今の季節の花として写真を撮っていたが、この「タツナミソウ」の写真映えは素晴らしかった。雑草の分類なんだと思うが、庭の、しかも石の間のこぼれ種から芽を出し花を付ける。茎をまっすぐに立てて株立ちになり、その姿に朝日が当たるとキラキラ光っている花姿にびっくりした。毎年何本かは抜いて捨てるが、それにも関わらず芽を出し花が付く。白色の「タツナミソウ」も庭にはある。
「シラー・カンパヌラータ」の写真を撮っていて気がついたが、ベルの形をした花はほんとに可愛い形だと思う。今の時期では先日紹介した庭の「スズラン」がそうだったが、庭の「アマドコロ」の花もそうで、遠目にみるとよく似ているが、近くでみるとスズランとは全く異なるベルの形をしている。どの花も うつむく表情のその佇まいが面白い。写真は上から「スズラン」「アマドコロ」「シラー・カンパヌラータ」だが、ベルの形の代表的な花では何と言っても「ホタルブクロ」だと思う。この花も梅雨の時期、もうすぐ咲く。また、4月の中旬、野々池貯水池の入口近く、林崎疎水のすぐそばに咲いていた「ドウダンツツジ 」の白い花、木の枝にびっしりと付いた花も綺麗で傍を通るたびに気になっていたが、その花の形もベル形だった。今の時期の庭には、ベルの形をした花も結構多い。
4月末、このところ雨と晴れの天気が交互にやってきて、その度に寒くなったりはたまた暖かい日が続いたりで、気分も今ひとつすっきりしない日が続く。この時期の庭は、週ごとに咲く花の色、形は様々で、それを見ているだけでも心が和む。春の主役だったチュウリップはすでに花弁が落ち球根を大きくしている期間のはずで、そんな中、ぱっと見に目立つのは紫色の花が多い。なぜだが、4月末から5月の連休の庭では紫色の花が良く目立つし、最初に咲いた紫色は「ムスカリ」だったが、今は、「シラー・カンパヌラータ」が良く目立つ。確か当初は一か所だけだったと思うが、今はあちこちに咲いている。
「シラー・カンパヌラータ」の花が終わったら次に「シラー・ペルビアナ」(いまはまだ蕾)が咲くという順番なので、4月末から5月までは、何時も紫系の花が庭にあるという感覚がある。2種ともとても丈夫で繁殖力の強い球根で、花壇に植えると、植えっぱなしで毎年美しい花を楽しましている。ヨーロッパの西部、ポルトガルからスペイン付近が原産 と書いてあったが、この球根は、現役の頃、イタリヤの二輪レース出張時、途中の乗り換えアムステルダム空港の球根売り場で購入したもので、それ以来だから長い時間を庭で咲いている事になる。
野々池貯水池にも南北2か所に藤棚があり、その二か所とも今年は花を付けている。
この藤棚、毎年一様の花を咲かせるわけでもなく、「たくさん咲いた年」もあれば、「花数少なし」の年もある。今年の花は昨年より多そうだ。
先週、ズ~ッと暖かい日が続き、30度近辺にも上がった地域もあったと報道にあったが、この地は20度を少し超えたぐらいだった。ところが、週末から土曜日、日曜日と一変して寒くなり、とは言っても17~19度くらいだから騒ぐほどでもないのだが、急に温度差がでると実数差以上に体感の寒さを感じ、寝具を冬仕様に戻して寝る始末だった。朝から晴れが続いているものの北風が吹きやや寒い。
こんな季節に、町内の幹線道路や野々池周辺を車で通ると、色鮮やかなツツジが目に付き、楽しくなる。庭の花を見ると、散り始めるもの、もうすぐ咲きそうな花と日替わりで楽しめるが、今、裏庭に続く小道のツツジが朝日を浴びて綺麗に見える。この場所には、当初、棒樫を2本買って植えていたが、育ち過ぎて毎年の剪定が大変だったうえに南からの陽を遮ってしまう程になったので数年で切って、その代わりに植えたのが、この赤色平戸ツツジ2本。これがもう30年以上にもなる。何処にでもある普通の平戸ツツジだが、手間をかけなくてもよく育ち、たくさんの美しい花をつけるので、赤い花の一面がパッと明るくなる。 そのツツジが今満開。
こんな季節に、町内の幹線道路や野々池周辺を車で通ると、色鮮やかなツツジが目に付き、楽しくなる。庭の花を見ると、散り始めるもの、もうすぐ咲きそうな花と日替わりで楽しめるが、今、裏庭に続く小道のツツジが朝日を浴びて綺麗に見える。この場所には、当初、棒樫を2本買って植えていたが、育ち過ぎて毎年の剪定が大変だったうえに南からの陽を遮ってしまう程になったので数年で切って、その代わりに植えたのが、この赤色平戸ツツジ2本。これがもう30年以上にもなる。何処にでもある普通の平戸ツツジだが、手間をかけなくてもよく育ち、たくさんの美しい花をつけるので、赤い花の一面がパッと明るくなる。 そのツツジが今満開。
野々池貯水池の数か所に咲くツツジも満開寸前で、茶色の土手が賑やかな色に変った。
庭のスズランが咲き始めている。
時期も4月中旬、いつもこの時期になると咲き始めるが、折しも雨に当たった後で白い花が映える。このスズラン、2年ほど前だったか南側の庭から玄関わきの空き地に移し替え、その翌年は花を咲かせなかったが今年も昨年に続き花が咲いた。しかも毎年芽を出す面積が広がり、今年は1.5m四方に広がった。スズランは全草に毒をもち、特に花と根に多く含まれるので、取り扱いに注意と物の本には書いてあるので、早晩、整理せねばなるまいと考えているが、見れば見るほど可憐で可愛い白い花を咲かす。
4月18日、近くの林崎疎水で「掘割祭」が行われていた。
「掘割祭」は「広報あかし」にも紹介されている有名な行事で、数年前までは明石の小学校の生徒も参列し、ケーブルテレビも取材に来ていたが、祭行事の時間が長く、これが小学生には苦行のようで、今は関係者のみが参列しているようだ。
掘割祭のほぼ一週間ぐらい前に、「掘割祭」の場所「林崎掘割渠記碑」の周辺の草刈、清掃が始まることで、祭り案内を気付く。4月の半ば、気温も暖かくちょうど良い季節で、林崎掘割渠記碑から野々池に通じる小道沿いにある八重桜と山桜がほぼ満開の時期に行われているのだが、数年前までは5本あった八重桜も徐々に枯れ、今は一本の八重桜が花をつけるのみとなり、それも花数が極めて少なくなって早晩枯れてしまう運命にあるようにみえる。その代わりの7本ある花ミズキが満開だが、以前に比べ勢いが弱い。
「林崎掘割渠記碑から野々池に通じる小道、右側は明石水道局の建屋」
明石市指定文化財
「林崎掘割渠記碑」
一、明暦三年(1657)、旱魃で苦しんでいた林崎地方の村(和坂・鳥羽・林・東松江・西松江・藤江)が 相談し明石川の上流から野々池まで掘割をつくり、灌漑用の水を確保した。
一、天文四年(1739)十二月、この掘割工事の経緯を長く後世に伝えるため、撰文を明石藩の儒学者梁田蛻巌に書を田原荷龍に依頼し碑を建立した。
一、毎年四月十八日、この碑の前で、「掘割祭」が行われ、地元の水利関係者、小学生児童が参加し、先人たちの偉業をたたえている。
4月11日のFBに「一時は大躍進した中国のバイクが見放された理由とは、日中の激突で日本勢勝利―ベトナムメディア」なる記事が投稿してあった。「recordchina」がアジア周辺国の記事を投稿しているもので、面白いので時々読んでいるが、2000年過ぎ、中国二輪製品がベトナムで失敗し撤退せざるを得なかった事例の記事だった。もう20数年前の出来事をなんで今頃記事にするのか不明。
「recordchina」
ベトナム共産党機関紙の人民報(中国語電子版)が投稿した記事だと書いている。ベトナムは現在、世界第4のオートバイ市場だそうで、2022年における二輪販売台数は前年比20.5%増の300万3160台の市場規模。市場はホンダ、ヤマハ、イタリアのピアッジオ、スズキ、台湾のSYMの5社が占めているが、ホンダが8割強のシェアを維持し続けている。そんな市場に、2000年初頭、中国の二輪メーカーがベトナムに進出してきた。圧倒的な安値を基本に、わずか3年間ほどで、中国製二輪のベトナム市場におけるシェアは、8割程度に達した。べトナム当局が国内企業保護のため関税を引き上げると、中国メーカーはベトナムに生産移管を始め、さらに価格競争を始めた。小売価格は下落する一方で、最終的には1台当たりの利益が30ドル(23年4月9日時点の為替レートで約4000円)程度にまで落ち込んだ。中国メーカーは価格を下げつづけるためにコストを圧縮せざるを得ず、製品品質を下げた。すると、消費者は中国製から離れてしまった。そして市場は再び日本製二輪に戻った、と言う記事。
思いだしてみると、確か2000年初頭頃、ベトナム市場では中国資本が低価格二輪車をもって参入し、一時的にはシェアを拡大した時期があったのを覚えている。その頃のベトナムの二輪市場を見る機会があった。旧現地資本企業がベトナムに進出し、ベトナムに組立工場を建てた時期だ。タイでは評判の悪かった小型モペットが小柄なベトナム女性(ベトナム女性のバイク利用は高い)には好評で、そのモペットをベトナムで本格生産する計画だった。ホーチミン市内を数日かけて数か所見てまわったが、販売店や路地裏のモペット修理屋と部品屋が集合した地域が市内のアチコチに点在しており、その数カ所丹念に見て回った。当時日本製モペットを主に販売する販売店も驚異的にのしてくる中国製の低価格車を恐れ、どこの店でもその話を聞かされた。しかし、数年後、中国製は一掃され日本製モペットに変わる。日本車に取って代わった理由は分析され、その報告書も一般公表されているが、結果的に中国製品の品質の悪さが敗因だった。
数年にわたり、東南アジアの二輪事情を見る機会があり、タイ、フィリピン、マレーシャそして中国(当時は自転車が主流で二輪は実用がメイン)でも二輪車が生活の基盤として活用され、国の隅々に多数のモペットやバイクを見ることができた。その中でもベトナムとインドネシアは別格で、その街でモペットの大軍を見たときは驚きを通り越して言葉を失った。信号らしきものが無い交差点で、雲霞(ウンカ)の如く湧き出てくると表現した方が適正だと思うほどのモペットの大群を見たとき、モペットをこれ程までに市場に認知させてきたホンダ技術者と営業担当には本当に敬服した事を覚えている。この光景は「二輪事業に携わったホンダマンこそ男冥利に尽きる」と感心したものだ。本当に頭が下がる思いがした。ホンダと言えば、「勝ちに拘る」とか言って二輪レースに集中する姿を主に見てきたが、現実のホンダの姿、テリトリーの広さと集中力は驚くべきものだった。ホンダの言う「勝ちに拘る」と負う意味は、モータースポーツだけに当てはまるのではなく、全世界にホンダ独自の哲学を広げることにあると再認識させられた。一見よく目立つ中大型の二輪ばかりを対象にしていると、モペットの開発と言うと何となく力が入らないと言うのを聞いたことがあるが、ある二輪企業は最も優秀の人材をモペット市場開発に投入していると聞いたこともある。実際に現場・市場に来て現場の流通を見てみると、その考えの価値はある。
こうした世界の二輪市場の歴史や趨勢をみると、家電や半導体市場で見られたような中国や韓国による日本企業追い出しを日本の二輪企業が今なお許さないのは、戦後、日本での熾烈な競争に勝ち残った浜松企業を中心とした二輪企業の強さであろうし、世界的にみると稀有な産業に見える。二輪の超優良企業だった米国ハーレーの営業利益は20%前後の時もあり(今は低迷しているが)で、後進国を現在の主戦場として伸びているホンダ二輪は先進国の低迷にも拘わらず営業利益率は14~19%を維持し、二輪事業は極めて高い収益性を確保できる事業体である。その理由は、市場動向を見た的確な戦略と素早い決断/実行力こそが高い収益性を確保できる事業体に成長することを、ハーレー、ホンダの柔軟性のある企業体質から見える。
ベトナムでの品質不具合は二輪事業から撤退するほどに大きく影響した事は中国製二輪の失敗例からも理解できるが、これは中国製だから品質が悪かったということではない。市場信頼性の高い有名二輪メーカーでさえも販売好調の機種に品質不具合を発生させ販売を大きく毀損 させた事例もあるので、東南アジアのように二輪が生活基盤の財産として考えられている市場では品質トラブルは致命的な問題なんだと思う。20数年前、東南アジアの路地裏の市場を見て回ってすぐに感じたこと、それは、この市場は大きく伸びる要素満載でビジネスチャンス大だと感じた。そして、現在のホンダやヤマハのIR資料からも読み取れるのは、東南アジアを主とする後進国での二輪事業は経営手腕によってはまだまだ「未来ある事業体」と言えるのではないだろうか。最後は結局、経営戦略の優劣が勝敗を決すると思えたし、東南アジアを主とする市場は我々にとって有機質な市場で面白みがあるのは昔も今も変わらないようだ。
満開からほんの少し過ぎた程度の庭の八重桜。
陽が当たると透き通るほどの透明感のある花弁が今の時期。八重桜の蕾は濃いピンク色をしているので花弁が咲く寸前は花弁全体が濃いピンク色に色付き綺麗なのだが、満開の桜の色は透明感のあるピンク色で、これがまた艶めかしい。
野々池周辺の町内幹道のソメイヨシノは既に散って葉桜になり、つぎに咲くのが庭の八重桜。朝日がさし始めている時間帯に、庭の八重桜を眺めていると、ぼんぼりのような花弁の塊が少しの風を受けても上下に動き、濃い紅色の蕾が満開の桜に混じってあると、桜の樹全体が朝日を浴びて綺麗で見ていて楽しい。ちょうど、パソコンを打つ椅子から横を向くと目の前に見えることも、気分転換に眺めるのにちょうど良い。
今日(13日)の朝はやや肌寒かったが、昼間は雲一つなく快晴。昨日からの黄砂がまだ残っているそうなので、あまり外には出たくない。
庭の数か所に、それも隅っこに2種類のすみれが咲いている。
2種類のうちの一種は野々池周辺に咲いている野辺のすみれを女房が10年ほど前に庭に植えたのものだが、狭い庭なので毎年、どれかの花類の植え替え時に雑草によく似たすみれも消えて見えなくなってしまう。しかし春先になると、再び前と異なる土間の隙間や石の隙間に芽を出してちゃっかりと咲いている。こんなところに移植した覚えなどないのにと言う場所にも芽をだしている。花はしっかりと咲くので、できた種が風で飛ばされ何処かの吹きどまりの隅っこに芽を出したんだと思うが、何れも愛らしい小さな花が親しみやすいのが良い。