野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

庭の「ツクシイバラ」がほぼほぼ満開、2023

2023-05-31 06:18:13 | 

今年も庭のツクシイバラがほぼ満開に咲いている。
5月19日の朝、雨戸を開けると目の前にパッとツクシイバラの一番花が現れた。それから10日経ちほぼほぼ満開となった。蕾からピンク色の花弁が見えだすと、2日過ぎには花が開く。開いた日のツクシイバラの花色は濃いピンク色だが、日が立つと次第に白く変わっていく。ツクシイバラはバラの現生種で、花弁は単純で一重なるも、芳香は素晴らしく良い。西風が吹くと風にのって香りが部屋まで漂ってくる。一個の花の香りの強さは、大型のバラに劣るも、ツクシイバラの花は纏まって沢山咲くので、ツクシイバラの甘い香りの方が強く印象に残る。面白いのは、花が開いて直ぐはピンク色に黄色が混じり、夕方になると花弁を閉じ、朝暖かくなってくると開く。日が経ち、花弁の色が次第に白く変るころになると、花弁はもう閉じない。
    
そのツクシイバラの花の周りには、朝早くからブンブンと数匹のクマンバチが飛び交っている。面白いので暫く見続けていると、ミツバチと違って、ひとつの花に移動すると即次の花に移動し、じっくりと蜜を吸っている節もなく、忙しい事この上ない。このクマンバチ、近くに咲く大型のバラには見向きもせず、ツクシイバラの花だけに付きまとう。一方、他の大型バラに潜り込むハナムグリはツクシイバラには一匹も飛んで来ない。虫がバラを選り好みする光景を庭に出て椅子に座りジーット見ていると、飽きることななく実に面白い。

それはそうと、気象庁は5月29日、九州北部~東海地方が「梅雨入りしたとみられる」と発表した。5月の梅雨入りは、東海・近畿地方では10年ぶりだそうだ。
  
  
  
  





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大相撲 夏場所、2023

2023-05-29 06:02:04 | スポーツ
夏場所は横綱照ノ富士が優勝した。戦績は14勝1敗。
9日目に明生に動き回られ不覚を取ったが、それ以外の相撲は盤石で強かった。特に、14日目、来場所大関昇進確定の関脇霧馬山との一戦は、不安気な気配など全くなく、腰をドッシリと落とし大きな体であれだけ低く構えられると相撲巧者の霧馬山は歯が立たない。照ノ富士は持ち前の体の大きさを有利に動かし、うまい相撲を取ったと思う。両ひざの故障で、3場所連続休場明けだったが、まことにもって盤石な相撲で、休場明けの横綱にこんなうまい相撲を取られたら来場所も優勝候補の一番だ、と思うほどの力強さを感じた。

 NHK
それはそうと、今場所、その戦績を最も気になった力士は朝乃山だが、14日目は元大関正代を寄り倒しで破った。正代は小結に落ちたとは言えがっちり組むと力が出るので、朝乃山の力量をみるのに丁度良いと思ったが、朝乃山が難なく寄り倒しで勝った。朝乃山の力量は三役に昇進しても問題なし。やはり、この力士が土俵上にいるのといないのでは、こうも土俵の盛り上がりが違うのかとテレビ観戦で感じた。朝乃山が幕内の土俵に上がると、満員の客席からは大きな拍手と大声援が沸き起こり、一瞬にして華やいだ雰囲気になるのだ。こんな力士を久しぶりに見た。

ただ唯一、13日目、横綱照ノ富士と朝乃山の一番は、なんとなくぎこちなさを感じた。立ち合いから一方的に押し込んだのは朝乃山だが、土崩際に追い込まれた横綱は土俵際で朝乃山を右小手投げに下した。朝乃山は久しぶりの横綱戦で体が硬くなっている様にみえた。タラレバの話になるが、無心で楽しく相撲が取れれば、そしてもう少し土俵上を動き回りながら下から押し込んだら、朝乃山が勝ったかもしれない。そんな気がする横綱との相撲だった。

結局、朝乃山は12勝3敗。一番苦戦したのは関脇大栄翔との相撲。立ち合いからまともに受ける形になって、下からの突きに対処できず土俵を割った。これも早晩、上位に慣れてくれば解決するものだろうと期待している。朝乃山は、今の力士の中で、最も華やかさを持った力士だと思う。テレビ観戦しても、やんやの喝采は朝乃山にあがった。横綱候補から一転、コロナ禍にキャバクラ通いで6場所出場停止になったことによる話題性も、また幕下転落すると若い衆となり、ちゃんこの下準備で野菜を切った事も、朝乃山は良い方の話題になる。朝乃山が花道から現れると途端にやんやの喝采の拍手が聞こえ、見ていて明るい雰囲気が溢れでた稀有な力士だと思うが、これからも肩で風を切って歩き続ける力士になってほしい。
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カワサキKXが50周年となった

2023-05-26 06:31:25 | 二輪事業
今年、2023年、KXが市場に販売されて50周年となった記念に、神戸のカワサキワールドが「KXシリーズを展示している」と案内があった。展示期間は2023年中を予定し ているそうだ。 
  「カワサキワールドHP」

カワサキの二輪車の中で、開発、生産、販売そしてレース活動を51年間も絶えることなく続けてきた唯一のモデルが”KXシリーズ”。1972年に技術部に開発1班が結成され、始めて名付けられたモトクロス専用車”KX”、その機種名を一度も変える事なく続いた51年間だ。こんな機種をカワサキでは他にない。言い換えれば、カワサキのリーディングモーターサイクルである、その”KX”が50周年となった。我々も、KX50周年の歴史のある一時期、KXを筆頭とするオフロード二輪、三・四輪車の開発やレース運営を担当していたこともあり、当時の昔話を思い出してみた。

1972年、カワサキ技術部内にレースマシンを主に開発/レース運営を担当する開発班が誕生し、その翌年1973年にモトクロス専用車KXシリーズが量産販売開始された。それ以降、一度たりとも開発を中断することなく、一度たりとも生産を中断せず、一度たりともレース参戦を中断することなしに51年が経過した。この間、モトクロッサーの最適技術を開発し続け、世界中のモトクロスファンに愛され、多くのチャンピオンシップでチャンピオンを勝ち取りながらKXは改良されてきた。世界中で毎年開催される、アマチュアからプロクラスに及ぶ多くのチャンピオンシップの場で、同じ目的で開発され続けた他社競合車と戦い続け、互いの社内外の環境変化によっては、時には後塵を浴びることもあっただろうが、多くのカワサキファンからの真摯な指摘と支持を受けて、毎年進化し続けてきた経緯があり、そして現在も進化し続けている歴史がKXの50周年。

ある時期は、サスペンション、電装、気化器等の主機能部品メーカーを取り込んだ、「チームカワサキ」を構成し、「チームカワサキ」がレース体制支援から量産に至る開発を共同分担していたので、例えば、「エンジンのトラクションをRサスで叩き出す」、エンジン性能をサスペンションが引き出す事も多く、企業間を連携する開発組織が上手く回転し、互いの連携プレーが上手に機能していた。つまり、チームカワサキに対して部品メーカーのロイヤリティが極めて高かった時代でもあった。遠い昔の事だがそんな時代も確かにあった。古い話だが、ある時、サスの競合メーカーからレースの全面的支援体制の申し入れがあったが、カワサキ担当者の回答は「NO」。理由は簡単で、「カワサキの競争相手と組んでいる部品メーカとは組まない」と非常にシンプルな理由だった。つまり我々の固有技術が競争企業に流れる事を単純に恐れただけの無用な心配事。

レースや量産開発という目的を通じて、KXに関係する企業の各担当者は、互いに個人的な強い信頼関係を築いていた。勿論、コスト意識も互いに共通認識があったのでやり易かった事も事実。遠い昔の話なので今では冗談まがいに話せるが、マシンを開発し上市するだけの一般的な開発業務ではなく、そのマシンをレースという場で競合させ勝たせることで優秀さを市場に示す必要もあり皆必死だった。それほどに完成車開発/生産メーカーと主要部品メーカーとの繋がりは強固だった時期も確かにあった。というか、企業の繋がりよりも個々の人間関係の繋がりが強かったと思う。所詮、開発とは開発を担当する要員個人々の心の繋がりの強さと信頼性で決定されるもの。そうしないと、相手に勝てない時代だった。企業と言う壁を取り払って、何が何でもKXを勝たせたい言う認識が共に共通していた。それが互いの利益に直結していた。

モトクロス専用マシンKX開発の‘73年前後を簡単に調べて見ると、1973年にカワサキ初のMX専用車、
★KX125:空冷6速ロータリーバルブ、線爆Cyl、F/フォーク(¢31/120St)、R/ショック (90St)
★KX250:空冷5速ピストンバルブ、F/フォーク(¢36/200St)、R/ショック(ハンマータイプ)」
★KX450:空冷5速ピストンバルブ」  の三機種が開発販売された。
加えて、当時のエポックメーキングなレース活動から思い出すと、下記が思い出される。
★1972年:新設計のF11Mと若手ライダー竹沢の組み合わせで参戦。他社強豪に対して互角のレースを展開するがチャンピオン獲得ならず。欧州ライダー、O・ペテルソンと契約。KX250開発を兼ねてWGP250に数戦参戦した。米国ではKX500開発の為、新開発の400㏄エンジンを搭載したマシンでAMAナショナルレース500クラスでB・ラッキーがチャンピオンを獲得。
★1973年:国内レースは竹沢正治、川崎利弘で、リードバルブ付KX250(初代KX)で参戦したが、チャンピオンは獲得できなかった。(その後、竹沢選手は‘76年250ccチャンピオン獲得)

このように、黎明期の開発/レース運営で経験した辛苦や成功は次に世代に引き継がれ、またその次の世代に引き継がれる。開発やレース運営は社内外の環境にも大きく影響を受け、全く勝てない苦労の連続な時代がある一方、開発やレース運営が巧く機能し、当時のレース界をカワサキが牽引した時代もあったが、これは前世代から引き継いだ置き土産を周到に分析した結果で、前世代の成せる技が後輩の時代に成功した証しだと思う。誰でも他社競合チームに勝ちたいと思って一生懸命なるも幸不幸の時代は背中合わせで、それは時の運不運のなせるものかもしれない。その歴史が今のKXの成功に連綿と繋がっているのも事実であろうし、否定しようもない。それらは、世界モトクロス界の頂点に立つ米国スーパークロスレースの3年連続チャンピオン獲得等もその結果の一つで、カワサキから数多くのチャンピオンが世界中に今なお誕生し続けている。例えば、アメリカの有名なMXネット情報誌「RacerX」が選んだモトクロス歴史上最高のライダーは「Ricky Carmichael」。彼もまたカワサキで育ち、スーパークロスを含む数度にわたりカワサキワークスでチャンピオンになった。それら成功の原点は、’73年から連綿と続くカワサキKXの歴史がなせる結果であり、これ等を次の世代へと歴史を継続させているのは、その時代時代の現役世代の功績だと思う。
             
      「motocrossactionmag」

一方、KXを支える多くの愛好者と支援者の楽しみや活動はアマチュアモトクロスレースで、その行動の原点は「家族の絆」に尽きる。
米国はモトクロスを中心とするオフロード車の大市場で、もう今はなくなったが、米国モトクロスの聖地と言われた、かってのサドルバックパークやインディアンデューン等の郊外の山や砂漠地帯の現地に行くと、そこには数台のキャンピングカーを中心に、父親と少年少女達が二輪や四輪バギー、VWの改造車でビュンビュンと走リ回っている。側で、母親はキャンピングカーに張ったテントの下で昼食のサンドウィッチを準備をしていて、楽しそうな家族的な風景だった。そこには、暴走族まがいの人達はおらず、あくまでも家族単位の行動で、アメリカの週末の過ごし方の一つを垣間見る事が出来た。アメリカ人は長い開拓移民時代に、家族が一つの単位となり、幌馬車に揺られて 新天地を求めて歩み、永住の地にたどり着いた歴史がある。その頃の開拓民にとっては「家族」が唯一の財産であった時代の名残が、いまも脈々と受け続けられいるのだろうと思った。開拓時代の馬が現代は単に二輪車に替わっただけなのだろう。アメリカは広大な土地なので、チームを構成してレースを楽しむことは実質不可能で、行動は家族単位となる。日曜毎に開催されるモトクロスレースでは、父親がメカニック、母親と家族か応援。燦々と降り注ぐ太陽の下、6~8才前後の子供がレースに出場する事を中心に活動が始まり、そして家族の絆を深めて行く。騎馬民族の子孫、かって戦争に明け暮れた欧米諸国の人々が最後に頼った拠り所は家族であった。大西部時代を生き抜いたアメリカの名残が荒野を駆け巡って生活し、そして生きるための競争だった。それが現代まで続いた楽しみの名残の一つがモトクロスとすれば、モトクロスはアメリカ人の心の故郷の一端を支えてきただろうし、文化として継承されていると思う。

過去、アメリカでは、薬に走ったりや家庭内暴力等の青少年を取り巻く問題が山積していた時期があった。これ等を解消し、家族の絆を醸成してきたものの一つに、こうしたアマチュアモトクロスもあったと言われている。モトクロスが子供の自立心を覚えさせ、行動に対する責任を自覚させていく。彼らが、アメリカのオフロード市場を支えている行動の原点だから、アメリカ市場でオフ車が衰退すること等は決してないと信じてカワサキは彼らを支援してきた。だから、彼らが、今なおカワサキを含む多くのオフロード市場の愛好者であり支援者だ。  下記はネット誌にあった米国モトクロス場の一コマの写真。 
   

レースに参戦し単にお金を使っているだけだと、景気が悪くなったときすぐにレースをやめろと言われたりするので、ここできちっとレースを事業体として位置づけることで、レース事業体、ビジネスとしての収益をあげて、それをモータースポーツ活動や車両の開発に投下していくというサイクルを回していく」とは、とある四輪メーカのレース運営の基本的考えだとある記事にあったが、この思想はカワサキのモトクロス開発・活動の基本理念と同じで、カワサキも50年前に開発1班を立ち上げた原点の思想はまさにこれだ。

カワサキのモトクロスレース活動が戦績を挙げ続けてきた歴史の一番の要因は、ワークスチームが技術部の開発チーム内に所属し量産車の開発をも一緒に担当してきた歴史にあるだろう。カワサキモトクロスのプレゼンスが次第に上昇してくると、常勝カワサキを維持し続ける必然性と責任に加え、いや負けるかもしれないという恐怖感が一緒になって自然と心中に沸き起こる。この恐怖感などは一度でもチャンピオンになった者でしか味わえないものだろうが、実際そうなってくる。負けると散々非難され、一方、少しでもチャンピオンを獲得し続けると「もうええで」とか、雑多な意見がそれとはなしに聞こえてくるものだ。これもカワサキモトクロスがその地位を確立したことを認める証左だと理解するも、レース参戦の意義が単に勝ち負けだけの話題になってしまう虚しさが漂ってくる。だから、レースを継続し続けねばならない環境を何がなんでも構築しておかねばと、そう考えてきた。

  
ある時期の米国カワサキのモトクロスマシンの広告宣伝文句は「誰でもJeff Wardと同じマシンを購入でき、Jeff Wardと同じようにライディングすることができる」だった。かっての昔のカワサキのモトクロス開発組織は、えーと言うぐらい本当に小さな所帯だった。その中で持ち得る戦力で他社と互角に戦うために、カワサキ独自の戦略を立てた。それは、全日本選手権は次年度以降の量産車の先行開発に専念することだった。他社の先駆的な機構を横目に眺めながら羨ましくはあったけど、自社の立ち位置は守った。他社に劣る戦力は如何ともしようがないので、持った戦力をフルに活用し全日本でのカワサキのプレゼンスを明確にすること、それは量産車の先行開発に徹することで、そのためには競合社の最精鋭 ワークスマシンを凌駕したことを立証する全日本チャンピオン獲得は必要だった。その思想の延長上にKXシリーズが完成し、60~500ccまでの品揃えが完成し(当時はカワサキだけだった)、その技術を活用しての公道走行車を含むKDX、KLXそして三輪や四輪バギー車を自組織内で開発し続けた。遠い昔の潤沢な資金などとは程遠い予算で、レース活動を継続し、成功させ、認知してもらうには量産KXを含むオフロード車の開発を広く手掛け事業経営に貢献すること。しかしそれは、技術者は複数の開発機種を同時進行せざるを得ず、ワークスライダーも量産車の開発に多くの時間を費やす事になって、開発担当に負担が重く圧し掛かってくるが、結果、モトクロスを中心とするオフロード車は販売の伸びとともに事業性がみるみる好転してくる。小さな排気量にも関わらず収益性は極めて高くなっていく。しかも工場ラインが閑散期に入る時期にKXやKDXのオフロード車を生産できるメリットは生産の平準化に絶大な効果があり、ライムグリーン一色のマシンが次々とラインオフする光景は壮観なものだった。
    
幸いにも、アメリカの”Team Green”活動が確立した時期もあって、これ等はモトクロスやオフロード車の追い風となり、カワサキオフ車の生産台数は他社を凌駕し№1の時期が数年に渡って何度もあった。この開発と生産のサイクルラインを完成し収益性を向上させ維持し続けるために、ワークスレース参戦は必須と考えてきた。毎年、開発費やレース予算を含むKXビジネスの収益性を計算し、どのようにKXビジネスを展開するかを考えていた。この事情を本当に理解してくれたのが当時企画部門の責任者だった部長で、「KXビジネスは儲かってるか」と電話で何時も気に掛けてもらったが、社内にも我々の開発業務を本当に理解している支援者がいたのも事実。これが、カワサキモトクロスビジネスの成功理由の一つでもあると考えている。結果、「カワサキのモトクロスは”一度たりとも開発を中断することなく、一度たりとも生産を中断せず、一度たりともワークスレース活動を止めることのなかった歴史”」として繋がり続けた50周年と言えるかもしれない。

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自動車免許の高齢者講習、「認知機能検査」なるを受けてきた。

2023-05-24 06:22:20 | 日常生活
つい先日、自動車免許更新のための「認知機能検査」付き「高齢者講習」を初めて受けてきた。

「高齢者講習のお知らせ」のはがきが来たのは今年の4月。受講できる期間は4月16日~10月16日までとある。3年前の一回目「高齢者講習」はコロナ蔓延の時期と重なり予約がなかなか取れず数か所に電話しまくり、何とかと明石・大久保の「コベルコ教習所」で予約が取れたのは7月26日だったので焦りに焦ったことを覚えている。今回も「コベルコ教習所」に電話すると、意外と空いており、5月中旬の幾つかの日を選択できるようになったので、5月22日に講習に行ってきた。「コベルコ教習所」は度々利用するイオン明石やビブレの直ぐ近くにあり、家から21号線を下って約15分ぐらいなので便利。ここは建機類免許の教習所とばかり思っていたが、「高齢者講習」も実施していた。

「コベルコ教習所」に行くと、高齢者講習の専用駐車場があり、今回も9名が受講。予め決まった席に、前から交互に座る。講習の説明があり、最初は「認知機能検査」が約30分弱、それが終わると検査官による「認知機能検査」の採点中、「いつまでも安全運転を続けるために」なる教本と「兵庫県の高齢者交通事故状況」のパンフレットをもらい、ビデオ中心の「高齢者講習」を聞いた。交差点での注意事項や高齢者が起こし易い事故例の説明等があったが、前回一回目の講習に比べかなり簡単な説明で聞き流してしまった。座学の後、「実車による指導」があり、教官が最初運転し注意すべき事項の指導を受け、その後運転を代わり、指導員の指示通りに運転する。ここの教習所は全体的に狭いので気がせって慌ただしいが、「段差乗り上げ」なる運転も問題なく、特に指導はなし。「段差乗り上げ」検査はなんのためにやるんだと聞くと、コンビニなんかの停止時、アクセルとブレーキの操作を見るんだそうだが、なおも理解できず。次は視力検査。Cの空いている方向にレバーを押して視力を測る機械方式。前回とは異なる視力計で、静止と動体視力を測る。動体視力は初めてで、遠くから近くに近づてくるCの切れ目が見えてたら押せとあるが、どのへんで押すのか戸惑ってしまった。その後は、視野測定の検査を受け、150度だった。この値は年齢相応の平均よりやや少し上だと説明があったが、この検査も初めてで、何の役に立つのか判らずしばし戸惑う。結局、両眼静止視力1.2でOKとなる。なんやかんやの受講を8時半から11時前まで2時間終了すると、”「認知症のおそれがある」基準には該当しませんでした”と記載された「認知機能検査結果通知書」と「運転免許取得者教育終了証明書」なる書類をもらい、受講料7,500円だった。

で、本物の免許更新は、明石の免許更新センターに行って、もらった「通知書」と「証明書」を持参して更新せよと書いてあった。更新料2,500円が必要とのこと。高齢者になると、免許更新に10,000円かかることになるが、今のところは免許証返納の予定はないものの・・・疲れた。

ちなみに、「認知機能検査」は初めてなので、一般公開されている”警察庁の認知機能検査について”を事前に読み何度か練習してみた。実際の検査も”警察庁の認知機能検査”に準拠し殆ど同じだが、イラストパターンは4種類のうちの1種類からでる。最初トライしてみたが集中力が維持できずしかも雑念が入りなかなか覚えきらずに困ったが、何度するうちに要領を覚えると、差ほど難しいものでもない。多分、本検査も全部記入できたと思うが、実際の点数は不明で、総合点は”36点以上で「認知症のおそれ」基準には該当しない”という役所基準だけが書かれていた。
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庭の一角

2023-05-22 06:24:55 | 
  「庭のデイジー」
今、デイジー の白い花の塊が丸く膨らんで咲いているが、なかなか見ごたえがあるので椅子に坐って繁々と眺めている。デイジー の前の庭に、ピンクのアマリリスが咲き、その前にモミジアオイの茎が3本、15㎝程に伸びて鈴鹿8耐ごろに咲く予定。その横に先日買った四季咲きのバラ「シャルルドゴール」 が新芽を長くしつつ成長中。デイジー の左端に「ヒマラヤユキノシタ」と整理してかなり少なくなった「クリスマスローズ」の緑の葉っぱ。これが今の庭の一角。
  

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「ツクシイバラ」が咲き始める

2023-05-19 06:31:30 | 日常生活
庭に植えている「ツクシイバラ」の蕾が今日(18日)、花開いた。昨年の開花は20日、昔の写真を調べてもほぼほぼ5月20日前後に一番花が咲いている。「ツクシイバラ」の原生地・熊本県の球磨川河川敷のツクシイバラは5月初めに咲いたと現地の報道に投稿されていたが、庭の「ツクシイバラ」はそれより遅れること約2週間後に咲いた事になる。これも毎年同じ間隔だ。これから10日前後あとには満開となり、あたり一面に芳香が漂いクマンバチが寄ってくる。
  
  

ちなみに、「ツクシイバラ」の自生地、熊本県・球磨川沿いの花は全体的には3分咲きで、大勢の見物客が訪問しているとの報道が「球磨川ツクシイバラの会」のFBにあった。そのFBには「福山市役所の方達が視察に来られました。2年後に国際バラ会議が福山市で開催されるとのことで、参加者がツクシイバラ自生地に訪問される予定だそうです。数年前も、国際バラ会議参加者が自生地に来られて、おもてなしをしたのを懐かしく思い出しました(*^_^*)話をしている途中に、風がツクシイバラのかおりをふわっと運んでくれましたよ(*^_^*)」と書いてあった。


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庭のバラも咲き始める、2023

2023-05-17 06:50:52 | 
雨上がり、庭のバラも咲き始めた。
蔓バラの一種、これは最初から庭に植えたのが良かったのか良く育ち、剪定も早めに済ませておいたもので、白地に淵がピンクの「ピエール・ドゥ・ロンサール」、満開よりこの程度の開き加減がバラらしく見える。それにしても、この「ピエール・ドゥ・ロンサール」の蕾の本数はまことに多い。
  
  
数年前までは、10数本の大輪のバラを庭に植えていたが、それらの殆どを整理し残したバラの一本で、今年一番最初に咲いたのが「ローズデキャトルヴァン」。このバラの花は濃赤色の特徴的な花形をした大輪の花で、切れ込みが入り、多くの層からなって、雨上がりに甘酸っぱい良い香りがする。
  
原産地熊本・球磨川沿いの「ツクシイバラ」はもう咲いたと現地のFBに投稿してあった。この「ツクシイバラ」が家の庭にも一株有る。枝の成長は著しく速くてかつ旺盛で、適当な時期を選んでバサーっと剪定せねばならない。剪定すると言っても枝には棘があり、これが難渋で革製の手袋を使わないと手は傷だらけになる。しかし、この剪定作業が上手くいくと、辺り一面をパッと明るくするよう華やな花が咲く。だが、今の蕾の状態からすると咲くのはもう少し先のようだ。しかし一斉に咲き始めると、「ツクシイバラ」は豪華で最も見応えがする。
  
その他にもイラン原産の蔓バラも一株庭にあり旺盛に枝を伸ばし成長しているが、まだ咲いたのを見たことない。そして、今年の春、近くの園芸専門店 で新しく買った四季咲きバラ「イブピアッチェ」と「シャルルドゴール」の2本。まだ背丈が30㎝程の小さいが、来年に期待。

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庭の芍薬、2023

2023-05-15 06:22:56 | 
今年の庭の芍薬。
一昨年、家の軒下から隣家との境のフェンス沿いに移植したが、特に変りもなく、今年も綺麗に花が咲いている。春先に赤茶色の芽が出てきて、あれよあれよと言うまに茎が伸びる。赤茶色の茎はそのままの色で伸び、葉も同じ赤茶け色だったのが、気付かぬうちに濃い緑に変化し、次第に丸い堅い蕾を付ける。ピンクの花の芍薬一種類と赤い花弁の八重の芍薬を数本を同じ場所に植えている。いつも先に咲くのがピンクの芍薬で、この芍薬が散り始めるころに八重が咲き始める。何れの芍薬も咲き初めの花弁は太陽がさすと開き、夕方になると花弁を丸く閉じるが、花持ちは良くなく、八重の方の花姿は2日で開ききってしまう。
  
  
  
ところで、一本だけ残っていた庭のボタンの花は昨年末に枯れてしまった。20年ほどに前に3本の牡丹を植えて、毎年綺麗に咲いていたが、庭の花を入れ替えする際、牡丹を3本とも別の場所に移植したところ、2本は枯れて1本だけ残った。その牡丹1本も移植した場所との相性が悪かったのか、以来、咲いたり咲かなかったりしていたが、昨年末に枯れた。


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酒を止めて2年たった

2023-05-13 06:12:27 | 日常生活
禁酒を始めて2年たった。一昨年5月に酒をやめて以来の2年が過ぎ、ここ2年間、酒類を一滴も飲んでいないが、この5月は禁酒3年目に入る。

一昨年の5月、2週間弱入院し、医者は飲酒OKと言ったが、その前から酒類を飲んでいないので、もう大方2年以上も一滴も飲んでいないことになる。それまでの50年以上も毎日、ほんの少しだけだが酒を飲み続け、たとえば夕方、プロ野球を摘まみにほんの少しの酒を楽しみとしてきたが、今現在、飲まなくなったから楽しみが無くなったとか何か変化でもあったかと言うと、別に何ともない。こうしてみると毎日、酒を飲み続ける理由など基本的になく、ただ何となく飲み続けていただけの事だとよく分った。

無類の酒付きでもないのに、若い時は今よりほんの少しだけ量が多かったのは確かだが、年取ってだんだん酒量も少くなり貧幸に暮らせたら良いと焼酎のブランドなどなんでもよく量も減ってきた。50年以上も飲み続けたと言っても、最近は150㏄の茶わんに30~50㏄位ぐらいの言うなれば大匙2~3杯のほんの少量の焼酎に水を加え電子レンジでチーンするだけの極めて簡便にできる焼酎のお湯割りもどきを、そんな少量の焼酎でも飲めば体はほんのりとほてってくるので、それを楽しみながら安上がりで良かった。それが幸したのか、ぴたっと酒を断っても焼酎が恋しい事もなく何とも感じない。

私が酒をやめてからも、球磨焼酎の本場/熊本・人吉生まれの女房は、数日おきにはビールが飲みたいと買ってきては旨そうに飲むが、それを横目に見てもビールを飲みたいとは思わなくなった。また、最近のビールの宣伝が非常に旨そうに映しているのを見ると、綺麗なビールだなとか、旨そうに飲むな~とは思うも、それ以上はない。さてさて、禁酒期間がいつまで続くか楽しみに続けてみようと思う。

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茗荷の成長は早い

2023-05-12 06:42:00 | 
この茗荷、植えたまま数年も放置していた。それでも毎年花芽を付けて夏場の常備野菜の一つに重宝していたが根がはびこって、3年ほど前に、隣家まで根が伸びビックリして全数掘り起こし、かなりの数の根っこを欲しいと言う友達に分けて、残った茗荷の根っこも多少捨てた。家の狭い庭に植えている茗荷だが、別に日当たりを要求するわけもなく日当たりが少し悪くとも梅雨の雨を吸って良く育つ。さすがに埋戻してから1年目は梅雨時になっても出る芽が少なく、枯れたかと心配したが、2年目になって前よりかは圧倒的に少ないが花芽が出てきた。そして、今年は3年目になるが、結構な数の芽がでて背丈も30㎝前後にまで成長してきた。まだ地中から覗いている芽も有るので数はもっと期待できそうだ。歯ざわりがシャキシャキしていて、さわやかな香りが食欲をそそる。なんとなく、夏バテ防止には一役かってくれるような気がするので、毎年楽しみにしている。
  
「茗荷の香りの成分は、アルファピネンという精油成分で、働きとしては、眠気を覚ましたり、発汗を促したり、呼吸や血液の循環を良くしたり、消化を促進したりする。辛味の成分には、口内炎やのどの痛みを抑える効果があり、熱を静めて、毒を制する働きがある」と参考書には書いてある。

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