笠岡の高校に入学して、最初にびっくりしたのが、
学校近く商店街を、肥たごを積んだ大八車だったか、リアカーだったかが、作業者数人と歩いていたこと。
肥たごを数桶積んでいて、数人の男性がこぼれたり、はねたりしないように、慎重に前に進んでいた。
その周辺は強い臭いが商店街にただよっていた。
これが笠岡か、と思った。
(これは笠岡の町が田舎という意味ではない。さすがに町には汲み取り車があるのだ、と感心した想い出である)
高校3年生だった頃は、その記憶がないので、たぶんバキュームカーに変わっていたのだろう。
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「失われゆく仕事の図鑑」 永井良和 グラフィック社 2020年発行
汲取り
1950年代までは、
し尿処理場のない自治体もあり、農家と契約してし尿を集めていたケースもあった。
トイレ水洗化が浸透して「臭い」と無縁の時代となって久しい。
しかし家庭から出る「し尿」が肥料として重宝されていた時代、
それらを収集する仕事があった。
処理にあたってはし尿が跳ね返ることも少なくない。
重さによる疲労、精神的にも過酷な仕事だった。
東京湾、大阪湾、北九州その他の海で1950年代から1960年代にかけて大規模に行われ、海洋汚染や漁業に悪影響を与えた。
東京では1960年までにバキュームカーに移行した。
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