野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

野々池貯水池の合歓の木

2019-06-28 06:18:45 | 野々池周辺
神戸新聞によると「気象庁は26日、近畿や中国地方などが梅雨入りしたとみられると発表した」とあった。近畿では平年(6月7日)より19日遅く、気象庁が統計を取り始めた1951年以降、最も遅い梅雨入りとなったともある。で、ここ神戸市西区も26日午後3時頃からポツポツと雨が降りだし、午后6時以降はかなり強く降ってきた。今後1週間は雨や曇りが続くとみられると言う。今日(27日)は朝から小雨、気温は24~25度近辺だが、窓を閉めているので部屋の中は蒸し暑い。雨は好きではないが、こうも来るものが来ないと不安になるもので、今年待望の梅雨入りにホッとしている。例年だと、梅雨は小1ヶ月程続くので、7月中旬まではしっかりと雨が降り続くのだろう。それはそうと、例年だと梅雨の雨の中に見てきた野々池貯水池の合歓木は、梅雨を待たずに時期が来たので先に咲いてしまった。
      
野々池貯水池を降りて黒星池にいく水路沿い(疎水沿い)にある、合歓の木が花を付けているのを、先日気が付いた。
背丈も3m弱とそんなに大きくもないが、野々池貯水池入口にある合歓の木の大木よりも先に、いつも先駆けて咲く。まだ、若い木のせいか、合歓の花も勢いがあり、咲きだすと一斉に咲き始めて遠目にも良く目立つ。咲き始めたばかしなのだろうか、化粧用の刷毛のような花の先端は縮れたままのもある。
 
       
野々池の「ねむの木」は大小2本あり、一本は大木で背丈が優に17m強、それも毎年剪定の刈り込みするのでそれ以上にはならないのだが、その大木が昨年(2018年)8月の台風20号の強風で幹の途中から二ヵ所が折れた。折れた大木の前後にチェンソーで切断したこともあり、なかなか枝を伸ばせずにいたが、それがやっと枝を伸ばし始めたものの、まだ花芽を付けるまでには至っていない。
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新しく購入したバラ

2019-06-26 06:16:45 | 
いやはや、もう6月25日と言うのに梅雨入りの声は全く聞こえず、むしろ北方面の空には入道雲が出てきた。
今日(25日)も良く晴れて空は青空に、外気温は27~28度近辺なので少し暑めに感じるも、ほんのりと風が吹いて過ごし易い。

今年5月、平野の明幸園で購入したバラ二種。ともに蔓バラの類だが、店先の鉢から庭に移植すると、直ぐに芽を伸ばし花も咲き始めた。
何れの花の大きさは大輪のバラの約1/3程の小振りだが、色合いが良い。
 「ピエール・ドゥ・ロンサール」
 「フォースオブジュライ」
数年前までは、10数本の種類の大輪のバラを庭に植えていたが、それを整理して、今は一本だけ残している、
バラ「ローズデキャトルヴァン」は、変わらず二番花を咲かし続けている。甘酸っぱい良い香りで、一番花と遜色ない程に大型の花弁を咲かす。
  「ローズデキャトルヴァン」
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 島原鉄道

2019-06-24 06:18:52 | 故郷
6月22日のFB”Nagasaki365”に投稿してあった、「島鉄に乗る」の写真。
 
博多駅から特急かもめで1時間半少々、島原鉄道の起点諫早駅に到着する。改札口を出て、左端隅っこのホームにひっそりと島原鉄道線に黄色いディーゼルカーが乗客を待っている。JR長崎本線諫早駅から島原半島の中心地区島原まで走る島原鉄道で、半島の有明海沿いに走る私鉄の単線。諫早から島原に向かう道中、左手に有明海の遠浅がすぐ目の前に見え、右手が田んぼや畑。上の写真は、海岸沿いの駅で、こんな駅風景が諫早駅から島原まで続く。ホームの後ろに広がる遠浅の有明海は、日によって違う表情を見せて楽しく、開放的なこのホームでしばらく海を眺めるのも良し。
例えば、下記写真は島原鉄道HPにある大三東(おおみさき)駅。この駅は、生家のある三会(みえ)駅から諫早方面の二つ前の駅で、急行が停車するので神戸に帰る際は、この駅まで車(約15分程)送って貰う。この大三東駅は写真家愛好の場所になっているらしい。
   大三東駅

島鉄の車体ボディは黄色だが、車体の横に描かているのは「島原の子守歌」。爽快に走る鉄道ではなく、ガタゴトと車体を揺らしながらゆっくりと走り、ディーゼル車らしく音も賑やかで、半島の経済力を表現しているようにも見える、のんびりとした観光列車だ。黄色の車体色に変わる前、我々が知っているのは、赤色の線があったような記憶があるが、今、復古版で昔の赤色の車体カラーが登場したとあった。島原駅のまた一つ手前が三会(みえ)駅で、三会と島原間は約4㎞。実家は三会駅から諫早方面に海沿いに歩いて約15分弱の距離で有明海のすぐそばにある。島原高校への通学は毎日雨が降っても自転車通学だったので、当時のディーゼルカーには乗ったことはない。
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半夏生

2019-06-22 06:50:24 | 
梅雨時になると、雨がしとしと降る中に白い葉っぱがくっきりと浮かぶ、庭の「半夏生」が咲き始めた。
ところが、近畿地方は今だ梅雨入り宣言がなされていないので、このところ毎日晴天が続き、葉の先端が白く変色しても今一つ目立たない。
それでも、この中途半端に白い葉っぱは目を引き、この白い葉っぱを見ると「不思議な花もあるもんだ」と何時も思う。
  
  
「半夏生」、象の鼻のように垂れ下がっているのが花で、花の付け根の白い葉が花弁の役割を果たすらしい。花に虫を誘うために葉を白く進化させたのではないかと言われている。季節限定の、その葉の白い部分は花が咲き終わった夏の盛りに少しずつ色褪せて緑色に戻る。役割を終えたということなんだろう。白い葉にはちゃんと理由があった。
       
半夏生は夏至から数えて11日目頃だから、今年(2019年)は7月2日となる。
ウィキペディアによると、「農家にとっては大事な節目の日で、この日までに「畑仕事を終える」「水稲の田植えを終える」目安で、この日から5日間は休みとする地方もある。この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりした。なお、七夕にも農作業を休むとする伝承が多くの地域に伝わる」とある。で、近くの殆どの田んぼも水が入り田植えはほぼ終了した。半夏生の日はまだ先だが、庭の「半夏生」は既に葉っぱが白く変色し、梅雨を夏を待つばかり。
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二番花

2019-06-21 06:14:12 | 
 
数年前までは、10数本の種類の大輪のバラを庭に植えていたが、それを整理して、今は一本だけ残している。
他の花を植えるために残こしたバラ「ローズデキャトルヴァン」は、濃赤色の特徴的な花形をした大輪の花で、切れ込みが入り、多くの層からなって、甘酸っぱい良い香りがする。その「ローズデキャトルヴァン」は今、一番花が過ぎ、二番花が10個ほど咲いている。二番花と言っても、一番花と遜色ない程に大型の花弁は、芳香も素晴らしい。
   
大型のバラと言えば、今年5月、近くの園芸店明幸園で久しぶりに蔓バラ二種を購入してきた。バラは一番花が咲き終わるころが安く購入できる。その蔓バラも鉢から庭に移植すると、あれよあれよと枝を伸ばし始めた。また、花が終わった「ツクシイバラ」も実をつけたまま枝が縦横に伸び始めた。「ツクシイバラ」は原生種なので、ほっとくと著しく伸びてしまうので早めに選定が必要。
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豊後梅の梅酒を作ってみた

2019-06-19 06:10:06 | その他
 
女房の友達が自宅の梅を収穫したのでと、持ってきた。
黄色の梅で、聞くと豊後梅だと言う。黄赤色からオレンジ色になっているが、実は固い。
梅酒にしても良いし、シロップを作っても良いと聞いたが、今回は梅酒にしてみた。
    

数年前までは、毎年、梅酒や花梨酒を付けていたが、ここ数年止めていた。それまでは、南高梅の青梅が出ると直ぐに近くの生協で青梅を仕入れ、35度の焼酎に付けていた。氷砂糖の量を加減しながら、甘さを調整していたが、今度の豊後梅の梅酒は500gの氷砂糖とした。
 

ところで、豊後梅なるものを知らなかったので聞くと、豊後梅は寒さに強く、北は北海道から南は九州まで幅広く生産されているとのこと。特徴は、酸味が少なく杏子に近い品種だそうで、ならばと2、3個を口に入れてみると、小さな杏子に食感はよく似ているが甘さは殆ど感じなく、一方青梅にみられる特有の酸味は全くない。女房の友達は信州出身なので、この豊後梅を良く食べていたらしく、果肉が厚いので”カリカリ梅”はこの豊後梅から作るんだそうで、そういえば”カリカリ梅”も貰っていた。
 
ちなみに、豊後梅のシロップの作り方メモを一緒に貰ったので備忘録に残しておこう:
「炊飯器で作るやり方」
1.洗ってヘタをとった梅1㎏に対し、氷砂糖かグラニュー糖500grを炊飯器に入れ、「保温」を押す。
2.「保温」を押して4時間位したら時々様子を見ながら、5時間位すると、シロップができ、梅も柔らかくなり(爪楊枝で梅を刺して加減をみる)、飲んだり食べられる。



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勝つのは難しいもんだな、阪神

2019-06-17 07:58:54 | スポーツ
先週の対オリックス戦、パリーグ最下位オリックスを3連勝で片付けたらセリーグトップも手中に入ると思ってTV観戦した。何故なら、あの最強ソフトバンクと好勝負をした阪神の戦力なら、最下位のオリックスは何とでもなると安易に予想していた。
それがなんと、初戦、藤川が打たれ逆転負け。それでもまだ2戦を取ればと期待した2戦目も逆転負け。昨日の3戦目は5-0の負けかと悲観し、一時テレビから離れた。暫くして再度チャンネルを合わせると、阪神が5点差を追いつき、引き分けに持ち込んだ。5点を追う7回、ここまでノーヒット投球を続けていた田嶋から先頭の糸原が中前打、4番・大山の適時二塁打などで反撃の3点。9回は2死一、二塁で代打・福留があわやホームランかと思わせる2点二塁打を放ち、追いつき5-5だ。それいけと期待するも延長12回引き分け、結局、この勝負、1引分け2負となった。首位広島とのゲーム差は3、4位とは4ゲーム差に縮まった。
  「阪神タイガーズHP」
それにして悔やまれるのは第2戦目だ。
この試合、好投岩田の5回1失点の粘投が実らなかったのだ。最終回、ドリスの拙守が敗因。あれだけ、粘りに粘って好投する岩田が手にしたはずだった2勝目がするりと抜けた。2-1の1点差の9回裏、ドリスはバント処理を過ち一塁へ悪送球し、その後、オリックス1死二、三塁で、吉田選手に中前同点打を打たれ、ロメロにサヨナラ打を浴び2-3で負けた。2試合連続の逆転負けだ。パ・リーグ最下位のオリックス相手にまさかの連敗。なってこっちゃ!
   「9回の裏、ドリスのバント処理の不味さで阪神の逆転負け」

もう何度とドリスのバント処理にがっかりした事か。昨年の悪夢を思い出すのだ。昨年の交流戦明けの6月末、広島戦でのこと。当ブログにこう記録している。『なんとか同点に追いついたのも束の間、9回表、ドリスのバンド処理失敗、結果はその回に5点も入って「阪神6-11広島」の惨敗。広島の打者堂林は「ドリスがバント処理できないのは頭に入ってた」と報道に書いてある。堂林が三塁前にゴロを転がし、慌てたドリスが一塁に悪送球。この光景はかって見たこともある悪夢の再現だ。ドリスがバント処理をして1塁に送球する際、嫌な予感がしたがまさか予想通りになるとは、しかも満塁ホームランのおまけつき。で、阪神はセリーグ単独最下位に転落した』と。1点差の9回、抑えのドリスがでて、一塁にランナーが出塁にすると、相手チームは必ずバントの指示を出す。こうなると、最悪だ。もたもたとしたドリスが頭をよぎり、その予感通りにドリスはバント処理に失敗し同点にされ、気落ちしたドリスは逆転安打されるという最悪のパターンだ。
  
しかし一方、昨日の3戦目も同様なシーンがあったが、なぜ、シーズン最初からこういう連係プレーを指示しなかったのだろうか。その場面とは、ドリスが登場した場面でオリックスはバント指示。もたもたのドリスを横目に、猛然と一塁から駆け込んだ大山がドリスの代わりにバント処理し3塁に送球、ランナーアウト。これは実に見事なプレーだった。ドリスがバント処理が超下手くそとは昨年からわかっていることだから、一塁若しくは3塁手にバント処理をさせたらいいのだ。昨日、やっと実現した。これで負ける要因が少し減ってくれたらいいのだが。

それはそうと、岩田投手は阪神の中でも好きな投手で、良い時はめちゃ良いが、打たれてもめげずに一生懸命投げる姿はなにか悲壮感がいつも漂っている雰囲気がある。残念ながら、今回の2戦目も勝利目の前でするりと勝ちが落ちでしまったが、頑張れ岩田!

今年の阪神の株主総会も終わって、阪神タイガーズへの苦情や采配批判は出なかったと報道にあった。
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KX125 モトクロッサー

2019-06-15 06:23:29 | モータースポーツ

  「Motocross Action:Ricky Carmichael’s 1997 SplitFire Pro Circuit KX125.」

つい先日(6月11日)、アメリカモトクロス専門ネット誌「Motocross Action」が、1993年から2001年までのPRO CIRCUIT KAWASAKIのKX125特集
TWO-STROKE TUESDAY | THE SPLITFIRE PRO CIRCUIT TEAM 1993-2001を組んでいた。懐かしくなって、暫らく読んでみた。

「Pro Circuitは1991年、プロモトクロスレースに参戦し、当時、Jeremy McGrath選手を擁して1991年、1992年とホンダにチャンピオンをもたらした。しかし、ホンダとの交渉が破たんし、1993年以降はカワサキと契約してカワサキマシンでプロモトクロスに参戦し続け、多くのチャンピオンをカワサキにもたらした」とある。

一方、「PRO CIRCUIT KAWASAKI」の活躍はカワサキの「KAWASKI DIRT CHRONICLES」に詳しく記載されている。下表に示すように、カワサキ車で多くのチャンピオンを獲得することで、KX125のマシン性能を遺憾なく発揮させ、その優秀性を証明してくれた、カワサキモトクロスビジネスにとっても最大の功労者の一人だ。
 
    「緑色はプロサーキットカワサキの勝者:KAWASKI DIRT CHRONICLES」

「KAWASKI DIRT CHRONICLES」の章の一部に、プロサーキットの会社をこう説明している、「チームの母体となっているプロサーキットは、ロサンゼルス郊外のコロナにあるエンジン&サスペンションチューナーだ。2ストマシンが全盛だった頃は、特にチャンバーが高い評価を得ていて、アフターマーケットの大きなシェアを占めていた。'91年にホンダ系チームとして本格的なレース活動を開始した後、'93年からはカワサキの専属チームになったが、プロサーキットのショップでは今でも全メーカーのチューニングを手がけている。 ペイトン社長は、チャンバー作りの全工程に携わってきた職人だ。輪切りのコーンパイプでテストを重ね、モナカのスタンプパイプが完成するまで、自身が蓄積したノウハウで突き進む。エキゾーストの仕様が決まった後は、シリンダーのポート削りに没頭する。こうして2ストチューナーとしての名声を築いたプロサーキットだ。」
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鈴鹿8耐、こんな時代もあった。

2019-06-14 06:20:48 | モータースポーツ
今年、2019年の鈴鹿8耐事前合同テストが6月3日から公開されている。
メディアが投稿する各チームの動きやタイムを見ながら、鈴鹿8耐といえば、こんな時代もあったな~と思い出した。
「’97年鈴鹿8耐 カワサキ・ストップ・ボート:花は桜、男は川崎」
いまでは想像すら出来ないが、こんな時代も確かにあった。'97年カワサキワークス8耐チームは3チームを出走させ、武石選手と梁選手が組んだ「ラッキーストライクカワサキ#2」がカワサキ勢最高位の3位となった。有名なアメリカの煙草メーカー「ラッキーストライク」のスポンサーを再び得て、カワサキワークス3チームの内2組を「ラッキーストライクカワサキ」で出走させた。「花は桜、男は川崎」のストップボードは当時の「カワサキレーシングチーム#7」の物で、カワサキロードレースが華々しく戦っていた時代だが、「男は川崎」と言っても、「ラッキーストライクカワサキ」の外人モデルがチームに花を添えた。当時、「ラッキーストライク」はカワサキとスズキをスポンサードしていたが、大広の担当者曰く、「カワサキさんに良い方のモデルを持ってきた」なんだそうだ。確かに群を抜いて目立っていた。当時のB&W(ラッキーストライクの販売元)の東京本社には何度も訪問した。当時の責任者から、彼らが思い描くカワサキブランドのイメージと何故彼らがカワサキをスポンサードするか等を教えてもらった。当初、カワサキワークスは「ラッキーストライクカワサキ」の2チームを出走させる予定だったが、数年来スポンサーロゴカラーばかりのカワサキに、やっぱりカワサキはライムグリーンだよねの一声で、急遽、「カワサキレーシングチーム」を結成し、カワサキワークスは3台のワークスマシンを出走させた。

’93年、カワサキが8耐に初めて優勝した、その年の初頭からカワサキのロードレースチームの技術部隊をも総括する立場で、レース現場から引退したのが’97年、その5年間、常に8耐表彰台を獲得し続けた。それ以前までは、カワサキワークスにとって8耐表彰台は随分と遠かったが、これを機に8耐の相手を常勝ホンダに焦点をあわせた時代へとなっていく。当時、日本の各二輪企業は、鈴鹿8耐の過酷なサバイバルレースを生き残る作戦上、2~4台の複数のワークスチームを構成し出走させていたので、出走総数70台のうちワークスチームは計2~3台だけの昨今の8耐と違って、計10チーム以上のワークスチームが参戦ししのぎを削る中、常に表彰台を確保できたのはひとえにチーム員のお陰だ。

8耐と言えば、6年前の2013年6月12日、こんなブログを書いていた。
「KAZEvol.84」 
「「KAZE」vol.84に掲載された、鈴鹿8耐特集の写真の一部を紹介したい。鈴鹿8耐はスプリントレースとほぼ同等ラップタイムで8時間走り切る競争だが、燃料タンク容量の制限もあって、給油のために6~7回のピットインを要する。ピットイン、アウト前後のロス時間(とはいっても数10秒だが)と交換直後のタイヤは本来の性能を発揮しないので、給油時の周回タイムが若干遅くなる。それらも考慮しながら、8時間をミスなく誰よりも早くゴールしたチームが勝ち。勝つためには、ライダーの組合せは最も大事な要素だが、世界のトップライダー同士の組合せが必ずしも勝てるものではなく、組織の団結とチームワークを最も必要とする。とにかくミスせず、どのチームより速い周回タイムで、給油前後のタイムロスも少なく、8時間走行するには、優れた組織とマネージメントを作り上げることが大事。そうは言っても、梅雨が明け、連日35度を超す炎天下、生き物のようなタイヤ消耗を考慮しながら走るのは、テレビで観戦するとは大きく異なり、そう簡単な事では決してなかった。レース現場を支えるソフト部隊の活躍も重要で、ライダーの疲労回復や何時から雨が降る可能性があるかなど「ウェザーレポート」がない時代に他チームより早く情報を得る方法等、やるべきことは一杯あった。 日本の二輪企業はそれぞれ精鋭化した複数チーム作り上げて戦うので、各チームとも極度な緊張状態になる。

まさにサバイバル戦、だから、各企業のワークスチームは一台でも生き残らせるために、複数台のワークスチームを参戦させる必要があった。’97年8耐時、カワサキは3チームが参戦した。 話は変るが、面白いもので、チームにスポンサーがつかないと実力がないからだと嘆き、スポンサーが付いたらついたで、やっぱりカワサキはライムグリーンだよと言うのが上席の独り言。だから、スポンサーがついてもスポンサーに相談しながらライムグリーンを何処に入れるかを苦心した。で、’97年は、メインスポンサー「ラッキーストライクカワサキ」を2台設定し、3台目をライムグリーンの「kawasaki racing team」とした。ところが、3チームを組織化し8耐に参戦するのはいいが、ロードレースチームにはそれを充足するメカニックも技術員もいない。そこで、同じ組織内にあったモトクロス部隊から大挙して応援することになる。(当時某社は3~4チームほどを参戦させていたが、事務屋まで8耐のピットクルーに借り出したと直接聞いたことがある)」

                
 「#1(クラッファ+柳川)、#2(武石+梁)、#7(ライマー+ボンテンピ)」・・「花は桜、男は川崎」・・「ラッキーストライクカワサキキャンペーンギャル」

   
 
 (上左)#2チームのライダー交代:ストップボードを持ち、周辺整理を指示するメカニック長の和田修さん。(上右)武石から梁にライダー交代しGo指示の和田さん (下)#1チームのライダー交代:給油担当の三浦さん、前輪タイヤ交換担当の戎さん、後輪担当の今田さん、ボード担当の柳川さん、三浦さんの後方にMSの音頭さん、雨合羽はMXから応援の吉田さん(と思う)

             
  (左)#1チーム給油作業中の三浦さん  (右)予想周回等の計算は電装の川村さん

 
  左端は走行直前のT・ライマーに注意説明の荒木さん、その後方にMX土橋さんとKazeギャルを挟んでMX田澤さん(現チームグリーンMX監督)

      
  (左)最終走行中の#2 梁選手、           (右)手を合わせる相棒の武石選手とメカニック、後方脚立上は画面注視の安井さん

            
  #2チーム:ゴール時ピットの藤田さん、黒川さん等   (右)表彰台の「ラッキーストライクカワサキ」の3人

       
 (左)打ち上げ時のビール掛け:「ラッキーストライクチーム」監督の高田さん、中央後方に「kawasaki racing team」監督のMX土橋さん、右端にMXの土肥さんの顔 (右)武石選手と梁選手を祝福する私


 
 ★戦況を見つめる現場指揮官の安井さん
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庭、初夏の花

2019-06-12 06:11:29 | 
庭に咲いている花で紫陽花の類は先日投稿したので、今回は、梅雨に入る前の庭の花を撮ってみた。
殆どが鉢植えだが、直植えしているラベンダーは蕾が付き始め、微かに匂ってきた。
今週、昨日、今日(11日)と晴れてはいるが寒気が下りてきたので少し肌寒く、日中22~23度の範囲。
 
 
 
 
 
 
 
 

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