野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

リース作り

2022-11-30 06:25:00 | 日常生活
今年のクリスマスリース。
女房達が近くの野々池周辺から集めて作った手製のリース。ツタを巻き固め、その上にこれも野々池周辺にたくさんの種類がある樹の実を飾ったものだが、結構さまになっている。
  
  
いつも通る花屋の店先に、この時期、市販のきれいなリースがいっぱい飾ってあるが、野々池周辺を一回りするだけで負けず劣らずのきれいなリースができるから立派なものだ。改めて見ると野々池周辺にも色とりどりの木の実があるもんだ。最近はあまり見かけないが、以前は、夏場の終わりごろになると若い葛のツルを集めている人達がいたが、リースつくりも流行りすたりがあるのだろうか。
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大相撲九州場所、2022

2022-11-28 06:21:02 | スポーツ
優勝は平幕の阿炎。
千秋楽、本割で、阿炎が高安に突き倒しで勝ち、貴景勝も結びの一番で関脇 若隆景に勝ち、12勝3敗で3人が並ぶ。3人による優勝決定戦は28年ぶりとあった。3人の優勝決定戦は先に2勝した力士が優勝杯を取る「ともえ戦」。くじ引きで先の相撲は高安と阿炎。多分、阿炎が立会い変わるんではと思ったが、その通りに阿炎が左横に大きく飛んで高安のあたりをかわすと、その勢いで高安の首根っこを右腕でつかんで強引に捻ると、高安は土俵に顔から落ちてしばらく起き上がれず。阿炎の勝ち。阿炎はこのあと対戦した貴景勝も押し出しで破って優勝した。高安への奇襲を土俵下でみた貴景勝に迷いがあったのか、貴景勝のあたりは弱いというよりふわっと立ったように見え、その一瞬をつかれて阿炎に押し込まれた、結果的に阿炎の作戦勝ち。

 「スポニチ」
阿炎に迷いがなかったといえば、その通りで、失うものがない阿炎の縦横無尽の動きが結果的に功を奏した。個人的な心情から言えば、高安に優勝して欲しかったし、多分、今回は高安が優勝するだろうと13日目ぐらいから考え、その線でブログを書こうとテレビを見ていたが、全く考えもしなかった阿炎の優勝で、ブログの考えが一向に纏まらない。

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サザンカ@野々池貯水池、2022

2022-11-25 06:52:55 | 野々池周辺


野々池貯水池で一番早く咲く赤白色のサザンカ。
11月の初めごろに咲き始め、今、樹一面に咲き誇って青空によく映える。赤一色のサザンカが多い中で、白地の花弁が紅色に薄くつつまれたサザンカは珍しく、全体的にふわーっとした花弁で、特に膨らみ始め頃が可憐でかわいらしく見栄えも良い。これが咲くと、次は椿だが来年4月待ち。今日(24日)は昨日の雨が上がり晴れて青空だが少々寒い。野々池貯水池に上がると、風もなく暖かく、速足でウォーキングし体操すると下着は汗がにじむ。

サッカーのワールドカップカタール大会 、23日の日本対ドイツ戦は2:1で日本の勝ち。何処の記事を見ても奇跡が起こったと書いているが、日本の技量が著しく向上していると何故、分析しないんだろう。例えば23日のNHKのサッカーの番組を見ていると、ドイツのスポーツ記者は日本が2:1で勝つと明言していた。
 
 
 
 
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グミの実@野々池貯水池

2022-11-23 08:11:24 | 野々池周辺

今、野々池貯水池のグミの実が赤く熟れている。黄色の実もあるが90%以上は赤色に熟している。赤く熟れている1個を纏めて口に放り込むと甘酸っぱいが、暫くして少し渋さが舌に絡んでくる。この時期、グミの実が熟すと、ウォーキングがてら熟した数個のグミの実を口に含むが、すると、甘酸っぱさで唾液が自然と出てきて喉が潤ってくるので、この期間、持ち歩くペットボトルは一番小さめですむ。貯水池沿いにある熟した柿の実を我を忘れてついばむメジロを見ながら思うに、熟したグミを実を摘まんでいる鳥を見たことがない。

野々池貯水池には食べられる実がなる樹が数本あって、例えばザクロも、花梨も結実し落下したのを玄関先に置いて楽しんでいたが、今はもう、結実する樹はグミだけとなった。しかもそのグミも、6、7前ごろには6本ほどが結実していたが、今は一本だけとなった。 





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大相撲九州場所、前半戦、2022

2022-11-21 06:35:03 | スポーツ
大相撲九州場所は前半戦が終了した。
横綱照ノ富士の休場もあってか、今一つ盛り上がらないが、見応えのある相撲は多い。特に、7日目を終えて1敗の関脇・豊昇龍、平幕の高安、阿炎、王鵬の4人の相撲はテレビ観戦していて楽しい。その中でも豊昇龍と高安の相撲は面白い。

豊昇龍は実に上手い。先日再放送のNHKBSの「どすこい研」でも外掛けを取り上げ、元横綱稀勢の里の二所ノ関親方と柔道オリンピック金の松本薫が「外掛け」の妙技を解説していたが、この相撲技が決るとあっと一瞬、時が止まりシーンとなって拍手喝さいの相撲技で、この相撲を得意としている現役力士が豊昇龍。豊昇龍7日目の若元春に掛けた「外掛け」は見事だった。立ち合いとその後の相撲は若元春に勢いがあったが、結局豊昇龍の外掛けが決った。本当に一瞬の技だ。5日目の翠富士を土俵際で「かわず掛け」で破った相撲などみていると、豊昇龍は天賦の才 があるな~と本当に感じる。豊昇龍と翠富士の一番は翠富士が低い立ち合いで素早くもろ差しになったので豊昇龍の体は完全に棒立ちになった。すかさず翠富士が左足を飛ばして切り返しに出たが、これに豊昇龍は右足を絡ませると思い切り「かわず掛け」で逆襲して勝った。目にも止まらない一瞬の技に何が起こったか分からなかったが、場内放送は「かわず掛け」と放送した。上手い相撲をとる豊昇龍も、しかし一方、雑な相撲をとることがままあり、これを見るとがっかりする。また、4日の高安に負けた相撲をみると、パワーがないな~もろに感じる。これから体が付いてくると手を付けられないほどに強くなるかもしれない。

今場所もそうだが、前半戦を終えた状態での高安のパワー相撲は凄い。
相撲をテレビ観戦する楽しみは、一つは技の勝負、もう一つはパワー勝負だと思うが、今の幕内で高安が最もパワーを感じる相撲をとる。ここ数場所使うことがなかった立会い時の「カチアゲ」が今場所、非常に効果的に決まっている。6日目、立会いの「カチアゲ」を喰らった御嶽海が土俵際まで吹っ飛んだパワーをみてびっくりした。今場所、高安本来の力相撲をやっと見ることできるので楽しい。大関当時の高安の相撲は楽しかった。例えば5年前の2017年5月、高安の大関昇進時、当ブログは高安についてこんなことを書いていた「今場所の高安、立会いの当たりが抜群に強く、琴奨菊や豪栄道と言った大関クラスの力士でさえも一瞬の当たりで態勢を崩してしまう。そのめっぽう強い当たりにはびっくりしたが、それ以上に横綱日馬富士との一戦が高安の強さを証明したと思う。11日目、高安の立合いはカチ上げではなく左差し、右の上手が速かった。日馬富士の鋭い立ち合いにも負けず劣らずで互角、高安の強烈な突っ張りから体をかわされた日馬富士は呆気なく土俵を割った。スピード相撲が身上の小形力士との相撲に勝った高安の力強さに感心したものだ。この相撲の取り方が大関推挙を確実にしたのだと思えるほどだった。
新聞紙上には『先代師匠の故・鳴戸親方(元横綱隆の里)は「悔いを残すな。後ろ指をさされるようなことをするな。日々稽古するのが我々の仕事だ」とまな弟子に繰り返し説いてきた。師匠の教えを守り、高安は再び稽古場で地力と自信をつけた。覚悟が実った大関昇進だった』と書いてある。同じ部屋の横綱稀勢の里とともに元横綱隆の里から中学卒業と同時に指導をうけた両力士の体形はよく似ているが、相撲運びは必ずしも同じには見えない。遇直なまでのひたむきさ、頑固さが信条の稀勢の里の相撲ではなく、高安には稀勢の里とは異なる強い大関になってほしいと思っている。その強さとは、張り差しやカチ上げなどの有無を言わせぬ打撃技、立ち合いの駆け引き等、荒い相撲を、相撲の美学からすると真逆のとんでもない相撲を高安には期待している。それを大いに期待すると言っても、稀勢の里とおなじ教育・指導を受けた高安ができるのか多少疑問には思うが、高安がこんな相撲を取りきれば数場所で横綱を張れる。気は優しくて力持ち、真面目で潔い金太郎のような相撲取りは稀勢の里一人で十分だ。勝つことへのどん欲さ、稀勢の里からは決して期待できない、良くも悪くも狡さを高安が身に付けたら、我々相撲ファンが期待する勝って憎たらしい程に強い日本人横綱が遠からず誕生するはずで、モンゴル力士なんのそのと思えるほどに強さがあふれ出る大関、横綱と昇進し続け、相撲人気は不動のものになるはずだと一相撲ファンは信じている」と書いていた。大関昇進後、腰痛に苦しんできたが、今場所の相撲を見るとかってのパワーが復活したように感じる。兄弟弟子の元横綱稀勢の里に通じる真面目一徹 が相撲ファンを引き付ける高安の魅力だと思うが、今場所は期待している。

今場所、テレビに映る「満員御礼」の札があるにも関わらず、観客の数が少ないように思う。九州熊本出身の正代の負け戦が、その原因だと言う相撲解説者もいる。正代の戦績は前半戦終了で4勝3敗で勝ち越してはいるが、ガックリと肩を落として花道を引き揚げる正代をみると、性格的に、この力士は本当に相撲取りが適任かと思える時がある。また、今場所10勝が大関復帰の条件で相撲を取る御嶽海も、うまいな~思う相撲を取ることもあれば、離れて取られると脆い。多分、真面目に相撲の稽古をしてないんだろう。前半戦終了時点4勝3敗、後半上位と戦うのに10勝するには勝ち星が少ない。今場所で大関返り咲きに失敗すると、大関復帰はかなり難しいかもしれない。
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「カワサキZ50周年祭」のイベント

2022-11-18 06:30:55 | その他
「カワサキZ50周年祭 ~明石から世界へ、Zの偉大なる足跡と未来~」と言うイベントが11月19日に開催される。
趣旨案内によると「今年カワサキZが誕生して50周年を迎えましたが、これに先立ち2019年にZの開発に深く関われた大槻幸雄氏が日本自動車殿堂入りを果たし、同じく2021年にZ1/Z2が歴史遺産車に選定されており喜びもひとしおです。そうした中、カワサキZの愛好者の皆様から、Z50周年の祝賀会を開催してほしいとのご要望を数多くいただきました」とある。

1972年に上市したZ1の開発には関わっていない私にも出席要請の案内があったが、この時期都合が悪く残念ながら参加できず。大槻さん、古谷さんの主催であれば何が何でも出席したかったので残念だ。しかし、その後、この会の当日の模様はライブ配信されるとあったので、早速ライブ配信の登録をした。
KAWASAKI Z 50th Anniversary Party - 2022.11.19. at Akashi in Japan  
Z1は当時の二輪車事情からすれば画期的な二輪で、’72年に発売されたZ1が世界の二輪を代表する機種として君臨していく過程で、Z1の優秀性を市場にアピールすべくプロモーションが次々と計画され成功した。例えば、Z1が発売開始された翌’73年、デイトナスピードウエイでの24時間スピード記録挑戦したのも一例。その都度、Z1は驚嘆すべき性能を発揮し、主戦場だったアメリカ市場で、”Z1はパフォーマンスバイクの代名詞”となっていく。加えて、著名なチューナーによって更に性能向上され、過酷なレースにも耐え続けることで、持てるポテンシャルを如何なく発揮し、Z1の基本性能の優秀性と耐久信頼性を更に高め、「パフォーマンスバイクのZ1」の名を揺るぎないものとした。

今でも気に入っている写真の一つがこれ。
 「’73 KAWASAKI-Z1 24時間 スピード記録挑戦時:デイトナ」
「Facebook 和田将宏さんの写真より転用: Kawasaki Z1 24 Hour Endurance Record at Daytona Motorspeedway 1973 with riders Masahiro Wada and Hurley Wilvert」

元カワサキロードレースワークスライダーの和田将宏さんがFacebookに投稿した貴重な写真だが、Z1が発売開始された翌’73年、デイトナスピードウエイでの24時間スピード記録挑戦時の写真とある。Z1の基本性能の優秀性と耐久信頼性を更に高め、「パフォーマンスバイク」の名を揺るぎないものとした。その過程中に実施されたのが、デイトナ24時間スピード記録。

販売して間もないZ1を、当時の「最も過酷なデイトナ24時間スピード記録に挑戦する」という、当時の先駆者達の自信と意気込みこそを、高く評価すべきではなかろうか。カワサキ単車事業の浮沈をかけた大勝負、カワサキの先駆者達の熱情と功績は見事と言う他ない。和田将宏さんは事もなげに当時の写真を投稿してくれたが、一見無謀と思える挑戦に挑むライダーの心意気にまずは驚嘆、そして無事成し遂げたライダーに乾杯だ。この写真から、先輩諸氏のZ1にかける思いがひしひしと伝わってくるし、優秀性において自信ある製品を如何に市場に認知して貰うのか、商品プロモーションの基本を、この写真は伝えている。つまり、ユーザーの心の奥にある心情に響かせ訴える効果の必然性。この意味をどう解釈するかは、其々の経験、思い、立位置によって異なる事は承知しているが、閉塞感を打破し抜け出る術、それは、「世の中をワクワクさせる仕掛け」ではないか。それにZ1は成功し続けた。

もう一例、Z1の優秀性の一端を示す別の貴重な一節があるので紹介したい。
その後のZ1は競争相手から常にマークされ、Z1がベンチマークとなっていくが、次の資料も、優秀な商品を開発し続けたチームが、如何にして開発したマシンの優秀性を市場に訴えたかの記録である。そのターゲットはZ1で、Z1の優秀性を認め、そして市場に訴求するやり方がZ1と類似なのが面白い。元スズキ二輪車設計責任者であった、横内悦夫さんが出身の宮崎で、宮崎日日新聞に連載した「世の中の流れを変えよう」だ。個性豊かな技術者が多い二輪開発技術者が話る一節だから大いに説得力がある。下記は「世の中の流れを変えよう」の中から、文章の一節。

 「昭和51(1976)年の・・・・以下略
マシンの速い・遅いは結局比べてどうかの話だ。・・・(略)テストの最終日は、夕方、私たちは一週間、3,200キロのテスト走行を終え、ロサンゼルスに戻った。翌朝、全員でミーティングを始めると、パフォーマンスバイクのことが話題になった。テスト走行の経過から見て、スズキGS750だと思ったのに、カワサキ900ccZ1がパフォーマンスバイクだという。この世の中で最も優れた速いバイクをパフォーマンスバイクと呼び、それがカワサキだというのである。

 「パフォーマンスバイクを考える上で、過去に私は貴重な体験をしている。
1972年10月、・・・・以下略  西ドイツでの走行テストが終わって、4人のヨーロッパのライダーたちとパフォーマンスバイクについて話し合ってみた。最初はまとまりのない話ばかりが続いたが、メンバーの一人が耐久レースの話を始めた。すると、みんな話に乗ってきた。耐久レースとは、24時間連続して走るという過酷なレースだ。中でも、フランスのル・マン24時間が有名である。」

 「フランクフルトから南へ三十分ほど走ったヘッペンハイムだ。
まずはアウトバーン(高速道路)でテストしようということになった。この時代のアウトバーンはどこでも超高速で走ることができたからだ。時速200kmのスピードは、テストコースでは怖くないが、アウトバーンという混合交通の中では速度感がまったく異なり、恐怖さえ襲ってくる。橋などのわずかな路面の継ぎ目も、時速200kmともなると、大きな衝撃となって車体を突き上げる。これをきっかけに車体が左右に振られる。この挙動が増幅すれば、転倒という悲劇の二文字が待っている。一人乗りで問題ないことを確認した後、二人乗りでのテストに移った。ではなぜ、二人乗りで時速200kmもの高速テストを公道上で行わなければならないのか。答えは簡単で、数多いお客さまの中には、ほんのわずかだが、所有するオートバイにその能力があれば、時速200kmで二人乗りする人がいるからだ。私たち開発者が最初に考えなければならないのが、お客さまの安全を守ることなのである。」

 「“安全で世界最速のパフォーマンスバイクを造ろう”が基本の発想だ。まずエンジンパワーが強力でなければいけない。半面、パフォーマンスバイクは、ただ速いだけでなく、乗り心地の面でもトップレベルでないといけない。大陸横断や縦断の相乗りロングツーリングで疲れの少ないものにする必要があるからだ。・・・(略)・・・  ’76年、カワサキZ1に対抗できる1000ccを造りたいとの要望が提案されていた。翌年の9月に、ほぽ目標通りのGS1000の最終試作車が完成。評価ライダー、その中には「スズキはパフォーマンスバイクではない」と言ったボブ・クレーマーもいた。例によって、ロサンゼルスをたち、サンフランシスコに向かう。ゴールデンゲートブリッジを渡り、レークタホで一泊。翌日カリフォルニア山脈の東を南下、国立公園ヨセミテの山間道で走行テストをした後、3泊4日の行動走行試験を終えた。バイクのことに詳しいボブ・クレーマーらに評価を求めると、「これは立派なパフォーマンスバイクだ」との答えを得た。次いで私は、GS1000を世界にアピールする手段を考えることにしたのである。」

以上はZ1をベンチマークとして開発されたGSX1000の話で、希有な設計者である横内悦夫さんの原文を多少端し折ってしまった事はお許し願いたいが、意図とするところは理解して頂きたい。今は良く知らないが、かってのAMAロードレースでは、どこのサーキットでもスズキのバイクが溢れ、スズキ主催のレースも開催され、スズキの草の根活動が成功し、米国市場で「パフォーマンスバイクといえばスズキのGSX」という時代があり、それは永く続いた、と記憶している。

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リンドウ@野々池貯水池

2022-11-16 06:10:05 | 野々池周辺
野々池貯水池に咲くリンドウ。 野々池貯水池で最も端正で秋らしい山野草の筆頭はリンドウだと思っている。10数年前、野々池貯水池でリンドウを初めて見たときは、何故こんなところにと一瞬驚いたが、今ではもう、今年はどのくらいの数が咲くのかと心待ちしている。好きな秋の花の一つ。

11月の初めには10数個咲いていたリンドウが、この中旬になって、花の数が増えたかどうか気になって野々池貯水池に上がってみると、その数が増えたのを確認出来たので内心ほっとした。しかも、初めて見たが、一枝に花の数18個のリンドウの花が玉すだれのように流れて咲いている。これにはびっくりで、通常多くても3,4個が連なっているだけだから、18個の花の流れは菊の懸崖 のようにも見えて見事。

今週は先週にくらべ一気に寒くなると予報は言っていたが、やや北風が強く、その通りになった。でも昼間は17~18度近辺まで上がるので、野々池貯水池のジョギングコースに上がってみても風が吹いている割には寒くはない。長袖ポロシャツに半袖のチョッキを羽織ってジョギングコースに上り、一周するころにはうっすらと汗をかき、いつもの2周目で暑くなった、そんな気温。そして毎年、この時期、野々池貯水池でリンドウを見つけてとホッとする。 
 
       



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パソコンの前に座って見える秋

2022-11-14 06:20:03 | 野々池周辺
11月も中旬になった。  
11月になってからずっと晴れ続きで気持ちのよい毎日だったが、今日(13日)の朝は曇り空、気温は20.5度で少し暑く感じたが、午前9時過ぎから雨が降っている。新聞やパソコンのネット記事は各所の有名紅葉の写真を掲載しているが、我が家の部屋からも紅葉の移り変わりは見える。ちょうど家の前にある、野々池貯水池のハゼの樹が色変わりし落下しつつある。春先には薄黄緑の葉に覆われていたが、秋は赤色から葉が落ちてしまう季節、その移り変わりをパソコン前に座って何十年と見てきた。 
  



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冬支度、柊の剪定

2022-11-11 06:49:04 | 
 
このところ、日中の最高温度が22度近辺になる日もあり、暖かい晩秋の11月中旬となっている。12月に入ると一気に寒くなるかもしれぬと言われたので、寒い冬に入る前にすべき作業を順次こなして済まそうと始めたのが、庭の植木の剪定。

今は、庭の植木で剪定すべき樹は「柊」の一本だけとなった。この柊は少し前に甘美な花を咲かせ終わったので、いい機会なので剪定することした。直径約2.5m、高さも3mを少し越した程度の大きさになっているので、狭い空間に脚立の設置を工夫しながらの剪定作業は年寄りには重労働で、昨年剪定していなかったこともあり、終わってみると大型のゴミ袋4個となった。

ヒイラギには棘があるので、古くから邪鬼を払うと教えられたので玄関脇に植えている。葉に棘棘があるので、剪定が終わってみると気が付かない間に手の甲が傷ついて風呂に入るとしみるが、10月には芳香を放つ白い花が咲くので、こうして切らずに残している。剪定が終わって剪定した葉っぱをゴミ袋にいれてヤレヤレと一服すると腰が痛くなった。ヒイラギの頭部分は成長も早いせいかよく伸びるので脚立作業は大変で、危ないから止めろと女房から言われるが、一本だけ残った植木、好きな剪定作業なので元気なうちは自分で剪定すると決めている。
   
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消えた

2022-11-09 06:49:04 | 日常生活
動脈瘤が消えた。
治療から1ヵ月過ぎの7日、MRI検査で1ヵ月前にはあった脳動脈瘤が消えた。これで生活は普通に戻り、運動制限も何もないと担当の専門医の処方となった。ただ、暫くは経過観察が必要との事で、次回は3ヵ月後、更に半月後とMRI検査で確認する必要あるとのこと。

毎年の胃の内視鏡と腹部エコーに加え3年毎の大腸ファイバーチェックを専門のクリニックで20年以上継続し、神戸市の健康診断と肺がん検診も毎年実施しているが特に不具合箇所はない。後期高齢者になったので、いままで実施してこなかった健康診断項目を検査してみようと、8月の初め、近くの専門の医院で脳ドックを実施した。すると、医者が言うに、脳は綺麗で何ら問題なしだが、未破裂脳動脈瘤が見つかった。自覚症状は全くなく、何が異常なんだろうと理解できずにいたが、一週間後、紹介状を書いてもらって専門の病院にでかけた。

複数の脳神経外科病院を紹介してもらい、車で約20分程の大西脳神経外科病院を選択した。一週間後、大西脳神経外科病院でも再度詳細なMRI検査を実施した。自覚症状は全くないのだが、医者に聞くと破裂する確率が約1%ぐらいはあり、毎年、その確率は増える恐れがあると言う。つまり破裂しない確率は99%だが、破裂すると、くも膜下出血を起こす可能性があるから治療したほうが良いと言う。治療のために8月中旬、2泊3日の検査入院した。ここではコロナ感染検査を手始めに、心臓エコーやCT、造影剤投入して血管撮影等を実施。未破裂脳動脈瘤などない方が良いとは思うが、知らぬが仏でそのまま放置し、突然皆に迷惑かけるような事態になる可能性も否定できずとなれば、自覚症状がない時に見つかってこれ幸いと9月末から10月初めまでの1週間入院することになった。

治療法は血管内手術という方法で、これは血管撮影と同じように股の動脈からカテーテルを入れ、これを脳動脈瘤の中まで持っていって形状記憶合金でできた(と医者の説明)プラチナのコイルを脳動脈瘤の中に押込めて動脈瘤を閉じ込め、内部を血栓化する。全身麻酔は点滴に蕁麻疹対策の薬を加えると何時の間にか眠ってしまい、気が付いたときは集中治療室のベットの上。時間は約2時間弱。自覚症状がないまま手術台に登り、自覚症状がないままICUのベットの上に横となっていたが、ここからが苦行の始まり。足の付け根 の動脈からカテーテルを挿入して治療するが、治療を終えた後はカテー テルを通した血管の穴を塞いで止血せねばならない。アンジソシール(あとで資料をもらった)で止血する。これは動脈の穴にアンカーを撃ち込み、引っ張り上げ、その上から丸棒できつく抑えつけて止血する。この間、アンジソシールのアンカーを撃ち込んだ右足の付け根を動かすのは厳禁。この状態を寝たままで15時間維持せよとの指示で、これがまさに苦行で相当にきつい。気が付くと血圧は160近辺まで上昇し脈拍は100を打つ。日頃の血圧は120前後、脈拍は64,5だから、その都度降圧剤を点滴に加えるとすーと下がるがまた上がる。これを15時間続けた。寝返り厳禁なので腰が痛くなって相当にきつい。15時間経過した時点でやっと体を動かすことが出来た。それでも急激な動きはしないようと言われたのでゆっくりと体を動かし、やっと座ることが出来たときは随分と楽になった。しかし約15分後ぐらいに、足の付け根が内出血でぷくーっと膨れた。看護婦を呼ぶと先程取り外した丸棒で再度患部を押さえつけ止血する。しっかりとテーピングしてこのままで更に5時間保持せよとの指示。また苦行の始まり。看護婦や医者に聞くと、止血が完璧にできず動脈から血液が漏れだし患部がぷくーっと膨らむことがあるとの事。看護婦と色々冗談を言い合いながら原因らしきを聞くと、なるほどと思った。止血が終わったと便所に行ってかがむと動脈の穴から血液が漏れ出しぷくーっと膨れた例もあると聞くと、今回の手術で一番大変だったのは、このカテー テルを通した血管の穴を塞く止血治療だった。脳動脈瘤はもともと自覚症状はないので気にもならないが、誰もいないときに内出血したらどうしようかと、動脈だけに相当に気になった。その後、一ヶ月経過後も問題ないのでうまく止血できたんだと思う。

手術後のベットの上では何もすることがない。
時間つぶしに、今回持っていった580ページの単行本(日本の戦争:田原総一朗)を読み終えた。今回担当してくれた看護師は、近くの看護師学校から来た実習の女生徒2名で、来年卒業との事。毎日3~4回、様子を見に来て、血圧(両腕を測る)、脈拍(2分間測る、脈の強さ問題なく、不整脈等もないとのこと)、患部の様子の聴き取りが終わると、都度聞くことは「名前は」「年齢は」「生年月日は」「この病院の名前は」と質問を受ける。最初はウッと思ったが、治療箇所が脳内なので、定型質問なのだろう。しかし、何回も質問されると、一瞬あれっ、何んだったかなと思う時もあった。本を読んでいると、少し話をして良いかとベットの近くにきて、血圧とはとか、20代前後の看護師に色々説教を受ける。彼女等の就職先は東京や地元に既に決まっていて、直ぐに看護士試験が待っているとの事。こんな事で時間をつぶし一週間の毎日を過した。

もともと自覚症状がないまま治療を受け、一ヶ月後、「もう心配ありません」と医者から言われても、そうかと自覚がないままに今は、野の池貯水池のジョギングコースに上がっている。
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