日本の経済成長が始まると、
それまでの生活様式だけでなく、モノに対する思考も変っていった。
家にある鍋や釜やヤカンは、
(何度も何度も何度も修理され、最後にはクズ屋に売られ、溶かされていたが)
何かあると、新しいモノに買い換えられていき、古いモノはすぐに廃棄物となった。
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(父の話)
談・2002.10.14
鋳掛屋
鍋ややかんを直しにきょうた。
してるようになってから来んようになった。
蝙蝠傘を直す人もきょうた。
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「金光町史」
行商のほか、職人もたくさん回ってきた。
鋳掛屋、桶屋、羅宇屋(らうや)、石屋、時計や洋傘の修理屋などが農閑期に家々を回っていた。
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「昔のお仕事大図鑑」 日本図書センター 2020年発行
鋳掛屋
直すものは、鍋ややかん、釜などが多かった。
昔の鍋ややかんは、今より質が悪く、よく穴があいた。
鋳掛屋は,火を起こす小さなふいごなどを乗せた自転車やリヤカーで、町を回りました。
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「昭和の消えた仕事図鑑」 澤宮優 原書房 2016年発行
鋳掛屋(いかけや)
鍋や釜など胴や鉄でできた容器の漏れに、白鑞(シロメ)・・錫と鉛の合金・・を溶かして入れて、穴をふさぐ仕事。
ふいごを持ち歩き、行商のようにその場で直すことも多かった。
「いかけ~、いかけ~」の声を聞いて、家庭の主婦が壊れた鍋や釜をもってきて、その場で修理してもらった。
戦後になってアルミで作られた金物が流通すると、
鋳掛屋の技術では修理できなくなった。
また値段も安くなったので、買い換えることが可能になった。
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「昭和の仕事」 澤宮優 弦書房 2010年発行
鋳掛屋
穴の開いた鍋、釜、鉄瓶を修理する仕事。
天秤に小型の鞴(ふいご)や小道具をぶら下げて一軒一軒を回った。
もとは鋳物師から分かれた仕事。
鉄の鍋は裏側が酸化したり、黒くなったり、穴が開いたりした。
その穴を鋳掛屋が塞いで直した。
小さな穴は、鉄かアルミの棒で塞ぐ、
大きな穴は、まず周りをきれにに四角や丸に切り取って、
そこにブリキの板をはめ、最後に半田付けした。
庶民は何度でも直して使った。
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