野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

庭も暖かくなった

2018-02-28 06:11:21 | 
25日の晩に雨が降ったせいか、今週は暖かくなりそうだ。
オリンピックも終わり、今週末には3月に入る。朝の気温も4度近辺でもうマイナスに戻ることもないだろう。
日差しはめっきり暖かくなって、出かけるときに着用したブルゾンも着る必要は無くなった。
庭の水仙がやっと咲き始める。野々池の花壇や近所の水仙はもう2か月も前から咲き始めたが、
家の水仙は遅く、何時もこの時期に咲き始めるが、その理由は分からない。
 

木曜日が雨との予報だが、今日(27日)は良く晴れて爽やか。
陽が照ってきたので、庭の桜の枝にミカンを刺すとすぐにメジロが2匹飛んできた。
すると、それを見ていたムクドリがさーっと飛んできてメジロを追っ払う。
メジロは肝が据わっているので人が近くにいてもミカンに夢中だが、さすが、柄の大きいムクドリは苦手のようだ。
みかんをつつく暇もなく飛んで行った。
 
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心を整理するには時間がかかる

2018-02-26 06:24:29 | スポーツ
4年前のソチオリンピックで直ぐに思い出すのが、フィギュアの浅田真央選手のこと。国民的関心事で日本中の期待を一心に受けて滑ったSPは重圧に負けて失敗し、開き直ったFS演技のあまりの見事さに世界中から賞賛と感動のメイルが次々とツイッターに投稿されたのを見た。一方で、失敗した演技をこれみよがしに演説のネタにして大ブーイングを喰らった森喜朗のような政治家もいたのも事実だ。こういう世界最高の舞台でしかも世界の注目を一心に受ける競技で勝つのは難しいものだと、4年前はそう思っていた。しかし、今年の平昌オリンピックをみると、同じフィギュアの羽生選手は、一時、右足首のけがが思っていたより酷くて練習ができず、平昌出場も危ぶまれるような事態にも関わらず、4ヶ月ぶりに実戦の結果は、こんな懸念もなんのその、テレビに流れる羽生選手の演技はほぼ完ぺきに見え、金メダルだ。同じくロシアの若手の金銀2選手の演技も前評判通りで重圧などないのかと思えるほどあっけないものだった。ソチの浅田選手と平昌の羽生選手やロシアの選手とは何が違うんだろうと。

  「英国のカーリング選手、最後の一投」
もう一つ、オリンピックで興味を持ってみたのが女子カーリング競技。
ソチでは惜しくも5位敗退が決まった日本チーム。当時の日本、カーリングはオリンピック開催時に合わせて取り上げられる競技で、普段はテレビに取上げられることも少ないものだった。しかし、オリンピックでみる世界各国との試合の、息詰まる戦いにテレビから眼を離せず、カーリングとは勝負に対する執念深さが顔にモロに出て来るんだと、感心してみたものだ。今年の日本代表チームはアメリカチームの敗退で運よくベスト4に残りメダルを争う機会を得た。3位決定戦は英国。そして日本の女子カーリングチーム悲願の銅メダルは英国チームの“信じられない”ミスによって勝った。英国のメディアは痛恨のラストショットの失敗をクローズアップして一斉に報道したとある。この試合も面白くてずーと見ていたが、英国は2回のミスショットがあり、最後のストーンのミスショットが致命的だった。

ネット誌を読んでいると、英国の高級紙であるガーディアン紙は、ウェブサイトで試合経過を逐一報道したそうで、『英国がハンマーを持ち、イブ・ミュアヘッドが最後の投球で、英国に勝利をもたらすチャンスがあった。彼女は狙ったが、そのギャンブルは報われなかった。日本は銅メダルを獲得し、選手たちはお互いに抱き合って、涙を溢れさせた。英国は銅メダルを奪うショットで勝負したが、ミスしたことで(メダルなく)帰国することになる」と厳しく伝えたとある。試合後の選手のコメントも紹介しこうあった。「チャンスがあったので、もちろん我々は(逆転勝利を)狙った。スキップとして、最後のショットをミスしたのは辛い。懸命に戦ったが、何もなく帰国するのは悲しい。最後はコントロールしていたが、残念ならが実を結ばなかった。心を整理するには時間がかかる。毎日、練習を重ねてきたが、最後のショットを決められず辛い思いしかない。五輪は、実際に来て見てみなければわからない厳しい舞台だ。我々は最後まで戦い、日本のプレーも良かったのだ。私は、今、打ちひしがれ、がっかりしている。自分、チーム、我々を支援してくれたすべての人を思ってがっかりしている。(この試合を)忘れるまで時間がかかるだろう』と書いてある。

勝負を分けたラスト一投、英国の男子銀メダリストが分析「100回中99回成功できたはず」は興味深く読んだ。
そこには、『英名手は2点狙いの決断支持「あのショットを狙ったことは100%正しいこと」。 日本相手に3度リードしたが、最終的には苦杯を舐めることになった。BBC解説者で元男子カーリング英国代表のソチ五輪銀メダリスト、デービッド・マードック氏の本来の実力ならミュアヘッドなら最後の一投を成功させたはずと分析している。「英国にとってはこの五輪が間違いなく残酷な終焉となってしまった。イブ・ミュアヘッドのショットは100回中99回成功できたはずだった。だが、彼女のショットは強過ぎて(狙いとは)外れ過ぎた」2点を狙いながら日本のストーンをナンバーワンにし、スチールを許した最後の失投について分析。「リスクに対する究極の代償を払うことになったが、あのショットを狙ったことは100%正しいこと」と、2点を狙ったミュアヘッドの選択は支持している。「なんて残酷な瞬間だ。彼女たちについて話をするのはあまりに難しい。彼女たちが戻ってくると話しているのは素晴らしいことだ。継続する勇気がある。私はイブ・ミュアヘッドも復活すると断言する」ともマードック氏は語ったという』

最後の一個のストーンがよりもよってミスショットになるとは、投じた選手の敗者の言葉「心を整理するには時間がかかる」はとても重たいものだが、英国で絶大な人気を誇る美女スキップが平昌での挫折を乗り越えるとも力説していた。

もう一つ、オリンピックのスピード競技最後の種目、女子マススタートで銀メダルを獲得した韓国の金ボルムが、レース後、観客席に向かってひざまずき、頭を下げた写真が記事にあった。日本が勝った女子パシュート予選で、敗れた責任を最後尾の選手に押しつけるような発言をして、韓国内で激しい非難を浴びていた選手だが、国旗を前に置いて観客席に向かってひざまずき頭を下げた写真に、負けると言う結果は、こんな残酷なまでに要求するものかと、別の意味で興味持たせるものだった。
 「AP」

国を代表して、あるいは会社を代表して競争する世界で、幸に一番になれれば万歳だが、多くは表彰台(3位以内)に昇れない選手が殆どであろう。例えば、身近なレースに例えると、レースに参戦する、どのチームの誰であろうが、勝負の世界になれば勝って一番になりたいと一生懸命に準備をするものだ。彼我の比較で不足していることが事前に分れば、そこを補えばよいだけの話で、勝てる準備はできるのだから勝てるチャンスはある。後は勝つ確率を上げる方法を考える。しかし、夫々に国や会社の看板を背負ったチームや選手は皆同じ事を考えるのだから、結局は予算の多寡で勝敗は決まることの方が多い。しかし、競争相手が十数倍の予算を使おうとも、誰でも他社競合チームに勝ちたいと思って一生懸命に準備し競争すると、偶々敵失で勝つ事も事もままあるかもしれぬ。こうしてみると、チームや選手の置かれた環境はさておき、幸不幸の時代は背中合わせで、それは時の運不運のなせるものかもしれないと、オリンピック戦を観ながらそう思った。しかし、現実には、どうして負けてしまったのか理由を議論せず、短絡的に優勝以外は興味なしと評価されることもままあり、そうなれば女子マススタートの韓国選手のように懺悔させられたり、その度に坊主になれとか責任を負わされたらたまったものではないなと思う。

 
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花芽、春はすぐそこ

2018-02-23 06:19:12 | 
2月も末近くになると、徐々に陽は長くなり、日差しも暖かくなって、空が一段と明るくなってきた。
昼間の気温は10度に上昇し、庭が俄然元気になった。咲くのは先だがクリスマスローズの蕾、白色の蕾を6個ほど見つけた。
  
玄関の方に行くと、バベの樹の根元に福寿草の花芽が3個。福寿草の花芽は芽の先端に黄色の花弁が見え始めるが、
毎年、少しだけ覗いた黄色の花弁は何時も虫に喰われる。それも3個の蕾のうち、先に黄色くなる花弁が食べられるので、
咲いても半分の花弁はちぎられる。きまってそうで、残りの2個はほぼ完全な花になるが、これも毎年そうなので不思議に思っている。
  
チュウリップも芽を吹き始めた。
昨年、娘たちが欧州旅行の際、立ち寄ったアムステルダム運河沿いの花市場で購入したのを貰ったもので、
しかも、日本では見たことがない青色チューリップや珍しい花姿の球根が多くあった。昨年9月末に球根を庭に植え、
3か月過ぎた1月中旬に1個だけだが芽が出た。球根取り扱いの指示通りに植えたつもりだったので、すこし早過ぎると思ったが、
2月の末になると、一斉に芽がでてきた。
  
一方、庭に植えっぱなしの原種のチュウリップも一斉に芽をだし始める。
なにがどれやら判らない芽もあって、狭い庭、とにかくあちこちに踏み場もない。

玄関先の椿の蕾が大きくなった時期、姫椿も沢山の蕾が一斉につく。
  
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明石公園の蝋梅(ロウバイ)

2018-02-21 06:33:39 | 
     「明石城の櫓」
久し振りに明石公園に出かけた。
今週、朝の気温は1度を示すが昼間は外気温9度ほどまで上昇し微風で暖かさを感じるようになってきた。
先週まではこんな状況になくただただ寒いだけだったが確実に暖かくなっている。
明石に用事があったので公園内に車を止めて公園と明石駅周辺を散策してきた。
平日でもっと閑散としているかと思ったが、公園は大きな樹木を剪定中で櫓の見栄え対策だろうか。
明石駅すぐ側の高層タワーマンションがひときわ高くよく目立ち、周辺もあか抜けている。
公園入口の左隅に、ロウバイの樹一本あり。もう盛りを過ぎたように見えたが良い香りが漂っていた。
 
   
 
1月末には開花する隣家の蝋梅(ロウバイ)は、昨年、1/3程までにばっさりと切ってしまったので、
今年はきれいな蝋梅の花も良い香りも漂って来ない。でも、蝋梅は好きな花の一つなので、
蝋梅が見れる公園に行ってみようと、西明石の「花と緑の学習園」に行ったが、蝋梅は小振りで花の数も少ない。
一方、明石公園の入り口にある蝋梅は、周辺に何も植えてなので良く目立ち、日当たりもよく、近づくと甘い香りが漂う。
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若いアスリートは凄い

2018-02-19 06:30:37 | スポーツ
   「SPORTS NAVI」
平昌冬季オリンピックは17日、フィギュアスケートの男子は羽生結弦選手が金、宇野昌磨選手が銀で、日本人2人の表彰台は史上初だそうだ。SP首位の羽生選手を、FSでは転倒しないだろうかとヒヤヒヤしながらTV観戦した。2回ほどジャンプの着地がすこし乱れた場面もあったが、その他は完璧に見えて、優勝。羽生選手の演技はメリハリがあって凄い。

羽生選手は約2か月間、氷上での練習ができず、一時は右足のけがが思っていたより酷くて練習ができない中で平昌出場も危ぶまれるような事態となったようで、実戦は4か月振りだそうだ。しかも、SPの演習で4回転ジャンプが抜けるミスが続いたとの報道もあって、心配されていた。それでもSPは完璧に飛び首位に立つ。FSの技術点で米国のネイサン・チェンに5点差を付けられるも、SPのポイント差が勝負を分けた。

フィギュアの人気大国米国の報道機関、ニューヨーク・タイムズ紙は羽生のSPを「ルーティンを完ぺきにこなす」と報道したとある。「前回覇者の羽生はショパンを滑った。4回転サルコーから始まり、完璧にこなした。大胆にも、彼は4回転―3回転のトゥループの連続ジャンプを多くの選手が疲れを見せるプログラムの後半にまで温存。そして完璧に決めて見せた。素晴らしい演技。いつも通り、演技後の氷上は、くまのプーさんの人形であふれた」とSPの演技内容をレポートした。ただ昨年11月のNHK杯の公式練習で靭帯を損傷した右足首については「SPでは、悪い影響は見られなかった。しかし、彼がフリーの4分半の長いプログラムを戦うスタミナがあるかが疑問だ」と、明日17日のフリーに向けては疑念を抱いたと書いてあったが、こんな懸念もなんのその、結果は、テレビに流れる羽生の演技はほぼ完ぺきに見えた。

 「スポーツナビ」
もう一人、気になる選手がいる。男子ハーフパイプの平野歩夢選手。Xゲームと言うモトクロスの軽業競技のようなスポーツだが、その冬版のひとつにハーフパイプ競技がある。この競技は伝統的にアメリカ人が得意とするスポーツだが、オリンピック前の試合でアメリカの大スターを押しのけて99点をたたき出した選手が平野選手。彼の格好が今風のスタイルなので、一見誤解を受けそうなスタイルをしているが、彼の生きざまや話すことを聞いていると、凄いと思ってしまう。その独占インタビューがこれ「平野歩夢 単独インタビュー、銀メダルを取ったいま、伝えたい気持ち」。 しっかりとした下調べをしてのインタビューなので、読みごたえがある。例えば、
――五輪イヤーには多くの報道陣に囲まれると思います。私自身も含めて、競技について熟知していない人も増えてくると思います。そのなかで平野選手は、たとえ質問がずれていても、ご自身でかみ砕いて本心で答えているように感じました。簡単な受け答えで済ますこともできると思いますが、そこまでして伝えようという理由はなんでしょうか?
 「いろいろな人の気持ちや意見を聞いて受け入れることも、自分の成長になるのかなと。いろいろな人を見て、いろいろな人と会話して、この人はこう思っているけれど周りはこう思っていて、と感じることは、あらためて自分を見つめ直すために必要だと思っています。 周りの人の意見も聞きながら、自分の本心を貫くにはどうしていけばいいのかと考えながら、コミュニケーションを取るようにしています。 人にはそれぞれ人生があって、それは否定したくありません。自分をぶつけられる場所はスノーボードしかないので、そこでは自分がやりたい矛先と意思をしっかり持ってやれればなと思います。  ボードじゃなくてもいい、夢を持ってほしい」
――スケートボード、サーフィンが五輪種目になったように、横乗りのカルチャーは以前よりも市民権を得るようになりました。しかしまだメーンストリームとは言い難い部分があると思います。今後どのように変えていきたいですか?
 「やっぱりサッカーや野球よりも全然(人気や規模の)レベルが下のスポーツなので。でも、本当にそれくらいビッグで有名なスポーツに持っていくことは不可能ではないと思っています。時間はかかると思いますが、自分がそのきっかけだけでも作って、下の世代にそういう意思を持ってくれる子どもたちが増えることで、このスポーツの影響力を世界中に与えられたらなって。そこに五輪を目指す若い子どもたちが出てくることによって、また夢も大きくなるのかなって思います」
――平昌五輪を見てスノーボードを始める子どもや、久しぶりに滑ろうと思う人が大勢いると思います。彼らにどう楽しんでもらいたいですか?
 「スノーボードじゃなくてもいいんです。子どもも大人もおじさんでも、みんな安定した生活より夢を持ってもらいたいと思っています。そういうところに自分は刺激を送りたい。そのことで日本人の力を最大限大きくできればいいですね」・・・・

フィギュアの羽生選手と言い、ハーフパイプの平野選手と言い、まだ20才前後そこそこ選手が、なんでこんな心に染み入るような話ができるんだろうと、彼らよりも遥かに年を喰ったのにできない自分を見て、何時も感心する。少し前の、ゴルフの石川遼選手や宮里藍選手もそうだった。MLBに行った大谷選手にも似たような一種独特の匂いを感じた。世界に通用する若手の超エリートとして評価されている日本選手の発言を聞くと、受け答えにそつがなく考え方にブレがなく、しかも首尾一貫し、なんでこんな選手が誕生したんだろうと、何時も不思議に思う。

スポーツコメンテーター 為末 大さんが、こんな分析をしている。 視点・論点 「アスリートの発信力」
「皆さんも挨拶の中でアスリートの言葉を引用したことがあるのではないかと思います。「自分で自分をほめてあげたい」有森さんの言葉ですけれども、こういったアスリートの名言というのが、非常に世の中には強くインパクトを残しますが、それは何故なんでしょうか。ひとつ大事な点として、アスリートの言葉というのは実体験から出てきているというのがあると思います。アスリートのレース後のインタビューの中で語られる言葉は、原稿がないもので、彼ら自身が実際に体験した生の言葉が語られています。そういった言葉というのは非常に強く皆さんの胸を打つのだと思います」等々、長文だが、トップアアスリート達はそのように自然と教育され、自己を磨いてきたのだろうと思う。


最近、一部上場企業の最高幹部達が彼等の不祥事に頭を下げる場面をTVで何度も見た。彼らのいい訳を聞く度にその説得力の無さの虚しさを感じてきた事や、ある政治家が自分に不利な質問をするインタビュアーには質問をさせなかったとか聞く場面も多くみてきたので、これが日本の指導者たちの姿や言葉かと情けなかった。また、勝てない質問に逆ギレしたり責任転嫁する選手や役員の姿も随分とみてきた。だが一方、今年平昌冬季オリンピックでは、若手のアスリート達の優れた言葉や発言には感動すること多く自然と頷いてしまう力があった。素晴らしい人達が日本にはまだまだ沢山いる。
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NHK 呑み鉄 島原鉄道

2018-02-17 06:54:21 | 故郷
  「六角精児の呑のみ鉄本線・日本旅「春・島原鉄道を呑(の)む!」

15日の午後3時からNHKBSの再放送で、呑み鉄シリーズ第8弾、島原半島の島原鉄道とその周辺を紹介していた。島原鉄道の諫早駅から島原駅までの道中と、無人駅を降りてビールを一杯と言う番組だった。諫早駅から直ぐに、閉鎖するか開門するかで地裁が高裁と相反する決定したため、それぞれに賠償金を支払う(だった?)羽目になった 諫早湾干拓の開門をめぐる対立となっている堤防を横目に見て、ディーゼル車は雲仙のすそ野を快走する。諫早から島原に向かう道中、左手に有明海の遠浅がすぐ目の前に迫り、右手が田んぼや畑で、遠目に普賢岳がみえるが、こんな風景が諫早から島原まで続く。諫早を抜けると間もなくい右手に普賢岳の大爆発でできた平成新山が見え始める。
   「標高 1483mの平成新山」
島原鉄道の今の終着駅は島原外港だが昔はもっと南の加津佐駅だった。外港の二つ前の駅が島原駅で、駅を降りると直ぐ目の前に島原城が見える。島原城は天守がない時の方がどっしりとした風格があって見栄えがしたなあーと今でも思っている。天守を造ってから、どこにもある普通の城になった。

島鉄の車体ボディは黄色だが、車体の横に描かているのは「島原の子守歌」。爽快に走る鉄道ではなく、ガタゴトと車体を揺らしながらゆっくりと走り、ディーゼル車らしく音も賑やかで、半島の経済力を良く表しているようにも見える。のんびりとした観光列車だ。黄色の車体色に変わる前、我々が知っているのは、赤色の線があったような記憶があったが、今、復古版で昔の赤色の車体カラーが登場したと紹介があった。島原駅のまた一つ手前が三会(みえ)駅で、三会と島原間は約4㎞。実家は三会駅から諫早方面に海沿いに歩いて約15分弱の距離で有明海のすぐそばにある。島原高校への通学は毎日雨が降っても自転車通学だったので、当時のディーゼルカーに乗ったことはない。
 

番組の主役六角さんが指さす駅に表示されている駅案内板の、左側「三会(みえ)が故郷の駅。今は無人駅だが、島原駅から約4㎞弱の距離にある。
         「NHK」

番組中に紹介のあった、島原半島の名物食材、イイダコ、ガンバ(フグ)。ガンバはサッと湯通しして、氷水で身を引き締め、タレはダイダイ酢に薬味はニンニクの茎に梅干等を入れた思うが、皮の部分はコリコリして旨かった。田舎では 皿の絵柄が透けて見えるような「薄造り」は食ったことがない。だが何と言っても、ガンバ料理でこれは本当に旨いと思ったのは骨付きブツ切りの”がねだき”。から煎りしたガンバの肉厚の身を醤油、酒等に梅干しとニンニクで煮込んだ料理だが絶品。オコゼの吸い物も上品で旨いと思ったが、”がねだき”には遠く及ばないと記憶している。昔はガンバは安く、市内の漁師が自転車の荷台に積んで行商で回ってきた。それを一匹、近くの川でさばいてくれたが、今は目が飛び出すほど高いので食べないと言う。 また、米粒の入ったイイダコも旨い。昔は、イイダコもマタコも、そしてタイラギも有明海の遠浅で普通に良く取れたが、護岸工事してから採れなくなったそうだ。
 

それにしても、六角さんは何処でもうまそうにビールを飲む。羨ましい!
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あれから5年、モトクロスOB有志が再び集まる

2018-02-16 06:27:01 | 二輪事業
2013年と言えば、「KX40周年を祝う有志の会」に開発関係OBやカワサキワークスチーム関係OB有志が一堂に集まり、語る会を開いた年だ。
当時、KX40周年にこんなことを書いていた。「1973年にデビュー以来、数多くの勝利とタイトルを獲得し続け、その評判を揺ぎ無いものとした、カワサキの輝かしいモトクロッサーブランド「KX」が40周年を迎えました。以来41年、一度たりとも開発を中断することなく、一度たりとも生産を中断せず、一度たりともレースを止めることもなかった40周年です。この間、モトクロッサーの最適技術を開発し続け、世界中のモトクロスファンに愛され、多くのチャンピオンシップでチャンピオンを勝ち取りながらKXは改良されてきました。 これもひとえに多くのカワサキファンからの真摯な指摘と支持を受けて、毎年進化し続けてきた結果であり、そして現在も進化し続けている歴史がKXの40周年だと思います」。5年前の「KX40周年を祝う有志の会」は技術部の開発・ワークス「カワサキレーシングチーム」に近い有志に出席者を限定したが、それでも九州、関東からも馳せ参じてくれた出席者は結局80名を越す盛大な会となった、その時、次は5年後に再び会おうと約束していた。

レースに勝ちたいと言う目的で開発され他社競合車と戦い続け、互いの社内外の環境変化によっては、時には後塵を浴びることもあっただろうが、多くのカワサキファンからの真摯な指摘と支持を受けて、毎年進化し続けてきた経緯があり、そして現在も進化し続けている歴史がKXの40周年だった。黎明期の開発/レース運営を経験した辛苦や成功は次に世代に引き継がれ、またその次の世代に引き継がれる。開発やレース運営は社内外の環境にも大きく影響を受け、全く勝てない苦労の連続な時代がある一方、開発やレース運営が巧く機能し、当時のレース界をカワサキが牽引した時代もあったが、これは前世代から引き継いだ置き土産を周到に分析した結果で、前世代の成せる技が後輩の時代に成功した証しだと思う。誰でも他社競合チームに勝ちたいと思って一生懸命なるも幸不幸の時代は背中合わせで、それは時の運不運のなせるものかもしれない。その歴史が今のKXの成功に連綿と繋がっているのも事実であり、否定しようもない。その時代々に活躍した開発担当者やレース関係者が集まり、昔を懐かしみ敬愛し、次の世代に期待して懇親を深めようと有志が集まった会が、「KX40周年を祝う有志の会」だった。そして、次の5年後、50周年を目指すため、KXと同時に誕生したワークスレースチーム「カワサキレーシングチーム(KRT)」も45周年になるのを期に、有志が再び立ち上がった。 

一方、ワークス活動を行なう川崎重工業の「カワサキ・レーシング・チーム(KRT)」とは別に、国内の販売会社が立ち上げた販促目的のレースチーム「チームグリーン」も創立されて以来、今年は35周年となる。この間、技術部がマシン開発のために運営するワークスチーム「KRT」と販売会社が運営する「チームグリーン」は切ってもきれぬ関係で互いに成長してきた。かって、KMJの「チームグリーン」は多くの優秀なライダーを育成し国内で特筆すべきモトクロスチームとして名をあげた、モトクロスライダー憧れのチームで、誰しも一度は「チームグリーン」のメンバーになりたいと思った。優秀なライダーは「カワサキレーシングチーム」がテストライダーとして契約し、耐久テスト等で練習させながらレースはチームグリーンメンバーとして出場し、格段の実績を挙げた成績優秀なライダーは「カワサキレーシングチーム」のワークスライダーとして契約するという循環システムを構築した。共に互いに補完しあうことで、カワサキのモトクロスチームは全日本のモトクロス界において歴史を作りあげてきた。その輝かしい実績と歴史を持つKMJの「チームグリーン」も35周年になる。

カワサキモトクロスの歴史を、そもそも論で言えば、”明石工場50年史(H2年10月発行、川崎重工業株式会社 明石工場)”にはこうある。『昭和38(1963年)年5月、青野ヶ原 MFJ兵庫支部主催 第一回モトクロス大会に、市販車改造B8レーサーと経験の浅い素人ライダーでレースに臨んだ。(略)・・  このころは、工場チームの組織はなく、有志が集まり改造に取り組み、業務の合間に乏しい予算の中で残業代も返上し、手弁当さげての出場だった』と記載されている。当時、単車事業の業績が悪化し赤字が増える一方だったため、1963年に入ると事業継続か中止かが経営上の大きな課題となっていた時期であったが、青野ヶ原の完全優勝を皮切りに事業部全体が自信を取リ戻し、優勝マシンB8の成果を背景に10月、積極的に事業展開したと本書は解説している。つまり、当時単車事業部は赤字が続き事業見直しの議論が行われていたが、赤タンクモトクロッサーの活躍で、このカワサキの技術を活かせば事業は軌道に乗せることができるとの判断が下されたのだった。モトクロスの大先輩達が単車事業を救ってくれたのである。


その伝統を引き継いでいかねばとカワサキモトクロスの歴史を構築してきたOB有志が、「Kawasaki Racing Team 45 & Team Green JPN 35」を合言葉に、「カワサキモトクロスOB有志の会」として、この7月、再び集まる。

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離脱?

2018-02-14 06:09:32 | モータースポーツ
日曜日、現地時間の土曜日に開催された2018AMA Supercross第6戦San DiegoのLIVE TIMINGをパソコン観戦していると、
スタート直後に何かあったのか、贔屓の2選手 Kawasaki Racing Team の Eli Tomac選手とHRCの Ken Roczen選手がラップしてこない。LIVE TIMIGを見ていると、誰がホールショットを獲得したか、また計測地点でのライダータイムも掲示されるのでスタート後のライダーの状況は大方分かる。暫くして投稿された動画をみると、♯94 Ken Roczen選手はヤマハの♯2 Cooper Webb選手と絡んで転倒し、Webb車のスウイングアームとホイ―ルの間に右腕を挟まれ負傷したとある。その怪我状況はKen Roczen選手の Instagramに説明されている。Cycle Newsによると、「 he has a fracture to the second metacarpal in his right hand. 」とあるので右手の第2の中手骨折だろう。HRCの Ken Roczen選手は、今年、何戦から戦線復帰できるのだろうか、予断を許さなくなった。
    Ken Roczen CRASH | Monster Energy Supercross San Diego 2018
    
ホンダHRCの Ken Roczen選手と言えば、昨年(2017年)の第3戦で、トップ争いに絡んだ10週目、突然、LiveTimingからは消えた。間をおかずFBにKen Roczen選手の転倒場面が頻出し始めたのでみると、大転倒だ。Ken Roczenはそのまま動かず、「Roczen injured in hard crash at Anaheim 2」とHRCからコメントが投稿された。以降、 Roczen選手は一年を治療に費やし、やっと、今年の第1戦から復帰したばかりなのに、当代きっての優秀なライダーがまたもや怪我に、今年のAMASXレースも面白さが半減だ。
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ヤマハの思いに納得

2018-02-12 07:09:09 | 二輪事業
「Cycle News」
2月10日、2018 AMA Supercross第6戦San Diego で、ヤマハが新YZ65モトクロッサーを発表した。
世界のミニモトクロス界で圧倒的支持を得ているKTM社のKTM 65 SXに対抗出来るであろうミニモトクロッサーが遂に販売される。ヤマハモトクロスマシンはYZ450F,YZ250F,YZ250,YZ125、YZ85に加えてYZ65のラインアップを揃えたので、日本二輪企業唯一のMXマシンの品揃えが完成した。欧州のKTMと同等に戦えるであろうマシンが店頭に並ぶので、KTM 65 SXに勝利を奪われ苦々しい思いをしてきたユーザーにとって願ってもない朗報だと思う。これでヤマハの「Yamaha Off-Road Racing Amateur Support( Blu Cru)」は更に充実するだろう。
  「Yamaha/blu-cru」

かって、日本の二輪企業がオフ車の大市場アメリカに進出した際、最も大事にした購買層はキッズ市場で、各社ともキャンペーンを組んでこの層のユーザーを大事に育ててきた。しかし、その後、アメリカの訴訟問題が加熱した時期に、子供を巻き組む訴訟を恐れた日本の二輪企業ヤマハ、スズキ、ホンダは全米のミニMXバイク販売から全面撤退した。結果、全米のアマチュアライダーを支援しづけてきたのは唯一カワサキの「Team Green」のみとなった。そもそも、ミニモトクロスバイク撤退理由とされた訴訟問題は、現実的にはミニバイクに乗る子供が訴状に上がること自体考え難い。と言うのは、全米で蔓延した訴訟原因要素の一つであるアルコールやドラッグの問題は子供には無縁で、かつ、親が自分の子供に不安定なバイクを買い与えるはずもなく、バイクのメンテも親がしっかりやるので、ミニバイクの訴訟問題は基本的に発生しにくいはずだった。以降、日本主企業が撤退したミニバイク市場で、じわじわと欧州のKTMが強力なサポートプログラムをもって販売を伸ばし、今や、この分野はKTMの寡占状態にある。そこに、2013年ごろから、日本二輪企業の中では最も多くのMX車の品揃えを提供している二輪企業、ヤマハがアマチュアライダー支援プログラム「Yamaha Off-Road Racing Amateur Support」を開始した。多くのアマチュアライダーにとって、自分が購入したバイクメーカーが全面支援してくれる企業が増える事は、鬼に金棒だ。リーマンショックで100万台規模にあった二輪市場が一挙に約45万程に落ち込んだ米国市場だが徐々に回復しつつある。伝統的に白人社会に支持されてきた米国のオフロード市場は、こうしてフォローの風に乗る。

KTM65SXと戦えるミニモトクロスバイク待望論を数年前から聞いてきた。例えば、身近な話として2013年、マウンテンライダーズ設立50周年記念パーティに出席した際、オフビの社長と四方山話をしたが、彼が言うに、「日本のオフ市場にKTMが台頭しつつある。今の日本製ミニモトクロスバイクではKTMに対抗できない。このままにしておくと、日本市場がKTMに置換してしまう恐れがあり、取って替わられる前になにか検討しておくべきではないか」と聞かされた。また、欧州で開催された、FIM Junior Motocross World Championshipに参戦した日本代表チームのマシンがKTMだった事に、「何でチームジャパンなのにKTMなんだ。日本車じゃないのか?何で日本のメーカーは2ストを作らないのか。65や85ccの新しいバイクを開発しないの?と、、、」等、戦闘力のある日本製ミニモトクロスマシが市場にないことを多くの欧州現地の関係者が疑問に思っていると、FB紙上に投稿されていた事等々を思い出すが、やっと、ヤマハが販売する。

ミニモトクロスマシンで思いだしたが、随分大昔、65や85㏄マシンはクリスマス商戦が重要な販売時期だった。各社ともクリスマスに間に合わせようと、それまではシーズン当初に照準を合わせたものから、数か月生産を前倒しになる格好だった。その分開発の前倒しが必要だったが、次第に生産開始時期も早くなり、夏シーズンの単車生産ラインを平準化にすることも可能となったが、結果的にこれ等はMXビジネスを成功させた最大理由のひとつになった。

かって、85㏄ミニモトクロスマシンの生産台数は2万台前後/年だった時期でもあり、だから色んな仕様のトライをミニバイクで先行開発したこともあった。アルミフレームもそうだ。たかが子供の乗り物とする営業担当もいたが、乗り手は8才~15才位の子供でも、彼らの能力たるや上級機種のプロライダーと遜色ないラップタイムで走る能力を持っている。上級機種と同じ様にジャンプ飛距離を飛び、タイムもほぼ同等。そのために彼らが安全にレースを楽しみながら勝利を掴かむマシンとは、上級機種に殆ど近い仕様を装着する必要があり、彼らがミニモトクロッサーに要求したマシンとはそういうものだった。だから、必然的に65ccのミニMXも水冷化する必要があった。当時の走行テストでは、学校が終わると母親が14、15才の子供をレーストラックにつれてくる。我々は子供の意見を聞きながら慎重に仕様を詰めていく。ライダーが数人集まるとレースそのものだった。

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概略納得だが、神事ってなんだ?

2018-02-09 06:39:08 | スポーツ
初場所は栃ノ心の優勝に終わり、場所前の大騒動で人気は萎むのかと心配したが、結果は逆に大相撲人気は続いた。
貴乃花親方は理事を罷免されたが、2月初めの相撲協会の理事選に貴乃花親方が再立候補するとあったので、これからが本当の勝負が始まるんだと、面白おかしくテレビやネットが騒ぎ始める。結局、貴乃花親方が集めた理事票は2票で落選。しかし、その間、貴乃花親方は外部に一切何ら話すことも、噂された訴訟に持ち込むこともなく、日馬富士暴力事件で露出した相撲界の醜聞はこれで終わりかと、貴乃花親方は一体何をしたかったのか皆目わからないまま、メデイアが格好の話題を見つけて騒いだだけかと、我々相撲ファンは不審に思っていた。それが、昨日(2月7日)、貴乃花激白として2時間のテレビ番組に出演し、今の心境を語っていた。

  「テレビ朝日」
テレビ放送を途中から見たので最初の20分間は見ていないが、面白かったので最後まで見た。
貴乃花親方が語った中には、相撲協会や危機管理委員会が発表した公式報道に異を唱える発言が随所にあった。例えば、理事解任処分に対し、降格処分は認めていないという。評議員会議長池坊さんの記者会見であった、貴乃花親方が理事解任を「わかりました」と発言したことについては、そんな発言はしていないと言う。協会通達を聞いたことに「ハイ」と答えたが、理事降格を「わかりました」と了解したとは言っていないんだそうだ。また、貴ノ岩のケガのMRI画像や「右側頭骨骨折」と断定する診断書を紹介しながら、貴乃花親方は「耳鳴り、頭痛があって横になっているのが精いっぱいという状態」と受傷直後の弟子の状況を語るなど、協会報道とはかなり異なる発言をした。「被害届を取り下げるような要請があったか」との質問にも二度にわたり「そうですね。はい」と答え、被害届を内々に取り下げるよう求める協会側の働きかけがあったことも明かし、貴ノ岩の陳述書と危機管理委員会の報告にかなりの食い違いがあると話した。一連の貴ノ岩への傷害事件に関わる自らの言動の正当性を主張し、「協会に対して戦いを挑みますか?」との質問に、「気持ちは戦います」と発言した。相撲協会発表内容に対し、その反論回答を含め20点ほどの意見書を協会に送ったと発言する等、親方は何ら発言しないとする協会意見を否定した。今まで沈黙してきた理由を、捜査段階では、協会員であるので協会公式見解と異なる意見を外部に発言するのは協会内の対立と煽るだけで、協会にはきちんと回答したが、マスコミには一切話さなかった話した。とつとつと話す内容の殆どはなるほどなるほどと思えるものだが、話し方の抑揚の付け方が普通の人と少し違っていたので、理解するのに少々時間がかかった。

今迄の日馬富士暴行事件に関する協会側の最終裁定に、一相撲ファンとしては、なかなか納得出来るものではないと、当ブログにも何度か書いてきた。今回、改めて、貴乃花親方の反論を聞いていると、成程!と合点し納得できる説明も多かった。つまり、今回の理事降格裁定も、首尾一貫した公正で論理的な降格理由ではなく、貴乃花親方の非協力性や椅子に踏ん反える態度が気に食わないとか従順さに掛けるとか、先輩に対する礼に掛ける事を重要視したように感じられてならなかった。「報告の遅れ」と「相撲道の礼」を欠いたと一方的に非難され、結果、理事降格の処分を受けた貴乃花親方が、なにも反論せずにこの裁定を受けるのであれば、なんでいままで突っ張った態度を取り続けたのかの理由が付かなかったが、今回の貴乃花の独白で何となく全体像が分かった様な気になった。

もう一点、今迄一番気になっていた事だが、日馬富士が頭にきて暴行に至った原因を「弟弟子の礼儀礼節を正すことは先輩としての義務」と説明した言質に加えて、モンゴル力士会なるものが存在し、しかも九州場所直前にモンゴル力士会が開かれ、モンゴル横綱が下位力士を「礼儀礼節を正す」と称して数十回素手やリモコンで殴ったという行為の正当性の根拠は何だと言う事。相撲界は各部屋ごとに力士への指導方法や指導理念は異なり、それは相撲部屋の師匠の仕事であると思っていたが、貴乃花親方は現役上位力士が他部屋の下位力士を説教し殴る行為は異常で相撲道に反する行為だと話した。それは全くその通りだ思う。日馬富士がピックルを持ちだし殺したろかと威嚇し、他部屋の上位力士が足の悪い下位力士に正座を強要するなどの、当日の現場の様子は相撲協会や危機管理委員会の発表報道とは明らかに異なるものであった。通常、第三者の裁定は加害者側の説明より被害者側の説明を優先するものだ思うが、テレビ桟敷で聞いていると被害者側の貴乃花の意見が全てに正しいと言えないかもしれないが、大方は正論だろうと聞こえた。

貴乃花親方の一連の発言を聞いているとなる程と思う事多くあったが、良くわからない点もあった。特に相撲は「神事」と言ったこと。「神事」の意味するところは何だろうか。我々相撲ファンは、白鵬の最近の相撲、とくに喧嘩の如き張り手や相手のあごや顔を狙うエルボー等、相手を傷つける恐れがある、誰が見てもひんしゅくを買う荒っぽい相撲を無くしてほしいと思っているだけで、相撲は「神事」と言われても難し過ぎて共感できることは少ないようにも思える。

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