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野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

なぜ、KTMは2ストロークのモトクロスマシンを開発し続けたのか

2025-02-12 06:29:58 | 二輪事業
2月7日のMotocross Actionネット誌の「RUMORS, GOSSIP & UNFOUNDED TRUTHS: 」の中に、面白い記事「 WHY KTM DESERVES YOUR GRATITUDE FOR TWO-STROKES?」があった。KTMが多くの日本企業が止めた2ストロークのモトクロスマシンをなぜ開発したのかの理由を書いている。
  Motocross Action」
「KTM’s Stefan Pierer explained in an Alan Cathhart interview, why KTM kept making two-strokes when everyone else was quitting. “When I started at KTM 30 years ago— back in 1992, I had to make the decision of whether or not to produce a new 125cc two-stroke engine platform. But, at that time, we didn’t really have the liquidity to support it, so we were thinking very seriously, should we do it or not? So many comments were made that the two-stroke is dead, but finally I said, ‘That’s the only new engine platform that we can afford to do, because a two-stroke motor is much cheaper to develop than a four-stroke, so let’s do it.’  And 30 years later it’s still alive in a quantity which I should not name, but if you twist my arm we’re talking about 50,000 bikes a year! Honda tried to stop everyone from making two-strokes, but Yamaha kept making them, too.」
 KTMのStefan Pierer(KTMの前CEO)がAlan Cathhart(著名な二輪ジャーナリスト)のインタビューを受けた際、多くの企業が2ストロークマシンの開発・製造を止めていく中で、KTMがなぜ2ストロークエンジンを開発し続けた理由を語っている。
「私がKTMに入社した30年前の1992年、私は新しい125ccの2ストロークエンジン・プラットフォームを製造するかどうかの決断を迫られていた。しかし、当時はそれをサポートする流動性がなかったため、やるべきかやらないべきかを真剣に考えていました。2ストロークはもうダメだという意見が多かったが、最終的に私は、『2ストロークエンジンは4ストロークよりも開発費がはるかに安いので、それをやろう』と言った。 そして30年経った今でも、名前は伏せておくが、年間5万台のバイクが生産されている!ホンダはみんなに2ストロークの開発を止めようよと提案してきたが、しかしヤマハは2ストロークエンジンを開発し続けている。」

「I remember in back in 2000 the Japanese told me in Tokyo, “We stopped with the two-stroke, everything is heading towards four-stroke.” Okay, but because of that racing got much more expensive, with really high-end technology, because a four-stroke top end is almost rocket science with 15,000 rpm, titanium valves and all those kinds of expensive things. KTM makes two-strokes because the customer wants them. We hope that with direct fuel injection we might even achieve street-legal homologation.」
「2000年頃、東京である日本人が私に言ったことを覚えている。"我々は2ストロークを止めた。皆は4ストロークエンジン開発の方向を向いているよ" と言った。でもしかし結果は、4ストローク化でレース自体が非常に高くなってしまった。4ストロークエンジンのトップエンドは、15,000rpm、チタンバルブ、その他もろもろの高価な部品を多用したもので、ほとんどがロケットの科学と同じように高価な技術で構成されており、従って4ストロークは非常に高くなっている。KTMが2ストロークを作るのは、顧客がそれを望んでいるからだ。ダイレクト・フューエル・インジェクションを使えば、ストリート・リーガル・ホモロゲーションも達成できるかもしれない。

この話題は、同じくMotocross Actionネット誌が 2,3年ほど前に取り上げていた”2ストロークモトクロスマシン待望論”と重複するもので、オフ車大国米国では、コロナパンデミックの暗黒時代が到来後、2ストロークマシンの部品、プラスチック、ピストン、エキゾートパイプが飛ぶように売れ、そしてオフロードブームが再到来した時期、2ストロークマシンが急増した。この事実をスズキ、カワサキ、ホンダの首脳陣は無視し続けたが、一方、 KTM, Yamaha, Husqvarna, GasGas, Beta, Sherco, TMはその事実を真剣に受け止めた。彼らは、2ストロークマシンが復活してくると判断した。結果は「 In fact, KTM was selling more two-stroke dirt bikes than the Japanese brands were selling four-strokes」となって、実際、KTMの2ストロークバイクの販売台数は日本ブランドの4ストロークバイクの販売台数よりも多いのだと言う話と重複する。4ストロークの$12,400 CRF450WEも$1500の2ストロークの中古バイクもモトクロスマシンとしての楽しさ・面白さは何も変わらないのだ。4ストロークの$12,400 CRF450WEが格段に面白さを提供してくれるものではない、とも書いていた。 

KTMは末端ユーザーの視点をよく理解してきたので、ハイエンドの技術を駆使したパワフルな4ストロークと軽量で安価に楽しめる2ストロークは必ず両立すると考えてきたのだと思う。だからこそKTMはオフ車市場の頂点に昇りつめた。 KTMの成長過程や現在の法的再建の事例推移を見ると、二輪事業は経営手腕によってはまだまだ「未来ある事業体」と言えるのではないだろうか。当たり前のことだが、最後は結局、経営戦略の優劣が勝敗を決する。かっての大昔、BSフジプライムニュースに出演した”ジャパネットたかた”の高田社長が面白いことを言っていた。「最近のメーカーは新商品の特徴をさかんに強調するが、重要なのは、その商品を買う事でお客がどんな素晴らしい生活を楽しめるかを十分説明しきれていない。職人はいるが商人が不十分」。 ・・" Let The Good Times Roll"・・
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「We Heard You」・・・何だろう?

2025-02-03 06:12:18 | 二輪事業

AMASX第3戦が開催された1月26日のAnaheim で、突然、正体不明の記事がFBに出てきた。

Kawasaki USA 」が投稿した「We Heard You. #2Stroke #GoodTimes #Kawasaki」と書いてある。見ると、カワサキが2ストロークエンジンの開発を示唆する内容にもとれる。しかも驚いたのは、この投稿記事に3.2万の”いいね”が押されている。「Kawasaki USA」のFBフォロー数は159万だが、個別の内容についての”いいね”の数は多くとも1000個ぐらいなので、3.2万のいいねの数は異常に多い。つまり、このFB記事に多くの読者が興味を示しかつ大きな注目を集めている証左だと思う。  

 

するとすぐに、有名な専門誌"Motocross Action」ネット誌も「速報」をだし、またすぐに「KAWASAKI TWO-STROKES ARE COMING BACK! BUT WHICH ONES?を投稿しているが、彼らもまたカワサキが投稿した2ストロークについての正確な情報を持ち合わせていないようだ。
 

で、Kawasaki USAが初めて情報公開してから1週間経過した、2月2日のAMASX第4戦での情報を探してみるも何もない。仮にこの情報が「カワサキの2ストロークモトクロッサー」を示唆しているにしても、現実、飛躍的に性能向上した2ストロークエンジンが開発されたという論文記事も見当たらない中での異例の情報公開なのだが、”いいね”を押した3.2万の読者は何を期待しての3.2万だろうかと不思議に感じた。ヤマハを除く日本の二輪企業が2ストロークを販売中止して20年近く経過したが、欧州ブランドのKTMがそれにとって代わって2ストロークのマシンを開発販売し成功を収めてきた事実を見て、Motocross Action誌を初めとする多くの米国の専門誌が2ストロークエンジン付きのモトクロッサー開発をホンダ、カワサキ、スズキに要望し続けてきたが、彼らは無視続けてきた経緯があるらしいが、今の時期に、何か市場に変化があったのだろうか。

と言うのは、3年前の2022年12月に、Motocross Actionネット誌が面白い記事「 2022 WORLD TWO-STROKE FLASHBACK: REPORTS OF THE TWO-STROKE’S DEATH HAVE BEEN GREATLY EXAGGERATED」を投稿していた。同時期、米国、豪州や欧州のオフロードバイク雑誌から次々に更新されるFBを読むと、毎日のように、ほとんどのネット誌が2ストロークモトクロスマシン待望論を展開していた。この現象は、ここ数年来、2ストロークマシンを強く熱望する米国や豪州のユーザーの根強い人気を示すものだと理解しているが、Motocross Action誌の本記事も同類のもので、こよなく2ストロークモトクロスマシンを熱望している。そして、今、 現実の市場では、「KTMの2ストロークマシンの販売台数は日本ブランドの4ストロークマシンの販売台数よりも多くなった」と書いていた。

この記事によると、ホンダ、カワサキ、スズキが2ストロークマシンを復活させることはないとも書いている。Motocross Action誌は、過去15年間、2ストロークモトクロッサーが市場から消えたことを嘆き、AMAに復活してくれと懇願しながら、仮にホンダがCR250を復活させればどれだけ儲かるか等々をインターネット通じて発信してきた、とある。ホンダやカワサキやスズキは市場の増加しつつある2ストロークマシンを横目に見ながら無視し続けてきたが、2ストロークマシンは市場から決して消えることはなかった。

我々(Motocross Action誌)は、毎年、2ストロークマシンのテストをしつこく続け、何年も変わらない2ストロークのYZ125やYZ250をテストして批判を浴びることもしばしばあった。しかし、市場に2ストロークマシンがあれば、それらを平等に扱わなければ、新参ライダーは2ストロークを知らないし、ベテランライダーは自分の愛車がどう変わったのかわからない。ビッグ4のマーケティング担当者に、昨シーズンのベストセラーバイクは最新鋭の4ストロークではなく、何千台もの使い込まれたヤマハの2ストロークYZ250だと言っても、彼らはへらへら笑うだけだった。

それは現実の市場の姿であり、2ストロークマシンの復活の始まりでもあった。日本のほとんどのブランドは気づいていないが、そんなことは末端市場では誰でも知っている。古い2ストロークのマシンが倉庫から引っ張り出され取引された。4ストロークの$12,400 CRF450WE.も$1500の2ストロークもモトクロスマシンとしての楽しさ・面白さは何も変わらないのだ。4ストロークの$12,400 CRF450WEが格段に面白さを提供してくれるものではない。

1998年当時、ヤマハの4ストロークYZ400が飛ぶように売れていく中、ホンダやカワサキ、スズキの2ストロークの新車がショールームで寂しく忘れ去られていた。ホンダ、スズキ、カワサキが2ストロークを殺したのではなく、消費者の無関心が殺したのだ。
 
そうしてコロナパンデミックの暗黒時代が到来した。すると、2ストロークマシンの部品、プラスチック、ピストン、エキゾートパイプに光が当たり始めた。そしてオフロードブームが到来し販売店から2輪がなくなると、オフ愛好者はガレージから古いRM250を引っ張り出し走りに行った。2ストロークマシンが急増している事実を、スズキ、カワサキ、ホンダの首脳陣の頭をかすめたかもしれないが無視し続け、一方、 KTM, Yamaha, Husqvarna, GasGas, Beta, Sherco, TMはその事実を真剣に受け止めた。彼らは、2ストロークマシンが復活してくると判断した。結果は「 In fact, KTM was selling more two-stroke dirt bikes than the Japanese brands were selling four-strokes」となって、実際、KTMの2ストロークオフバイクの販売台数は日本ブランドの4ストロークバイクの販売台数よりも多いのだ。。。と言うお話。

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2025モデル250㏄モトクロスマシン評価:

2025-01-03 10:16:20 | 二輪事業
    
2024年の年末31日、アメリカの著名なオフロード二輪雑誌「Motocross Action(MXA)」ネット誌は「2025 MOTOCROSS ACTION 250 SHOOTOUT: SUZUKI, TRIUMPH, KAWASAKI, HONDA, YAMAHA, GASGAS, HUSQVARNA, KTM」として、250㏄クラスのモトクロスマシンのshoot out 記事を投稿している。昨年11月の450㏄クラスのモトクロスマシンのshoot out に引き続き2500㏄クラスの比較だが、これは面白い。

米国のMotocross Action誌と言えば、オフロード大国アメリカで最も読者数が多いモトクロスに関する専門誌で、彼らが投稿するモトクロスマシン評価の動画は他の専門誌よりはるかに多くのユーザーに読まれているという比較記事が投稿されるほどだから、我々も現役当時から、その記事を意識して読んでいたので、その癖は今も治らない。大昔は、モトクロスマシンと言えば日本の4社が製造販売するマシンの評価だけで良かったが、最近は欧州発のマシンの活躍が目覚ましく、と言うより欧州発のマシンの方がNO1マシンだと評価されてきた実績があるので、今回は新参マシンを含む日欧8ブランドのマシンが評価対象となっている。今回の250shoot outに初めて登場したのは英国のモトクロスマシンTRIUMPH TF250-X。

 Motocross Action誌の結果は次の通り。
 ●FIRST PLACE: KTM 250SXF — $10,399
 ●SECOND PLACE: HUSQVARNA FC250 — $10,499
 ●THIRD PLACE:GASGAS MC250F — $9599
 ●FOURTH PLACE: YAMAHA YZ250F — $8899
 ●FIFTH PLACE:HONDA CRF250 — $8299
 ●SIXTH PLACE:KAWASAKI KX250 — $8999 
 ●SEVENTH PLACE:TRIUMPH TF250-X — $9995
 ●EIGHTH PLACE: SUZUKI RM-Z250 — $8199

NO1評価を受けたのはオーストリアのKTM250。
KTMのマシンは世界中のモトクロスシーンで高く評されてきたが、2025年もNO1の評価だ。

一方、最も評価の低いマシンはスズキのRM-Z450。スズキ社は世界選手権、全米選手権等のファクトリー活動から撤退し、更に2019年市販モデルから何ら改良されていないとのことで、数年前はShootout記事の対象にさえ加えてもらえなかったが、2025年モデルは市場に新規登場した英国のモトクロスマシンより評価は悪く、最下位のまま。
スズキのRM-Z450は2019年以降、何ら改良されていないので、評価ライダー達から、なんだこのバイクはと言われている。「そう、RM-Z250の順位は、始める前からわかっているのだ」と書かれている。 このバイクの最大の特徴のひとつは、その価格で、スズキのディーラーは8199ドルからスタートし、さらに手頃な価格になるよう交渉に応じてくれることが多いらしい、と手厳しい。

スズキよりも評価の良かった7位は英国のTRIUMPH TF250-X。
英国の老舗二輪メーカーのTRIUMPHがモトクロスやエンヂューロマシンを開発中だとの話題は3年前のAMA初戦の場でTRIUMPHの技術者がコメントしていた。米国モトクロス史上#1と称されるRicky Carmichael 選手がその開発を手助けしているとの情報「TRIUMPH MOTORCYCLES TO INTRODUCE ALL-NEW MOTOCROSS & OFF-ROAD DIRT BIKES」は、2021年の中盤に報道されていたので知ってはいるが、TRIUMPHマシンがAMAのSXレースに登場するかもしれないと、しかもそれが近々に見られるとなると、すごく興味があった。
評価者のコメントは、トライアンフTF250-Xはモトクロス市場初登場マシンとは思われないほど、出来はよい。シフティング、ECUのマッピング、パワーバンドに若干の問題が改良さえすれば、Shootoutの上位に食い込んだはず、と書いている。

★ 「評価N01のKTM」
  
3年連続でKTM 250SXFがMXAの250バイク・オブ・ザ・イヤーを受賞した。特にパワーバンドが広くかつ力強い。快適で信頼性の高いWP製サスペンション、耐久性の高い油圧クラッチ、信頼性の高いブレンボ製ブレーキ、使いやすいツインエアフィルター、手で調整可能なサスペンションクリッカー等は優秀だ。荒れた路面を難なくこなし、直線ではライバルを上回り、コーナーを正確にこなせる。多くの評価ライダーはこのマシンを文句なしの一位だと評価した。

★ そのKTM本社だが現在、法的再建手続き中で、一時期、倒産のうわさも流れていたが当座の資金も確保したようだ。2025年のKTMワークスのレース計画は予定通りに参戦すると表明しているが、31日の”cyclenews.com”には「KTM to Leave MotoGP in 2026?として「KTM’s long-term MotoGP plans are in a precarious state with a report in the Austrian media pointing to the factory withdrawing from the MotoGP paddock at the end of 2025.」として、2026年から MotoGP撤退を示唆している。

昨年2024年の12月に投稿された「KTMニュース」にもあるように「READY TO RACE は KTM にとって単なるスローガンではありません。私たちの存在を定義するものです。レースには、良い時も悪い時もあり、大胆さも失望も、勝利も敗北もあります。2024 年は当社にとって勝利を重ねた年でもありましたが、同時に挑戦の年でもありました。2025 年、そして未来に向けて、さらなるジャンプ、深い轍やバンピーなセクションが目の前に続きますが、私たちはスロットルを緩めることはありません・・・」、と上手く書いているので、若干の計画変更はあるものの、KTMの存在価値そのものであるREADY TO RACE 」活動は継続されるのだろう

★ KTM本社が法的再建手続きに至った主因は在庫処置にあると幾つかの報道にあったが、一方ここ数年のKTM社の勢いには目を見張るものがあった。例えば、2年前の2023年3月31日付けの”Motocross Action mag”の「RUMORS, GOSSIP & UNFOUNDED TRUTHS:」の中に「KTM NORTH AMERICA’S ALL-NEW $53 MILLION HEADQUARTERS OPENS ON 20 ACRES」と言う記事では、例えば、KTMの勢いを象徴しているものとして、総費用$53百万(約70億)のKTM北米新社屋を紹介している。
 
“This is an emotional day for me,” said Stefan Pierer, CEO of Pierer Mobility AG. “Exactly 30 years ago I started in the USA with only a dozen employees. Today, we are Europe’s leading Powered Two-Wheeler group, we’re selling approximately 100,000 units annually in the US market, so more than one billion dollars in sales. The most important success factor for us is racing, that is the driving force that pushed us over the years, even in the US market. Building our new North American headquarters in Murrieta was the biggest single investment we’ve ever made yet. We set a new standard for the whole US market.”
北米KTMは KTM、 Husqvarna、 GasGasの各ブランドの二輪や幾つか電動を含む自転車そしてWPブランドの高級パワーパーツ部品を取り扱う会社で、CEOのStefan Piererは「今日は私にとって感慨深い一日だ」と述べ、「ちょうど30年前、アメリカでわずか10数名の従業員でスタートした事業が今日、KTMはヨーロッパを代表する二輪事業のリーディングカンパニーにまで成長し、米国市場で年間約10万台を販売して10億ドル以上の売上高を達成している。KTMがここまで成長してきた大きな要因はレース活動を中心にした企業活動であり、レース活動こそが、それが米国市場でも長年にわたるKTMの原動力であった」と話した。
そして、「北米グループの組織は、2009年の30人の従業員から2023年には約360人の従業員へと成長し、3棟からなる新しい複合施設は、北米にある1000以上のネットワークをサポートするために、さらなる拡張を計画している」と続けている。

加えて、2020年には、米国の専門誌”Motocross Action mag”でこう解説「KTM SET SALES RECORD FOR THE NINTH YEAR IN A ROW)するまでになっていた。
KTM and Husqvarna combined for a total of 280,099 motorcycles sold in 2019, an increase of seven per cent over 2018’s sales totals. That makes it nine years in a row of sales growth for the company as a whole. Of the 280,099 units sold, 234,449 bikes were KTMs, and 45,650 were Husqvarnas.
「KTMとハスクバーナを組み合わせた2019年の合計販売台数は280,099台で、2018年の販売台数比+7%。 これにより、会社全体の売り上げが9年連続プラス。 280,099台の販売台数のうち、234,449台がKTMで、45,650台がハスクバーナだった。 さらに別の原文には、KTMグループの主要市場は米国で、特に米国のオフロードユーザーに支持されていると述べ、米国市場における日本のビッグ4の販売が低迷する中にあって、KTMは著しく販売を伸ばしたともある。加えて米国市場でもKTMの2ストロークモデルは強く支持されているとある。
そして、
Pierer Mobility, formerly known as KTM Industries, just released its year-end numbers and they were positive, especially in the US market, where overall motorcycle sales of most brands are either down or flat, but in KTM’s and Husqvarna’s case sales were up. Stefan Pierer has a five-year plan to sell 400,000 motorcycles a year, which would surpass Kawasaki as the third-largest motorcycle manufacturer in the world.
「米国市場では、ほとんどのブランドの二輪車の売り上げが減少または横ばいの中、KTMおよびハスクバーナは販売を伸ばした。次の目標は、5年以内に年間40万台販売する計画で、目標達成時はホンダ、ヤマハに次ぐ世界第3位の二輪企業となる」とある。

1991年に会社倒産(1991年の前年、KTM社が倒産する可能性があると、世界モトクロス選手権の会場、イタリアでこの話題を直接聞いたことがある)に会いながら「RacerXonline.com」の記事「KTM FACTORY TOUR IN AUSTRIA」の説明によると、1992年、KTM社は再び小さなワークショップから出発、エンデューロレースのニッチ領域に参戦しながら成長し、その後、ラリーやモトクロスの世界で輝かしい成功を収めてきた。” Ready to race ”と言う明快な企業コンセプトロゴを旗印に、 モータースポーツへの飽くなき挑戦によって KTMはグローバルに成長し続けている。その目標とするのが、5年以内に世界第3位の二輪企業に成長することだと言う。超優良企業だった米国のハーレーダビッドソンでさえ2019年の世界販売台数は22万台弱に低下し、メディアによる二輪の将来は必ずしも明るいと言えないとする論調もしばしばあるが、大きく成長しているオーストリアの二輪企業KTMの話題は明るいものがあった。

こうしたKTMの成長過程や法的再建の事例推移を見ると、二輪事業は経営手腕によっては「未来ある事業体」と言えるのではないだろうか。当たり前のことだが、最後は結局、経営戦略の優劣が勝敗を決する。
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あれから1年、時は早く過ぎる

2024-12-04 06:14:49 | 二輪事業
12月2日のFBに、「もうあれから1年。面白かったね」と言う文言で、昨年12月2日にカワサキOBの有志達が立ち上げた「KX50周年を祝う有志の会」に関する投稿が流れていた・・・そうか、もう一年たったのだ。

カワサキの二輪車の中で、開発、生産、販売そしてレース活動を51年間も絶えることなく続けてきた唯一のモデルが”KXシリーズ”。1972年、技術部にレース車の開発運営を担当する開発1班が結成され、始めて名付けられたモトクロス専用車”KX”、その機種名を一度も変える事なく続いた51年間だ。こんな機種をカワサキでは他を知らない。言い換えれば、カワサキのリーディングモーターサイクルの一つと言っても過言ではないと思う。この懇親会、カワサキのレース活動やKX立上げに苦労された大先輩達がお元気なうちにOB会をやらねば後輩として後悔しないうちにと、それこそ「隗より始めよ」ではないが、始めたのが10年前、そしてとうとうKXは歴史ある50周年となった。

それは昨年の5月、日本の有名な専門誌「ダートクール」の浦島編集長とカワサキの広告代理店キャップスアソシエ―ションからメイルが来て、「KX50周年プロモーションの依頼をカワサキより受けたので、”KX誕生~進化について”、話を聞きたい」と連絡があった。その面談の際、「KX50周年懇親会」の計画があるなら参加したいとの申し出てがあった。過去、「KX40周年」「KX45周年」の節目に懇親会を開催し、その苦労も身に染みていたのでどうしたものかと正直迷っていた。街の中からも「KX50周年懇親会」を開催してほしいとの声も聴いていたが、80才にもう数年で手が届く後期高齢者を含むカワサキのリタイヤ元技術屋3人が発案・主催するにしても、手足となって動いてくれる現場がいないと会場設営を含めなんともぎこちなく不安に思っていた。そのぎこちなさに不安に感じた応援者のボランティア数人から申し出があり、実務を担当してくれることになった、所謂、前々回、前回同様に素人集団の「手作り開催」でスタートしたが、これがなんと孫もいる女性3人を含む一芸の優れ者ばかりで、それぞれの得意分野に奔走して、手や足の動きが遅い我々高齢主催者にとって大きな助けとなって、なんとか開催のめどがついたときは本当にほっとした。

この会は単に昔の仲間や仲の良い友達だけが集まって楽しむ会ではなく、「先人達の苦労があったからこそ今のKXがある、と言うのは間違いない事実で、その当時の技術担当者や関係者達がとった行動は今なお新鮮にして学ぶべき事が多い。これを語り続ける事」こそが有志の会の真の目的であったので、KX誕生からその過程で生まれた苦労話を駆けつけてきた昔の仲間が語ってくれたのは、多くの参加者にとっては新鮮な話題であったのは確かだと思う。 

結果的に言うと、「会は大成功だったよ」と先輩諸氏を含む多くの参加者から頂いた。「KX50周年有志懇親会」の良かった点は、カワサキの最大の競争相手だった他社チームで大活躍した著名人、例えば吉村太一さんやHRCの元エンジン設計者、そして案内のFBを見て多くの一般の方が参加されたことだと思う。彼らからたくさんの祝言を頂いたが、かって敵として戦ったことなど何処に消えて、同志としてただただ嬉しいものだった。二輪ビジネスの世界では、レースが二輪ビジネスの頂点にいて、かつオピニオンリーダーであることは間違いない事実で避けては通れないものだから、共有する思いがあるのだろう。そして、この50周年の長い歴史を俯瞰するに「あの時のカワサキは頂点にあったよねとか、そしてリーディングカンパニーだったと言う事実は変えようがないよね」と言う声も多く聞こえた。しかし思うに、KX50周年懇親会に、こうしてかっての競争相手や一般の方が祝福に来てくれたという事実は、カワサキでKXを主体とするオフロード業務に従事した我々担当者や関係者にとっては何ものにも代え難い 嬉しい財産だと思う。この声は、会の中で実施したトークショーに参加したライダーからも、また多く聞かれた。今回も、カワサキの二輪部門が昔から長く企業活動指針としてきた「let the good times roll」 活動を具現化することができ、主催者の一人として嬉しいものだった。 
  
  「カワサキKXシリーズ50周年有志懇親会集合写真:撮影、フォトジャーナリスト高橋絵里」

今、アメリカの著名なモトクロス専門ネット誌「https://motocrossactionmag.com/」は、彼らがかって取材し雑誌に残してきた歴史を”アーカイブ”として度々紙面上に再投稿している。それをみると、「Motocross Action」誌が連綿として続けてきた、オフロード大国アメリカの歴史、言うなら世界の歴史そのものと、それを未来へと繋いでいこうとする思想と強い姿勢を読み取ることができる。「現在は決して我々の目的ではない。過去と現在はわれわれの手段であり、未来のみが目的である 」とはよく聞くが、スポーツ大国アメリカの世界は、例えば大谷選手達が活躍するMLBなどの記事を読むと、彼らの先達が活躍したMLBの歴史を重んじその上に未来へと繋いで行くんだという強い意志を感じることができる。「KX50周年を祝う有志の会」は地味な懇親会でほんの一握りの活動ではあるが、在野のOB達の活動を”アーカイブ”として先達たちと一緒に残すことができたことは、「Kawasaki let the good times roll」として楽しく愉快なもので、ホッとしている。

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2025モデル450㏄モトクロスマシン評価:

2024-11-11 06:15:53 | 二輪事業
10日の朝、FBのラインに流れる投稿記事を何気なく眺めていると、アメリカの著名な専門誌「Motocross Action」ネット誌が「2025 MXA 450 FOUR-STROKE SHOOTOUT: SUZUKI, HONDA, GASGAS, KAWASAKI, HUSQVARNA, KTM & YAMAHA」なるを投稿していた。
   Motocross Action」
米国のMotocross Action誌と言えば、オフロード大国アメリカで最も読者数が多いモトクロスに関する専門誌で、彼らが投稿するモトクロスマシン評価の動画は他の専門誌よりはるかに多くのユーザーに読まれているという比較記事が投稿されるほどだから、我々も現役当時から、その記事を意識して読んでいたので、その癖は今も治らない。大昔は、モトクロスマシンと言えば日本の4社が製造販売するマシンの評価だけで良かったが、最近は欧州発のマシンの活躍が目覚ましく、と言うより欧州発のマシンの方がNO1マシンだと評価されてきた実績があるので、結果、日欧7ブランドのマシンが今回も評価対象となっている。

で、 Motocross Action誌の結果は次の通り。
 ●FIRST PLACE: KTM 450SXF $11,299
 ●SECOND PLACE: HONDA CRF450 $9,699
 ●THIRD PLACE: YAMAHA YZ450F $9,999
 ●FOURTH PLACE: HUSQVARNA FC450 $11,399
 ●FIFTH PLACE: GASGAS MC450F $10,499
 ●SIXTH PLACE: KAWASAKI KX450 $10,499
 ●SEVENTH PLACE: SUZUKI RM-Z450 $9,299
NO1評価を受けたのはオーストリアのKTM450。KTMのマシンは世界中のモトクロスシーンで高く評されてきたが、2025年もNO1の評価だ。

一方、最も評価の低いマシンはスズキのRM-Z450。スズキ社は世界中のトップアスリートが集まる世界選手権、全米選手権等のトップ競技からファクトリー活動を撤退しているので、数年前はShootout記事の対象にさえ加えてもらえなかったが、今年は評価対象になったものの最下位。

6位はKAWASAKI KX450。KXの評価を落している点は、例えば、
● KXはレスポンスが鈍いため、我々のテスターの誰もがサーキットでその台上最大出力の58psを感じることができなかった。このバイクはコーナーでは2速から3速を引き出すには頻繁なクラッチワークを必要とする。
● ヘッドアングルを+1度立てたためか、スピードが出るとオーバーステアやヘッドシェイクを起こしたくなる。等々、書いている。
で、なぜカワサキKX450はシュートアウトで勝てないのか?については、
● カワサキが順位を下げたのは、(スズキを除く)ライバルが良くなったからだ。このマシンには、他のどのマシンよりも早くボルトが緩んだり、エンジンケースの右サイドカバーガスケットが不良になったりといった、ちょっとした不具合がある。更にオイル漏れがあり、エンジンとブーツがオイルで汚れた。ウォーターポンプシールもダメになった。 台上出力は58psのピークパワーを記録したが、走行フィーリングは350㏄かと疑うほどだ。・・・等々、手厳しい。

30数年以上も前の大昔、現役の頃のちょっとの期間、競走用のモトクロスマシンの開発を担当していた時期があったので、その頃は、このようなShootout記事をかなり気にして読んでいた。当然、数社ある専門雑誌もマシンに優劣を付けるので、販売に影響することもあって、各専門誌も一人の評価ライダーではなくスキルの異なる複数のライダーによって評価していた。つまりShootout評価とは、スキルの異なる複数の評価ライダーによって最も競争力に優れたマシンを選出することである。スーパークロスやアウトドアのモトクロスレースに供与されるので、評価にて優秀マシンとして認知されることが販売に大きく影響する。従って、実戦を経験し、彼我の比較をしながら自車の立ち位置を確認して開発していくのだが、例えば、一年でも開発を休めば、その期間だけ他社マシンとの競争力差が大きく開き、それから再起するのは至難の事。このために、他社も同様に常に競争相手の動向を掴んでおく必要があった。

レース毎、そして毎年勝負に晒され続けるが、競争相手も条件は同じなので、気候不順だったから勝てなかったとかは理由にもならず開発担当者には辛いものがあるが、しようがない。だから、この苦労が分かるだけに、高い評価を受けた記事が出ると、単純に嬉しい。一方、マシン評価が高いだけでは、あくまで競争に勝つための一条件をクリアしただけに過ぎない。実戦で勝つには、ライダーにも高いスキルが要求されることは勿論で、ライダーの能力を十分に引き出すためのマシンセッテイング技量も必要となる。従って、今はどうかは知らないが、勝つための組織総合力を発揮しないと、ポテンシャルの高いマシンを開発出来たとしても実戦で勝ち、そして高く評価され続けるのは困難となる。

つまり、マシンいわゆるハードと同様にソフト開発力を育成し、広く末端ユーザーに教育や指導をしておく必要性が生じることになる。ソフト開発能力も組織内に蓄積出来ているか否かは勝利に大きく影響する。ここが、上市したら終わりの一般的なオンロード市販車開発とは大きく異なる点だろう。何れにしても、米国で優れたモトクロスマシンの戦闘力は実戦で証明されるので、その優秀性には説得力があった。
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「MITCH PAYTON のインタビュー記事」の再投稿

2024-02-09 06:34:55 | 二輪事業
2021年の9月28日、アメリカモトクロス専門ネット誌「MotocrossActionmag」が「HOW MITCH PAYTON SAVED THE PRO CIRCUIT EMPIRE IN THE PANDEMIC」として、「PRO CIRCUIT」オーナー MITCH PAYTONさんにインタビューしている記事があった。この記事は3年前当時のアメリカ市場をうまく説明していたので10月、気なった個所を備忘録に残しておこうと当ブログに書き写した。昨日、MITCH PAYTONさんの記事を投稿したので、もう3年前の過去のものだが、当時、MITCH PAYTONさんがどんなことを考えていたのか参考になったので再投稿しておこうと思う。

「MotocrossActionmag」
2021年9月28日、アメリカモトクロス専門ネット誌「MotocrossActionmag」が「HOW MITCH PAYTON SAVED THE PRO CIRCUIT EMPIRE IN THE PANDEMIC」を公開している。
2020年3月、コロナウイルスのパンデミックが発生した際、多くの人々は二輪業界の将来について非常に懐疑的だった。しかし実際は、多くの予測に反し、二輪スポーツは大きく飛躍した。二輪の販売店は新品のバイクが売り切れ、中古バイクはホットケーキのように売れた。加えてモトクロス業界もまた、新しいライダーが加わったことで恩恵を受け、ビジネスは活況を呈している。しかし、コロナウイルスのパンデミック最中の一時期、街中では、車がひっくり返り、パトカーが燃え、暴動が発生した。世界各地から部品のキャンセルも合間ってミッチさんも廃業が頭に浮かんだそうだ。その一時期の苦境の中、街がロックダウンされると、今迄バイクに興味がなかった家族が二輪を購入するようになった。と言うのは、それまで室内の競技に熱中していた子供が、コロナのパンデミックで室内での競技が出来なくなり、その子供たちが結果的にアウトドアスポーツに熱中するようになった。


コロナのロックダウン、2ヶ月程は販売が落ち込んだが、その後は爆発的にアウトスポーツに興じる家庭がバイク部品を購入し始めた。結果、2020年は販売が好調に推移した。特にエキゾートチャンバーはよく売れたし、WPのサスペンションも販売を伸ばし、2サイクルエンジンのシリンダーチューニングの注文も良く入るようになった、とミッチさんは言う。ミッチさんのインタビューはまだまだ続いているが、その中で個人的に興味が湧いた事象を取り上げてみた。記者の質問にたいするミッチさんの回答。

★DO YOU SEE AN ELECTRIC FUTURE FOR OUR SPORT?
電動バイクは今後伸びると思うかとの質問に、そうならないよう願っていると回答。
何故なら、もし仮にスーパークロスのレースバイクが電動バイクだったら、非常につまらないレースになると思う。観客は電動バイクのスーパークロスレースに興奮することはできないと思う。電動バイクに、速さ、音、そして振動を感じる、エキサイティングな要因はない。だから、スーパークロスが電動バイクを採用すれば、観客はワクワクするMotoGPやF1またはドラッグに走ると思う。電動バイクの沈黙は釣りには最適だと思う。(この辺りはMOTOGPの覇者V.ロッシと同じコメント「2ストロークのエンジン音って、僕にとってはちょっと特別なんですよ…まぁ、最高って言っても良いかもね。4ストロークも好きですよ。電動バイクはねぇ…電気自動車もそうなんだけど、僕は好きじゃないかなぁ。モータースポーツと電気との組み合わせはイマイチなんじゃないんですか。」と。)

★TWO-STROKES BIKES HAVE DEFINITELY GROWN IN POPULARITY.
I’m a die-hard two-stroke guy, because that’s where I came from. It’s what I rode and I learned how to do. During the first four-stroke boom, we saw a dip in two-stroke sales. The market switched to where you had to have a four-stroke. Whoever’s idea it was to make a 125 two-stroke compete against a 250cc four-stroke with double the displacement killed the 125.

私は2ストロークの熱狂的なファンです。今ここにあるの2ストロークエンジンのお陰、このエンジンから出発し多くの事を学んだ。4ストロークエンジンの最初ブームの時、2ストロークマシンの売り上げが落ちた。市場は、4ストロークでなければならないという状況に変わった。排気量が2倍の250ccの4ストロークには2ストローク125㏄で十分に対抗できると考えた人が125㏄クラスを結果的に殺してしまった。


★WHY ARE PEOPLE GOING BACK TO TWO-STROKES?
Some of them had four-strokes and they said, “I can’t afford it anymore. I’m tired of spending big money.” A brand-new KTM is big money after all the fees. Speaking for the regular dudes, if they had a two-stroke before, they can buy an older two-stroke, fix it up, and that’s their baby.

4ストロークマシン所有者と話すと、彼らが言うには「もう余裕がないんだ。もう大金を使うのはこりごりだ」と言っている。新品のKTMは諸費用を考えると大変金がかかる。普通の人と話すと、2ストロークのバイクの所有者は、古い2ストロークのバイクを買って、それを修理して遊べる(だからあまり金はかからない)


★WHY DID THE JAPANESE MANUFACTURERS MOVE AWAY FROM TWO-STROKES?
The California Air Research Board had talked about banning two-strokes in 1999. I tried to rally some of the manufacturers to talk to them. When I called Kawasaki, they were interested in talking to the people, but when I called American Honda, they said, “No.” They agreed in the early 1960s that they would try to clean up emissions, and they wouldn’t go back on their word, but California did not ban all two-strokes in 1999. Still, that threat scared the Japanese manufacturers out of making them. So, the actual motivation for developing the four-stroke was a fake threat. I don’t think the AMA was knowledgeable enough to realize what a four-stroke could be. They were stuck in the thinking that all four-strokes were air-cooled, big-piston, dumb four-strokes like the XR650 and XR400. They couldn’t see a future where four-strokes would rev high, have a short stroke, a big bore, a lightweight crankshaft and an electronic ignition. KTM was manned by hardcore motorcycle guys, and they saw a future with both powerful four-strokes and lightweight two-strokes. That’s why they are where they are today.

日本のメーカーが2ストロークから離れたのはなぜですか?については、1999年、CARB(カリフォルニア州大気資源局)が2ストロークエンジンの禁止について提案してきたので、いくつかの製造業者を集めて話をしようと試みた。その話にカワサキは賛成しホンダは拒絶した。・・・カリフォルニアは1999年にすべての2ストロークを禁止しなかった。それでも、日本のメーカーは2ストを作らなくなった。4ストロークを開発しようとする実際の動機は偽ものだった。当時のAMAが考える4ストロークエンジンとはXR650やXR400のような空冷ビッグピストンのダサいエンジンのイメージしかなく、まさか、4ストロークエンジンが高回転、ショートストローク、ビッグボア、軽量クランクシャフト、電子制御式イグニッション等を装備するとは想像すらできなかった(時代遅れの空冷4スト250㏄のエンジンには2スト125㏄が丁度いいと思った?)。AMAは4ストの可能性を理解する知識がなかったと思う。KTMは筋金入りのバイク設計者だから、パワフルな4ストロークと軽量な2ストロークは必ず両立すると考えてきたので、だからこそ、今のKTMの成功がある。


そして、ミッチさんはこう結論付けしている。
LIFE IS GREAT. I’M DOING WHAT I’VE ALWAYS LOVED TO DO,
AND I’M HAPPY TO BE ABLE TO CONTINUE.”
HOW DO YOU FEEL NOW THAT THE PANDEMIC SCARE IS FADING? Honestly, I’m just happy. To think that there was a time when I thought we weren’t going to survive. Life is great. I’m doing what I’ve always loved to do, and I’m happy to be able to continue.

「人生は素晴らしい。ずっと好きだったことをやっている。続けることができて幸せです」。
パンデミックの恐怖が薄れてきた今、どのように感じていますか?
正直なところ、ただ幸せだ。生き残れないのではないかと思っていた時期があったことを思うと。人生は素晴らしい。ずっと好きだったことをやっていて、続けられることが幸せです。

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Pro Circuit Kawasakiの記事

2024-02-08 09:50:30 | 二輪事業
7日の「Racer X Illustrated 」のFBは アメリカ・カリフォルニアにある、Pro Circuit が保管するチャンピオンマシンを紹介している。
ここPro Circuit 社には現役のころ、2度ほど訪問したことがあり、社長 Mitch Payton さんが直接、社屋を説明してくれた。当時、2サイクルのプロサーキット製エキゾートチャンバー、エンジンチューニングやグッズ等の販売を主にモトクロスのレース活動をやっていた。それ以前のずっと大昔には、ホンダ車をプロサーキットで走らせていた頃のチャンピオンマシンが並んでいたが、今回みると殆どがカワサキ車だ。 懐かしい。

「Racer X Illustrated 」は「Double Red  Monster Energy/Pro Circuit Kawasaki currently holds the red plates in both 250SX East and West. You might be surprised, but the team has only won one 250SX Championship in the last ten years (and that was Justin Hill in 2017). Is it finally time to add some more hardware to the door #SupercrossLIVE #SMX」と説明している。カワサキワークスの250㏄クラス参戦を担当しているPro Circuit Kawasaki は、始まったばかりの2024年SXレースにおいて、西地区ポイントリーダ(Levi Kitchen)、東地区ポイントリーダ―(Austin Forkner)のダブルレッドプレートの保持チームで250㏄クラスのトップを走行している。驚くかもしれないが、このチームは過去10年間で250SXチャンピオンを1度しか獲得していない(それも2017年のジャスティン・ヒル)。
  
  
 

Racer X Illustratedとは話が飛ぶが、個人的に、Mitch Payton さんには次のような印象を持っている。
話していると温和で、本当に素晴らしい人柄の人だ。こういう人が、しっかりと米国のモトクロス市場を支えてくれるからこそ、モトクロス市場は安定しているのだろう。米国のオフロード市場の裾野はとてつもなく広く、そして今だ健在だ。サーキットでモトクロスレースを競っているユーザー以外にも沢山のオフロードユーザーがいる。

家族でバンにモーターバイクを積んで、一日中砂漠で遊んでいる場面に幾度となく出くわした。そこに、家族の絆が形成されていくのだろう。開拓時代の馬がモトバイクに変わっただけなので、オフロード車は米国人の伝統的な嗜好マインドに良く合致し支持されている。これが、オンロードの二輪市場が落ち込んだとしても、オフ車が米国で安定的に支持されている理由だと思う。伝統的な市場やモトバイクの遊び文化がある処には、多額のプロモーションプログラムをしなくとも安定的に販売が見込める。

現場には、このような人材がまだまだ一杯いるが、机に座ってばかしでは現場の動きが掴めないかもしれない。健全な市場が存在している限り、健全なユーザーは存在し、健全なサポートをしてやれば、ユーザから支持される。ユーザーがカワサキライダーであることを誇りに感じてくれたら、担当者として男冥利につきるのではないか。Mitch Payton さんの写真を見ながら、改めてそう思った。 

  「Motocross Action:Ricky Carmichael’s 1997 SplitFire Pro Circuit KX125.」

Pro Circuitは1991年、プロモトクロスレースに参戦し、当時、Jeremy McGrath選手を擁して1991年、1992年とホンダにチャンピオンをもたらした。しかし、ホンダとの交渉が破たんし、1993年以降はカワサキと契約してカワサキマシンでプロモトクロスに参戦し続け、多くのチャンピオンをカワサキにもたらしている。

「PRO CIRCUIT KAWASAKI」の活躍はカワサキの「KAWASKI DIRT CHRONICLES(今は探してもない)」に詳しく記載されていた。下表に示すように、カワサキ車で多くのチャンピオンを獲得することで、KX125のマシン性能を遺憾なく発揮させ、その優秀性を証明してくれた、カワサキモトクロスビジネスにとっても最大の功労者の一人だ。
 
    「緑色はプロサーキットカワサキの勝者:KAWASKI DIRT CHRONICLES」

「KAWASKI DIRT CHRONICLES」の章の一部に、プロサーキットの会社をこう説明している、「チームの母体となっているプロサーキットは、ロサンゼルス郊外のコロナにあるエンジン&サスペンションチューナーだ。2ストマシンが全盛だった頃は、特にチャンバーが高い評価を得ていて、アフターマーケットの大きなシェアを占めていた。'91年にホンダ系チームとして本格的なレース活動を開始した後、'93年からはカワサキの専属チームになったが、プロサーキットのショップでは今でも全メーカーのチューニングを手がけている。 ペイトン社長は、チャンバー作りの全工程に携わってきた職人だ。輪切りのコーンパイプでテストを重ね、モナカのスタンプパイプが完成するまで、自身が蓄積したノウハウで突き進む。エキゾーストの仕様が決まった後は、シリンダーのポート削りに没頭する。こうして2ストチューナーとしての名声を築いたプロサーキットだ」

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Ducati社のモトクロスバイク登場

2024-01-24 06:42:24 | 二輪事業
今日23日のFBにはDucati社の新しいモトクロスバイクがずらーっと並んでいたので、いやが上にも目に付いた。
例えば、cyclenews誌は「Ducati Unveils New Desmo450 MX Motocross Bikeを、motocrossaction誌は「FIRST LOOK! DUCATI CORSE R&D FACTORY MOTOCROSS BIKESを紹介している。いずれも、現地イタリヤ22日に公開されたDucati社の2024年MotoGPとWSBのレース計画発表に合わせて、新しくモトクロスバイクが発表された。以下の写真はcyclenews誌より転用。 
  

「Ducati Corse Off-Road, the Ducati division in charge of “knobby-tire racing activity”, unveiled the prototype of their new motocross bike, the Desmo450 MX. Both machines were revealed alongside the brand’s MotoGP machines in Madonna di Campiglio during the Campioni in Pista (Champions on the Track) event.
「Ducati’s two test riders, Antonio Cairoli and Alessandro Lupino, pulled the covers on the Desmo450 MX which will be raced by the Ducati duo later this year in the Italian Pro Motocross Championship in the MX1 division. The goal for the Ducati Corse R&D Factory MX Team’s first season, managed by Corrado and Marco Maddii, first season of racing is to “mainly acquire data and information in racing” in order to contribute to the development of the Desmo450 MX which will go into production in the second half of 2025.」によると今年後半、イタリヤMX選手権に出場し来年2025年後半から生産移行する予定だとある。

昨年11月、イギリスの二輪企業TRIUMPH社が新しいモトクロスバイクを発表した際、2024年1月から始まるMonster Energy AMA Supercross(sx)と全米モトクロス選手権の250㏄クラスにエントリーする予定だと公表され、この新しいモトクロスマシンは2024年に発売予定で$9,995 USとしたが、残念ながら2024年のAMA SXレースには今だ参戦できずにいる。しかし、世界のロードレース界の頂点に君臨するDucati社が発表した、この新しいモトクロスバイク Desmo450 MXが市場に与えたインパクトはTRIUMPHの比でなく、とてつもなく大きいようで、FBに投稿された記事数はかなり数に上る。なにせ、Ducati社は、ロードレース界の頂点たるMotoGP、WSBのチャンピオンであり、その技術力や組織能力はホンダ、ヤマハを遥か凌ぐもので、世界の多くの耳目を集めるのは必然。また、2025年には量産化すると発表したのを見るに、米国を中心とする世界のオフロード市場は今なお活性化し続けている証左かもしれない

ところで、アメリカの市場で大きく躍進している二輪企業に、欧州のKTM
社があるが、つい最近、このKTMが53百万ドルの北米本社ビルを建てた記事「 KTM NORTH AMERICA’S ALL-NEW $53 MILLION HEADQUARTERS OPENS ON 20 ACRES」があった。北米KTMは KTM、 Husqvarna、 GasGasの各ブランドの二輪や幾つか電動を含む自転車そしてWPブランドの高級パワーパーツ部品を取り扱う会社で、CEOのStefan Piererは「今日は私にとって感慨深い一日だ」と述べ、「ちょうど30年前、アメリカでわずか10数名の従業員でスタートした事業が今日、KTMはヨーロッパを代表する二輪事業のリーディングカンパニーにまで成長し、米国市場で年間約10万台を販売して10億ドル以上の売上高を達成している。KTMがここまで成長してきた大きな要因はレース活動を中心にした企業活動であり、レース活動こそが、それが米国市場でも長年にわたるKTMの原動力であった」と話した。そして、「北米グループの組織は、2009年の30人の従業員から2023年には約360人の従業員へと成長し、3棟からなる新しい複合施設は、北米にある1000以上のネットワークをサポートするために、さらなる拡張を計画している」と続け、「米国市場では、ほとんどのブランドの二輪車の売り上げが減少または横ばいの中、KTMおよびハスクバーナは販売を伸ばした。次の目標は、5年以内に年間40万台販売する計画で、目標達成時はホンダ、ヤマハに次ぐ世界第3位の二輪企業となる」とも書いてあった。

欧州のKTM社といえば、1991年に会社倒産(1991年の前年、KTM社が倒産する可能性があると、世界モトクロス選手権の会場、イタリアでこの話題を直接聞いたことがある)に会いながらRacerXonline.comの記事「KTM FACTORY TOUR IN AUSTRIA」の説明によると、1992年、KTM社は再び小さなワークショップから出発、エンデューロレースのニッチ領域に参戦しながら成長し、その後、ラリーやモトクロスの世界で輝かしい成功を収めてきた。” Ready to race ”と言う明快な企業コンセプトロゴを旗印に、 モータースポーツへの飽くなき挑戦によって KTMはグローバルに成長し続けている。その目標とするのが、5年以内に世界第3位の二輪企業に成長することだと言う。超優良企業だった米国のハーレーダビッドソンでさえ2019年の世界販売台数は22万台弱に低下し、メディアによる二輪の将来は必ずしも明るいと言えないとする論調もしばしばあるが、二輪の世界で、今大きく成長しているオーストリアの二輪企業KTMの話題は明るい。そんな市場動向を横目に見ていたイギリスの、あるいはイタリヤの二輪企業が黙っているはずもなしと思っていた。

それまで世界の二輪事業を牽引してきたホンダ、ヤマハは欧米主体から新興国に活路を見出した。日本企業が落ち込んだ欧米の二輪市場に浸食してきたのが、強いブランド力をもつ欧米の二輪企業だと言われていた。その中で、KTMは、その明快なコンセプト”KTM Ready to Race”でON,OFF車とも豊富な品揃えと地道な「草の根活動」を展開し、日本二輪企業の販売が低調な、この時期を絶好の機会だと捉え、アメリカのオフ市場を席巻する動きをみせた。結果、モトクロスの分野では、世界選手権や米国のスーパークロスレースの王者として君臨し、そこから生み出す製品の優秀性を訴求し続けることでKTM信者を増し続けた。今まではハーレーは別格で日本企業間で其々の立位置を論議していれば良かったが、今や、そうではないようだ。

今度はイタリヤの名門二輪企業Ducati社がオフ市場に進出する。Ducati社レースという媒体を前面に押し出している。レースという言葉を企業指針にするなど以ての外だとする企業人やレースと聞くとそっぽを向く二輪関係企業人もいると聞くが、欧州二輪企業は自身の立ち位置を明確にすることでブランド構築に躍起になっており、結果、世界中の二輪愛好家は必然的に気にかけざるを得なくなる。オフロードのKTMの印象が強いが、オンロードの分野でも2018年にはロードレースの世界選手権のMoto3クラス、Moto2クラスおよびロードレースの最高峰MotoGPクラスの3クラスにワークスチームを送り込む唯一の企業でもある。今度は、世界のロードレース界の盟主たるDucati社が逆にオフロード市場に出てくるというのだから、面白い。ロードレース界を見るに、かっての盟主だったホンダもヤマハも下位に落ち込み見る影もなく寂しいが、それ以上に欧州企業同士の極めて高いレベルの争いが見れるとならば、それはかえって面白い。この戦いがモトクロス市場でも観戦できるのだと想像するだけでもワクワクする。ファンにとっても面白い年がこれから始まる。正直、今の日本企業の取り組みにはワクワク感はないが、本気度満載のDucatiならば、あるいはKTMならばと想像するだけでも面白い。

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「KX50周年を祝う有志の会」の雑誌記事

2023-12-18 05:49:55 | 二輪事業
 
去る12月2日(土)、明石駅から歩いて2~3分ほどの「グリーンヒルホテル明石」にて「KX50周年を祝う有志の会を開催した。
本懇親会は、今回も、カワサキでMXに関係したメンバーだけに限定せず、広くカワサキモトクロスを応援してくれた在野の支援者いわゆる「緑の血」が流れている人も含めて案内を回し当日参加を加えると83名の出席で、これは「KX40周年」「KX45周年」とほぼほぼ同数の出席者となった。また、会場設営や受付等にボランティア応援者が早くから駆けつけ準備してくれたので、 技術屋出身者で構成されたずぶの素人集団が立ち上げたイベントを側面から支援して頂くことになって、繋がりとは本当に有難い事だと心から思う。

このOB有志の会に出席したプレス記者は4名、記者とは長年の縁の深い付き合いがある旧友で、より積極的に仲間に溶け込んで会話を楽しんでおられた。

雑誌記事の第1報は「Mr bike」記事で12月13日に投稿された。
 
巻頭言は「1973年に量産販売が開始され、今年50周年を迎えたカワサキ モトクロッサーKXシリーズ。12月2日、『KX50周年を祝う有志の会』が兵庫県明石市内のホテルで盛大に開かれた。カワサキ二輪事業とレース活動の黎明期より携わったカワサキOBを始め、往年のライダーと関係者およそ80名が一同に、懐かしい再会と半世紀に渡るエピソードの数々、KX談義で歴史的なひとときを祝った」と書いている。

第2報は「カワサキイチバン」で同じく12月13日に投稿されている。
(「カワサキイチバン」は専門誌「カワサキバイクマガジン」と同様に、カワサキライフを送るすべての人のための、カワサキファン応援サイト)
 
「カワサキのモトクロッサーシリーズであるKXが発売開始されてから、2023年で50周年を迎えた。そのKX50周年を記念して『KX50周年を祝う有志の会』が開催された。参加者はKXシリーズやカワサキ関係者、そして一部の一般ライダーに限定され、約80名が参加した。その会場にはKXの名付け親やカワサキレーシングチームとチームグリーンの元モトクロスライダーをはじめとして、KXシリーズに縁の深い人物が多数訪れた。

KXを祝う会は過去にKX40周年、KX45周年に開催されており、今回は50周年という大きな節目での開催となった。開催時間は3時間ほどで、カワサキのモトクロスライダーOBのトークショーに加え、ロードレースのライダーOBも登壇し、それぞれがレース参戦していた時代の貴重なエピソードが披露された。さらに、国内チームグリーンの設立者であり元監督である平井稔男氏からビデオレターが寄せられ、平井氏とともにレースを戦ったライダーが感極まる場面も見受けられた。現行モデルに関しても言及され、KX50周年記念モデルのグラフィックを解説する場面もあった。

会場には70年代や80年代のKXに採用されたタンクやライダーOBの現役時代のヘルメット、モトクロスジャージ、そしてカワサキモトクロスの原点ともいえる赤タンクの最終型1973年F6MXなどが展示され、モトクロスファンにとっては非常に貴重な場となった。そのため、細かく写真撮影している一般参加者も見受けられた」と書いている。

第3報は、24日発行予定の月間誌に掲載される予定と聞いている。

「KX50周年を祝う有志の会」は過去にKX40周年、KX45周年に開催してきたが、そのたびに旧知の雑誌記者には声をかけてきた。この有志の会は、会社側が主催する会ではなく、あくまでモトクロスKXに少しでも関与してきた有志が起点となり知り合いが知り合いを呼んで単に集まって楽しむ会に過ぎず、だから、最終的に都合のついた人が集まってくる。雑誌記者もそのルートの中で案内された人達なので、記者も他の参加者や主催者同様に自己負担で会費も払って「有志の会」を一緒に楽しみ、その印象を記事に投稿して頂いているので、素直に言って嬉しい。
・・・「let the good times roll」


 
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「KX50周年を祝う有志の会」・・'90KXグラフィック

2023-12-15 06:26:44 | 二輪事業
 
「KX50周年を祝う有志の会」なる、元カワサキ技術屋の素人が立案主催した懇親会には、多岐にわたる昔の仲間が馳せ参じてきたから愉快なものだった。
その懇親会イベントの一部、トークショー「KX50周年記念車のデザインについて」は、2024年モデルKX50周年記念車KX450、KX250に採用されたグラフィックデザインの原点である、'90年KXのグラフィック、スプラッシュピンク等の適用を考案した松見康祐 さん(元カワサキ技術部のグラフィックデザイナーで現在は熊本在住)が、当時の事を話ししてくれた。この’90年KXのグラフィックは、その後の’90年代の二輪車のグラフィックデザインに大きな影響を及ぼし、二輪の業界では初めての「グラフィック大賞」をもらった二輪車のグラフィックデザインとしては革新的なデザインだが、日常的に接した仕事仲間内では普通の話も、初めて聞く人や日頃から興味を持った人が聞くと甚く言葉が染みるようで、この日の松見さんの話に感動した主催者の一人貴島さんが、その内容を彼のFBに投稿していた。これは残しておこうと付随するコメントもそのままに当ブログに書き留めた。

「カワサキモトクロッサーKX 50周年記念パーティー」
その3 
開発者逸話 編
 「デザイナー松見康祐さん」
本会は、カワサキOBの皆さん及び有志による「手作り開催」でした。
しかしながら、皆さんの永年の人望と繋がりにより当時の開発者の方々が参加され、貴重なお話しを披露されました。そんな中で、90年型のグラフィックデザインを担当された松見康祐氏のお話しは、私的にも大変興味深い内容でした。

カワサキ歴代モトクロッサーのグラフィックデザインを遡ると、70年代から80年代にかけては青と白のストライプが入る画一的なデザインが永きに渡りますが・・その伝統的な手法を一気に過去のものにしたのが90年型でした。90年型は外装デザインに限らず、ペリメターフレームを初採用した革新的なマシンで、歴代KXの歴史上でも後世に残る年式となりました。

松見氏によると、このタイミングで一気に外見上もインパクトのあるデザインにしようという機運が持ち上がり、これまで10年以上続いた画一的なデザインを拭い去り、ポップアートな仕上がりを目指したとのことでした。イメージしたのは、アメリカンカスタムカルチャーからの流れで、コンセプトカラーとなったのはピンクと紫だったそうです。そこに当時、四輪カスタムでも流行していたスプラッシュデザインを融合し、これまでにないエポックメイキングな仕上がりが実現したということでした。なお、スプラッシュを採用したのは、カワサキはジェットスキーなどマリン事業も展開している繋がりもあったそうです。

しかしながら、蛍光ピンクは量産車として発売する際に耐候性が懸念されたため、ピンク→紫のグラデーションとすることにより対策をした・・との苦労話しもありました。このように順調満帆とはいかなかった革新的なグラフィックデザインですが、その後のKXシリーズはもとより、KDX、KLXシリーズにも順次採用され、一時代を築き上げたものとなりました。その功績もあってか?50周年記念モデルのリスペクトデザインは、この90年型が選ばれています。それだけ、社内外に於いてインパクトのあるモデルだったのだと思われます(^-^)
     「シュラウド形キーホルダー」

なお、松見氏は現在、熊本にてデザイン会社を経営されており、当日サプライズで自らデザイン・制作されたオリジナルのシュラウド形キーホルダーを抽選会用にと、ご提供いただきました。この日、この会のために制作された超限定アイテムです。当たった人は超ラッキーだったでしょう。・・そういうワタシも頂きましたが・・勿体なくて永久未開封の方針です(笑)
   

以下寄せられたコメント:

大津 信:
‘90KXグラフィックのついては、松見さんからこんな話(ごく一部ですが)がありましたので、紹介します。
「当時の雑誌で「ポパイ」か、何かの雑誌で、二輪の業界では初めての「グラフィック大賞」をいただきました。だから、それは結果論ですけどね。そういう意味で良かったのかな。 当時はジェフ・ワードとか、活躍していたライダー達も、自ずとピンクをどこかに入れたりとか・・」   モトクロスバイクと言う全て技術的合理性にそって設計されているマシンに、当時としては本当に革新的なデザインだったと思いますし、今見ても名作だと思います。

松見康祐:
大津 信 さん
ありがとうございます。

元井 聡:
当時のロゴデザインが好きでしたね。


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