野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

納得、次期戦闘機

2020-07-31 06:20:33 | その他
7月29日の日経記事「次期戦闘機、日本主導に 政府、国内1社と単独契約へ」とあった。
「防衛省は2035年に配備予定の次期戦闘機の開発で日本企業1社と単独契約する方式を採用する。月内にも公表する。1社が設計や開発・製造の全体を統括し、共同開発に参加する日米の企業と調整する。試作機を除けば自衛隊の戦闘機では異例の契約方式で、日本企業の開発・製造能力の向上につながる」として「次期戦闘機は35年ごろに退役を始める「F2」の後継で、21年度予算に開発費を計上して24年度に試作機をつくる。艦船や地上への攻撃、空中戦の全てに対応しレーダーで探知しにくいステルス性も備える。90機程度を製造し、調達までの事業規模は5兆円超になる」。 現航空自衛隊の最新鋭機F35は米国製だが、基幹部分の技術は非開示で、日本側は改修も自由にできないとある。そして、戦闘システムは米国側の都合で更新され、日本側には「運用の自由度が低い」「日本の防衛産業に技術が蓄積されない」との不満があるらしいとも書いてあった。
     「7月29日、日経」 
ミサイルが飛び交うと推定される次世代型戦争でも、局地戦は戦闘機同士の戦いになると推定されるが、その戦闘機の基幹部分技術が非開示、日本側は改修も自由にできないとなると日本の防衛戦略思想は米国次第となり、しかも戦闘システムは米国側の都合で更新されるとなれば、空自が持つべき戦闘機本来の機能は多いに制約される恐れがある、と思う。だから、日本の航空部隊の最前線が日本独自の戦略と技術を持ちたいとするのは理解できるし納得できる。日中もし戦わばの想定での議論の中に、国家の存亡を賭けた戦いになれば核戦力を持たない日本はあっという間に負けるが、尖閣諸島の沖合だけで展開される局地戦なら日本が勝つ可能性があるとあった。その局地戦を局地のみに終了させるには、敵より優れた戦力を持つしか方法はないとある。敵に勝るに足る戦力は戦争回避のためにも絶対に必要だと思うし、結局、「敵に攻撃を断念させるには、日本にも一定の攻撃能力があることを認識させなければならない」と言うのは、まさに正論だと思う。

現代の防空能力での戦闘機はステルス性を持つ「第5世代戦闘機」が主流で、その代表で最強戦闘機は米軍のF22で、各国はF22を保有する事を希望していたが、米国が国外に出す事を拒否したので、それに変わるF35が現代西欧諸国国防の主力戦闘機になっている。ステルス戦闘機の戦闘能力の凄さは、米国がアラスカで行った模擬空中戦で、世界最強のステルス戦闘機F22の1機で米国空軍の主力戦闘機F15等の戦闘機144機を撃墜し、F22は一機も撃ち落されなかったという。また、空自のF15とF4は07年、沖縄県周辺で行われた米空軍の最新鋭ステルス機F22との戦闘訓練で、相手を発見する前に攻撃され完敗し、空自幹部は「大人と赤ん坊ほどの違いだった」と評価したと、かなり前の記事にあったのを読んだことがある。日本での、ステルス機能をもつ日本の実験機、国産初のステルス機”X-2”「心神」が報道に公開されたのは2016年。X-2は「第5世代戦闘機」と呼ばれる現在のステルス機の上を行く、「第6世代戦闘機」のカウンターステルス機の礎にすることを目指していると、当時の報道にあった。

国産戦闘機の開発の是非については色んな意見が報道されており、国産化は無駄とする意見もあるが、「失敗の本質」と言う本に、技術には兵器体系というハードウェアのみならず、組織が蓄積した知識・技能等のソフトウェアの体系の構築が必要と指摘している。組織の知識・技能は、軍事組織でいえば、組織が蓄積してきた戦闘に関するノウハウと言っても良い。そして、組織としての行動は個人間の相互作用から生まれてくるとある。だから、戦争の最重要技術とノウハウは、潜水艦もしかり、やはり国内に独自蓄積されるべきものと思う。

昔、岐阜にある実験航空隊の飛行場で、F104や当時世界最強でベトナム戦争にも投入されたF4Eがタッチ&ゴーを繰返している光景を真下で何度も見た。F4EJが離陸後アフターバーナーを点火し空中を突き進んで飛んでいく様は、ドォウーン言うすごい音とともに腹にまともに響いてきた。実際の戦闘機をまじかに見ると、この戦闘機が日本の空を防衛し、他国からの侵犯を防いでいるという実感を肌で感じ取ること出来る。ちょうど、海外で日章旗をみて安心できる心情に良く似ており、とにかく誇りに思えてくるから不思議だ。新聞に日本の戦闘機のスクランブル発進回数が公表されており、その回数も無視できぬ程多い。現実の世界は、強い国のみが強い発言力を持ち、且つ自国を防衛できる世界なんだと思わざるを得ない。とかく外交ヘタの日本と言われているが、世界有数の軍備機能があるからこそ諸外国も日本を無視できず、無言の交渉力となっていると思う。
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庭のカノコユリ、2020

2020-07-29 06:17:00 | 
やっと梅雨明けが見えるようになってきた。今日(28日)の朝一番は雲で、次第に晴れてくるも早朝から相も変わらず蝉が煩い。
予報では、今週末には梅雨明けの兆しで晴れの日、30度の超えの日が続くとある。例年7月末の8耐前後(今年はコロナ禍で11月に延期の予定)に咲く、庭のカノコユリが今年は7月23日には咲いた。夏の庭は如何にも愛想無しだが、このカノコユリと真っ赤なモジアオイが咲くと庭が華やかに騒ぐ。そのカノコユリだが、花の咲く茎も5本になって花の数も増え、この一帯が明るい。それにしてもカノコユリの姿はスターの如く、どの位置からも、どんな安物のデジカメでも、それらしく凛々しく華やかな写真に撮れる。
    
    
野々池の土手に咲いているオニユリを三本ほど切って、家の花瓶に生けた。
花瓶につけてもう一週間になるが、採取時、小さく黄色かった蕾が次第に大きくなって茶色の蕾になり花に変身。採取時からの花は一日で花粉が全部飛ん無くなったので、何処に飛んだか辺りも見るもそれらしき黒い粉はなし。こげ茶色の花粉のないおしべはそのままに、一週間もすると花弁が小さく縮み落ちてくる。花弁が一個一個と散り始めるが、それでも、花瓶を置いた玄関附近は明るいオニユリの花で結構目だち華やぐ。
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「高齢者講習」なるを受けてきた

2020-07-27 06:24:24 | 日常生活
自動車免許更新の「高齢者講習」を初めて受けてきた。
「高齢者講習のお知らせ」のはがきが来たのは4月の初め。受講できる期間は4月14日~10月14日までとある。「高齢者講習」はなかなか予約が取れないと聞いていたので、講習実施教習所の、近くの教習所に即電話すると、何れもコロナの影響で講習は中止もしくは受付していないとの回答。これには非常に困った。再び、書いてある教習所の数ヵ所に電話を掛けると、ある教習所は実施中との回答を得るも、自動車では行けない場所。何れも、コロナが収まり自動車教習が開始される迄は高齢者講習の計画はないとの回答に困った。ま~1か月後に電話してくれとのことだったので、5月18日に電話確認すると、5月31日から自動車教習が可能となったとの事で、早速受講申し込みをすると、今日、7月26日に受講できることになった。場所は明石・大久保の「コベルコ教習所」、この場所は良く知っているので、家から21号線を下って約15分。

「コベルコ教習所」に行くと、高齢者講習の専用駐車場があり、今回は9名が受講。
入口に入ると、直ぐに手を消毒し、検温、36.7度だったので少し高いと言われ、別の箇所を測定するとOKとのこと。予め決まった席に、前から交互に座る。2時間の講習に1~6番と7番~9番は交互にメニューに従って講習を受ける。2番目だったので、最初の1時間は座学と適性検査。「いつまでも安全運転を続けるために」と「高齢者の交通安全」いう2冊の教本が配られ、その一部の教習を受けた。交差点での注意事項や高齢者が起こし易い事故例の教習を受けた。目からうろこが落ちた感があったのは、「キープレフトを守れ、左側に二輪車が入らぬように路肩から1mぐらいに詰めろ」と指導を受けた。座学の後、適性検査の視力検査を受けた。Cの空いている方向にレバーを押して視力を測る機械方式。左眼が1.5、右目1.2だったが、両眼で測ると、今度は0.4。なんでと思ったが、レバーを押し間違えたようだ。それで、医院によくある壁掲示式の視力検査を受けて、両眼で1.2となった。検査官の記入している視力値を聞いていると、0.4とか0.3と言っているのを結構聞こえてきたが、レバーを倒し間違うと、視力値が違ってくるようだ。その後、実機運転と称して、「コベルコ教習所」内を運転する。教習官の見本運転後、運転を変わる。一番目の受講者が小柄な女性だったこともあるのが、ハンドルの位置から直す羽目に。狭い教習所に日頃の車と違うので勝手がわからず少し戸惑いながら、運転実習の一部に「段差乗り上げ」なる運転をやれと言う。この意味が全く理解できず。アクセルを調整しながら段差を乗り上げる。乗り上げ方が悪かったのか、もうすこし前へと注意を受けた。見ていると、多少の罰点があったのかもしれないが、運転後は何の指摘もなし。その後、なんやかんやの受講を2時間受けて解放された。「高齢者講習修了証明書」なるを貰って、受講料5、100円。

で、本物の免許更新は、明石の免許更新センターに行って、更新料2、500円必要とのこと。「高齢者講習修了証明書」を持参すれば、免許更新センターでの講習が省けるので免許更新時間は短くなるらしい。高齢者になると、免許更新に7、600円かかることになるが、・・・疲れた。
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夏野菜

2020-07-25 06:28:28 | 日常生活
長い長い梅雨もまだ明けない。
それでも、梅雨の合間の晴れた日に、狭い庭の端に植えている夏野菜を収穫してみると、結構な大きさに成長している。ゴーヤが食べれるほどに成長し、二本だけある茄子も食べれるまでになった。茄子は二本しかないが、実は沢山なるので、これで充分。また、茗荷が梅雨の雨を吸ってかよく育つ。茗荷のシャキシャキ感が何とも言えず好きなのでよく食べるが、種類が違うのだろうか、なぜだか店で販売しているような大きさにはならない。それでも味やシャキシャキ感は劣らずあるので旨い。
  

それにしても、昨日(24日)の午後9時過ぎ、突然の豪雨にビックリ。暫くすると、神戸・明石に大雨警報発令。天気図を見ると明石上空は赤色一色。この豪雨は10分ぐらい続いたが、これが半日も続いたのが九州かと思うと恐ろしくなった。今朝(25日)もまだ大雨警報が続いている。
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庭のモミジアオイ、2020

2020-07-24 06:40:45 | 
今年のモミジアオイの一番花は7月22日の朝だった。朝から良く晴れ昼間の気温は31度だったが、午後6時過ぎからポツポツと雨が降り出す。
そろそろ梅雨明けを期待するも、梅雨はまだ続く。23日の朝は、昨日から一変し、少々寒さを感じる。予報では昨日より2、3度気温は低下し28,29度の見込みとある。例年だと、モミジアオイが咲くのは7月末から8月にかけてだから、今年は咲くのが早い。数か所に芽を出したモミジアオイは、例年だと、蕾が大きくなる頃、幼虫が中に入り込んで蕾を落としたり、葉を丸めて枯らしてしまう被害にあうが、今年はその兆候がないので、そのままにしておいたけど無事に花が咲いた。朝咲いてその日の夕方にはしぼんでしまう一日花だが、蕾が多くつくのでシーズン中は休みなく次々に咲く。雨が降らないので、朝から蝉の声が止むことなく煩く響く。蝉が鳴き、モミジアオイの花が咲くと、一気に盛夏突入の季節を感じる。
   
                     
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米焼酎「三女神笙之舞」を呑んでみた

2020-07-22 06:29:52 | 日常生活
  貰い物の焼酎、広島産米焼酎「 三女神笙之舞 」を呑んでみた。広島で唯一知っている三次の酒蔵産とある。
「三女神笙之舞」とは何と読むのか知らないまま、広島も米焼酎を作っているのかと思いながら飲んでみた。熊本人吉の球磨焼酎を買ってよく飲んだので米焼酎の味は良く知っているつもりだが、この広島産の米焼酎「三女神笙之舞」を呑んだ印象は非常によくできていると思う。25度なので、球磨焼酎と同じ割合でレンジでチーンして呑んでみた。「 三女神笙之舞 」は球磨焼酎と同じ度数なら旨さに格段の差は感ずることはなく、これが500㏄3500円かと、値段を聞き、一瞬、高いな~とビックリ。飲み始めて数日、日頃に飲む焼酎と左程の差も感ぜずと思っていたが、毎日飲み続けること数日、おや~何か違うぞと感じ始める。それは、口当りと焼酎を口に含んだ際の舌触りが非常に滑らかなのだ。「口当たりも艶があり、大変なめらか ほろ酔い気分になる」とは、その通りの感触だと思う。球磨焼酎も年度物は口当たり滑らかく旨さがあるが、「 三女神笙之舞 」の口当たりの良さと滑らさは優れモノで、その点は秀逸の米焼酎だと思う。されど、この高額焼酎を自分で買って飲むかと言えば、球磨焼酎に比して値が高すぎる。

酒は少量だが毎日飲む。
かっての昔から米焼酎を飲んできたが、神戸周辺では芋や麦焼酎がメインで、中々米焼酎は手に入らず、ましてや米焼酎の本場「球磨焼酎」など、この辺の店頭では見た事がない。九州の鹿児島、宮崎、大分の焼酎はどこでも手に入るが、焼酎の旨さ加減は慣れ親しんだ米焼酎が個人的には一番だと思っているので、近場で買えない以上、その旨さを説明のしようもなく勿体ない、と何時も思いながらも、球磨焼酎を貰った時の嬉しさは格別だった。球磨焼酎のなかで、「繊月」は最も好きな焼酎の一つである。昔は馬刺しを一斤買い求め、焼酎のツマミにして飲んだ。実家のあった島原で専ら飲んだのは日本酒で焼酎は全く飲まなかった記憶があるので、焼酎は熊本で暮らしてから飲んだことになる。

今でこそ焼酎の匂いを飲みやすく調整しているのだろうが、その昔の焼酎は臭かった。
しかし、焼酎を飲み始めてかなりの年数経つと、焼酎独特の匂いなど全く感じ無くなる。家族は相変わらず鼻をつまむが、私には全く匂わない。ましてや、香りを楽しむと言って、焼酎をお湯で割る際の手順など無頓着といってよい。専ら、お湯割りにするが、水を加え電子レンジでチーンすれば即出来上がる。お湯の量加減は体調や懐具合で決まる。程良い甘さを出したいときは、お湯の量を増やせばよいのだが、やっぱり焼酎の量が多めに調整してしまう。で、この「三女神笙之舞」を呑んでいると、傍に来た女房が言うに、臭いと、しかし、私には一向に臭さを感じることはなく、旨い。

米焼酎以外の焼酎も良く飲んだが、鹿児島の芋焼酎、宮崎のそば焼酎、長崎・壱岐の麦焼酎、大分の麦、四国の栗焼酎やゴマ焼酎等々である。
40年物の焼酎は流石に旨かった。鹿児島の「魔王」、「森伊蔵」、「百年の孤独」もよく飲んだ。昔、森伊蔵が欲しくて蔵元電話注文の抽選に何度もトライしたが当選せずで、森伊蔵と魔王の一升瓶はとても入手困難。だけど、あるところにはあるもので、そこから入手して数本飲んだ経験があるので、どんな味かは知っている積り。魔王も数本飲んだ。確かに、「魔王」、「森伊蔵」の口当たりの良さは絶品物で、いずれも、最初の飲み味が上品ですっきりした飲み口で、非常に滑らかな舌触りだった。だけど、最初の一杯だけは確かに他の焼酎にはない上品さはあったが、数杯目以降の飲み進むにつれて味に鈍感になり、酔いがすこしでも回ると、最初にあった感覚など忘れ、どれも一緒になってくる。私個人的には、要するに飲み味の違い等の能書きを言えるほど舌は肥えていないし焼酎の味などよくわからんと言うのが本音で、飲み続ければどれも同等で差が無くなくなり旨いのだ。

思い出しついでに、球磨28蔵の一つ「繊月酒造」の銘酒”無言”と言う、幻の焼酎貰って飲んだ際の時の印象を当ブログに書いたことがある。非常に美味い焼酎だったので、気分良く飲めた印象を書いた記憶がある。”無言”は通常販売はしていないらしく、人吉の蔵元に直接行って買ってきたとのこと。じっくり飲もうと思ったが一家揃ったので食卓に並べてみた。皆でワイン、そば焼酎、ビールを飲んでいたが、傍にあるとどうしても飲みたくなってしまい、封を切った。”無言”には2個「チョク」がついていたので、「チョク」に直接注いで飲んだ。兎にも角にも「繊月酒造の無言」・・これは素晴らしかった。
アルコール度40度。この程度のアルコール度になると色は琥珀色。「チョク」に注いで一杯舐めてみたが、甘い。アルコール度の強い洋酒(ウイスキー)もそうだが色具合は良く似て琥珀色だが、"無言”の方が独特の甘さと香りがある。舐めた印象を個人的主観で言えば、洋酒より口に含んだときに棘が少なく、まろやかで深みがある。「チョク」から口に入れる際の香りもこれまた素晴らしい。説明書きにはこう解説してあった。
「10年以上の年月を費やして丁寧に造るものなので、あまり一般流通はしておらず、
 繊月酒造の焼酎蔵にお越しになった方にお分けするという商品ですので、わざわざ遠方から来られる方や、
 全国からのお問合せもとても多い逸品です。ちなみに、「無言」の名前の由来は、「一口味わうと、その余韻の素晴らしさに”無言”になる」と
 いうほど馥郁たる香りと、口に広がる丸みを帯びたまろやかさから名付けられました。」・・・・なるほどと素直に納得。
 
球磨焼酎用の「チョク」。日本酒用の杯に比べれば本当に小さくてほんの一口分しか入らないサイズ。この大きさ、この独特のサイズが、焼酎の旨さを引き立ててくれるらしい。焼酎はもともとアルコール度が相当強いので、日本酒用の猪口で飲むと我々酒に弱い者にとってはぶっ倒れてしまう。だからこのサイズがちょうど良い。強いアルコールのもつ独特の強さを感ぜず、おいしく飲める。だが、球磨地方には、独特の焼酎の飲み方があって、この「チョク」でさしつさされつ、何処で打ち切るのか判らず「チョク」の返杯を繰り替えし飲み続けていると、結局酔いつぶれれしまう。いくら小さいからと言って飲む量は変わらないのではあまり意味がない、と思う。球磨焼酎には「チョク」と対で「ガラ」がある。ともに有田焼の白色陶器が好まれ、有田でこれを焼くのは球磨地方向けだと言う。ちなみに、「チョク」は焼酎を薄めず飲むためのものらしい。だから40度をそのままに飲む。

実は、広島産米焼酎「 三女神笙之舞 」を呑む前に、これも貰い物の宮崎の芋焼酎「喜六」の一升瓶を飲んでいた。これも上手かったが、久し振りに旨い焼酎を立て続けに呑めたので焼酎談義を書いた。楽しい!
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野々池のオニユリ、2020

2020-07-20 06:23:24 | 野々池周辺
ここ数日、雨が降らず曇りか晴れの日が続き、今日(19日)は朝から蝉の声が煩く鳴いている。
野々池貯水池で桜の樹に沢山の蝉を見るも朝から煩く鳴くのを聞くのは久し振りだ。梅雨の終わりに近づいた知らせかもしれない。数日、晴れても気温は28度近辺、時折野々池から涼しい風が部屋にくる。雨が降りつづいたので吊るさず買ったままの新品の簾を窓に付けた。

野々池貯水池の「オニユリ」が一斉に咲いた。
近くに見える範囲の「オニユリ」の花の数が減ってきたので、どうしたんだろうと思っていたが、違う場所に広がっている。写真に撮ろうと、「オニユリ」の近くに寄っていくと、木の陰に隠れて咲いている「オニユリ」をたくさん見た。「オニユリ」を見つける度に、むかごを取っては周辺にばらまいてきたが、ひょっとしたら、それが次第に育っているのかもしれない。
 
 
 
橙赤色の花びらは外側にくるりと反りかえり、暗褐色の斑点が特徴的なオニユリの花、茎の上半部には腺毛があって、葉の脇に黒紫色のムカゴを作る。花粉は赤褐色で衣類などにつくと、なかなか落ちず、昨日も、写真を撮ろうと近くに寄って、帰って気付くがズボンに赤茶けた花粉が目立ち、洗濯する羽目となった。まだ閉じている花弁に指を突っ込んで中の花粉を集めて、別の堅い葉の中に閉じ込め2~3日発酵させ、これを指先につけると、マニュキュアみたいに爪が紅く染まる。この遊びを子供時代に興じていたとは女房の昔話。
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RICKY CARMICHAEL’S 1998 SPLITFIRE KX125

2020-07-18 06:24:19 | 二輪事業
 7月16日の米国専門ネット誌”Motocross Action”がMXA RETRO TEST: WE RIDE RICKY CARMICHAEL’S 1998 SPLITFIRE KX125を投稿している。これは米国モトクロス史上最高選手と評されるRICKY CARMICHAEL選手が、カワサキのKX125でチャンピオンを獲得し続けた時代の車を、今の専門誌専属ライダーが評価した記事であるが、読むとなかなか面白い。暫らくしげしげとCARMICHAELのKX125マシンを眺めていたが、このKX125のデザインはよく出来て秀逸ものだと改めて感じた。人それぞれ感じ方や思いは違うので、誤解されるかもしれぬが、今の時期に市場に出しても多くの愛好家が振り向くと思う、そんな優れたデザインのモトクロスマシンだと実感した。当時のモトクロスマシンは2サイクルエンジンが圧倒的に主流で、外装のプラステックデザインも極力小さくかつ滑らかにと、変なアクセントを付けずかつライダーの動きを邪魔しないで、それでいてカワサキ最先端の戦闘マシンで有ることがデザイナーに要求された。後部ゼッケンも極力小さくしたかったが、規則があるので小さくできず、これとバランスをどうとるのかデザイナーの腕次第。
    「Motocross Action」

一方、 RICKY CARMICHAELが所属したカワサキの「PRO CIRCUIT KAWASAKI」の活躍はカワサキの「KAWASKI DIRT CHRONICLES(現在、消去されているらしく、探せない)」に詳しく記載されていた。下表に示すように、カワサキ車で多くのチャンピオンを獲得することで、KX125のマシン性能を遺憾なく発揮させ、その優秀性を証明してくれた、カワサキモトクロスビジネスにとっても最大の功労マシンだ。
 
    「緑色はプロサーキットカワサキの勝者:KAWASKI DIRT CHRONICLES」
加えて、「KAWASKI DIRT CHRONICLES」の章の一部に、プロサーキット「PRO CIRCUIT KAWASAKI」の会社をこう説明していた、「チームの母体となっているプロサーキットは、ロサンゼルス郊外のコロナにあるエンジン&サスペンションチューナーだ。2ストマシンが全盛だった頃は、特にチャンバーが高い評価を得ていて、アフターマーケットの大きなシェアを占めていた。'91年にホンダ系チームとして本格的なレース活動を開始した後、'93年からはカワサキの専属チームになったが、プロサーキットのショップでは今でも全メーカーのチューニングを手がけている。 ペイトン社長は、チャンバー作りの全工程に携わってきた職人だ。輪切りのコーンパイプでテストを重ね、モナカのスタンプパイプが完成するまで、自身が蓄積したノウハウで突き進む。エキゾーストの仕様が決まった後は、シリンダーのポート削りに没頭する。こうして2ストチューナーとしての名声を築いたプロサーキットだ。」

もう22、23年前の事だが、懐かしい!
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「Flying Carpet Gallery」が撮影場所となった

2020-07-17 06:15:14 | その他
娘達が経営している神戸垂水のペルシャ絨毯とギャッベ、中近東商品の販売店「Flying Carpet Gallery」が撮影場所になったと、「Flying Carpet Gallery」のHPにあった。HPの内容をそのまま書くと「先日、神戸を代表する、ベリーダンス トライバルダンサー のMayu Katoさんが出演されているonline show “FLAVORS” が開催されました。世界各国のダンサーの方々をonline で見れる贅沢な時間⭐️ その中、なんと、Mayu Katoさんが撮影所に、Flying Carpet Gallery を選んで頂き、当店の二階で撮影しました🥳 撮影中は緊張感もある中、Mayuさんの素敵さにただただうっとり見惚れるばかり。Mayuさんの演出の一部になれて、とても嬉しいばかり」とある。
  
  「撮影場所、「Flying Carpet Galleryの2階ショールーム」
世界各国のベリーダンス・ダンサーが出演した「Flavors // Online Show」なるYOUTUBEを始めて見たが、今迄、堅物の二輪や四輪のレースを見続けていた諸氏にとって、初めて見る「くねくね踊り」はいささか調子が狂ってくるが、興味ある人はどうぞ。延々と1時間超続くが、日本の「Mayu Kato」さんは3分55秒あたりから出演される。


 「神戸、垂水のFlying Carpet Gallery」
「Flying Carpet Gallery」は神戸・垂水の、場所は、JRの快速と私鉄山陽電車の特急が停車する垂水駅から国道2号線海沿い徒歩5分の距離にあり、兵庫県有数の集客施設マリンピア神戸(高級ブランド品を取り扱う有名な商業施設で観光施設でもある)は徒歩3分の距離にあるので、マリンピアを目指すと簡単に行ける。ペルシャ絨毯はかっての昔、高額で手の出しようもなくただ眺めるだけだったが、最近は安価になって愛好者も多いと聞いた。また、ギャッベは羊の毛100%で織られ、化学染料を一切使わずに草木から取った100%天然染料の自然素材とかで、アレルギーや敏感肌の子供にとって最適のようで、しかも冬は暖かく、夏は涼しいと言う。値段も手ごろでデザインも品数も豊富なギャッベが注目され、まとめ買いされる愛好者が多くなって、年中引き合いがあると聞く。
    「Flying Carpet Gallery」
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少々うんざり

2020-07-15 06:17:39 | 日常生活
今年の梅雨、長過ぎて少々うんざりしている。
先日、気象庁予報官の話をテレビで聞いていると「こんなに長く居座り続ける梅雨前線は記憶にない」と言っていた。振り返ってみても、頭の記憶に残っているのは、毎日毎日雨が降り続き、しかも日本のどこかで集中豪雨の被害がでているような気がする。関西も、今日(14日)の午前中は大雨の予報だ。今後の見通しについて、NHKは「今週いっぱいは梅雨前線の停滞が続き、今後も局地的な大雨がおこるおそれがある」と説明したのを聞いたが、皮膚感覚では、一週間どころか、当面、雨は降り続くような気がする。一番の心配は九州で、予報官も「九州をはじめとした西日本では夜にかけて前線が近づくので、夜間に突如として大雨になるおそれがある。これまでの大雨で、少しの雨でも災害が起こる可能性があり、警戒が必要だ」と述べた。各地で起きている豪雨は、過去に経験したことがないほど凄まじいものだが、その猛烈な雨量をもたらしているのが「線状降水帯」だと説明があった。この梅雨前線は、遠く中国まで延び、長江流域に大水害を生じさせていると、幾つかの報道にあるので、今年の梅雨前線は世界的に大きな被害をもたらしていることになる
  「気象庁、14日、午前10時20分、明石近辺の雨雲」
  「14日の朝、庭に置いた野菜用の雨水溜め大型バケツは3日程前に満杯となって、ここ数日は毎日溢れる」

例年なら、10日前後に太平洋高気圧が大陸の高気圧と拮抗しながら北に勢力を延ばし、前線は南北に動きながら梅雨明けに向かう。ちょうど、この時期、鈴鹿8耐の2週間前、各チームは現地鈴鹿テストに邁進する時期に当たるが、梅雨が明け、梅雨明けのなまった体には、毎日、30度を超す温度が疲れを倍増させ堪えた。しかし、一方、この暑さの中で、上手にタイヤとサスペンションセッティングを決めたチームが本番を優位に戦う事ができるので、梅雨明けの酷暑は重要な時間だった。

こんな梅雨の真っ盛り、パソコンを打ちながら庭を見ると、野々池の土手にオニユリの蕾が見えた。数年前に比べると、野々池の土手に咲くオニユリの個数はかなり減ったが、その代り、一か所にかたまって咲いていたオニユリが数ヵ所に分散している。たぶん、「むかご」が散らばったのだろう。
下記の写真は8年ほど前の、野々池土手のオニユリ、こんなに咲いたらいいのにと最近、思う。
 「数年前の野々池の土手にオニユリ」
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