野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

女郎蜘蛛の卵

2020-10-30 06:14:21 | その他
朝、何時もの様に玄関を出て新聞受けから新聞を取って玄関に入ろうとすると、玄関の明り取りの箇所に、これまた女郎蜘蛛が一匹。その横に女郎蜘蛛の卵嚢らしき繭が蜘蛛の糸で固定されている。その横に女郎蜘蛛がビクッともせず。死んでいるのかと足の先端を少し触ると、生きている。やおら足を引っ込めた。
  
卵を守っている(?)女郎蜘蛛を見たのは初めての事なので、暫しそこに立って眺めていたが、一向に動こうとせず。気になって少し足の先端を再び少し突いてみたが、突かれた足を少し動かしただけ。蜘蛛は糸を張っていないので、枠に足をのっけている状態のまま動かず。卵を産んだ女郎蜘蛛の雌は死に,卵はこのまま冬を越して来春孵化するらしい。面白そうなので、玄関を出る度に根気よく観察することにしよう。こんな様子初めてにつき、関連するブログを探すと、こんなのがあった「ジョロウグモの産卵行動に及ぼす気温の影響
*追記10月31日:その後、卵を守っていた雌の女郎蜘蛛がいなくなった。死んだかと玄関入口付近をくまなく探したが、死骸は見当たらない。今日(31日)も探してみたが、見当たらず。

して、駐車場に網を張っている女郎蜘蛛はどうなっているのかと言うと、蜘蛛の糸にぐるぐる巻きにされた昆虫が少し増えているので、心もち図体が大きくなったような気がする。蜘蛛の糸は縦横無尽に張って増えている。
  「ガレージに網を張った女郎蜘蛛は変わらず元気」
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思い出した

2020-10-28 06:31:34 | 故郷
26日のNHK「ファミリーヒストリー」は、東京の漫才コンビ爆笑問題・田中裕二のルーツを取り上げていた。
終わりまで見ていたが、この番組、家系の関係者、関係するお寺や親せきを訪ね、かなり詳細に対象者のルーツを調べているので結構面白い。

して、今回の対象者田中裕二のルーツは、戦国時代の九州の雄、佐賀の龍造寺隆信の家来だったそうで、龍造寺が島津と闘って戦死したあと、龍造寺軍は離散敗走し、その家来たちの一部は牢人(牢人とは主家を去って(あるいは失い)俸禄を失った者をいう)となって、同じ九州の福岡・小郡に移住、その地で成功し、小郡の発展に大いに寄与したと解説があった。これを聞いてピクッときたのが、龍造寺が陣地を構えたり戦死した場所で、生まれ故郷の直ぐ近くだ。その場所には戦場跡供養塔が立ち、高校通学時には何時も見ていた。龍造寺軍は佐賀から島原半島の神代(こうじろ)に上陸して三会(みえ)に進出し沖田畷(ウィキペディア)にて戦ったのだが、その三会は私の故郷で、そして、沖田畷の戦いで 龍造寺隆信が本陣を置いたのが、三会城。三会城跡の高台は昔、通学した中学校の近くにあったのでよく覚えている。
   「中央上の三会小学校に通い、中学は龍造寺本陣跡の直ぐ近く、隆信が戦死した沖田畷は高校通学時の途中にあった。実家は三会郵便局から歩いて直ぐの場所」

沖田畷の戦いは、薩摩の島津家と佐賀の龍造寺家の戦いで実質、九州の覇権争い。
  沖田畷の戦い
龍造寺が薩摩の島津と九州の覇権を争い、島原半島の領有権を巡って戦ったのが天正12年(1584年)、龍造寺隆信は兵5万8000(2万5000の説あり)の大軍を率いて、当時の島原の城主有馬晴信と島津義久軍8000と島原の沖田畷(おきたなわて)で戦った。

「沖田畷の戦い」をウキペディア等で調べてみると、こう書いてある。
「天正九年(1581)、北進を目指す島津氏は肥後の相良氏を降し、肥後に勢力を伸ばしてきた。これをみた肥前島原領主の有馬晴信は龍造寺氏を離れ島津家に誼を通じた。これを知った隆信は、自ら三万の大軍を率いて島原に上陸、有馬氏の居城・日野江城を目指した。有馬晴信は島津家に援軍要請を出した。
晴信からの援軍要請を受けた島津家中では、地理不案内の島原への派遣に対し否定的な意見を出す家臣が多かった。しかし、島津義久は「古来、武士は義をもって第一とする。当家を慕って一命を預けてきたものをなんで見殺しに出来ようか。」といい、島原への派兵を決定。派遣軍の総大将には末弟で、島津家一の戦上手といわれた島津家久が選ばれ、脇将として島津忠長・新納忠元・伊集院忠棟・川上忠堅ら精鋭三千が有馬氏救援に派遣された。
●沖田畷の敗戦
 そして、天正十二年(1584)、島津・有馬連合軍六千の兵と龍造寺氏の大軍が、沖田畷で対峙した。沖田畷の地は大軍を展開することが困難な場所で、寡勢をもって龍造寺軍を迎え撃つのに絶好の地として家久が予定戦場とした地でもあった。 沖田畷付近で龍造寺軍の先鋒部隊が島津軍と遭遇、龍造寺軍は島津軍が小勢なのを侮り、物見も出さずに攻めかかった。策を秘めた島津軍は、たいした抵抗もせず、ずるずると後退し、勢いに乗った龍造寺軍は一気に攻め立てようと沖田畷の畦道をひた進んだ。 家久は龍造寺軍が十分射程に入ったのを確認すると、一斉に銃弾を撃ちんだ。思わぬ銃弾の飛来に龍造寺軍は先陣が崩れ、退却しようにも後続の軍が次々と続いてくるため身動きがとれず、狭い道の中で大混乱に陥いった。 龍造寺軍の混乱ぶりを見きわめて、島津軍は一斉に抜刀し、三方から龍造寺軍に攻めかかった。隆信は、進展を見せない合戦に苛立ち、自らが前線に立ち指揮を取ろうとした。この時、島津家久の家臣・川上忠堅の放った鉄砲弾が隆信に命中、龍造寺隆信は呆気無く五十六才の生涯を閉じた。一方、寡勢をもって、勢いにのる龍造寺氏の大軍を撃ち破り大将まで討ち取った、島津家久の作戦による大勝利であった。これで島津氏にとって九州制覇への道が 大きく開けたのである」
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芳香

2020-10-26 06:39:43 | 
晩秋、この季節になると、野々池周辺や近隣住宅から良い香りが漂ってくる。
例年だと、10月初めに満開となる金木犀の芳香が終わりになって、その1週間位経って初めて、家の玄関横の柊(ヒイラギ)の白い花から金木犀とは一味違う変わった芳香が漂ってくるが、今年は少し違う。金木犀の芳香全開と柊の花の咲き始めが同時に、その芳香が一緒に漂い始めた。柊の芳香は自然な香りで、どきつい金木犀の芳香より上品に感じるからすぐに分かる。金木犀の香りは辺り一面を覆い隠すように鋭い強烈な匂いがするのに比べ、柊はほのかな甘ったる香りがする。数年前、家の玄関脇と庭の中央に植えていた「バベ」の樹を根元から切ったので、今、家の中で一番目立つ植木は「柊」、家を建てて直ぐに植えたのでかなりの時間が経つが、同じ場所に植えて、毎年2回の剪定が大変だが、この香りがしだすとホット一安心だ。柊は樹一面に白い花が咲く。花の形は金木犀と同じ形に見えるも、柊は白色、金木犀はオレンジ、葉の形は違って柊の葉の周りは鋭い棘がある。だから、多分、柊も金木犀も同じ仲間なんだろうと思う。でも、あの柊の純白の花には何とも言えない清楚な美しさがあって、ほのかな香りとともに捨てがたい魅力でもある。
 
 
柊は棘があるので、古くから邪鬼を払うと近くの造園の親父に教えられたので玄関脇に植えることにした。
家を建てた後、満まるに剪定した植え木が欲しかったので、丁度良かった。大きくなり過ぎないように毎年2回剪定するが、それでも直径約2.5m、高さも3mを少し越した程度になっている。しかし、この柊、テントウムシに良く似たハ虫に食害され易い。春に新葉が出始める頃になると、葉の裏から幼虫が入り込み食害され、葉っぱを丸めて新芽を潰してしまう。食害された葉は枯れたり、食されたまま葉は成長しない。従って、春の幼虫の食害前に、スミチオンで葉の消毒を毎年欠かせない。

何時もなら、9月終わり頃から強い芳香がするので、花が咲き始めたと気付くが、今年は遅く、10月中旬に咲き始め、次第に辺り一面に芳香が漂い、今の時期、樹の根元部分に咲く花が元気を維持している程度で大方の花は散る寸前。満開を過ぎ、黄色の花弁が地面に落ちて一面黄色に染まり、22日から23日にかけての雨で、その花も風に吹き飛ばされ地面に落ちた。今年もあと2ヶ月とすこし、これから晩秋へと向かう。
 




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国産ジェット旅客機 空回り

2020-10-24 06:25:50 | その他
23日の朝、ビックリ記事が出た。三菱重工が国産ジェット旅客機の開発を事実上凍結すると報道されている。 
相次ぐ設計変更や生産トラブルにより、納期を6度延期し、報道によると、これまで1兆円を超える開発費を投じたとある(参考:国産旅客機、なんで今? 」によると、当初のMRJ開発費は約1800億円とある)。報道では型式認証取得にノウハウ不足も指摘され、ずっと迷走し続けていた。YS11に次ぐ、日本期待の旅客機だったが、なぜ失敗に終わったのか、コロナのせいにせず、これこそ、皆が期待する「失敗の本質」として纏めてもらいたいと思う。

23日の日経記事「三菱重工が国産ジェット凍結 開発遅れ、需要も低迷」によると、
「三菱重工業は国産初の小型ジェット旅客機の事業化を凍結する方向で最終調整に入った。これまで2021年度以降の初号機納入を目指していた。設計変更などによる度重なる納期延期に、新型コロナウイルスに伴う航空需要の低迷が重なり、収益化は当面難しいと判断した。新たな産業育成に向けた官民による国産旅客機の実現は遠のく。30日の中期経営計画の発表で方針を示す。三菱重工は08年、戦後初の国産旅客機「YS11」以来となる小型旅客機(旧MRJ)の事業化を決め、官民で開発に乗り出した。自動車と並ぶ裾野の広い航空機産業の育成につながると期待され、国も約500億円を支援した」
「だが相次ぐ設計変更や生産トラブルにより、納期を6度延期。これまで1兆円を超える開発費を投じたようだが収益につながらず、業績悪化の要因となっていた。追い打ちをかけたのが、コロナ禍だ。国内外の航空各社は利用者の大幅減で急速に業績が悪化。MSJの需要も当面、見込めない状況に陥った」とあった。利益を当面生まないMRJへの株主の目線は激しく、業績悪化の一因となっていた事業の凍結報道に、三菱の株価は上昇し、23日の株価は前日比+146(+6.56%)の2,370.0円となった。
   「日経」
思い出すが、MRJが初飛行したのは2015年の11月11日。
愛知県の小牧飛行場から飛び立ったのを、テレビとUSTREAMが実況報道した。しかもUSTREAMはかなり長い時間をかけて中継していたので暫く見とれていたを覚えている。

太平洋戦争に負け、航空機の開発が全面禁止された後、日本が開発生産した初めての旅客機はYS11だが、全面禁止の代償は大きく、それまでの産業の蓄積が消滅してしまった。数年間の禁止は、技術の面でも、生産設備の面でも、致命的な打撃になり、事実上、航空機産業の発展の芽は絶たれていた。戦後初の国産旅客機YS11は採算性等問題があったと聞いているが、しかしYS11の後、戦闘機、輸送機、練習機やヘリの開発経験を得た優秀な日本の航空機企業も、旅客機開発だけは経験がなく、ブラジルのエンブラエルやカナダのボンバルディアの後塵を浴びていた。やっと追いついた日本の航空機産業だと、5年前までは、三菱の英断を高く評価されていた。

航空機産業が果たす役割は途轍もなく大きく、現在、ボーイングやエンブラエル、ボンバルディアの下請けになっている日本の航空機産業は、三菱重工、川崎重工とも大きな収益を得たと決算報告されている。三菱の神戸造船所も潜水艦を除いて新造船の生産を止めて航空機部品生産を主とすると新聞にあったが、そのまた下請けへの波及効果を考えると、その経済的効果は大きいと予想されていた。だが、最終完成機組立企業こそ、航空機の定期点検・整備も含む技術や収益はとてつもなく大きいはずで、そういう点においても、三菱のMRJは日本の航空機産業を牽引するもので、自動車に次ぐ大プロジェクトとして日本産業の期待の星として報道も別格取扱いだった。

日本航空業界初めての国旅客機YS11には、現役の頃、それも若い時期に、たくさん乗る機会があった。九州へ帰省するに伊丹から家族と一緒に乗ったのもYS11。レース場に行くにも伊丹から各地へ飛んだ。しかし一番怖かったのもYS11。それも仙台空港。あの東北震災で一瞬に津波に呑まれた空港だ。海の直ぐ近くに隣接していたので、伊丹から乗って仙台空港にさしかかると、その上空で必ず機体が揺れる。怖かったのは、その上空で一時待機しながらエアーポケットに入った時の事。ガタガタと揺れたかと思うと、一瞬エアーポケットに入り、急に機体が降下する、心臓が上に持ち上がるような錯覚を受け、肛門が急に締まる。次に体がシート面から離れる。何処かを掴わねばとシート肘受けを待つ手が強くなる。これを数回繰り返しながら徐々に降下していく。着陸すると、隣りの席の人と顔を見合わせ、離れた席の仲間も同じ蒼白な顔でうなずく。もう二度と経験したくないと思うが、当時はこれしか便がなく乗らざるを得なかった。乱気流に遭遇しなければ、快適な空の旅なんだが、仙台空港上空のYS11には、そんな強烈な印象がある。 更に加えて不満を言えば、プロペラ機の宿命だろうが、YS11は特に騒音が煩かった。YS11がボーイングのジェット機に代り、それこそ雲泥の差があった。ジェット旅客機が格段に優れていた。その点でも、三菱のMRJには一度乗りたかった機種でもあるので、開発凍結は至極残念である。これも思い出しついでに、2016年頃、三菱は大型客船の設計変更による納期遅れや火災発生などのトラブルが相次ぎ業績悪化の原因となった時期があったが、何かおかしくないか?

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2020-10-23 06:18:33 | その他
FBのタイムラインに、10月に入ってから2日おきぐらいに”日経の広告”が投稿されている。
その後も複数回しつこく広告が投稿されると気になってくるもので開いてみた。
   
表題に「日経 広告:赤字の川崎重工、リストラ遅れが招いた資産効率悪化」とあった。
備忘録に残しておこうと、記事の一部を転載してみることにした。
そこには、
●川崎重工業がリストラ遅れのツケに直面している。2021年3月期はコロナ禍もあり、過去最悪となる300億円の営業赤字を見込む。見逃せないのは、重工3社のなかで最低水準に落ち込んだ資産効率の低下だ。
●株式市場は川重の今期業績を競合と比べても厳しくみている。連結経常損益の市場予想平均は約280億円の赤字を見込む。三菱重工業は127億円、IHIが60億円とそれぞれ黒字予想なのとは対照的だ。川重は主力の航空分野の不振に加え、セグメント別の営業損益が3期連続で赤字だった鉄道や、前期赤字だった船舶海洋といった事業が今期も足を引っ張る。
●同社はこうした事業のリストラが遅れている。ここ数年の目立つ事業撤退は15年の日立建機への建機事業の売却ぐらい。採算の悪いビジネスが残ったことで資産効率も低下した。工場などの設備をいかに売り上げに結びつけたのかを示す有形固定資産回転率をみると、20年3月期は3.4回と、リーマン・ショック前の08年3月期(5.8回)から悪化傾向が続く。売上高の伸びは9%にとどまったのに対し、有形固定資産は約85%増えた。
●同回転率を業界内で比べると、三菱重工とIHIはリーマン前では川重に見劣りしていたが、20年3月期はともに川重を上回る。IHIは16年に建機から、18年には海洋事業や小型原動機から撤退した。足元では国内シェアトップの立体駐車場や航空機エンジンに経営資源を集中する。三菱重工も水門事業や舶用エンジンなどを売却。発電設備や航空分野を伸ばしてきた。川重と競合2社の事業整理への取り組みの違いが、資産効率の差につながったといえそうだ。
●川重も事業の入れ替えを意識はしていた。「採算の改善が困難な事業は規模縮小や撤退も検討する」。14年に経営指標として税引き前利益を分子とする投下資本利益率(ROIC)を導入した際に掲げた方針だ。バイクや航空、鉄道など多岐にわたる事業を経営効率を管理するために採用し、当初は8%を下限とした。
   「日経」
●ところが19年3月期に主要6部門のうち航空宇宙と船舶海洋、鉄道車両のROICが下限を下回ると、同年5月に構造改革の基準としての使用をやめた。
●事業撤退といった抜本的なリストラから距離をとるならば、身近なところから成果を出すことが市場からの信頼回復に欠かせない。

本当かなと、証券会社が発行している記事を探してみると、10月15日の記事「川崎重工業が16年ぶり安値、決算警戒して手仕舞い売り(配信元:東洋経済」にはこうあった。
●川崎重工業が16年ぶり安値、決算警戒して手仕舞い売り。川崎重工業が続落して連日の年初来安値更新。
2004年2月以来およそ16年8カ月ぶりに安値をつけており、午後1時50分現在では前日比26円(2.0%)安の1304円で推移している。
●8月6日の第1四半期(20年4~6月期)決算発表の際に当社が公表した通期予想では営業損益が300億円の赤字(前期は620億6300万円の黒字)となっていた。しかし、その後も米ボーイングの減産が響いて航空機エンジンなどの売り上げが伸び悩み、船舶や鉄道車両、二輪車等も苦戦しているもよう。半導体製造向けロボットなどの伸びでは補えない公算が大きく、来2022年3月期以降の収益回復が遅れることへの懸念も押し目買いの手を鈍らせているようだ。
等々と書いてある。



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162km/h

2020-10-21 06:26:32 | スポーツ
FBでフォローしている「デイリースポーツ」のOnLine記事に「阪神・藤浪 球団最速162キロ!日本投手で大谷に続く快速 圧巻3者連続K斬り。7回、162キロの剛速球を投げ込む藤浪」とあった。
 「デイリースポーツ」
先日雨で流れた阪神:ヤクルト戦の代替が19日の月曜日、開催された。試合結果は「阪神1-1ヤクルト」で引分け。テレビ放送はなく、車のラジオ放送とパソコンをみながら試合の推移を見ていた。試合そのものは低調でヤクルト優位に展開していたが、阪神糸原の安打で1点返した。

そんな中、ビックリする数字が出た。7回から登板した阪神・藤浪が自己最速&球団最速を更新する162km/hを計測。しかもヤクルト中村、西浦、代打・松本友を3者連続空振り三振に仕留める圧巻の内容だった。このところの藤浪は途中登板が多いが、そのいずれも成功裏に終わっている。ときたま抜けるボールもあるし、フォアボールもだすが、結果はほぼ完ぺきに抑えている。あれだけ徹底的に叩かれた先発時の藤浪では既になく、長引く不振からの出口を見つけた気配が漂い、自信満々だ。
 
なにせ、敵地にあっても途中救援に藤浪が出ると球場がワーと一斉に盛り上がるのに、更に150㎞後半から160㎞に到達する球速に皆ビックリだ。これだけでも金になる選手だ。で、おなじ「デイリースポーツ」の別稿に、矢野監督が中継ぎで活躍する藤浪についてこう語ったとある「チームがどうやって先発投手を勝たしてくれているかとか、どんな思いで中継ぎの投手が臨んでいるのかとか。毎日ね、体が張っても投げないとダメな状況にいるんでね、そういうのが分かるというのはすべてにおいていいと思っているんで、いろんな経験はこれからに生きてくると思います」



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蜘蛛

2020-10-19 06:29:13 | その他
17日は終日雨、昼間の甲子園の試合(阪神:ヤクルト)は開始が一時間半遅れ予定なるも結局中止。今朝(18日)の朝の気温は今年一番の寒さで12.5度。2日程前から冬用の寝具に変えたが、それでも少し寒さを感じた。

玄関を開けると直ぐの駐車場の屋根と植木の間に網を張った女郎蜘蛛一匹。
新聞を取りに玄関ドアを開けると直ぐ目に付くので、この一週間、毎日、これ以上網を張らないように、蜘蛛の網の下方を手で切って邪魔していたが、次ぎの日見ると、元通りに網がある。これを毎日一週間続け、新聞取りに玄関をでる度に、網を壊した次の日も網は元通りに修復され中央に女郎蜘蛛がいる。今日みると、一週間前は本当に小さかったのが随分と大きくなり、また周りに雄の女郎蜘蛛と思しき蜘蛛が二匹網を張っていたので、当方も意地悪を止めて、そのままにしていたら、小さな蝶が網にかかりクルクル巻きになっていた。成虫になるのはまだ時間がかかりそうだが、その成長をみようと、今度は楽しみになってきた。
   
で、庭に出ると、これまた女郎蜘蛛が数匹、いずれもほぼほ同じ大きさだが、網を張っている。網の下方は何処に張っているのは直ぐわかるが、上方の網の根元はよくわからない。成虫に育ったら、木に這わせて戦わせようと目論んでいるがうまくいくだろうか。

野々池に上がると、この季節、女郎蜘蛛が網を張っているのをよく見かける。
その網に、小さな草や花の葉先で揺すると、女郎蜘蛛が直ぐに寄ってきて攻撃する。見ていると実に面白い。たいていの網には二匹の蜘蛛がいて、網の中央にいるのは雌だそうだが、腹部の模様や黄色と赤の色合いが鮮やかになっている。その図体の大きい雌の女郎蜘蛛の大きな巣をじっくり眺めると、巣の上方の隅っこに小さな蜘蛛が同居している。大きな女郎蜘蛛の1/4足らずの大きさで、それが女郎蜘蛛の雄、どう見ても居候。

この季節、家の周りには、色んな昆虫や鳥がやってくる。
やっかいなのはカメムシ、それも大きなカメムシが、窓に張りついている。朝、窓を開けようとすると、ポトンと落ちる。カメムシだ。匂いが付くと厄介なので、チリシでそっとつまんで外に出すが、そんな日が数日ある。加えて、あしながバチも窓カラスに張り付いている。これも慎重に外に放り出す。昨年末、フジバカマを全部取り払ったので、もう蝶々のアサギマダラを見ることは無くなったが、新聞紙上にアサギマダラの写真を見る度に、家の庭の片隅、こんな小さなエリアに植えたフジバカマ見つけてアサギマダラが飛来するのを摩訶不思議に感じてきた。今年はアサギマダラは来なくなったが、数匹の蝶々は何時も飛んでくる。鳥も、それも見たことが無いような鳥を庭でしばしば見ることがある。コゲラも時々来ていたが、最近は見ない。季節にもよるが、鶯、メジロは近くによく来る。アオサギ、コサギは近くの野々池周辺でよく見かけるし、カワセミも数年前に見た。野々池上空にはミサゴらしき鳥が空を舞い、カワウによく似た小さな鳥が野々池の水中へ盛んに潜り、そうそうセキレイも道路でよく見る。そろそろ大きなカメラを持った野鳥観察の人も近くに来る季節になったが、つい先日、近くの小学生が授業の一環だろうが、先生付き添いの集団で昆虫採取をしていた。そんな田舎に、今住んでいる。
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40年弱振りくらいに咲いた「まゆはけおもと」

2020-10-16 06:31:57 | 
  一階の出窓に置いている「まゆはけおもと」が咲き始めた。
九州の田舎から分けてもらって、彼此もう40年近くになるが、途中で何回か根分けし、知合いに配ったりしたが、元根はこのおもとからの分家。そのうちの残った2鉢を、今は一階の出窓に置いている。30数年以上前に根分けしたうちの一鉢を二階に、残り一鉢を一階の出窓に置いた。一階の出窓に置いた鉢は、何ら問題なく育ち毎年花をつける。他方、二階の置いた鉢はなかなかうまく育たなかった。二階の置き場所を数ヵ所変えて適所を探すも、直射日光を嫌い、温度管理も難しく、適温(多分)以上の室温を嫌い、ぐずると肉質の葉が次第に黄色くなってくる。更には庭の片隅に置いて再生を期待したが、そうもならず、その後、同じ一階の出窓に置き始めると、どうしたのか見るうちに葉は緑色を復活させた。一階に置いて5年、やっと花をつけた事になるので、大方40年弱振りに咲いた事になる。
   
下記写真は毎年咲いている「まゆはけおもと」だが、上の鉢も元はこの鉢から根分けしたもの。
   
下の写真の「まゆはけおもと」は、この場所・位置から変えずにいるが、毎年、この時期に白い花を咲かせる。一度たりとも施肥した覚えはないが、日当りや温度、水やりだけはきちんとすれば、ほぼこの状態を保ち、秋になると花芽がでて、長い時間をかけて花が咲く。白い刷毛状の花、先端の黄色も気に入っている。
   

   
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ウイスキーが、お好きでしょ

2020-10-14 06:11:49 | その他
13日の阪神:中日戦、せっかく大山が単独トップの26号2ランを打って先行したのに、中盤逆転され、気分が悪くなってNHKにチャンネルを回すと、石川さゆりとJUJUがこの歌を歌っていた。好きな曲なんで、良い歌だと思う。
    「Ishikawa Sayuri 石川さゆり - ウイスキーがお好きでしょ 」
 
かっての大昔、サントリー角瓶の宣伝によく流れていたのでよく知っているが、石川さゆりも歌っているとは知らなかった。角瓶のコマーシャルをみる度に旨そうなので飲んで楽しかった思い出がある。ウィスキーやブランディなどの洋酒は40年以上前の昔、若い頃は、たびたび飲んでいた。ロックにしたり、冬場には砂糖入りのお湯割りウィスキーにしたりで飲んだ事もあるが、その期間は短く、安い酒しか買えなかった事こともあるんだろうけど、洋酒の旨さ加減は良くわからずじまいだった。ワインも時々飲むが、我々みたいにワインの素人には、値段と旨さ加減は比例してしているように思えて、積極的にワインを飲むことはない。

結局、長い間飲み続けた日本酒や焼酎が最も体に合う。九州にいる時は殆ど日本酒で熊本滞在時焼酎を飲み始めた。
その後は日本酒をメインに飲み続けたが、酔い潰れた時の悪さ加減が日本酒はきつく、その点、焼酎はあっさりして良い。しかも体調や懐具合に応じて湯量加減を調整できるので、これでまた酔い。で、ここ数25年以上は、焼酎のお湯割りの焼酎少なめで飲み続けている。焼酎は値段と旨さ加減との差が非常に少なく、どこの銘柄でも米であろうが、麦、芋、ゴマ、四国の栗、旨さに差なし。でも、39度の焼酎はそのままを少し口にいれるときの とろ~っとした舌触りは素晴らしく、3~4倍に湯加減調整しても舌触りと旨さは変わらなかった。やっぱり焼酎が一番!

石川さゆりのウイスキーが、結局、焼酎が一番に変ったが、石川さゆりも熊本出身、いいじゃないですか。
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茗荷を掘りおこす

2020-10-12 09:33:06 | 
「庭の茗荷」
茎の根元から切ってそのままにしておいた茗荷を久し振りに掘りおこした。
3、4年も放置したままにしておくと、根がはびこってしまい、あらぬところにまで根が伸びビックリしてしまうので、一度整理しようと思った。加えて、女房が友人から茗荷の根が欲しいと頼まれたこともあって茗荷を全部掘り起こした。家の狭い庭に植えている茗荷だが、別に日当たりを要求するわけもなく日当たりが少し悪くとも、梅雨の雨を吸って良く育つ。梅雨時になると、何度でも収穫できる。スーパーで販売したものに比べると随分と小さいが味は遜色ない。シャキシャキ感と香味がなんとも言えず、夏場はよく食べてきた。一度整理して距離をとって植え直す。
    

  
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