しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

ボウリング

2023年09月16日 | 失われた仕事

 

高校を卒業した春休み、
福山の日本鋼管埋立のボーリング工事のアルバイトを一週間ほどした。
それで、ボーリングとは穴掘りだと思っていた。

それから3年ほど後には、
ボーリングとは玉転がしを差し、
突然のように日本全国にボウリング場ができ、
テレビ番組もでき、スター選手もでた。
笠岡にも井笠バスセンター、ABCホール、笠岡ボウルと三つのボウリング場ができた。
自分専用の靴やボールを持っているのが自慢の人も何人かいた。

ところが、異常なブームは1~2年で終わった。
テレビ番組が終了すると、
飽きられたようにボウリングブームも去っていった。
「ダブル」とか「ストライク」という言葉も聞かなくなった。

数少なくなったボウリング場だが、固定客(常連客)を中心に集客し営業を続けている。

 

 

「失われゆく娯楽の図鑑」  藤木TDC グラフィック社 2022年発行

ボウリング

1970年代には「さわやか律子さん」を筆頭に一大ブームを巻き起こす。
日本で爆発的ブームを巻き起こしたのは1970(昭和45)年前後だった。
”人気の中山””実力の須田”と並び、男子プロも五月みどりの弟や、
”プロボーラーの矢島です”ら実力者がいた。
テレビ各局は、ゴールデンタイムに人気プロの試合を放映した。
一度は野球をあきらめかけた落合博満が、プロボーラーを目指したのもこの頃だった。

昭和47年には全国のボウリング場も3697ヶ所に達した。
最盛期には、数百メートルごとに建物の最上部にシンボルの大きなピンを立てたボウリング場を目にしたものだった。
ブームは長続きせず人気番組「スターボウリング」も昭和49年春に終了した。

 

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レコード店

2023年09月16日 | 失われた仕事

高校生だったある日、学校帰り同級生3~4人でスサキ通を歩いていた。
レコード店から音楽が流れていた。
「今、あの歌が流行っているんだ」
その歌は、日本語ではなく外国語だったが、調子いい曲だった。
「”アイドルを探せ”という歌だよ」と、
一人の友が教えてくれた。
そのまま、そのレコード店に入っていった。

市内の高校生が10人ほど店内にいて、レコードを見たり、探していた。
様子を見ていると、
客‥と言っても、店内を歩いているだけ。しかもほぼ全員高校生・・・が、
「これをかけて」とレコードを持っていくと、針を置いて曲を流してくれる。

家に蓄音機もなく、レコードに関心はなかったが、
それからは、そのレコード店の前をゆっくり歩くようになった。
そのお店が「富士商工」。
スサキ通りから斎藤の中華そば店に曲がる道の、また曲がるカドにあった。
当時の笠岡は、
どの道を歩いても多くの人がいた。

・・・

 

 

 

その頃、笠岡には
スサキ通りに「富士商工」、西本町に「公声堂」があった。

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「失われゆく仕事の図鑑」   永井・高野 グラフィック社 2020年発行

レコード屋

店内に入ると、ギターやウクレレアコーディオンなども販売されていた。
歌の本もあった。
別に大きな店でなく、
当時それが町のレコード屋の一般的な営業形態であった。
レコードの種類も幅広く、
邦楽では、長唄、民謡、演歌、歌謡曲、漫画の歌、唱歌まで何でもあった。
もちろん流行りの洋楽もあった。
歌謡曲のベストテンのシングル盤もみやすいように
カウンターの奥に順位通りに並べてあった。
店の人は、誰もが音楽に詳しく、みんな親切でやさしかった。

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