野々池周辺散策

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KXの事例

2019-02-20 06:26:27 | 二輪事業
先日、レース活動の「参戦と撤退」を繰り返すのは、企業としてみると得策ではないと書いた。
つまり、トヨタの「レーシングカンパニー」が言う「レースに参戦に単にお金を使っているだけだと、景気が悪くなったときすぐにレースをやめろと言われたりするので、ここできちっとレースを事業体をして位置づけることで、レース事業体、ビジネスとしての収益をあげて、それをモータースポーツ活動や車両の開発に投下していくというサイクルを回していく」という考えは、全くその通りで、重要なんだと思う。

しかし、現実的には、二輪、四輪問わず、それまで綿々と続けてきた企業でも「ワークスレースチーム」から撤退することは、ままある。しかも、それは「レース活動こそ企業のDNAだ」と標榜している企業でさえもレース活動から撤退してしまう。二輪や四輪製造会社や販売会社にも色々事情があるから、レース界からの撤退は決して恥かしい事ではないと思うが、その理由を市場に発表せず、突然撤退する事があり、これは著しく評判が悪い。突然のレース撤退は、多くのファンや関係者がモータースポ―ツへの関心を削ぎ、加えてスポンサー、ライダー、メカニック等々と多くの関係者の失望と、引いては若者の二輪や四輪離れの起因へと繋がってしまう。

ところで、レースのワークスチームの「参戦と撤退」と言うフレーズで言うと、例えば、2010年に発行された「RACERS vol6」の"kawasaki GP Racers特集”に「参戦と撤退を繰り返すカワサキに未来はあるか」という記事があった。本記事によると、「'82年のKR500は他社の4秒落ちで撤退、X09はタイムが上がらずじまいで'93シーズン途中で撤退、'02年のZXRRは勝てる見込みもないままリーマンショックの金融危機に揉まれてGPから撤退した」とある。何れも特にハード面の失敗が途中撤退の大きな要因と思われるが、「他社は続けているのに、どうしてカワサキだけが参戦と撤退の歴史を繰り返して来たのか、その根源を分析しようと試みた。それは「小さい会社」ゆえだった」と、インタビューした編集長は書いている。「小さい会社」ゆえの悲哀が、ロードレース運営の存続にも影響し続けた歴史だと言うことらしい。また、一方、「モトクロス部隊がうらやましい」との記述も同じ本に書いてあった。

それは、「全日本モトクロスに行くと、今シーズンもカワサキワークスのテントが張られ、その中にファクトリーマシンがある。モトクロスにおけるファクトリー活動はここ30年以上途切れることはなかったと思う。ファクトリー活動によってKXの開発が進み、また活動によってカワサキのブランドイメージ向上し、結果KXが売れユーザー層も厚くなり、ファンは喜び、社員の士気も上がって、また新しい技術が投入されたファクトリーマシンが走り出す。そんな図式が連綿と続いている。翻ってロードはどうか。残念ながら、ファクトリーマシンを走らせて結果を残せばバイクが売れる時代ではなくなった。ならば、メーカーにとって、ロードレースに参戦する大義は何だろう」と、カワサキのモトクロスとロードレースを対比させながら所感を述べている。

カワサキのロードレースは指摘の如く「参戦と撤退」の繰り返しだったので、担当した技術者は、その度に唇をかみ涙を飲んできたと類推されるが、一方、記事にあるように、カワサキのモトクロスは1973年のKX登場以来、「カワサキモトクロスの歴史は”一度たりとも開発を中断することなく、一度たりとも生産を中断せず、一度たりともワークスレースを止めることのなかった歴史”」であり、常にこの中心にいたのが技術部の開発部隊で、この歴史は変えようがない事実だろう。

カワサキモトクロスレース活動が戦績を挙げ続けてきた歴史の一番の要因は、ファクトリーチームが技術部の開発チーム内に所属し量産車の開発をも一緒に担当してきた歴史にあるだろう。カワサキモトクロスのプレゼンスが次第に上昇してくると、常勝カワサキを維持し続ける必然性と責任に加え、いや負けるかもしれないという恐怖感が一緒になって自然と心中に沸き起こる。この恐怖感などは一度でもチャンピオンになった者でしか味わえないものだろうが、実際そうなってくる。負けると散々非難され、一方、少しでもチャンピオンを獲得し続けると「もうええで」とか、雑多な意見がそれとはなしに聞こえてくるものだ。これもカワサキモトクロスがその地位を確立したことを認める証左だと理解するも、レース参戦の意義が単に勝ち負けだけの話題になってしまう虚しさが漂ってくる。だから、レースを継続し続けねばならない環境を何がなんでも構築しておかねばと、そう考えてきた。

  当時の米国カワサキのモトクロスマシンの広告宣伝文句は「誰でもJeff Wardと同じマシンを購入でき、Jeff Wardと同じようにライディングすることができる」だった。カワサキのモトクロス開発組織は、えーと言うぐらい本当に小さな所帯だった。その中で持ち得る戦力で他社と互角に戦うために、カワサキ独自の戦略を立てた。それは、全日本選手権は次年度以降の量産車の先行開発に専念することだった。他社の先駆的な機構を横目に眺めながら羨ましくはあったけど、自社の立ち位置は守った。他社に劣る戦力は如何ともしようがないので、持った戦力をフルに活用し全日本でのカワサキのプレゼンスを明確にすること、それは量産車の先行開発に徹することだった。その思想の延長上にKXシリーズが完成し、60~500ccまでの品揃えが完成し(当時はカワサキだけだった)、その技術を活用してのKDX、KLXそして三輪や四輪バギー車を自組織内で開発し続けた。遠い昔の潤沢な資金などとは程遠い予算で、レース活動を継続し、成功させ、認知してもらうには量産KXを含むオフロード車の開発を広く手掛け事業経営に貢献すること。しかしそれは、技術者は複数の開発機種を同時進行せざるを得ず、ワークスライダーも量産車の開発に多くの時間を費やす事になって、開発担当に負担が重く圧し掛かってくるが、結果、モトクロスを中心とするオフロード車は販売の伸びとともに事業性がみるみる好転してくる。小さな排気量にも関わらず収益性は極めて高くなっていく。しかも工場ラインが閑散期に入る時期にKXやKDXのオフロード車を生産できるメリットは生産の平準化に絶大な効果があり、ライムグリーン一色のマシンが次々とラインオフする光景は壮観なものだった。
    
幸いにも、アメリカの”Team Green”が確立した時期もあって、これ等はカワサキオフ車の追い風となり、カワサキオフ車の生産台数は他社を凌駕し№1の時期が数年に渡って何度もあった(他社の台数を調べる方法は幾つもある)。この開発と生産のサイクルラインを完成し収益性を向上させ維持し続けるために、ワークスレース参戦は必須だった。毎年、開発費やレース予算を含むKXビジネスの収益性を計算し、どのようにKXビジネスを展開するかを考えていた。この事情を本当に理解してくれたのが、当時企画部門の責任者だった故武本一郎部長で、「KXビジネスは儲かってるか」と電話で何時も気に掛けてもらった。これが、カワサキモトクロスビジネスの成功理由の一つでもある。結果、「カワサキのモトクロスは”一度たりとも開発を中断することなく、一度たりとも生産を中断せず、一度たりともワークスレース活動を止めることのなかった歴史”」として繋がっていた。
         
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2 コメント

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オフロード再燃を望む (4473)
2021-09-26 22:24:40
初めまして。「KXの事例」当時の開発組織の記事を拝見して、いてもたっても居られず投稿させて頂きます。現在KDX250SR(F3)、220SR(B1,B4)を所有しています。250SRのライト廻りのデザインが最高に格好良く気に入っています。250SRのトルク、220SRのきびきびした走りと高回転の伸び、それぞれに楽しんでいます。近年は奇麗に維持したい思いが強くなり、余りオフ走行しなくなっていました。が、やはりオフを走ってこそ楽しいはずと思い直し、オフ遊び用に220SR(B1)を増車し、もうすぐオーバーホールが仕上がる予定です。
 STAFFさんの写真は、200SR TECH-SPIRIT Vol.1にも掲載有りましたね。250SRのTECH-SPIRIT Vo.2のスタッフコメント「オフロードが大好きな人のために、オフロードが大好きな設計者が開発しました。・・・大地を楽しんでください。」などを拝見し、益々愛着が湧いてきます。
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ありがとうございます。 (mohtsu)
2021-09-28 16:11:39
KDXを大事に乗って頂きありがとうございます。今後ともご愛顧宜しくお願いします
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