しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

屎尿汲取り

2023年09月17日 | 失われた仕事

笠岡の高校に入学して、最初にびっくりしたのが、
学校近く商店街を、肥たごを積んだ大八車だったか、リアカーだったかが、作業者数人と歩いていたこと。
肥たごを数桶積んでいて、数人の男性がこぼれたり、はねたりしないように、慎重に前に進んでいた。
その周辺は強い臭いが商店街にただよっていた。
これが笠岡か、と思った。

(これは笠岡の町が田舎という意味ではない。さすがに町には汲み取り車があるのだ、と感心した想い出である)

高校3年生だった頃は、その記憶がないので、たぶんバキュームカーに変わっていたのだろう。

 

・・・

「失われゆく仕事の図鑑」 永井良和 グラフィック社 2020年発行

汲取り

 

1950年代までは、
し尿処理場のない自治体もあり、農家と契約してし尿を集めていたケースもあった。

トイレ水洗化が浸透して「臭い」と無縁の時代となって久しい。
しかし家庭から出る「し尿」が肥料として重宝されていた時代、
それらを収集する仕事があった。
処理にあたってはし尿が跳ね返ることも少なくない。
重さによる疲労、精神的にも過酷な仕事だった。

東京湾、大阪湾、北九州その他の海で1950年代から1960年代にかけて大規模に行われ、海洋汚染や漁業に悪影響を与えた。
東京では1960年までにバキュームカーに移行した。

・・・

 

 

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DDT

2023年09月17日 | 失われた仕事

頭の髪にはシラミがいて、着物にはノミが何匹もいた時代。
小学生女子にはシラミ退治のため、まっ白い粉を頭からふりかけられていた。

男子は坊主頭で対象外、女子がやられる(?)のを見ていた。

 

 


強力な合成殺虫剤DDTのブーム

「食糧と人類」 ルース・ドフリース  日本経済新聞社 2016年発行

オーストリアの大学生ツァイドラーは1874年にDDTという化学物質を合成したが、
20世紀後半、農業分野で大きな変化を引き起こすことになろうとは夢にも思っていなかった。

DDTはイエバエ、シラミ、コロラドハムシに対してすばらしい効果を発揮した。
1942年には商品化され、人類と病害虫との闘いに終わりを告げるという華々しい謳い文句とともに市販された。

DDTの威力が証明されたのは第二次大戦中のことだ。菊を原料とする除虫菊剤が使われていたが、それが品不足になるなか、
シラミを媒介する発疹チフス、蚊が媒介するマラリアから、DDTの白い粉を振りかけると、歴史上初めて発疹チフスの流行に歯止めがかかった。
マラリアの抑制にも効果を発揮した。

戦後、DDTは公衆衛生上のマラリア対策として導入された。
DDTは疾病対策に使われたあと、農業分野の市場に進出した。
人類を苦しめる病害虫を駆除できるという宣伝文句で、
家庭の庭の雑草から大草原地帯の牧場のハエまで守備範囲が広がった。
これが飛ぶように売れた。


人気の絶頂期は1960年代前半。
新しい害虫が出たり、副作用の被害が深刻化した。
蚊やハエを退治しようとDDTを噴射すれば、鳥や動物が巻き添えになった。
病害虫は進化し効果が薄れていった。
殺虫剤メーカーは絶えず新しい化合物をつくって耐性と闘わなくてはならない。

・・・


「神島史誌」

神島内国民学校

昭和20年2月4~5日 松根油製造つくり奉仕
    4月18日 高等科生、東村の山林開墾に着手
    6月22日 米機空襲。機関銃弾、付近に数発落とす

昭和21年10月 教育勅語の廃止

昭和23年4月 6.3.3の新学制実施
    5月21日 女児に対しDDT散布
    7月15日 BCG接種

 

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(姉の話)

イヤダネェ!!!
運動場で。
一列に並んでね。
かけてもらったんよ。気持ちわるぃ。
くしゃみは出るし。真っ白にはなるし。
粉をかけまくるんよ。
おじさんはどうしてこんな事を。と、憎らしゅうてね。
きゃーきゃー言いながら。
パタパタ粉を叩いて(服の粉を落としていた)

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コメント (1)
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