、22日は伊丹空港に送りに行かねばならない。

それまで実質、18、19、20、21日の4日間しかないのだが、18日はすでに半日が過ぎた。

21日は、私がちょっと約束があって、カワサキモータースジャパンの寺西社長に、オーストラリアのアランさん『Left Side Story』のことで、佐藤繁さんたちと面談の予定なのである。

そうすると、実質あと2日半しかないのだが温泉にも行かねばならぬし、回転すしや焼き肉など、未だ孫の要求を果たしていない。

これで今週は全て予定が詰まってしまうのだろう。

今兄貴の方は髪を切りに行っている。

 

昨日は、昼回転すしを食いに行った。

日本の回転すしはウマい』と何度も言ってくれたが、食う量は半端ではナイ。

近くにあった、ちょっと高級な回転すし屋が、ごく最近閉店して『よかった』と思っている。

あと、温泉と、焼き肉『こざる』の予定が残っている。

 

   

 

    

 

    

 

     

そして、24日は、NPO The Good Times の今月の理事会である。今回は不思議なほどいっぱい議題がある。

 

 

 

★そんなところに、

8月27日からは、家内と一緒にアメリカの娘のところに、遊びに行く予定になっている。

そして私の帰国は、9月17日だから、今日から数えたら、ちょうど1ヶ月の予定が詰まっているのである。

アメリカに行ってしまえば、娘や娘婿に一切の予定を任しておけばいいのだが、結構忙しくなるかも知れないのである。

 

それよりも、アメリカに行く前の準備が大変である。

新聞を断り、郵便局に郵便物を預かって貰う。 ドルもちょっと準備しないといけないし、庭仕事としては夏薔薇の剪定を終わらねばならない。

そのほかになにがあったのか?

久しぶりに、持っていく荷物など、今日ぐらいからちょっと準備に掛らないとと気ぜわしい。

まあ何とかなるのだろう。

 

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私の健康観

2014-08-18 06:15:35 | 私の生き方、考え方&意見

昭和8年3月生まれ、81歳である。

自分でもよく生きたものだと思う。

20歳台の若い時に、肺結核になって空洞が出来て、『これは人生長くないな』 と思った。

生きてるうちに、やりたいことはやっておこうと、野球は止めずにずっと続けていた。 直ぐ死ぬかも解らないので、日記でも書こうかと20歳の時からスタートした。

会社に入って、診療所のお医者さんに、野球は止められていたのだが、それでもやっていたら、ユニホーム姿を見つかって、

痰の検査をされて『菌が出てるから会社に置いておくわけには行かない』と即療養所に放り込まれた。そこで検査をしたら『菌など出ていなかった』のである。

 

 

 その西海先生に、今年の6月、川重のOB会でお会いした。  先生は覚えておられなかったが、その時のお礼を申し上げた

先生にユニフォーム姿を見つかったのが、『運がよかった』 のである。

 

 

★ずっと後、68歳、北海道札幌にいた

駐車違反して、車をレッカーで持っていかれた。 駐車違反は仕方がないが、なぜレッカーで持っていったのか?

冬の札幌はとりわけ駐車違反は厳しい。 駐車違反の車が除雪の邪魔になるからである

そんな事情はよく解っていたので除雪には邪魔にならないところに止めたつもりなのになぜレッカーで持っていったのか?  

本署に行って文句を言ってたら、アタマに血が上って突如、くも膜下出血で意識を失った。

警察の本署だったので15分後には、中村記念病院と言う札幌でも最高の脳外科専門病院、脳外科の先生が30名近くいる病院に運ばれたのである。

 

        

 

この建物すべてが脳外科の専門病院である。

非常にムツカシイところが切れたので、『手術をするかどうか』を先生方の会議で決めて『手術をしない』ことになったという。

脳外科の先生が少ない病院では、『手術をしない=治療をしない』ようなことになるので、そんな判断はなかなかムツカシイのだと、後主治医の先生が仰っていた。

だから、私は手術もせずに、ただ3週間ほどこの病院に寝ていただけで退院したのである。

 

こんな脳外科の先生が30名もいるような病院は、少なくとも関西にはナイ

そんな病院で診てもらえたのが、『運がよかった』と思っているし、倒れて動かさずに短時間に病院に入ったのがよかったようである。

田中角栄さんも、長嶋さんも、小渕さんも、いい病院に入られたのは間違いないのだが、倒れてから入院までの時間が15分ではなかったのが致命的なのだろう。

 

 

 

★そんなこともあって、人の命など、基本的には『運で決まる』と思っている。

健康を維持するために、あまり細かくイロイロやってみるよりは自然な方がいいと思っている。

 

私は今、体重は80キロを超えている。 

腹も出ているし、先生方は体重を落とせ、落とせと仰るが、これ以上体重を増やすつもりはないが、と言って『落とす』ことに懸命になったりはしていない

血液検査は4カ月に一度やっているが至って良好、全ての項目が正常なのである。

肥えてはいるが、所謂メタボ』の範疇には入らない と先生は仰るのである。

 

それでも、少し体重を落とした方がいいから『歩きなさい』と言われるのだが、もう一つ毎日訳もなく歩く気にはなれない

然し、『綺麗に歩けるように』は私の目標の一つである。 とぼとぼとした『おじん歩き』はどう見てもミットモナイ。

背筋を伸ばしてすっきりと、歩幅を大きく歩くためには、筋力と柔軟性が必要なのである。

だから、毎日ストレッチは欠かさないし、筋力をつけるために夏を除いては、公園でダッシュをする

この筋力と柔軟性はゴルフのスイングにも大いに役立って、今でもドライバーの飛距離は、昔と同じで、前から打たせてもらえる分だけ、距離が稼げたことになる。

これはなかなか気分がいい。

そんなこんなで、私の健康管理は、自分で決めた通りのことをやろうと思っている

 

 

★たまたま、昨日は孫が、防災公園で走ると言うので付き合った。

孫のランニングが済んでから、シニアの健康管理のためのトレーニングラウンドで柔軟性などを試してみた。

夏場はダッシュをしていないので、そんなに一生懸命走らなかったが、これくらいなら走れるのである。

  

  

 

  

 

  

 

 

体重はあまり落とすつもりはない。

年寄りが痩せるとどうも見た目が貧素である。  

人間死ぬときは、みんなやせ細っていると先生に言ったら、『古谷さん、そんなこと言ってたら、突然死ぬよ』と言われているのだが、

81年も生きたので、『突然死ねたら、それが一番いい』と思っている。

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朝日新聞問題の対応は・・・・

2014-08-17 05:25:02 | 発想$感想

 ★昨日、Facebook に 桜井よし子さんの講演要旨 が載っていたので、紹介したら、沢山の『いいね』を頂いた。

 

 

 

 

★ 日韓問題のこじれの原因とも言われる、『従軍慰安婦の強制連行問題』だが、これが『完全な誤報』であったと、朝日新聞が認めたことは、

単なる新聞社やその記者たちの誤りで済むべき問題ではナイと思う。

これを取り上げ続けたのは産経新聞だが、従来朝日の論調に従ってきたマスコミ全般、各新聞社や、議員諸氏も今回は、もう少し明確な態度を示して欲しいと思うのは、普通の人の普通の考えだと思う。

人間、間違ったことは、明確に謝罪し態度を明らかにすべきである。

この問題は、日本と言う国の尊厳に関する問題で、普通一般の問題とはその質を異にする問題なのである。

 

かって、橋下徹さんの、『慰安婦問題』を大きく取り上げたマスコミや、議員や団体は、自らの発言行為に対して責任ある行動を採って欲しい。

日本政府の対応も、なかなかムツカシイ面があるのは解るのだが、

これは世界に向かってもっと明確な『誤報に対する見解』が発表できるような国会対策など、腹を据えての対応が求められると思われる。

 

 

2013年に騒動となった維新の会・橋下徹共同代表の慰安婦問題をめぐる発言に対して、即座に民主、社民、共産、生活、みどりの風の各党と無所属の女性議員有志11人が国会内で記者会見し、橋下氏に発言の撤回と謝罪を求めて抗議していたが、2014年8月に朝日新聞が吉田証言の誤報を認めたことに対しては、それぞれの公式サイトで未だに触れずじまいなようだ。

地元回りで忙しいのだろうか・・・
 
などと書かれていたが、
 
     
 
 
 特に、福島瑞穂さんや、名前を上げられた人たちは、よくマスコミに登場したがる人たちなのである。
こう言う時にこそ、ご自身の見解を明確に仰るべきだと思う。
 
 
 
 
★ずっと、続いている外務省の事を大きくしない『まあまあ対応』も今回はより毅然とした対応を採って欲しいと思う。
 
その姿勢は、ロシヤや、中国などの方が、よほど毅然としているのである。
 
世界の中で、日本の姿勢を明確にすることの方が、むしろ隣国との関係も良くなるのではなかろうか?
 
いつまでも『もの言わぬ日本』であって欲しくないと思っている。
 
 

 
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1945年8月15日正午

2014-08-16 08:22:43 | 自分史

昨日、Facebook のノートに 『1945年8月15日正午』 と言う69年前のことを書いたら、沢山のコメントを頂いた。

逆にコメントの方からご紹介する。

  

  •  角野 學 終戦の日の思いが伝わるお話です。私は1947年生まれですが今の時代に感謝です。 
  •  
    鶴田 竜二 古谷さん、貴重なお話をありがとうございます。
    戦争を知らない世代の私にとって凄く興味深い話です。
    私の祖父は当時国鉄員でした。ビルマで泰緬鉄道を建設するために現地に行き過酷な作業だった為、怪我をし、それがもとで破傷風となり亡くなったそうです。享年33歳だそうです。
  • 古谷錬太郎 鶴田さん、こんにちは。ビルマは大変だったようです。私の母方の伯父もビルマで病で亡くなりました。戦後69年も経って当時の戦時中のことや戦後のことをご存じの方も少なくなっています。私は川航空機にご縁があって入りましたが、もし明石に川航がなかったら明石に爆撃などはなかったと思いますし、その爆撃で叔父、叔母が亡くなったりしています。
    戦争は、いろんな不幸を産みましたし、生活が一変したりはしましたが、そんな貴重な経験が出来たことで、その後の人生も変わったと思っています。いい方向で捉えることにしています。
    カワサキに入ったお陰で、今お付き合いのある人たちとも、鶴田さんとも会えました。
     
  • 井上 博之 明石の空襲では大勢の人が明石公園に逃げ込みました。私の伯父・伯母もその中に居たのですが、防空壕が満員でそのまま櫨谷のほうに逃げた直後、防空壕に爆弾が直撃して中に非難されておられた方は全員なくなられたそうです。
    川重には私の母が勤労動員で働いていましたが、終戦後焼け野原になった明石の雨の夕方にはあちこちで鬼火が見えたと言っていました。
    当時のことは伯父・伯母も母もあまり語りたがりませんでしたね。それだけ悲惨な状況だったのだろうなぁと今更にして思います
  •  古谷錬太郎 井上さん、明石のご出身ですか?私も戦時中はソウルにいましたので空襲のことは知りませんが、伯父や伯母の話ではそれは大変な事だったようです。伯父の家は公園の外堀に面していたのですが、あの堀が公園に避難した人の死骸でいっぱいだったそうです。みんな公園に爆弾が落ちるなどとは思いもしてなくて、伯父の家も神戸の人たちの荷物をいっぱい預かってたそうです。終戦後帰国して見た明石公園は木々がみんな焼けてしまって何もないような状況でしたが、松は復活しませんでしたが、樫などの広葉樹は生き返って今のような状況になりました。アレから70年ですから・・・
  •  
    鶴田 竜二 古谷さん、ありがとうございます。
    ビルマからタイを結ぶ泰緬鉄道は私が調べただけでも本当に大変だったみたいです。本来完成までに5年はかかると言われていたのが、わずか約1年4ヶ月で完成させたみたいです。それだけに工事の過酷さが余計に予測されます。
    雨期の中ドロドロになりながらジャングルを切り開いたり、コレラやマラリアが蔓延し多くの方がお亡くなりになられたみたいです。
    ・・・もっと見
     
  •  
    松本 巌 ソウルは環境良かったのですね…亡父の居た満州では終戦直前にソ連兵の乱入が有り友達が銃撃されて即死だったと…女子供無差別に殺されたそうで最近までそんなバカな話…と信じられませんでしたが実際に非戦闘員の殺戮は有ったらしいです…
    最近嫁用にTriumphのBonnevilleを買ったのをきっかけに大脱走を観たのですが…捕虜になったら脱走して敵を攪乱するのが軍人の務めと…
    一方帝国軍人は捕らわれて辱しめを受ける位なら自決せよと厳しく洗脳されていたと…この武士道精神が災いして捕虜を蹂躙し国際法に背いたので敵国の日本人に対する敵意が増してしまったのでしょう…そのお蔭で外地に居た日本人がシベリアに抑留されたり酷い目に遭ったのではないか…このように聴かされた記憶が有ります。
     
  • 古谷錬太郎 松本さん、こんにちは。ソウルはアメリカ軍でしたから、特には何もありませんでした。同じ種類の動物で殺しあったりするのは人間だけですね。そう言う意味では動物の方が賢いようにも思います。こんなこと言うと人間は動物ではナイと怒られそうですが・・・・  
  • 岩本 和久 軍の警察をやっていた父の叔父が、終戦時に満州にいましたが、ソビエト軍に捕えられて、シベリア抑留となりました。だんだん奥地まで行き、最後はタシケントまで行って、そこで強制労働させられました。仲間がたくさん亡くなり、抑留期間はなんと4年にも及びました。やっとの思いで帰ってきて、生きて行くために祖母がやっていたおかき屋を手伝いはじめたのが弊社の歴史の創生期です。黎明期は父が18歳で継いだ頃ですが、当時の食糧事情はひどく、サツマイモばかり食べてたとか。父の知人も神戸方面で三菱の工場で、極秘裏にロケットエン
  • ピュア ドルフィン貴重な体験談ですね!(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ- T8年生まれの祖父が戦争に行ってたので現地の話はよく聞きましたが、三木市のことはきかなかったです。T9年生まれの祖母は、祖父の留守を守っていたというのは聞きましたが、三木市にも焼夷弾が落ちていたのですね

 

1945年8月15日正午

 

    

 

1945年8月15日正午、 朝鮮京城(今のソウル)の城東中学の1年生でした。 炎天下の校庭で直立不動で天皇陛下の玉音放送を聞きました。よく聞こえませんでしたが、『戦争が終わった』ことだけは解りました。

当時の朝鮮は日本でしたが、戦時中は空襲もなく、食料事情などもよくて、何の不自由もない生活でした。

 

その年の12月に、1人1000円だけを持って、文字どおり『着の身着のまま』で、日本に引き揚げてきてからが、本当に戦争の影響を経験したと言えるでしょう。明石のまちは焼け野原でした。伯父の家のあった上の丸あたりは、爆弾の落ちた後の逆三角形の大きな穴がいっぱいでしたし、無数の焼夷弾が地面に突き刺さっていました。

 

翌年の4月に中学校の1年生に再入学し、今の伊川谷から明石駅まで歩き、電車に乗って灘から学校まで地獄坂を毎日歩いて通う、考えられないような通学でした。中学2年生の時に、天皇陛下の神戸行幸があったのですが、神戸にはホテルがなくて、天皇陛下は神戸一中の3階の教室を改装した部屋に泊まられました。そんなこともあって、私のクラスは、天皇陛下の天覧授業を受けたりしました。

 

天皇陛下がなぜ神戸一中に泊まられたのか? 当時のGHQがそれを調べて、『英才教育をする学校』と言うことで、所謂『学区制』検討の端緒になったとも聞きますが、その真偽はよく解りません。高校3年生の時に『学区制』が施行されて、特に神戸一中は厳しくて、生徒だけではなく学区外から通う先生にも適用されました。私はそれで、明石高校に転校したのですが、同級生の多くと先生たちが『灘高校』に移ったのです。このころから急激に灘高校は優秀な進学校になりました。

 

当時の食糧難は半端なものではありませんでした。米などは殆ど口にすることは出来ず、いもやなんば粉のパンなどでしたが、なぜか今のサツマイモやトウモロコシとは全然違っていたような気がします。特に『なんば粉のパン』はまずくて、その後も『トウモロコシ』の印象はよくなかったのですが、多分今のトウモロコシではなくて動物の食料にするトウモロコシだったのだと思います。

 

こんな戦後の困窮は、1950年朝鮮戦争が勃発し、戦争景気で急激に日本の復活が始まる時期まで続きます。当時はずっと野球部で野球をしていたのですが、夏の予選の前の合宿の楽しみは、米の飯が食えることでした

 

そんな苦しい時代を経て、日本は素晴らしい発展をしたと思います。

 そんな日本の姿を見ながら69年、こんなに極端な時代の変化とともに生きられたことは非常によかったと思っています。

 そのスタートが69年前の8月15日正午だったのです。

 

     

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今年のお盆の天気

2014-08-15 06:37:52 | 日常生活、園芸、バラ

 

★ 世の中『お盆休み』です。

どこに行っても人がいっぱい。

カンカン照りで暑くて、花火大会などがその代表するイメージなのですが、今年はあちこちで花火大会の中止が伝えられました。

夏の甲子園も、開幕が2日も順延されたりして、ちょっと異常です。

 

アメリカから孫二人が夏休みで遊びに来ているのですが、この雨ではちょっとノ―プランです。

急にその雨足も強くなりました。

 

 

多分、雨音が聞こえると思います

 

 

★ この後1週間の週間予報です。

 

 

この調子だと、今年の夏は異変だと言えそうです。

暑さ知らずで、過ごせるのかも知れません。

同じ兵庫県ですが、今甲子園は全然降っていません。

 

 

最近は何でもよく解ります。

間違いなく、今甲子園は降っていません。

この雨雲は今後、どこへ移動するのでしょうか?

 

 

★1日明けて、今。 今朝も雨が降っています

 

 

 

 そして、午後からも雨の予想、。

梅雨には、雨あまり降らなかったのに、まるで梅雨が戻ってきたような夏の天気です。

 

少なくとも、私はこんな真夏の天気、初めての経験のような気がします

 

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万引き犯の顔写真公開中止

2014-08-14 06:38:06 | 発想$感想

「万引き犯よ、返さないと顔写真公開」

 

    

 

25万円の玩具を万引きされた古書店「まんだらけ」が、「返さなければ犯人の顔写真を公開する」と警告していた問題は、13日警視庁の要請でホームページでの顔写真の公開を取りやめたようである。

世の中に、カメラがいっぱいだし、どこの店舗も万引き対策には熱心なようだが、それでも本屋さんなどでは万引きの被害が絶えないようである。

「返さなければ犯人の顔写真を公開する」 と言うことは返せば、なかったことにすると言うことなのだろうか?

犯人の身内とみられる女性から「午後8時までに返せばいいのだろうか」という内容の電話があったと言う記事も載っていた。

 

これは『やり過ぎ』と言う批判もあったようだが、Yahooの意識調査では、

 

   

 

 『妥当だと思う』と言う答えが大勢を占めている

素直に考えたら『妥当だ』と思うと言うのは『妥当』な気がするのだが、警察は捜査に支障があると、その中止を求めたようである。

 

 

★確かに、これはいろいろな問題が含まれていて、

間違いなく万引きと言う犯罪が行われたのに、『返せばなかったことにする』と言うことがどうなのか?

警察などの公の機関があるのに、被害当事者が勝手に写真公開すると言うのも問題なのかも知れぬ。

ただ、万引きの行われる数は、大変なもので、何もせずに警察に連絡してみても、警察が直ぐ動いてくれる保証もないし、多分放置されるだけだろう

今回の件は、『今後は証拠も十分あるので、警察の方々のお力を信じてお任せしてまいります』としているが、これだけ世間で騒がれたから、警察もちゃんと動いてくれるのだろう。

 『警視庁中野署は「捜査に支障が出る」として公開しないよう申し入れていた。』とあるが、具体的にどんな支障が出るのだろう。

 

    

 

 こんなデータ―もあったが、実際にはもっと多いのだろう。

この事件果たしてどんな結果になるのだろうか?

 

 

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Team Green 監督重本修次郎くんのこと

2014-08-13 05:42:05 | 7万台の挑戦の時代

★1990年代 カワサキの長いレースの中でも、

Team Green の実績が燦然と輝いた時期のTeam Green 監督重本修次郎くんがこの8日に亡くなったという悲しい知らせを受けた。

 

 昨日重本くんの訃報を聞いてFBにこんな動画をアップした。

 

 

 

★1990年代当時のカワサキは、『7万台への挑戦、 新しいカワサキのイメージ創造』に向かってグループ全体が邁進していた時期である。

その主たる役割を担ってくれたのが、Team Green を中心とするレース活動であり、イメージ創造活動を担う広報活動だったのである。

そしてそれらを纏めて『遊び半分ではいい遊びは出来ない』と遊びのソフト会社『ケイ・スポーツ・システム』が当時のカワサキグループのトータル活動を支えてきたのである。

 

7万台の目標がほぼ達成されようとする時期に、川重工の幹部職員250名を前に、国内グループ活動状況の話をしたのは、企画部門でも、営業部門でない3つの部門の責任者、KSSの南常務レース担当の重本部長広報担当の小林課長と私の4人で担当し、打ち合わせなど一切なしのぶっつけ本番での喋りだった。

その中の重本くんが話した一部をご紹介してみたい。  

当時のカワサキのレース活動の基本コンセプトが語られている。

それは非常に高い目標であったと同時に、レースの世界でカワサキが輝いていた時代でもあったのである。

 

           

             

 

               

 

                

 

  ここで重本くんが述べているように、

単にレースに勝つと言うだけではなく、広い視点でのレースの位置づけが出来ていたと思うし、その実績でもカワサキのレースの歴史の中で、非常に大きな実績を残しているのである。

 

     

重さんは、生前ゴルフはまさにシングルだった。

彼にゴルフを勧めて、初めてラウンドしたのが、SPA直入のすぐ近くのコースだったのである。

教え子に直ぐ抜かれてしまった。

 

       

 

生前の写真を探したが、こんなZ1会でのレース関係者との小さな写真しか見つけられなかった。

最近、なぜ顔を出さないのか? 病気だとも聞いていなかったので、突然の訃報は驚きなのである。

今年からTeam Green は、ファクトリ―のような感じに生まれ変わったが、

重本監督時代、野村くんが支え、技術担当としては、今のマイスターの森田優治くんの3本柱で、本当に確りとした活動だった

その実績からも、その時代Team Green 関係で育った塚本、宗和、鶴田、北川、梁くんやサテライトの月木では多田くんや岩城一さん、BEET強かったし

      

 

 こんなサテライトチームを含んだ活動で、それは20年後の今にも生きているように思う。

 

当時の国内の責任者の私が、メーカーの幹部職員への報告会のレポーターとして選んだ3人は、当時のカワサキオートバイ販売グループの核だったのである。

重本くんにも、本当にいろいろと援けて貰った。

まさか私より先に逝ってしまうとは思いもしなかった

安らかにお眠りください。 心からのご冥福をお祈りいたします。

 

 

 重本修次郎氏  御逝去の弔電   
        2014.8.13
    
 あごひげの似会う重さん、あなたの訃報の入手が遅れ、告別式に参列できず    
ほんとに申し訳ありません。    
 重さんは仕事でもゴルフでも大先輩で、良く教えてもらいました。 Z−1会コンペ    
では数回優勝され、ベスグロの常連でした。あの小さな身体で、何であんなにボールが    
飛ぶんだろうと不思議でなりませんでした。 ほんとに練習の賜物だったのですね。    
人一倍練習されていたのですね。    
 また、川柳や木工細工もお上手で、ほんとに多芸多才で、人生を謳歌されたと思います。    
町内会の仕事が一段落したら、またZ−1会に復帰してもらえるものと信じていましたのに    
残念でなりません。 御冥福をお祈り致します。    
 ご遺族の皆様 どうぞご自愛下さいませ。    
                                     Z−1会一同    

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アメリカからやってきた孫

2014-08-12 06:37:00 | 日常生活、園芸、バラ

 

★アメリカから8月7日に孫、門野真也はやってきた。

早いもので、もう5日が過ぎようとしている。

男の子ばかり4人の孫だが、小さい時から何となく一番長い時間を真也と過ごしている。

 

この5日間動画に撮ってあるのでどんな感じだったのか?

撮ってた動画をこのブログ用に 今朝もう一度短く編集し直したので、ちょっと覗いてみてください。

 

 

アメリカから1日遅れで伊丹に着いた。

このひと月だけでも、ニューヨークに行き、アイルランドに行って、直ぐまた日本にやってきた。

飛行機は慣れてるのだが、どうも飛行機運は悪くて、よく遅れたりする。今回も1日予定よりは遅れた到着だった。

 

 22日までの滞在だが、 今はサッカーがちょっとの間だけ、シーズンオフで、9月からは新しいシーズンがスタートする。

勉強道具は持ってきていないが、サッカーのトレーニングだけは欠かさず続けるようである

早速家で筋トレをやってたし、毎日1時間ぐらい朝ランニングをやっている。

ビックリするほど真面目である。

サッカーのレベルも毎日の努力で維持してるのだろう。

 

 この年代は、髪型や服装に関心があるのか?

長男はそうでもないのだが、次男の真也は来るなりアタマのカットに行った。

そして、ユニクロに行くのが希望の一つである。

ユニクロでもあれやこれやと熱心に探していた。

おばあちゃんは、孫に優しい、孫のための金は惜しくナイ感じである。

 

近くの協同学苑のグランドにサッカーをしに行った。

流石にウマいものである。

子どののころ、ここでリフティング5回が出来なかった同じ男の子とは思えない。

 

 台風11号が三木を直撃した。

台風などとは縁のないカリフォルニアに住んでいるので、日本の台風を経験するのもまたいいものである。

ただ、被害が出たりしたら、大変だが、何とか風も大丈夫で通り過ぎた。

緩やかな勾配がある団地だから、水が溜まったりは決してしないので安心である。

 

 

台風一過、

昨日はひる飯を『ごちそう村』で食い、近くのジョウシンで 何か買って貰っていた。

そしてアメリカにはナイ100円ショップで買い物。

さらにコンビニに行って何かを買い、返ってからまた酒屋に飲み物を買いに行っていた。

よくまあ、買うモノがあるものである。

 

こんな買いものの間にも、アメリカのトモダチから電話が入る。

勿論英語なのだが、英語を喋ってるのを聞かれるのが照れくさいのか? 人のいないところを探して歩いていた。

 

★今日、明日は、神戸の実家に行ったり、日本の友達とあったりする予定である。

そして、13日からは兄貴も鎌倉からやってきて、賑やかになる。

焼き肉を食いに行ったり、温泉に行ったりする予定も残っている。

15日の夜は、三木の人に フットサルに誘われたりしている。

 

22日までもあっという間に過ぎるのだろう。

もうすぐ、大学だから、大学生になったら、おじん、おばんに付き合っている暇もなくなるだろう。

そう言う意味では、あと1週間、貴重な1週間ではある

 

 

 

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あさご青春物語

2014-08-11 16:35:37 | いい朝が来るまちの物語

 

Facebook に『あさご青春物語』 というページが、ごく最近創られました。

 

 

 

 

私自身、そんなにちゃんと解っているわけではありません。

一緒に『いい朝の来るまち』朝来のまちづくりを、カッコよくやろうと言う仲間たちが取り組んでいるので、『いいね』と思っているのです。

何となく、『カッコいいな』と思っています。

 

こんな風に説明されています。

 

    

 

 

きっかけは、2014年夏のJR「青春18きっぷ」のポスターに、竹田城跡が採用されたことでした。

JR播但線の始発、キハ41形のオレンジ色のボディーと、朝もやの竹田城跡とのコントラスト。

私たちが普段、何気なく目にする風景の美しさを、一枚のポスターが教えてくれたのです。

竹田城跡に物語があるように、このまちに住む人、訪れる人にも物語があります

過去から現在までの時の流れの中で守られ、育まれてきた何気ない風景。

その中に溶け込む、さまざまな世代の日常や旅の物語にスポットをあて、写真とともに紹介するのが、この「あさご青春物語」です。

 

 

「放課後 君と」は、地元、兵庫県立生野高校に通う生徒の下校中のひと時を

「伝えたいこと」は、アラサー世代、ちょっと気弱な彼の、彼女に込めた思いを

「あの頃との再会」は、60代夫婦の、忘れかけていたものを思い出す旅を

それぞれの世代の小さな物語を、竹田駅、生野駅周辺の何気ない街なかの景色とともに切り取ったカタログ「あさご青春物語」。
この冊子をぜひ手に取って、駅からまちを歩いてみてください。そのなかで、何気ない風景の宝探しを楽しんでいただければ、幸いです。

「天空の城」「日本のマチュピチュ」とも呼ばれる兵庫県朝来市の竹田城跡には、今や全国から数多くのお客様に来ていただけるようになりました。

一方で朝来市には生野銀山をはじめとする産業遺産や鉱山町、城下町の町並み、古代遺跡など、全国に誇れる豊富な観光資源があります。

この朝来市の日常の風景を切り取った冊子をきっかけとして、来ていただいた皆様にもっともっと朝来市のよさを知っていただければと願っています。

 

 



 

 

 

 

こんな朝来の18のスポットを紹介するのだと思います。

スタートは8月13日からですが、その予告編のようなものです。

いずれにしても、何となくカッコよくて、

 

とても市役所の人たちが創ったとは思えないのですが、

これを創り上げた人たちは、こんな人たちを中心とする、朝来市役所の職員さんなのです。

 

 

 

7月30日に、そんな素晴らしいメンバーと雑談して、

『いい朝が来るまち』 朝来市のいいまちづくり 『新しいイメージの創造』が出来たらいいなと思っているのです。

 

『いいな』と思われる方、ぜひ『いいね』してあげて下さい。


https://www.facebook.com/asagostory?fref=nf

 

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自然災害 と 私

2014-08-11 05:52:47 | 私の生き方、考え方&意見

★我ながら長く生きたものだと思う。

80年もの自分の人生を振り返ってみて、不思議なほど自分の意思でどうこうするよりは、周囲の人たちや周囲の環境の示す方向なりに生きてきた。

中学1年生で終戦になって、世の中の大きな動きの中で朝鮮から引き揚げてきたが、それ以降の自分の行く道はみんな周囲の人が創ってくれたような気がする。

自分で何になりたいとか、思ったことはホントにナイ

 

●神戸一中に入学したのは、伯父の友人だった砂野仁さんが『そこに行け』と言われたからだと思う。

●高校を明石にかわったのは、学区制が施行されて仕方がなかったのである。

●高校でそのまま就職するはずが、父が正月に亡くなって、伯父がもう金が不要になったから大学に行けと言われて大学に行った。

●就職は、砂野仁さんが川航に来いと仰るので、そう決めていたのだが、卒業年次の昭和31年は不景気で、今年は採用が少ないから来年まで待てと、言われて1年間野球部の監督をしていた。

●川航に入ってからも、異動先など一度も希望など言ったことはない。アレをやれ、ここに行けと言われる通り40年間を過ごした。

 

そんななかで、家を三木に建てたのも、別に三木を知っていたわけでも、何でもなくて、仙台にいたころ明石に出張してきたら、取引先にいた人がダイワハウスに移っていて、三木に宅地造成をしているから、その土地を買ってくれと言うのである

どうせどこかに土地を買って家でも建てねば思っていたので、その出張中に土地を買うことを決めたのである

三木など一切知らなかったが、その人いわく、間違いなく良くなるからと言うので、別に誰にも相談せず決めてしまったのである。

 

★今日はそんなことを書くつもりではなくて、80年生きてきた中での『自然災害』との関係を書こうかとスタートしたのである。

私が、人生で経験した『自然災害』と言えば、明石に住んでいたころの『台風』が一番なのである。

一番というより、それ以外に自然災害に出会っていないのである

明石にいた30歳までの15年間、あの頃は毎年のように『台風と直面』して生きてきた

このころは殆ど関西に台風は来なくなってしまったが、あの頃は本当によくやってきた。

 

その中でも大変だったのが、1950年9月3日に徳島から淡路を通り、神戸垂水に上陸した『ジェーン台風である。

この台風を京都に行く電車の中で、大阪を過ぎた『東淀川』あたりで4時間ほど、一番ひどい真っただ中で経験したのである。

当時は明石高校の野球部だったのだが、その何年か前に明石は優勝候補の筆頭だったのに、明石が雨でこれは中止と判断して行かなかったら、西宮は晴れていて不戦敗で予選敗退したことがあって、それ以来どんなことがあっても試合地までは行くというのが伝統だったのである。

10時に徳島に上陸と言う状況なのに、明石から京都に向かったら、東淀川あたりで電車は止まって動けなくなってしまったのである。

直ぐ前にあった消防署の建物が風を含んで倒壊するのを目の前で見たスゴイ台風であった。

それ以降も、明石には毎年のように台風は来て、その対策に大変だったし、瓦か何かが飛んできて窓ガラスを割ってそのかけらで手首を切ったりしたこともあった。

近所の家の屋根が吹き飛んだりしたこともあって、台風にはあまりいい思い出がないのである

 

それ以降、仙台に移り、高槻、と移り住んだが、『自然災害』には無縁で過ごせた。

そのあと三木に移り住んだのだが、『三木が安全』と言うようなことは一切考えたりはしていないのだが、

人生の半分、40年をお世話になっている三木に来てからは、全く『自然災害』とは無縁なのである。

あの阪神大震災の時も、神戸の隣町の三木は、揺れはしたがなんの問題もなかったのである

 

そんなことで、明石で台風対策で苦労した母は、亡くなるまで『三木はいいとこや』が口癖だったのである。

地形が盆地みたいになっていて、昨日の11号も風は何の問題もなかった。

それ以上になだらかな丘陵地なので、雨は幾ら降っても水が溜まったりすることは考えられないのである。

今回の台風も、テレビで見ていても、『水害』は大変である。

そんな心配がないのがいい。

 

 

 

 

 

そして、昨日は三木に来て40年、初めて『台風11号』が三木を直撃したのである。

昨日も雨は結構降って、NHKのニュースでも三木の名前が出たりもしたのだが、『水害』は全然アタマになかった。

テレビであちこちの水害状況を見るにつけ、安全な場所に住む幸せを感じている。

 

★40年も住んで、間違いなく三木で一生を終えることになるのだろう。

その土地が安全で安心だと言うことは、非常にいい。

この土地を、自分で選んだ訳ではなくて、言われる通りにしたわけなのだが『いい土地』を選んでくれたとお礼を言わねばならないのかも知れない

まあ、こんなのは、みんな人生の巡り合わせみたいなものだから、

自然に、周囲の人たちの言う通りに、素直に生きていくのがいいのかな と今でもそんなスタンスで生きている。

 

 

 

 

 

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台風11号の予報と実況

2014-08-10 05:38:12 | 日常生活、園芸、バラ

★台風11号の進路予想を見ると、兵庫県三木市は間違いなく直撃の進路である。

その予報と実績を追っかけてみたい。

 

●まず、1日前 8月9日の昼ごろの予報である。

 

 

   

 

 大型の台風だと言うし、これは覚悟をしておかないとと思って、

特にこの地区はなだらかな斜面だから、水は流れてしまって溜まる恐れは皆無だから、

問題は風なのである

その天気予報が、最近は郵便番号ごとに表示されたりする。その状況では、最大風速は13メートルとある。

ホントだろうか?

 

  

 

●1日明けて、今8月10日、朝5時少し前である。

ニュースによると、四国に上陸直前である。

雨は降っていないし、風もない嵐の前の静けさである

 

NHKのニュースと、今現在の様子を動画で撮ってみた

 

兵庫県三木市の今後の台風予想である

やはり最大風速は13メートル

ちょっと遅れて昼あたりがピークのようだが、この後、何時間ごとに短い動画の実況状況をてってみたい

 

 

 

 

●午前8時の状況。

少し風は出てきたが、雨はこれも少し降っているという状況である。

この段階では、動画は普通に撮れた。

 

 

 

●午前10時半から11時ごろの状態

雨は10時半ごろが一番赤色に近い雨雲だったが、このあたりは30~40ミリのあたりで済んだ。

  

 

家の過ぎ近く、今度新しく可能になった250メートル単位では、我が家の周辺は、

 

   

こんな感じである・

 

 

動画ではこんな状況

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孫 門野真也

2014-08-09 05:05:55 | 日常生活、園芸、バラ

    

 ★アメリカから孫の真也がやってきた。

 

    

 

 高校3年生、4年ぶりの日本。

もうアメリカ生活が10年にもなるので、半分アメリカ人みたいな発想である。

 

  

 サッカーで今トップ下をやっている。こんなベストイレブンに選ばれたとご機嫌である。

シーズンは終わったとこだが、今シーズン20得点で得点王争い全米5位か6位に入ったらしい。

 

その得点シーンを集めた動画である。

すべてが自分のゴールでPKは一つもないと威張っていたが・・・  小学生の頃兄貴と二人がPKを外して負けったことがあったりしてPK嫌いなのかも知れない。

 

 

    

 

 これは先週、アイルランドでのMilk Cup スペイン代表との試合、アメリカ代表に日本人がら入れて貰っている。

 

 

★そんな孫、門野真也が1日遅れでやってきた

アメリカからのフライトが遅れて、成田―伊丹の最終便に間にあわず、1日鎌倉の息子宅に泊めて貰っての三木入りなのである。

久しぶりに、息子のところに居候している兄の力也とも会えてかえってよかったと思う 。

伊丹空港での様子である。

 

 

今回は22日までの三木逗留だが、勉強道具などは一切持ってきていない。

完全な夏休みで、すしを食いたい、焼き肉、温泉に行こう、ユニクロにも。と予定を聞いたら食うことと遊ぶことばかりである

そんな彼だが、このシーズンオフもトレーニングだけは欠かさずやるらしい

こんなストレッチや筋トレをやって、朝5時半に起きて1時間ほど走ってきていた

 

結構たくましいのだが、

10年前日本にいたころは、ただのこんなデブ。 サッカーなどリフテングもロクに出来なかったのに・・・

今は、二人とも、サッカーでは相当のレベルのチームにいて、

アメリカ人のような発想で、スペインとドイツが希望のようである。

次男の方は、高校でスペイン語を習っていて、少しは喋れるようだから、本気でそんなこと思っているらしい

          

 これが確しか6年ほど前に、三木に二人で遊びに来たころである。次男の方は体形も変わって、本格的にサッカーをやり出したころである。

息子が、鎌倉から遊びに来て、サッカーのコーチをしていた。

 

 

そして、夜はカブトムシを採りに行って、一度にこんなに採ってきた。

  

          

 

カブトムシや、魚が好きで、私が一番連れ歩いて、面倒見た時間の長い孫である。

今回も、その味が忘れられずに、夜はカブトムシを採りに行こうと言っている

 

 

 

★昨日の午後、場所も同じ協同学苑のグランドにサッカーの練習をするというので、付き合った。

 

動画を撮ってきたが、 これは流石である

自然体で、バランスがよく力が入っていないところがいい。

 

特に、センスがあったり、運動神経が抜群でもないのに、ここまで来たのは

生来のまじめな性格と、やりかけたらめちゃめちゃ練習することである。

 

10年前の真也と、2年前の真也もよく知っているだけに、あと何年かするとホントに何とかなるのかもしれない。

大学はお陰さまで 名門 University of California, Berkeley にサッカーで入学が決まっている。

そのあとの真也を見れるほど、長生きが出来るだろうか?

 

 

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