野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

アンダルシアー黒田康作

2011-06-29 07:00:02 | 映画
 「アンダルシア」

「アンダルシア」を大久保の「ワーナーマイカル明石」に見に行った。
「黒田康作」のテレビが終了したので、映画を楽しみに待っていた。


これだけコロコロと総理や外務大臣が変わってしまう日本を考えたとき、諸外国にとっては外交的な話はしづらいと思う。
「初めてお目にかかります」と、毎度やられたら周りの周辺国にとってはたまらない。
南沙諸島を中心に、これだけ力比べ、我慢比べやっているときに、厚顔の交渉相手には子供扱いされるに決まっている。

黒田が外交官として適任かどうかはわからないけれど、少なくとも自分の信念を持っていない人に外交や国は任せられない。
確かに信念で行動する黒田に日本の理想的なリーダー像を託しているとも言えるかもしれぬ。

邦人保護を主目的にした、黒田康作は命令に実に忠実であるが、こう言う軸のぶれない人材は今の世情では、立位置によっては扱いに難しいと思われてしまう。よくある話だ。
でも、実に見事に問題を解決してしまうので、尚更、その立位置にいる人にとっては煙たい問題児なのだろう。
だが、結局、黒田康作でなければ問題は解決しない。
それ以外の担当者では、想定外だとか何とか出来ない理由を作り「しょうがないね」となってしまうかもしれない。

最近、日本の世情を反映してか、これに類する映画やテレビが多いし、また、見ていて実に痛快なのだ。
「相棒」、「SP」も面白かった。

みんなは「鞍馬天狗」や「怪傑ハリマオ」を待っている。「月光仮面」も忘れてはいけない。

ヒーローが守ろうとしているのは大げさで観念的な題目ではない。
彼らは、まず日本人の心の中にある「正義心」、それを守ろうとした。その味方であろうとした。
日本人の中にある「正義」を取り戻そうという意図もあるのかもしれない。
「正義」や「正論」を正しく認識することは重要な事だろう、と。

黒田康作は言った。「ちゃんと前をしっかりと見ていないと、正義を見失しなうぞ」と。


一方、外交官の不祥事は掃いて捨てる程新聞やテレビで見たり聞いたりした。

その詳細な内容は、鈴木宗雄の「汚名」、佐藤優の「国家の謀略」、天木直人「さらば外務省」等に見ることができる。
特に、鈴木宗雄著「汚名」の「外務省の生き物の生態」では、具体的な実名まであげて、外務省の内情を記述している。
例えば、怒鳴りつけるとアルマジロのように硬直する。ミスを叱責されるやいなや、ソファに倒れこんで、体をギュッと丸めてピクリともしない等々、本当かと思ってしまう。

一般企業にも、そのような人種はいない事は勿論ないと思うが。
このような資質の人種が国家を代表して、ロシアや中国あるいは米国と交渉しているのだという。

ところで、映画そのものは、類似のアメリカ映画に比べ映像のメリハリやスピード感に乏しいが、それが返って有機的に映り好感がもてた。
それにしても、インターポールの日本人警察官が銃を実際撃ったことがないという設定は、いかにも日本的で寂しい限りだった。



「あらすじ」
スペイン北部に隣接する小国・アンドラで、日本人投資家・川島が殺害された。国際会議の準備でパリを訪れていた外交官・黒田康作は、事態を把握すべく調査を命じられ、
2人の事件関係者と出会った。
遺体の第一発見者、「ビクトル銀行」行員の新藤結花と、事件の担当者、インターポール捜査官・神足誠。何者かに狙われて怯える結花。神足は黒田に捜査情報を隠そうとする。
事件の裏に隠された「国際犯罪の闇」とは何か?そして、巧妙に仕組まれた数々の罠。真相を追う黒田に、最大の危機が訪れる。


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茗荷 と ズッキーニ

2011-06-27 07:00:57 | グルメ
「茗荷とズッキーニ」

4月末に茗荷の芽が出て、5月10日のブログでは30cm程に伸びた茗荷を紹介した。
その後の茗荷は、雨が降るたびにグングン伸びて今では1mを超え、一杯に葉を茂らせてきた。
もうてっきり、茗荷の花芽がでてきても良い頃だと確認してみるも、今だその兆候はなし。


裏に至る通路の左側に茗荷、右側のベランダ下にズッキーニのプランタ植え>


背丈は優に1mを超えて、葉は横に伸びる。


裏に至る通路の茗荷を植えている反対側の、二階ベランダの下面に、大きな鉢とプタンラにズッキーニの苗を植えたのが5月の連休。
ズッキーニは、直接、雨が罹らない場所に植えるようにとの事でベランダの下に植えたが、水やりが大変だ。

しかし、一旦根ずくとグングン大きくなっていく。

雄花と雌花が別々にできるので受粉させると、ズッキーニの実は見る見るうちに大きなり、6月7日には収穫、その日の晩の食卓に上った。
植えてから一カ月強で、もう食卓に上るという優れものだ。 早いし旨い。

ズッキーニが3株もあると、順番に食べ頃に育つという効率性だ。

専ら、油でいためて食べるが癖もなく美味しい。



上に向いているのが雄花、横を向いているのが雌花。




食卓に上ったズッキーニ


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庭の花 (6月中旬)

2011-06-25 07:00:16 | 
梅雨時の庭の花。

6月中旬前後の花を撮った。
5月に比べれば、圧倒的に花の種類は少なくなり、雨に似合う花になっていく。
だから、どうしても雨にぬれた情景の花を撮影して残して置こうとトライするのだが、上手く表現できない。
ついつい、梅雨の晴れ間に撮ることになる。

全部が宿根なので、昨年と同じ場所に同じように咲いてくれるので安心している。


「ゼヒランサス」
ナメクジ対策のため家の傍から鉢植えにした。


「斑入りドクダミ」
ちょっと変わった斑入りのドクダミで、花は普通のドクダミだけれど、葉がトリカラー。


「ドクダミ」
ほっとくといくらでも増える。
この場所は、木の間に咲いているので抜かれずにすんだ。
散歩しながらみると、近隣の家でも、目立つ場所に結構ある。
ひょっとしたら、臭いが相当きついが愛されている花かもしれない。


「アナベル」と「ヒチダンカ」
左 「アナベル」: 薄いグリーンから白色に変化し、その後グリーンという面白い変化をみせる。
咲き終わる頃、ドライフラワーにする。
右 「ヒチダンカ」: このブログでも紹介した幻のアジサイ言われ、茶花としても使用されている。


「隅田の花火」
日本の原生種の変種だそうだが、面白い名前をつけるもんだ。


「白のホタルブクロ」


「赤のホタルブクロ」


「ムラサキつゆ草」
このつゆ草も、自己主張が強く、頑として場所を確保し開花日数も長い。
好きな花の一つだ。


「カラー」
どんどん増えるので、一つだけ残している。
周りをシュウメイギクが取り囲んでいるのでカラーには全く日が当らないが、それでも茎が伸びて花を咲かせた。






「アカバナユウゲショウ(赤花夕化粧)」
雅な名前を持った4ツの花びらが、可憐で可愛らしい淡紅色の花である。
綺麗な花だし、名前もなんとなく良い。
その名前とは裏腹に、かなりしたたかで、あちこちに勢力を広げる。







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ダイアナ・ロス

2011-06-23 07:27:34 | 映画
面白い放送を観た。感激ものだった。
NHK・BS プレミアムの「ダイアナ・ロス 自らを語る」(6月22日 1:00~2:30)だ。再放送だそうだが、初めて観た。ジェームス・リプトンが司会を務める「アクターズ・スタジオ・インタビュー」で、著名な俳優や歌手がインタビュー形式で自らを語る番組であるが、時々観る。
ダイアナ・ロスは、アメリカのポップス界を40年以上も、その頂点にあり続けた実力派歌手で、デビュー当時に結成していた「ザ・シュープリームス」を1960年代の後半に「ダイアナ・ロスとザ・シュープリームス」に変更した経緯や、14才頃から歌い手としてデビューした時期、当初はタイプをも打てない社長秘書で雇用された等々、実に興味ある内容だった。

加えて、番組ではヒット曲の数々を、贅沢なライブや過去の映像を織り交ぜて披露し、会場をとりこにした、秀逸の番組であった。
1960~80年代、トップスターで有りながらジョージア州ではトイレが白人専用、カラード専用に分かれていた時代を生き抜いた、その生命力をインタビューでは如何なく引出していた。彼女のことを好きにはなれなくても、それを補って余りある魅力が彼女にあったことは、認めざるを得ないだろう。そして、彼女ほど露骨に感情を表し、誰よりも上昇志向の強いスターが、今や珍しい存在になりつつあるのも確かかもしれない。

本物のスターを再び観た。
「私がやりたかったのは、歌を歌うことと、きれいな服を着ること - それだけだったわ」

この曲を選んでしまう。・・・・The Supremes- Stop In The Name of Love(Live)

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野々池周辺の花の咲く木 (6月初旬)

2011-06-22 07:00:05 | 野々池周辺
野々池周辺で、6月初旬頃に花の咲く木を撮った。

先日も、10人ぐらいの中年女性達が明石川付近から疏水に沿って野々池までウォーキングして来られた。
ワイワイとにぎやかだ。
少し道を間違われたようで、175号線まで行かれるそうだ。道順を教えた。
いつもの疏水散策団体さんは秋口になると多くなるが、初夏の疏水散策ウォーキングは珍しい。

初夏になると夾竹桃の花が一面に咲きだすのだが、まだ咲き始めたばかしなので、次回にとっておこう。



「カリステモン」 (「金宝樹」)
娘がオーストラリアから種を買ってきたので、庭に植えたら4、5本が1m程に育った。
大きくなると、とてもじゃないが持て余すので、野々池に移植したら、そのうちの一本だけが残った。
今や、4~5mになる。





「ピラカンサス」
秋になると赤色の実がびっしりと、それこそ頭をたれるぐらいになる。
一週間も経たないうちに、もう花は落ちた。



夾竹桃の真下で、一本だけひっそりと花を咲かせていた。
花の名前がわからない。



「ザクロ」の木が一本だけある。
幹の太さから推測すると、15年ぐらい経ったと思う。



「ドングリ類」の花
独特の匂いが発ちこめるので、直ぐわかる。



「アベリア」
野々池周回路の中央に植えてある。
蜜を吸う昆虫が周辺に舞う。


その花をホバリングしながら盛んに蜜を吸うオオスカシバ。
オオスカシバ(大透翅)はその名のとおり翅が透けて見える昆虫で、スズメガの一種だ。
蛾と言うよりどちらかと言うと蜂に似ており、ホバリングしながら蜜を吸う。
その体型はずんぐりむっくりとしているが、動きがすばやくなかなかジッとしていない。
細い羽は全く見えないが、これだけの体を宙に浮かすのは相当な蜜の熱量が必要だろうな。




「ネムの木」の花芽がつき始めた。
このネムの木は大木で、花を一面に咲かす。


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野々池周辺の草花 (6月初旬)

2011-06-20 06:50:14 | 野々池周辺
6月初旬から中旬にかけての野々池周辺の草花を撮った。
この時期、辺り一面は新緑に変わってしまうが、ゆっくり歩くと色んな草花にめぐり合う事ができる。
蝶や小さなアブが花の周りを盛んに飛び回っている。

今まで気づかなかったが、野々池貯水池の土手にはノイバラが数カ所に咲いている。
地面を這うように伸びていたので、目立たなかったのかな。
花を付けるようになってから、アチコチで目に付く。
白い5枚の花弁がついており、結構強いバラの匂いがする。
豪華さは全くないが、清楚で親しみやすく、素直な印象がまた良い。

ネジバナが咲き始めている。
かなり前までは花瓶一杯に飾れるぐらい取れたが、もう探さないと見つからない。
らせん状にねじれた穂状花弁を作って桃紅色のかわいい花を多数つける。

ノアザミが群生し始めた。
咲き終わり、種が飛び始める頃に草刈りが始まるので、多分、もっと増えるに違いない。
楽しみだ。

カワラマツバが咲いたが、少し自己主張が少ないな。
次第に群生するような気がするが、それまで待つか。

南側ノリ面の紫蘭(シラン)はまだ花をつけてはいるが、もう勢いはない。

ウグイスが鳴いているが、そう言えば、ヒバリがいつの間にか姿を見せなくなった。

小さな花弁の草花ばかりだが、一杯咲いていると何故だかホットする。







「ヒメジョオン」



ここにも、6~8匹の紋白蝶がいた。



何故か、土手に「ハーブ」が、しかも良く育っている。
ちぎって嗅ぐと、ハーブ独特の香り。












「ノイバラ」
    素直な印象が親しみ易い。良い匂いが残る



「ネジバナ」 
だいぶ少なくなり、探さないと見つからない。



「アカツメ草」



「ギシギシ」






「ノアザミ」に寄ってきた小さなブヨが偶然撮れた。





左側が「カワラマツバ」



「ニワゼキショウ(庭石菖)」





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バラの原生種 ツクシイバラ

2011-06-18 06:45:43 | 
先月末、女房の弟家族が神戸を訪問してきた。
時期も良かったので、須磨離宮公園と元町の中華街を案内した。
須磨離宮公園は台風2号の余波の後だったためか、沢山のバラの花弁は落ちて少し残念ではあったが、それでも、弟家族は素晴らしい公園だと絶賛してくれた。

公園内にある「日本の原生バラコーナー」で話題になったのが、「人吉の球磨川沿いにも自生のバラがある」という。  ツクシイバラだ。
この時期、球磨川沿いに群生しているので、辺りに良い香りが漂うとの事。
挿し木するので一本送ってくれといったら、保護木に指定されたそうだ。
(日本の原生バラは外部環境に強く、バラの接ぎ木として古今以来活用されてきた)

どんなバラか見たくなったので探したら、球磨川沿いにある錦町のHPに「ツクシイバラの会」の案内があり、
また、つい最近のツクシイバラの状況もテレビで放送「ひとよしテレビ(6月5日)」されていた.

                        錦町HPより転載




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虎がダルを止めた

2011-06-16 10:01:36 | スポーツ
昨日の「阪神ー日本ハム」戦は、ダルビッシュが投げたので最後まで観た。
面白い試合で、久しぶりに痛快だった。
ヒーローインタビューのマートン選手の「マイド オオキニー」は素晴らしい!

それにしても、ダルビッシュは素晴らしい選手だな!
死球を与えた、檜山選手に謝っている。こんなピッチャーがいたか。
素晴らしい!確かに、球界一だし、人格的にも好感が持てる選手だと、この試合をみて痛感した。

「素晴らしい!」と連発しても可笑しくない試合だった。

以下は、同感と思った記事(名文だと思う)を転載しておきたい。

「虎がダルを止めた! 連夜の1点差勝利」
素人トラ番評論家≪寅之助≫の~本日の辛口診断~ 2011年06月15日21時15分

今日のレフトスタメンは林。ダルビッシュの剛速球に合いそうな打者としての選択だろう。意図は理解できる。
林の一発に期待したいところだが浜風がライトからレフトへ。セカンドゴロはあかんよ~。センター返しを心がけて。。。

メッセンジャーは投げるたびに進化しているようにも思える。今日も大きく乱れる場面はみられなかった。変化球の使い方が絶妙だった。
これも藤井のリードによるところが大きいだろう。初回2死から連打されホフパワー。3-2からのラストボールはカーブで見逃し。
城島だったらどうだったか?? 今日の立役者はメッセンジャー。

ダルビッシュの連続イニング無失点は意外にもタイガースのお株を奪うような?バッテリーエラーで入った。
野球はえてしてこんなもんだがダルビッシュ本人は相当悔しかっただろう。
逆に言えばこんな形でないとダルビッシュからは点が取れない。

このまま1点リードのまま終盤まで耐えてダルビッシュに代打が出ることが勝利への近道と感じていたが、6回にメッセがピンチを作ってしまう。
2死満塁で金子誠にレフト前。林もだいぶ前に守っていたので2塁走者の生還は許さなかった。
金本だったらどうだったか? 2点目を許さなかったことが大きい。

そして決勝点は・・・

7回裏連打で無死1,2塁。ここで藤井にバント。これが最悪の併殺になってしまう。しかし代打檜山にデッドボール。
これでマートンまで打席が回りタイムリーを呼んだ。3回の先制も7回の決勝点もマートンさまさま。

マートンのヒットに絡めて相手のバッテリーエラーとダルビッシュの与えた檜山への死球。タイミングよく重なってようやく取れた2点だった。

7回だが、関本が無死でヒット。バントするならここでしょ? 林に替えて上本か俊介を代打でバントをさせ、藤井と投手のところで代打攻勢だろう。

相手がダルビッシュであることを考えれば林に強行させるより1点を取りに行く野球をすべき。
1点勝ち越せばあと8回と9回。勝利は大きく近づく。決勝点がとれたのは結果オーライに過ぎない。

この連勝は大きい。週末の楽天戦も土曜日に能見で勝って日曜日は総力戦で連勝を狙える。
そして今日はまた一人勝ちの可能性アリ(^^)

またしても主審のことを書くが、今日の主審、ストライクのコールが響きわたる。まさに雄叫びやな。。。 先日の真鍋と違う意味で何かはき違えてない?

♪とどろきわたる雄叫びは~ 正しいものに味方する♪
怪傑ハリマオ思い出したわ。

7回のダルビッシュ、檜山に死球を与えた後、檜山に向かって、「すみません!」 と大きな声で言って頭を下げていた。発した言葉もテレビからはっきりと読み取れた。
長年野球を見ているが、こんな光景は初めて見た。ダルビッシュ、恐るべし。人格的にも日本のエース。
素晴らしい!
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球磨焼酎 繊月

2011-06-15 07:00:04 | グルメ
      球磨焼酎 繊月
酒は少量だが毎日飲む。
球磨焼酎「繊月」は最も好きな焼酎の一つである。この度、女房の弟が人吉から送ってくれた。
だいぶ昔、人吉で飲んだ焼酎が「繊月」で、それ以来、何かの機会がある度に「繊月」を購入して飲んだ。
現役時、全日本選手権が熊本で開催される時は、宿舎の近くの酒屋を探しては「繊月」を買い求め、明石に帰社するトラックに積み込んだ。

球磨焼酎は、勿論米焼酎だが、学生時から集まって飲む時は球磨焼酎だった。むしろ、球磨焼酎しか手に入らなかった。
当時は、馬刺しを一斤買い求め、焼酎のツマミにして飲んだ。
実家のあった島原で専ら飲んだのは日本酒で焼酎は全く飲まなかった記憶があるので、焼酎は熊本で暮らしてから飲んだことになる。

今でこそ、焼酎の匂いを飲みやすく調整しているのだろうが、その昔の焼酎は臭かった。
しかし、焼酎を飲み始めてかなりになるが焼酎独特の匂いなど全く感じ無くなった。家族は相変わらず鼻をつまむが、私には全く匂わない。
ましてや、香りを楽しむと言って、焼酎をお湯で割る際の手順など無頓着といってよい。専ら、お湯割りにするが、水を加え電子レンジでチーンすれば即出来上がる。
お湯の量加減は体調や懐具合で決まる。程良い甘さを出したいときは、お湯の量を増やせばよいのだが、やっぱり焼酎の量が多めに調整してしまう。

「六調子」もよく飲んだ。

米焼酎以外の焼酎も良く飲んだが、鹿児島の芋焼酎、宮崎のそば焼酎、壱岐の麦焼酎、大分の麦、四国の栗焼酎やゴマ焼酎等々である。
40年物の焼酎は流石に上手い。
鹿児島の「魔王」、「森伊蔵」、「百年の孤独」も飲んだ。
確かに、「魔王」、「森伊蔵」の口当たりの良さは絶品物だが、一升瓶を飲み進むと、絹の様な滑らかさは最初だけで、あとは焼酎皆一緒になった。

加えて言えば、焼酎で悪酔いしたと言う記憶がない。

「繊月」のツマミに、これも人吉からの「酢ダコ」にした。・・・うまい。



「繊月」:繊月酒造
地元、人吉市で一番呑まれている定番焼酎で、やわらかい口当たりで慶兆事をはじめ、お中元お歳暮などにも無くてはならない焼酎である。毎日の晩酌でも飽きない、
ほどよい甘みと味は 翌日もすっきり。「繊月」の名は人吉城を築城する際、見つかった三日月型の石の文様で、人吉城は別名「繊月城」と呼ばれている。

                            記念に庭で写真に撮った。 
  
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雲仙・普賢岳

2011-06-13 07:00:28 | 故郷
雲仙・普賢岳 

もう20年経った。
H3年6月、雲仙・普賢岳で大規模火砕流が発生してから20年だ。この6月5日、NHKでドキュメントドラマを放送していたので、食い入るように見た。雲仙・普賢岳がある島原市は我が故郷である。

当時、放送される普賢岳状況を新聞やテレビで見ていた。
山頂近くの屏風岩火口に接した普賢神社は激しい降灰に見舞われ、拝殿は噴石で損傷し、遠足時の弁当場所だった普賢池は死の世界に一変している。火砕流が発生した水無川流域から私の生家は約15km程北に離れているので、毎日降る火山灰以外にはさしたる被害はなかったが、翌々年車で帰省時、運転していった乗用車には一夜過ぎると火山灰が積もった。すでに主幹道路は整備されていたので、仁田峠(当時は立入禁止)近くまで車で行き、山頂から有明海まで達した火砕流跡を間近に見た。草一本も見えず赤茶けた溶岩がただ残っているだけだった。

雲仙・普賢岳には、小学校や中学校時の遠足場所でもあったので、よく登った。
春はミヤマキリシマが咲き誇り、夏は緑豊か、秋は紅葉し、冬は霧氷ができた奇麗な山であった。昨年、用あって帰省したが、普賢岳山頂の黒ずんだ溶岩ドームには未だ緑はなかったが、しかし、島原の風景は以前と同じ風景を取り戻し、相変わらずノンビリとした佇まいだった。

生家の近くに新港が造られ、台風が来るたびに波が乗り越えていた石積みの堤防はコンクリート造りの大堤防に変わった。
その代わりに、ソフトボールもできた広い砂浜は無くなり、沢山あった黒い砂鉄は何処にも見当たらず、マテガイやニシガイも姿を消したようだ。良く食べたタイラガネ(渡りカニ)やガンバ(ふぐ)は高級品となって、とてもじゃないが買えないでいる。直ぐ下の有明海沿岸に沢山あった、有明海苔の養殖クイ数も少なくなり、漁師は昆布やワカメの養殖に変えたと聞いた。

雲仙・普賢岳は220年前にも大噴火が発生し対岸の熊本県沿岸に大津波を起こし、その津波の波動が再度島原に押し寄せ、5000人以上が死亡、「島原大変、肥後迷惑」と言われた。この慰霊碑の一つは歩いて行ける近くにもある。

「火山活動」
「約200年ぶりに噴火した普賢岳。噴煙と降灰を繰り返しているうちは、まだおとなしい方だった。地獄跡火口に不気味な溶岩ドームが顔をのぞかせたのが、半年後の5月20日、その時から様相は一変した。22日、さらに細かく、ザクロ状にわれた。23日、新しい溶岩ドームが成長し、崩壊した溶岩を押し上げ、火口からあふれた溶岩塊の一部が東側斜面に崩れ落ちた。・・(略)・・。26日、ついに火砕流が発生。水無川源流の谷間を津波のように一気に下降。・・(略)・・。6月3日、想像を絶する火砕流。火口から水無川下流5キロを駆け下る。民家や野山を焼き尽くされて廃墟と化し、死者・行方不明者41人という大惨事に。・・・・(略)」・・長崎新聞社 発行より抜粋。



                                        御影石で造られた神殿(石室)は灰に埋もれてしまった。
                                         背後は屏風岩で、火口の形成で著しく変貌し、面影は全くなし。
       

 
実家は四角囲みの上限付近                寛政4年(1792年)の大噴火絵図 

上限にある国見町にはサッカーで有名な国見高校がある。                              

                    

「現在の島原」
熊本港と島原外港間フェリーからの撮影。
この場所からの普賢岳(向う側で溶岩が見える)と眉山(手前のギザギザ山)が最も美しいと思う。
(寛政4年の大噴火で、手前の眉山の半分が崩れて大津波が発生した)
                        

(写真はGoogle記載のブログから転載)
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