野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

林崎掘割渠記碑

2012-02-02 06:38:22 | 野々池周辺
 冬の林崎掘割周りの風景は中々良いものだ。
 疏水に沿って植えてある木々は完全に葉を落として春を待つだけだが、すぐ傍の椿の花が咲き始めた。
 
 
 明石の鳥羽まちづくり協議会が作成した資料を読んでいたら、大正8年の林崎掘割渠記碑の写真が掲載されていたので、
 現在との対比をしてみようと思い、現在の写真を撮ってきて比較してみた。
 鳥羽まちづくり協議会によると、鳥羽の歴史は「林崎掘割」と「野々池」の歴史だそうだ。

 林崎掘割は明暦3年(1657)10月に起工し、翌万治元年(1658)4月に完成、
 石碑は元文4年(1739)12月建てたとあるので、もう273年近い歴史を過ごしてきた事になる。

 野々池貯水池の竣工が昭和49年5月、今住んでいる街の区画整理は昭和60年頃で、分譲が翌年。

 昭和50年代の野々池貯水池から見える此の地の風景は雑草だらけの荒れ地で小さい溜め池が沢山あって、
 それまで住んでいた明石の和坂から家族でザリガニ釣りに良く来ていた。
 周辺はレンゲ畑も多くあったので、帰りはレンゲの花輪を造って帰ったのだが、
 その頃の荒れ地の雰囲気は大正時代の林崎掘割渠記碑の写真と余り変わっていなかったと思っている。 

 こうして見ると、住んでいる街は神戸市西区ではあるが、西区の中心である西神地区から離れた、所謂西明石文化圏の領域。
 従って明石の野々池コミュニティに参加することも可能で、西区に必要性を感じるのは区役所で書類をもらう時ぐらいか。

 西明石駅に歩いて行ける場所だが、野々池を中心に貴重な歴史ストックをもった田園地帯と言うのが的を得た表現かもしれない。
 山側に車で移動するとすれば、西神を通り越して三木、西脇や多可町となってしまう。 



        
                林崎掘割渠記碑-大正8年(鳥羽まちづくり協議会)


                      
                林崎掘割渠記碑-平成24年2月1日撮影


        
            林崎掘割渠記碑-伊藤 太一:明石の歴史風景を訪ねて―彫画でめぐる旅
                        
「掘割祭」
 
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