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野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

’90KX・・the best looking green machines ever

2024-09-14 06:07:48 | オフロード車事業
9月13日付け米国MX専門ネット誌「motocrossactionmag.com」の「RUMORS, GOSSIP & UNFOUNDED TRUTHS」に、’90KXシリーズの広告宣伝用写真があった。’90KXシリーズはカワサキのモトクロスマシンの歴史の中で、突出して”格好良いマシン”だと紹介している。

• MXA AD OF THE WEEK: 1990 “HOLY KAW” KAWASAKI AD
 
The 1990 Kawasaki KX line-up was among the best looking green machines ever. Back in 1990 Kawasaki had a KX60, KX80, KX125, KX250 and KX500.

2014年に発行された「RACERS vol26 」誌は、’90年KXのペリメータフレームを取り上げている。「RACERS」は日本の購買層が多いロードレースのワークスマシンを主に取り上げ記事にしているので、モトクロスバイクを取り上げて特集を組むのは異例だが、「編集長がKXペリメータフレーム開発物語を取り上げた理由」を巻頭言で、編集長はペリメータフレームを採用したカワサキKXデザインの”圧倒的かっこよさ”を「RACERS」特集に選んだ理由として述べている。かつ、他社比較車と対比しながらKXを絶賛し、この”圧倒的かっこよさ”が多くのユーザーを引き付け、例えば当時カワサキKXの最大の競争相手だった、ホンダの技術者でさえ、ホンダのモトクロッサーではなくKXを買ったと書いてある。その理由とは”KXが格好良いから”だったという。それまでのモトクロスフレームとは一線を引いた、言わばモトクロッサーのフレームとはこれだと言う既成概念を一掃してしまう”かっこよさ”がKXにはあった。

もう一つ、’90KXのアイデンティティの一つである、スプラッシュ”KX"のデザインを発案したデザイナーが、2023年に開催した「KX50周年を祝う有志の会」で、「KX50周年記念車のデザインについて」を講演してくれた。2024年モデルKX50周年記念車KX450、KX250に採用されたグラフィックデザインの原点である、'90年KXのグラフィック、スプラッシュピンク等の適用を考案した松見康祐 さん(元カワサキ技術部のグラフィックデザイナーで現在は熊本在住)が、当時の事を話ししてくれた。この’90年KXのグラフィックは、その後の’90年代の二輪車のグラフィックデザインに大きな影響を及ぼし、二輪の業界では初めての「グラフィック大賞」をもらった二輪車のグラフィックデザインとしては革新的なデザインだが、日常的に接した仕事仲間内では普通の話も、初めて聞く人や日頃から興味を持った人が聞くと甚く言葉が染みるような話だった

追加して話せば、「RACERS vol26 」誌には、米国の有名デザイナー・トロイリーとダートクール誌浦島編集長のKXデザインに関する談話だが面白い。カワサキがペリメータフレームをMXマシンに採用して以来、アフターマーケット部品市場が拡大した。ペリメータフレーム採用によって、燃料タンクをシュラウドが覆うことでデザイナーの担当分野が広がった事によるが、従来からMXレースではライダーがニーグリップする際、燃料タンクに泥を巻き込み傷が着きやすいという問題があった。こすれ傷があってもレース使用上は何ら問題ないが見栄えが悪い。そこで燃料タンクをシュラウドで完全に覆ってしまうことで高価な燃料タンクを交換することもなく、安価なシュラウドだけの交換で新しいマシンに変えることが可能となった。シュラウドは重要なデザインパーツになった。更にもうひとつ、当時、蛍光プラスチックをUS Kawasakiのワークスレースチームが多用していた。群を抜いて格好良く素晴らしかったので、是非量産適用してくれと強い要求がきた。数種の蛍光グリーンの樹脂部品を試作してみたが、これが見栄え抜群。しかし、蛍光樹脂部品の問題は色劣化がある事。各種試作し環境テストセルでテストしたが色落ちの経時変化を改良できず、当時は量産採用不可。今思い出しても蛍光グリーンは兎に角格好よく、KXに良く似合っていた 。蛍光グリーンのKXは遠い昔の話で、カワサキがモトクロスビジネスのリーディングカンパニーを自負して活動していた時代の、ごく一部の活動に過ぎないが、面白い愉快な時代だった。こうして、米国のMX専門ネット誌”Motocross Action”が’90年KXを再び取り上げてくれたので、昔を振り返ってみた。

 *参考: 




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懐かしき”Goat Breker”

2023-02-15 12:39:14 | オフロード車事業
 「Goat Breker:MXVice.com」
先日、FBに「Top 50 Riders Of The 1980s (By The Numbers): #48 Goat Breker」と言う記事が投稿してあった。これは「MXVice.com」という、モトクロスの ニュース・メディアのウェブサイトで、「お気に入り」に登録しているわけでもないが、当方のFBにも流れてきた。この記事は1980年代のトップ50ライダー達を紹介しており、その#48回目がUSKawasaki時のGoat Breker選手(ゴート・ブレーカー)だ。当時の米国「Kawasaki Racing Team」のMXワークスライダーの写真が下記。左から、Kent Howerton、Jeff Ward、Billy Liles そして Goat Breker
 
左から、Kent Howerton、Jeff Ward、Billy Liles そして Goat Breker。USモトクロス界を代表する有名ライダーばかりだが、改めて見ると当時の超一流ライダーがカワサキを選んでくれた。米国では、どのスポーツ選手にも一般的に当てはまることだが、一流に成ればなるほど勝てる可能性の高いチームと契約する。そのことでチャンピオン獲得の可能性が高くなり、契約金も相対的に高くなるからだ。だから何処のチームの出身かを論ずること事態は余り意味をなさず、現在の力量を評価してくれるチームと契約する。それでも、リタイヤ後は、チャンピオンになった時に在籍したチームやリタイヤした時に在籍したチームへのロイヤリティが高い傾向にあるようだ。

Goat(Todd)Breker選手
Goat(Todd)Brekerがカワサキに居たことを知らない人も多いので、参考までに書いておこう。KMC R&Dがオレンジカウンティ空港近くに単独の事務所を構えていた頃、確か1970年代中盤頃、その事務所で会ったのが最初だからかなり古い。Goatの兄、Brain Brekerは当時、有名なデザートライダーで、度々カワサキのマシンテストを引き受けていた。Goatは兄の後に金魚の糞のごとくくっ付いてカワサキの事務所に度々遊びに来ていたが、まだ10代中盤で勿論頭髪はふさふさしていた。GoatがまだToddと呼ばれていた時期だからかなり前の事だが、テストで山に出掛ける際、いつもBrainの車に同乗しており、たまたま一緒に同乗させたもらったが、悪行ぶりは今も書けないこと多く、その賑やかなこと。その後兄を超える有名ライダーに成長したが、その時以来の縁だからカワサキとは相当の長い付き合いだ。下記の写真は1976年4月、2サイクル機関のシリンダー内に線爆溶射した新技術の米国テスト時、確か4,5台のオフ車でモトクロスコース、デザートやファイヤロードで連帯走行させてその耐久性を確認した際、BrainにくっついてきたGoat、彼は1959年1月生まれだから確か17歳の頃のTodd Brekerで、髪の毛もふさふさしている。
 「左がGoat  Breker、右が私:1976年4月」

参考に、
Kent Howerton選手:
スズキから移籍してきたKent Howertonからは貴重な意見を得たという意味で思い出がある。彼がカワサキに来てからKXの評価が一変し良くなったのだ。Howertonの仕事は当時のUSワークスライダーの指導とマシン開発へのアドバイスが主契約だったと思う。ある時を境に、特に大きな仕様変更もしていないのに、日本に伝わってくるのはマシンの悪い面ばかりが強調されてくる。不思議に思っていたが、Kent Howertonがテスト来日した際に理由が判明した。Howertonの答えはこうだ。「KXは何も基本的に悪い事はないし、他社と十分な競合力がある」「あえて挙げる改良点はこれだけ・・・」と非常に明快。そのことが開発部門に正しく伝わって来ず、どこかでショートし、悪気はないんだろうけど悪い情報のみが一方的に強調され伝わってきただけの事だった。Howertonとは机を前にして直接話した。互いにコミュニケーションの重要さを認識できたし、事実を正しく伝達することで組織の風通しが良くなった。その時以来、KXのマシン評価は一変した。ウソのように良くなったのである。
Billy Liles選手
ただただ実直で真面目なモトクロス選手で、懇親会にネクタイ姿で来たGeorgia州出身のナイスガイだ。彼の人柄は、アメリカで2ヵ月間一緒に暮らした元カワサキワークス立脇選手が詳しい。「84年1月、2月、ニューポートビーチで、Billyと一緒にアパート借りて、CMCのレースや練習をしてたのを思い出しました。 英語が得意でない僕にゆっくりわかりやすく話してくれたナイスガイでした!」との立脇さんのコメントあり。
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KTMの2ストロークモトクロッサーの販売は好調らしい

2022-12-31 06:40:30 | オフロード車事業
「Motocross Action」
12月29日、FBのお気に入りに登録しているアメリカの専門誌Motocross Actionネット誌に面白い記事「 2022 WORLD TWO-STROKE FLASHBACK: REPORTS OF THE TWO-STROKE’S DEATH HAVE BEEN GREATLY EXAGGERATED」があった。米国、豪州や欧州のオフロードバイク雑誌から次々に更新されるFBを読むと、毎日のように、ほとんどのネット誌が2ストロークモトクロスマシン待望論を展開している。しかもその写真をみると、すぐにでも販売される程に良くできている。この現象は、ここ数年来、2ストロークマシンを強く熱望する米国や豪州のモトクロスユーザーの根強い人気を示すものだ理解しているが、Motocross Action誌の本記事も同類のもので、こよなく2ストロークモトクロスマシンを熱望している。そして、今、 現実の市場では、「KTMの2ストロークマシンの販売台数は日本ブランドの4ストロークマシンの販売台数よりも多くなった」と書いている。

この記事によると、ホンダ、カワサキ、スズキが2ストロークマシンを復活させることはないとも書いている。Motocross Action誌は、過去15年間、2ストロークモトクロッサーが市場から消えたことを嘆き、AMAに復活してくれと懇願しながら、仮にホンダがCR250を復活させればどれだけ儲かるか等々をインターネット通じて発信してきた、とある。ホンダやカワサキやスズキは市場に増加しつつある2ストロークマシンを横目に見ながら無視し続けてきたが、2ストロークマシンは市場から決して消えることはなかった。

我々(Motocross Action誌)は、毎年、2ストロークマシンのテストをしつこく続け、何年も変わらない2ストロークのYZ125やYZ250をテストして批判を浴びることもしばしばあった。しかし、市場に2ストロークマシンがあれば、それらを平等に扱わなければ、新参ライダーは2ストロークを知らないし、ベテランライダーは自分の愛車がどう変わったのかわからない。ビッグ4のマーケティング担当者に、昨シーズンのベストセラーバイクは最新鋭の4ストロークではなく、何千台もの使い込まれたヤマハの2ストロークYZ250だと言っても、彼らはへらへら笑うだけだった。

それは現実の市場の姿であり、2ストロークマシンの復活の始まりでもあった。日本のほとんどのブランドは気づいていないが、そんなことは末端市場では誰でも知っている。古い2ストロークのマシンが倉庫から引っ張り出され取引された。4ストロークの$12,400 CRF450WE.も$1500の2ストロークもモトクロスマシンとしての楽しさ・面白さは何も変わらないのだ。4ストロークの$12,400 CRF450WEが格段に面白さを提供してくれるものではない。

1998年当時、ヤマハの4ストロークYZ400が飛ぶように売れていく中、ホンダやカワサキ、スズキの2ストロークの新車がショールームで寂しく忘れ去られていた。ホンダ、スズキ、カワサキが2ストロークを殺したのではなく、消費者の無関心が殺したのだ。
 
そうしてコロナパンデミックの暗黒時代が到来した。すると、2ストロークマシンの部品、プラスチック、ピストン、エキゾートパイプに光が当たり始めた。そしてオフロードブームが到来し販売店から2輪がなくなると、オフ愛好者はガレージから古いRM250を引っ張り出し走りに行った。2ストロークマシンが急増している事実を、スズキ、カワサキ、ホンダの首脳陣の頭をかすめたかもしれないが無視し続け、一方、 KTM, Yamaha, Husqvarna, GasGas, Beta, Sherco, TMはその事実を真剣に受け止めた。彼らは、2ストロークマシンが復活してくると判断した。結果は「 In fact, KTM was selling more two-stroke dirt bikes than the Japanese brands were selling four-strokes」となって、実際、KTMの2ストロークオフバイクの販売台数は日本ブランドの4ストロークバイクの販売台数よりも多いのだ。。。。と言うお話。

これに類する話題は、昨年、オフロードバイクの世界最大市場米国で、市場に大きな影響力をもつアフターマーケットの「PRO CIRCUIT」オーナー MITCH PAYTONさんにMotocrossAction誌がインタビューしている記事「HOW MITCH PAYTON SAVED THE PRO CIRCUIT EMPIRE IN THE PANDEMIC
」にも書いてあった。その中の一節から。
WHY ARE PEOPLE GOING BACK TO TWO-STROKES?
Some of them had four-strokes and they said, “I can’t afford it anymore. I’m tired of spending big money.” A brand-new KTM is big money after all the fees. Speaking for the regular dudes, if they had a two-stroke before, they can buy an older two-stroke, fix it up, and that’s their baby
.
「2ストロークマシンは復活するかの質問について」、4ストロークマシン所有者と話すと、彼らが言うには「もう余裕がないんだ。もう大金を使うのはこりごりだ」と言っている。新品のKTMの4ストバイクは諸費用を考えると大変金がかかる。普通の人と話すと、2ストロークのバイクの所有者は、古い2ストロークのバイクを買って、それを修理して遊べる(だからあまり金はかからない)

WHY DID THE JAPANESE MANUFACTURERS MOVE AWAY FROM TWO-STROKES?
The California Air Research Board had talked about banning two-strokes in 1999. I tried to rally some of the manufacturers to talk to them. When I called Kawasaki, they were interested in talking to the people, but when I called American Honda, they said, “No.” They agreed in the early 1960s that they would try to clean up emissions, and they wouldn’t go back on their word, but California did not ban all two-strokes in 1999. Still, that threat scared the Japanese manufacturers out of making them. So, the actual motivation for developing the four-stroke was a fake threat. I don’t think the AMA was knowledgeable enough to realize what a four-stroke could be. They were stuck in the thinking that all four-strokes were air-cooled, big-piston, dumb four-strokes like the XR650 and XR400. They couldn’t see a future where four-strokes would rev high, have a short stroke, a big bore, a lightweight crankshaft and an electronic ignition. 
KTM was manned by hardcore motorcycle guys, and they saw a future with both powerful four-strokes and lightweight two-strokes. That’s why they are where they are today.
「日本のメーカーが2ストロークから離れたのはなぜですか?」の質問については、1999年、CARB(カリフォルニア州大気資源局)が2ストロークエンジンの禁止について提案してきたので、いくつかの製造業者を集めて話をしようと試みた。その話にカワサキは賛成しホンダは拒絶した。・・・カリフォルニアは1999年にすべての2ストロークを禁止しなかった。それでも、日本のメーカーは2ストを作らなくなった。4ストロークを開発しようとする実際の動機は偽ものだった。当時のAMAが考える4ストロークエンジンとはXR650やXR400のような空冷ビッグピストンのダサいエンジンのイメージしかなく、まさか、4ストロークエンジンが高回転、ショートストローク、ビッグボア、軽量クランクシャフト、電子制御式イグニッション等を装備するとは想像すらできなかった(時代遅れの空冷4スト250㏄のエンジンには2スト125㏄が丁度いいと思った?)。AMAは4ストの可能性を理解する知識がなかったと思う。KTMは筋金入りのバイク設計者だから、パワフルな4ストロークと軽量な2ストロークは必ず両立すると考えてきたので、だからこそ、今のKTMの成功がある。

Mitch Paytonさんは、数年前の「RacerxOnline」のインタビュー記事にも、こう話していた事がある。
「Everybody is buying some old two-stroke and they’re fixing them up as a weekend ride bike. I think there is a certain amount of people that love riding motorcycles and they just want to do it for fun. They don’t need a World Superbike to go ride on.”」
米国では、生活の一部として極普通にバイクを楽しんでいる多くの人々がいる。彼らは古い2サイクルのモトクロスバイクを購入し週末には整備し、こうした人生を楽しんでいる。米国の多くの人々はバイクが好きなんだ。だけど、彼らが欲しいバイクはWorld Superbikeマシンでは決してない。・・・インタビューは多岐にわたっていたが、その中にMitchが、バイクマーケットを広げるためには、よりエントリーレベルに適した、格好良くて高性能な2ストロークモトクロスバイクが必要だと日頃から語っている件も真剣に語っている。

一方、日本企業で唯一2ストロークマシンを開発し販売を継続している日本のヤマハの考えはと言うと、2018年の日本の雑誌に「ヤマハ2スト2019年新型YZ85のYPVSを解説」というのがあった。この記事は、2019年に販売されたヤマハモトクロッサーの簡単な技術解説の一説だが、この記事の本質は「今、2ストが売れている」という事だった。ここには「オンロードモデルではレーサーでも2ストロークは存在していないと言っていい状況だが、オフロードモデルでは今でも現役。さらにこの3年ほどは世界的に販売台数が伸びる傾向にあるとYZシリーズのプロジェクトリーダー・櫻井大輔氏は語った。メカニズムがシンプルで価格が抑えられること、同じ理由でメンテナンスのコストと手間が抑えられること、同じ理由で車重が抑えられることなど特に入門者にとってメリットが多い。だが、それだけでなく「面白さが理由でしょう」とも櫻井氏。2ストロークエンジンの痛快さを味わうチャンスがなくなっていく中、この分野では新車で味わうことができることから一線を退いたライダーの需要も見受けられるという。そのような背景からヤマハは2019年に新たにYZ65を投入し、さらにYZ85をアップデート。他にもYZ125/X、YZ250/Xと幅広いニーズに応えられるように2ストロークモデルを多数ラインナップしている。」と解説し、ヤマハのモトクロスマシンの最近の販売推移が記載されているが、2016年以降、ヤマハのモトクロスマシン供給量の半分は2ストロークマシンが占める傾向にあると解説している。

個人的に思っていることだが、最近のモトクロスマシンの主流が4ストロークエンジンに移行し、その最新マシンが発表される度に感じたことだが、この開発方向が末端ユーザが本当に望む事なんだろうかとか、ひょっとしたら開発販売企業の都合だけで動いてはいないだろうかと言う疑念を持ってきた。優れたモトクロスマシンとして多くのユーザーに長く支持されてきた2ストロークエンジンの持つ優位性が消され、4ストローク化によってエンジンは複雑化し、それは重量増とも繋がり、それにアルミの車体だ。4ストエンジンの持つ欠点を解消するために、油圧クラッチ採用だ、セルスターター採用だとなると、それらは更にコストに跳ねかえり、結局ユーザー負担。これでは健全スポーツを志向するモトクロスファンが逃げていくような気がしていた。あまりにも技術が複雑化してのコスト増ではユーザ負担が増加する。すると、必然的に原点に帰ると言う作用が発生するのはよくある話だが、世界の多くのモトクロスユーザーは、今、販売価格も維持費も安価で、あの官能的に刺激する排気音の2ストロークエンジンのモトクロスマシンを切に待ち望んでいるんだと思う。 

2ストロークでも4ストロークでも電気モーターでもどれでも良いが、市場に安くて楽しいマシンを提供されるのであれば、それが勝ち、さ~どうする!

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興味深い記事があった。

2022-05-25 06:07:00 | オフロード車事業
 20日の米国の著名オフロードバイク専門ネット誌 「Motocross Action mag.com「」の「RUMORS, GOSSIP & UNFOUNDED TRUTHS: ONE MORE WEEKEND OFF BEFORE THE FIREWORKS BEGIN AGAIN」に中にあった、「2022 FACTORY EDITION, ROCKSTAR EDITION, HONDA, KAWASAKI & YAMAHA “FIRST RIDE” VIDEO VIEWERS BY MEDIA」は興味深い。These are YouTube’s official number of viewers for MXA, Dirt Bike, SwapMoto, Vital and RacerX videos. つまり、米国のオフロードバイク専門誌5社” Motocross Action”、”Dirt Bike”、”SwapMoto”、”Vital”、”RacerX ”が投稿した2022年新型モトクロスバイクの初乗り記事の動画に対する、YouTubeの公式視聴者数である。この表を見ると、モトクロスバイクの市場顧客が、どのバイクにそしてどの雑誌に興味を持って動画を見ていたかがよく分かる。
 
 
対象バイクがYAMAHA、KTM、KAWASAKI、HONDAの4社の12のバイクのみだが、
〇 YAMAHAの2スロークバイク YZ125,YZ250の動画の視聴者数が総じて多い。
〇 4ストローク450はKAWASAKI KX450が最も多い。
〇 4ストローク250はHONDA CRF250が最も多い。


 
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MITCH PAYTON のインタビュー記事

2021-10-01 06:22:19 | オフロード車事業
 「MotocrossActionmag」
9月28日のアメリカモトクロス専門ネット誌「MotocrossActionmag」が「HOW MITCH PAYTON SAVED THE PRO CIRCUIT EMPIRE IN THE PANDEMIC」を公開している。オフロードバイクの世界最大市場米国で、市場に大きな影響力をもつアフターマーケットの「PRO CIRCUIT」オーナー MITCH PAYTONさんにMotocrossAction誌がインタビューしている記事。現状のアメリカ市場を解説していたので、気なった個所を備忘録に残しておこうと思う。

2020年3月、コロナウイルスのパンデミックが発生した際、多くの人々は二輪業界の将来について非常に懐疑的だった。しかし実際は、多くの予測に反し、二輪スポーツは大きく飛躍した。二輪の販売店は新品のバイクが売り切れ、中古バイクはホットケーキのように売れた。加えてモトクロス業界もまた、新しいライダーが加わったことで恩恵を受け、ビジネスは活況を呈している。しかし、コロナウイルスのパンデミック最中の一時期、街中では、車がひっくり返り、パトカーが燃え、暴動が発生した。世界各地から部品のキャンセルも合間ってミッチさんも廃業が頭に浮かんだそうだ。その一時期の苦境の中、街がロックダウンされると、今迄バイクに興味がなかった家族が二輪を購入するようになった。と言うのは、それまで室内の競技に熱中していた子供が、コロナのパンデミックで室内での競技が出来なくなり、その子供たちが結果的にアウトドアスポーツに熱中するようになった。

コロナのロックダウン、2ヶ月程は販売が落ち込んだが、その後は爆発的にアウトスポーツに興じる家庭がバイク部品を購入し始めた。結果、2020年は販売が好調に推移した。特にエキゾートチャンバーはよく売れたし、WPのサスペンションも販売を伸ばし、2サイクルエンジンのシリンダーチューニングの注文も良く入るようになった、とミッチさんは言う。ミッチさんのインタビューはまだまだ続いているが、その中で個人的に興味が湧いた事象を取り上げてみた。記者の質問にたいするミッチさんの回答。

DO YOU SEE AN ELECTRIC FUTURE FOR OUR SPORT?
電動バイクは今後伸びると思うかとの質問に、そうならないよう願っていると回答。
何故なら、もし仮にスーパークロスのレースバイクが電動バイクだったら、非常につまらないレースになると思う。観客は電動バイクのスーパークロスレースに興奮することはできないと思う。電動バイクに、速さ、音、そして振動を感じる、エキサイティングな要因はない。だから、スーパークロスが電動バイクを採用すれば、観客はワクワクするMotoGPやF1またはドラッグに走ると思う。電動バイクの沈黙は釣りには最適だと思う。(この辺りはMOTOGPの覇者V.ロッシと同じコメント「2ストロークのエンジン音って、僕にとってはちょっと特別なんですよ…まぁ、最高って言っても良いかもね。4ストロークも好きですよ。電動バイクはねぇ…電気自動車もそうなんだけど、僕は好きじゃないかなぁ。モータースポーツと電気との組み合わせはイマイチなんじゃないんですか。」と。)

TWO-STROKES BIKES HAVE DEFINITELY GROWN IN POPULARITY.
I’m a die-hard two-stroke guy, because that’s where I came from. It’s what I rode and I learned how to do. During the first four-stroke boom, we saw a dip in two-stroke sales. The market switched to where you had to have a four-stroke. Whoever’s idea it was to make a 125 two-stroke compete against a 250cc four-stroke with double the displacement killed the 125.

私は2ストロークの熱狂的なファンです。今ここにあるの2ストロークエンジンのお陰、このエンジンから出発し多くの事を学んだ。4ストロークエンジンの最初ブームの時、2ストロークマシンの売り上げが落ちた。市場は、4ストロークでなければならないという状況に変わった。排気量が2倍の250ccの4ストロークには2ストローク125㏄で十分に対抗できると考えた人が125㏄クラスを結果的に殺してしまった。

WHY ARE PEOPLE GOING BACK TO TWO-STROKES?
Some of them had four-strokes and they said, “I can’t afford it anymore. I’m tired of spending big money.” A brand-new KTM is big money after all the fees. Speaking for the regular dudes, if they had a two-stroke before, they can buy an older two-stroke, fix it up, and that’s their baby.

4ストロークマシン所有者と話すと、彼らが言うには「もう余裕がないんだ。もう大金を使うのはこりごりだ」と言っている。新品のKTMは諸費用を考えると大変金がかかる。普通の人と話すと、2ストロークのバイクの所有者は、古い2ストロークのバイクを買って、それを修理して遊べる(だからあまり金はかからない)

WHY DID THE JAPANESE MANUFACTURERS MOVE AWAY FROM TWO-STROKES?
The California Air Research Board had talked about banning two-strokes in 1999. I tried to rally some of the manufacturers to talk to them. When I called Kawasaki, they were interested in talking to the people, but when I called American Honda, they said, “No.” They agreed in the early 1960s that they would try to clean up emissions, and they wouldn’t go back on their word, but California did not ban all two-strokes in 1999. Still, that threat scared the Japanese manufacturers out of making them. So, the actual motivation for developing the four-stroke was a fake threat. I don’t think the AMA was knowledgeable enough to realize what a four-stroke could be. They were stuck in the thinking that all four-strokes were air-cooled, big-piston, dumb four-strokes like the XR650 and XR400. They couldn’t see a future where four-strokes would rev high, have a short stroke, a big bore, a lightweight crankshaft and an electronic ignition. KTM was manned by hardcore motorcycle guys, and they saw a future with both powerful four-strokes and lightweight two-strokes. That’s why they are where they are today.

日本のメーカーが2ストロークから離れたのはなぜですか?については、1999年、CARB(カリフォルニア州大気資源局)が2ストロークエンジンの禁止について提案してきたので、いくつかの製造業者を集めて話をしようと試みた。その話にカワサキは賛成しホンダは拒絶した。・・・カリフォルニアは1999年にすべての2ストロークを禁止しなかった。それでも、日本のメーカーは2ストを作らなくなった。4ストロークを開発しようとする実際の動機は偽ものだった。当時のAMAが考える4ストロークエンジンとはXR650やXR400のような空冷ビッグピストンのダサいエンジンのイメージしかなく、まさか、4ストロークエンジンが高回転、ショートストローク、ビッグボア、軽量クランクシャフト、電子制御式イグニッション等を装備するとは想像すらできなかった(時代遅れの空冷4スト250㏄のエンジンには2スト125㏄が丁度いいと思った?)。AMAは4ストの可能性を理解する知識がなかったと思う。KTMは筋金入りのバイク設計者だから、パワフルな4ストロークと軽量な2ストロークは必ず両立すると考えてきたので、だからこそ、今のKTMの成功がある。

そして、ミッチさんはこう結論付けしている。
LIFE IS GREAT. I’M DOING WHAT I’VE ALWAYS LOVED TO DO,
AND I’M HAPPY TO BE ABLE TO CONTINUE.”
HOW DO YOU FEEL NOW THAT THE PANDEMIC SCARE IS FADING? Honestly, I’m just happy. To think that there was a time when I thought we weren’t going to survive. Life is great. I’m doing what I’ve always loved to do, and I’m happy to be able to continue.

「人生は素晴らしい。ずっと好きだったことをやっている。続けることができて幸せです」。
パンデミックの恐怖が薄れてきた今、どのように感じていますか?
正直なところ、ただ幸せだ。生き残れないのではないかと思っていた時期があったことを思うと。人生は素晴らしい。ずっと好きだったことをやっていて、続けられることが幸せです。
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昔のことを思い出した。

2021-09-20 06:37:19 | オフロード車事業
カワサキレーシングチーム・全日本モトクロスの元ワークスライダーだった立脇さんが、彼のFB(チーム ミッキー)に昔の写真を投稿していた。内容は色々あったが、その中に昔の仕事中の事が書いてあった。その一部に、
「下の写真は81年1月 アメリカにマシンテスト&レース参戦 仕事なんで出張旅費もらって行きました。
懐かしい‼️大津さんと(後にファクトリー監督) 後ろに的野さんも写ってる🙂フレーム&サス担当
コースはインディアンデューン マシンが手作り感満載(笑) シュラウドが下敷きの材料?(笑)
ガソリンタンクはFRP シート下 サイレンサーではなく リヤサスの容量増やすためのタンクですね
ファクトリーと市販車のテスト 比較車にRM他乗ったわアメリカの地で写りこまないように写真撮ってもらったの思い出した(笑)
懐かしい試行錯誤の時代 カワサキのマシン作った方々m(__)m」とある。
   

昔のある時ある場所で、立脇さんが「一回だけUS出張したことがあり、確か青い車があった」と言っていたが、このUS出張が上述のインディアンデューンで、青い車はヤマハのIT175である。当時の写真。立脇選手と野宮選手がいて、毎日ビールを飲んで談笑していたわけではないが、たまにはカラオケ屋に行って歌った事も思い出した。皆でワイワイしながら昼間はテスト、夜は上手い飯を食べに出かける日課だった。写真左から、私、鈴本さん(元R&D社員)、野宮ライダー、的野さんそして立脇ライダー。
   
ヤマハIT175はKDX175比較車。KDX175は軽い車体にKX125エンジンの排気量UPを基本仕様としているが、その走行性能確認をUSでKMCR&Dと共同テストすることになり、日本から野宮、立脇の両プロライダーとサス担当の的野さんと私が同行した。当時は、モトクロスマシンと同じく砂漠やファイヤロードを走行するエンデューロ車の人気が非常に高く、モトクロス車をベースに改造した車を開発していたが、その車がKDX175だ。(上市したKDX175はアメリカのバイク雑誌数誌のシュートアウトにおいてベストバイクに選出され、高い性能にも関わらず値段は他社並みだったので、バーゲンセールと雑誌に評価されバカ売れし急激に販売量を伸ばした名車。更に、カワサキに移籍してきた J.Penton によって、KDX175は有名なデイトナのアリゲーターエンデューロレースも制した)

この時のUSテストで思い出したが、野宮さん、立脇さんと一緒に米国に出発する確か前日、神戸の新任領事が米国入国を許可しないと言っているので説明に来てくれと、旅行代理店から突然電話があった。当時は神戸にあった領事館(今は大阪)に出かけ、モトクロスバイクのアメリカテストのために出張したいと説明するも、説明が悪かったのか、何を勘違いしたのか、米国で仕事をする、つまり現地で就職すると勘違いしたようでなかなか承認しない。モトクロスとはと、米国で販売して人気があるとか、米国で2週間ほどテストしたらすぐに帰国する等々、色々説明するが頭を縦にふらない。仕方なく、観光に行くんだと言ったら、首を横に振りながら笑って許可をした、という記憶がある。この時の道順は、カナダのバンクーバー経由シアトルに米国入国し、シアトルのスーパークロスを観戦した。レース前日、冬の雨だったが街中は結構暖かく、街を行き交う人は誰も傘をささずのシアトルで、レース会場のキングスドームは石ころが多かった。当時は、アメリカ・ロスのイミグレでは「カワサキ」「モトクロスバイク」「テスト」と言うと、何時もにこっと笑って「気をつけて」と直ぐにハンコを押してくれた時代で、カワサキの知名度が凄く高かった時代の話。
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反撃開始

2021-07-12 06:35:29 | オフロード車事業
先日、FBのお気に入りに登録している、ネットの米国の専門誌数誌をよんでいると、成程と感じた記事があった。
数誌の中で、Motocross Action紙の記事は理解し易いものだった。ヤマハの2022年度発売予定の新しいモトクロッサーYZシリーズの紹介記事だ。それらは、
FIRST LOOK! 2022 YAMAHA YZ250 TWO-STROKE GETS A LONG AWAITED UPDATE
FIRST LOOK! ALL-NEW 2022 YAMAHA YZ125 WITH AN IMPROVED ENGINE
FIRST LOOK! 2022 YAMAHA NEW MODEL YZ85LW & UPDATED YZ85
Motocross Action紙の記事の注目ポイントは、ヤマハがモトクロスバイク125㏄と250㏄の2クラスに、2サイクルエンジンの新機種を投入している事。特に、現在、世界中のモトクロス選手権で開催され、根強い人気のある125㏄クラスにエンジンを一新した新機種を15年ぶりに投入した記事に興味が湧いた。しかも、新機種投入理由が愉快だったからだ。それには、
”At Yamaha, two-strokes are in our blood. That’s why we continue to develop and offer a full range of off-road two-strokes, and why we are so excited about these important new updates to our lineup” said Derek Brooks, Yamaha Motorcycle Product Line Manager. “These bikes are all about providing the fun and exhilaration of a lightweight, powerful two-stroke to the next generation of riders. We feel that Yamaha YZ two-strokes will continue to play an integral role in developing young riders and building future champions””」と書いている。ヤマハが2サイクルモトクロスバイクを15年ぶりに一新した理由を、ヤマハは「ヤマハにとって、2サイクルモトクロスバイクは我々の歴史の中心を流れる血液そのものだから、今迄もそうだったように、2サイクルモトクロスバイクのフルラインナップを開発し市場の要求に答えてきた。そして、今回、新しいバイクを投入によって、更に多くの若いユーザーが育ち、将来のチャンピオンに成長するチャンスを得られる事を誇りに思う」と回答している。
   Yamaha Motor USA

モトクロスマシンの主流が4サイクルエンジンに移行し、最新マシンが発表される度に感じたことだが、この4サイクル主流の開発方向は末端ユーザが本当に望む事なんだろうかとか、ひょっとしたら開発販売企業の都合だけで動いてはいないだろうかと言う疑念を毎年、持ってきた。2サイクルエンジンの持つ優位性が、4サイクル化によってエンジンは複雑化し、それは重量増とも繋がり、それにアルミの車体だ。4サイクルエンジンの持つ欠点を解消するために、油圧クラッチ採用だ、セルスターター採用だとなると、それらは更にコストに跳ねかえり、結局ユーザー負担。これでは健全スポーツを志向するモトクロスファンが逃げていくような気がしていた。あまりにも技術が複雑化してのコスト増ではユーザ負担が増加する。すると、必然的に原点に帰ると言う作用が発生するのは過去の日本のレーサーレプリカ時代もあったように、世界の多くのモトクロスユーザーは、今、販売価格も維持費も安価な2サイクルエンジンのモトクロスマシンを待ち望んいるはずだとズーッと予感してきた。

現に、欧州のKTMやHusqvarnaは新型の2サイクルモトクロスマシンを毎年継続的に市場に供給して続けており、 そしてヤマハも2サイクルモトクロスマシンを市場に安価で提供している現実もあり、市場末端ユーザーのレース出場選択権を増やすべきとするのは、全くの正論であろう。1998年、ヤマハが4サイクルエンジン搭載のモトクロスマシンを上市して以来、2サイクルエンジンを閉め出すルール化となったが、その後もヤマハは2&4を旗印に決して差別化せず2サイクルマシンを市場に供給してきた。構造がシンプルで取扱い軽量、加えて瞬発力があってコストパフォーマンスに優れたモトクロスマシンを市場は求めてきたと思うが、それが、現在の市場が求める2サイクルマシンだろう。2サイクルエンジン付きモトクロスバイクを開発供給してなんぼ儲かるんだと言う冗談めいた話を過去、あるメーカーの関係者から聞いた事あるが、市場は常に変化しているのだろうから、世界の半分以上を有する大市場である米国の末端の動きを無視しては通れはずと。市場は、かっての王者日本企業を噛ちらし、欧州の企業が名実とも王者に長く君臨してきたが、そんな時期に、15年ぶりにヤマハは世界的に注目されている2サイクル125㏄クラスに新機種の投入した。日本企業の代表、ヤマハの反撃が始まった。

世界一の大市場、全米のモトクロスの世界を支えているのが、多くのアマチュアライダー達だ。そして、アマチュアモトクロスレース活動、その行動の原点は「家族の絆」が歴史的に根強く存在しているからだと思う。思いだしてみると、'76年のアメリカテストを皮切りにアメリカ出張の機会も増えてきた。米国はモトクロスを中心とするオフロード車の大市場で、当時、当地のサドルバックパークやインディアンデューン等の郊外の山や砂漠地帯でテストに立ち会う機会も多くなった。現地に行くと、そこには数台のキャンピングカーを中心に、父親と少年少女達がモータサイクルや四輪バギー、VWの改造車でビュンビュンと走リ回っている。側で、母親はキャンピングカーに張ったテントの下で昼食のサンドウィッチを準備をしていて、楽しそうな家族的な風景だった。そこには、暴走族まがいの人達はおらず、あくまでも家族単位の行動で、アメリカの週末の過ごし方の一つを垣間見る事が出来た。アメリカ人は長い開拓移民時代に、家族が一つの単位となり、幌馬車に揺られて 新天地を求めて歩み、永住の地にたどり着いた歴史がある。その頃の開拓民にとっては「家族」が唯一の財産であった時代の名残が、いまも脈々と受け続けられいるのだろうと思った。開拓時代の馬が現代は単にモーターサイクルに替わっただけなのだろう。アメリカは広大な土地なので、チームを構成してレースを楽しむことは実質不可能で、行動は家族単位となる。日曜毎に開催されるモトクロスレースでは、父親がメカニック、母親と家族か応援。燦々と降り注ぐ太陽の下、6~8才前後の子供がレースに出場する事を中心に活動が始まり、そして家族の絆を深めて行く。騎馬民族の子孫、かって戦争に明け暮れた欧米諸国の人々が最後に頼った拠り所は家族であった。大西部時代を生き抜いたアメリカの名残が荒野を駆け巡って生活し、そして生きるための競争だった。それが現代まで続いた名残の一つがモトクロスとすれば、モトクロスはアメリカ人の心の故郷だろうし、文化として継承されているのかもしれない。モトクロスが子供の自立心を覚えさせ、行動に対する責任を自覚させていく。彼らが、アメリカのオフロード市場を支えている行動の原点だから、人口が増え市場が成長することはあっても市場が衰退すること等ないと、当時からの市場をみた実感だった。それに今回のコロナ騒動がアメリカの原点回帰を更に後押ししているように思う。

しかも、ここ数年前から、世界各地の主要モトクロスレースにおいて、2サイクルモトクロッサーが出場できるよう規則が改正されている。例えば、前述の米国の「125cc ALL-STAR RACE 」は2018年、全米で7戦開催され、AMAのモトクロスナショナル戦 Washougalで同時開催された「2サイクル125㏄」の優勝者は著名なチャンピオン・ヤマハのRyan Villopoto選手だった。今、モトクロスレースが盛んな大市場米国や欧州、カナダ、オーストラリアでは2ストロークエンジン搭載のモトクロスマシンが脚光を浴びており、例えば2ストロークマシンがモトクロス世界選手権GPの重要カテゴリーの一つとして現実に併催され、多くのモトクロスユーザーに歓迎されている。しかし、米国でのそれは、ナショナルMXレースでのエキシビションレースとしての扱いに過ぎなかった。それが、2019年、AMAプロモトクロスチャンピオンシップの全12ラウンドでAMAレースの一つのカテゴリー扱いで開催されることになったようだ。参加資格は、最低15歳以上で、現在のAMAメンバーシップを保持し、AMA分類が「B」以上であることに加えて、現在および以前のAMA Pro Racingライセンスライダーも、その指定されたイベントでプロのプログラムに参加していない限り、参加することができるとある。

更に加えて言えば、例えば、3年ほど前、米国の著名なアフターマーケット会社「Pro Circuit」の社長で「Pro Circuit Race Team」のオーナーでもあり、かつ優秀なエンジンチューナーでもある、Mitch Paytonさんのインタビュー記事「BETWEEN THE MOTOS MITCH PAYTON」があった。その前段にはこう纏めて書いてある。「“Everybody is buying some old two-stroke and they’re fixing them up as a weekend ride bike. I think there is a certain amount of people that love riding motorcycles and they just want to do it for fun. They don’t need a World Superbike to go ride on.”」とある。「・・米国では、生活の一部として極普通にバイクを楽しんでいる多くの人々がいる。彼らは古い2サイクルのモトクロスバイクを購入し週末には整備し、こうした人生を楽しんでいる。米国の多くの人々はバイクが好きなんだ。だけど、彼らが欲しいバイクはWorld Superbikeマシンでは決してない。・・」と。大市場アメリカは昔と変わらず保守的に見えるも最も活性化しているのは事実で、期を逃さず日本メーカーも動き出した。
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LORETTA LYNNで思い出した

2020-08-12 06:22:53 | オフロード車事業
 「LORETTA LYNN」
8月になって、米国のモトクロスシーンの話題はLORETTA LYNN'S を連日報道している。 ここテネシー州のLoretta Lynn で開催されている、米国のアマチュアモトクロス最大の祭典だ。しかも今年、2020年のAMAナショナル選手権の第1戦は、Loretta Lynnで開催される。コロナの影響で、ナショナル戦の第1戦は観客数5000人に制限されるとあった、2020 LORETTA LYNN NATIONAL | ONLY 5,000 FANS ALLOWED

思い出してみると、かっての大昔、Loretta Lynn には数度訪問したことがある。Ponca Cityのモトクロス レースと日にちをずらして開催されたのがLoretta Lynnのモトクロスで、ともにアマチュアモトクロスの甲子園と称され、全米各地を勝ち抜いた精鋭が最終チャンピオンを、ここで決する 。Ponca City レースがNMA主催で、Loretta Lynn はAMA主催だが、出場する選手は全米のトップアマチュアライダー達なので両レースともに出場する選手が多い。テネシー州のナッシュビル空港から Loretta Lynn 牧場に来ると、100°F超の猛烈な暑さの Ponca City に比べ、湿度が高く、道々には蝉(だと思う。それまで、ロスアンゼルス、フロリダ、テキサス、ネバダ近傍しか知らなかったので、蝉と思しき声が聞こえて嬉しかった記憶がある)が鳴いていたという記憶がある。 今回、ナショナル戦にも使用するコースだと知って、あんな単調で狭いコースでナショナル戦と思ったが、もう37,8年も過ぎたのだからコースも変わったはずと推測するものの、米国の専門ネット誌に投稿される写真やビデオを見ていると、Loretta Lynn のスタートラインやコースレイアウトの基本コースは40年弱前と何にも変っていないようにも見える。何もないくそ熱いばかりのPonca City に比べれば、大きな木が沢山あるLoretta Lynnの暑さは幾分かしのぎ易すかった。

未だ鮮明に覚えているが、ここ、Loretta Lynnのコース脇の樹々の間に、ライダー達の駐輪場、広いピットエリアがある。レースが終了し暇している時、時のTeam Green選手の一人だった、Eddie Warren の親父に誘われ、バーボンの地酒(自家製と聞いた記憶がある)を頂戴した。夕食時間に近かったので、この冷したバーボン(かなりの度数であった)が旨かったのでかなり飲んだところ、丁度晩飯の頃酔いが回ってきて、たまたま夕食に頼んだ名物のナマズ料理を食べれなかった。一緒にいた、メカの小松君に私の分も喰ってくれと、一人レストランに残してベットに転がり込んだ苦い思い出がある。この時のバーボンで不覚にも酔いつぶれ、しかも楽しみにしていたナマズ料理も喰えなかったので、Eddie Warrenの名前はずっと記憶にあった。その後、全日本選手権に外人ライダーを走らせるべく計画した際、推薦選手の中の一人に、その当時結婚しオーストラリアでレースをしていたEddie Warrenの名があったが、どんな選手かは直ぐに思い出せた。

Ponca City レースやLoretta Lynnレースは、カワサキのモトクロスビジネスが大きく飛躍するに至った、その原点の場所でもある。
当時のカワサキは、日本の先行2社に比べキッズ用のモトクロスに参入するのが遅く、アマチュア選手支援のために立ち上げたTeam Green活動は1981年に始まった。当時、ロサンゼルス近郊にあるモトクロスの聖地サドルバックパークを訪れると、ライムグリーンのバイクは1台もおらず、スズキとヤマハが大半を占め、少数だがマイコ、ブルタコ、CZ、ハスクバーナなどの欧州車も走っていた。カワサキがキッズ仕様のモトクロスに参戦しようにも誰もカワサキには見向きもしなかった時代だ。KX80が新発売され、KX80に乗ってくれるライダーを探したことがTeam Green活動の始まり。そして、カワサキTeam Green契約第1号は、忘れもしない、サム・ストアと言う選手。2番目契約選手がリチャーズ・サンズ。初めて、Ponca City レースを見たときの印象を今でも鮮明に覚えているが、ヤマハ・スズキの黄色のマシンの中に、たった一台のグリーンのマシンがぽつんとスタートラインに並んでいた。その後はご存知のように、Team Green活動は、米国のアマチュアモトクロスライダーの信頼と支持を受け、スタートラインの半分以上をカワサキのグリーンマシンが占めるに至り、多くのモトクロスライダー憧れのチームに成長した。カワサキのキッズバイクレース参戦は、兎にも角にもたった一台のサム・ストア選手から始まったのは事実。 

Ponca City レースの細かく分けられたカテゴリーには、排気量とは別にストック(無改造、量産車のまま)とモディファイド(改造)があったが、カワサキは最激戦区の80ccモディファイドクラスに、まだ市販されていない翌年型KX80の量産試作車を毎年投入した。この作戦が大ヒットした。Ponca Cityレースの1週間か10日程前、ロスアンゼルス近郊のサドルバックで、Ponca Cityに参戦する10~15才位のキッズ選手数人を招集し事前テストする。このテストは量産移行可否のテスト確認の場でもあるが、殆どがプロ選手とほぼ同等のラップで走る飛びぬけて優秀な選手達で、しかも彼らの技量に合わせ特別のセッチングをするのだから、Ponca Cityに出場する他の選手より圧倒的に早く、他の競争ライダーを簡単にラップしてしまう。当時は、モディファイドクラスにはホモロゲーションが要らなかったので、発売前の新型でも出られた。当時はモトクロッサーが毎年劇的に進化していた時代で、たとえば現行の空冷エンジンに対して来年型が水冷エンジンだったりすれば、これはもう羨望の的だった。性能的にも格段の差があったうえに、あえてストックのまま出ても他社の改造車に勝てるのに、今度のKXを買えば勝てるぞ、という明確で強烈なインパクトをPonca CityやLoretta Lynnで与えた。この作戦は大成功で、Team Green活躍が格好の宣伝となり、KXシリーズの販売台数は上昇の一途をたどったのは事実。Ponca CityやLoretta Lynnでのレース活動にはライダー育成や実戦テストといった側面もあって、すべてが好循環に回っていった時代。

しかし、それも、近年のLoretta Lynn's Ranchでのレース結果を見るに、アマチュアライダーの原点でもある排気量65ccと85ccのミニモトクロスクラスの結果表を見てビックリしている。65や85クラスは「KTM」に既に凌駕されているのだ。かろうじて、最近、65㏄や85ccに新モデルを投入した日本車も善戦しているも、総体的にみれば、モトクロスの原点クラスは「KTM」に独占されつつある。40数年以上前、モトクロスと言えばヤマハ、スズキがアマチュアクラスをも含め、その頂点にあって、多くのライダーの信頼を得ていた。そこにカワサキが、Team Green活動が”草の根活動”を通じ、先行する2社に代わって、カワサキが米国のアマチュアライダーの絶対的な信頼を得るに至り、その状態は長く続き、アメリカのモトクロスはカワサキが支え続けていると言っても過言ではない時代が長く続いた。ホンダ、スズキは米国二輪市場の落ち込みに伴い、こうした活動から全面的に撤退したと聞いてから久しい。唯一、カワサキのみが米国のモトクロスライダーを支援し続けてきた歴史がある。ところが、日本各社が二輪市場支援活動から撤退もしくは縮小した間隙の中に、米国オフロード市場に参入してきたのが、オーストリアの「KTM」社だ。その効果はてき面で、65cc、85cc市場はオレンジ色(KTMカラー)一色に変貌しつつある。こうした傾向にあることを各メデイアからの情報で既に分かっていたが、これほどまでにKTMの寡占状態に近い程に台頭しているとは思いもしなかった。この傾向はミニバイク市場だけかと言うと決してそうではなく、250cc、450ccクラスレースのトップも既に「KTM」が独占する時代へと変わりつつある。

米国でのモトクロスを筆頭とするオフロード市場は、景気に左右されにくい安定市場と言われ、昔から根強い人気がある。米国市場は、きちんとしたユーザー視点(上から目線でない)からみた支援をしていけば、全くの新参者でも受け入れてくれる懐の深い大市場であることに間違いない。今の米国は混とんとしているようにも一見見えるが、しかし本筋の所は40,50年前と何ら変わりないようにも見える。オフロード大好きアメリカの大市場は昔から何にも変わらず、それを側面支援し支えるチームが大きく変わりつつあるだけで、我々も米国の良い時代を少しだけだが経験できて面白かった。
Kawasaki "Let the Good Times Roll"
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カワサキ 2012年モトクロッサー

2012-02-10 06:30:49 | オフロード車事業


米国の有名なオフロード専門誌 motocross  action」 が選ぶ2012モトクロスマシンの戦闘力評価がHPに公表され、
250ccクラス、450ccクラスともカワサキが最優秀マシンとして選出された。

アメリカのオフロード専門誌はオフロードの本場だけあって多くの専門誌が発行されており、書店は勿論のことコンビニ、酒屋でも購入できる。
昔、現役時の渡米時は、帰りの空港売店で購入し、飛行機の上での暇つぶしに読んでいた。
多くある専門誌の中でも、「motocross action」誌や「Dirt Bike」誌のモトクロスマシン評価が市場に与える影響は無視できない程大きかったので、
新車が発売されると何時も気になっていた。


「MXA’S 2012 250 FOUR-STROKE SHOOTOUT」

 一位: Kawasaki KX250F

 「KX250Fは過去7年間,250cc4ストモトクッサーのSHOOTOUT(試乗評価)にて、5回もNO1の地位を獲得した。
  エンジン性能とサスペンションが極めて有機的にチューニングされており、ライダーが要求する性能にレスポンス良く応答する優れたマシン。
  初心者からプロクラスライダー至る、どのクラスのライダーにも最適なマシンである」、との最大級の評価が記載されている。

       「カワサキ KX250F」


「MXA'S 2012 450 SHOOTOUT 」

 一位: Kawasaki KX450F

 「N01はカワサキのKX450Fだ。
  2006年にKX450Fが投入されて以来、カワサキ技術陣は勝つために毎年改良を続けており、
  2009年に続いて450ccクラスSHOOTOUTにてNO1を獲得した。
  450ccクラスはMXレースの最高クラスで、各社とも最大の力を投入するため毎年激戦区となっており、NO1を維持するのは相当な努力が必要」
  カワサキ開発陣の勝利との評価である。

        「カワサキ KX450F」




競争用に開発されたモトクロスマシンの評価は、スキルの異なる複数の評価ライダーによって最も競争力に優れたマシンを選出することである。
スーパークロスやアウトドアのモトクロスレースに供与されるので、SHOOTOUT評価にて優秀マシンとして認知されることが販売に大きく影響する。
空戦時の戦闘機と同様に、戦闘力に劣るマシンは極端に言えばガラクタとされる危険性さえある。

従って、実戦を経験し、彼我の比較をしながら自車の立ち位置を確認して開発していくのだが、
例えば、一年でも開発を休めば、その期間だけ他社マシンとの競争力差が大きく開き、それから再起するのは至難の事。
このために、常に競争相手の動向を掴んでおく必要がある。

レース毎、そして毎年勝負に晒され続けるが、競争相手も条件は同じなので、
気候不順だったから勝てなかったとか理由にもならず開発担当者には辛いものがあるが、しようがない。
だから、この苦労が分かるだけに、高い評価を受けた記事が出ると、OBの一人として我が事のように単純に嬉しい。

一方、マシン評価が高いだけでは、あくまで競争に勝つための一条件をクリアしただけに過ぎない。
実戦で勝つには、ライダーにも高いスキルが要求されることは勿論で、ライダーの能力を十分に引き出すためのマシンセッテイング技量も必要となる。
従って、勝つための組織総合力を発揮しないと、ポテンシャルの高いマシンを開発出来たとしても実戦で勝つことは困難となる。

つまり、マシン所謂ハードと同様にソフト開発力を育成し、広く末端ユーザーに教育や指導をしておく必要性が生じることになる。
ソフト開発能力を組織内に蓄積出来ているか否かは勝利に大きく影響する。
ここが一般的なオンロード市販車開発とは大きく異なる点だろう。

何れにしても、米国でのカワサキ車の戦闘力は実戦で証明されているだけに、その優秀性には説得力がある。

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USテスト時の写真

2011-10-28 06:27:34 | オフロード車事業
23日の三木アネックスで開催された 「on any sanda」で、モトクロスOB会の一部メンバーが集合した。
懐かしい話はアチコチ飛び跳ねて収束する気配など一向にないのだが、その中で阪口君が話し始め、KDXとその比較車の話がでてきた。

当時は、モトクロスマシンと同様に砂漠やファイヤロードを走行するエンデューロ車の人気が非常にあって、
モトクロス車をベースに改造した車を開発していたが、その車がKDX175だった。
(KDX175→ベストバイクに選出され、高い性能にも関わらず値段は他社並みだったので、バーゲンセールと雑誌に評価され販売を急激に伸ばした。
 そして、カワサキに移籍してきた J.Penton によって、KDX175は有名なデイトナのアリゲーターエンデューロレースを制した)

KDX175は軽い車体とKX125エンジンの排気量UPを基本仕様としているが、その走行性能確認をUSでKMC R&Dと共同テストすることになり、
日本から野宮、立脇の両プロライダーにサス担当の的野さんと私が同行した。

「on any sanda」 の会場で、立脇君が記憶していた、「一回だけUS出張したことがあり、確か青い車があった」の青い車はヤマハのIT175である。
確かそうだ、当時の写真があるはずと探して出てきたのが、次の写真だ。
確かに立脇選手と野宮選手がいる。
毎日ビールを飲んで談笑していたわけではないが、たまにはカラオケ屋に行って歌った事も思い出した。
皆でワイワイしながら昼間はテスト、夜は上手い飯を食べに出かける日課だった。
もう30年近い前の話だが。


写真左から、私、鈴本さん(元R&D社員)、野宮ライダー、的野さんそして立脇ライダー。




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