しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「平家物語」富士川の戦い  (静岡県富士川)

2024年07月21日 | 旅と文学

斎藤実盛(さねもり)といえば、
岡山県では「実盛さま」と呼ばれ、田んぼの虫送り行事で知られる。

奥の細道では、芭蕉の句も有名。
【むざんやな甲の下のきりぎりす】

元はと言えば、斎藤実盛は平家物語に多く登場する。
富士川の戦いでも、主役をつとめていると言っていい。

 

・・・

旅の場所・静岡県富士川
旅の日・2022年7月9日
書名・平家物語
原作者・不明
現代訳・「平家物語」 長野常一  現代教養文庫 1969年発行

・・・

 

富士川

その日の暮れ方、平家の陣の前を、急ぎ足で西の方へ行く下男の男があった。
怪しいと見て、平家の兵はこの男を捕え、侍大将忠清の前へひっ立てて来た。
すぐに尋問がはじまる。
「そちはどこの何者か。」
「はい、常陸(今の茨城県)の源氏、佐竹太郎殿の下男でございます。」

「して、どこへ行く。」
「はい、都へ参ります。」
「時に、そちは鎌倉を通って来たであろうが。」
「はい、通って参りました。」

「では尋ねるが、鎌倉には源氏の軍勢がいかほど集まっておったかの。」
「さあ、私のような下郎の身は、四、五百、千までは数えられますが、それから上は数えられませぬ。」
「いや、そちがいちいち数えなくとも、人のうわさでは、どれくらいと申しておったか。」
「はい、たしか二十万騎とか申しておりました。」
「なに、二十万騎!」

「それはたんに人のうわさであろうが.........」
「もちろん、うわさでございます。しかし、私がここまで参ります間、八日九日と歩きつづけて参りましたが、
野も山も海も川も、みな源氏の武者で埋まっておりました。」

 

 

平家の遠征軍の中には、斎藤別当実盛という老武者がひとり加わっていた。
彼はもと源氏の家来であったのだが、今は平家につかえているのである。
平素は武蔵の国に住んでいたので、坂東の事情に詳しかった。

大将軍維盛
「いかに実盛、坂東八か国には、そちほどの強い弓を引く者が、何人くらいあるかな。」
そうはあるまいと思って、雑盛は尋ねてみたのであった。


実盛
「はっ、はっ、はっ。」

大将軍維盛
「実盛、どうしたのか。急に笑い出したりして。」

実盛
「殿はこの実盛の弓を強いと思われますか。
矢の長さはわずかに十三束にござりまする。
坂東に強弓矢と申しますは、十五束以上をさしまする。
かような大矢に当たりますと、鎧の二つ三 つは、ぶつりと射通されてしまいまする。

だいたい、東国の大名は、ひとりで五百崎の敵を相手にいたしまする。
それに坂東武者はみな馬の達人、どんな足場の悪い悪所をかけても、馬を倒すことはありません。
いざいくさともなれば、たとえ親が討たれ、子が討たれても、その死骸を乗り越え乗り越え戦いまする。
それに比べ西国のいくさは、
親が討たれれば引き退き、その仏事供養をすませてから戦います。
子が討たれれば親は泣き、もはや戦う気力もなくなってしまいます。
兵粮米が尽きればいくさはやめ、夏は暑いとていくさをきらい、冬は寒いとて出陣いたしません。
こんなことでは勝てるいくさにも勝てません......」


そこまで話して実盛はひと息つき、並みいる平家の武士たちを見まわした。
恐ろしさのために青い顔をしたのもあり、恥ずかしそうに下うつ向いているのもある。
かくするうちに、源氏の軍勢がようやく富士川の対岸にあらわれた。
あとからあとからと、それはつづく。平家の赤旗に対して、源氏の白旗が野にも山にもへんぽんとひるがえった。
十月二十四日の卵の刻(午前六時)に、源平の矢合わせが行なわれることになった。


その夜半、富士川付近の沼におびただしく群がっていた水鳥が、何に驚いたのか、いっせいに ぱっと飛び立った。
何千、何万という水鳥の羽音が水面にこだまして、雷のように聞こえた。
平家の兵たちは、これはてっきり源氏が夜討ちをかけてきたものと思い込んだ。

「おお、夜討ちだ! 夜討ちだ! 源氏が押し寄せたぞ!」
「親が死んでも子は知らぬという坂東武者だ!」
平家の陣営は上を下への大騒動になった。だれかがどなっている。
「取りまかれては全滅だ。逃げろ!」
と、ひとりが言い出すと、あとはもう総崩れだ。

弓を持った者は矢を持たず、矢を持った者は弓を忘れる。
他人の馬には自分が乗り、自分の馬には他人が乗る。
中には瓶につないだままの馬にあわてて飛び乗って、馬の尻をひっぱたいたからたまらない。
馬は枕のまわりをグルグルとまわる。こうして平家軍は、一兵も残さず、夜なかのうちに逃げて行った。


平家が戦わずして逃げ帰ったといううわさは、すぐに京都や福原へも聞こえてきた。
平清盛は、ひたいに太い青筋を立てて怒った。
「なんというぶざまな負けようだ。維盛は鬼界が島へ流してしまえ!忠清は死罪にしてしまえ!」 
と思いたが、なだめる者があって、それまでの罰は行なわれずにすんだ。

 

 

それにしても、水鳥の羽音に驚いて逃げたという例は、今までの歴史にないことだ。
そのただ 一つの例を作った平家の軍勢は、後世の物笑いになった。

 

 

 

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