野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

庭の花

2011-04-30 08:39:27 | 
庭の花を撮った。
4月中旬~末までの花だが、もうすでに散ったしまったのも多い。






















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咲いた咲いた桜がさいた(続編)

2011-04-29 08:53:31 | 野々池周辺
「咲いた咲いた桜がさいた」の続編である。
前回撮影時の25日、満開になっていなかった山桜は27日に満開となったが、生憎、薄曇りの天気で夕暮れ時から雨、
しかも強い風が吹いた。これでは、折角咲いた山桜が散ってしまう。
雨が止んだ隙に、急いで写真を撮った。
   
<前回報告、25日>


   <満開、27日午後、薄曇り>
    (後方の白色が山桜、左側は八重桜、中央の赤色は花水木)




   <一日開けの28日>
(前日夜半、雨、しかも強風)>





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あけび

2011-04-27 08:55:46 | 草木

(上の写真はウィキペディア)

散歩から帰ってきた家族が、「林崎疏水沿いに、アケビの花がさいているよ」と言ったので、早速見に行った。
疏水沿いにアケビが群生していることは知っていたが、花を見たのは初めてだ。

女房の故郷は熊本の人吉なので、小さい時にアケビは良く食べていたと聞かされていたが、
私はアケビなるものを知らなかったし、勿論見たこともない。
数年前に、家族が疏水のアケビの開いた果実(キュウイを更に小さくしたぐらい)を取ってきたので、
どのように実がなっているのか興味があり、秋になるとアケビの近くを歩いていたが、春の花には気が付かずにいた。
実に可憐な花だ。

これも数年前、ガソリン給油後たまたま立ち寄ったスーパーにアケビを売っていたので、生まれて初めて食べてみた。
大きい実の割には、食するところは少なくゼリー状の中で種ばかりがやけに多かった。
値段の割に今一つという印象だった。
種を庭に吹き出していたら、芽が出て1mほどのつるが伸びてきたがいつの間にか無くなった。

ウィキペディアによると、生薬としても使用されるようで、
「アケビまたはミツバアケビのつる性の茎は木通(もくつう)という生薬である(日本薬局方に記載の定義による)。
木通は利尿作用、抗炎症作用、通乳作用などがあり、竜胆瀉肝湯(りゅうたんしゃかんとう)、
当帰四逆加呉茱萸生姜湯(とうきしぎゃくかごしゅゆしょうきょうとう)などの漢方方剤に使われる」とある。

またひとつ勉強した。


 
 
 
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咲いた咲いた桜がさいた

2011-04-26 17:12:51 | 野々池周辺
野々池の外周沿いには、たくさんの木が植えてある。
その殆どは夾竹桃(キョーチクトウ)で、次に多いのがツバキ。

そんなに多くはないが桜の木もある。
沢池小方向の降り口に2本のしだれ桜、林崎掘割渠記碑近傍にある5本の八重桜と山桜、何れも幹も大きく見事な花がさく。
野々池の桜は、ソメイヨシノが最初にさいて、次がしだれ桜、その次が八重桜で最後に山桜がさく。
しだれ桜の周りが整備されたので、しだれ桜の見事さが尚更際立つようになり、撮影や昼食を取る人も多くなった。

桜は散り際が美しい花とか、武士の散り際に似るとかいうが、そうとばかりは思えないな。
ただただ豪華な花だろう。
例えば、うす暗くした部屋の中、灯をともした金屏風の前に置いたしだれ桜は夢心地だし、普賢象で埋め尽くせば豪華絢爛となる。

   
(野々池のしだれ桜ー4月19日撮影)・・・黄色の花はレンギョー
    
    
    
    (京都二寧坂のしだれ桜―4月2日清水寺訪問時撮影)
      二寧坂道沿いに一本だけあるので目立った。野々池のしだれ桜とは種類が少し違うようだ。
      二寧坂のそれは白みをおび、野々池のは赤みがかっている。
    
    (林崎掘割渠記碑近傍の八重桜、糸括かなー4月25日撮影)
    
    


(明南高から沢池小、沢池幼稚園に至る桜並木)
  
明南高側から見る(4月19日撮影)

野々池側から見る(4月17日撮影)


   
(別の場所にある別品種の八重桜、普賢象かなー4月25日撮影)


 
   

    

    

    
 
  
(普賢象の近くにあるウコン桜ー4月25日撮影)



 
(林崎掘割渠記碑近傍にある山桜ー4月25日撮影・・まだ満開ではないが)
    
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「島の言い伝え、命救った」

2011-04-24 19:11:51 | その他
今日の時事通信に、下記記事が掲載されていた。
「島の言い伝え、命救った」=1142年前の大津波-石碑建て継承・宮城

両岸から大津波が押し寄せ、島の中央でぶつかった。日本三景「松島」の東端にある宮城県東松島市の宮戸島。
平安時代の869年(貞観11年)に東北地方太平洋岸で起きた大地震「貞観地震」をめぐり、島民の間にはこんな言い伝えが残されている。ぶつかったとされる場所(標高約10メートル)には石碑が建っており、そこより下は危険とされていた。東日本大震災で約1000人の島民は石碑より高台にある市立宮戸小学校などに一斉に避難。津波は浜辺の集落の大半をのみこんだが、石碑の手前でとどまり、犠牲者は数人にとどまった。「先人の言い伝えが命を救った」。近くに住む観音寺住職の渡辺照悟さん(80)はしみじみと語った。複数の島民によると、貞観地震では津波で多くの人が命を落としたとみられ、言い伝えは島民の間に浸透。大きな地震が起きると高台に逃げる習慣が身に付いていた。
 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011042300025

現役時、平成13年頃だと思うが、製品の品質改善啓蒙活動の一環として、よく使用させてもらった資料に、畑村洋太郎(元東大教授)の「失敗学のすすめ」という本がある。この本のポイントの一つに「過去の失敗こそがナレッジの宝庫」であると指摘されており、その事例の一つが「三陸海岸の津波石碑」である。
  
「失敗学のすすめ」に記載されている写真


その津波教訓は本当に生かされているのか、当時は、疑問が無かったと言えば嘘になるが、DNAとして本当に伝承されているものだと改めて思い知った。「失敗学のすすめ」の中には、2種類の失敗分類があり、「良い失敗」=細心の注意を払っても防ぎようのない失敗、つまり学ぶ価値のある失敗。 もう一つは、「悪い失敗」=注意を払えば防止できた失敗、学び得ることのない失敗だそうだ。良い失敗の好例として、米国のタコマ橋の崩壊事故(記録映像を見ると本当にびっくりするぐらい吊り橋が揺れて最後に崩壊)で、この原因は当時人類が知り得なかった「自励振動」、のちに大型吊橋の設計を可能にしたものである。これ以外にもコメット機の空中爆発が金属疲労学を発展させた好例として記載されている。


最も経済的なエネルギーとされた原発は、福島は、どのような失敗として議論され且つ落ち着き、後世に評価伝承されるのだろうか。
興味深く注視したい。加えて言えば、東電の原発事故は想定外の地震強度と津波の発生によるとされる報道がなされている。

この事例に良く似た事象に、製品の品質不具合は想定外の要因だった事によると説明する報告をたまに見かけたが、これ等、ユーザーの製品使用環境の調査不足であったり、先人の経験や知識を素直に聞くという生真面目さ不足等が真の要因ではなかったろうか。
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「掘割祭」

2011-04-22 19:00:13 | 野々池周辺

西明石駅から桜並木の「上ケ池公園」そして近くの「みどりの相談所」を通過し、綺麗に整備された「西明石緑道」を通りながら「明南高校」のグランドを右手にみて、
これも素晴らしい桜のアーケード下を通って、「沢池小」「沢池幼稚園」を右手に見ながら徒歩約30分で野々池貯水池の下にくると、今の時期、綺麗に咲く二本のしだれ桜が迎えてくれる。
このしだれ桜を見とれながら暫し休憩、野々池外周路を左にう回し歩くこと約10分弱ぐらいで「林崎掘割渠記碑」に到着する。
西明石駅から約40分の距離だから、西明石に用事がある場合は、極力このルートを逆に歩くことになる。

この4月18日午前10時半ごろから、「掘割祭」が開催されていたので見学した。
例年は、近くの5本の大きな八重桜が満開になっているのだが、今年は、まだポツポツだった。
祭では約300人が参列し、明石掘割土地改良区が祭主を務め、林神社の宮司が祭事を執り行った。
当時の掘割の工事にかかわった村人の子孫ら関係者が順に玉ぐしをささげたあと、今年は明石市和坂小学校の児童の代表男女2名が祭文を読んだ。
明石ケーブルテレビの撮影も行われていた。

少し飛躍した話ではあるが、最近、先達たちの苦労が歪曲されたり自虐的になった話を見聞きしている中で、小学生が毎年参列し祭文を読むことは、
先達たちが苦労して成し遂げた歴史の正しい理解のために欠くことのできないものだろうと感心して祭りを見学した。

堀割疏水には毎年ホタルが飛んでいたが、昨年の疏水工事のあと見かけなくなった。今年は飛んでくれるだろうか。
阪神淡路大震災時、西区も断水となり非常に困ったが、近くの「鳥羽上水場」は上水を解放してくれたし、掘割疏水を流れる上澄み水を汲んではトイレの水に利用させてもらった。
今年も、ウグイスが鳴いている。

石碑に刻まれた碑文内容は苔が生え解読できないが、説明文には下記が記載してある。

明石市指定文化財
「林崎掘割渠記碑」
 一、明暦三年(1657)、旱魃で苦しんでいた林崎地方の村(和坂・鳥羽・林・東松
   江・西松江・藤江)が 相談し明石川の上流から野々池まで掘割をつくり、灌漑
   用の水を確保した。
 一、天文四年(1739)十二月、この掘割工事の経緯を長く後世に伝えるため、
   撰文を明石藩の儒学者梁田蛻巌に書を田原荷龍に依頼し碑を建立した。
 一、毎年四月十八日、この碑の前で、「掘割祭」が行われ、地元の水利関係者、
   小学生児童が参加し、先人たちの偉業をたたえている。

参加者は小学生も入れて約300名

   インタビュー

   石碑近傍の掘割疏水

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LaRocco and Kiedrowski in a 1994 Kawasaki

2011-04-22 10:09:54 | モータースポーツ

    :Racer X 「This Week in Kawasaki SX History,1994」

1994 KawasakiMXライダーの写真である。
KMC(米国カワサキ販売会社)の宣伝用写真であるが、M.LaRocco やM.Kiedrowski は良く知っているので、懐かしかった。
KMCは素晴らしい広告媒体をいつも提供したので楽しかったな。
以前にも、Brad.Lackey や J.Penton が他社ジャージを脱ぎ捨ててカワサキのMXジャージを着用した広告があったが、
これも素晴らしかった。
J.PentonはカワサキKDX175で活躍した選手だ。
また、写真を探してみよう。
思い帰すと、ライムグリーンのMXジャケットを着て欲しかったライダーは、Bob.Hanah と Ricky.Johsonだった。

ところで、AMA SXは残り2戦、Ryan.Villopotoはチャンピンになれるかな。
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野々池周辺散策

2011-04-20 19:00:02 | 野々池周辺


定期的に健康診断している中で、血液検査のほとんどの項目は適正値中央付近にあるが、唯一総コレステロール値のみが適正値上限にあった。ある大学教授によると、総コレステロール値は高い方が長生きする事例があるとの報告もあったので、上限値はむしろ良いのだと、それまでは思っていた。ところが、昨年の検査では、総コレステロール値が中央値になった。それまで、上限値に近いので良しとしていたのが、どのように解釈するのか困った。

リタイアしてから2年目だが、健康上において特に問題はない。
体重も65kgから約4kg低下し毎日朝晩計測している血圧値もすこぶる安定している。なにが変わったのかな。

現役当時からの変更は、唯一明石の野々池周辺を可能な限り早足でウォーキングしている事ぐらいである。野々池貯水池は外周路と内周路があり、いつも歩く外周路の一番外端は一周約2.7kmぐらいだと思う。ここ2周に加え、直ぐ近くに整備されている亀池や黒星池を合わせて歩くと約8,000歩ぐらいになる。これを目標歩数としてウォーキングしている。それに柔軟体操や腕立て伏せ目標60回とすると大略2時間のコースで自宅に帰る。

しかし、毎日歩くことを心掛けてはいるものの、何だかんだと理由をつけてサボる。雨が降ったら外に出ないし、ましてや大リーグやゴルフ中継があるとサボる。ドイツ気象庁が発表している放射能の拡散情報もサボる要因ではあるが、これは今のところサボるための大きな要因にはなっていない。

野々池貯水池を管理している明石市役所の水道部には大いに感謝している。
毎年定期的に実施してくれる草の刈り込みや植木の選定を欠かさず、散策するのには非常に良い環境に設定してある。近くの明南高や野々中の運動部の生徒も良くランニングしているが、顔を合わせると必ず挨拶してくれる。
これ等が健康維持の宝だとを思うと感謝、感謝。

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