20日、喪中の葉書が郵送されてきた。
なんと、かって品証の鬼とよばれた4研の「鬼の松正」が今年の8月、86才で亡くなったとの連絡だった。まさに、奇人中の奇人。現役時代、モトクロスやロードレースには奇人変人が少なからずいたが、彼らも足元に及ばないほどの奇人変人で、むしろ鬼才と言うほうが正しいと、個人的には今もそう思っている、そんな人だった。私は開発担当時代から、何故だか、工場の一番端にあった4研の「鬼の松正」と言われた松尾さんには非常に懇意にしてもらった。口ばかりで、実行力のない上司にはめっぽう厳しく、そう思うと、こういう人物はもう現れないだろうし、こういう人物を使いこなす上司や組織も出てこないかもしれない。
4研ビル、今はその場所から移動したが、カワサキ二輪の品質保証部(品証部)が長い間、居としていた。
4研とは、正式にはビルディング#15で、総合事務所がある3研ビルと同じく戦前からの建物である。建物の管理責任元は補給部品課の所属であったが、実質品質保証部が建物を仕切っていた。戦時中まではコの字の形をしていたが、火事で損傷し半分だけが残った。阪神大震災では一部の外壁が飛んだが、戦時中の施工で土台はしっかりしている。戦時中の面影を残しており、色々な話も伝わっている場所でもある。今は屋上立入禁止としているはずだが、ずっと以前は昼休みの屋上テニポンに興じた場所でもあった。この屋上からの眺めは素晴らしく、明石海峡を通る船が一望に眺められ、昔の航空機の機体設計者たちの安らぎの場所であったに違いないビル。
品質保証部はカワサキ汎用機全製品の品質を顧客に対して保証する部門である。
この品質保証部で誰よりも長期間に渡り大活躍した人物が「鬼の松正」こと、松尾正雄さんである。
いかにも絵に描いたようなハマリ役というのがあるものである。
こういう人がカワサキにいて、こういう役をやるからこそ、製品に反映されるのだと思う。松尾正雄さんは昭和10年生まれで、品質保証部が設立された当時から72才で現役引退するまで在籍した名物品証マンである。
自分の家の修理などお手の物、むしろ建ててしまう程の腕がある。
かといって、モノを作る事以外に疎いのかと言ったら、パソコンの扱いなどは簡単に操作する。何をさせても器用なのだ。カワサキの製品を市場に出してよいかの最終チェックをするのだが、問題個所の見つけ方が抜群にうまくて、まるで名人芸の域だ。我々などジーットと眺めてもなかなか見つけられない不具合をいとも簡単に抽出してしまう。
ある時、タイの組立製品を日本で販売する際、国内の販売店に卸す前に品証部で事前点検したのだが、松尾さんが不具合の山を写真に撮ってパソコンに入力し持ってきた。これでは販売店には渡せないと頑なに言う。これがキッカケで、カワサキ二輪の「求極品質」活動を開始したほどだ。
傑作な話だが、松尾さんが言うに、塗装したタンク上に微小の瑕疵があり、その修正に時間がかかるという。早速、松尾さんがタイに飛んでタンクの塗装工程をふくめ流れる工程を隈なく、それこそラインをズーット点検したが、発生原因が良く判らない。あるときの事、最終点検後の完成車を移動のために工場の外で一時保管するのだが、ここが問題発生場所だった。工場近くにパイナップル農場があり、パイナップルの収穫時にハエがたかる。このハエが工場の一時保管とした場所に飛んできてはフンをする。このフンの痕だったのだ。早速、ハエの侵入防止のビニールを張って問題解決した。笑い話のようだが本当の話だ。暫く、タイに駐在してもらって品質指導と確認をやってもらった。このような事例は枚挙にいとまない。これまで何人かの再雇用者がタイの品質チェックに駐在したが、あの暑さと食事に閉口し早々と帰国した中で、70才に近い松尾さんは平然と仕事をやり遂げてきた。まさに、余人をもって変え難しと言ってもよい。
松尾さんの人となりが実に如実に表現されている事として、「
「カワサキバイクマガジン」のカワサキ創成期の証言」中から、記事の一部を紹介しよう。
「悪い言葉でいうたら、設計が作ったオートバイのあらさがしや(笑い)。それで目ェ光らせてな、開発で「これでOK!」と出した奴でも、品質保証部で止めた事はナンボでもあるもん。そんで徹夜で部品の改良をしてやな、量産してったこともあるわ。そやからワシも真剣や。入社時分の開発テストもそうやったけんど、「もう、このオッサン来よったらほんまかなわんがいや」言われてやな。相手が誰だろうと、ダメ出しゴッツウ言うてやな。そんでもワシ、言う限りは、その後もケツ拭きまでしよるからな」
部品に不具合があれば、各パーツメーカーまで出向き、先方の担当者と一緒になって調べた。
「そやからいろいろ勉強になりよったわ。子供の時分からワシ、自分でモノ作りよったからな。量産前の検査いうことで気ィつたけんどな。楽しかったわ。川重も部品メーカーも、ええ集団やった。ワシみたい人間が言いたい事を言うても話を聞いてくれて、ほんま感謝やな」
72才まで現役をつとめた松尾は、退職後、自宅近所のトラクターや水槽に不具合があると、「ちょっと見せてみ」と言っては、近所づきあいで修理していると言っていた。「去年、地元で神輿作りよったやけんどな。そんときオートバイのテールランプに使うLEDを部品メーカからもろうてきてな、神輿に電飾しよったんや。それまでは豆電球やったやけんど、LEDにしたらゴッツウ派手になったわ(笑い)」
本当に軸がぶれない人である。だから、実行力のない上司や決断力のない上司に対する評価もきつかった。
顧客は「カワサキへの信頼」で製品を購入してくれるのであるから、顧客への信頼構築をしっかりと確立する前に中座したら困ってしまうだろう。「品質改善活動」の発展継続はメーカー側の責務であり、最終判断はあくまで顧客である、としきりに発言していた。そんな人が去った。