野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

KX 50 Years Anniversary: Kawasaki Dirt Chronicles 1973-2023

2023-07-31 06:06:10 | 二輪事業
 
7月29日、「#kx50yearsanniversary 」の「 Kawasaki Dirt Chronicles 1973-2023、Taking a look down memory lane at some of the most successful KX motorcycles of all-time.What's your favourite KX?」は、1973年から2023年の50年で、歴代のKXモトクロスマシンの中から最も成功を収めたバイクの幾つかをを紹介している。そして、そのなかで一番好きなバイクはどれかとの質問があったので個人的に思うに、次の二つのマシンに思い入れがある。
①「1994 KX250SR Mike Kiedrowski 」
  
②「2000 KX80 James Stewart
  
ここ数年、各専門ネット誌が投稿するモトクロスバイク関連記事を読むと、記事を読んだユーザーからのコメント欄に”2ストローク車要望”の書き込みが非常に多い。特に125の2ストローク車要望が多くみられる。
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庭のカノコユリ、2023

2023-07-29 06:10:22 | 
モミジアオイに続いて庭のカノコユリも咲き始めた。
盛夏、このカノコユリとモミジアオイが一緒に咲くと庭が一挙に華やかに騒ぐ。ユリの仲間では最も美しい種類の一つだそうだ。その美しさは、ヨーロッで一大センセーションを巻き起こし、花弁が宝石に例えられたり、「美しさにおいて最高の花」とまで激賞されたとある物の本に書いてあった。
 
 
ユリの母国と言われているのは、実は日本だそうで、欧州で原産しているのはたった5種類ほどだそうだ。日本には多数の美しいユリが原産し、1829年、シーボルトが日本から球根を持ち帰って、世界のユリは、その種類を増やしたと言われている。

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庭のモミジアオイ、2023

2023-07-28 06:04:42 | 
「朝早くからうるさく鳴くクマゼミ」
気象庁の発表では、7月20日頃に関西地方の梅雨明けが発表された。
ともない、昼間の温度は連日33度近辺まで上昇し、テレビは”熱中症に気を付けて”と連日報道している。とにかく梅雨明け前後からの青空は尋常ない暑さが続く。朝の部屋の温度は27から8度になるも、日中になると30度を超す時もある。そんな日中は、外に簾を掛け、その上に部屋の中に布製の簾やブラインドを下ろすと、外の涼しい風が部屋に入り込んでくる時もあり、そんなときは部屋にいても過ごし易いが、外の風がやむと汗がダラーと流れ落ちる。朝から、野々池貯水池や庭の桜の樹から蝉の鳴く声が止むこともなし。

例年、鈴鹿8耐を境とする時期に庭のモミジアオイが咲き始めていたが、数年前から8耐は8月の第一週開催に変更されたので、モミジアオイの咲く時期が1週間ほど早くなったことになる。しかし思うに、この暑さに我々年寄りは耐え切れず日時すら思いだせないのに、こんなに蒸し暑い中でもモミジアオイは時期を忘れず咲くから不思議なものだ。
 
50数年前、九州の田舎からの一株が、今は庭のあちこちに咲き、隣近所にも種を配り増えてきた。5枚の花びらを持ち大きさは径15cm~20cm、色は鮮やかな緋色、表面に光沢がある。朝咲いてその日の夕方にはしぼんでしまう一日花だが、蕾が多くつくのでシーズン中は休みなく次々に咲く。今の季節、庭で最も目立つ花になっていく。  

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大相撲名古屋場所の印象、2023

2023-07-26 06:14:15 | スポーツ
 「デイリースポーツ:涙の豊昇龍」
大相撲名古屋場所優勝の関脇豊昇龍、12勝3敗は直近3場所で33勝もクリアし、文句なしの大関昇進となる。
千秋楽まで3敗力士が3人残り、本割で3敗の一人北勝富士が勝ち残り、残る3敗同士の豊昇龍と伯桜鵬の一番は豊昇龍が右上手投げで勝ち、優勝決定戦に持ち込んだ。優勝決定戦の土俵では、落ち着き払った豊昇龍に気合十分に見える北勝富士は終始落着きがなく、この時点で多分、豊昇龍が勝つんではと予想したが、立ち合い後にうまく懐に入った豊昇龍が押し出しで勝った。勝って花道を下がる豊昇龍の目から涙が流れ、手拭いでぬぐう姿がテレビに映し出された。あの一見勝気に見える豊昇龍でも泣くんかと、そう感じた。これで、大相撲上位は横綱照ノ富士、大関霧島、新大関豊昇龍と、モンゴル出身が占めた。千秋楽の一番で豊昇龍に負けはしたが、新入幕で優勝近くまで勝ち進んだ伯桜鵬の負けん気の強さは、その将来は大いに期待できる戦いができると思う。モンゴル力士の活躍が続くと、話題なるのはモンゴル力士の強さだが、元大関まで昇進した力士が負け越して転落後もずるずると負けが込む姿を見てなんとなく思うに、我々日本人がどこか忘れがち、あるいは忘れようとしている大事な要素を、モンゴル力士は間違いなく兼ね備えている ように思う。

しかし思うに、今場所、大相撲名古屋場所は最近にない面白い相撲が続いた。いつもは淡々と好きな相撲をテレビ観戦するだけに終わっていたが、今場所は違った。期待以上の相撲の連続に久しぶりに声がでた。今場所は、大関貴景勝 そして新大関霧島の初日からの休場に始まり、4日日目からは横綱照ノ富士の休場も加わり、すこし拍子抜けの序盤となったが、それでもテレビ前に坐り観戦していると、結構面白い取り組みが続いた。それは、大関を目指す関脇3人の動き、元大関で不祥事で幕下まで番付を落とし前頭4枚目に復帰した朝乃山の相撲、そして今場所新入幕の三力士の活躍が実に面白いのだ。それと結果的に優勝には絡めなかったが錦木の活躍も面白いものだった。

最もびっくりした相撲は、関脇豊昇龍が元大関朝乃山を投げ飛ばした15日の7日目の一番だ。7日目は大関昇進を目指す3関脇はそろって勝利したが、豊昇龍が元大関の朝乃山を上手投げで制して1敗をキープした一番には正直ビックリ。朝乃山ががっちり下手を取って豊昇龍を一方的に押し出すと予想したが、結果は逆で豊昇龍が巨体の朝乃山を上手投げで投げ飛ばした。投げされまいと必死に堪える朝乃山は左腕を負傷し、翌日から休場。朝乃山は3日休んで再出場し結果、勝ち越したのは立派だったが、幕内に復帰した後の朝乃山の相撲は雑で多少荒っぽさがあったように思う。しかし、がっちりとまわしを掴めば勝ち進めるほど力強いので、来場所は大いに期待できる。朝乃山の相撲を見ると、大関級以上の力強さを感じるが、コロナ禍の不祥事さえなかったら、とっくに横綱になっておかしくない相撲を取る実力があるだけに勿体ない。

それにしても、ここまで勝ち進むとは思わなかった伯桜鵬 。 
今場所見応えのひとつに新幕内3人の相撲があったので、いつもなら5時以降に見るテレビを、伯桜鵬、豪ノ山 、湘南乃海 の相撲は極力見ようと思った。場所が始まって暫くは、最も期待されている19歳の伯桜鵬は非常に上手い相撲を取るものの全体的に力強さを感じられず、むしろ、年が25歳と喰っているが豪ノ山の相撲は見ていて惚れ惚れ すると思えた。しかし、終盤の取り組みへと進むと伯桜鵬が次々に格上力士を打ち砕いている。新入幕の力士がこんなに強いのか不審に感じていたが、多分、部屋の親方からの事細かな勝ち方の教示があったのだと思う。

残念だったのは、4日目の朝、急に飛び込んできた横綱照ノ富士の休場。
その前日3日目の相手、翔猿に負けた。そのまた前日の2日目の相撲、錦木との一番も、立ち合いからすぐに錦木を土俵際に追い詰めたが、左すくい投げをくらい惨めな負け方をした。この相撲を見てきて気なったのだが、照ノ富士の雑な相撲が気になった。3日目の翔猿との一番も雑な相撲に終始した。翔猿のまわしが顔の近くまで伸びて照ノ富士の力が全く伝わらない。一方、翔猿は飛び回って照ノ富士を翻弄させるので、早く勝負を決めたい照ノ富士は足を飛ばすが決まらず、更に動き回る翔猿に逆にけたぐりを飛ばされ照ノ富士の体が少し崩れる。一方的に攻めまくる翔猿に一枚まわしの照ノ富士は防戦一方でとうとう土俵際に追い詰められる際、照ノ富士の足の動きが不自然にがくがくとなった。攻め続けるといいが、防戦一方の下がっていく照ノ富士の膝は窮屈そうで、そのまま押し出されたが、その後も照ノ富士の膝がガクンとしたようで真面に歩けず、付け人の助けを借りて支度部屋に下がる。テレビで見た照ノ富士の印象はすこぶる悪く、これは彼の相撲人生に関わる負け方だと思ったが、案の定、4日目から休場となった。だが休場理由は膝の悪化ではなくヘルニアの悪化だとあった。

さて、次は9月の国技館、期待している。

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「YZ誕生50周年」セレモニー

2023-07-24 06:02:18 | モータースポーツ
つい最近の「Yamaha Motor USA 」のFBに、「YZ誕生50周年」とあった。
 「YZ誕生50周年:1974-2024」を、このFBによるとYZは1974年に販売開始されたとあるので、まだ来年の話だが、その半年前から「YZ誕生50周年」イベントを開始するらしいから、どんな話題が提供されるのか、ファンの一人として大いに期待している。

アメリカの専門ネット誌「racerxonline.com」はYamaha Celebrate 50th Anniversary of the YZとして、Yamaha Motor USAから発表された長文を投稿している。これを簡単に書くと、
「YZ誕生50周年」祝う一年間の世界的セレモニーがこれから始まる。そのキックオフは、全米AMA Pro Motocross Washougal NationalとベルギーのLommelで開催されるMXGP of Flanders で、1993年のカラーリングYZマシンが登場する。
YZモトクロスマシンYZ250が生産開始されたのが1974年で、そのルーツは革新的オフロードバイク 250cc DT1。 その後、YZシリーズの開発を通じ多くの素晴らしい技術が開発され、多くの世界最高の選手が勝利とチャンピオンシップを獲得した、として年代の有名選手を紹介している。 
ヤマハは「“With racing and performance at the heart of the Yamaha brand, there’s no better place to kick off the 50th Anniversary of the YZ than at the racetrack. 」だと表現し、また「“The 90s was a special era for me as a teenager racing on the weekends and watching my hero, Damon Bradshaw」だして、ヤマハの二輪ブランドの神髄は ”racing and performance” にあり、我々社員も若い時は週末にレースを楽しみ、そして我々のヒーローだった Damon Bradshawの活躍を見て楽しんだ、と綴っている。
「YZ誕生50周年記念カラー」
Yamaha Celebrates 50 Years of the YZ
Yamaha kicks off a global celebration for the 50th Anniversary of the YZ with a special retro livery for this weekend’s Pro Motocross and MXGP rounds 
MARIETTA, Ga. – Yamaha Motor Corporation, USA (YMUS) is excited for this weekend’s global kick-off of a year-long celebration of the YZ and its 50 years of excellence. Commemorating the occasion on track this weekend, the Monster Energy Yamaha Star Racing team will be sporting a special throwback livery from the 90’s era at the Pro Motocross Washougal National. The Monster Energy Yamaha Factory MXGP and MX2 Teams will also be donning the 1993 purple and white colorway at the MXGP of Flanders in Lommel, Belgium, as part of the global celebration of the iconic off-road model line.
The YZ was born in 1974 when the YZ250 began production. With its roots in the groundbreaking 250cc DT1, Yamaha brought championship-proven technology from the race track to the production line. Symbolic of the brand’s reputation for innovation and moving the industry forward, the YZ story is an integral part of Yamaha’s history. A look through the timeline shows advancements in technology over the years that have shaped the industry. Notable innovations like monoshock suspension, which paralleled with the YZ’s origin, liquid-cooling, which was first introduced on the 1981 YZ125, and the first power valve system, which was introduced on the 1982 YZ250 and YZ125. Then in 1997, the YZM400F – a modern four-stroke prototype – made a victorious debut in competition at the Las Vegas Supercross. It was quickly followed by the first production four-stroke - the YZ400F, which changed the off-road motorcycle sport. In keeping with the trailblazing YZs in the past, the 2001 YZ250F was the first production competition 250cc four-stroke on the market. All of these innovations eventually became the norms, giving the YZ a unique legacy in the sport of supercross and motocross.
In addition to the YZ line being legendary, some of the best riders on the planet have been a part of that story. It’s an A-list of Hall of Famers and future ones that together have notched countless victories and multiple championships aboard YZs both here in the U.S. and abroad.  In 1974, Pierre Karsmakers found early success aboard the YZ250, winning the inaugural 250cc AMA Supercross Championship. The following year, Jimmy Weinert took home the crown in the AMA Motocross 500cc Championship, and in 1978 Rick Burgett took top honors in the 500cc category. From 1976 to 1979, Bob Hannah would reign supreme, earning six titles with Yamaha – the 1976 AMA Motocross 125cc Championship, the 1977 AMA Supercross 250cc Championship, and both 250cc AMA Motocross and Supercross titles in 1978 and 1979. Broc Glover began his reign in the late 70s as well, with three-consecutive AMA Motocross 125cc titles from 1977-1979.
Moving on to the 80s, Mike Bell would kick off the decade with the 1980 AMA Supercross 250cc Championship. In AMA Motocross, Glover added another three championships to his tally in the 500cc category (1981, 1983, and 1985) for a total of six national titles with Yamaha. In 1984, another one of the sport’s greats, Rick Johnson, took home the outdoor 250cc crown.
Leading into the ’90s, Damon Bradshaw won the 1989 AMA Supercross 125cc East Championship. In 1992, Jeff Emig would also earn top honors aboard the YZ125, winning the AMA Motocross 125ccc Championship. Then Yamaha went on to a four-year win streak in the AMA Supercross 125cc divisional championships. It started with back-to-back 125 West victories for Kevin Windham (1996-1997), the 125 West Championship in 1998 with John Dowd, and then a 125cc title in the East for Ernesto Fonseca in 1999 to wrap a successful decade for the YZ125. In the premier class, supercross legend Jeremy McGrath won three-consecutive AMA Supercross 250cc titles with the YZ250 (1998-2000).
In 1997, Doug Henry really shook things up with the YZM400F, taking the checkers in its debut race at the Las Vegas Supercross. The following season, Henry and the YZ400F made history, winning the AMA Motocross 450MX Championship on a four-stroke, which later proved to be a game-changer for the sport. Then after the YZ250F made its debut in 2001, Fonseca also found success straight away and made history as the first to win an AMA Supercross Championship aboard a four-stroke with his 125 West title. The following year, Chad Reed also enjoyed success aboard the YZ250F, securing the AMA Supercross East Division title, and then later Jason Lawrence in 2008 in the SX Lites West Championship. In 2004, Reed added an AMA Supercross premier-class title to his resume. The championship-winning tradition continued with the YZ450F, as Grant Langston secured the AMA Motocross 450cc title in 2007 and in AMA Supercross with Reed in 2008 and James Stewart, Jr. in 2009.
Fast forward to the recent decade, the Monster Energy Yamaha Star Racing squad has enjoyed resounding success aboard the YZ250F, amassing 14 titles in the professional ranks. It started off with Jessica Patterson securing the AMA WMX title in 2010. Then Jeremy Martin clinched back-to-back AMA 250MX titles in 2014 and 2015, followed by back-to-back 250SX West Championships for Cooper Webb (2015-2016), who also secured the 2016 250MX crown. In 2018, Aaron Plessinger completed a successful campaign, winning 250 titles in both championships. Dylan Ferrandis carried on the team’s winning tradition with back-to-back 250SX West Championships (2019-2020) and the 2020 250MX Championship. In 2021, the reign continued with a sweep of the Monster Energy AMA Supercross 250 class championships, with Justin Cooper topping the West and Colt Nichols the East, and last year Christian Craig was crowned 250SX West Champion. That success carried over to their debut in the premier class, with Ferrandis securing the 450MX Pro Motocross Championship in 2021. Then in 2022, new signee Eli Tomac enjoyed a landmark year with both 450SX and 450MX Championships, for a total of 51 titles for the YZ in AMA Motocross and Supercross.
Yamaha is excited to share the story of the YZ, starting with the first YZ to the current model year family. Stay tuned for more as we look back at iconic moments during this year-long celebration of 50 years of the YZ.

Derek Brooks - Motorcycle Product Line Division Manager, Yamaha Motor Corporation, USA:
“With racing and performance at the heart of the Yamaha brand, there’s no better place to kick off the 50th Anniversary of the YZ than at the racetrack. There’s also no better way to pay homage to the iconic YZ than with this iconic era of design. The 90s was a special era for me as a teenager racing on the weekends and watching my hero, Damon Bradshaw. He set the world on fire, not only with his riding but also with the style of his bikes and gear. We look forward to sharing more stories of the YZ’s evolution and groundbreaking innovations during this year-long celebration.”

Jim Roach – Yamaha Racing Department Manager, Yamaha Motor Corporation, USA:
“We’re excited to kick off the celebration of 50 years of the YZ this weekend at the Washougal National. Both our Monster Energy Yamaha Star Racing team and the Monster Energy Yamaha Factory teams in the MXGP World Championship will be running a special throwback livery from the 90s to pay tribute to the YZ. With its roots in racing and its history of success in the sport, there’s no better place than an outdoor national to celebrate this legendary Yamaha off-road model line.”


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「処理水の安全性」をもっと知らせるべき

2023-07-21 06:13:16 | その他
こうも毎日毎日、福島原発の処理水の海洋放出が神戸新聞の一面に取り上げられると、「中国は単に嫌がらせをしているだけ」と頭では理解しても、「処理水、説明不十分」と言う調査結果が出ると、そうかな~と迷ってしまう。

国際機関IAEAは7月4日、「処理水の放射線影響「無視できる程度」 IAEA報告書要旨」と報告した。IAEAは「日本がとっている多核種除去設備(ALPS)処理水の放出に関するアプローチと活動が関連する国際的な安全基準に合致していると結論付けた」としているので、国際機関が処理水は安全であると言っているにも関わらず、多くの日本国民は政府の説明は不十分であると言う。中国は単に嫌がらせしているだけなので時期が経てば消え去ると思うが、この19日の報道にも、「中国 処理水放出めぐり日本の水産物規制強化する。輸出自粛の動き」と中国の嫌がらせはエスカレート。韓国の尹 政府は日本の対応を理解していると報道されているが、数年前の韓国政府は、東京オリンピック時は今と真逆の対応をしていた。国際機関が処置水は安全であると幾ら言っても、その反対意見を盛んに新聞が取り上げて記事にすると、気になっている人たちは、触らんとこうと思うし、それが知らずうちに風評被害につながっているのかもしれない。

原子力発電所の冷却水に含まれる放射能レベルについては、トリチウムだけは除くことはできないので薄めて海に放出しているのは、福島の原発事故以前から海外の原発も同様な処置をとっていることはよく知れられた常識だ。例えば同日4日の産経新聞「トリチウム放出量、中国では福島第1の6・5倍の原発も 欧米は桁違い」には、「トリチウムの除去は技術的に難しく、海外でも基準値以下に薄めてから海洋や大気中に放出している。中には、福島第1の排出量を大きく超過する事例も少なくない。経済産業省によると、中国では秦山第3原発が約143兆ベクレルと福島第1が予定する6・5倍、陽江原発は5倍、紅沿河原発は4倍。韓国でも月城原発が3・2倍、古里原発が2・2倍に上る。欧米では、数字がさらに跳ね上がる。フランスのラ・アーグ再処理施設は454・5倍。カナダのブルースA、B原発は54倍、英国のヘイシャム2原発は14・7倍とけた違いだ 」として、処置水は海に流すなと盛んに言う中国の原発から放出されるトリチウムの量は福島のそれより6倍強のトリチウムを海に放出している。だから、中国の国を挙げての嫌みぶりには笑ってしまうが、これが近隣の中国や一部韓国野党の対応だから、法治国家日本政府はいったい何しているんだと勘ぐってしまう。中国が非科学的な批判を繰り返し、政治利用しているためだと政府は言うが、そんなに冷静に座しているだけでいいのかと疑念をもってしまう。

2年前の2019年にも同様な事件があったのを覚えている。
当時の北朝鮮よりの韓国文政権は、日本産の一部の加工食品や農産物計17品目に対する放射性物質の検査を強化すると発表し、また、東京五輪・パラリンピックに福島県産の食材に対する懸念し、自国産の食材を東京に持ち組むと言っていた。で、東京オリンピックでは韓国以外の参加選手は旨い日本産の食べ物に大いに喜んだが、韓国選手は全く食べることが出来ず、かつ韓国の弁当が遅延で不満アリとの報道があって、笑ってしまったが、今度は中国が同じことをやっている。当時、韓国文政権中枢に日本を貶める専門の部門が存在するんでないかと報道されたように、露骨に日本への中傷記事を世界に向けて発行するのを見るに、韓国政府のガキっぽさを感じたが、今度は中国が懲りずに同じことを繰り返す。

世界の原発が「トリチウムを海に放出し、その放出量も日本の原発に比して半端ないことは「経産省のHP」に見ることができる。中国や韓国の野党は、自国原発の処置水を既に近隣領域の海に流している事実を当然知っていながら、風評被害を恐れ処置水を希釈して海洋に流すのを躊躇している日本の弱点をついているだけで科学的根拠はない。
   「経産省資料」

従来からの日本の原発からのトリチウム放出対応は世界各国と同等な処置であり、何ら問題ない。しかし、いずれも世界の人々の殆どが知らない、もしくは無関心な情報を、中国や韓国も自国の原発も同じよう放射能処置状況にあるのは棚に上げ、日本の対応が如何にも問題ありと世界中に告げ口や言いふらし、露骨に日本への中傷記事を世界に向けて発行するのを見るに、中国政府のガキっぽさを感じるが、逆にやるからにはここまで徹底すべきとする、中国の手法は多いに参考となるのだから、政府が常に連発する”遺憾である”で収めてはダメ。中国や一部の韓国野党が自国の現状はさておき、福島に焦点をあて批判する姿勢を、それをメディアが盛んに報道して、結果的に風評に落とし込まれているように見えるが、そもそも中国にも韓国にも許認可権はないし、日本の原子力規制委員会もOKし、IAEAも安全性を認めたのだから、堂々と海に流してよい。時の担当大臣が中国が相談に乗ってくれないと発言することこそが 現地福島が困ってしまう状況を作り出しているように見える。だから、上記経済産業省の資料に見られるように、経済産業省は多くの重要資料を持っていながら、一般国民が探して探してやっと見れる資料ではなく、新聞の一面広告等を通じて、政府はもっと積極的に処置水の安全性を幅広く公知させる必要があると思う。

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#kx50yearsanniversary:③、KIPS

2023-07-19 06:20:03 | 二輪事業
 
「KX50周年のwebsite」関連情報の続編③がカワサキから投稿されている。
#kx50yearsanniversary」という動画で、カワサキの2ストロークエンジンモトクロスマシンに採用された出力可変制御装置「KIPS」の事を、カワサキはこう書いている。
「KIPS - Kawasaki Integrated Power-valve System was revolutionary. Exhaust devices for 2-stroke engines can be divided into two types: those that offer exhaust port control, and those that offer exhaust chamber control. The former type regulates the size of the exhaust port opening, making it smaller at low rpm and larger at high rpm; the latter added a resonator near the entrance of a high-rpm exhaust chamber, enabling chamber volume to be increased so that it could function as a low-rpm exhaust chamber as well. KIPS (Kawasaki Integrated Power-valve System), the device that Kawasaki developed, did both. 
Debuting midway through the 1984 All Japan Motocross season, a KIPS-equipped KX125SR earned its first win in the hands of Mikio Tatewaki in only its second round of competition. It also helped Jeff Ward win his first AMA National Motocross 125 title that same year. KIPS was later adopted for use in mass-production machines: the 1985 KX250 and KX125 featured KIPS valves that simultaneously opened and closed the exhaust sub-port and resonator. 
Favorably received for its ability to generate easy-to-manage low-mid range torque from its first year, KIPS continued to evolve with every model change. In addition to controlling exhaust sub-ports and resonator opening and closing, later versions added a valve to regulate timing of the main exhaust valve. 2-stage 3-way KIPS also moved sub-valves in two stages.#KX50yearsanniversary #KawasakiKX #KIPS」
KIPS(カワサキ・インテグレーテッド・パワーバルブ・システム)は画期的なエンジンの性能向上装置だ。2ストロークエンジンの排気制御装置は、排気ポートの制御を行うものと、排気ポートにつながるチャンバー室の制御を行うものがある。前者は排気ポートの開口部の大きさ(排気口を開くタイミング)を制御し、低回転域ではその開口部のポート面積を小さく(排気口を開くタイミングを遅く)、高回転域では大きく広げる(排気口の開くタイミングを早く)する制御機構で、後者は高回転域の排気ポートの出口付近に設けたレゾネーターを、低回転域時、固有振動数域で共鳴させることでトルクを向上させる装置である 。カワサキが開発したKIPS(カワサキ・インテグレーテッド・パワー・バルブ・システム)は、その両方を有機的に実現したもの。
KIPS搭載のKX125SRは、1984年の全日本モトクロス選手権シーズン中盤にデビューし、その2戦目で、カワサキワークスライダー立脇三樹夫選手が騎乗し初優勝した。また、同年、全米モトクロス選手権においても、KIPS搭載のKX125SRは、USカワサキのワークスライダーJeff Ward選手のAMAナショナル・モトクロス125㏄チャンピオン獲得にも、大いに貢献した。1985年のKX250とKX125には、副排気ポートとレゾネーター室を同時に開閉するKIPSバルブが採用された。初年度から低中速トルクを扱いやすく発生させることで好評を博したKIPSは、モデルチェンジのたびに進化を続けた。副排気ポートとレゾネーターの開閉制御に加え、後期型ではメインエキゾーストバルブのタイミングを調整するバルブが追加された。2ステージ3ウェイのKIPSは、サブバルブも2段階に動かした。
#KX50yearsanniversary #カワサキKX #KIPS
  
モトクロスエンジンの出力向上競争の過程で得られたKIPSは、カワサキの2ストロークエンジン性能向上を図る最大の技術の一つである。その過程は、当時の社内技報や国内外の内燃機関の専門誌等に論文発表され、なおかつ内燃機関の国際会議でも報告されたカワサキの誇るべき固有技術である。

さて、2ストロークエンジンの開発を成功させるためには、たくさんの汗をかかねばならない(=多くの実験をこなすこと)ことはよく知られた事実で、勘の鋭さと執念も同じくらい必要であるが、しかしながら当時、400PS/L以上を簡単にだせるエンジン形式はそうざらに有るものではなかった。例えば、同時期、戦績が振るわず悪戦苦闘していた2ストローク2気筒250㏄ロードレースマシンが開発中断に至った時期に、2ストロークロードレース用エンジンの可能性を調べてくれとモトクロス部門に指示があり、急遽KIPS付き125㏄の単気筒エンジンを試作しモトクロスの技術で性能向上をテストした。試作エンジン完成後1月も満たない短期間で50PS(400PS/L)以上を確保実現したが、すでにロードレースからの撤退が決定していた。KIPSがない時代の2ストロークエンジンの出力向上は、排気系を試行錯誤しながら、それこそたくさんの汗と勘の閃きが重要な要素だったが、KIPSが出来てからは低速域と高速域のコンビネーションの最適な組合せの選択となった。しかし実際のレースにおいては、モトクロスやロードレースのエンジン開発で台上数値以上に重要なのは、エンジンがライダーの要求に素早く反応してくれることである。レースと言う競争の場で、必要な時、必要なだけ、それこそ他社のマシンより素早く反応する出力特性の追求であり、それは台上ベンチ上だけで確保するのははだはだ難しい。選手が必要とする優れたエンジンの過度特性を得るためには、吸気孔や排気孔の形状も大きく影響し、単に大きいだけではだめで、設計や実験者固有の経験と勘の良さが重要となってくる。更に加えて気化器、電気系統、点火特性も極めて大きく影響する重要な要素だ。特に気化器の研究には多くの時間を割き新形式の気化器開発にも大きく関与したこともあって、過度特性の優秀さにおいては、他社に先行した技術を得たと信じているし、また当時の主流の点火装置だったインナーローターマグネットは非常に高価だったが、小型アウターロータを三菱電機と共同で試作研究し量産化に漕ぎつけたのは大成功で、コスト低減と過度特性向上に貢献した。2ストロークエンジンの性能向上にKIPSが果たした役割は大きいが、基本である素性の良い特性を得るにはたくさんの汗をかき、勘の鋭さに執念でやり遂げるしかないのは変わらない。思うに2ストロークエンジンは摩訶不思議なエンジンで、これらを改良していくには一芸に秀でた職人を日頃から育成していく覚悟がいると痛感したが、かつ競争という世界で生き延びるには、持てる技術を磨き続ける忍耐も必須の道だと思う。
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オニユリ@野々池貯水池、2023

2023-07-17 06:16:50 | 野々池周辺
 
野々池貯水池の夏の草刈が始まったが、この辺の作業が始まるは1月後の見込みで、この開始時期は気になっている。毎年、2回の草刈が通例で、夏と冬の始まりに行われる。草刈はすべて終わるのに1か月以上かかり、今年は明石側から始まったのでこの辺りに来るのは一番後になるだろう。気になっているのは、この時期に咲く野々池貯水池の土手のオニユリが咲き終わってから始まって欲しいと毎年願っている。そのオニユリだが、見に行ったら満開をすぎたようだった。この場所に行くにはノイバラを掻き分けて行かねばならない。半袖から出た腕にノイバラの棘が刺さないように注意しながらオニユリの花を撮ってきた。
 
    
橙赤色の花びらは外側にくるりと反りかえり、暗褐色の斑点が特徴的なオニユリ。茎の上半部には腺毛があって、葉の脇に黒紫色のムカゴを作る。花粉は赤褐色で衣類などにつくと、なかなか落ちない。写真を撮った後、腕をみたら赤く染まっていた。


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庭の夏野菜、2023

2023-07-14 06:03:01 | 日常生活
近畿地方の梅雨は、明けそうな気配に突然の豪雨に見舞われたりで、変わらないのは今なお蒸し暑さが続いている。12日は朝から快晴で一面の青空の中に部屋の中まで外の風が来るも扇風機を回していたが、13日は一日雨模様との予報も外れて曇り空、だが甲子園の阪神:DeNAが始まる直前に豪雨で開始が約30分も遅れ、しかも村上が打たれ0:4で阪神は負けた。ゲーム差2で、まだ阪神がトップを維持。

春先に種を植えたり、苗を園芸店から購入したりと、夏野菜を育てている。猫の額のように狭い庭の真ん中にバラやハーブのなど主役の花を植えているので、夏野菜はその隙間の狭い面積が専有場所だが、何とか食べれる程には成長する。これから庭に植えてた夏野菜も少しづつ大きくなっていくので都度食卓にあがる。「万願寺とうがらし」や「茗荷」「パセリ」「アイコトマト」「ニラ」は気が付いた時に食べれるようなレベルになってきた。毎年、落ちた種から伸びた「ゴーヤ」だが今年は一本も芽が出ず、結局、苗を2株買ってきて育ているが花を咲かすようになった。また、ツルムラサキの苗を4本買って植えた。
   
   
 
そうそう、珍しい野菜といえば2本の「ブドウホオズキ 」が実をつけだしている。
 
ホオズキといえば鑑賞用の実を包んでいる袋状のものとは少し違い、食用ホオズキのガクは赤くならず緑から薄茶色になっている。薄茶色のガクを開けると、オレンジがかった黄色いプチトマトのような実があらわれ、それを食べるという。能書きを読むと、健康に良いといわれる成分が豊富だそうで、特に生活習慣病予防や脳の活性化などに良いと言われているイノシトールの含有量が多いんだそうで、我々年寄りには良いらしい。





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初セミ見参

2023-07-12 06:15:43 | 日常生活
セミが庭の桜の木に停まっているのを、今年初めて見た。
10日にセミが鳴いたと女房が言っていたので、もうすぐ庭にも飛来してくると期待して桜の木を見ると、いた。アブラゼミとニイニイゼミ、夫々一匹で、この辺はクマゼミが多いが、ニイニイゼミとは久し振りだ。昨年、庭に来たセミを見たのは7月1日だから、雨が長引いたせいか今年は少し遅れたのかも知れない。セミが来たということは梅雨が明ける兆しだろうから、いよいよ夏本番が近い。野々池からの蝉の鳴き声はまだ聞こえてこないが、蝉が出てくると本格的に夏がやってくる。 今日(11日)もまた蒸し暑かった。
 
 
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