野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

庭の万両、2023年12月29日

2023-12-29 06:44:58 | 
  
今日は29日、2023年も残り2日。
つい一週間前は、このシーズン一の寒波到来とかで昼間の気温も2度ぐらいの低温となって寒さが一挙にやってきた感があったが、今週は正月を含め10度前後の暖かい日が続くようだ。冬になったとは言え、暖かい日の方が断然過ごしやすいに決まっているから、1.5度上昇を食い止めようと脱炭素だとかやれ水素だとか欧州各国が躍起になっているのを我々年寄りは全く理解できず、ましてやこのように気温差をもろに感じると、やっぱり暖かい方が断然良いに決まっている。朝、庭に出ると、万両が目に付く。柊の下に隠れて様にひっそりと「万両」の実がキラキラ輝ている。数年前までは、数本の「万両」と「千両」の植木もあったが、今は柊の下の「万両」が1本だけとなった。
  
  

それでは皆さん、今年一年ありがとうございました。
良い年をお迎えください。
  
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2023年も残り4日

2023-12-27 06:42:07 | その他
今年もなんやかんやであと4日で終わり。 年末、思いついた事柄を書いてみた。

■ 年末に、いやなニュースが飛び込んできた大阪のダイハツ工業の品質不正問題だ。
市場経済を牽引すべき、天下の一流と言われる企業の不正だけに、気になって仕方ない。
新聞報道によると、「ダイハツ工業は12月20日、国内外で販売する全車種の出荷を一時停止すると発表した。ダイハツから供給を受けるトヨタも一部車種の出荷を停止した。車両の安全性を確認する試験不正問題を巡り、不正対象が64車種に拡大する。出荷再開時期は未定。同日、外部弁護士らによる第三者委員会の調査結果を国土交通省に報告。同省は21日にダイハツ本社へ立ち入り検査する。また、ダイハツの奥平総一郎社長は会見で経営陣に責任があると謝罪した。また、同委員会は不正の真因として、トヨタのものづくりの根幹の1つ「現地現物」が管理職に徹底されていなかった」書いている。「安全性法規に準拠していない車だが、今まで事故の発生はないので安心して乗って欲しい」ともダイハツ社長の話が神戸新聞一面にあったが、安全基準を守っていない車に危険なことはないから、そのまま乗り続けていいよと言う、その考えそのものはユーザーを馬鹿にしているように感じた。今回も「現場がかってにやったことで上位組織は知らなかった」としているが、34年以上も改善されることもなく180件に近い不正が現場責任で放置され続けたのは一般的にはなかなか納得できないもので、極めて悪質だとする新聞報道もあって、国土交通省がどのような処置判断をくだすのか、世論は注視している。

しかし、日本の製造業の実力なんてこんなもんだったんだろうか。
まだ覚えているが、確か5年ほど前にも、神戸製鋼、日産、スバルなど日本製造業の不正が露呈し、川崎重工業やKYBを含め一流と称される企業や自治体幹部が毎日のように「申しわけありません」と頭を下げる姿は見苦しかった時期があった。特に製品品質は優秀と信じられていた大企業の品質データ改竄事件はひどいの一言だ。我々は品質確保の第一はルールを守ることだと教わってきた。しかし、不正企業幹部の妙に言葉を使いまわした発言に、日本の製造業をマネージしている最高位管理者の危機管理の無さを如実に感じた。企業の品質不具合が発生する大多数の要因は何となく直感で分かるので、こうも企業のトップが「現場の責任」として逃げている限りは、品質不具合は必ず再発する。品質不具合を改善する方法は難しいことはなく、その時のトップの責任の採り方で如何様に変化するから、傍からみていると原因を含めおぼろげに分るだけに、幹部発言の軽さは実に面白い。「Made in Japan」は既に過去のものなったのかもしれぬとすれば、日本の製造業はどうして生きていくのだろう。

再び思い出したので更に言えば、前代未聞の悪名で知られる「三菱自動車のリコール隠し」以来、自動車製造業のほとんどの会社は品質部門を企業のトップ部門に据えて取り組んできた。何度も繰り返す日産の不祥事をみると、それらの品質改善活動を鼻で笑う行為に等しく、こんな自動車製造企業が存在していること自体不思議に思えた。企業の不祥事が露見するたびに、該当会社のトップが雁首ならべて頭をさげて謝罪するテレビを見る度に、これが日本の製造業の本当の実力かもしれぬと。企業ガバナンスの重要性が論じられたり、CSRへの取組や社外取締役を採用してきたが、これらの会社では、取締役会や監査役会が有効に機能しなかったことになる。これらの事例では、一連の不祥事には如何なる経緯があるせよ経営トップが深く関与している可能性があるため、企業ガバナンスが発揮しずらい事例である。「名経営者がなぜ失敗するのか?」という本の中で、多くの失敗の分析の共通項目は「臭いものに蓋をしようとする人間の本性」が指摘されており、「人間の本性と戦うこと」が経営者の最大の仕事であると書いてあった。

「KX50周年を祝う有志の会」
今年の5月、「ダートクール」の浦島編集長とカワサキの広告代理店キャップスアソシエ―ションからメイルが来て、「KX50周年プロモーションの依頼をカワサキより受けたので、”KX誕生~進化について”、話を聞きたい」と連絡があった。その面談の際、「KX50周年懇親会」の計画があるなら参加したいとの申し出てがあった。過去、「KX40周年」「KX45周年」の節目に懇親会を開催し、その苦労も身に染みていたのでどうしたものかと正直迷っていた。街の中からも「KX50周年懇親会」を開催してほしいとの声も聴いていたが、80才にもう数年で手が届く後期高齢者を含むカワサキのリタイヤ元技術屋3人が発案・主催するにしても、手足となって動いてくれる現場がいないと会場設営を含めなんともぎこちなく不安に思っていた。そのぎこちなさに不安に感じた応援者のボランティア数人から申し出があり、実務を担当してくれることになった、所謂、前々回、前回同様に素人集団の「手作り開催」でスタートしたが、これがなんと孫もいる女性3人を含む一芸の優れ者ばかりで、それぞれの得意分野に奔走して、手や足の動きが遅い我々高齢主催者にとって大きな助けとなって、なんとか開催のめどがついたときは本当にほっとした。

この会は単に昔の仲間や仲の良い友達だけが集まって楽しむ会ではなく、「先人達の苦労があったからこそ今のKXがあると言うのは間違いない事実で、その当時の技術担当者達がとった行動は今なお新鮮にして学ぶべき事が多い。これを語り続ける事」こそが有志の会の真の目的であったので、今回も、KX誕生からその過程で生まれた苦労話を、駆けつけてきた昔の仲間が語ってくれたのは、多くの参加者にとっては新鮮な話題であったのは確かだと思う。 

結果的に言うと、「会は大成功だったよ」と先輩諸氏を含む多くの参加者から頂いた。
今回の「KX50周年有志懇親会」の良かった点は、カワサキの最大の競争相手だった他社チームで大活躍した著名人、例えば吉村太一さんやHRCの元エンジン設計者、そして案内のFBを見て多くの一般の方が参加されたことだと思う。彼らからたくさんの祝言を頂いたが、かって敵として戦ったことなど何処に消えて、同志としてただただ嬉しいものだった。二輪ビジネスの世界では、レースが二輪ビジネスの頂点にいて、かつオピニオンリーダーであることは間違いない事実で避けては通れないものだから、共有する思いがあるのだろう。そして、この50周年の長い歴史を俯瞰するに「あの時のカワサキは頂点にあったよねとか、そしてリーディングカンパニーだったと言う事実は変えようがないよね」と言う声も多く聞こえた。しかし思うに、KX50周年懇親会に、こうしてかっての競争相手や一般の方が祝福に来てくれたという事実は、カワサキでKXを主体とするオフロード業務に従事した我々担当者や関係者にとっては何ものにも代え難い 嬉しい財産である。この声は、会の中で実施したトークショーに参加したライダーからも、また多く聞かれた。今回も、カワサキの二輪部門が昔から長く企業活動指針としてきた「let the good times roll」 活動を具現化することができ、主催者の一人として嬉しいものだった。さらに今回も前回と同様に、雑誌数社が取材に訪れて記事を書いている。
  
そして、25日の「Kawasaki Motors Australia」のFBはこう書いている。
「Thanks to KX fans around the world, the KX series has come a long way in the past 50 years, and we are deeply grateful to be able to celebrate this milestone anniversary together in 2023. With a “Built to Win” development concept that has not changed since the birth of the first KX, Lime Green KX motocrossers will continue their journey into the next 50 years! To Kawasaki and KX fans, we look forward to your continued support of the KX Series.
Let the Good Times Roll.」
「世界中のKXファンの皆様のおかげで、KXシリーズはこの50年の間に長い道のりを歩んできました。2023年、この節目の年を共に祝えることに深く感謝しています。初代KXの誕生から変わらない "Built to Win "の開発コンセプトのもと、ライムグリーンKXモトクロッサーは次の50年に向けて歩み続けます!カワサキ、そしてKXファンの皆様、今後ともKXシリーズをよろしくお願いいたします。Let the Good Times Roll.」と言うところだろうかしかし、面白いのは、この記事に対する読者コメント欄で、次の50年への期待は「カワサキも2ストロークのモトクロスマシンを販売せよ」というファンの声であった。

ブログを投稿し始めて今年で13年以上も過ぎた
日頃からこうではないかと考えていた事象や現象が発生した場合、直感的に頭の中に言葉が出て、その直感の源流には自分の基本的な考えがあるので、ブログを書く事は全く苦にならないのだが、最近、投稿したブログを読み変えしてみると、だんだんと文章が面白く無くなっているように感じる。しかも、書き始めるまでに相当な時間が掛る上に書き終わるまでも時間がかかり、更に悪い事には文章がくどい事だ。最近、なにも書きたくない日もある。そういう日は、書こうとすること自体、頭に浮かんでこないのでだらだらと書き続け、読み返しても面白くも何ともなく、はっとして書き直すことになる。性格とは難しいもんだ。それでも、一日置きにブログを投稿しようと言う気持ちだけは持ち続けている。加えて訪問してくださる読者数も500UUを超えるときもあり、有難いものだ。野々池貯水池のジョギングコースを早足でウォーキングすると、直ぐに体は温まりほんのりと汗をかく。この時が最も頭の中が爽快になる時だ。この気持ちがある限り、書き続けることはできると信じている。ブログ投稿開始時のように自分自身がワクワクするようなブログを書けるように興味を持ち続けたいという気持ちを大事にしたい。   

■ こんな世間の話題や事件を気に掛けながら、毎朝6:00前には寝床から起き、午後10:00過ぎに寝床に入るのが日常の生活パターン
午後11:00まで起きていることも稀にはあるが、その時は11時前にはうつらうつらなっている事が殆ど。昼寝はしない、だから寝つきは極めて良い。これがほぼ毎日の日課で、通年通してこの時間内で一日を活動する。朝起きると、パソコンを立ち上げ、その間に洗顔や朝飯を食べ、パソコンで見るのはニュースやスポーツがほとんどだが、お気に入りにいれた報道機関各社のHP、FBは一通り読む。特に興味を持って目をやるのは経済や政治動向、歴史に関する記事が多い。テレビで見る番組も同じくニュース、経済、歴史に関する報道が主で、スポーツ番組もよく見る。毎日生きてる証に、気になったこと等を自分のブログに書き残しておこうと、知らないことは調べて書き写しながら勉強しているつもりだが、阪神が負けると腹がたって阪神の悪口を書き、それでも、阪神が日本シリーズに優勝するなど思いもしなかったが、それも普通の事象になってくるから慣れとは面白いものだ。大相撲で贔屓の力士は勝てばよくやったと褒め書き、季節なれば花が綺麗だと書き、変わらず能天気なことをブログに書いたりしている多さに、ボーッと生きてるわけでも無いと思うが、昼からの暖かい時間は運動で過ごし、2年前の心臓弁膜症手術や1年前の未破裂脳動脈瘤 手術の定期経過検査も異常なく、今年もインフルエンザワクチンと7回目のコロナワクチン接種も終わり、こうして一年が無事に過ぎる。

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西明石駅のイルミネーション、2023

2023-12-25 06:17:12 | その他
夜遅く、西明石駅のそばを車で通ると、在来線側北側ロータリー中央に今年もイルミネーションが点灯している。昨年と変わってないな~と思いながら、昨年書いたブログを探して見比べるとほとんど差がない。むしろ昨年のものとほとんど一緒だから、質素なイルミネーションだ。駅のすぐそばでみると、質素な飾りやなと思うが、これが、2号線のあたりから、つまり離れてみると、それなりに見栄えよく見えるからうれしいものだ。と言っても、イルミネーションがあるとないとでは駅の賑やかさは大きく違う。あの圧倒的な豪華さを誇る神戸ルミナリエとは比ぶべくもない が、小さな駅のイルミネーションは何故か心がほっとするものを感じてきた。この時間だけは、西明石の玄関口の新幹線側に比べ圧倒的に存在感があって付近を暖かくしているのは確かだ。イルミネーション回りはタクシ乗り場で、居酒屋も多い。だからこそ仕事が終わり忘年会も終わって駅までの帰り道、イルミネーションの明りがほっとする瞬間になっていると思う。

「2023年、西明石駅在来線側イルミネーション」 
  
  



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銀行からの詐欺注意喚起メイル

2023-12-22 06:24:43 | その他
実は、数年前、詐欺屋から詐欺の電話を貰ったので気を付けているが、余程儲かる仕事なのか、被害が後を絶たない。
電話一本で済む、色々な詐欺の形態があるもんだと感心するが、実は、私も2018年の4月、この還付金詐欺屋から電話を受けた。「もしもし、健康保険の還付金について、先日、郵送しましたが回答されましたか?」と言う。郵送されてきたという記憶もなく、話の内容を理解することができず、延々と回答が必要と還付金の話をしてくるので健康保険金の事なら担当の区役所に聞いてみますと言うと、直ぐに電話が切れた。この間、非常に柔らかい物腰の話し方なので何の違和感もなく、ただ内容が理解できなかっただけなので、念のため区役所に確認してみると言うと電話がきれた。電話が切れても、まだ詐欺の電話などは気付かず、区役所の健康保険窓口に電話して、初めて詐欺の電話だと気付いた。・・・と言う経験を持っているが、つい最近、クレジット会社や銀行から特殊詐欺への注意喚起のメイルが立て続けに送信されてきた。要注意案件につき、念のためブログに記録し自己喚起にしておこう。

その1:クレジット会社からの注意喚起メイル(○○はカード会社名)
○○カードのホームページ(暮らしのマネーサイト)などを名乗る不審なショートメッセージ(SMS)・メールが増加しております。
不審なSMS・メールに記載のリンク先をクリックすると、個人情報の入力を促す不審なサイトへ誘導され、アカウント情報やパスワード、クレジットカード情報、認証コードなどの情報を入力すると、イオンカードのサービスを不正利用される可能性がございます。絶対に入力しないようにしてください。
また、○○カードのホームページを閲覧いただく際には、
リンク先が「https://www○○.co.jp/」であることを必ずご確認いただくようお願いいたします。非常に類似したアドレスを記載している事例が多く確認されております。

※クレジットカード会社では、お客さま個人の情報(クレジットカード番号、有効期限や暗証番号など)についてメールで問い合わせたり、回答をお願いしたりするようなことはありません。

なお、差出人表示は偽装できるため、必ず送信元メールアドレスのドメインとメール内容の両方をご確認ください。
各メールアドレスからお送りするメールの内容は、○○カードホームページトップの重要なお知らせ<ご注意ください!「○○カード」・「○○フィナンシャルサービス」・「○○銀行」の名前を装った不審なメールにご注意ください。>よりご確認ください。

その2:銀行からの注意喚起メイル(△△は銀行名)
昨今、様々な手口によるインターネットバンキングを悪用した犯罪が発生しています。被害に遭わないために、以下のような詐欺にご注意ください。
・PCのウィルス感染を装ったサポート詐欺
・通販サイトの「返金手続き」の詐欺
・金融機関のメール・SMSを装ったフィッシング詐欺

1.サポート詐欺
ウィルスに感染等の画面が表示され、偽のサポート窓口への架電を誘導し、ウィルス除去等の費用を請求されて、遠隔操作で不正に送金させられる手口を確認しています。このような警告画面が表示された場合は、以下の点にご注意ください。
・画面に記載の電話番号に電話をかけない
・案内されたソフト等はインストールしない
・ウィルス駆除等の費用を請求されても支払わない
△△ダイレクトの暗証番号等を入力しない
・警告画面が消えない場合は、ブラウザを強制終了するかパソコンを再起動する

2.通販サイトの「返金手続き」に関する詐欺
通販で購入した商品が届かず、その「返金手続き」を装って、キャッシュレス決済や振込で送金させられる手口を確認しております。中には「返金の操作方法を案内する」と言われ、通話アプリ等でご自身のスマートフォンの画面を相手に共有させられるケースも確認しております。お客さまに責任がない場合の「返金手続き」と称した送金・振込の依頼等の詐欺にはご注意ください。

3.フィッシング詐欺
△△銀行をかたる不審な偽電子メールや偽SMSが数多く出回っています。
メールのリンク先で暗証番号等の入力は絶対に行わないようにご注意ください。
△△銀行ではメールのリンク先から暗証番号のご入力をお願いすることは一切ございません。
犯罪の被害に遭わないために、△△ダイレクトへのログインは、以下の方法でのアクセスを推奨いたします。
・普段よりご利用いただいているURLをお気に入り(ブックマーク)として登録し、以降はお気に入り(ブックマーク)よりログイン
・△△ダイレクトアプリよりログイン

万一、△△ダイレクトの暗証番号等を入力してしまった場合は、△△ダイレクト専用ダイヤルまで直ちにご連絡ください。

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12月のリンドウ @ 野々池貯水池

2023-12-20 06:34:17 | 野々池周辺
   
いつも行っている11月中旬には、結構な数のリンドウが咲いている。
今年は色々あってもう過ぎたかもしれないと思ったが、12月中旬に確認しに行ってみた、すると、11月のリンドウに比べると花の豪華さはかなり落ちるも、枯れ草のなかにひっそりと咲いている。その数、10か所ほどの場所に単発的にひっそりと。

野々池貯水池に咲くリンドウ。 野々池貯水池で最も端正で秋らしい山野草の筆頭はリンドウだと思っている。10数年前、野々池貯水池でリンドウを初めて見たときは、何故こんなところにと一瞬驚いたが、今ではもう、今年はどのくらいの数が咲くのかと心待ちしている。好きな秋の花の一つ。

今週は先週にくらべ一気に寒くなると予報は言っていたが、やや北風が強く、その通りになった。昼間の温度は7、8度に届かず、野々池貯水池のジョギングコースに上がってみても風が吹いているので、結構寒い。長袖ポロシャツにゴルフ用の防寒着を羽織ってジョギングコースに上り、2周してやっとうっすらと汗をかく程度の、そんな気温。そして毎年、この時期、野々池貯水池に上がってリンドウを見つけてとホッとする。 もうあと10日もすると正月がくる。



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「KX50周年を祝う有志の会」の雑誌記事

2023-12-18 05:49:55 | 二輪事業
 
去る12月2日(土)、明石駅から歩いて2~3分ほどの「グリーンヒルホテル明石」にて「KX50周年を祝う有志の会を開催した。
本懇親会は、今回も、カワサキでMXに関係したメンバーだけに限定せず、広くカワサキモトクロスを応援してくれた在野の支援者いわゆる「緑の血」が流れている人も含めて案内を回し当日参加を加えると83名の出席で、これは「KX40周年」「KX45周年」とほぼほぼ同数の出席者となった。また、会場設営や受付等にボランティア応援者が早くから駆けつけ準備してくれたので、 技術屋出身者で構成されたずぶの素人集団が立ち上げたイベントを側面から支援して頂くことになって、繋がりとは本当に有難い事だと心から思う。

このOB有志の会に出席したプレス記者は4名、記者とは長年の縁の深い付き合いがある旧友で、より積極的に仲間に溶け込んで会話を楽しんでおられた。

雑誌記事の第1報は「Mr bike」記事で12月13日に投稿された。
 
巻頭言は「1973年に量産販売が開始され、今年50周年を迎えたカワサキ モトクロッサーKXシリーズ。12月2日、『KX50周年を祝う有志の会』が兵庫県明石市内のホテルで盛大に開かれた。カワサキ二輪事業とレース活動の黎明期より携わったカワサキOBを始め、往年のライダーと関係者およそ80名が一同に、懐かしい再会と半世紀に渡るエピソードの数々、KX談義で歴史的なひとときを祝った」と書いている。

第2報は「カワサキイチバン」で同じく12月13日に投稿されている。
(「カワサキイチバン」は専門誌「カワサキバイクマガジン」と同様に、カワサキライフを送るすべての人のための、カワサキファン応援サイト)
 
「カワサキのモトクロッサーシリーズであるKXが発売開始されてから、2023年で50周年を迎えた。そのKX50周年を記念して『KX50周年を祝う有志の会』が開催された。参加者はKXシリーズやカワサキ関係者、そして一部の一般ライダーに限定され、約80名が参加した。その会場にはKXの名付け親やカワサキレーシングチームとチームグリーンの元モトクロスライダーをはじめとして、KXシリーズに縁の深い人物が多数訪れた。

KXを祝う会は過去にKX40周年、KX45周年に開催されており、今回は50周年という大きな節目での開催となった。開催時間は3時間ほどで、カワサキのモトクロスライダーOBのトークショーに加え、ロードレースのライダーOBも登壇し、それぞれがレース参戦していた時代の貴重なエピソードが披露された。さらに、国内チームグリーンの設立者であり元監督である平井稔男氏からビデオレターが寄せられ、平井氏とともにレースを戦ったライダーが感極まる場面も見受けられた。現行モデルに関しても言及され、KX50周年記念モデルのグラフィックを解説する場面もあった。

会場には70年代や80年代のKXに採用されたタンクやライダーOBの現役時代のヘルメット、モトクロスジャージ、そしてカワサキモトクロスの原点ともいえる赤タンクの最終型1973年F6MXなどが展示され、モトクロスファンにとっては非常に貴重な場となった。そのため、細かく写真撮影している一般参加者も見受けられた」と書いている。

第3報は、24日発行予定の月間誌に掲載される予定と聞いている。

「KX50周年を祝う有志の会」は過去にKX40周年、KX45周年に開催してきたが、そのたびに旧知の雑誌記者には声をかけてきた。この有志の会は、会社側が主催する会ではなく、あくまでモトクロスKXに少しでも関与してきた有志が起点となり知り合いが知り合いを呼んで単に集まって楽しむ会に過ぎず、だから、最終的に都合のついた人が集まってくる。雑誌記者もそのルートの中で案内された人達なので、記者も他の参加者や主催者同様に自己負担で会費も払って「有志の会」を一緒に楽しみ、その印象を記事に投稿して頂いているので、素直に言って嬉しい。
・・・「let the good times roll」


 
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「KX50周年を祝う有志の会」・・'90KXグラフィック

2023-12-15 06:26:44 | 二輪事業
 
「KX50周年を祝う有志の会」なる、元カワサキ技術屋の素人が立案主催した懇親会には、多岐にわたる昔の仲間が馳せ参じてきたから愉快なものだった。
その懇親会イベントの一部、トークショー「KX50周年記念車のデザインについて」は、2024年モデルKX50周年記念車KX450、KX250に採用されたグラフィックデザインの原点である、'90年KXのグラフィック、スプラッシュピンク等の適用を考案した松見康祐 さん(元カワサキ技術部のグラフィックデザイナーで現在は熊本在住)が、当時の事を話ししてくれた。この’90年KXのグラフィックは、その後の’90年代の二輪車のグラフィックデザインに大きな影響を及ぼし、二輪の業界では初めての「グラフィック大賞」をもらった二輪車のグラフィックデザインとしては革新的なデザインだが、日常的に接した仕事仲間内では普通の話も、初めて聞く人や日頃から興味を持った人が聞くと甚く言葉が染みるようで、この日の松見さんの話に感動した主催者の一人貴島さんが、その内容を彼のFBに投稿していた。これは残しておこうと付随するコメントもそのままに当ブログに書き留めた。

「カワサキモトクロッサーKX 50周年記念パーティー」
その3 
開発者逸話 編
 「デザイナー松見康祐さん」
本会は、カワサキOBの皆さん及び有志による「手作り開催」でした。
しかしながら、皆さんの永年の人望と繋がりにより当時の開発者の方々が参加され、貴重なお話しを披露されました。そんな中で、90年型のグラフィックデザインを担当された松見康祐氏のお話しは、私的にも大変興味深い内容でした。

カワサキ歴代モトクロッサーのグラフィックデザインを遡ると、70年代から80年代にかけては青と白のストライプが入る画一的なデザインが永きに渡りますが・・その伝統的な手法を一気に過去のものにしたのが90年型でした。90年型は外装デザインに限らず、ペリメターフレームを初採用した革新的なマシンで、歴代KXの歴史上でも後世に残る年式となりました。

松見氏によると、このタイミングで一気に外見上もインパクトのあるデザインにしようという機運が持ち上がり、これまで10年以上続いた画一的なデザインを拭い去り、ポップアートな仕上がりを目指したとのことでした。イメージしたのは、アメリカンカスタムカルチャーからの流れで、コンセプトカラーとなったのはピンクと紫だったそうです。そこに当時、四輪カスタムでも流行していたスプラッシュデザインを融合し、これまでにないエポックメイキングな仕上がりが実現したということでした。なお、スプラッシュを採用したのは、カワサキはジェットスキーなどマリン事業も展開している繋がりもあったそうです。

しかしながら、蛍光ピンクは量産車として発売する際に耐候性が懸念されたため、ピンク→紫のグラデーションとすることにより対策をした・・との苦労話しもありました。このように順調満帆とはいかなかった革新的なグラフィックデザインですが、その後のKXシリーズはもとより、KDX、KLXシリーズにも順次採用され、一時代を築き上げたものとなりました。その功績もあってか?50周年記念モデルのリスペクトデザインは、この90年型が選ばれています。それだけ、社内外に於いてインパクトのあるモデルだったのだと思われます(^-^)
     「シュラウド形キーホルダー」

なお、松見氏は現在、熊本にてデザイン会社を経営されており、当日サプライズで自らデザイン・制作されたオリジナルのシュラウド形キーホルダーを抽選会用にと、ご提供いただきました。この日、この会のために制作された超限定アイテムです。当たった人は超ラッキーだったでしょう。・・そういうワタシも頂きましたが・・勿体なくて永久未開封の方針です(笑)
   

以下寄せられたコメント:

大津 信:
‘90KXグラフィックのついては、松見さんからこんな話(ごく一部ですが)がありましたので、紹介します。
「当時の雑誌で「ポパイ」か、何かの雑誌で、二輪の業界では初めての「グラフィック大賞」をいただきました。だから、それは結果論ですけどね。そういう意味で良かったのかな。 当時はジェフ・ワードとか、活躍していたライダー達も、自ずとピンクをどこかに入れたりとか・・」   モトクロスバイクと言う全て技術的合理性にそって設計されているマシンに、当時としては本当に革新的なデザインだったと思いますし、今見ても名作だと思います。

松見康祐:
大津 信 さん
ありがとうございます。

元井 聡:
当時のロゴデザインが好きでしたね。


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紅葉 @野々池周辺

2023-12-13 06:33:32 | 野々池周辺
  
パソコンのFBやインスタグラムを流していると、少し前まで、秋の紅葉が映える場所とかで写真がよく登場していた。投稿された写真をみながら、良いな~と感じつつも、行ってみようとは全く思わなかった。住んで居る場所の近くでも、その規模の大きさははるかに落ちるが秋の紅葉は見れるし、12月も中旬近くになって、近場の紅葉でも秋の終わりを感じることができる。

野々池貯水池周りの殆どは夾竹桃やツバキそして楠の常緑樹が多く落葉樹は少ない場所で年中代わり映えしないが、紅葉の季節になると赤や黄色に色づくものも一部にあって、その一番目立つのは赤色に変色するハゼの樹だが、今年も真っ赤に色づくも、すぐに終わった。また、野々池貯水池のすぐ傍の町内幹線道路沿いにある丸山公園に「西山延命地蔵尊」を祭る祠があるが、「一願成就」、願いごとがよく叶えられるというので、付近の人々は勿論、ずいぶん遠くからもお参りに来られるようで、参詣者の線香の煙の絶え間がない。その祠の周りの落葉樹は、今、紅葉も盛りはとうに過ぎたが、見に行くと綺麗さは今も残っている。町内の幹線道路沿いの桜、春の桜は毎年、見事だったが、その桜もとっくに枝ばかりが残っているが、その風景の中にあって、わずかに残った、色とりどりの紅葉に染まる葉っぱは趣があって好きな色をしていた。だから、紅葉の名所たる場所には行ったことはない。
  
  
  

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大谷選手、10年$700M

2023-12-12 05:52:20 | スポーツ
10日のFB記事は、MLB大谷選手の超大型契約の話題で満載。
MLB on FOX」のFBは、
Shohei Ohtani now tops the list for biggest contracts in MLB history!」 と投稿していた。
    
また同じく、「MLB on FOX」のFBは、大谷選手がLAドジャーズと契約した理由を簡単にこう解説している。
「MLB on FOX」
Why did Shohei choose the Dodgers? According to Ben Verlander, it's three simple reasons:
 1. Winning
 2. Money
 3. Location
つまり、バーランダーが言うに、チャンピオンシップに勝てるチームを選択したことだそうだ。

10年1,000億超えの契約金、それを日本人選手が獲得すると言う桁外れの超大型契約金の話題、「漫画」みたいな話は、本当にその価値があるのかと疑念を持ってみたが、産経新聞ネット記事にこうあった。それは「10年1015億円でも「高すぎじゃない」 大谷翔平の価値」と東京の大学の先生が書いている。 
①.MVPを2度受賞した大谷の実績
②.日本国内の野球熱の高さ
③.米国の時代背景
なんで、日本国内の野球熱が契約金に影響したかを、「グッズや放映権…日本特需日本が野球大国であることも高額化の一因とみる。契約金の原資となる放映権料は米大リーグ機構(MLB)が一括管理し、実績に応じて全30球団に配分される。加えて映像は秒単位でも販売されており、「野球が浸透している日本では、1日に何度も何度も大谷選手のニュースが流れる。その分、配分も多くなる」という。映像メディアでの露出が増えれば、新規スポンサーの獲得も見込める。エンゼルスの本拠地球場に、日本向けの「カタカナ表記」の広告が出されたように、日本企業の注目も熱い。さらにユニホームなどの応援グッズの収入も期待でき、「大谷選手なら、10年契約で1,000億円でも十分に元が取れてしまう」と断言する」としている。

また、米国の時代背景として、「米国では反黒人差別運動「ブラック・ライブズ・マター」(BLM)の高まりを受けて、多様性が重視されるようになった。映画の祭典・米アカデミー賞の選考基準に「多様性」が設けられたように、スポーツ界にも同様の動きがある」と解説している。

そんな理由を1,000億超えの理由としているが、そうかなと言う程度にしか受け取れないが、その額で契約が決まったのだから、そうなんだろう。
特出した能力のあるスポーツ選手は日本に固守せず、米国で活躍するのが良い時代背景にあるのだ。コップの中の一番を目指すんではなく、世界の一番を目指す選手が登場すれば、スポーツ観戦する面白さは場合増するに違いない。面白くなった。

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「KX50周年を祝う有志の会」・・吉村太一さんが出席

2023-12-11 06:31:54 | 二輪事業
  
「古谷さんと吉村さん:KX50周年を祝う有志の会:プロストック」
12月2日に開催した「KX50周年を祝う有志の会」に、世界のモータースポーツ界で有名な「吉村太一」さんが来てくれた。
有志の会の事務局の一人安井さんから、吉村さんが有志懇親会に来てくれるかもしれないとメイルが入ったときは小躍りして喜んだ。何せ、モトクロス界の大スターでビジネスでも大成功を収めた人物で、しかも多くの人望がある。かって敵として戦ったこともあるので、あこがれでもあった。それこそ有志懇親会の花となり、会が一層華やぐのは間違いなく、しかも”時間があれば喋る”と回答もあったのだから、2度ほど吉村さんに直接メイルして感謝を伝えた。吉村さんの出席を、カワサキレースの大OB古谷錬太郎さんに伝えると、会いたいと喜んで頂いた。

吉村 太一さんを簡単に紹介すると、
●(株)アールエスタイチ相談役・創業者
●1967年MFJ全日本モトクロス選手権ジュニア125ccクラスチャンピオン
●1970年MFJ全日本モトクロス選手権セニア125ccクラスチャンピオン
●1970年MFJ全日本モトクロス選手権セニア250ccクラスチャンピオン
●元スズキ・ホンダ モトクロスワークスライダー
●2021年MFJモーターサイクルスポーツ殿堂顕彰者
また、吉村さんと親しく、かつ今回の懇親会に色々支援してくれたプロストックの貴島さんは吉村さんをこう紹介している。              
●日本モトクロス界に創草期から選手として参戦。
 60年代後期からの「第一期モトクロスブーム」の時期にはスターライダー として活躍。
●1970年には125/250ccダブルチャンピオンを獲得(スズキ)
●72年にはホンダMX初参戦に伴い電撃移籍。歴史的なホンダ製モトクロッサー世界初優勝を達成。
●75年、ライダーススポットタイチ(現・(株)アールエスタイチ) 創業。
●2021年からはカワサキサテライトチーム(マウンテンライダース)として全日本モトクロスに参戦中。
●現・(株)アールエスタイチ相談役

懇親会で、吉村さんがゲストスピーカーとして壇上にあがると、出席のライダー全員が一緒に壇上にあがり大いに喜んで楽しんでいた。


吉村さんと、かって現役の頃、全日本選手権を戦っていた頃は、それこそ毎レース顔を合わせたがあいさつ程度で、懇親会でお会いし直接話したのは、これが二回目になる。一回目の時は、ちょうど10年前の2013年3月、京都で開催された「マウンテンライダーズ設立50周年記念パーティ」で、その時の様子を当ブログに投稿しているので、再稿してみる。

「マウンテンライダーズ設立50周年記念パーティ」2013年3月4日
 「吉村社長(向かって右)と私(左) 一緒に写真に収まるのは現役時も含めこれが最初」
3月2日、久し振りに京都まで行ってきた。
京都に降り立ってびっくり。京都駅から会場への道すがらビルの谷間に吹く風が冷たい。西明石よりかなり冷たい風にコートを羽織ってきたことは正解。
ところで、 パーティの様子は「雑感日記」等に詳しいので、私は今回のパーティで感じたことを書いてみたい。

マウンテンライダーズを主催している吉村太一さんとは、彼がホンダチームを率いて全日本モトクロス選手権を転戦していた時以来だから結構の長さだが、マウンテンから強豪ライダーを排出し続けていたこと等の思い出もあって、どちらかと言えば、常に我々の前に立ちはだかるチームの親分との印象が今尚強い。一方、日本でのモトクロス普及を真摯に受け止めている人でもあり、現役の頃、色んなアドバイスやメーカーへの要求を聞かされた。例えば、モトクロスやオフロードをより一層普及するためには、競技場所を極力市街地近くで開催すべきだ。そうすれば、モトクロスが更に認知されるし、モトクロス人口だって増加するはず。市場開拓のためにメーカーが検討すべき項目はこうだと多くのアドバイスを受けた。しかしながら当時の当方、手前勝手なことばかりに顔が向き、必ずしも真摯に耳を傾けてこなかった。だが実際、このように日本市場のモトクロス人口や二輪市場が減少していく現状をみると、吉村太一さんの忠言は正しかったのかもしれない。メーカーの塀の内に居ると、どうしても眼先の事が優先してしまう悪癖があるので、森に吹く風の動向に気づかず、気がついた時には既に遅しとなる可能性が、どうしてもある。全日本で覇権を争っていると、他陣営は全て敵に見え、大きな流れが見えず、流れに埋没してしまい、苦しくなって顔を上げる時には既に市場は減少してしまっている。

吉村さんは、全日本の二輪レース界の衰退が感覚的に見えていたのかもしれない。
それでも日本のモータースポーツ界の主流を歩み、超一流のライダーをも育て上げ、経営する「RSタイチ」は今や二輪関係用品を扱う会社としては、実質日本No1だ。その成功の秘訣を、「マウンテンライダーズ設立50周年記念パーティ」で見る事が出来た。約300人強の関係者がパーティに出席したと聞いたが、出席者の殆どが吉村太一さんの人望を慕って参画したものだろう。まさに、太一さんの仁徳・人望が300人強の出席者を集めた思う。 主従関係にある企業のパーティならいざ知らず、実質一個人が主催するパーティに300人とは突出している。往々にして、その世界の頂点を極めた人、特に一番のみが高く評価されるレースの世界では、自分中心志向の強烈な個性を持つライダーがどちらかと言えば多い。そんな中にあって、これだけ多岐にわたる出席者の間口の広さ、それもライダーだけでなく、多くの団体からの出席者をみると、吉村太一社長の人望はすごいなと思わざるを得なかった。これが今回のパーティに出席して感じ得た印象で、吉村社長の懐の深さと成功の秘密だと思った。


会場で、「まうんてん通信(特別号)」なる一枚の冊子をもらった。
この号には、「マウンテンライダーズの誕生50年(吉村太一)」、「懐かしい思い出と驚き(第一期ライダー 谷川勝己)」、「未来に向かって(監督 小橋雅也)」、「HISTORY OF MOUNTAIN RIDERS」、「モトクロッサー開発よもやま話(吉村太一)」が記載されており、マウンテンライダーズ誕生経緯からマウンテン出身のメーカー契約ライダー達の氏名等々が列記されている。マウンテン出身のワークス契約ライダーは’60年代~’70年代にかけてはスズキ契約が圧倒的に多く、次第にヤマハ契約に移行し、次にホンダ、カワサキのワークス契約に移行する流れをみると、時の全日本の主流を歩むレーシングチームが何処かを容易に想像できる。その中のカワサキワークスライダーとして、田中教世、小島太久摩、小川裕己の名が並んでいた。

中でも、吉村太一さんが書いた「モトクロッサー開発よもやま話」は結構面白い。
日本の二輪企業が世界に羽ばたく過程で、世界を制覇したホンダ、ヤマハ、スズキがロードレース界から撤退後、モトクロスがビジネスになると気付いたスズキがオフロード市場に打って出る過程での、マシン開発の苦労話だが、結構面白い。1966年頃当時、チェコのCZ、スウェーデンのハスクバーナ車が世界のオフロード市場を席捲していたが、次第に日本メーカーに置き換わり制覇されていく過程での話。記事の最後の一節、
「日本製モトクロッサーが最初から優秀だったのではなく、積み重ねがあり現在の地位がある。
しかし、今またヨーロッパからKTMなどの逆襲が始まっている。今後のモトクロッサーがどうなっていくのか、私は興味が尽きない」と締めくくっている。これにはビックリ! 全日本や世界のオフロード市場の末端推移を肌に感じ見てきた本人から、今、脅威に感じる二輪企業として「KTM」の名を聞くとは思いもしなかった。実は、同会場で、かってカワサキモトクロスチームの主力ライダーだった、福本敏夫さんと四方山話をした。彼が言うに、今、日本のオフロード市場ではKTMが台頭しつつあるとの事。このままにしておくと、日本市場がKTMに置換してしまう恐れがあり、取って替わられる前になにか検討しておくべきではないかと聞かされていた。この日、偶然にも日本のオフロード市場の末端を観察している二人の著名人から、KTM恐るべしと聞かされた。日本のオフロード市場で、打倒KTMを開発して何ぼになるという意見もあるようだが、しかし日本企業が世界に打って出た当時の欧州企業が正にそうだった。昨年、モトショップシロタの城田社長(元チームグリーン選手)やカワサキマイスターの森田社長からも同様意見を聞いていただけに、日本市場は変貌しつつあるのかもしれぬと感じた。
鼻の利く経営者の感覚は何時も鋭い。
          

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