10代、20代の頃、町の銭湯にはよく行っていた。
いろんな銭湯にはいって、値段も、趣向も、少し違うのを楽しんでいた。
しかし「三助」は見たことがない。
サラシ姿で入浴客の背中を洗ってるのを見たことがない。
思うに、
家に風呂が無い人が銭湯に行くが、
家に風呂が無い人は、「三助」の代金を払うほど生活に余裕はなかった。
町の銭湯に、ほんとうに「三助」はいたのだろうか?
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(TBS「時間ですよ」)
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「昭和の消えた仕事図鑑」 澤宮優 原書房 2016年発行
三助
昭和30年代は銭湯1軒につき3~4人いたが、平成24年には全国で1人。
三助の日常は、
まず風呂を沸かす燃料の用意。
薪から、昭和30年代は石炭になった。
石炭ガラは舗装していない道の水たまりに入れて穴埋めした。
午後になると、風呂を沸かす。風呂場の掃除。
背中を洗うのは本来の仕事から見れば内職にすぎない。
やればやっただけ客からお金を貰えた。
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「失われゆく仕事の図鑑」 永井良和他 グラフィック社 2020年発行
三助
三助とは銭湯の従業員で、
客の背中を流す男性のことである
戦後のある時期まで、
全国各地の銭湯に在籍していた。
流しを希望する客は、
まず番台で追加料金を払って札をもらう。
半股引にサラシ、ハチマキ姿の三助がやってきて、
背中と胸を洗い、肩をマッサージしてくれる。
最後に「バーン!バーン!」と背中を叩く。
三助は男だが、女湯にも普通に入って仕事をした。
三助はいきなりなれる職業ではなく、
最初は釜焚きや薪の収集からはじめ、
数年終業した後、
ようやく客の背中を流すことが許された。
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夜の12時を過ぎて行くと番台のおじさんが「今風呂を洗っているが、良ければ入れ』と言われ、風呂場にいくと中年の女性が3名腰タオル1枚で仕事をされていました。
シャワーだけで早々に出ましたが、みなさんスタイルが良かったです。