野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

ゴジラ-1.0

2023-11-22 06:06:06 | 映画
この映画は面白かったし、泣けてもくる。「ゴジラ-1.0」だ。
 

新聞の映画評に、アメリカの観客&批評家が絶賛したと書いてあった。アメリカの映画ファンが、この「ゴジラ-1.0」のどこに面白さを感じたかはよくわからんが、同時代を生きた我々年寄りが見ても非常に面白く、1年ぶりの映画に、場面場面に涙が出た。

時は終戦時の物語。太平洋戦争に日本は負け、多くの市民は必死になって立ち直ろうと一周懸命に働きもがいていた。ところが、奈落の底に落ち込んだ日本国民に、さらに追い打ちをかける大災難が、何ら理由もなく突然やってくる。ゴジラと言う怪物が存在していることを多くの市民は知っているが、戦争に負けた日本の、その首都東京にやってきて、突然大暴れする。東京の多くの建物が無差別に理由もなく破壊され、また多くの住民がゴジラに足蹴にされ死んでいく。映画は、この巨大なゴジラと言う大災害と日本の戦争の生き残り者の戦いの物語だ。

ゴジラは圧倒的破壊力で無慈悲に街を、建物を、何の理由もなく破壊していく。戦争に負け、戦う武器は何もなく、戦勝国の非難を恐れてただ無策に穴に首を突っ込んで嵐が過ぎるのを待つだけの政府、戦争の生き残り者を集めて戦おうという声が出るも、武器もなけれ戦えるはずもなしとチームから離れていく人もいる。大災害は突然にやってきて町が破壊されている現実に、どうする日本。かって戦争に負け、苦難の道を歩かされてきた日本の戦後の道筋の延長上に、この映画があるような感じすらあって実に分かりやすい。

太平洋戦争後すぐに生まれ、その後、貧しい日本の歩みを実体験してきた身なので、場面場面は非常にわかりやすい。ゴジラと言う世紀の大災害が突然やってくるも、戦争に負けた日本が武力を出すわけにはいかないと、だんまりを決める無策の政府に何も期待できず、しかし大災害は都市のど真ん中に現実にやってきたのだ。大した武器もなく戦うすべを考え実行に移す戦争の生き残りの日本人、そんな武器では戦えるはずもなかろうと思えど、これが現実の姿だから戦わないと皆死んでしまうのだから、少ない武力を拾い集め知恵を絞って戦う。最後は、戦時中の特攻の生き残りの若者が爆弾を満載した飛行機でゴジラの口に飛び込んで爆発させ、ゴジラを海の底に沈め、勝ったと大歓声がわき上がる。しかし、海中深くに沈みながらも再び起き上がるべく体を再生させていくゴジラの姿が映画の最後に映し出される。災害はまた再び襲ってくるサインだ。保身ばかりに走る政府に頼る事もなく、有志を集め大きな外敵と闘う姿に心を洗われる気すらして、見終わったあとは爽快感が漂い涙が出てきた。日本の若い人も捨てたもんじゃないよ、と感じた。
  

ゴジラ映画と言えば、2016年に「シン・ゴジラ」を見た。
この時も思ったが、ハリウッド版「ゴジラ」に比べれば、日本製ゴジラの方が現実的で親近感もあり、迫力のすごさを加わって、やはり日本本場の「ゴジラ」の方が断然面白い。しかし、前回の「シン・ゴジラ」の主役、官僚役が早口でしゃべるので何を言っている大半は理解できず、役者の動きでその流れを後から付いていくだけで、正直大変疲れる映画だった。専門用語らしいセリフを鉄砲みたいに早口でしゃべられても、予備知識が全くない当方観客にとって、見ていて大変落ち着かない映画だった、と言うのがシン・ゴジラの印象だ。そして、最後に頼りになるのは自衛隊と言う実行部隊の組織力と素早い行動力だった。官邸や役所が法律論から一歩も出ることできない中で、実力を保持する部隊に最後は頼らざるを得ない。最後に日本を守るのは自衛隊しかないと感じられたのが「シン・ゴジラ」だ、と思えた。
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「3:10 to Yuma」を、NHKBSでまた見た

2022-09-05 06:24:59 | 映画
2日の午後1時、NHKBSで「3:10 to Yuma」を放送していた。
この映画は、だいぶ前にDVDを借りて見たが、かなり面白かった印象を持っている。すっかり忘れてしまった頃に、NHKBSはこういう映画を放送するので、NHKに契約料金を払っても良いと思う。映画って本当に面白いなと思う。

「牧場経営者ダン・エヴァンスと悪党ベン・ウェイド」

この映画は面白い。
もともと西部劇自体は好きな映画なんだが、「3:10 to Yuma」は久し振りに見た面白い西部劇だった。「L.A.コンフィデンシャル」の味のあるラッセル・クロウも期待通りだった。

ストーリー:
「南北戦争が終わってまだ間もないアリゾナ。北軍の一員として従軍し、片足を失って退役した牧場経営者ダン・エヴァンス。 彼の牧場は、その土地に鉄道を敷きたいと思う町の有力者によって様々な嫌がらせを受け、借金してしまった。 ひょんな縁から、ダンは駅馬車強盗で捕まった無法者ベン・ウェイド(ラッセル・クロウ)を駅のあるコンテンションの町まで護送する役を買って出た。 その報酬で借金が返済できるのだ。 コンテンションから明後日の「ユマ行き3時10分発」の列車にベン・ウェイドを乗せなくてはならない。 しかし、ベン・ウェイドの仲間が彼を奪い返そうと執拗に追ってくる。 道中で何人も犠牲者を出しつつも、ダンは何とかベン・ウェイドを連れてコンテンションの町に到着する。

だが護送団のメンバーを次々と失い、追ってきたベンの手下たちに、コンテンションのホテルに追いつめられる。しかも、強盗団の副頭目が護送団に懸賞金をかけ群衆を扇動したので、町中のならず者たちがダン達を殺そうとする。 「報酬は払うから逃げろ」、と説得する護送団の鉄道会社の役員にもダンは首を縦に振らず、ベン・ウェイドを列車に乗せようとする。それには理由があった。ダンの思いを悟ったべン・ウェイドはダンを射殺した仲間全員を逆に撃ち殺し、自ら護送列車に乗る。そして、その一部始終を目撃したダンの息子。 列車が走りだして間もなくベンが口笛を吹くと、死角にいた彼の愛馬が列車に近づく」

西部劇にありがちな明快なヒーローと悪役の設定ではなく、どちらかと言えば、ごく平凡な牧場主と悪役間に交される何気ない会話から、悪役ベン・ウェイドの心変り模様が巧く描かれている。牧場主と悪党間の心理的駆け引きは、他の息詰まるほどのサスペンス映画に比べれば劣るが、痛快西部劇の流れの中でみれば非常に面白い。この映画の面白い部分は、 使命感だけの牧場主ダンに悪党ベン・ウェイドは次第に友情らしき男気を感じてしまう、 人間の心理動きが微妙に変化していくところだと思うが、それを盛り上げるための銃撃戦がある。また、この映画は面白いだけでなく、南部アメリカに広がるデザートの中で、ブッシュから見る映像の場面も美しく撮れていて素晴らしい。

興味をそそった場面:
 ★悪党ベン・ウェイドを狂信的に崇拝する強盗団の副頭目は、一行が籠もるホテルを包囲、更にダンたちを殺害した者に報奨金を出すと群衆を扇動してまでベンを奪い返そうとする。 そこまでにベン・ウェイドを慕う仲間を、ダンを撃った仲間のはずの面々をウェイドが撃ち殺していく場面。強盗団仲間はベン・ウェイドの事を信頼していて、必死に助けに行こうとしていたのに、最後は逆にベン・ウェイドに無残に撃ち殺される。

 ★途中から勝手にやってきたダンの息子、一緒に残ると言う彼にダンが別れを告げる場面。そしてベン・ウェイドを列車に乗せる役目を最後までやり遂げて撃たれたダンは死に際、詰め寄ってきた息子に「町に帰って、この事を皆に報告しろ。立派に成長したな。お前は俺の誇りだ」と告げる。

 ★残虐性と寛容さ、正確な射撃の腕前と深い教養という相反する要素を併せ持つ男ベン・ウェイドは、幼年の頃捨てた母親を待つ間に聖書を完読し教養を身に付けた。暇さえあれば絵を描いている場面。

話しは変るが、この映画の頃(南北戦争後)アメリカの田舎の生活がどんなものだったかだいぶ前に調べたことがある。
大自然の中で、貧しくとも家族が助け合って暮らす生活は想像する以上に大変だった。それにはこのように書いてあった。「農村生活は絶えることのない苦難の連続で、農民とその家族はなんとか食いつないでいくだけでも、1日14時間せっせと働かなければならなかった。 農家のまわりを取り巻くのは、バラが咲いているこぎれいな庭どころか、あるのは牛や馬の糞と堆肥の山だった。 そのために、ハエやダニやさまざまな虫は群れ集まって、人間と家畜のどん底生活をいっそう悪化させた。人々は生きるのに精一杯で、衛生観念など持ち合わせていなかった。 農家の若妻には、夫に劣らない、あるいは夫以上の根気と不屈の精神が必要だった。まさに農耕馬なみの忍耐力である。 何しろすぐに手にはタコができ、背中は曲がってしまうのだから。 顔は苦労でやつれ、それが農夫の悲惨な状況をよく物語っていた。 便利さを考えて井戸は家の近くに掘られた。そして農家自体は、納屋、馬屋、豚小屋、鶏小屋、そして汚水槽の近くに建てられていた。 下水らしきものもなく、井戸水は土に浸み込み、ありとあらゆる有害物質に汚染された。台所から出る廃油、屋外の簡易便所から出る腐った汚物・・・・・」

実際の当時の田舎の暮らしと映画に出てくる牧場主の奥さんを重ねてみると、悪党ベン・ウェイドに食事を出すシーンで、大都会の楽しい優雅な暮らしを話す、ベンの話に引き込まれている奥さんの表情からも西部開拓時代の苦しさ、貧しさから逃れたいという女の心情が強く出ていた。違ったのは、牧場主の奥さんの顔が綺麗過ぎたことぐらいだが。

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トップガンを見に行く

2022-08-29 06:21:51 | 映画
2年ぶりぐらいに映画を見に行った。
もう終了したんではとイオンシネマ明石の予定表を見ると、やっていた。早速予約して「トップガン・マーベリック」を見に行った。

戦闘機の操縦シーンは映画館で見ると迫力満点だが、開始早々にマッハ10の戦闘機の場面が出る。映画では、マッハ10の有人戦闘機の開発中止が決定され、その中止宣言が現地モハベ砂漠にある実験航空隊で下される前にマーベリックは操縦してマッハ10を達成、プロジェクトを成功させる。無許可飛行を怒られ、プロジェクト中止をすねたマーベリックが、これまた太平洋戦争時のP51ムスタング(多分)をレンチを持っていじっている場面になる。 現代における空中戦は、戦闘機同士の空中での格闘能力より、レーダーで敵機を発見しミサイルを発射して後はミサイル任せというのが空中戦の基本と言われるので、ロシアの戦闘機のように最高速重視の戦闘機は古い戦略だと聞いていたが、なんでまたSR71によく似た、最高速重視の戦闘機が登場したのか分からいままに始まった。しかしマッハ10を超える速度に堪える機体もさることながら、パイロットも無傷に帰還できるのかと、このリアリティーの無さが、この映画の売りかと理解した。その後は、サンディエゴ海軍基地 で、教官として、ある国の地下核貯蔵庫を破壊する訓練を若いエリートに繰り返し指導するが、その攻撃機種が古いF18で、教官から急遽攻撃隊長に指名されたマーベリックは任務を遂こうし帰還を試みるも敵の最新戦闘機に撃ち落される。しかし撃ち落されたマーベリックは敵陣地に侵入し、保管されている米軍のF14を操縦して母艦に帰還する、と言うのが映画の概略内容だが、前作(面白くて3度見た)に比べリアリティに欠けるのが気になった。

それよりもピクッと心が動いたのは、海上でヨットに載せてもらう場面。
  

マーべリックがヨットに乗っているシーンの最後に、持ち主の女性ヨット操縦士のペニーが「アフターバーナーよ」と指示する言葉を聞いて、私は一瞬ピクッとした。風を捕まえて更にスピードを乗せるために、後ろ側の帆を広げたい場面で使った言葉だが、通常、アフターバーナーとは戦闘機のジェットエンジンの排気に対してもう一度燃料を吹きつけて燃焼させ、高推力を得る装置だが、それに掛けたものだろう。大昔、実験航空隊の飛行場で、F104や当時世界最強でベトナム戦争にも投入されたF4Eがタッチ&ゴーを繰返しテストしている光景を何度も見た。F4Eが離陸後アフターバーナーを点火し空中を突き進んで飛んでいく様は、ドォウーン言うすごい音が凄まじく真面に腹に響いてきた。その真下に住んでいたこともあり、実際の戦闘機をまじかに見ると、この戦闘機が日本の空を防衛し、他国の侵犯を防いでいるという実感を肌で感じ取れたものだ。だから、アフターバーナーと聞くと今でも敏感に反応するが、そのアフターバーという言葉をトップガンのヨットシーンで聞くとは思わなかっただけに、その場面には一瞬、体が反応した。

リアリティの無さとただただ騒々しい戦闘機に年齢相応にオジン臭さを感じたが、なぜか我々年寄には涙を誘う映画でもあったのは確かで、結論は、結構面白かった。

コメント (3)
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コロナで思い出した映画

2020-03-23 06:20:59 | 映画
コロナで世界中が大混乱に陥っているが、日本は欧州や中国より致死者数が圧倒的に少なく上手く管理されていると思う。
感染者数が少ないから死者数も少ないとするTV解説を聞いたことがあるが、感染者は検査有無や検査手法によって違いがあると聞いたので感染者数の大小は重要ではなく、あくまでコロナによる死者を少なくすることが最重要で、その点、日本医療の考え方は優れている。また、ドイツで開発中のコロナ治療薬をアメリカのトランプ大統領が高額な費用で独り占めしようとした報道が流れる中で、一方では、中国とアメリカが主原因説を夫々に押し付けるという中傷合戦をやっている。こうなると、ウイルスそっちのけの国家の覇権争いまでに発展しているのが現状。

ところで、コロナの世界的蔓延で混乱しているが、これによく似た映画(2011年)があったのを思い出した。
当時、贔屓にしたマットデイモンが主演する映画だということで近くのビデオ屋で借りて見た。その際、映画を見た印象を本ブログにも書いていたのを思いだした。「事実は小説よりも奇なり」と言うが、今、現実の世界で実際に起こっているコロナの恐怖は、空想の映画より遥かに恐怖を持ちこんだようにもみえる。
 「コンテイジョン」
ストーリー:
「咳と発熱の症状で東京を始め世界各地で死者が続出し、米国でも、ミッチ(マット・デイモン)の妻・ベスが香港から帰宅した二日後、 原因不明の咳と発熱で自宅で息を引き取り、息子クラークも同様な症状で死亡。一方、東京の死亡事件をネット情報でみたフリージャーナリストは、政府が世界規模に拡大しつつある伝染病を隠しているのではないかとブログで世界発信し、世界中の閲覧者の支持を得てくると、レンギョウ(漢方薬)がこの感染症の特効薬だというデマをながし、人々をパニックに落とし入れ金儲けを目論む。一方、カリフォルニア大学の医師が、病原の新種ウィルスを解明し、WHOは世界大流行を宣言。ワクチン開発が急がれるが、ウィルスの突然変異に追いつかず、感染はどんどん進んでいく。 結局、ウイルス学者が偶然発見したワクチンを自分に注射して、世界的事件は解決していく」

で、マット・デイモンの活躍を期待してDVDを借りてきたが、全体的に中途半端な映画で、期待外れだった。
冒頭から数十分間の間は、急速に感染が拡大し、感染を恐れて買い溜めや強奪する人、ネットで騒ぎながら一攫千金を狙うフリー記者、これらは輪場感があって引き付けられ、マット・デイモンの活躍がこれから始まるのだと期待して観ていた。だが、感染経路の捜査や、感染源に辿り着く場面までには緊迫感が全く伝わらないし、ワクチンが偶然発見されると、途端にトーンダウンしてしまい、結局、「あれ、これで映画は終わりか?」と肩透かしを喰らった。大物俳優マット・デイモンの役割は何だったの?

最後の場面は、ジャングルで、バナナを餌にしたコウモリから落ちてきた糞を食べた子豚が中華料理店に売られ、料理長は子豚料理の途中、血の付いた手をエプロンで拭きながら、挨拶にきたミッチ(マット・デイモン)の妻・ベスと握手した。これが世界中にウイルスが伝染するのが一日目。そして、映画の冒頭に戻る・・・。奇しくも、豚舎に飛来してきたコウモリは製薬会社の研究敷地に栽培されているバナナを食べた。新種のウイルスを退治するワクチンが世界に無い中、利益追求の製薬会社が裏で繋がっているかのようなエンディングだったが、なんだか妙だ。

あえて、一番面白い場面ではと期待していたのに、当て外れだった事と言えば、東京情報をネットでみたフリージャーナリストは、自らのブログでレンギョウがこの感染症の特効薬だというデマを流し、人々をパニックに落とし入れたA級戦犯。ウイルスとか放射能のような目に見えないパニック恐怖の伝播は、ネットよって一瞬に世界中に流れ、パニックはパニックを呼び込み、限りなく悪い方向に転がる。さー、これからどうなるんだと期待したが、ところが裏取りに乗ったジャーナリストはあっけなく逮捕。な~んだ。

例えば、こんなことを妄想していた。
デマがデマを呼び混乱を助長する、この場面が最も面白く演出できる所なので、例えば、テロ組織がパニックを更に引き起こし、信じた市民が国会や最高指導者の暗殺をも目論見、国家転覆一歩まで迫る。テロ組織と裏で繋がっていた、製薬会社は特効薬でぼろ儲けする。この組織を嗅ぎつけたマット・デーモンが国家の援助が得られない状況下で、悪の首謀者をやっつける。こんな場面が見たかったな。これが、危機の現実に遭遇した場合のリーダーに求められる資質だから。

**************:上記ブログは2012年に書いているが、当時は、2011年に発生した福島の原発事故発生から日も浅く、原発による放射能被害の風評が溢れかえっていた。この放射能とウイルスの共に目に見えない恐怖感が風評被害を生んだ。下記は放射能の風評被害の凄まじさを自分なりを感じて書いたもの。
「それにしても、日本での原発による風評被害はすさまじい。
戦時中の長崎への原子爆弾投下被害を調査している長崎大学の「被爆者医療センターの福島原発に関するQ&A(現在、消去されている)」には放射能に関するリスクが回答してある。 また、別の報告では、癌死亡率は100mSv以下では統計的に検出できないほど小さく、受動喫煙と同じぐらいで、放射線のリスクは喫煙よりはるかに小さいという報告もあって、放射能の危険性度合いは有る程度把握されている。が、それよりも遥かに小さい放射能レベルの瓦礫を受け入れる地域や団体が少ないとメディアが報道する。「あの日を忘れてはいけない・・・」とマスコミに言われなくとも、昨年の大地震と大津波を忘れてる人など誰もいない。それよりも、被災地そっちのけで「放射能だ!」と大騒ぎして、スーパーの食料品棚を空っぽにしたり、放射能はうつると発言する大臣の方が深刻で、これが現実の姿」

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「スター・ウォーズ完結編」を見に行く

2020-01-04 06:23:12 | 映画
42年間に渡った物語がついに完結するとの触れ込みで見に行った。
とは言っても、42年間の物語すべてを見たわけでもなく、中盤位から見続けたと思う。
今回のワーナーマイカル明石、字幕を前日予約した際は1/3ぐらいの席が埋まっていたが、当日の入りは一番狭い部屋で入りも2/3で満席には至らず。最終編「スター・ウォーズ、スカイウォーカーの夜明け」は「スターウォーズ、フォースの覚醒」や「スター・ウォーズ、最後のジェダイ」に続く完結編だとある。

3部作の、まず最初の「スター・ウォーズ、フォースの覚醒」を見た印象は拍子抜けだった。と言うのは一番のがっかりはダークサイド悪役達が弱過ぎたこと。例えば、任務を失敗して悪役の親分に叱られ役目から外され、べそをかきながら言い訳する悪役カイロ・レンをみた。それが次作「最後のジェダイ」では一転強くなっていた。一方、主役のジェダイになりつつある、白人女性レイはライトセーバーを縦横に扱える程に成長していたが、なにせ、刀を扱った経験がないのが諸分かりで、ライトセーバーを振りかざし断ち切る姿に腰が入って居らず、ただ単にライトセーバーを振りましているだけに見え、敵を一刀両断に切り捨てる場面では、生身の敵を切り捨てたという重さが感じられない。と言うのが、レイとレンの印象で、なんか面白くないなーと思った。それが、最新作「スカイウォーカーの夜明け」でのレイの立ち回りは見事で、日本のサムライの立ち回りを見るようで違和感は全く感じることなかった。

映画の中で徐々に明らかにされるレイの正体とは、悪役の総帥パルパティーンの孫娘だそうだ。レイの動きを見ていると、何かの拍子に怒りが体全面に出てくるので、ジェダイはそんな性格の人物はおらず、特異な性格のジェダイ登場とか思ったが、そうでなくパルパティーンの血を引いていたからだった。そこからの葛藤がレイに大きく圧し掛かる。今迄のジェダイが発揮することがなかった強力な”気”を、敵戦闘機を一瞬して砕く”気”を持ちえたレイは最強のジェダイになったと思われるので、ますます面白い展開を、縦横無尽に暴れまわるレイを期待するも、そうはならず中途半端に場面は終わる。その理由を思うに、レイは強力な”気””を操る能力を持ったと言えど、悟空のような比類なき才能をもった超サイア人にはまだなり得ていないからだろう。加えて悟空の前に立ちはだかる「フリーザ」のような悪役界のカリスマ的な存在も登場していない中途半端さを、このスターウォーズ三部作に感じた。

そこが、近年のスターウォーズ3部作は、スターウォーズエピソードⅠ、Ⅱ、Ⅲのインパクトの強烈さが頭に残っているだけに、どうなんだろうと、映画の印象もあまりにも駄作すぎて観客が絶望しているとか、見なきゃよかったとかのネット評があったので、ますますどうなんだろうと思ってきた。と言うのも、スターウォーズの全編を見たわけでもないので、見方が偏るかもしれないが、スターウォーズの登場人物のなかで突出の個性を発揮した人物、例えばエピソードⅠに登場した「ダース・モール」のような超個性的な登場人物が、一言も発せず暴れまわる人物の登場がいないからだろうと思う。
  「ダース・モール」
ジェダイ、クワイ・ガンとその弟子オビ・ワン、と対決した場面は圧巻だった。禿頭に10本の短い角が生え、赤と黒の刺青が奇怪な紋様を成している異貌の持ち主でかつ寡黙。まさに武人。宇宙の、このような武人が登場するスターウォーズは見ごたえがあった。こんな強烈な個性が、その後のスターウォーズに登場してこないので、ますますエピソードⅠ、Ⅱ、Ⅲの強烈な印象だけが残る。


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オリジナル「決断の3時10分」の再放送をみた。

2019-04-17 06:23:38 | 映画
4月16日の昼、NHKBSプレミアムでオリジナル版「決断の3時10分」を放映していた。
この映画はラッセル・クロウ&クリスチャン・ベール主演の「3時10分、決断のとき」のオリジナル版(1957)で、過去、NHKBSの同番組で両作品とも見たが、オリジナル版の方がハラハラドキドキで数段面白かった。その後、レンタルを借りに行ったが店頭になく、無いとなると更に見たいと思うものだが、今日(16日)の放映も非常に面白くみた。で、2013年に、NHKBS放映版を始めて見た時の印象を当ブログに書き留めていたので、以下は再投稿だが、こう言う映画は好きだな。

「主演はベン・ウェイド役のグレン・フォード。強盗団の親分ベン・ウェイドを捕まえた町の人たちが、彼を護送して3時10分発ユマ行き列車に乗せるまでをサスペンス調に描く。荒野を疾走してきた駅馬車が強盗団べン一味に襲われた時、走ってきた駅馬車を止めるために牧場主ダン・エヴァンスの牛が使われる。ベン一味に盗まれた牛を追ってきて、うっかりその全てを目撃した牧場主ダンと息子達は牛を取り返すことが手いっぱいで、何の手も打てずベン一味を見逃す父ダン。ここから映画は始まるが、出だしは新作と一緒のストーリー。日照り続きで借金200$の返済も儘ならないダンは、捕まったベン・ウェイドをユマ行き列車に乗せるべく護送役を引き受ける。危険な任務を引き受けたのはダンと酒びたりのカウボーイの二人だけだが、他は強盗団に恐れをなしてみんな家に引きこもってしまう。誰も協力者がいない町はゴーストタウンと化してしまったように殺伐とした風景となって、白黒映画のこういう場面はたまらなく良い。その後のストーリーは、駅のあるコンテンションの町へと一気に飛んでしまうが、クライマックスは一時的に借りたホテルから駅まで息詰まるサスペンスが続く。

西部劇にありがちな明快なヒーローと悪役の設定ではなく、どちらかと言えば、ごく平凡な牧場主と悪役間に交される何気ない会話から、悪役ベン・ウェイドの心変り模様が巧く描かれている。新作に比べ、地味な作品だが、牧場主と悪役間の心理的駆け引きは、他の息詰まるほどのサスペンス映画に比べれば劣るが、痛快西部劇の流れの中でみれば非常に面白い。

新作では、牧場主ダンがベン・ウェイドをコンテンションの町まで護送中もかなり派手な打ち合いがあった。
オリジナル映画では、冒頭で銃声が一発響いてからは、最後の撃ち合いに至るまで、ほとんど一発の弾も発射されることなく物語は進んでいく。酒場の女や牧場主の奥さんからも好意を持たれるほど口が巧いベン・ウェイドは、逃がしてくれれば10,000$やるとダンに言う。保護を頼んだコンテンションの町の保安官が手を引き、「報酬は払うから逃げろ」と説得する護送団社長の言葉にもダンは首を縦に振らず、ベンを列車に乗せようとする。心配でコンテンションまで尋ねてきたダンの奥さんの説得にも耳を貸さない、使命感だけの牧場主ダンにベン・ウェイドは次第と友情というか男気を感じてしまう。汽車に乗せられるベン・ウェイドを仲間が取り返そうとするが、ベンは何故か自分から汽車に乗りこんでしまう。走る汽車の中のダンとベンは線路の側で佇むダンの奥さんを見て、敵と味方であるはずの二人が顔を見合わせて笑うその瞬間、何カ月も日照り続きだった荒野に大粒の雨が降る。ここが一番の見どころ。最後に、ベンはユマの牢獄から何度も脱獄したことがあるからと言ってにっこりと笑う。新作が単なる派手な撃ちあいの西部劇だとすれば、オリジナルは開拓時代の男の男気をうまく描いた映画という印象を受けた。こういう映画は良いな!

映画を見て、強盗団のボス、ベン・ウェイド役は、ラッセル・クロウよりオリジナルのグレン・フォードの方に好感が持てた。
また、オリジナルと新作との最も大きな違いは、ダンがベンをコンテンションの町まで護送した後、心配になって後を追ってきたのが、オリジナルはダンの奥さんで、新作はダンの息子。誰も引き受けなかった悪党の護送を金のためにと言え、引き受けたダンを、其々に尊敬するシーンが描かれている。新作の息子よりもオリジナルの奥さんの方が、事の成り行きから言えば自然に感じた。と言うのは、南北戦争が終了した当時のアメリカの田舎の生活は困窮を極めており、家庭の中での母親の役割は極めて大きかった。その点でいうと、ダンの最後の仕事を見届けるのは奥さん以外に無いと思った」


・・・で、話しは変るが、この映画の頃(南北戦争後)アメリカの田舎の生活がどんなものだったかだいぶ前に調べたことがある。
大自然の中で、貧しくとも家族が助け合って暮らす生活が想像する以上に大変だったか。それにはこのように書いてあった。「農村生活は絶えることのない苦難の連続で、農民とその家族はなんとか食いつないでいくだけでも、1日14時間せっせと働かなければならなかった。 農家のまわりを取り巻くのは、バラが咲いているこぎれいな庭どころか、あるのは牛や馬の糞と堆肥の山だった。 そのために、ハエやダニやさまざまな虫は群れ集まって、人間と家畜のどん底生活をいっそう悪化させた。人々は生きるのに精一杯で、衛生観念など持ち合わせていなかった。 農家の若妻には、夫に劣らない、あるいは夫以上の根気と不屈の精神が必要だった。まさに農耕馬なみの忍耐力である。 何しろすぐに手にはタコができ、背中は曲がってしまうのだから。 顔は苦労でやつれ、それが農夫の悲惨な状況をよく物語っていた。 便利さを考えて井戸は家の近くに掘られた。そして農家自体は、納屋、馬屋、豚小屋、鶏小屋、そして汚水槽の近くに建てられていた。 下水らしきものもなく、井戸水は土に浸み込み、ありとあらゆる有害物質に汚染された。台所から出る廃油、屋外の簡易便所から出る腐った汚物・・・・・」

実際の当時の田舎の暮らしと映画に出てくる牧場主の奥さんを重ねてみると、悪党ベン・ウェイドに食事を出すシーンで、ベンの話に引き込まれている奥さんの表情からも西部開拓時代の苦しさ、貧しさから逃れたいという女の心情が強く出ていた。違ったのは、牧場主の奥さんの顔が綺麗過ぎたことぐらいだが。

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「ミッションインポッシブル/フォールアウト」を見に行く

2018-08-17 06:18:24 | 映画
今度のミッション・インポッシブルは第6作目。前作第5作目を2015年の8月に観に行ったと書いているので、3年ぶりのミッション・インポッシブル。
個人的な感想として、今迄見た中では第2作目が最高に面白かったが、第2作目の印象に比べて今回の「フォールアウト」はまあまあかな。昔の「スパイ大作戦」がテレビで放映された時期からのファンだから、あのテーマ曲が流れると妙にワクワクしてしまうのは何時もの事で、このテーマ曲を聴くために映画を見に行くようなものだ。今度も、テーマ曲が流れだすと、サーこれから始まるぞーと椅子にしっかりと深く腰掛け、次の場面を期待してしまった。

今回もそうだが、バイクシーンは最高に面白く、ハラハラドキドキ感が長く続く。よくもーこんなスリリングなバイクで超高速バトルの展開シーンを上手に撮影できるものだと何時もながら感心する。
 「幾多のアクションの中で、最もスリリングな場面はバイクシーン」
主役のトム・クルーズはプロのスタントマン顔負けの身体能力で数々のアクションをこなしていると、色々な解説に書いてあるが、今回の「フォールアウト」でも多彩なアクションシーンがありすぎてツーマッチで、ひとうひとつのアクションシーンの印象は甚だ薄い。その中でも特別の圧巻はバイクシーンだった(「世界中のファンを驚かせてきたトム・クルーズ」)。そうは言っても、トム・クルーズの年齢は56才だそうで、若い時の張りはかなり薄れ、メリハリも決らずの印象がかなり強いと感じた。それは、まだまだ元気だと年とっても働かされているサラリーマンに似て、何とはなしに同情してしまった感もする。

予備知識がないままにミッション・インポッシブルの映画を見て何時も思う事だが、物語自体のテンポが速く、登場人物の名前と顔、そして役割を一致させるのに時間がかかり、全体の流れを把握するのにワンテンポ遅れるし、映画の物語になんとか付いて行く事が出来たものの、物語の展開の早さについていけない自分の頭の悪さと回転の悪さに年は取りたくないと痛感してしまうこと。今回も登場人物と、その役割を、その場面では十分できなまま次に進み、後になってそうかと感じる次第で、加えて映画を見たあと、パソコンの作品紹介欄で再確認するまで時間がかかった。
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ジュラシック・ワールドⅡを見に行った

2018-07-18 06:18:11 | 映画
7月13日放映開始された「ジュラシック・ワールドⅡ」を早速見に行った。素直の感想は、この映画、面白い。
2年前の前作「ジュラシック・ワールド」はただただ騒々しい映画だった印象が残っていた。というのは、かって見た、「ジュラシック・パーク」の感覚と斬新さを再度期待し、前作の「ジュラシック・ワールド」を見たが、正直な感想はただただ騒々しい映画だった。「ジュラシック・パーク」は恐竜映画のCG映像の素晴らしに加え、良く練られたストーリー性もあって、ハラハラドキドキの筋書きで、凄いなと言う強烈な印象があった。だが、「ジュラシック・ワールド」では、遺伝子を組みこまれて人工的に誕生したモンスター恐竜が単に大暴れする騒々しいだけだったので、その継続版はどうかなと思ったが、前作より今回の、この映画(Ⅱ)の方が断然面白い。

  凄い場面と思ったのは、主人公たちを助けてくれたティラノサウルスの真後ろで火山が噴火するシーンで、良く出来ている。また、気になったのは、小島から連れ出され、狭い城から脱出し世界中に散らばったとされる恐竜たちは一体どう生き残り、どう展開していくのだろうかと思ったこと。

二日前に、パソコンで予約した際は、空席が結構あったので。この映画あまり人気がないのかと思ったが、当日、ワーナーマイカル明石に行くと、何と、ほぼ満席だった。
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「スター・ウォーズ、最後のジェダイ」を見に行く

2017-12-23 06:54:38 | 映画
「スター・ウォーズ、最後のジェダイ」の吹替え版を孫と一緒に見に行った。
15日から上映公開されたが、映画を見る予定日の2日前、座席予約をパソコンでみると殆どが空席だったので、この映画はあまり人気がないのかと、それでは様子見しようと、1日前の予約になってやっと1/2の予約となった。結局、当日の入りは約2/3。確か、2年前の「スターウォーズ、フォースの覚醒」は満席だった。

2年前、「スター・ウォーズ、フォースの覚醒」を見た印象を、「壮烈なアクション映画を期待した我々には拍子抜けするものだった。主役の二人にハン・ソロやチューバッカ、レイアといったお馴染みが補佐する。良くも悪くもワクワク感はあるけれど、期待以上のものではなかった。一番のがっかりはダークサイド悪役達が弱過ぎ。今まではフォースのダークサイドを行使する者はジェダイより強い力を持っていると思っていたが、これは勘違いでダークサイドのジェダイの力が落ちている」と当ブログに書いた事がある。つまり、前作は「今迄のスターウォーズの持ってきた、強烈なインパクト、ライトセーバーで戦うジェダイマスターとダークジェダイとの壮烈な戦いと言う壮大な場面があり、そして圧倒的強さをもった戦士達が縦横無尽に暴れまわる、やんやの喝さい」とは程遠い印象だった。

前作で任務を失敗して悪役の親分に叱られ役目から外され、べそをかきながら言い訳する悪役カイロ・レンは、「最後のジェダイ」では一転強くなっていた。一方、主役のジェダイになりつつある、白人女性レイはライトセーバーを縦横に扱える程に成長していたが、なにせ、刀を扱った経験がないのが諸分かりで、ライトセーバーを振りかざし断ち切る姿に腰が入って居らず、ただ単にライトセーバーを振りましているだけに見え、敵を一刀両断に切り捨てる場面では、生身の敵を切り捨てたという重さが感じられない。

なんだかんだと物足りなさもあったものの、前作の「フォースの覚醒」より場面の展開も痛快さも面白かった。
例えば、ダークサイドの親分スノーク指導者とスノークの守備隊である赤い服を着た騎士団、この騎士団はそれぞれ特異な武器を持ち縦横に扱る能力をもつが、彼らとカイロ・レンとレイが組んで戦う場面は迫力があって中々面白い。それに加えて面白い場面だったのが、反逆陣が逃げ込んだ惑星クレイトでの決戦。その前に、逃げる反乱軍を追って敵のファースト・オーダー艦隊がまじかに迫り、反乱軍の戦闘機は簡単に撃ち落され味方の陣容は瞬く間に少なくなっていく場面では、反乱軍はこんなに弱いのかとがっかりしたが、味方を無くしながらも惑星クレイトに到達し、相互に睨みあう。この惑星クレイトでの反乱軍とファースト・オーダー軍との戦いに、ぐっと体を乗り出した。それほど、この場面の素晴らしい構成画面に興味を引いた。と言うのは、この惑星は表面を真っ白な塩(だったと思う)で覆われており、戦闘機が飛び立ち戦う度に真っ赤な土煙に染まっていく場面は、今迄スターウォーズでは見たことがない画面で、鮮烈な印象に、迫力があって目を凝らしてじっとみた。この場面を例えれば、真っ白な雪の上で日本刀で切りあう場面に良くでる、鮮血のイメージで強烈さを感じた。
 
一方、しようもなく詰まらない場面と言えば、離れ小島に一人住むルークが岸壁で休んでいる動物から乳しぼりしながら、また魚釣りしたりする場面は滑稽の一言でしかなく、なにか重要な意味でもあるのかと一瞬考えてしまう。それでも最後まで、観て、楽しむ痛快活劇だったと言えば、その通りで、前作より遥かに面白い映画だった。最後に出てくる子供たちを何を示唆しているのだろうか。

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「ザ・マミー」を見に行く

2017-08-07 06:05:16 | 映画
   「ロンドンの街を襲う大砂塵」
「ザ・マミー/呪われた砂漠の王女」をワーナーマイカル明石に見に行った。
見ていて気が付いたが、この映画は「ハムナプトラ/失われた砂漠の都」の構成とよく似ている。特に、大砂塵がトムクルーズに襲い掛かる場面は、ハムナプトラと全く一緒でまさにハムナプトラの二番煎じに見え、何とはなしに中途半端で、これであれば別にトムクルーズを持ってこなくともと、やや面白さが薄れてきた。

洞窟で水銀が垂れる場面は中国の秦の始皇帝陵にあるとされる水銀を連想させ、またエジプトのミイラ、王女アマネットの全身には小泉八雲の『怪談』に出てくる芳一に描かれた全身呪文と同じで、象形文字のような紋章が体中に浮き上がってくる場面といい、発想が既に知られた場面が多くあった。

でも、この映画一番の見どころ、古代エジプトの王女アマネットは痛快だった。ミイラの男役は全てゾンビ風だが、王女アマネットのミイラはスタイル抜群、動き抜群の美人だが、何にか不自然が残る設定。加えて、判然としないのがジキル博士。彼の組織の室内には、半魚人の手だったり、ガイコツの研究材料がずらりと並んでおり、その組織を束ねるのがジキル博士。しかも、既に彼の中にハイドがもう宿っていて常に薬を注入しないとハイドに変身すると言う。この人物はミイラとどんな関係があるのだろうと考えながら、釈然としないままに映画は終わった。

  で、この映画の一番の迫力はミイラから人の生き血を吸って生き返ったエジプト王女アマネット。
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