野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

オリックス、26年ぶり日本チャンピオン

2022-10-31 06:38:25 | スポーツ
プロ野球日本シリーズ、オリックスが激闘の頂上決戦を制し26年ぶり5度目のチャンピオンを獲得。神戸を発祥地とするオリックスは、一時期低迷期もあるも、見事復活した。本拠地が神戸の西神地区にあった当時、イチローがオリックスに在籍していた頃に数回、その後は3、4回ぐらいこの球場に足を運んだ事がある。だから大阪に本拠地を移設してからも オリックスには親しみを持ち続けていた。  オリックス万歳!!
   「オリックス・バファローズ ツイッター」

第7戦(30日) ヤクルト4:5オリックス。オリックス4連勝で日本シリーズチャンピオン獲得。
6時からのNHKBSの鎌倉殿が終了し直ぐに地上波にチャンネルを合わせと、なんと、オリックスの先頭打者太田選手の先頭打者本塁打で一点先取している。その後は最後まで見続けるが、先頭打者ホームランが効いているのか、オリックスの動きが良く、ヤクルトの動きが何となくぎこちない。勝負がついたのは五回。ヤクルトがまさかのミス連発で一挙4失点したのだ。五回無死一塁で、次打者投手宮城のバントが三塁手村上とマウンド間を抜けて内野安打になって一二塁が埋まる。さらに、続く太田のバントを三塁手・村上と投手サイスニードの呼吸が合わず、内野安打となって無死満塁となった。宗は併殺で2アウト、次打者中川は四球で再び満塁。4番吉田正は痛恨の押し出し死球で2点目を加える。2死満塁で5番杉本の打球はセンターへ、これをセンター塩見はグラブに当てたように見えたが、捕球できず後逸。杉本の三塁打に走者一掃で3点を加え5点目。これで勝負あり。

第6戦(29日) ヤクルト0:3オリックス。オリックス3連勝。
場面は六回、2死二塁から吉田正が申告敬遠した後、5番・杉本が右前適時打で1点先取。それまで当たりが無かった一塁上の杉本の笑顔は晴々。その後はオリックス一点先取のままで膠着状態が続く。そして九回の表、ヤクルトの抑え投手マクガフが登板、 代打安達がヒット、無死一塁から次打者紅林のバンド処理をマクグラがミスし一塁へ悪送球、一塁ベースカバーの山田はマクガフの悪送球を捕球できず 、ボールはファールグランドに転がる。その間に、安達は三塁を蹴って2点目、紅林は三塁に、そこに代打西野の犠飛で3点目。ヤクルトの抑えマクガフは第5戦でも九回に登板して悪送球から失点し、その後逆転サヨナラ負けを喫したのだが、その再来に、負けてベンチに帰るマクガフは顔面蒼白、可哀想だった。それにしても、ヤクルト一安打ではとてもじゃないが勝てない。ヤクルトは 大事な試合に最悪な負け方をしてしまった。
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オリックス、第5戦、タイに持ち込む

2022-10-28 07:05:15 | スポーツ
27日、京セラドームの日本シリーズ第5戦、オリックスが勝った。   
この日、オリックスは劇的な逆転サヨナラ勝利を収め、対戦成績を2勝2敗1分けのタイに戻し、神宮に行く。オリックスは3-4で迎えた九回裏、ヤクルトの抑え投手が西野の強烈なピッチャー返しを弾き、慌てて一塁に送球したが、悪送球となった。二塁ランナーの安達が生還し、同点に追いく。なおも2死一塁から吉田正に2ランが飛び出し、勝った。テレビ観戦している途中、幾度かオリックスの負けが頭を過ったが、吉田選手の劇的ホームランで晴れ晴れとスカッとした。ホームランが出た瞬間、吉田が右手を挙げ一塁に走り出すと、京セラドーム満員の観客は総立ちに沸いた。この日本シリーズ一番の試合にテレビ桟敷から拍手を送った。記録に残る素晴らしい一戦だったと思う。
  
今日28日は移動日で、土日の神宮での第6、7戦へともつれ込んだ。昨年と同カードで行われている日本シリーズは今年も激戦。今年も第2戦の引き分けを含め、第3戦の7-1でヤクルトが勝利した第3戦を除けば、2点差以内で決着しているが、試合内容はどちらかと言えば、ヤクルトの攻勢にオリックス打線は沈黙気味。そのうっぷんを吉田が晴らした。

神宮での決定戦は、どちらかが連勝しない限り、31日に第8戦が行われることになると、新聞に書いている。しかも仮に引き分けがあると、第9戦となるとあった。読むと、日本シリーズの規定には、「延長回は、第7戦までの各試合では12回をもって打ち切りとし、第8戦以降は延長回の制限を設けない」、「引き分け試合があったことにより、第7戦を行ってなお優勝が決定しない場合には翌日第7戦を行った球場で第8戦を行う。さらに第9戦が必要な場合には、1日移動日を設け、もう一方のチームの球場で行う」などがある。

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良い追悼演説

2022-10-26 09:32:28 | 日常生活
25日、国会で行われた安倍元総理の追悼演説(「野田元首相が安倍元首相の追悼演説 全文」がNHKに投稿してあった。
良い演説と感じ たので、残しておこうと思う。

「故安倍晋三先生に対する追悼演説
本院議員、安倍晋三元首相は、去る7月8日、参院選候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。
享年67歳。あまりにも突然の悲劇でした。
政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかったおもい。そして、いつか引退後に昭恵夫人と共に過ごすはずだった穏やかな日々。
すべては一瞬にして奪われました。
政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命がかかっています。マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えている時に、後ろから襲われた無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。
私は、生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。しかしながら、私は、前任者として、あなたに首相のバトンを渡した当人であります。
我が国の憲政史には101代64名の首相が名を連ねます。先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」を我が身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠をささげたい。
そうした一念のもとに、ここに、皆様のご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。
安倍晋三さん。あなたは、昭和29年(1954年)9月、後に外相などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子様ご夫妻の次男として、東京都に生まれました。
父方の祖父は衆院議員、母方の祖父と大叔父は後の首相という政治家一族です。「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。
成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、外相に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。そして、父晋太郎氏の急逝後、平成5年(1993年)、当時の山口1区から衆院選に出馬し、見事に初陣を飾られました。38歳の青年政治家の誕生であります。
私も、同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。そこには、フラッシュの閃光を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。
その後のあなたが政治家としての階段をまたたく間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。
官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自民党幹事長、官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは、平成18年(2006年)9月、第90代の首相に就任されました。戦後生まれで初。齢52、最年少でした。
大きな期待を受けて船出した第1次安倍政権でしたが、翌年9月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、1年あまりで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と思い詰めた日々が続いたことでしょう。
しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆様の温かいご支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書きとめ、捲土(けんど)重来を期します。挫折から学ぶ力とどん底からはい上がっていく執念で、あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。
かつて「再チャレンジ」という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。あなたは「諦めない」「失敗を恐れない」ということを説得力もって語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。

5年の雌伏を経て平成24年(2012年)、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時首相の職にあった私と、以降、国会で対峙することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは、平成24年(2012年)11月14日の党首討論でした。
私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それは、与党と野党第1党の党首同士が、互いの持てるすべてをかけた、火花散らす真剣勝負であったからです。
安倍さん。あなたは、いつの時も、手ごわい論敵でした。いや、私にとっては、かたきのような政敵でした。
攻守を代えて、第96代首相に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第一委員室でした。
少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張り詰めた緊張感。激しくぶつかり合う言葉と言葉。それは一対一の「果たし合い」の場でした。激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。
残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。
安倍さん。あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたびかぶとを脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。
それは、忘れもしない、平成24年(2012年)12月26日のことです。解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの親任式に、前首相として立ち会いました。
同じ党内での引き継ぎであれば談笑が絶えないであろう控室は、勝者と敗者の2人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れさまでした」と明るい声で話しかけてこられたのです。
「野田さんは安定感がありましたよ」
「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」
「自分は5年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやって来ますよ」
温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。
その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。
残念ながら、その時の私にはあなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします。安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。
第1次政権の終わりに、失意の中であなたは入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさにむち打って、福田康夫新首相の親任式に駆けつけました。わずか1年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。
あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。
安倍さん。あなたには、謝らなければならないことがあります。
それは、平成24年(2012年)暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。
「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でおなかが痛くなってはダメだ」
私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさをやゆすることは許されません。語るも恥ずかしい、大失言です。
謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。いま改めて、天上のあなたに、深く、深くおわびを申し上げます。
私からバトンを引き継いだあなたは、7年8カ月あまり、首相の職責を果たし続けました。
あなたの仕事がどれだけの激務であったか。私には、よく分かります。分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉の刃も投げつけられます。在任中、真の意味で心休まる時などなかったはずです。
第1次政権から数え、通算在職日数3188日。延べ196の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は1187回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。

首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる2人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。
あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。
安倍さん。あなたが後任の首相となってから、一度だけ首相公邸の一室で、ひそかにお会いしたことがありましたね。平成29年(2017年)1月20日、通常国会が召集され政府4演説が行われた夜でした。
前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。
2人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、1時間あまり、語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。
そして「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意をつくるべきだ」という点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。
私が目の前で対峙した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、のみ込むべきことはのみ込む。冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。
あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見いだせるのではないか。
以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。
憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾でうしないました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。
「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」
安倍さん。
あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。
再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。
勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。
耐え難き寂寞(せきばく)の念だけが胸を締め付けます。
この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまり続けています。

その上で、申し上げたい。
長く国家のかじ取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。
安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国にのこしたものは何だったのか。そうした「問い」だけが、いまだ中ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。
その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。
そうであったとしても、私はあなたのことを問い続けたい。
国の宰相としてあなたがのこした事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問い続けたい。
問い続けなければならないのです。
なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。
暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。
あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。
最後に、議員各位に訴えます。
政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。
暴力にひるまず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。
民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。
真摯な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱(きょうじん)なものへと育てあげていこうではありませんか。
こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弾にたおれた故人へ、私たち国会議員が捧げられる、何よりの追悼の誠である。
私はそう信じます。
この国のために、「重圧」と「孤独」を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された、安倍晋三元首相。
闘い続けた心優しき一人の政治家の御霊に、この決意を届け、私の追悼の言葉に代えさせていただきます。
安倍さん、どうか安らかにお眠りください。」


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花の冬支度

2022-10-25 07:37:53 | 
先日、シクラメンを買ってきた。
シクラメンは女房が好きな花なので、季節が来ると買いに行く。今年も当初、園芸店で数個買ったのだが、飽き足らなかったのか今度は近くのホームセンターを二ヵ所回ってまた買った。毎年、新しいのを買うので庭に植えたらと思うが、どうもうまく園芸店等で買うようには育たないようだ。咲き終わった球根を庭の畑に植えたことがあり、そのうちの何本かは芽を出し花を咲かしたものもあるが次第に枯れていく。だから毎年小ぶりのシクラメンを買う。この時期、春先に咲く花は蕾ばかしなので、庭ではシクラメンが唯一冬支度の彩をなす。
       
   
       



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庭の冬瓜

2022-10-24 06:22:05 | 
9月末、庭の片隅に植わっていた冬瓜が一個だけ大きな実をつけたので美味しく食べた。この冬瓜、どういう経緯で芽を出し実まで付けたのか家人も知らない。当初、カボチャかなと思って近づいてみると何だか雰囲気が違い、カボチャに比べると蔓や葉など全体的にずいぶん毛深く花や子房にも剛毛が生えていてガサガサした印象を受けた。大きくなった実を見て、これは冬瓜だと分った次第だ。その後も、成長を続けており、現在、大きくなった実は3個ある。今だ雌花を付けているので受粉がうまくいけば実がなり続ける。
 
 
気なったので、冬瓜の栄養なるを調べてみた。 
すると、冬瓜は低カロリーで90%以上は水分だが余分なナトリウムを排出して血圧を正常に保つ働きをするカリウムを多く含み、高血圧に効果があるそうだ。また、 ビタミンCを多く含むとある。 ・・・これは良い。

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柊(ヒイラギ)の芳香、2022

2022-10-21 06:37:12 | 
「庭の柊の花」
庭の柊の白い花が咲く順番だと庭を見ると、白い花が咲き始めている。金木犀の花の、あの強烈な匂いが過ぎると、柊が咲く。

金木犀が咲いてほぼ約1週間後、次はヒイラギの甘い芳香の順となるが、一年中で一番爽やかな季節に、甘いが爽やかな芳香が庭に漂い、ほっとする。いつも思うが、金木犀の頭痛がするような強烈な匂いに比べると、柊の花の白い芳香、いかにも自然な香りで上品さがあるように思う。なにせ、自己主張が少ない奥ゆかしさがあるのが柊の花の匂いの特徴だろう。道路わきの庭に植えているので、近くを通る人達にほっと一息ついてもらえれば幸いと思っている。
 
 
このヒイラギ、家を建ててすぐに、玄関脇に植木を植えるべく近くの植木屋周りをしていたのだが、近くの大久保松陰にあった山口造園の傍をたまたま通りかかったところ、丸く剪定された大きなヒイラギが2本あって、見栄えの良い一本を購入した。ヒイラギには棘があるので、古くから邪鬼を払うと教えられたので玄関脇に植えることにした。満まるに剪定した植え木が欲しかったので、丁度良かった。大きくなり過ぎないように毎年2回剪定するが、それでも直径約2.5m高さも3m程になっている。ヒイラギを買ったついでに、家の周りを囲む植木数本もまとめ買いしたが、毎年の剪定が大変な作業で、年寄りになってから毎年少しづつ整理し続けて、結局今はこの柊一本を残している。

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故郷、島原鉄道が経済誌に。

2022-10-19 06:20:03 | 故郷
18日の東洋経済ネット誌に「新幹線の恩恵ある?長崎を走る「島原鉄道」の現実」なる記事が投稿してあった。故郷島原半島を走る唯一の私鉄の鉄道”島原鉄道(島鉄)”の話題であるが、経済誌が田舎の鉄道を取り上げるのは珍しいので読んでみた。

 「西九州新幹線 かもめ」
要は、長崎まで新幹線(西九州新幹線 )が開通したので、さぞや島鉄の乗車客が増えるのではとの意見に島鉄の社長はやや懐疑的で、自助努力が必要でそうしてきたと言う。島原港から熊本港まで有明海を船で行けば最短30分程度。島原市からは長崎市よりも熊本市のほうが近い。遊びに行くときは長崎より規模が大きい熊本や博多に出る場合が多いそうで、例えば島原港から大牟田の三池港までの高速船を利用すれば博多はすぐそこにあるし、半島の多比良港と熊本の長州港等々を結ぶ複数の航路を考えれば、島原はその中心に位置するのだから、例えば熊本に拠点を置く九州産交との業務提携 がそうで、熊本から来た九州産交バスのツアー客専用で「しまてつカフェトレイン」なるが走っているそうだ。テレビCMに登場した島鉄・大三東駅も、以前は知る人ぞ知る駅だったそうだが、「しまてつカフェトレイン」をその駅で長時間停車させ、ホームで「幸せの黄色いハンカチ」を結ぶなどのイベントをするようにしてからメディアで取りあげられる機会が増え、「インスタ映え」のトレンドもあって、知名度が高まっていったという。更には、島原鉄道は2023年1月より、JR九州の豪華寝台列車「ななつ星in九州」のルートになると言う。

以前、このブログにも大三東駅(”おおみさき”と読む)を取り上げたことがある。マクドナルドの新しい商品のCMで、大三東駅のホームで女子高校生らしき四人組が海をバックにスイーツ を食べている風景だが、大昔、もう50~60年前の記憶にある風景と何ら変わらない風景に、故郷は今も時間が留まったままに感じたが、時空を楽しむには島原鉄道は最適な一つなんだと思う。
 
博多駅から特急かもめで1時間半少々、島原鉄道の起点諫早駅に到着する。改札口を出て、左端隅っこのホームにひっそりと島原鉄道線の黄色いディーゼルカーが乗客を待っている。JR長崎本線諫早駅から島原半島の中心地区島原まで走る島原鉄道で、半島の有明海沿いに走る私鉄の単線。諫早から島原に向かう道中、左手に有明海の遠浅がすぐ目の前に見え、右手が田んぼや畑。大三東駅は海岸沿いの駅で、こんな駅風景が諫早駅から島原まで続く。ホームの後ろに広がる遠浅の有明海は、日によって違う表情を見せて楽しく、開放的なこのホームでしばらく海を眺めるのも良し。この駅は、生家のある三会(みえ)駅から諫早方面の二つ前の駅で、急行が停車するので神戸に帰る際は、この大三東駅まで車(約15分程)で送って貰う。
   

また、2018年の2月15日放送された 「NHK 呑み鉄 島原鉄道」でも話題になった。俳優の六角 精児 さんが島原鉄道を紹介していた。 島原半島の名物食材、イイダコ、ガンバ(フグ)。ガンバはサッと湯通しして、氷水で身を引き締め、タレはダイダイ酢に薬味はニンニクの茎に梅干等を入れた思うが、皮の部分はコリコリして旨かった。田舎では 皿の絵柄が透けて見えるような「薄造り」は食ったことがない。だが何と言っても、ガンバ料理でこれは本当に旨いと思ったのは骨付きブツ切りの”がねだき”。から煎りしたガンバの肉厚の身を醤油、酒等に梅干しとニンニクで煮込んだ料理だが絶品。オコゼの吸い物も上品で旨いと思ったが、”がねだき”には遠く及ばないと記憶している。昔はガンバは安く、市内の漁師が自転車の荷台に積んで行商で回ってきた。それを一匹、近くの川でさばいてくれたが、今は目が飛び出すほど高いので食べないと言う。 また、米粒の入ったイイダコも旨い。昔は、イイダコも真蛸も、そしてタイラギも有明海の遠浅で普通に良く取れたが、護岸工事してから採れなくなったそうだ。こういう美味い素材も島原名物なので、是非紹介して貰いたいものだ。

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阪神 敗退

2022-10-17 06:11:57 | スポーツ
2022年プロ野球日本シリーズは15日、パリーグがオリックス、セリーグはヤクルトに決定した。その前日14日、阪神が対ヤクルトにCS一勝もできず後退したので、15日のオリックス:ソフトバンクの試合を、久しぶりにテレビ観戦できた。CSシリーズの開催時間がパもセも同時刻開催なので、どちらかを主にテレビ観戦せざるをえないが、どうしても阪神にチャンネルを合わせてしまう。CSのような面白い試合は開催時間をずらすか、日にちをずらして開催してもらいたいものだ。そうすればプロ野球を網羅して楽しめる筈だ、と思いながらオリックスとソフトバンクの試合を最後までみたが、その試合内容は阪神の試合よりはるかにレベルが高く終始興奮するものであった。

思い出しても腹が立つが、14日のセのCSファイナルステージ第3戦。3位阪神は1位ヤクルトに3連敗で1勝もできずにCS敗退となった。
  
特に腹が立つのは14日の阪神3-0ヤクルトで迎えた七回裏、青柳が好投を続けたのに突然崩れ2死満塁に、マルテの二塁悪送球で2点を計上し1点差に詰め寄られた。なおも2死満塁から4番村上のボテボテのピッチャーゴロを阪神浜地投手が一塁に悪送球、これで走者一掃の3点を献上し計5点。この回、ミス2回で5失点して逆転を許した。更に言えば、ボテボテの投ゴロも全力疾走し一塁にヘッドスライディングした村上が、セーフになった一塁上で笑いが止まらない破顔一笑の場面をテレビが何度も映す。 結局、この回、阪神はミスだけで5失点して逆転を許した。ヒット数阪神8に対しヤクルト5だが、エラー数は阪神2、ヤクルト0、これが阪神の試合で、全てが終わった。加えて言えば、13日の試合もそうだが、阪神のヒット数11にヤクルトのヒット数は7だけど終わってみればヤクルト5:3阪神である。CSの阪神の負けはいつもこんなんばかり。昨年は今年MLBのパドレスで大活躍中のスアレスがいたので6回までリードしておれば問題なしの状況が一変し、その際たる試合が開幕の連敗スタートで、これが負け続けの始まりだと素人の阪神の一ファンは思う。

スアレスが抜けた穴を埋められず、何度も繰り返す悪夢のような逆転負けを、これが「俺たちの野球」だとは誰も思わない。実績を挙げることに執念を持ち続け勝ち進む阪神を来年こそ、新岡田監督に期待している。
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Roczen94のYZ250

2022-10-14 08:58:21 | モータースポーツ
14日のMotocoss Actionネット誌に面白いバイクが投稿してあった。
「@kenroczen94 at @glenhelenraceway getting some practice laps in on his #yamaha YZ250 #twostroke」
 
今シーズンが終了し、今の時期、来期のトップ選手動向をネット記事は面白く書いているが、その中でもトップ記事が’22ホンダHRCのトップライダーだったドイツのKen Roczen選手の動向だ。今、モトクロスネット誌では、Ken Roczen選手と今期の契約者だったHRCが夫々に違った見解を発表しているので、相互に大きな意見の相違があることは分かったのだが、そんな事よりも、長年ホンダHRCのトップライダーだったKen Roczen選手の選んだバイクがヤマハのYZ2502ストロークマシンだった。15日に米国で開催される”Straight Rhythm”という2ストロークマシンオンリーのモトクロスレースに参戦すべく準備したバイクのようだ。いやはや番外編も巻き込んだ面白いレースになってきた。

ちなみにMotocoss Actionネット誌には「Currently signed up riders for the 125/150cc and 250cc classes are Ken Roczen, Aaron Plessinger, Justin Barcia, Marvin Musquin, Cooper Webb, Gared Steinke, Tyler Bowers, Josh Hansen, Robbie Wageman, Ivan Ramirez, Carson Brown, Ryan Morais, Casey Cochran, A.J. Catanzaro, Josh Varize, Derek Kelley and Dylan Woodcock.For more info go to www.redbull,com/straightrhythm 」と、”Straight Rhythm”には多くの著名な選手が参戦するとある。

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阪神、ファイナル進出

2022-10-11 06:19:14 | スポーツ
10日の阪神対DeNAの第3戦、阪神3:2DeNAで阪神がファイナル進出決定した。

じつに面白くかつ愉快な試合だった。
なにせ、阪神一点リードの九回の裏、DeNAは4番牧からの攻撃。八回の裏、3人目を打ち取った湯浅が9回も継続して投げた。粘りに粘った牧は湯浅の9投目をセコンド超えセンター前ヒット。テレビに大写しの牧の表情はすごかった。一気にDeNAベンチは盛り上がり、青一色の満員横浜から声援がテレビを通して聞えてくる。つぎの宮崎は三振に打ちとるも、ソトは四球で歩かせ、一二塁を俊足ランナーに交代。次打者大和に代わってオースティンがセンター前にヒットで、あわや同点かと思われたが、近本の好守備もあって、ランナーを三塁に抑える。やんやの喝采は横浜ベンチ。満塁で代打藤田。湯浅の一投目を打った藤田の打球はセコンドゴロ。ホームと一塁併殺のゲームセットで、阪神の勝ちや。イヤァ~久し振りに興奮した良い試合だった。阪神タイガーズ万歳!!

 
神戸地元出身の阪神の先発・才木投手は三回途中2失点でKOとなった。残念。ファイナルでの復帰を期待。


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