しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

遣り手婆(やりてばばあ)

2023年09月19日 | 失われた仕事

昭和33年3月、公娼は廃止された。
それから10年経った四国の道後温泉「松ヶ枝遊廓」に行くと、
そこでは、
売春防止法どこ吹く風の感じで、遊廓が現役で営業していた。
行政が法に対して片目をつむることはよくあるが、両目をつむっていた。

遣り手婆が、松ヶ枝遊廓街の左右から客を引いていた。
”遣り手婆”と呼ばれるだけに、年齢は婆さんだった。
不思議な感じがする空間だった。

当時の道後温泉は、温泉と遊郭が一体となっての「道後温泉」だったので、
松山市も振興のため目をつぶっていたのだろう。

 

 

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「失われゆく仕事の図鑑」  永井良和他 グラフィック社 2020年発行

遣り手婆

遊廓の女性が、自ら客引きをすることは決してない。
客の相手をするのは、遣り手婆が客を引き込んだあとからだ。
店には、遣り手と呼ばれる高齢の女性がいる。
店の前を行く男たちに遊んでいかないかと声をかけるのは、
この女性たちだ。
危険な人物ではないか、瞬時に見きわめる。
不潔な者、金をもっていそうにない者が排除される。
門番の役割も果たす。

 

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「昭和の消えた仕事図鑑」  澤宮優  原書房 2016年発行

公娼

娼妓の七割が経時的な困窮により年季奉公として娘時代に遊廓に売られ、
下働きを積んで、年頃になると娼妓になった。
売られた彼女たちに支度金を返済することは不可能で、
奉公明けはできず、
遊廓で生涯を終えた。
年配になると呼び込みや、遊廓の仲居をすることもあった。

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文選工(ぶんせんこう)

2023年09月19日 | 失われた仕事

妻のおばが、井原市の自宅で文選工をしていた。
福山市の学校(同業社だったかも)に半年間行って習ったそうだ。

おばが、その仕事をしているのを見たことはない。
すでに印刷方法が変わっていた。
しかし、おばの家の玄関の横に、仕事場が長くそのままの状態だった。

おば夫婦は、地域情報紙を発行する仕事をしていた。

 

 

 

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「昭和の消えた仕事図鑑」  澤宮優  原書房 2016年発行

文選工(ぶんせんこう)


原稿の文字通りに活字棚から鉛でできた活字を一字ずつ拾って、
文選箱に収める仕事。
一舜にして活字を探すのは熟練した職人の技だった。

活版印刷の文選工の仕事は、主に二つの作業工程に分けられる。
あらかじめ活字を選び出しておく「文選」。
活字を原稿の順序に従って並べ、組版を作る「植字」。
とくに文選は数千種類もある大型ラックに入れられた活字からすぐに選び出さなければならないので、高度な訓練と技能を要した。

文選工は、左手に文選箱と原稿を持って、
壁一面に占める大型ラックから、鏡文字(裏返しにされた活字)を探す。
鏡文字を読むことから修業であった。

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