しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

風呂屋の三助

2023年09月29日 | 失われた仕事

10代、20代の頃、町の銭湯にはよく行っていた。
いろんな銭湯にはいって、値段も、趣向も、少し違うのを楽しんでいた。

しかし「三助」は見たことがない。
サラシ姿で入浴客の背中を洗ってるのを見たことがない。

思うに、
家に風呂が無い人が銭湯に行くが、
家に風呂が無い人は、「三助」の代金を払うほど生活に余裕はなかった。

町の銭湯に、ほんとうに「三助」はいたのだろうか?

 

・・・

(TBS「時間ですよ」)

 

・・・


「昭和の消えた仕事図鑑」  澤宮優  原書房 2016年発行


三助


昭和30年代は銭湯1軒につき3~4人いたが、平成24年には全国で1人。
三助の日常は、
まず風呂を沸かす燃料の用意。
薪から、昭和30年代は石炭になった。
石炭ガラは舗装していない道の水たまりに入れて穴埋めした。
午後になると、風呂を沸かす。風呂場の掃除。
背中を洗うのは本来の仕事から見れば内職にすぎない。
やればやっただけ客からお金を貰えた。

・・・

「失われゆく仕事の図鑑」  永井良和他 グラフィック社 2020年発行


三助


三助とは銭湯の従業員で、
客の背中を流す男性のことである
戦後のある時期まで、
全国各地の銭湯に在籍していた。

流しを希望する客は、
まず番台で追加料金を払って札をもらう。
半股引にサラシ、ハチマキ姿の三助がやってきて、
背中と胸を洗い、肩をマッサージしてくれる。
最後に「バーン!バーン!」と背中を叩く。
三助は男だが、女湯にも普通に入って仕事をした。

三助はいきなりなれる職業ではなく、
最初は釜焚きや薪の収集からはじめ、
数年終業した後、
ようやく客の背中を流すことが許された。

・・・

 

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鋳掛屋(いかけや)

2023年09月29日 | 失われた仕事

日本の経済成長が始まると、
それまでの生活様式だけでなく、モノに対する思考も変っていった。
家にある鍋や釜やヤカンは、
(何度も何度も何度も修理され、最後にはクズ屋に売られ、溶かされていたが)
何かあると、新しいモノに買い換えられていき、古いモノはすぐに廃棄物となった。

 

・・・

(父の話)


談・2002.10.14

鋳掛屋


鍋ややかんを直しにきょうた。
してるようになってから来んようになった。

蝙蝠傘を直す人もきょうた。

 

・・・


「金光町史」


行商のほか、職人もたくさん回ってきた。
鋳掛屋、桶屋、羅宇屋(らうや)、石屋、時計や洋傘の修理屋などが農閑期に家々を回っていた。

 

・・・


「昔のお仕事大図鑑」 日本図書センター  2020年発行


鋳掛屋


直すものは、鍋ややかん、釜などが多かった。
昔の鍋ややかんは、今より質が悪く、よく穴があいた。
鋳掛屋は,火を起こす小さなふいごなどを乗せた自転車やリヤカーで、町を回りました。

 

 

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「昭和の消えた仕事図鑑」  澤宮優  原書房 2016年発行

鋳掛屋(いかけや)

鍋や釜など胴や鉄でできた容器の漏れに、白鑞(シロメ)・・錫と鉛の合金・・を溶かして入れて、穴をふさぐ仕事。
ふいごを持ち歩き、行商のようにその場で直すことも多かった。

「いかけ~、いかけ~」の声を聞いて、家庭の主婦が壊れた鍋や釜をもってきて、その場で修理してもらった。

戦後になってアルミで作られた金物が流通すると、
鋳掛屋の技術では修理できなくなった。
また値段も安くなったので、買い換えることが可能になった。

・・・


「昭和の仕事」  澤宮優 弦書房 2010年発行

鋳掛屋


穴の開いた鍋、釜、鉄瓶を修理する仕事。
天秤に小型の鞴(ふいご)や小道具をぶら下げて一軒一軒を回った。
もとは鋳物師から分かれた仕事。
鉄の鍋は裏側が酸化したり、黒くなったり、穴が開いたりした。
その穴を鋳掛屋が塞いで直した。
小さな穴は、鉄かアルミの棒で塞ぐ、
大きな穴は、まず周りをきれにに四角や丸に切り取って、
そこにブリキの板をはめ、最後に半田付けした。
庶民は何度でも直して使った。

・・・

 

 

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