雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

大丹波ふるさとネット

2017-01-22 06:23:44 | 発想$感想

★今年の正月に、突然ご挨拶を頂いて、『大丹波ふるさとネット』なる中山和子さんが先頭を走るプロジェクトに、引きずり込まれてしまった感がある。

 

  

 

 https://www.facebook.com/biofarmTamba/?pnref=lhc

 『大丹波ふるさとネット』というFacebook は、いつスタートしたのか?今年になってからの発信回数も半端ではない。中山さんはどんどん走ってしまうので、すぐ後姿を見失ってしまうのである。

私が『そのようにいうのだから中山和子さんの疾走ぶりがお解り頂けると思う

 

来週の日曜日に、一度これに携わるメンバーで、とにかく現地を見てみようということになった。

大体、中山さんの構想はこんなところじゃないかと思っているのだが、次の日曜日に行く仲間のために私なりに少し纏めてみようかと思って書いている。

今度の日曜日に現地に集まる人は6人なのだが、中山和子さんを除いてはみんな現地は初めての方ばかりなのである。

 

リーダーは中山和子さん 御年70歳のこの方である。

42,195キロのフルマラソンだとすれば、彼女一人がすでに中間点を越えて、走っているぐらいの感じである。

われわれも、離され過ぎないように追走しなければならない。

 

 

そんな中山さんのこのプロジェクトに寄せる情熱にほだされて熱心なのが、濱本恵美子さん、

 

 

 

 神戸ベンチャー研究会で何度かお会いしてるのだが、元川崎重工にいた小林宏至さんの甲南アセットにお勤めである。

 

それに、ずっと 燦々SunSun で一緒の私といろんなことをやってる殿界寿子さん

この3人は三木から私の車で一緒に行こうということになっている。

あと3人は電車組で、京都のほうから来られるのでJR園部駅でお会いしましょうということになっている。

中山和子さんのほかに、清水康郎さん。

 

  

 私は3年前に会社員を卒業し、街の農地を活用した体験農園を地主さんの運営協力しております。かつて私が途上国での生活で感じた手間暇かける楽しさを価値にできないか、そして生産と消費の乖離を縮められないか活動しております。現在はささやかながら利用者をはじめ、地域の保育園、デイサービス、商店会との繋がりができてきたところです。また、高槻のNPOでのお手伝いもしており、地域づくり、コミュニティビジネスに関心を持っております。中山さんとは、ソーシャルビジネスのセミナーや見学会で知り合いになりました。 

 
 とこんな方で、学生時代はカワサキのエルミネーターに乗ってたと仰っている。
 
この5人でと言っていたら、今日また突然、京都の大学の先生がぜひ行きたいと仰るのでと、もう一人増えてこの6人に、現地に『井戸屋』さんが直接参加されるというのである。
 
 
 
 
★ところで京都の南丹市美山『吉田地区』とはこんなところだが、
 
 
 
 
 
この地区のこんな古民家を買い取って、都会の人たちや特に海外から日本にやってくる人たちを、呼び込もうというのである。
 
 
   
 
 
 
ただの宿屋をやるだけではなくて、ここでいろんな野菜などの栽培もやりたいのだが、とりわけいま熱心なのが『水わさび』の栽培で、すでにそれをおやりの名古屋の方に弟子入りしていろいろノウハウを教わっているらしい。
 
今度の日曜日に、井戸屋さんが来るのは、井戸を掘って水が出るかのチェックだそうである。
 
こんなに、手広くやって、70歳の女性が大丈夫かと思ったら、軌道に乗りかけたら想いのある若い人に譲っていこうと仰っているのである。
 
そんなにウマくいくのかな? と思ったら、
 
こんな若い『起業の専門グループ』との具体的な繋がりもあり、この方たちも京都の美山には関心をお持ちのようだとか・・・
 
 
   
 
 
 
 ことほど左様に、中山さんの周りは、想いのある人たちでいっぱいなのである。
 
余りにも元気すぎて、今は広がるところいっぱいに広がっているので、これをどのようにトータルシステムとして仕組んでいくか?
 
異種・異質・異地域をみんな繋いでいい時を過ごそう』というコンセプトのNPO The Good Times の中には、燦々SunSun
という地域活性化専門プロジェクトもあって、その世話人代表は、中山さんも、濱本さんもよくご存じの神戸ベンチャー研究会の代表でもあり関西国際大学の経営学科長の松本茂樹先生なのである。
 
 
そんなご縁で、私にはお声が掛かったようなので、殿界さんと一緒にその仕組み創りと広報関係・情報発信を担当してお手伝いでもするかと思っているのである。
 
 
 でも、コレ結構お金かかりそうだな、と思ってたらすでに『クラウドファンデイング』はこんなところまでは進んでいて、近く最終の具体的な計画や、現地の紹介動画などを創ってスタートしようとされているのである。
 
 
  
 
 
 
 
 ★これなかなか 壮大で、基本コンセプトもいいでしょう。
 
 いまから、来週から具体的に動き出してみようかな、と思っています。
 
 来週の日曜日、まずは今回『集まるメンバー』でよく現場を観て、今後の進め方を決めたいと思っているのです。
 
 『とにかく、想いがあって、中山和子さんのスピードについていける』そんな人たちを集めて進めたいと思います。
 
 今年の6月末に、どんな形になっているのでしょうか?
 
 オモシロい展開になるかも知れません。
 
 
 
 
 
 
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トランプ新大統領就任演説

2017-01-21 09:31:59 | 発想$感想

★ちょうど 夜中の2時に目が覚めた。

トランプ新大統領の就任演説やら、パレードを観ていたのでちょっと寝不足である。

 

 

 

    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170121/k10010847631000.html

 

    就任演説全文である。

 

今後、いろんな評論家たちが、いろんなことを言うのだろうが、私はトランプが真っ先に言った、今までの政治家が言わなかった、言えなかったこのような言葉こそが、トランプの政治に対する『基本コンセプト』でここから『新しい時代の政治』が始まるのだと期待したいのである。

 

  

 

 これは日本の政治、日本の大企業などでも『従来の発想』の中には、『国民・都民・市民・大衆』への視点が抜け落ちていたのである。

こんな従来の常識・発想が、昨年は英国のEU離脱に始まり、東京都知事選の小池百合子さんのチャレンジなどあって、今回のトランプの勝利に繋がり、このスピーチに繋がっている。

もう少し前から、大阪の橋下徹さんの大阪、さらに少し前の佐賀県武雄の樋渡啓祐市長など、私はずっと応援していたのだが、それがまさに世界で花咲こうとしているのである。

 

  

 

 

★多分まだ、世界の人たちは、『トランプの発想』について行けないかも知れない。

今回、ワシントンに集まった人たちは、オバマの時よりは少ないかも知れない。しかしこの『トランプの就任演説』に関心を持った世界の人たちは、支持する人、反対する人を含め、今回のほうが圧倒的に多かったはずである。

そんな世界が『注目する立場』に今トランプさんは立っている。

本当に意味で、『国民・都民・市民・大衆』への視点での政治に世界が転換するように、日本の安倍政権も協働すべきだと思うし、安倍さんは間違いなく、そのような方向を採ると思う。

そうすることが、日本を世界のキー国とする方向だと思うのである。

 

服部吉伸先生のこんな言葉がある。

新しいことにチャレンジすると、必ずこういうことになるのである。

 

『通用する発想とは正しく現状を捉え説得力があり、やがて多くの人の賛同を得られる考え方を指している。
ここでやがてという言葉を使っているのは、正しい考え方が最初から多数派である筈がないからである。』

 

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2017 年1月20日

2017-01-20 19:48:04 | 発想$感想

★ 2017年1月20日アメリカのワシントンでは、正午12時を期して、『トランプ新大統領』が誕生する記念すべき日なのである。

日本時間では、その前日に当たり、日本時間の21日午前2時がその時間に当たるらしい。

NHK初め、夜中にその実況放送が組まれている。

若し、目が覚めていたらその実況の一瞬を見たいなとも思っているが、そんな夜中に起きているのかどうかも疑わしいし、今日はその宣誓とスピーチが行われるワシントンの場所などを、Google Mapで検索などしていた。

その画面がこちらである。

 テレビなどで紹介されているが、右端の United State Capitol で宣誓とスピーチが行われ、左端のホワイトハウスまで向かうようである。

 

  

  

  そのちょうど中間地点に トランプインターナショナルがあるという立地である。

 

  

 

  それを人の視線で見ると こんな感じなのである。

 

  

 

  ここから人が埋め尽くす広場である。

 

  

  

  横から見るとこんな感じで、

 

  

 

  こちらが トランプ・インターナショナル なのである。

 

  

 

 こんな画面が Google Map を自分で操作していたら、撮れるところが素晴らしい。

 Google Car が通れる先進国の道のサイドは、どこでもこんな画像が見れるので、世界をパソコンで見れるそんな時代なのである。

 アメリカの1月20日は、これらの様相が一変して、マスコミで報道されるはずである。

 これくらい、『事前調査』をしておけば、実際にテレビで流れる画面も、また違った感覚で見ることが出来るはずである。

 

 

★丁度、その1日前の1月20日は、昼から燦々SunSun の殿界事務局長と、多分29日に訪ねることになるであろう。

京都の南但市美山吉田 のこんな地区のこんなおうちの話をしたりしていたのである。

   

 

 今年になってスタートしている新しい話だが、中山和子さんやその仲間たちと、こんなお家を拠点にいろいろと、オモシロいことが出来ないかなという話なのである。

水ワサビの栽培などもやりたいとか仰っている。

現場を見ないと、もう一つイメージは湧かないので、一度行って見ようかと言ってるのだが、行く前にこれくらいのところまでは何とかわかるのが、現代のネット社会なのである。

 

   

  

 こういうことをやってみるのは、『マーケッテング・マインド』というか私の身に付いてしまっている習性からで、アンケートをとってみて初めて解るというのでは、仮設などとても立てられないし、『ホリエモン』のように『想定内です』とはとても言えないのだが、なかなかこのような事前のマーケッテングをする人は少ないのである。

 

 

★ 夕方、先日話した田崎雅元さんから、また電話があって1時間余り先日の続きを話していた。

 先日の田崎さんとの話は、こんなブログにもアップし、http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/a0a993f6e5b25f1a6b2bcd96ea3affbf

 

Facebook にも流したら、沢山の方から、『いいね』を頂いたし、最高級のハートマークの『超いいね』を多くのカワサキファンから頂いているのである。

こんな積み重ねがホントの意味の『カワサキのブランドイメージ』の高質化に繋がるのである。

イメージ』とは身内の評価ではなく『他人の評価』であることが解っていない人が多くて困るのだが・・・ともすれば身内の意見を重視してしまうからダメなのである。

 

  

 

さらにツイッター  https://twitter.com/rfuruya1 でも 非常に好評価で沢山の『リツイート』がなされているのである。 『リツイート』などよほど『いい』と共感しない限り、一般の方(他人)がやったりはしないのである。

田崎さん、私のブログも読んでいたし、いろいろ検索していろいろ知っていた。ツイッターのフォロワー57万人については流石にびっくりしていた。

いつの間にかGood Times Concept が消えてしまったのは、国内とアメリカで復活したのが私と田崎さんだっただけにちょっと残念だったようである。田崎さんとそんな末端のユーザーを意識した、かっての単車事業部時代の話などいろいろなことが延々と続いたのだが、彼が川重の社長時代に一番頭にあった『重工業から柔工業』へとの体質的な構造改革など、なかなか解ったようで本質的なことは解らぬ『ムツカシイ話』だなと思う昨今なのである。

でも、そんな話がそのまま通じる『田崎さんが元気になって』本当によかったと思っている。

カワサキの職位で言えば田崎さんだが、田崎さんと髙橋鐵郎さん私と田崎さんとの関係は、ずっと昔の関係が自然に続いていて、それぞれがお互い敬意を払いながらのお付き合いが出来ているところがいい、所謂『仲間』なのである。

近いうちに一度会おうか』ということで電話を切ったのである。 

 

2017年1月20日は、アメリカでは、『トランプ新大統領』がスタートするが、日本の1月20日も、なかなかオモシロい 1日だったのである。

 

 

★NPO  The Good Times のホ―ムページです

★三木 緑が丘 サンロードを愛する人のカイ!のホームページです

★燦々Sun Sun です。

★会員さんのブログです。更新されるとすぐ載ります。

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Sento Towel 銭湯タオル

2017-01-20 07:13:17 | 発想$感想

★ Gigazine の記事は、なかなか詳しくてオモシロいのでよく見るのだが、昨日は Sento Towel(銭湯タオル)の話だたのでちょっとご紹介してみる。

クラウドファンデイング』の話題でもあったりする。

http://gigazine.net/news/20170119-sento-towel/

こんな感じで始まっている。

 

  

 

  すぐそのあとに、3分ほどの動画があるのだが、その内容を懇切丁寧に紹介しているのである。

それは私が、リンクした  http://gigazine.net/news/20170119-sento-towel/

こちらをクリックさえすれば見れるのだが、殆ど100%に近い人がそのリンクをクリックして中身を見ようとはしないのだと思う。

Gigazineは、それをよく解っていて、その動画を分解して説明しているのである。

これくらい丁寧にしても、見ない人は見ないのだと思うが、それを馬鹿みたいにさらに解説して、ブログにアップしようという暇人も世の中にはいるのである。

そういう『好奇心』のある人のところには、ホントの情報が集まるものだと思っている。

何も、努力もしない。好奇心もないでは、こんなに情報満載の現代でも『いい情報』など集まるはずはないのである。

この『Sento Towel』を創るべく『クラウドファンデイング』で100万円ほどの資金を集めようとしたら、2月8日の締め切り日を前に、既に4200万円も 集まっている人気だという。

Sento Towel 銭湯タオル』で 日本の綿を100%というから、当然日本の会社だと思ったら、それがオーストラリアだというのである。

 以下Gigazine を抜粋してご紹介するので、サラーっとご覧ください。

 もしご関心があれば、リンクをクリックされると、すべて見ることが出来るのだが・・・・・・

 

 

 

「手ぬぐいは日本文化の中で、とても重要な位置を占めています」という日本語の説明と共にムービーはスタート。

ばっちり「手ぬぐい」と言っていることから、Sento Towelが手ぬぐいであることがわかります。



侍や大名、将軍などが、16世紀ごろから取り入れていました」


「100年以上たった今日でも、すばらしい手ぬぐいを作る伝統は伝わっています」

 

 ということで、これが「世界で最も素晴らしいバスタオル」こと、Sento Towel。

 

 

 


100%日本製の綿を使用。

 


「3倍速で乾く」
「オーガニックの繊維を使用」

 

 


「日本の職人の技が美しさと喜びを伝えます」


ムービーを見ると、どことなくDHMOの例話のような雰囲気がありますが、Kickstarterのページ内では、さらにSento Towelについて説明されています。


なお、Sento Towelは記事作成現在、商品化を目指して出資を募っている最中で、目標額が約103万円のところ、既に4200万円以上を集めることに成功しています。

約3360円出資すると好きな色のバスタオルが1つゲットでき、約4220円でバスタオル・ハンドタオル・フェイスタオルのセットを、約47400円でバスシートをゲットできるなど、出資額に応じてゲットできるアイテムが変化します。

日本への発送が行われる場合であっても送料は無料とのこと。


なお、締切は日本時間で2017年2月8日(水)21時39分となっています。

 

最後に1分34秒ほどの動画を つけておきます。

 果たして何人ぐらいの方が『この動画』をご覧になるのだろうか?



 

 

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カワサキの二輪事業と私 その36 昭和40年(1965)

2017-01-19 07:01:02 | 自分史

★昭和40年(1965)はカワサキの二輪事業にとって、本格的なスタートを切った年だと言い切っていいと思う。

その中心が当時の川崎航空機工業の岩城良三常務で、自ら単車事業本部長となりカワサキ自販の社長を兼務されたのである。時あたかも濱脇洋二さんが、アメリカ市場開拓をスタートされた年でもあった。

下の写真は、真ん中におられるのが岩城良三さん、その左が浜脇洋二さん、そしてマセック、一番左はアメリカ市場開拓に最初から参加された Fred Suginuma 杉沼浩さんである。(後年MFJの常務理事などされたし、Facebookもおやりだからトモダチの方もおられるかも知れない。)

  

    

 

 カワサキの二輪事業は、岩城本部長が国内並びに新しい市場アメリカでTOPとして旗を振る姿勢を明確に示されたのである。

隣国の兵は大なり、その武器は豊なり、その武勇は優れたり、然れども指揮の一点譲るべからず』で始まる岩城さんの訓示は迫力に満ち溢れたものだった。

単なる組織人事を行っただけではなくて、実質的な経営展開を川崎航空機が行う決意の表れとして、販売促進部門のメンバーのカワサキ自販への出向を決められて、私もカワサキ自販の広告宣伝課長を任命されることになったのである。 まだ川航では係長にもなっていないのに平社員から一挙に課長という職位を頂くことになったのである。

従来のカワサキ自動車販売という社名から『カワサキオートバイ販売』へ、岩城社長自らの提案で社名変更がなされたのである。

 

 ★40年会社勤めをして私は上司に怒られた経験が殆どない。

唯一怒られた方が岩城良三さんである。係長にもなっていない若手を子会社とはいえ『課長に抜擢』して頂いたが、非常に厳しかったのである。当時の億の単位の広告宣伝費は、間違いなく大きな額であったし、広告宣伝そのものが会社でも経験のない分野で大変だったのである。

広告宣伝費の報告はお前が直接俺のところに来い』ということになって毎回、岩城常務に直接報告をすることになったのである。

当時は、アメリカの浜脇さんがアメリカ市場をどんどん拡張していろんなことをどんどんおやりになるのである。そんなこともあってアメリカの予算がちょっと超過してしまうことがあったのだが、その報告に行ったときに突然雷が落ちたのである。

『今期の予算の決定は俺とお前の二人でコレでやると決めた。伊達や酔狂で古谷の印を押しているのか。輸出部がどうのとかの言い訳は俺は許さん。岩城に任されて開発費を見る以上、最後まで責任を持て!』『オコラレテ非常に気持ちがよかった。会社に入って怒られたのは初めてである。』

これはこの年の6月18日の日記にそう書いている。

 

   

 

  広告宣伝課のあと、岩城さん自らの東北出張で地元の代理店社長たちのの要請に応えて新しく『仙台事務所』を創ることになり私は赴任することになるのだが、その時岩城さんはわざわざ私の机のところまでこられて『ご苦労だが、頼むぞ』と仰ったのである。

会社の上司で、一番印象に残っている岩城良三さんである。

 

★この年のことを書くためにこの年の日記は全部読み直してみた。いろいろとあった年である。

● 2月には、川崎航空機として初めて新聞の全ページ広告を打っている。『実用車のカワサキ』時代で主力市場は東北や九州など、田舎ばかりで、東京・名古屋・大阪などは要らないというのである。普通は朝日・読売などに広告を打って地方紙の幾つかで補うのが通例なのだが、全国紙は止めて40紙もある地方紙ばかりに広告を打つという、広告業界ではあり得ないことをやったりしている。

● 3月にはその地方紙を含め新聞社50社を集めての明石工場見学をやっている。この時も岩城常務が先頭で纏めて頂いたのである。

● レース関係では2月に事件が起こった。山本隆・歳森康師の二人がBSに移籍すると仮契約を結んだと言うのである。この問題対策に引っ張り込まれて、初めてライダーと直接話をすることになり、神戸木の実の片山義美さんといろいろと話をしたのである。ライダーたちの言い分も尤もなことも多くて、今後『私が直接ライダー関係を見る』という条件で、山本・歳森には西海・片山さんのお二人が『カワサキに残れ』と言って頂いたのである。そんな事件が直接のレース関係を担当するきっかけなのである。

● そしてこの移籍問題の中でも、山本隆のロードレースへの参加希望があって、5月3日に行われた『鈴鹿ジュニアロードレース』への出場を決めて出場したのである。

詳しくは以前にアップした『カワサキが初めて鈴鹿を走った日』 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/8356d318b5dc414c15dd1b7488a09f63 をご覧ください。 

そのレースで、山本隆はホンダに次いで3位に入賞し、カワサキ内に一気にロードレース熱が燃え上がるのである。

● そしてその1ヶ月後の6月に、カワサキで初めて『鈴鹿アマチュア6時間耐久レース』に3チームが出場することになるのである。この時カワサキで初めてレース監督なるものが登場し『大槻幸雄監督・田崎雅元副監督』でレースに臨んだのである。

山本隆くんが前月の『ジュニア・ロードレース』に出場して『アマチュア』の資格がないので、歳森康師がパートナーに連れてきたのが『金谷秀夫』なのである。金谷のカワサキでの初めてのレースは、契約など何もなくて、こんな形で始まったのである。

出場したライダーたちの殆どがモトクロスライダーで転倒が多く、3時間あたりでは『加藤・飯原』のテストライダー組がトップを走っていたのだが、これも転倒で結局誰も入賞もしなかったが、カワサキの正規のロードレース第1戦である。

● モトクロスで特筆すべきは、前年度末和歌山で初めて走った星野一義が『ノービス』として春からデビューし、MFJの日本グランプリではぶっちぎっていたのだが、パンクで優勝を逃したが、MCFAJの全日本では見事90ccで優勝を果たしている。

この年スズキの「吉村太一」もデビューして、星野・吉村はどのレースでもトップを競い合ったのである。星野一義18歳で『太一ちゃん』も確か、同い年でその当時から親しくさせて頂いているのである。

● 当時はレースの世界では、まだMCFAJが主流みたいなところもあって、その事務局長をしていた、西山秀一さんには、カワサキはホントにいろいろお世話になったのである。

 

 

 

カワサキ関係者も、レースなど素人ばかりで、『レース界』のことなどいろいろ教えて頂いたのである。

Facebook で繋がってる Toshiki Nishiyamaさんは、https://www.facebook.com/toshiki.nishiyama.355 その息子さんだが当時はまだ中学生か高校生でカワサキのB8Mなど乗っておられたのではなかったか?

兎に角、二輪に関しては、みんな素人ばかりで、そんなに詳しい人などホントに少なかった時代なのである。

 ● MFJも組織が立ち上がって運営委員会なども出来たのだが、ホンダ前川さん、スズキ岡野さん、ヤマハ内藤さんなどは部長クラスの方だったのだが、カワサキは私、BSはさらに若い西川さんという構成で運営されていたのである。

この年7月31日には鈴鹿サーキットで『24時間耐久レース』が開催され、私はMFJの運営委員として現場にいたのである。27台が出場したが、その殆どがホンダで、ホンダのお祭りのような大会だったのである。夕方5時にスタートして夜を徹して走り、翌日の5時までの24時間、開会式の時に『走る距離は、鈴鹿から香港ぐらいまでの距離を走ります』という紹介をびっくりしながら聞いていたのを思いだすのである。

 ●カワサキもレースでは、ようやくGPレーサーの開発にも着手し、当時の山田熙明技術部長の下、大槻・渡辺さんなどが担当され、鈴鹿で安良岡・三橋・などがテストランを繰り返していた。まだまだ開発初期で125ccレーサーが鈴鹿で2分50秒が切れなかったそんな時代なのである。 神戸木の実の総帥、片山義美さんなども個人的にいろいろ提言してくれていた時期であった。

 

★昭和40年は、そんな年だったが、特筆すべきはアメリカ市場進出なのである。

レースチームからは田崎雅元さんが8月からアメリカに行くことになった。その時点では浜脇洋二さんの下に日本人ではトーハツから来た杉沼さん、財務担当の私と同期の久保勝平さん、浜脇さんの企画にいた渡辺くんに 田崎さんが加わったぐらいだったのではなかろうか。 杉沼さんを除いては英語も喋れないし、素人軍団だがよく頑張ったものである。田崎さんは日本でもバイク通勤していて、『W1でアメリカのハイウエイを始めて走った日本人』というのが自慢なのである。

カワサキは、ホンダ・スズキ・ヤマハのような二輪のプロがいなかったので、アメリカ人の二輪に詳しい人を経営トップ陣に据えるという『現地主義』を浜脇さんが採られたので、二輪に詳しい優秀なアメリカ人が集まり、W1以降のA1・H1・さらにはZ1と続く商品開発でもその主流がアメリカ人であったことが、カワサキのユニークな当時のスタイリングなどに繋がったのだと思っている。

ただ、エンジンに関しては航空機のエンジンをやりたいという本格的な『エンジニア』がいっぱいいたので、当時のカワサキのエンジンに関しては『相当な水準』だったのだろうと私は思っているのである。

このアメリカ市場の成功が、『カワサキの二輪事業』の成功に繋がっていったのは間違いない事実であり、昭和40年はそのスタートの1年目だったのだと思っている。

 

★ その歴史ー「カワサキ二輪事業と私」を最初からすべて纏めて頂いています

https://www.facebook.com/%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-662464933798991/

 

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阪神大震災の想い出

2017-01-18 06:51:03 | 発想$感想

 ★22年前、1995年1月17日阪神大震災当時は、私も未だ現役だった。

 その日の日記である。

 

   

 

 短い文章だが『これは本当に地震なのか? 何か近くで大爆発でも起こったのではないか?』と本当にそう思った。

とても『普通の地震の揺れ』とは思えなかったからである。

ただ、神戸の隣町なのだが、三木は家が倒れるなどの被害はなくて、停電になってしまったのでテレビのニュースなどは一切見れなかったのだが、納まってしまうとこの近所は特に何もなかったのである。いつもの通り犬の散歩もして、明石の会社に車で出かけたのである

 

★現代は常に溢れる情報社会の中に生きていて、人間の判断や、その行動はすべてそんな情報の中で自然に判断されて、具体的な行動になっているのだと思う。

停電になり、新聞はあっても地震の情報など皆無の状況では、神戸の状況など知る由もなかったのである。

朝家を出る時、停電になってしまったので『熱帯魚の水槽の水温』が20度を割らないようにと家内に頼んで家を出たのである。情報が何もない状況で私の一番の関心事は『熱帯魚の水温』だったのである。

175号線は、信号はついていなかったが、それ以外はいつもの通りで、当時の玉津の会社に出勤していたのだが、従業員はいつもの通り殆どの人が来ていて、みんな神戸の状況は解らない状況だったので、被害は倉庫の二輪車が倒れたぐらいのことだったのである。

そのあと川重の工場のほうにも出社してみたが、こちらは電車が止まっていて、出勤している人は少なかったのである。

そんな会社の状況を高橋鐵郎さんに報告すべく電話をしたら、『お前はいまどこにいるのか?』と仰るのである。高橋さんのお宅は芦屋の高台で、阪神地区の様子が一望できる立地なのである。私が出社しているなど考えられなかったのだと思う。『えらいことになってるぞ』と仰るのである。

それを聞いても未だ、どんな状況かは解らず、びっくりしたのは10時ごろ電気が通じて、テレビの映像を見て、仰天してしまったのである。

その状況は、とても推測できるレベルを遙かに超えていて、これはホントかなと思ったほどである。

 

 

 

 こんな状況は、間違いなく『想定外の状況』なのである。

 

★ 地震後の状況も、新幹線も、メイン道路も通れなかったし、新幹線が通じるまでは伊丹空港か、岡山空港からでないと東京出張も出来なかったし、伊丹空港に行くにも車ではダメで三田周りの電車に乗っての伊丹行きだったのである。

震災のあと、道路は寸断されて車ではなかなか動けない状況だったので、兵庫県警にバイクを30台ほど寄贈しようとしたのだが、普通のルートでそれを言うと『申請書を出して頂けますか』と仰るのである。流石に頭にきて明石署の署長さんに言って、申請書なしで受け取って貰ったりしたのである。

どんな状況になっても、お役所はなかなかムツカシイものである。

東北大震災の時も吉田純一さんが現地にバイクで支援に向かったのだが、その時にも確か宮城県知事からの依頼書があって初めて現地に入れたのである。

 

   

  

    

 

  この活動で吉田さんは表彰を受けられたが、そんな活動の一端を担えてよかったと思っている。

   http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/a6f76fe542728ac3bb7cec8cf2f83d14

 

★ 災害は、忘れたころに突然やってくる。

 いろんな情報を覚えておいて、それに対応することである。

 大変な出来事も、過ぎてしまえば、殆ど忘れてしまっている。

 

 

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田崎雅元さん

2017-01-17 20:23:02 | 発想$感想

 

★ 夕方の6時、突然電話が鳴った。

 受話器をとってその声を聞いてホントにびっくりした。 

 その声は、田崎雅元さんだった。 全く昔とおなじ田崎さんで、それから7時15分まで、1時間以上喋っていた。

 田崎さんの電話はいつも長いのだが、その電話もこの4年間全くなかったのである。ちょっと体調を壊していて、電話もできないぐらい悪かったのに、昨年末あたりから復調したという。

延々1時間以上話していたが、話ぶりからは100%昔の田崎雅元さんがそこにいたのである

いろんなカワサキの仲間がいるが、一番腹を割って『話が出来る』のは田崎さんかも知れない。なかなか1時間の長電話など普通では出来ないものである。長い電話と言えば、大槻幸雄さんとも、長い電話をすることがある。

お二人とも、創世期のカワサキのレース仲間だし、一緒にいろんなことをした仲間だから長電話も大丈夫なのである。

カワサキがレースで初めて『監督というポジション』を創ってレースをしたのは、昭和40年(1965)の鈴鹿6時間耐久レースで、大槻幸雄監督・田崎雅元副監督だったのである。

これは、たまたま次回の『カワサキの二輪事業と私 昭和40年』の年のことなのである。そして同じ年の8月、大槻さんはドイツへ、田崎さんはアメリカへ行くことになって二人の送別会をやったりしてるのだが、そんな田崎さんが、戻ってきて、私は本当にうれしいのである。

 

★実は、電話がある前に、田崎さんには、手紙を書いて出したところなのである。

私は、2年ほど前から年賀状を出すのを止めてしまったのだが、田崎さんから早々と賀状を頂いていたのである。

どうしようかなと、思っていたのだが、『寒中見舞い』ということで、結構長文の手紙をしたためたのである。その中にも『もしできるのなら電話でも下さい』と書いたので、それで掛かってきたのかと思ったが、手紙の投函は昼過ぎだったから、それが着いているわけはないのである。

そういう意味ではいいタイミングだった。

電話でいろいろ話す前に書いているので、『よかった』と思っている。

 

   

 

 これは、何年前になるのだろう。 東日本大震災のあった年の同じ3月の初めに、平井さんが主宰した『カワサキの想い出、そして未来』での幕開けの挨拶をしてくれた田崎さんである。

 

その後も彼とはいろいろあって、毎年開催されているカワサキワールド主催の『ミニ・トレイン』もそれを起案したのは、福井昇くんと私だし、それを田崎さんが、神戸市に繋いでくれて実現したのである。

   

 

 私の現役時代、レース時代からずっと密接に関係があって、いろんなことを二人のコンビで仕上げたプロジェクトもいっぱいなのである。そういう意味では、一番長く付き合ったのが田崎さんなのだが、この数年体調を崩して、表に出てこなかったのだが、電話の調子は、全く以前と変わりはなかったのである。

 

 今年はどんな年になるのかな? と思っていたが、年初から想定外のことが、中山和子さんの『ビオ・ファーム丹波』に続いて『田崎雅元さんの復活』と二つ続いている。

 酉年の年男なのだが、今年はオモシロくなるかも知れない。

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船場モータース 岡田博さんのこと

2017-01-17 06:47:27 | カワサキ単車の昔話

★今週送られてきた二輪車新聞に、衛藤誠さんのこんな記事が載っていた。

船場 今年で創業70周年』 とある。

    http://www.semba.co.jp/index.html

 

      

 

記者の名前は載っていないが、衛藤誠さんにしか書けない内容になっているからそう断定するのである。

大阪の二輪販売店の老舗、今は『船場』となっているが、かって『船場モータース』と称したこの写真の店のオーナー岡田博さんとは、数多いカワサキの販売店の店主の中でも、カワサキが一番お世話になった方だと言ってもいい。

岡田さん一流の『見識』を持ち、何故か中国語の先生などをしていた岡田博さんと私は親しくお付き合いがあったのだが、それは今の『船場』の経営を引き継いでいるご兄弟がまだ学生さんだった、1970年、大阪万博が行われたその頃からである。

今年は『船場70周年』とあるからその時すでに20年以上も経っていた老舗なのである。私は結構親しくさせて頂いたが、端的に云うとなかなか『とっつきにくい』ところがあって、岡田博さんにこちらから近づいて行った方は数少ないのだが、この記事を書かれてる衛藤誠さんなどは、何故か岡田さんと波長が合って、衛藤さんの書かれた『船場の記事』も沢山あるのである。

 

★船場モータースの岡田博さんと、カワサキが密接に繋がったのは、昭和45年(1970)年末大阪万博の年、私が大阪営業所所長になってからのことである。

それまでは、船場モータースとのお取引もあったのだが、どちらかというと『スズキ主体』に売られていて、カワサキのことを『ホンダは別格、世界のヤマハ、日本のスズキ、明石のカワサキ』と私に言われていたのである。

カワサキは当時はW1の時代で、それまでの125cc主体の『実用車のカワサキ』から、A1,H1,など『中大型のスポーツのカワサキ』に脱皮しようとしていたころなのである。従来地方の東北や九州がカワサキの主力市場だったのだが、ようやく東京・名古屋・大阪など大都会の販売に力を入れようとしていた時期だったのである。

岡田博さんは、なかなかムツカシクて並のセールスでは、もう一つ上手く行かなかったのだが、当時大阪にいた宮本進くん(後滋賀カワサキ)は旧い代理店の出身者だったので、当時のカワ販の人たちにない独特なものを持っていたし、私自身も大阪に来るまでの4年間、東北の代理店営業担当だったので、そんなちょっと変わった二人で『船場モータース』を担当したら、岡田博さんは一転『猛烈なカワサキ推進者』に変貌したのである。当時は、岡田さんとは言わずに。みんな『船場さん』と呼んでいたし、私も『岡田さん』と言ったことはなかったかも知れない。

そこで創ったのが、記事にもある『大阪共栄会』を立ち上げその会長に就任して推進して頂いたのである。この『大阪共栄会』はその辺にある一般の会とは違って、大阪のうるさいけど猛烈に熱心なカワサキファンの販売店の集まりみたいな会だった。『堺の徳野三兄弟のおやじさんの浜寺モータース』、現在もカワサキをやってる『堺の当時は伊藤モータースの伊藤さん』、今でも慕う人の多い『野崎モータースの野崎さん』かっては近畿メイハツにいた『吉永オートサービスの吉永さん』当時の販売店でけた違いに『大きな業容だった西形さん』、『AJで活躍されてる須川さん』などなど、そんな人たちをまとめてくれたのが岡田博さんなのである。

大阪で25店ほどのお店だったが、めちゃくちゃ熱心で、共栄会の会合はいつも夕方から営業所の2階でやっていたのだが、夜中にまでなることも珍しくなかったのである。

その『大阪共栄会』からスタートしたのが『カワサキ特約店制度』なのだが、私が大阪営業所長からカワ販本社に戻って『特約店制度の全国展開』を担当した時に、その『特約店制度説明会』に講師の一人として全国を飛び回ってくれたのが岡田博さんで、実際にやってる特約店の店主の話だったので、非常に説得力があったのである。

衛藤さんの記事はそのことを書いているのである。

 

カワサキ特約店制度は、大阪を皮切りに昭和48年(1973)Z1の発売を機に展開されていくのだが、Z1の発売があったおかげで各特約店の経営は飛躍的に拡大していくのだが、船場―モータースも含め、大阪の特約店も、当時一緒にスタートした京都も名古屋も、順調に推移しカワサキ独特の販売網となっていくのである。

このカワサキ特約店制度の成功に、岡田博さんは、大いに貢献して頂いたし、この制度のスタートに当たっての記事を二輪車新聞の一面に大々的に取り上げて頂いたのが、衛藤誠さんなのである。

衛藤さんとは今でもお付き合いがあるので、もう50年以上になるのだが、彼はまだ現役で頑張っていて、『カワサキについて一番詳しい人』は衛藤誠さんかも知れないのである。私にとってもこの大阪共栄会・特約店制度時代は懐かしく、この当時お付き合いのあった方たちはいまでもお付き合いが続いている。

岡田博さんの息子さんご兄弟の弟さんとは何度もお会いして面識もあるし、もう亡くなってしまわれた方も多いのだが、古石喜代司・竹内優・宮本進・伊藤彰・藤田孝明・吉川健一・柏原久・平井稔男・関初太郎さんなどなど、今でもFacebookで繋がっていたりして、懐かしい想い出いっぱいなのである。

 

★ 昨年暮れ、かってハーレージャパンの社長をされていた奥井俊史さんにお会いする機会があった。

お会いしたのは今回が初めてなのだが、私と奥井さんを繋いで下さったのは岡田博さんで、奥井さんがトヨタからハーレージャパンに来られた頃、あまりにも4輪と違う二輪の世界にビックリされてた頃、『カワサキの古谷さんに・・』と繋いでいただいたのである。先日お会いした時もその頃の話に花が咲いた。

 

  

 

 岡田博さんを師と仰ぐ株・忍者の伊藤彰さんもいて、奥井さんとの話が弾んだのである。

 

 

 

 船場70周年、船場さんがもう一度『繋いでくれた』のかも知れない。

 奥井さんとは、『もう一度どこかで、話の続きをしましょう』ということでお別れしているのだが、

 果たして、そんな機会があるのかどうか楽しみにしているのである。

 

 『船場70周年』 益々のご発展を祈念したいと思っている。

 

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マスコミは常に正しいのかな?

2017-01-16 08:13:25 | 発想$感想

 

★マスコミの力は大きくて、世の中をリードする役割を持っていることは確かである。

先日の、安倍さんのハワイ訪問とそのスピーチは『よかったな』というのが大方の人たちの率直な感想なのだが、日本の新聞社でも その評価は2分されたようである。

一般に産経や読売は右朝日、毎日は左というのは今は常識のようになっている。

 

朝日など、安倍さんのスピーチには戦争の反省というか謝罪がないとか言ってるが、この東大の先生は戦時中あれだけ戦争を賛美した朝日新聞自体に『謝罪があったのかどうか?』と指摘しているのである。

何故か我が家は私の子どものころから朝日新聞なので、戦時中の朝日の論調がどうだったのかは私はよく解っている。終戦時私は中学1年生だが、小学校時代から結構新聞は、読んでいたのである。

今の朝日新聞はそんなに好きではないが、今でも朝日一紙を取っているのは、子どものころからの習慣みたいなものである。

 

 

 

http://www.sankei.com/column/news/170115/clm1701150007-n1.html 

ご一読されてみればいい

 その一部である。

  戦争当時は、朝日と毎日(東京日日)が2大紙であって、読売の部数はずっと少なかった。その両紙が満州事変を機に、戦争を積極的に賛美する報道を展開したのは、まぎれもない事実である。新聞は戦争の遂行にあたって、絶大な貢献をしたのである。戦争によって新聞は部数を大幅に伸ばした。特に朝日は昭和6年の140万部から同17年の370万部にまで、倍以上に増加して毎日を追い抜いた。

 

この先生の言っておられるのが真実で、説得力があるように思う。

国や、総理にばかり責任を押し付けずに、反省するところは反省しなければと思うのである。

 

 

★ごく最近の、『トランプさんの記者会見』これもどうかとは思うが、アメリカ国民が『トランプさんを選択』したのは、今のマスコミの体質が、従来の政治に密着しすぎていて、それに嫌気がさして『トランプさんに一票』を入れたという事実に対するマスコミ自体の反省みたいなものも、もう少しなければと思うのである。

選挙中、本来は中立であるべきマスコミの論調は、その殆どのマスコミが、ヒラリー・クリントン・サイドについてたのは間違いない事実なのである。

マスコミは、権力者の独走をチェックするなどと言ってはいるが、自らが権力者のような力を持っていることを忘れて、選挙などであからさまに一人の候補を応援するなどは、やはり暴走に近いのである。

マスコミは世の中の流れを、末端の人たちの意識を『読み間違った』のである。或は解ってはいたが、『従来の利権構造欲しさ』にクリントンを応援したのだろうか?

そんな『マスコミのいうこと』を100%信じよというような傲慢な論調は、それこそ『マスコミの身勝手』のようにも思える。

世の中の意見は、常に『賛成・反対』があって成り立っていて、意見が分かれるのは当然のことで、トランプ大統領の態度も、もう一つだとは思うのだが、その原因をわざわざ創っているのはマスコミで、マスコミのほうから喧嘩を売っているような気がしてならない

昨年は、イギリス・小池さんの東京・そしてトランプと、『世の中の常識を覆す』ようなことの連続で、それを支持したのは、『マスコミ』ではなくて『一般の市民』だったのである。

そんな『世の中の流れ』みたいなものを、マスコミはどう評価するのか?

 

★私自身は個人的には『従来の常識の否定』にはどちらかといえば『賛成』である。 それは一言で云えば、従来の常識のベースにあるのは『利権』だからである。

今の日本の政治も、政治家も、官僚も、大企業も、口ではきれいなことを言うが自らの『利権』を守ることにきゅうきゅうとしているように思えてならない。与党だけでなく社民党もほかの政党も・・・

自民党自体の体質は『もう一つ』だと思うが、『安倍さん』はちょっと変わっていて、『橋下さん』や『小池さん』という従来の政治の常識に批判的な人を受け入れる『大きさ』があるからいいなと思っているのである。

もうそろそろ、口ではきれいごとを言うが『利権』まみれの現在の世の中から、ホントに末端の人たちに視線を置いた『新しい方向』に舵を切らないかな思っているのである。

 

★そういう意味では『トランプさん』に大いに期待していて、『一つの中国』など、普通に考えたら、現に『台湾』があるのだからおかしいと思う人は多いと思うが、今までそれを誰も言う人はいなかったのが不思議なくらいである。

いろいろあるが、大統領になれば、大統領らしく振る舞われるのではないかと、20日のスピーチを期待しているのである。

果たして、2017年はどんな年になるのだろう?

 

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一般社団法人 大丹波ふるさとネット  中山和子さん

2017-01-15 08:38:17 | 発想$感想

★ 今年になって突然、以前に大阪ベンチャー研究会でお会いした『中山和子』さんからFacebook でのご挨拶を頂いて、からの具体的なお付き合いだから、日も経っていないし殆ど何にも解ってはいないのだが、

いま私が率直に持っている印象というか感想を述べるなら以下のようなことになるのかも知れない。

 

   

● 世の中に、こんなに熱心に自身がやりたいことをやっている女性がいたのだ。

● そのやろうとしている『コンセプト』は高次元で文句のつけようもなく立派なのである。

● ホントに無茶苦茶 手を広げられている。

     

 

● Facebook 、ブログ、ツイッターなどいろいろおやりで、1日の発信量がまた大変なのである。

   https://twitter.com/biofarmTamba こんな感じである。

● 私は、結構ちゃんと調べるので、少し調べたら大体全貌が解るのだが、中山和子さんの発信量が凄すぎて、ちょっとついて行けない感じなのである。

 

 

★実は先週、わざわざ三木までこられたのでお会いしてお話をお聞きしたのである。 

 今の目標は『京都の南丹市の美山に拠点を持ちたい』ということなんだろうと思っている。

 

 

 

南丹市美山に 『古民家宿』の拠点をまず持ちたいということである。

その資金は『クラウドファンデイング』でと、先週お会いした時に言われていたのだが、こんなサイトに出会ったのである。

 

         

 

  こんなクラウドファンデイングの内容を整備したいと言われてたし、この中山和子さんのプロジェクトを支援しようという若い人たちとも、お会いになったようである。

こんな若い方たちである。 Facebook からである。

 

 

  

昨日、京都 美山に古民家宿を建てたい、
中山和子さんと話していて、すごく実感したこと!

やっぱり地方は子どもを育てるのに
すごくメリットのある環境だと思う(^^)...
 
もちろんデメリットもありますが、
地域ならではの繋がりを活かしながら
みんなで子どもを育てたり、
食費や住居費なんかも都会の1/3程度
なのはやっぱり魅力^^!
 
和子さんがおっしゃっていた、
昔の母親は家電もないし忙しかったから
子どもを見る時間なんてなかったけど、
地域の人が勝手に面倒を見て
ご飯を食べさせてくれた
という言葉がすごく魅力的だなと^^

 

中山和子さんのご紹介で、今年Facebook で繋がった、大崎愛未さんがこのように書かれている。

 

 

★ひょっとしたら、今週 中山和子さんとその美山地区の現地を観に行ったりする ことになるかも知れないのである。

出来れば手伝いたい』とは思っているのだが、計画も発想も相当なスケールだから、私自身ちょっとビックリしているのが、現状なのである。

遊休地の開拓や、農の世界に興味をお持ちのトモダチも沢山いるので、そんな人たちがどう思われるか?

ご紹介を兼ねて、こんなブログをアップしているのである。

 

  そんなこともあって、自分自身も、いろいろ調べているのだが、

一般社団法人 大丹波ふるさとネットhttps://www.facebook.com/biofarmTamba/?pnref=lhc

Facebook にこんなサイトがあって、今年になってからも毎日相当な情報が発信されてはいるのだが、正直殆ど読まれていないのである。それなのに毎日発信し続けるエネルギーは一体何なのか?  

若し、ご興味のある方は、ちょっと覗いてみて下さい。

シェアされている内容は、非常にそれぞれは高次元のものなのである。

 

★ 中山和子さん、こんなプロジェクトをお持ちです。

   ● http://www.bio-cafe.jp/concept.html

 ● https://www.facebook.com/biokitchen.Kyoto/?pnref=lhc

 ● https://www.facebook.com/biokitchen/?pnref=lhc

 ● https://www.facebook.com/www.biokitchen.kyoto?pnref=story こちらが中山和子さんのFacebook です。

 

今年に懸けて、一歩前進されようとしているのだが、さて半年後にどのような形になっているのだろうか?

半年後に、私たちの仲間がどのような応援体制になっているのか?どうなのか?

そのあたりは、まだ全く未知数なのだが、非常にコンセプトが確りとした『いいプロジェクト』であることは間違いないのである。

 

 

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週末の寒波

2017-01-14 06:46:11 | 発想$感想

★『この週末寒波が・・』というニュースだが、この三木あたりがどのような状況になるのだろうか?

 世界は温暖化だとか言っているが、この寒波は気象異常と言えるのかも知れない。

こんなニュースが流れている。

 

 

 

 私はずっと昔のことだが、昭和42年から45年(1967~1971)までの4年間東北の仙台の居て、東北6県を担当していたので、当時の東北の冬はよく知っている。

 

  

 

 雪で名高い山形県の尾花沢にも小さな代理店があって、冬でもよく行ってたので状況はよく解っている。もっとひどくて道が屋根のひさしあたりの高さになり、そこから階段を造って入口まで降りていくようなところもあった。

 

   

 

 1998~1999年の2年間は札幌にいて、北海道の冬も大体解っている。

 

雪国は大変だし、雪道を走るのも大変である

そんな雪国でも、昔から人は上手に雪を避けて住んできたのか、東北の大きな町、仙台は殆ど雪がないし、山形市もちょっと離れた尾花沢に比べたら雪は格段に少ない。 盛岡などは寒いけど雪はそんなに積もらない。

青森市は雪で有名だが、地元の人に言わせると、人が住みだしたのは北海道への連絡船が出来てからだというから、そのまちの歴史は新しいと言えるのかも知れない。

 

札幌も寒いけど、雪はそんなに大したことはない

北海道の2年間は、雪の除雪機を販売する北海道川重建機にいたのだが、この会社が健全に発展した要素が北海道の雪なのである。

東北の仙台にいたころと比べて、除雪のスケールはけた違いに大きくなった。札幌にいた2年間は仮に雪が降っても、すぐに除雪ししてしまうので、札幌のまちの通りは常に雪などはない普通の道だった。

 

★世の中の『ニュース』は極端な画面を流すことが多いのだが、あんな状況が冬中続くと大変である。

ただ、『吹雪』の中を何度も走ったことはあるのだが、これは想像以上である。前は見えないし、車が舞い上がっていくような錯覚に陥る。今思うとよくあんな状況の中を走っていて、無事で居れたなと思っている。

それでも、東北にいたころのクルマと、札幌の時に乗ってた車では、そのレベルは大幅に改善されて全く別の乗り物のように思えた。4輪駆動に乗ってたのだが、タイヤもよくなって、極端に云うとアイスバーンの上でもそんなに不安でなく「走行できるレベル」なのである。スゴイなと思ったが、それは雪国で暮らし、雪に慣れてから言えることで、都会で突如雪になったりすると、まず『車には乗らない』ことである。

自分が幾ら『気をつけていても』巻き添えにあう恐れのほうが多い。

 

★例年大学センター試験の時期に大雪になることが多いように思う。

現在の三木はまだ雪は降っていない。

この週末、関西でも雪が積もらぬことを願うものである。

 

    

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Instagram 雑感

2017-01-13 07:20:39 | ネット、Twitter & Facebook

★Instagram  というのがある。

次のように言われていて

 Instagramは、無料の画像共有アプリケーションソフトウェアである。デジタル画像を撮影し、画像編集をし、同サービスあるいは、Facebook、Twitterといった他のSNS)で共有する。2010年10月6日、アップルのApp Storeに登場したインスタグラムは、同年12月までに100万人の登録ユーザを獲得。同年9月までには、1,000万人に達した。

   

私も一応は登録だけはしているが、所謂 『スマホ』を持っていないので、パソコンからも使えるとは言うのだが、現実には使えないのでただ見ているだけである。

 https://www.instagram.com/rfuruya1/?hl=ja

 

幾らでも自由にフォローできるので、一時は安倍総理や、小池百合子さんなどもフォローしていたのだが、現在は整理して8人だけに絞っている。

身内が殆どだが、その中には孫4人も含まれていて、彼らはそんなに頻繁には写真をアップしたりはしないのだが、今のところ「それを静かに眺めているだけである。

 

    

 

 

 4人の孫たちがアップしている写真である。

 

 

慶応大学、今年の春は卒業する孫、古谷 仁のInstagram は、こんな写真が並んでいる。

 世界を飛び回っていて、ニューヨークやパリで踊っている写真がたくさん載ってて、動画があったりする。

一応は『都会の街角研究』という卒論のテーマだとか言っていた。

  

 

 

 

 こちらも、アメリカから慶応大学に留学中の娘のほうの孫門野力也。

めちゃくちゃネット関係は詳しいのだが、あまり写真などアップしたりはしない。栗林公園は去年の夏休みに一緒に行った時の写真だし、最近の2枚はごく最近の レアル・マドリッドと鹿島アントラーズ の試合を友達と一緒に見に行ったらしい。

 

 

 

 こちらは次男 門野真也 いまアメリカのBerkleyの3回生、サッカーをしている。

最初の写真は、今年の新春初日の出を観に行った時の写真だと思う。そのほかは昨年のイタリヤ遠征の時のものだろう。

 

 

 

そして、こちらは末弟。高校2年生、日本で言えば高校1年生一つ上のクラスのチームでキーパーをしている。アメリカ人達と比べても負けないほど背が高い。小さい時のデブの面影は無くなってしまった。

 

 

 

あまり、アップはしないが、こんな孫たちの成長を楽しんでいるのだが、Instagram  ただ見ているだけではなくて『何とか自分でもやりたい』のだが、『できるのか?できないのか?』もよく解っていないのである。

『スマホ』がないとダメ、なのは解っているのだが、

電話の機能はないが、写真や動画も撮れるこんな『スマホの残骸』は持っているのである。

 

  

 

  

 

 電話以外の機能は、殆ど大丈夫動くのだが、その登録の仕方が解らないのである。

 Facebook は繋がるので、Facebook で改めて登録が出来ないかとチャレンジしてるのだが、今のところ途中までで行き詰まってしまうのである。

門野力也が横にいれば、何とかなるかも知れないので、このブログをそのまま力也にメッセージしようと思って、書いているのである。

上手く行けばいいのだが・・・・

 

   

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カワサキの二輪事業と私 その35 昭和39年(1964)

2017-01-12 07:12:43 | 自分史

★ 昭和39年(1964)は、東京オリンピックのあった年である。

新幹線が開通した年でもある。7月25日に東京ー大阪間に初めて試走車が走ったりした。 オリンピックを機会に東京に高速道路が出来たり戦後の日本から急速に復活しようとしているそんな時期だった。

カワサキの二輪事業は、前年度の日本能率協会の市場調査の結論が、『この事業続けるべし』と出て、その条件の一つに広告宣伝課を創ることがあげられ、その担当を指名されることからこの年が始まっている。

それまではカワサキ自販で担当していた広告宣伝業務が明石の川航に移管され、その予算も年間1億2000万円もの額が、本社開発費で計上されることになったのである。

それまでカワサキ自販で広告を担当されていた小野田滋郎さんと一緒に広告代理店を選考する作業から始まったのである。

 

 

 

小野田滋郎さん、あのフィリッピンの小野田寛郎さんの弟さんである。小野田さんと一緒に仕事ができてその戦略・戦術・戦闘論など多くのことを小野田さんから学んだ。

 サラリーマン生活で、私に一番影響を与えた方が小野田さんだった。ずっとのち、私が39才の時、フィリッピンにお兄さんの捜索に出発された時に、私が日記に書いている文章である。

『小野田滋郎。この人が自分に与えた影響は大きい。
思想的にも、今仕事をしている実務的なやり方も、それに対する態度も。小野田さんは自分がサラリーマン社会に入って以来、この人にはとてもかなわぬと思った数少ない人の一人である。
陸士出身、文学を愛し、酒を好み、人間味あふれる人柄、わるく言う人もいるが、自分は小野田滋郎の物事に向かうときの純朴さと一徹さを見習いたい。
小野田さんの兄さんなら、最も親しかったという兄さんなら、一徹にただ一筋にこの27年,銃を磨き,弾の手入れをし、最後の一人になっても戦う気持ちを失わなかったであろう、と思う。

陸軍中野学校出身のこの秀才の生き方は、その思想の善悪はともかくとして、一筋にひたむきなところに共感を覚える。

箸袋 寛郎と今も 還らぬ子 
小野田さんのおふくろさんが、正月に詠んだという句。このお母さんの話も、小野田さんの話によく出てきた。

その滋郎さんも10月24日、現地に調査と呼びかけに出発した。
新聞に笑う小野田さんの笑顔、人をひきつけずにおかぬ笑顔である。
人生には、いろいろ影響を受ける時期もあり、また人もいる。
自分の39年の人生を振り返ってみて、野球部の先輩の山本治さん、小野田滋郎さん、岩手の久保社長、宮川部長などは、現在の自分の生き方を支えている。
小野田滋郎さんが、あの温かみのある笑顔を更にくしゃくしゃにして、兄とともにタラップを降りて、日本の地を踏まれることを祈るものである。(10月24日夜)』

その小野田さんはこの年の3月にカワサキを離れられたのだが、その送別会の席で私にくれた言葉は『雑音に耳を貸すな』だったのである。いろんなことをやればやるほど『雑音』が入るものである。 自らの『生き方』を信じて小野田さんの教えを守って、生きてこれたと思っている。

 

★日本自体が、新しい時代に入った年だったが、『青野ヶ原モトクロス』で完勝したのちカワサキのモトクロスが実質的にスタートしたのがこの年からである。前年の5月、青野ヶ原で勝って以来、レースは会社公認のイベントとして、私の係の川合寿一さんが担当して、小野田滋郎さんが三橋実に創らせた『カワサキコンバット』で新人選手の育成が始まったのである。

カワサキコンバット』には三橋実のほか安良岡健、梅津次郎、岡部能夫などがいて関西では『神戸木の実クラブ』から歳森康師、山本隆などのメンバーでスタートしたのである。

レース運営は、エンジンは技術部、それをマシンに仕上げるのは製造部に新しく作った『レース職場』その中心は兵庫メグロから来た松尾勇さん、そしてレース運営費用とレースマネージメントは広告宣伝課が担当するという三者の協働体制だったのである。まだ、カワサキにレース監督などはいなくて、レース現場での実戦指揮は三橋実が担当していたそんな時期だった。

 私はこの年の6月MCFAJの全日本モトクロスが富士の裾野の朝霧高原であったのだが、そこで初めてモトクロスレースなるものを見たのである。このオープンクラスで山本隆くんが『優勝』して、カワサキは初めて全日本の優勝を果たしたのである。

50年経った今も、お付き合いのある山本隆くんだが、この年初めて彼と出会っているのである。この6月のMCFAJ 全日本での山本の優勝は、カワサキのレースチームにとってホントの自信らしきものに繋がったのだと思う。

青野ヶ原の1位から6位までの圧勝は「雨によるもの」だったし、その後地方レースでの連戦連勝も、地元ライダー相手のものだったし、この年初めて行われた相馬ヶ原MFJ 第1回モトクロスグランプリでは6位にも入れなくて、自信を失いかけていた時期だったのである。

 

   

 

 そしてこの年の秋 東京オリンピック開催の開会式の当日から伊豆丸の山で開催されたMCFAJ 全日本モトクロスには、カワサキは4種目中3種目に優勝して、『赤タンクのカワサキ』の名を確固たるものにしたのである。

 

    

  当時の大スター久保和夫・荒井市次を従えて真ん中に立ったのが山本隆くんである。

この時期は、広告宣伝課は、中古の下取りのヘリコプターを持っていて、レース場にもヘリ帯同で出かけていて、この全日本でも開会式の花束贈呈などの行事に協力などしていたのである。

 

    

 

ヘリ? と思われるかも知れぬが当時のヘリは新品では1200万円ほどしたのだが、耐用年数が2年ほどなので中古のヘリの簿価は10分の1ぐらいになってしまうので、その運用費用だけでヘリを飛ばすことが出来たのである。そんなヘリを持つようなきっかけは、上司がジェットから二輪に来られた苧野豊秋さんだったので、苧野さんが全部段取りをされたのである。

当時はヘリの部門はまだ明石にいて先日85J1で富士登山に挑戦したことをご紹介したがそのメンバーの一人古谷武くんは、ヘリのメカニックだったのである。

 

 

 

 

★この年は、広告宣伝課の第1年目であったしレースにもイベントにも猛烈に動いた年だったと思う。

 

    

 

 8月にはテレビの人気番組、『源平芸能合戦』に川崎航空機ー三洋電機 で出場したりした。

 

  

 

  後、川重社長にもなった 田崎雅元さんとは、この年からいろんなことで協働している仲間なのである。

『源平芸能合戦』では応援団長みたいな役をやってくれたし、フラダンスを踊る女子を連れてきてくれたりした。またレース関係では、当時は製造部にいて『レース職場』を担当してくれていたのである。

 

 

★ 星野インパルのホームページの 星野一義のRacing Careea にはこのように記述されている。

 

    

 

星野一義が カワサキコンバットに入ったのが前年なのだが、この年の11月までは、レースには出ていなかったし、当日もコンバットの運転手として現地に来ていたのである。

モトクロスに優勝してもなかなか新聞などでは報道されないので、スポニチと組んでスポニチ主催のモトクロス開催を図った広告宣伝の一環としてのレースだったのである。

当日の朝の練習で岡部能夫荒井市次とぶつかって指を骨折したので出場できなかったのだが、星野が岡部の名前のままレースに出場したのである。 開始間もなくジャンプのあと転倒して『脳震盪』で救急車で病院に運ばれたのだが、午後戻ってきて『もう一度走らせてください』というのである。

それが『岡部の名前で走った星野の初レースなのである。

   http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/2c675dcd0452f47d1bcb2c104fc56513

 

★ 昭和39年、私は新しい仕事に、ホントに頑張って没頭していた1年だったと思う。

 

  

 

90㏄の中間車種がよく売れてた時期でカワサキも秋に『85J1』という機種を出すのだが、この機種のモトクロスのデビューが9月10日にあった山梨モトクロスで、私は初めて現場マネージメントをやることになったのだが、『それはどうも頼りない』と当時の製造部の高橋鐵郎係長が、田崎雅元さんをつけてくれたのである。

田崎さんとのコンビでの初レースで、田崎さんも印象に残っているのか、川重の社長になってからもその時の彼のつなぎ姿の写真を送ってくれたりしたのだが、残念ながらなくしてしまっているのである。

広告宣伝と、レースばかりで、二輪事業がどうなっていたのかは、全く頭になかったような1年だったのである。

 

 

★ その歴史ー「カワサキ二輪事業と私」を最初からすべて纏めて頂いています

https://www.facebook.com/%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-662464933798991/

 

 

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2017年 新春NHK 世論調査 雑感

2017-01-11 07:19:04 | 発想$感想

 ★ 2017年新春のNHK世論調査が発表された。

安倍内閣の支持率は55%と 前回より幾らか上昇し、『支持しない』が下降したのでその差は最大になった。

全く安定していて、『安倍総理のあとは安倍総理』などと幹事長だったか言っていたように思う。

世界の国際情勢の激変が予想される2017年だが、日本の政権が安定しているということは、非常にいいと思う。

 

 

    

 

支持する理由では、「他の内閣より良さそうだから」が39%、「実行力があるから」が22%、「政策に期待が持てるから」が14%だったのに対し、

支持しない理由では、「政策に期待が持てないから」が41%、「人柄が信頼できないから」が22%、「支持する政党の内閣でないから」が15%でした。

他の内閣より良さそうだから」という設問は、もう一つ意味が明確でなくて、社民党よりいいかと聞いているのか、自民党のほかの人よりマシかと聞いているのか、もう一つよく解らないが、とにかく55%が『いい』と答えているのは、非常に『高水準』だと思う。歴代総理と比べても圧倒的に安定していると思う。

 

   

先月のハワイ訪問の評価は、非常に高評価である。こんな結果が、安倍内閣の評価につながったのだと思うが、あのスピーチは非常によかったと思っている。

今月20日には新しく『トランプ大統領が誕生』するが、オバマ大統領との最後の会談に、オバマの故郷ハワイで、オバマのヒロシマ訪問の返礼の意味もあったし、時期的にも最高であったと思う。

そんな周囲の情勢を『読む』姿勢も、それを具体的に展開する『実行力』も素晴らしいと思う。

 

 

   

 

 新しくスタートする『トランプ新政権』との日米関係は、『悪くなる』が40%と多いが、個人的には私は『よくなる』と思っている。

世界的に従来の政治常識などが、旧くなり過ぎていて、そういう意味では日本も例外ではないと思う。それを『変える』キッカケをトランプさんは創ると思うし、安倍さんはそれを「自分の考えとして」上手に受け入れ舵を切るのではなかろうかと思うからである。

昨日はたまたま、自民党東京都連と対立している小池さんと会っていたが、年末には維新の橋下さんとも会っていたし、安倍さんが重要視しているのは、『実力者』ばかりだから、『トランプ』さんとも基本的に合うのだと思う。

TOP同志の関係がよくなれば、おのずと国の関係も「よくなる」はずだと思っているなだが・・・・

 

  



安倍総理とロシアのプーチン大統領と日ロ首脳会談の評価は、北方領土交渉がもう一つ進展しなかったので、もっと低い評価かなと思ったが、意外に高い評価だった。

 

★ いずれにしても、今年の世界の政治の鍵は、アメリカのトランプ政権の動きで左右されることは間違いないと思う。

そういう意味では、1月20日が待ち遠しい。

果たして、どのようなスピーチでスタートするのだろうか?

是非、明確なホンネトークの政策 であって欲しいと思う。

従来の政治家のスピーチは、綺麗ごとが並びすぎて、本質的な構造問題などはみんな避けて通ってきている。具体的な目に見える政策で、従来型の政治に横穴を開けたら、戦後長く続いた日本の政治構造や教育体制など、新しい発想で展開するきっかけが生まれるかも知れないと思っている。

 

 

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青森山田日本一  高校サッカー全国優勝おめでとう

2017-01-10 07:02:50 | スポーツ

★点が入らないことが多いサッカーの試合で 全国高校サッカーの優勝戦 青森山田ー前橋育英の名門同士の対戦は結果的には5-0青森山田が初優勝を飾った

 

     

 

試合を通じては、どちらかというと前橋育英のペースだったし、5-0という点差が付くとは思えないような好ゲームだったのだが、青森山田の得点は、すべてがあっという間に入ってしまった瞬間的なものだった。

そのうちの2点は、キーパーからのキックからのものだったし、青森山田のキーパーのレベルの高さは素晴らしかった。

 

 その試合のほんの一部である。

     https://www.youtube.com/watch?v=_EvMPQ4_zAM

 

 

 

★ 本州の北の端、青森の青森山田は、サッカーだけでなく、野球でも、卓球でもいろんなスポーツの名門校である。

昨今は、こんなスポーツ校が各地にあって、日本の各種スポーツのレベルを押し上げているのだが、そんな中でも青森山田は目だった存在であることは間違いない。

 

この青森山田は、昨年末の12月に行われた、高円宮杯U-18サッカーリーグ2016 チャンピオンシップサッカーでも『日本一』チャンピオンになっていることを ご存じだろうか?

その決勝戦は、サンフレッチェ広島F.Cユースと対戦したのだが、延長戦まで戦って0-0.PKの末青森山田が制しているので、青森山田は、まさにこの年代の日本のトップチームと言っていいのである。

そんなこともあって、前橋育英との決勝戦は興味深く観ていたのである。

期待通りの好チームで、守りの固さが抜群だった。

 

   

 

 日本のサッカーレベルはどんどん世界のレベルに近づいていることは、先日の鹿島アントラーズーレアル・マドリッドの試合でも実証されているのだが、それを支えているのは、若い年代の底辺の広さだと思う。

 

★若い頃、東北6県を担当していて、青森にもよく行ったものだが、その頃はまだ青森山田はまだこんなスポーツ校ではなかったのである。

 どのあたりにあるのかな? と調べてみたら青森駅にも近い街中にある。

 サッカー場も、野球のグランドも、テニスコートも整備されている。

 サッカー場は

 

 

 

 天然芝かどうかは解らないが、いずれにしても立派なグランドである。

 

  

    

 

ちょっと脱線だが、

これらの写真は、みんな Google Map からカットしたものである。

 空からの写真でないところは、Google カーが走って写してきているので、道路のある場所は、こんな写真のような状況が、(世界の先進国で)見ることが出来るのである。 開発途上国ではまだそんな状況までにはなってなくて、空からの写真だけである。

サッカー場など、普通は車は入れないところが多いので、こんな写真はみれないことが多いのだが、空からの写真をご覧になると、すぐ横に道路が通っているので、こんな写真が見れるのである。

 

 いずれにしても、青森山田 優勝おめでとう。

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